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愚者とエゴイストの輪舞曲  作者: ハロー
第一章 花時雨
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羽落ち



「──それでね、意外と高乗りでは、雲に飛び込んで突っ切ったりはしないんだって」


「なるほど」


「服がね、濡れちゃうからだって。雲って、霧が濃く固まったみたいなものらしいよ。でも天馬乗りなら、誰でも一度はやるんだってさ。あー、私も雲に飛び込んでみたいなあ!」


「そうですか」


「でも黒い雲は雷の巣みたいなものだから、入ったら危ないんだって。天馬も嫌がるらしいよ」


「はあ」


「それとね、雲に入れるくらいの高さには、あんまり長くいると良くないんだって。迷信じゃないかってユリシーズは言ってたけど、なんか頭が変になっちゃうから、昔から長い間高く飛びすぎるなって言われてるんだって」


「ほう」


 ロアはクノク川の手前で天馬のシェーガーから降りて、天馬馬車に乗り換えていた。初めのうちこそ天馬馬車にはしゃいでいたが、そのうちユリシーズから聞いた話をべらべらとマヌエラ達ジャンメール家の侍女に話し始めた。マヌエラ達もロアの扱いには慣れたもので、興奮状態の主人に短い返事で軽く流している。


 ユリシーズが連れて来た天馬馬車は二台あり、ロアの乗る先頭の馬車にジャンメール家の一行が、後ろの一台にヨゼフィーネ達ベルンシュタイン後宮から遣わされた者達の一行が乗っている。後続の天馬馬車の車内はさぞ静かなことだろうとマヌエラは思った。


「だからねえ、昔ユリシーズは試してみたんだって。本当に頭が変になるかどうか。それで、どうなったと思う?」


「さて、どうでしょうか」


「王都が見えてきましたよ」


 ふいに天馬馬車の外から御者の声がした。


「えっ! どこどこ!?」


 ロアは窓に飛びつき、顔を突き出して外を見た。風がロアの髪に吹きつけ、頬より白い額を全て出してしまった。単騎駆けのユリシーズの姿はとっくに見えない。真っ白い大きな綿雲が浮かぶ空の下の遠くに、城と城下町を取り囲む白と灰色の城壁が見えた。ウィンフィールドの王都は城郭都市だ。


「わー、あれが王都かあ!」


「身を乗り出さないで下さい、馬車が傾いてますよ」


 マヌエラが珍しく上擦った高い声でロアを窘める。隠しているが実は高所が苦手なのだ。ロアは風になぶられた髪を耳に掛け直しながら、馬車の中に戻った。


 やがて天馬馬車は城壁の上の、空の関所の役割をしているらしい箇所に差し掛かって速度を緩めた。ロアは扉の側で馬車が停まるのをうずうずしながら待った。馬車が少しだけ揺れ、何頭もの天馬の花びら蹄鉄がカツカツと石畳に降りる音が響いた。


 ロアはまだ完全に馬車が停まる前から我慢しきれなくなり、馬車から降りるための踏み台を御者が出すのも待たずに城壁の石畳の上へとひらりと飛び降りた。着地でかかとが痛むのも気にせず、とっと小走りで駆け出した。


「あっ、ロア様!」


「お待ち下さい!」


 マヌエラ達ジャンメール家の侍女や、ぎょっとして振り返った御者の叫びはロアの耳には入らない。高い白灰色の石の壁がずっと遠くまで繋がっていて、そこを風が吹き抜けている。ウィンフィールドの天馬騎士団の演習中なのだろうか、壁の中の上空を背中に騎士を乗せた天馬達が飛んでいた。


 ロアは城壁の上に設けられた関所のような建物に駆け寄り、弾む息のまま中を覗いた。それに気づいた白銀の鎧を身につけた門番の兵士が、素早くロアを咎める。


「おい、検閲は済んだのか?」


 長身の門番の兵士はがっしりとした奇妙な金具のついた、重たげでおかしな形状の軍靴を履いていた。天馬に乗るためのものなのだろう。


「まだだよ。でもちょっと見るだけだから、お願い」


「駄目だ。先に手続きを済ませろ」


「手続きならみんながしてくれてるから、ここでこうして喋ってる間に終わるよ」


「駄目と言ったら駄目だ。規則を守れ」


 その時門の向こうを覗いたロアの目に、一頭の天馬が馬留めに繋がれているのが見えた。二枚羽の天馬で、片羽がだらりと折れて垂れ下がり白い馬体が血に染まっている。ロアは目を丸くして息を飲んだ。引き下がらないロアに業を煮やした兵士は、槍の柄尻を石畳にガンと打ち付けて脅かした。


「おい、いい加減にしろ」


「……怪我! 怪我をしてるよ!」


 ロアは門番の兵士の手甲で覆われた手をぐいと引き、それから天馬を指差した。兵士は面食らって彼女を見下ろす。


「手当てしなきゃ!」


「こら、検閲がまだだと言っただろう。馬車に戻るんだ」


 門を通り関所の中へ入ろうとするロアを、苛立ちの滲む声で門番の兵士が制止する。がちゃりと鎧が鳴った。


「だって見てよあそこの天馬、怪我をしてるよ!」


 ロアは己の前に出された兵士の腕を避けようと、力を込めて両手で押した。その強さに驚いた兵士は、眉間に皺を寄せ本腰になってロアの前に立ちはだかり腕に力を込めた。


「あれはあのままでいいんだ」


「どうして? 血だらけだよ!」


 ロアは驚き、ひどく傷ついた顔をした。兵士は困りつつも意外そうな顔をした。


「見て分からないのか? あれは羽落ちだぞ」


「羽落ち?」


 初めて聞く言葉に、ロアは瞬きをした。兵士は呆れ顔でロアを見下ろした。


「何だ、あんたウィンフィールド人じゃないのか」


「ベルンシュタイン人だよ」


 ロアは小さく胸を張る。兵士は嘲るように笑った。


「ハッ、道理でものを知らないはずだ。羽落ちはな、怪我をして飛べなくなった馬のことだ。羽落ちに手当は必要ない」


「どうして? どうして手当が必要ないの?」


 意味が分からず、ロアは焦れて涙さえ浮かべていた。兵士は戸惑いながらもロアの目を見てきっぱりと言った。


「寿命が来たんだ」


 ロアは瞬きした。それから兵士の言葉の意味を理解し、はっとして目を大きく見開いた。


「……飛べなくなったから、殺すってこと?」


 兵士は弱り切った顔でロアを見つめる。


「仕方ないだろう。天馬は地上では役に立たない」


「そんな!」


「うるさいぞ、この国にはこの国のルールがあるんだ。わめいてないで早く手続きを済ませろ」


「そんなの酷い、あんまりだよ!」


 兵士は初めて目に明確な怒りを込めて、ロアを睨んだ。


「酷い? これは何も天馬に限った話じゃない。ベルンシュタインの地べたの馬だって、足の骨でも折れば処分されるだろう?」


 兵士の言葉は真実だった。ロアは頬を打たれたかのように黙り込んだ。ロアの乗る競走馬も馬車を牽く使役馬も、足を負傷してすぐに完治できる見込みがなければ殺処分になる。特に足の細い競争馬は、足の怪我が死に直結してしまう。


 幸か不幸か今のところは人づての話しか聞いたことはないが、初めて予後不良という言葉の意味を知った時ロアは騎手を辞めようとさえ思った。


 だが今目の前にいる天馬が負傷したのは、幸いにして脚ではない。致命傷でもない。空は飛べなくなるが、天馬は羽がなくても生きてはいける。ロアは意を決して唇を引き結び、兵士の冷たい鎧の脇腹の辺りを掴んで思い切り揺らした。がちゃがちゃと鎧が鳴る。


「……でも、怪我をしてるのは羽だけなんでしょう? それなら死なせることはないよ。今すぐ手当てさせて、お願い!」


 兵士はその迫力に一歩後ずさり、いよいよ参った様子で助けを求めるように辺りを見回した。


「くっ、おい、誰か──」


 その時、門の奥の兵舎から二人の兵士が談笑しながら天馬の方へ歩いてきた。二人とも門番の兵士と同じ、変わった形の軍靴を履いている。一人が怪我をした天馬から鞍を下ろし、もう一人が馬留に結ばれていた手綱を解く。兵士は手綱を手にしてロア達のいる門とは逆方向へ歩き出した。


 天馬はいじらしくも素直にひょこひょこと歩いたが、その速度が不満らしく癖毛の兵士が舌打ちして天馬の尻をぐいと乱暴に押した。


 それを見てロアは弾かれたように素早く門番の兵士の腕をかいくぐると、脱兎のごとく駆け出して天馬の尻を押した兵士と天馬の間に無理やり入り込んだ。


「うわっ!?」


 癖毛の兵士が悲鳴を上げる。馬は急な動きや死角から近づかれることを嫌うものだが、不思議とこの天馬に驚いた様子はなかった。ロアは天馬を背を向け庇うように手を広げた。翻ったドレスが天馬の体に触れて血が染み込む。


「乱暴に押さないで! 怪我をしてるんだよ!」


「何だ小娘、どこからわいてきた」


 癖毛の兵士は目を白黒させると、こちらを睨んだ。ロアも負けじと強気に兵士の目を真正面から見据える。


「ベルンシュタインから」


「あぁん?」


 天馬の正面で手綱を引いていた兵士は背後の事態を振り返り、ロアの切り髪に侮蔑の視線を送った。



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