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間話 いつかの妖精の記憶



 ヒドイ臭いだと思ったんだ。


 街中もヒドくて、だから走って走って『ここ』に来て、近づくほどに濃くなっていた臭いは、扉を開いた瞬間、鼻を覆っても耐えきれないものになった。

 その場所は大好きな場所だったのに、充満していたのは大嫌いなものだった。


 『死』の臭いだった。

 

 ベッドから動けなくなった子供達、みんな友達。

 そのみんなが虫の羽音にだって負けそうな弱い呼吸をして、青ざめた顔を苦しそうに歪めていた。


「約束したんだ……」 

 しばらく来れなくなるって言ったら、みんな『そんなのヤダ!』なんて困らせるようなことを言って、それを叱られたら、『じゃあ戻ってきたらいっぱい遊んで!』って、妖精である自分と約束したのだ。


「約束は破っちゃダメじゃないか!」

 癇癪だ。

 一緒に遊ぼうと思って持ってきたボールの山が手の中からばらばら落ちて、床に撥ねて転がった。  

「だ…れ…?」

「っ!」

 ネズミの足音より小さな声だったが、聞こえた。

 続いて、水がぶちまけられる音とからんからんとトレーの転がる軽い音。


 廊下を進んで駆けつけると、そこには子供達をよくまとめていた双子がいた。

 廊下にぶちまけられた淀んだ水の中に倒れる双子の顔色は、寝込んでいた子達以上にヒドイものだった。


 分かってしまう。

 一目だけで、妖精だから分かってしまう。


「なんで、なんで!」


 助けられない。

 未来がない。

 この子達はどうやっても手の届かない場所に行ってしまう。


「み、くしお……?」  

 女の子の方だ。

 閉じた目には黄色い目ヤニがいっぱい溜まっていて、睫毛にこびり付いている。目を開くことだって出来ないんだ。


 そんな力さえないのに、この子は……。

 汗と汚れでべとべとになった髪を撫でるように、女の子の頭を支えると、女の子は心底ほっとした顔で、「よかった」なんて言ったのだ。


「なにが、いいもんか! こんなことになって、なにがいいもんか!」  

 仮面から雫が流れる。

 樹液みたいに金色の雫が、ぴとり、ぴとり。

 女の子の顔に流れるそれが通ったあとには白い線が残った。まともに自分の世話さえしないからくすんでしまっていた女の子の本来の肌の白色だ。


 この女の子は自分の命を自分より弱い者のために分け与えたのだ。

 寝込んで動けない子達のために、自分のほとんど残ってない命さえ分け与え続けたのだ。


「ねえ、みくしお、お願い、……みんなを、だいじなかぞくを、たすけて」

 そして、女の子は、最後の力を全部使い切ってしまうみたいに、腕を持ち上げる。

「これが、あなたにあげられる、わたしからの、贈り物」

 絶え絶えに、少女は言う。


 それは、ずっと昔からの取り決め、妖精にお願いをするための約束。


 お願いの対価。

 妖精へのお礼。


 想いのこもった贈り物。


「――っ!!」

 こんなときなのに、妖精が一番嫌いな死の気配が充ち満ちるこんな場所なのに、吐瀉物や汗や排泄物が腐乱した酸っぱい臭いだって立ちこめているのに。

「なんでこんなにっ!」


 その想いは、涙が止まらなくなるほど素敵なものだった。


「おね、がい」

 女の子は、腕ごとバングルを妖精の手に預けた。


「ミゼッタ……」

「ミクシオ、ボクからも、お願いだ」

 妹がどうなったのか、もう理解していたに違いない。ほとんど触れている程度に女の子の手を握った双子の片割れの男の子は、妹がそうしたようにバングルを差し出した。


「お願ぃ、――」

 発声さえ困難になったか、かすれ声を聞き取るために妖精は男の子を抱き上げて耳を寄せる。

 まるで内緒話みたいだった。

 二人っきりの約束で、だれにも言っちゃいけない取り決めをするみたいな。


「―――――」 


「わかったよ、約束する」

 そう伝えてやるとと、男の子は僅かに微笑んだのである。


「叶えるよ、必ず、オレが二人の想いを受け取ったんだから」


 それから、妖精は仮面を脱ぎ捨てた。




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