妖精のお茶会①
事件が終わって三日も経てば、もう誰もその話はしなくなっていた。
事件当日の朝一のマーケットではニワトリにだって言い聞かせていたくらいだったのにいまじゃ一夜の道化のパレードはおろか、夜中の妖騎兵団の奮闘も、アカハナダルマの名前もめっきり聞かない。
それよりも野菜のデキやお貴族様のゴシップ、なんなら、後退してきた旦那のおでこの方が楽しいらしい。
子供が新しいおもちゃに夢中になるのと一緒で、大人は新しい噂話に興味津々なのだ。
だから、エトルだって事件の事は忘れてもとの通り客の来ない菓子屋でのんびり本を読んで過ごしたっていいはずだ。窓から入る陽向のぽかぽかにうたた寝したって構いやしないはずなのだ。
そのはずなのに、悲しいかな。
「あーあーッ! アンタまたアタシのケーキ食べたッ!」
赤色の妖精がクリームをほっぺにつけたまま癇癪を起こす。
「あなたのものではないのですよお。それにあなたのお皿にはまだマカロンもクッキーもスフレだって残っているじゃないですかあ」
まっ白な妖精は知りませんとフォークを咥えたのだ。
「これはもうあんまりないから取っておいたの! いまはケーキを食べようと思っていたのにッ!」
「そういう欲張りなことをするからですよお、妖精カルティア」
「なによお! 根無し草ッ!」
この二人はすぐやっかみ合うくせにどうして対面に座るのだろう。
「ケーキならまだあんだからケンカすんなよな」
「うなぁあ」
一番小さい道化の妖精が呆れて嗜め、その膝の上でおなかに一周り黒いラインの模様がある猫が啼く。
ああ、まったく。
嘆くヒマすらろくに無く、エトルは給仕に片付けに奔走して、キッチンと売り場をなんども往復させられていた。
エトルの愛する閑古鳥と大親友のリトルペタルが望みもしない裏切りに手を染めるハメになったのは、やっぱり理由があった。
「エトル、私の紅茶がなくなってしまった。オカワリを持ってきてくれ」
またエトルの愛読書を物色して読みふけっている、この元上司が諸悪の根源である。
ぱりっとしたシャツとタイトなスカートの私服姿でやってきたと思ったら、腕を組んだまま陳列棚を顎で差してとんでもないことを言い出したのだ。
『全部買い取る』、と。
未然通達もなにもなく、約束通りのティーパーティーを今日やることに決定したらしく、店内召し上がりで、食べきれなかった分だけ包んで部下と同僚に持って行くのだとか。
ユウキリは冗談みたいな冗談は言わない。
エトルが妖騎兵団に居た頃も、昼前に宿舎にやってきて『大掃除をするから明日まで帰ってくるな』と言い出したときには多くの団員が路頭に迷った。そういうわけで、今回もエトルは早々に諦めて店の扉に掛かっている表札を『CLOSE』にひっくり返したのだ。
それからお散歩から帰ってきたアイシルにユウキリが招いたカルティア、改めてお礼を言いに来たアレット、とどめにでっぷり猫ハラマキまでもがリトルペタルに押し寄せて、みんなで楽しい楽しいティーパーティー。
エトルの平穏は紅茶と一緒に彼らに飲み干されてしまったというワケである。
「エトル、紅茶のオカワリ」
「……はい、ただいま」
今日は他に人間の客人もいないからちゃっかりミルクも添えるエトルも大概だろう。
諾々と従う彼を情けないと嗤うことなかれ。
「さっきから気になっていたのだけど『虚飾庭園』、その猫はなによ」
かりかり、クッキーを囓るハラマキが「うな」と顔をあげる。
「ハラマキさんのことですかあ?」
「ハラマキって名前なのね、わかりやすくていいわ!」
カルティアまでもがそう言うのだから、エトルだっていい加減認めなくちゃいけないだろう。
(だけどハラマキって……)
ユウキリに何とも言えない視線で訴えてみても首を傾けだだけだった。エトルの懊悩を汲み取ってはくれそうにない。
(分かってたけどさ)
ポットで蒸らした琥珀色をぽこぽことソーサごと持ち上げたカップに注げば、茶葉の香りが湯気に乗って鼻腔を通った。
単純なもので、たったそれだけのことで悩むよりお菓子を食べることが大事なってしまったから、エトルも隅っこ方でティーパーティーの末席に加わったのである。
「ああ、コイツね」
道化の妖精――アレットはがしがしといつか女の子を撫でていた時みたいに猫の頭をこねくり回したのだ。
「実はコイツさ、オレが『妖精の翅響』のとき魔法でつくった手伝いだったんだよな」
「えっ?」
話の外側でエトルが紅茶を吹き出しそうになったのに妖精達は気づかなかった。
「オレが庭に帰らなくなってからも管理を続けてたらしくて、孤児院にやたら来るようになったのも『妖精の翅響』のときにした話を憶えていて、オレに朽園のことを知らせようとしたんだと。んで、オレが気づかないから今度は他の妖精を連れてこようとしてたみたいで。ああ、あと、朽園が街中を探し回ってたのってオレの魔法の臭いが着いたコイツが夜中孤児院から離れて逃げ回ってたかららしいな」
どうやら誰も知らないところで大立ち回りをしていたらしい。
どうだと言わんばかりにでっぷり猫が『うなあ』と小さな雄叫びを上げた。
「なあんですかあ、それえ!」
アイシルの悲鳴がケーキスタンドを揺らした。
エトルだって同じ気持ちだ。だって、それではあんな回り道をしなくっても手がかりははじめからあったどころか、一度捕まえていたということではないか。
(だから、アイシルのクッキーを獲っていったんだ)
マーケットには魚も、串焼きやのそばに落ちたクズ肉だってあったのに、狙い澄ましてお菓子なんて盗っていくものだから変な猫だとは思ったのだ。
「あんちゃんたちにもお礼言ったけど、おまえもありがとうな」
首振り人形みたいに頭を揺らしながら、猫はまったくだと言わんばかりに「うぅーなあー」と啼いたのである。
「あっきれた。こんなに魔法の臭いがしてるのにアンタ気づかなかったの?」
「だ、だからあ、わたしはわたしなりの事情で魔法をですねー……」
「魔法を使うのと感知するのはまた別の話じゃない」
「だからきちんと妖精らしく庭を創りなさいと……」と小言を言い始めたカルティアに、アイシルは唇を尖らせ、ぼそりと言うのだ。
「妖精カルティアだって、終わってからアレットさんが妖精だったと知って大きな声でおどろいてたじゃないですかあ」
「そ、それとこれとは違うじゃないッ!」
「あとさんざん銘持ちだーって威張り散らしてたのに泣いちゃってましたしー」
「えっ、泣いたのか? 『紅灼庭園』が?」
「~~ッ! それは言うんじゃないわよおッ!」
机を回り込んで掴みかかろうとするカルティアを、アイシルがひょいっと躱す。
心の底に深くふかく埋めて二度と掘り起こしたくない、そんな経験だったに違いない。
アイシルを捕まえれないカルティアはいまもちょっと泣いていた。
「あの、二人ともそれくらいで……」
宥めても聞いてくれないから、店の中で追いかけっこを始める妖精二人を、エトルははらはらした心持ちで見守る。
いつカルティアがあのデタラメな魔法を使い出すか、気が気でない。ちょっと捕まえてやろうと思って本棚を燃やされてしまったらエトルだって泣き出すかもしれない。
見ていると胃がキリキリしてきそうだ。
気を紛らわすためにカップケーキに手を伸ばすと、隣からも手が伸びていた。
「どうぞ」
「あんがとな、あんちゃん」
カップケーキの代わりに隣のブレッドケーキを掴んで、かぷり。
もう少し表面をさくさくにした方が喜んでくれるかもしれない、なんて思った。
「なあ、あんちゃんさ、聞いてもいいか?」
神妙な顔だった。
幼い容姿だが彼も銘持ち妖精。力を溜め込むだけの想いを見て来たと言うことだ。こうしている間にも計られているのかもしれない。
(べつにいいけど)
どうせ、たいしたものはエトルの中にはありやしないのだから。
「なにさ?」と促してみると、アレットは頭に掛けた仮面を弄くりながら聞いてきた。
「なんでオレを助けてくれたんだ? けっこう危ない橋も渡ったんだろ?」
「それは……」
消えてもいいと思ったから。
アイシルのお手伝いだから。
それが一番良い解決手段だったから。
率直な理由ならそんなところだろうか。
だけど、エトルだってアレットの聞きたいことがそういうことじゃないことは分かる。それならわざわざエトルにだけ聞くことじゃないから。
チェンジリングだから聞いてきたのだ。
恨んでないのか、という意味で。
連れてかれて戻されて、全部無くすハメになって。
妖精に弄ばれたチェンジリングが、どうして妖精を助けようと思えるのか、と。
だとしたら、アレットはチェンジリングのことをよく分かっていない。
アレットだけじゃない、妖精はみんなチェンジリングのことがよく分からないはずだ。彼らは素直だから、自分たちにとって意味の無い相手を知ろうともしないから。
人間にもチェンジリングは妖精への復讐心を持っていると考えている人たちがいる。
エトルから言わせれば、それは違う。
「チェンジリングはさ、そういうのも持ってないんだ。そりゃあさ、戻ってきたときには悲しかったよ、本当に自分の中が空っぽなんだから。でも、僕らはそのとき、誰に捨てられたのかも分からないで泣くんだ、意味だって分からないでね」
あれは産声と同じ性質のものなのだろう。
不安だから泣く、分からないから泣く。いろんなしがらみを取っ払って真っ新になった人間は、きっと泣くように出来ているのだ。
「あとからそれは妖精の仕業ですって言われてもさ、ピンとこないし、恨む原動力だって無いよ。だって、そういうのは、やっぱり無くす前に持っていたもののはずだから」
チェンジリングとして、やっぱり生きずらいことはある。どうして捨てられたのだろうと思うこともある。だけど、今さらエトルの知らないエトルのことを考えても、それは本の向こうのことみたいに、今のエトルを動かす感情になったりはしない。
「だからさ、助けようって思ったら単純に助けるよ」
だって、それが『現在』しか生きられないチェンジリングのエトルを動かすものだから。
残りのブレッドケーキを口に放り込んでから、道化の妖精を見やると、彼は難しい顔をして頬杖を突いて言ったのだ。
「だから、あんちゃん達みたいな人間はダメって分かってても妖精が持ち帰るんだ」
「なにそれ」
「お人好しってことさ」
子供の顔にはまるっきり似合わない渋い顔だった。
その顔にも、妖精にそんなことを言われたことも可笑しくて、エトルは口回りを拭く振りで隠したのだ。
「僕もいいかな?」
ちょうどいいからエトルからもアイシルとは別の方向に妖精らしくない彼に質問するとしよう。
「戻らないの? 『ミクシオ』に」
それが、アレットの正体、『虚飾庭園』のもともとの名前だ。
彼は夜には庭に帰っているみたいだが、いまも孤児院でアレットとして過ごしている。
「んー魔法がさ、解けきってないんだよな、まだ」
いったいどれほど念入りに掛けた魔法なのだろう。三年間も持続する魔法なんて加護でもそうはお目に抱えれないというのに。
「それってだいじょうぶ?」
また記憶を無くしたり朽園を発生させられては大変だ。
疑う視線に、慌ててアレットは「いやいや」と弁明した。
「ほとんど姿だけだって。妖精の力も記憶も問題なし! もちろん庭がぐちゃぐちゃになったから前とおんなじとは行かないけど。……たださ、この魔法はアレットのお願いで使った魔法だろ? オレが自分で解いちまうのは違う気がしてさ」
あまり妖精らしいとは言えない発言だ。
そういう情緒や迷いも『虚飾庭園』が贈り物の他に今回の件で手に入れたものということだろう。
「だから、解けるまではあいつ等の兄貴分のアレットを続ける。母さんもそれで良いって言ってくれたし。その後のことはまた考えるよ」
「……そう」
もしかしたら、まだお願いを終わらせたくないのかもしれないと思った。
妖精のキマグレなのかもしれないけれど、一度は逃げ出した彼にとってあの場所がまだ終わらせたくない場所で、一緒に居たい人達で、その場所に自分を置くことを望めるのだとしたら、それはきっと幸福なことなのだ。
「ま、もしなんかあったらまたあんちゃんとこくるよっ!」
仮面で顔を半分隠してニカッとアレットは笑った。
「なんだよそれ」
べつにいいけど、なんて思いながら、エトルは空になったアレットのカップに紅茶を注いだのである。




