妖精を追いかける夜②
エトルが孤児院に駆け込んだのは、アレットが抜け出して少し時間が経ってからだった。
気持ちが急いているせいだ、いつも絶対にしない乱暴さで扉を叩く。
すぐに中から走る音が聞こえて、取り乱した様子のレジアナが「アレット!」と顔を出し、ノックしたのがエトルと分かるやレジアナは露骨に落胆した。
「あの! アレットは、アレットは一緒じゃないですか!?」
既にマズイことが起こったことを即座に理解した。
「アレットさんがいなくなったのですかあ?」
ひょっこり横から顔を出して、アイシルが尋ねる。
「は、はい、キッチンから戻ってみたらベッドから消えていて……、そこを退いてください! 探しに行かないと!」
「外はまだ危ないのですよお!」
「だからです、私にはあの子を危険から護ってやる義務があるんです。親として!」
ぎらぎらした目をしていた。
踏みつけてでも通ると言わんばかりの剣幕だ。
「で、でもそれはぁ」と身を小さくするアイシル。対してエトルはレジアナの必死さを見て確信を感じていた。
「行き先は、たぶん霊園です」
「霊園?」
どうしてそんなところへと、怪訝そうな顔で聞き返してくる。
今さら言い逃れは出来まい。
腹を括らなければならない。
エトルはレジアナを正面から見据え、そこでもやっぱり躊躇いを覚えた。いまからすることが、レジアナを傷つけてしまうことが分かっていたからだ。
「どうしてアレットが霊園に行かなければならないんですか?」
きっと、不吉めいたものを感じたのだ。催促するレジアナの声には不安の色が混じっている。
こうしている間にも時間が過ぎていく。そうしたら、もう、今度こそ救うことなんて出来なくなってしまう。不幸しか残らなくなってしまうだろう。
乾いた唇を舐めて、とうとうエトルは口にした。
「大切な約束を守れなかったら、きっと謝りたいだろうから」
もう止まれない。
一息に言ってしまえ。
ここに来た理由を、レジアナにしなくてはならない質問を尋ねるのだ。
「疫災の後、レジアナさんはアレット君に華の種を渡されたんですよね?」
「……ええ、そうですけど」
一瞬辛そうにして、レジアナは毅然と肯定した。
「それは、本当にミゼッタさんのですか?」
しっかり思い出して欲しいから、敢えて引っ張るような言い方をした。もちろんそれが、レジアナのカンに障ることも覚悟してだ。
「それはどういうことですか?」
子供と過ごす生活をしているからだろう、レジアナの話し方には相手を気遣うような安心感がある。それが、このときにはなりを潜めていた。
子供の大事にワケも話さないまま昔の苦い記憶を掘り返されているのだ。嫌がらせ以外のなにとも思えないだろう。
「私は急いでいます。話ならアレットを見つけた後に聞きますから、失礼します」
押し通ろうとするレジアナの前に、エトルは体を入れる。
キッと睨まれて、もともと人の悪意とかそういう物にめっきり耐性がないエトルは退きそうになる。
「退いてくださ――」
「ミゼッタさんのだけだったんですか?」
踏みとどまって、ついに言ったのだ。
はたと、レジアナが止まった。
その目は恐ろしいものを見るようで、エトルに向けられている。
「種は、二つあったんじゃないですか?」
ひゅっと、レジアナが息を呑んだ。
どうしてそれを、と目で訴えている。
それからみるみると顔が青ざめていった。
「いや、でも、なら、あの子は……?」
それこそが、全部に答える一つだったのだ。
想い出箱を狙った朽園。
それは、『虚飾庭園』の残り香を追っての強行だとみんなが思った。
しかし、そうでは無かったとしたら。
朽園はあくまで庭の主を狙ったのだとしたら。
「朽園は生まれた庭の主の妖精を襲う。……昨夜襲われたのはアレットくんだ」
「――っ!」
三年前に訪れた疫災。
そのときに亡くなったのはミゼッタじゃない、ミゼッタとアレットの二人だ。
そして『虚飾庭園』は消えてなんていなかった。
ずっといたのだ。
この孤児院に、アレットとして。
「で、でもそんな、なんでそんな……」
「それがお願いだったから、だと思う」
「お願い?」
「はい」と、エトルは首肯する。
子供だって知っている妖精との約束。
一つのお願いに、一つの贈り物。
だから足りないと思った。
贈り物が二つあるのなら、お願いも二つなければならない。
ミゼッタが疫災に見舞われた孤児院のみんなの快復を願ったのなら、アレットのお願いもあるはずだ、と。
「アレット君の様子とレジアナさんのことを見てて、分かった気がします。たぶんですけど、アレット君は『虚飾庭園』にレジアナさんのことをお願いしたんですよ」
責任感が強いレジアナ。
彼女はとうとう自分が動けなくなってしまうまで献身的に子供達を看病し、愛情を注いでいた。だから、彼女の代わりをして疲労と病気に負け、自分は死んでしまうと分かったアレットは思ったのだろう。
孤児院の家族を助けられても、ここで自分が死んでしまえば、レジアナはどうなるのだろう、と。
あんなに助けようとしていた子供が亡くなったらきっと酷く落ち込むし、悲しみから立ち直れなくなるかもしれない。
助けてあげたくても、それはもうそれは出来なくなる。
だから、託したのだろう。
死の間際に現れたお願いを叶えてくれる存在に、妖精に、『お母さんを助けてあげてくれ』と。
そのお願いを叶えるために、『虚飾庭園』はミストエーラでアレットとして居続けた結果、管理されずに放置された庭はやがて大量の朽園を生み出してしまったのだ。
普通なら不可能だ。
人形と赤ん坊を間違えたりしないように、ミストエーラの人間は妖精がどんな姿をしていても見分けることが出来る。
だけど、気づかないうちに遊んでいる子供達に紛れ込んでしまうような妖精だったら、力が強く、そう言った方向性に特化した妖精だったのならば出来てしまうかもしれない。
『虚飾庭園』なら、他人どころか、自分自身を欺く魔法さえ可能かもしれない。
「では、アレットさんはなぜ姿を消したのですかあ?」
そんなの決まっている。
この状況下で出て行ったとしたら、罪悪感しかない。
「記憶を取り戻したんだ、カルティアの加護で魔法を解かれて。助けなくちゃいけないレジアナさんに迷惑を掛けてしまったと知って、お願いが失敗したと思って出て行ったんだ」
ミゼッタだけでなく、アレットも亡くなっていたと知ったレジアナはもっと悲しんでしまうだろう、もっと自分を追い詰めてしまうだろう、そう考えて。
「そんな……」
エトルが語り終えると、レジアナはドア縁によろよろと体を預け、呆然とした。
波の上に板一枚浮かべて立たされたみたいに、レジアナの有様は頼りないものだった。
もうレジアナはいままでの通りに生きてはいけないだろう。
彼女の生活も、心の平穏もエトルが奪ったのだ。
自分のやりたいことのために、エトルが奪ったのである。
それは予想していたとおりの結果で、想像していた以上に痛々しい姿だった。だから、エトルはそこで止めてはいけないはずなのに、それ以上の言葉を失った。
目の前に提示された材料を自分が納得いくように組み立てて聞かせることは簡単にできたのに、レジアナを立ち直らせる言葉を創造することはとても難しいことだった。
だから、代わりに、彼女が進み出たのだろう。
「『虚飾庭園』を恨みますか?」
アイシルだ。
レジアナに問いかけ続ける。
「三年間、あなたの隣にいたアレットさんを憎みますか?」
考えて、探してみてと、道に迷った旅人を励ますように、アイシルの言葉はレジアナを導こうとしているようだった。
「私は……」
答えを探して、レジアナは疲れた顔でまっ白い妖精に向いた。
受け止めてから、アイシルはさらにレジアナの本心へと触れたのだ。
「あなたの隣にいた息子は偽物でしたか?」
「――っ!」
瞠目は何よりも雄弁に。
「いいえ!」
廊下に響いた笑い声。
私室に紅茶を運んできてくれたときの、心配そうな顔。
聞き分けのない弟を叱りつけていたことや、寝付けない夜には誰かの布団に潜り込んでいたこと。
この家に、染みついている彼の痕跡の数々。
思い出を巡ったレジアナはぽろぽろと涙を流す。
「いいえっ!」
そんなはずはないと、そんなことは絶対にないと、何度も首を振った。
注いだ愛情に偽りがなかったことを、そしてそれが変わらないことを、想いが証明してくれていた。
「あの子は、私の息子です」
それは絶対に変えてはならないことだ。
疑う必要なんてないことだ。
「あの子はずっと、私の大事なアレットでした!」
それだけは、妖精が織ったベールが剥がれ落ちても変わることがない真実なのだ。
その想いを、まっ白い妖精はきちんと聞き届けたから、胸の前で祈るように手を組んだのである。
「レジアナさん、その想いをわたしに託していただけませんか?」
妖精として、想いを運ぶ担い手として、アイシルは問うた。
「わたしは妖精アイシル。どうぞ、このわたしにあなたの願いを託してください。きっと、叶えてみせますから」
差し出されたその手に、レジアナは想いを乗せて、強く強く願ったのである。
「お願いします。私の息子を助けてください!」
渡されたのはペンダント。
この孤児院で、レジアナと子供達の想いを入れてきた、大切な想い出箱。
「はい! 必ず叶えてみせますよお!」
元気いっぱいに、花咲く笑顔でアイシルは心強く頷く。
「エトルさんと一緒に!」
当然のようにエトルを巻き込んで。
レジアナもアイシルもエトルを見つめていた。
その期待はエトルには過剰なモノだ。
今夜は荷物がどんどん、どんどん重くなっていく。
妖精が一人、想い出箱が三つ、それから絶対に叶えなくてはならないお願いが一つ。
エトルではとても持ちきれそうにない、だけど、一人でやることだってないのだ。
エトルは、『お手伝い係』なのだから。
「かならずアレット君を助けますから」
チェンジリングには無縁なはずの『約束』を交わす。
さあ、これで逃げ出すことも、失敗だって出来ない。
じゃあやってやろう。
いつもと同じだ。
アイシルのお願いのお手伝い。
達成率は百パーセントの実績は飾りじゃない、失敗なんてしっこない。
そんな風に自分を奮い立たせて、エトルとアイシルは夜の街に潜っていった。




