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愚者とエゴイストの輪舞曲  作者: ハロー
第一章 花時雨
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いつかの天馬乗り



「ねえ、この天馬の名前は?」


 ロアは天馬を見つめながらユリシーズに尋ねた。


「シェーガーだよ」


 間合いを計る剣士か美術品を見定める鑑定士かのようにじりじりと歩を横に進めて、ロアは天馬を見る角度を変える。その真剣でありながら傍目には滑稽な動きを見て、ユリシーズは吹き出しそうになった。


「牝馬。三歳になったかならないかくらいだね」


 馬齢を当てられ、ユリシーズは眉を上げた。


「当たってるよ。天馬にも詳しいのかい?」


「馬には詳しいけど、天馬は今日初めて見た。……昔身っ食いの癖があったけど、もう直った?」


 自分の胸元を囓ってしまう、シェーガーのかつての悪癖を言い当てられて、ジョーは嘆息した。


「すごいな。その通りだ」


 ぱっと見ただけで分かるほど身食いの痕跡が残っていたただろうかと、ユリシーズはシェーガーに近づきその胸の短い毛を指先で梳くように撫でた。


「天馬の癖は、すぐに直せるの?」


「さあ、普通の馬と比べてどうなのかは知らないよ。答えてあげてくれるかい、モーリス」


「馬による」


 モーリスがつっけんどんに答えた。


「じゃあ、天馬と普通の馬の違いってどんなところ?」


「天馬の方が少しだけ小さいし、軽くて骨が脆い」


「それは知ってる」


 ロアのやや高慢にも思える返答に、モーリスはぴくりと口元を震わせた。


「天馬は地上じゃ乗用にはならねえ。鎧を着た兵士を乗せて、まともには走れねえからな。たとえ武装無しで乗ってもすぐに疲れちまうし、下手すりゃ骨が折れる」


「蹄鉄が普通の馬より薄いよね?」


「装備品はなるべく軽くしてるからな。天馬の蹄鉄は花びら蹄鉄って言われてるくらいだ、足元の悪い道じゃあすぐ歪むから気をつけろ」


「他には?」


「後はそうだな、雨を嫌う」


「それも知ってる。餌は?」


 頷いたロアはまた自信ありげな答えを返し、モーリスは眉根を軽く寄せた。


「青草も食うが、地べたの馬よりは干草も喜ぶ」


「羽があると、乗り方も変わるよね?」


 モーリスは鼻で笑った。


「当然だろうが。羽があるし羽まわりの筋肉の付き方も違うから、鞍の形も鞍を置く位置も地べたの馬とは違う」


 天馬に集中するあまり素っ気ない口調で質問するロアと、元々偏屈で昔気質なので同じように素っ気なく答えるモーリスの背中がまるで親子のように重なって見える。ユリシーズはまた笑い出しそうになって口元を押さえた。


「鞍は、普通のものより小さいように見えたけど」


「羽があるから鞍に奥行きが取れねえんだ、特に四枚羽用は小さい。それに軽いし、ある程度まではたわむ。……嬢ちゃん、あんた本気で天馬に乗る気か?」


 説明を終えたモーリスは、不躾にロアを睨むように見た。ロアは天馬を見たまま頷く。


「そのために来たんだよ」


「落ちりゃあ死ぬんだぞ」


「落ちなきゃ死なない」


 モーリスの白く長い眉毛がひくりと動いた。


「死ななきゃそれでいいのか? 天馬用の鐙と靴は逆さまになっても落ちにくい特別な造りだ、慣れないうちは足の甲や脛が擦り切れるぞ」


「大丈夫。もう擦り切れてる」


 脅すようなモーリスの言葉に、ロアは自分のかかとを指差して悪戯っぽく笑った。


「……そんなら、自分に合った大きさと形の鞍をようく選べ」


「うん!」


 乗ることを認めてくれたらしいモーリスの言葉に、ロアの声が弾む。


「手綱の太さや鐙の大きさもだ。騎手だからって甘く見てるかもしれねえが、空中の感覚に慣れるまでは時間がかかるぞ」


「一日二十時間乗るよ」


 嬉しそうな顔をして無茶を言い出すロアに、当然ながらモーリスは眉根を寄せた。


「居眠りして落馬したいのか? 寝る時間は削るな」


「わかった。ちゃんと寝る」


 ロアが素直に頷いたのを見て、ユリシーズは意外に感じた。勝ち気な娘かと思っていたが、自分より馬の知識のある人間には従順なのかもしれない。


「乗る前には自分の装備の調節には時間をかけろ。手綱に鐙、鞅、鞦、腹帯、何もかもだぞ。道具の裏も表も横もよく見ろ。天馬乗りは体重移動が命だ、どんな時も人馬一体でいなくちゃあならねえ」


「それは普通の馬と同じだね」


 モーリスは顔をくしゃくしゃにして首を振った。


「いいや、地べたの馬の比じゃねえよ。空の上じゃあどんな動きもできるし、場合によっちゃ『させられる』。馬具の指一本分のズレや、ベルトの穴一つの緩みで命を落とすのが天馬乗りだ」


 また脅すようなモーリスの言葉に、ロアはごくりと息を飲んだ。


「……命綱はないの?」


 モーリスは顔をくしゃくしゃにして首を振った。


「最近の若いやつらは付けてるが、あんなもんは屁のつっぱりにもなんねえさ」


「じいちゃんはまたそんなこと言って。今は命綱を付けるのが常識なんだってば」


 ロアの乗った使役馬を馬留めに繋ぎ直して戻ってきたジョーが、子どもに言い聞かせるような口調で話に割って入った。モーリスは口を尖らせる。


「そんなもん兵士だけ真っさかさまに落ちて死ぬか、命綱でぶら下がって天馬も道連れにするかの差だろうが」


「そんなことないよ。天馬がまだ飛べる状態なら、命綱でぶら下がったまま乗り手が安全に着地できる場合も多いんだよ」


 何度も同じ会話を祖父としたことがあるのだろう、説明しても無駄だと分かっているような顔でジョーが言う。モーリスは嫌悪感を露わにして頬を紅潮させた。


「落ちる時は潔く一人で落ちやがれってんだ、畜生め。兵士ぶら下げた天馬なんぞ、敵の格好の的になるだけだ」


 ジョーは苦い顔で肩をすくめた。


「そりゃあ天馬にとったら、命綱はない方が助かる確率が上がるかもしれないけど。ぼくらは人間なんだぜ、天馬の命より人間の命を優先するのは当然だろ?」


 なおも孫に言葉を返し掛けたその時、遠い空に小さな点が現れたのをモーリスは目聡く見つけた。ユリシーズの後続の天馬馬車だ。


「馬車が来たぞ。……ったく、何が命綱だ。天翔る天馬隊の名が泣くぜ、まったく」


 命綱がよほど不満らしいモーリスは、ぶつぶつと悪態をつきながら馬着き場へ歩き出した。


「じいちゃんは昔の人なんであんなこと言ってますけど、今はみんな命綱を付けてるんですよ。特に初心者は絶対付けますから、ちゃんと付けてくださいね」


 何とも複雑な顔でそう言い残して、ジョーも馬着き場へ走っていく。


「……モーリスは天馬騎士に、すごく誇りを持ってるみたいだね」


 遠ざかる後ろ姿を見送りながら、ロアはぽつりと呟いた。


「ああ。モーリスは若い頃天馬隊にいたから、天馬乗りには手厳しいのさ。だから僕はてっきり、モーリスは君が天馬に乗るのを止めると思ったんだけど」


 モーリスが異国の女性であるロアに天馬に乗ることを許すなど、ユリシーズには信じられずに己の顎に触れた。ロアはユリシーズを見た。


「いろいろ教えてくれたよ?」


「きっと、君の乗馬技術を認めたってことだろうね」


「えっ、ほんとに? 嬉しいな」


 ユリシーズの言葉を聞いて、ロアは晴れやかに微笑んでからしばらく天馬のシェーガーを見つめた。それから急に、驚くほどに真剣極まりない顔でおずおずとユリシーズを見上げた。


「……あの、さ。あなたにお願いがあるんだけど」


「何だい?」


 ロアは俯き、じりじりとハイヒールの爪先で地面を押すような仕草をした。俯くと切り落とした毛先が揺れて、それが長い髪に見慣れているユリシーズの目には新鮮だった。だがかかとが痛んだのか、ロアはすぐにその仕草を止める。急にもじもじし始めたロアの突然の態度の変化に、ユリシーズは今度は何が始まったのだと訝しむ。


 少ししてからロアは思い切って顔を上げた。


「駄目って言われるとは思うんだけど……。あのね、天馬に乗ってみたいんだ」





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