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妖精を追いかける夜④



 霊園に佇む影は一つだけだった。


 クツクツクツクツクツ 


 空っぽな嗤い声。

 まるで、箱の中身がきちんと入っているのか確認するような音。


 道化だった。

 ただし、ダルマと呼ばれていた頃のずんぐりした体型ではなく、痩身の男のような姿であった。

 羽織ったマントは魚の鱗のように帷子状にカードが並んでいて、ゲームの伏せ札のような得体の知れなさがある。


 トレードマークだった大きな赤い鼻は無くなっていた。それが弾けてしまったかのように仮面が赤色に塗りつぶされていた。


 道化はその場にじっとしていて、足下に咲いた華を見ていた。

 二筋。

 まるで涙のように、真っ赤な仮面の目元から黒い線がゆっくり延びた。


 この道化の中にいる妖精が喰われる寸前まで泣いていたからだろうか、それとも、喰われてもなお、後悔が消えずに残ってしまったからだろうか。

 いずれにしても、この場所に佇む影は、もう道化の一人だけだ。


 今のエトルはそこに居る証拠(自分の影)を持ってなかったから。


 暴き出す月の光からも忍んで、刃が奔る。


 ぎょろりと、仮面が向いた。

 黒い手袋が刃をつまんで止めた。


「――っ!」

 湖面のように穏やかだったエトルの心に波紋が生じる。

 そこに来ることを予測していたとしか思えない動きだった。見えているのだ、この朽園はエトルを認識している。


 妖精の魔法とチェンジリングのディススタンドは正反対の力だと言える。

 魔法がこの世界に与えるのであれば、ディススタンドは自分を差し引く力。

 この朽園がエトルを当たり前に認識しているというのであれば、それはエトルが差し引いても余るほどの影響力を持った魔法に成ったということに他ならない。


(だったら――)

 持ち手を逆手に軽業師のように跳んだエトルが柄を支点にぎゅるり、回転、蹴刀を繰り出した。


 がつぅ


 靴先が仮面ごと道化の横っ面を蹴り上げる。


 クッツゥ

 ひび割れたみたいな音で道化が鳴く。


 力が緩んだ隙に、エトルは捻りながら刀剣を引いた。

 抱きつこうとするように、両手を広げた道化が掴みかかっても、そこには地面に降りたはずのエトルはもういない。


 道化の指先、ほんの数センチ先。

 後一歩で踏み込めばその黒髪を引っ張れる距離。


 届きそうで届かない紙一重先で、ディススタンドを解いたエトルが言う。

「それはお断りだね」

 お前のハグはご免だと。


 ディススタンドによる不意打ち(ハイドアタック)は強力なアドバンテージだ。妖騎兵団時代、エトルはそれだけでほとんどの朽園を片付けてきたのも事実である。

 だが、それだけではない。


 単純に、純粋に、エトルは強い。


 身体を強化することが出来ない分、エトルは技に通じた。

 動作に生じる力を余さず攻撃に運用し、人が出来るギリギリを常に行う方法を習得し、それを無意識で行えるように訓練した。


 それは、妖騎兵団時代のエトルにとって、強さだけが価値だったからだ。

 妖騎兵団時代、エトルを負かした相手は何人かいる。だが、負かし続けられた相手はいない。最後には必ずエトルが勝利した。


 ユウキリはつくづく言っていた。

 お前は妖精に連れてかれる前はきっと戦士か、じゃなきゃ猛獣だったに違いないと。 

 獣扱いなんて失礼な話だろう。  


 道化がエトルを明確に視認出来たとして、それは同じステージに立ったに過ぎない。

 そこからやっと『戦い』になる、それだけのことでしか無いのだ。


 剣を交差して構える。

 右手は逆手に構えたのは、右肩のせいで振り下ろしが出来ないからだった。


「はあっ」

 息を吐き出す。

 吐ききった一瞬、意思が薄弱になったのをとっかかりにして自分を消す。


 いざ、切っ先を進路に跳ぼうとして、――エトルは退いていた。

 離れろというアラートが脳髄から下され、エトルの体はそれに迷うこと無くしたがったまでのこと。

 一秒後、昨夜と同じことが起きた。


 気まぐれな星降りみたいに、頭上から炎塊が墜ちてきたのだ。


 振り仰げば夜空に真っ赤な薔薇。

 花粉を飛ばすように炎を街中に振りまいている。


「カルティア……」

 こんなことするのも出来るのも、エトルに思い当たるのはたったの一人だけ。

 あの薔薇と同じ赤い妖精。

 どうやら、次に顔を合わせたときに泣き顔をみることにはならなそうである。


(反動で元気が振り切れているみたいだけどね)

 ユウキリの仕事と街の被害が少なく済むように祈るばかりである。

 カルティアが立ち直ったのなら、もう街の朽園は心配いらない。あとはエトルが自分の仕事をきちんとこなせばいいだけだ。


 降り墜ちた炎塊の直撃を、道化はマントで受け止めた。

 ごうごうと唸る灼熱は本物だ。焦げた臭いが道化の全身から上り、黒いマントを炎が食い破ろうとする。


 クツクツクツッ!


 道化が低く鳴くと足下から黒い華園が広がり、ぬうと、二枚の巨大なカードが道化の左右に立ち上がった。


 ――間も無く、壁と呼んで差し支えないカードは磁石のように引き合い、道化を炎塊ごと潰したのである。


 ぴちゃり、合間から黒い塊が泥のように飛び散る。

 もちろん自滅なんてしたはずが無かった。

 泥の溜まりのなかから道化は立ち上がったのだから。


「むちゃくちゃだね」

 これはいよいよだと思った。

 『虚飾庭園』があの朽園に喰われたと見て間違いないはずだ。

 今度こそ手遅れになってしまったはずなのに、不思議と諦める気持ちにならないのはどうしてだろうか。


「アイシル、どうしたら良いと思う?」

 後ろに控えていたまっ白い妖精が答えを知っている気がして、尋ねてみた。

 それも仕方ないのかもしれない、エトルが諦めるほうが間違いだと思ってしまうくらい、アイシルは鞄の中の三人分の想い出箱を握りしめて強い目をしていたのだから。


「まだ、間に合うはずですよお。あの朽園を見てください」

 無傷でカルティアの魔法から逃れたと思った道化は実はそうでもないようだ。全身からどろどろの黒い液体を流している。


「妖精カルティアの魔法で発生していたほとんどの朽園が討滅されたのでしょう。おかげで朽園は力を大きく失っています。完全に取り込まれる前にアレットさんに『虚飾庭園』の力を取り戻してもらえば、朽園を押さえ込めるはずです!」

 そのための想いは、アイシルの手の中にある。


「僕はなにしたらいい?」

「あの朽園をどかしてください。アレットさんのいる場所はあの朽園が通せんぼしています。そのあとはわたしがアレットさんに想いを届けてみせますっ!」


 なるほど、いつもと同じ、大変そうな役目はエトルの持ち分ということらしい。

「分かったよ、まったく」

 仕方ないと、エトルは苦笑して、剣を構えた。


 アレットがどれくらい耐えられるのか分からない、時間はあまりないだろう。

 エトルは最短、最速であの朽園を討滅しなければならない。

 銘持ちであるカルティアの魔法を耐える朽園だ、一筋縄ではいきそうに無いが、どうにかしなくてはならない。


(じゃあ、やるしかないね)

 そんな手段があるとしたら、一つだ。


 ああ違うか、とエトルは思い直す。

 最初から一つ以外なんて無かった。

 エトルが出来ることなんて、エトルが唯一持っているものを手放すくらいしか無いのだ。


 朽園がエトルが自分を否定する以上の魔法に成ったというなら、エトルはそれ以上に自分を否定するだけのこと。

 ディススタンドの骨頂、その領域まで堕ちるのだ。


「あの朽園くらいはどうにかするさ」

 それだけは残せば良い。

 朽園を討滅してその意思を果たしたとき、帰り道は無いだろうけど。


(べつにいいさ)

 結末が半年分伸びただけと思えば安いものだ。おまけに妖精が一人救える、これ以上なんてあるわけが無い。


「エトルさん」

 エトルは振り向かない。

 時間が無いのだと言い訳して、余計な意思を自分の中に残してしまわないように。

 アイシルは、消えていこうとする彼に、言ったのだ。


「わたしは何度でも、かならずあなたをみつけますよ」

 エトルは返事が出来ない。


(まったく、勝手だよ、アイシルは……)


 言うまでも無い。

 妖精はみんなそういうものだって、みんな知っている。

 分かっていてエトルが悪態を吐いてしまうのは、いつだってそうだったからだ。


 本を開いているとき、お菓子を焼いているとき、洗濯を取り込むときに空を見上げたとき、エトルが今なら消えられるかなと考えるときには、アイシルがいつも側にいて邪魔してくる。


 半年前、水晶庭園の休園を討滅したときも、消えたと思ったはずのエトルを見つけ出したのはやっぱりアイシルだった。

 『見つけましたよ』なんて、泣きながら笑うなんて器用な顔で、寝転ぶエトルを見つけ出してしまったのだ。


「……そう」

 短く返して、エトルは足を進める。

 それならエトルだって思いっきりやるだけだ。


 思いっきりやって、アイシルのお願いをきっと叶えるから、もしも消えてしまったそのときにはきっとおあいこってことにして欲しい、仕方ないって諦めて欲しい。


 チェンジリングのエトルでは今になっても持て余したままなのだ、半年前、目覚めたエトルにくれた言葉と想いは。



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