妖精の訪れる国③
「さあて、そろそろ帰らなくていけませんねえ」
「んーっ」と、 アイシルが大きく伸びをする。
朱色にそまった広場は子供を迎えに来た親や、千切れるんじゃ無いかと思うくらいぶんぶん手をふる子供たち、それに飲み屋へ向かう汚れた顔の男達で騒々しい。
屋根の上で寝転んでいた妖精は、はたりと起き上がったかと思うと、黄昏に吸われてしまったかのように消えてしまった。
妖精の帰る場所、自分の『庭』へと帰ったのだろう。
エトルが夜が近づいてくることを少しだけ寂しいと感じるようになったのは最近になってからだった。それがだれの影響かだなんてわかりきったことだろう。
「あ、おい、勝手にいなくなって! 探したんだぞ!」
「あ、あんちゃん」
夕日を背負ってこちらに走ってくる跳ねっ毛の男の子を見つけて、女の子が顔をほころばせる。
「まったく心配させんな。さいきんは物騒な話だって聞くってのに」
まったく仕方ないヤツめと言わんばかりに、両手がふさがっている女の子の頭を、男の子はくしゃくしゃに撫で回した。
「やめてよー」と女の子が抗議して逃れようとすると、今度は両手でくしゃくしゃにし始める。それでも女の子が嬉しそうに見えたのはきっと見間違いじゃない。手を引かれて広場を出ていく子供を羨ましそうに見ていたから。
「あれ? おまえそれ、ハラマキじゃんか」
「うん、妖精さんにお願いして見つけてもらったの!」
「妖精?」
振り返った男の子に、アイシルはにっこり笑いかけた。
「妖精アイシルです。お願いでハラマキさんを捕まえて、こちらの贈り物をもらったんですよお!」
エトルにやったように、表彰状を掲げるみたいに例のハラマキの似顔絵を広げて見せた。「おお! それってオレがアドバイスしながらいっしょに描いたやつじゃんか! めっちゃ上手だろう!?」
……聞き間違いだろうか。
「はい、とっても素晴らしいです! これのおかげでハラマキさんを見つけられたんですよお?」
「だろ? なのにさ、あいつらヘタクソだって言うんだぜ? ほんとセンスが無いよなあ、こんなにそっくりなのに」
やっぱり聞き間違いなんかじゃ無かった。
おかしいのはエトルの方だというのだろうか。
確かめるためにもう一度絵と実物を見比べてみる。
……やっぱり、どう考えても似てない。
「それでこっちのエトルさんと一緒に探し出してつかまえたのですよお!」
「わっ!」
突然腕を引っぱられて男の子の前に引っ張り出される。
こういうところが困るのだ、エトルは身の程を弁えているというのに。
ぱちくりと目を瞬かせた男の子だが、次には、にかっと笑ったのだ。
「おう、あんちゃんもアイシルもありがとな! オレはアレットだ」
妖精には敬称などはつけないのが通例である。余計な物をつけると妖精は自分が呼ばれたことに気付かないことが多いからだ。
「この猫さ、ウチの孤児院に入り浸ってたんだよ。んでオレがハラマキって呼んでたら他のヤツらまで呼ぶようになっててさ、でも、一週間くらい前からウチに来なくなったんだよな。オレは大丈夫だって言ったんだけど、こいつは特にハラマキと一緒にいたから探すって聞かなくて。でも、見つかって良かったよ」
ぽんぽんと、アレットは女の子の頭に手を乗せた。
(ハラマキって、アレットくんがつけたのか)
おまけにどうやらハラマキは野良猫だったらしい。ふてぶてしいから誰かに飼われてるのだと疑わなかった。
「だって、だって夜に怖いのが街を歩いてるっておばちゃんたちが話してて……」
「だから、大丈夫だって。それこそハラマキのこと見間違えたんじゃねえの? あっこのおばちゃん達はなんだって大げさに話すんだから。この前も二軒先のじいが寝込んでるって言うから行ってみたらただの二日酔いだったろ?」
「うーでも……」
「いいから、もう帰るぞ。母さんもその話を真に受けて日が落ちる前に絶対帰ってこいって目を吊り上げてたんだから。メシ減らされても分けてやんねえぞ?」
アレットが脅かすと、女の子は「それはいやあ」と駆け出した。
「あっ! もう、勝手なやつめ、ごめんあんちゃんたち! ハラマキのことありがとな!」
慌ただしく、アレットも女の子の後を追いかけていった。
「さよーならー」
アイシルが大きく手を振る横で、振り回されるその姿に勝手ながら親近感を抱き、エトルも控えめに手を振っておいた。
夜はもう間近。
広間に人影はほとんど無かった。
本当に慌ただしいまま一日が終わってしまった。
こうなったのも、目の前でなにが楽しいのかにこにこ笑うまっ白い妖精の、……アイシルのおかげだ。
「エトルさん、ありがとうございました」
ぺこりと、頭を下げられた。
「なにがさ?」
本当に、なにがありがとうなんだ。
「今日もいっぱい楽しかったですからねえ。エトルさんといて」
「――っ!」
(どうしてさ)
どうしてそんなに真っ直ぐ言葉に出来るのだろう。
その妖精らしさが羨ましい。
本来ならエトルは妖精と一緒にいられるような、相手をして貰えるような人間じゃ無い。子供も大人も老人も、罪人だってそうじゃないのにエトルはダメなのだ。違う側にカテゴライズされる人間なのだ。
(ありがとうなんて、アイシルに言われるセリフじゃ無いんだ)
身の程を知っているなら、そうじゃないはずなのだ。
「っ……」
わかっていても、引き結んだ唇ではなにも話せない。
アイシルはそれにもクスリと笑って、
「さようなら、エトルさん。――またあした!」
「……うん、さよなら」
やっとそれだけ返せた。
くるりと回って、まっ白い髪を翻し、時計台に背を向けてアイシルが駆けていく。
夜から逃げていくように、走って行く。
「――またあした」
瞬目した間に、アイシルの姿は消えていた。
ぽつりと落とした言葉と一緒に、消えていた。