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愚者とエゴイストの輪舞曲  作者: ハロー
第一章 花時雨
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異国の姫君



「何だか、お花の匂いがする」


 ウィットバーン城は、ベルンシュタインとウィンフィールドの国境である大河を架ける橋を渡ったすぐ先にある。初めての異国に興奮して城の廊下を歩きながらふんふんと鼻を鳴らしたロアの背中を、その後ろを歩くヨゼフィーネは貴族の少女というよりは犬の子を見る目で見ていた。せめて花の香りと表現するべきだと冷めた顔で思う。


「ウィットバーンは国境に近いので、異国からのお客様をウィンフィールドらしい香りでお迎えさせて頂いております」


 案内役の背の高い侍女がにこりと微笑んで答えた。


「そうなんだ、すごくいい匂い」


 ロアはまた大きく息を吸い込んだ。ヨゼフィーネは花の香りや中庭の花壇の花々よりも、廊下に飾られた何枚もの肖像画に目が引きつけられていた。澄ました顔、微笑んだ顔、少し厳めしい顔。パッツィーニが自分の肖像画を描いている途中だからだろうか、この絵のモデルとなった人々はどんな気持ちで画家の前に座っていたのだろうとヨゼフィーネはぼんやり考える。明らかに飾られた肖像画の数がインテリアの域を越えた枚数だったので、ウィットバーン城の主か女主人が肖像画が好きなのだろうとヨゼフィーネは推測した。


 一方のロアはウィンフィールドの室内装飾がよほど珍しいのか、きょろきょろと不躾に辺りを見回しながら歩いている。柱の天井に近い部分に花が飾られているのを指差して、ロアが尋ねた。


「柱の上の方にも花が飾ってあるけど、あれは生きてる花?」


「そうです。石花柱と呼ばれるウィンフィールド独自の柱ですね。ここからは土は見えませんが、柱頭の一部が植木鉢になっていて取り外しできるようになっているのです」


「へえー。きれいだけど、お世話が大変そう」


 装飾に掛かる手間を想像するというまるで労働者階級のようなロアの発想に、ヨゼフィーネは呆れてしまう。侍女はただ微笑みを返した。


「お客様に喜んで頂くことが、主とわたくしどもの喜びですので。──こちらのお部屋です、主の到着までどうぞごゆるりとお待ち下さいませ」


 侍女の模範的な回答にロアは感心し、ヨゼフィーネは主人の躾が行き届いているなと思った。侍女によって突き当たりの部屋の扉が開けられ、ふわりと廊下よりも少し濃い花の香りがした。この部屋にも大きな肖像画が二枚と、小さなものが数枚飾られている。


「わあ、お花がたくさんある」


 ロアは楽しげに言って部屋の中へ入った。確かに部屋に幾つかある花瓶に花が生けられてはいたが、その香りの濃さから生花だけでなく花から抽出されたオイルも部屋に使っているのだろうとヨゼフィーネは気づいた。ベルンシュタインにはない習慣だ。懐かしいとは思ったが、薄暗いベルンシュタイン後宮で娼婦のように暮らす今の自分は、華やかな香りの歓迎に相応しくない気がしてヨゼフィーネは落ち着かなかった。


「なんかこう、ウィンフィールドって外も部屋の中も明るい感じがするね」


 ロアは晴れやかな声で両腕を大きく伸ばしてから、席には座らずに窓際へ歩いて行った。ヨゼフィーネは侍女が椅子を引くのを待って席についた。ヨゼフィーネはロアの旅の介添人だが身分は後宮の宮女なので、他の使用人とは別格の扱いを受けている。


「ウィンフィールドは内装も外装も白を基調にしたものが多いので、そう感じられるのかもしれませんね」


 ロアの言葉に応じながら、侍女はピンセットでキャニスターから咲茶の茶花を丁寧に摘まみ上げた。それを白いカップの中にそっと入れ、カップに湯を注ぐ。すると茶花が水流に揺られてほんのり色を取り戻し、ほどけるように開いていく。注ぐ手順も客人の目を愉しませる咲茶は、ウィンフィールドの名物の一つだ。


 ロアはテーブルに近づき椅子の背を掴むと、窓際へと椅子をずるずると引いて寄せてすとんとそこへ座った。咲茶は注ぐところももてなしなので、きちんと見守るのが客としてのマナーだということを知らないのだろう。侍女はほんの一瞬呆気に取られたようだったが、ロアの貴族令嬢にあるまじき行動にもヨゼフィーネはだんだん慣れてきていた。ロアは窓枠に肘を乗せ頬杖をついた。空にまた天馬が現れるのを待っているのだ。


「……咲茶でございます。こちらはデュークワッツという、さらりとして飲みやすい種類の茶花になります」


 侍女は動揺を隠してカップをヨゼフィーネの前にそっと置いた。そして僅かに逡巡してから、ロアの分の咲茶をヨゼフィーネの向かいの椅子のない席へ置いた。椅子のない席に給仕をする機会はあまりないだろうと、軽く侍女に同情する。ベルンシュタインでもウィンフィールドの咲茶は人気があり、ヨゼフィーネも口にする機会があったが、やはりこうして祖国の花の香りの中で目にすると感慨深いものがある。デュークワッツは兄の好きな茶花だった。ふいに遠い昔の家族とのお茶の時間が思い出されて、ヨゼフィーネの心は沈んだ。


「ウィンフィールドは、いつもこんなに天気がいいの?」


 開いた窓から空を見上げたまま、ロアがどこか羨むような口調で尋ねた。


「そうですね、今の時期はほとんど毎日晴れます。雨が続くのは冬の終わりから春の始めにかけてと、秋の終わりの頃に二週間ほどでしょうか」


「過ごしやすそうな国だね。ベルンシュタインは冬以外は、あんまり晴れ間が続かないからなあ。……だから、天馬はウィンフィールドにきたのかも」


 ロアがぽつりと呟いた。


「え?」


 何のことかと訝しむヨゼフィーネに視線を移し、ロアは平然とした顔で答える。


「天馬は雨が嫌いでしょ。だから、ウィンフィールドに来たのかもって思ってさ」


「……どういう意味でしょうか。天馬は元々、ウィンフィールドにいますよね?」


 言葉の意味を理解できないヨゼフィーネは、少しだけ眉根を寄せた。ロアはまた空を見上げる。


「ううん、ずっと昔はウィンフィールドにはいなかったんだって。ウィンフィールドのコモンジョには、二百年代まで天馬のキジュツはないらしいよ」


「まあ」


「ブロウズ将軍っていう昔のウィンフィールドの将軍が、ソイニンヴァーラ遠征の時に初めて天馬を連れて帰ってきたんだって」


「……ソイニンヴァーラ王国から、天馬を? 初耳ですわ」


 ヨゼフィーネの驚きはどちらかというと天馬の歴史よりも、会って五分でこの人は賢くないなと相手に気づかせるロアの口から古文書などという単語が出たことが原因だ。天馬騎士団を擁するウィンフィールドで生まれ育ったとはいえ、馬にも歴史にもまるで興味のないヨゼフィーネには真偽が分からず侍女に話を振る。


「聞いたことはある?」


「さて、浅学なわたくしめには分かりかねますが……ただ確かに、ウィンフィールドの天馬競馬で一番大きな大会はブロウズ杯という名でございますね」


 話題を振られた侍女は記憶を辿りながら慎重に答えたが、競馬にも興味のないヨゼフィーネには大して響かない。ロアはどうせウィンフィールドに来るなら秋が良かったなと呟いた。ブロウズ杯は秋に行われるのだ。


「てっきり天馬は、ずっと昔からウィンフィールドにいるものだと思っていましたわ」


 ロアは頷く。


「ウィンフィールドの天馬は有名だからね。でもソイニンヴァーラの二千年以上も前の洞窟のヘキガには、天馬の絵があるんだって。チェッリーニも馬に関するキジュツが出てくるのは三百年代からだし、天馬の原産はきっとソイニンヴァーラなんだろうね」


 ヨゼフィーネは咲茶に口をつけ、ゆっくりと一口飲んだ。だが数年振りにウィンフィールドで飲む咲茶の味は、ベルンシュタインの宮殿で飲むものよりも深味のないものだった。ベルンシュタイン帝国の皇帝が取り寄せる茶花は最高級品だろうから、咲茶発祥の国とは言え子爵の城で出されるものと比べればその差は当然と言えば当然だ。ヨゼフィーネは落胆したが表情には出さず、そっとカップを置いた。


「ですがそれなら、ソイニンヴァーラに天馬隊がないのは不思議ですわね」


 天翔る天馬騎士団は、近隣諸国ではウィンフィールド王国とチェッリーニ司教国だけが誇る栄えある部隊だ。絵本や童話にもよく登場することもあって、昔から子ども達の憧れの存在になっている。ロアも例に漏れず憧れていた。白い天馬に乗って、雲の上の城に囚われの姫君を助けに行く。そんな空想を楽しみ、よくごっこ遊びに父や使用人達を付き合わせていた。


「ソイニンヴァーラでは天馬は神の使いだから、軍馬にするどころか乗るのもタブーなんだって。それに六枚羽の天馬は、羽が邪魔で乗ろうとしてもたぶん乗れないよ」


「六枚羽の天馬がいるのですか?」


 ヨゼフィーネは目を見開いた。天馬は二枚羽か四枚羽のものしか見たことがなかった。


「うん。ソイニンヴァーラの天馬は六枚羽と、四枚羽。ウィンフィールドの天馬はほとんど二枚羽か、四枚羽でしょ? 羽の数が少ないのは、乗りやすいようにヒンシュカイリョーしていった結果らしいよ」


 どこまでも続くロアの馬の知識に、ヨゼフィーネはつくづく馬狂いだなと呆れた視線を送る。


「……ロア様は本当に馬がお好きなのですね」


「うん。歴史はね、馬に関係するところだけ覚えてる」


 ヨゼフィーネの言葉を褒められたと受け取ったのか、それまでよりも弾む声でロアは答えた。


「歴史は苦手ですか」


 ロアはふはっと息を吐いて子どものような顔で笑い、振り返ってようやくヨゼフィーネに視線を向けた。鮮やかな緑の瞳は、草原の色のようだった。


「歴史というか、勉強が苦手ー。ヨゼフィーネは、勉強得意そうだね」


「あら。なぜそうお思いになりますの?」


 勉強が嫌いで子どもの頃は家庭教師を何人も替えていたヨゼフィーネは、大きな誤解に笑いたくなる。ロアは行儀悪く両手で椅子の座面の端に触れた。


「だって、馬車でずっと本読んでたでしょ。本が好きなんだね」


「いえ、特には。本を読むべきだと思う時間に本を読むだけですわ」


 ヨゼフィーネが本をよく読むようになったのはベルンシュタインに渡ってからだ。気の狂いそうな憂鬱から逃れるためには、文章をひたすら目で追う行為は効果的だった。


「ふーん?」


 馬車の中でロアとの会話を楽しむ気はないというヨゼフィーネの言外の意思に、ロアは気づかない。よく分からずに胡乱な返事をしてまた空に視線を戻した。初めて異国に来たというのに、ただただ天馬を待つだけのその背中は子どものようだった。ヨゼフィーネは苦い思いを味わう。愚かな子。だけど、幸せな子。愚かでも、周囲の環境が許せば幸福でいられるのだ。


 出立の際に父であるジャンメール男爵がロアを見る心配そうな様子と、愛情の籠もった眼差し、それに娘を優しく抱き締めていた姿を思い出す。ロアに対する嫌悪の中に軽蔑以外の感情があることを、ヨゼフィーネは認められずに目を逸らした。


「騎手として研究熱心なのはよろしいですけれど、舞踏会の方はどうなさるおつもりですか?」


「えー?」


「……ウィンフィールドの二人の王子と、踊るのでしょう」


 ヨゼフィーネの胸がつきりと痛んだ。


「さあ。踊らなくても良さそうなら踊らないよ」


 ロアはうんざりした顔で答えた。始まる前から舞踏会に嫌気が差しているロアの返答に、ヨゼフィーネは苛立ちを隠さない。


「皇帝陛下のご期待にお応えする気はないのですか」


 主人であるはずのロアへのヨゼフィーネの咎めるような物言いに、侍女は内心驚いていた。ロアは口を尖らせる。


「だって、おしゃべりもゆったりしたダンスも得意じゃないし。私はじゃじゃ馬馴らしを頑張るよ」


「じゃじゃ馬馴らし?」


 ロアとベルンシュタイン皇帝の会話を聞いていないヨゼフィーネは、何のことかと訝しむ。


「うん。あ、そうだ、見てこれ」


 頷いたロアはヨゼフィーネへ体を向けたかと思うと、ぺろりとスカートの裾を捲って右の膝を見せた。


「! あなたは何を……お仕舞いなさい!」


 予期せぬ大胆過ぎる振る舞いに、ヨゼフィーネは激しく動揺し慌てて子爵の侍女を見た。侍女は素早く目を伏せる。ロアは二人の反応を気にすることなく、己の白い足を指差した。


「これね、じゃじゃ馬馴らしの傷なんだ。昔、野生の馬の調教に混ぜてもらった時に、派手に落馬してさ。ガバーッと裂けちゃって」


 確かにロアの足には膝から内腿へと走る古い裂傷の痕があったが、ヨゼフィーネは弾かれたようにすぐに目を逸らした。傷跡などおぞましいだけだったし、ましてや女性の傷跡など他人が見てもいいものだとは思えなかった。


「私は気絶してたから覚えてないんだけど、白目むいてたんだって。父様は完全に死んだと思ったらしいよ」


 ロアはいかにも愉快そうに笑った。理解できない、とヨゼフィーネは心の中で短く吐き捨てた。幼い頃から容姿端麗でそれを賞賛されて生きてきたヨゼフィーネは、醜い傷跡を晒して笑うロアに恐怖さえ感じた。


「……よくぞご無事で」


 ヨゼフィーネが絞り出すように呟くと、ロアは満足したのかようやくスカートの裾を下ろした。


「ふふ、ありがとう」


 再びヨゼフィーネはちらりと侍女を見る。侍女は何事もなかったかのような平静な顔のままだったが、使用人というのは概して噂好きだ。いい話の種ができたことだろう。


「あの時馬に踏まれてたら死んでたんだから、馬に助けてもらった命と思って自分を大事にしなさいって、父様はよく言ってるよ」


 にこにこしながらロアが言う。馬好きの娘を諫める方便とはいえ、娘の命を奪い掛けた馬を命の恩人扱いするとは何という詭弁だろうか。娘が娘なら親も親だとヨゼフィーネは気が遠くなる。


「……そんなに酷い怪我をしても、馬に乗るのを辞めようとは思われなかったのですか」


 酔狂な娘だとおののくような口調でヨゼフィーネは尋ねた。


「もちろん! 馬が悪いわけじゃないもの。まあ、怪我が治ってから初めて馬に乗る時はほんの少しだけ怖かったけど」


 からりとした声で、ロアは恐れもあったと正直に答えた。


「怖かったのに、結局はお乗りになったのですね」


 理解できない、とまたヨゼフィーネは思った。ロアは笑う。


「あはは、馬に乗るのはやめられないよ。この世にあんな幸せなことはないから」


 ロアは本当に幸せそうな口調で言った。


「失礼ですが、ジャンメール男爵はロア様の乗馬をお止めにはならなかったのですか。一度は娘が死んだとさえ思ったのでしょう?」


 普通の親ならば、娘が怪我をした時点で乗馬は禁止させるはずだ。ヨゼフィーネにはジャンメール親子の考えが全く分からなかった。ロアは白い雲を見つめた。


「父様は基本的には、私のやりたいことは何でもやらせてくれるんだ。母様のおかげだよ」


「お母様の?」


 ジャンメール男爵の妻が亡くなっていることは、ウィンフィールド行きが決まってからロア・ジャンメール男爵令嬢がどんな人物か説明を受けた際にヨゼフィーネも聞いていた。ロアが幼い頃に病気で亡くなったらしい。ロアは今度は視線を天井に向けて、言葉を細部まで正確に思い出そうと遠い目をした。


「えっとね、『この子は私たちには見えなかった新しい世界を見る子だから、古い価値観で縛られている私たちが、この子が新しい道を進むのを邪魔しては駄目』、っていうようなことを、母様が父様に言ってたんだって」


「……なるほど。古い価値観で躾られず自由にのびのび育てられた結果、今のロア様がある訳ですね」


 ヨゼフィーネの皮肉には気づかず、褒められたと勘違いしたロアはまた微笑んだ。


「ほんとに、いい親のところに生まれてきたと思うよ。ヨゼフィーネのお父様とお母様は、どんな人なの?」


「父は死にました」


 冷たい即答に、ロアは笑みを消して真顔になった。少なからずロアの心に衝撃を与えられたことに、ヨゼフィーネは満足して思わず歪んだ微笑みを浮かべる。次の質問を避けるように、ヨゼフィーネはロアに問い返す。


「ロア様のお母様もお亡くなりになっているのでしょう?」


「……うん。病気でね、私が五歳の時に。ヨゼフィーネのお母様は、元気なの?」


「母は再婚しました。今は南部の端にいます」


「へえ。遠いけど、たまには会えるのかな」


 ヨゼフィーネが細い首を小さく振った。髪が緩やかに揺れる。


「私が後宮に上がってからは、一度も」


「そうなんだ……」


 ロアが気遣わしげな顔で膝の上の両手をきゅっと握りしめたのを見て、ヨゼフィーネは僅かに眉をひそめた。同情されるのは嫌いだった。それも幸せな娘に憐れまれるのは耐え難い。


「手紙ではやり取りしていますよ。少なくとも不幸ではないようで安心しています」


 ヨゼフィーネは軽い調子で言った。最後に母へまともな手紙を書いてからもう半年は経っていたが、それには触れなかった。母からの手紙はいつも近況については少しだけ、それも良いことばかり書いて送ってくる。その後に続くのはただ昔の思い出話とウィンフィールドへ帰りたいという言葉、娘を心配する言葉だ。以前はヨゼフィーネも後宮暮らしの数少ない良いことを探し出して書いて、何とか母を安心させようとしていたが、次第にそれが苦痛になって今は時折母の好きそうな装飾品やドレスを送るだけだった。


 それでも母は寂しい、貴女が心配だと娘からの返事がなくともめげずに長い手紙を送って寄越す。その度にヨゼフィーネは過去を美化し嘆くばかりの母を疎ましく思い、そしてそれ以上に生き残ったたった一人の家族にさえ優しくできない自分自身に失望するのだった。


「雲の上はいつも晴天、だね。ヨゼフィーネのお母様、いい人と再婚できてよかったねえ」


 不幸ではないというヨゼフィーネの言葉を幸せだと安易に受け取り、ロアはベルンシュタイン人の好む警句を口にして晴れやかに笑った。それから少しだけ、羨むような悔やむような顔をした。自分の父親の再婚のことを思ったのかもしれない。


「……あのね。私も、母様から毎年手紙が届くんだよ」


「え?」


 死んだ母から手紙が届くと言われ、ヨゼフィーネは目を瞬かせる。


「死ぬ前に、私の誕生日ごとに手紙を残しておいてくれたんだ。二十歳までの分があるから、それを父様が毎年私にくれるの」


 珍しく少し恥ずかしそうに肩をすくめて、ロアは遠い眼差しで微笑んだ。誕生日はロアにとって、まるで母に会えるかのような特別な日らしい。父や兄に微笑みかけることなど今でもとてもできないヨゼフィーネは、ロアの笑みを見て苦いものが胸に広がるのを感じた。


「それはとても……素敵ですね。今年の手紙には、何と書かれていたのですか?」


 ロアの母の手紙に興味など微塵もなかったが、自分がロアを妬んでいない証としてヨゼフィーネは尋ねた。ロアは首を横に振った。


「今年はまだだよ。誕生日は来週だから、ベルンシュタインに帰ってから何日か遅れで手紙をもらうことになりそう」


「まあ、ではウィンフィールドでお誕生日を迎えられるのですね」


 おめでとうございます、という白々しい祝いの言葉をヨゼフィーネが言い掛けたその時、乾いたノックの音が響いた。



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