妖精に導かれるように②
まるで、壁をすり抜けてきたみたいだった。
冗談めかしたペイントを描いた、骨みたいに白い仮面。
体をすっぽり覆う、ドーム状に膨らんだポンチョ。
モノクロの色彩に浮いた、大きな赤くて丸い鼻に目が吸い寄せられる。
クツ、クツクツクツ
ことり、首を傾いでそいつは嗤う。
仮面の向こうの空っぽの中身から漏れた音で、夜気を震わせる。
今宵も想いを喰らう道化はエトルの目の前に現れたのである。
「なるほど、たしかに『アカハナダルマ』さんですよお」
アイシルが昨日のエトルみたいなリアクションをしている。
誰だか知らないが、この朽園にニックネームをつけた人は本当にセンスが良い。
「アイシル、復唱」
「大事に両手で持って終わるまで隠れてみている!」
よく出来ました。
差し出してきた両手にエトルは鞄を乗せた。
思考を切り替えていく。
肺を満たすまで空気を吸い、それから臓腑がきりきり萎むまで吐き出す。
懸念がいくらあっても、大元を絶てば全て関係ない。朽園を倒してしまえば、目下の脅威はないのだ。それでも腑に落ちなければ、それからゆっくり考えればいい。
だから、要らないものは己のウチから追い出していく。
硬く鋭く、鍛えていく。
『切り裂き、突き刺し、袈裟懸け、薙ぎ払い、打ち砕き、馳せて駆け巡り、突き立てる。』
それだけを、満たしていく。
限りなく武器に近づいていく。
次の呼吸に合わせてエトルを一線の向こう側へと連れて行く暗示を唱え――。
じゅっと、空気が燃えた。
たまらず咽せ込むような熱量だった。
「ズルイって思ったのよね」
足下に炎のサークルを描いた赤色の妖精が呟いたのだ。
「だってそうでしょう? アタシが朽園を倒すって言ってるのに、朽園の狙っている想い出箱はチェンジリングが持ってるのよ? これじゃチェンジリングの方が絶対先に見つけるに決まってる、ユウキリはズルイことをしたのよ」
ゆっくりと、カルティアの右手が持ち上がる。
気圧されたのだろう、道化がたじろいだ。しかし、今夜は道化に逃げ道は無かった。
「逃がさないわ」
地走りした焔が道化を囲んで閉じ込めたのである。
「だからね、アタシもズルをしたのよ。いいでしょ? だって、やっぱり朽園はチェンジリングのいるところに来たんだもの、アタシは間違ってなかったのよ」
親の言いつけを破った子供が、誰も見ていないところで一人で言い訳しているみたいだ。
何のことだろうと考えて、思い当たる節があった。
なぜカルティアが書簡を運んできたのだろう。
妖精に預け物は向いてないから、エトルが想い出箱を預かっているのに、ユウキリがカルティアに配達なんて頼むだろうか。そもそも配達を頼むくらいならお願いして魔法でやってもらえばいいはずである。
カルティアは他の者に託されたエトルへの手紙を取り上げて、合流する理由をでっち上げて来たのだ。
エトルに朽園を取られないために。
あのぐるぐる巻きは、妖精に任務を取り上げられた団員が施した精一杯だったというわけだ。
落とさないように、絶対に、無くさないようにと。
涙ぐましい。
どうやら妖騎兵団は相当にこの強力な妖精を持て余しているようである。
エトルだって呆れたし、こんな時にするようなことかと少し憤りさえした。
でもそういう感情の一切は、次には彼女が操る炎にくべられて燃やされてしまう。
銘持ちは伊達ではない。
その意味と証明が、今まさに目の前で行われようとしていた。
宣告するかの如し、カルティアの右手の指先が、道化を定める。
「昨日は逃げられたから念入りにやるわ!」
妖精の背後で、カンテラが燃え上がる。
燐光を散らして、白熱まで昇華した焔が渦巻き、猛烈に吼える。
まるで、これこそが力だと誇示するようであった。
灼火を我が物とする妖精は、満を持して、命じたのだ。
「噴射てっ!」
ううぉん、哮るような勢いで直線を駆けた火炎が、道化に着弾。
ストリートが一瞬昼間に戻る。
それほどの光量を放ち、火炎は迸ったのである。
眩しさのあまり顔を庇ったエトルが目を開けると、道化は微塵すら残されていなかった。
さっきまで道化が立っていた石畳と外壁の一部は融解し、赤く禍々しく輝いている。
それが、徐々に夜気に熱を吸われて炭化すれば、残ったのは惨状だ。
一言を、申し立てれば、
「や、やり過ぎ」
「ですねえ」
ここまでしなくったって良かったはずだ。
ほらみろ、騒ぎを聞きつけた住民がベッドから起き出した。
窓の向こうに火が灯るのを見つけたエトルがため息を吐く。だから、ユウキリはエトルに処理させようとしていたのだろう。
思い知った。
この妖精は、手加減を知らない。
「見なさいチェンジリング! 朽園はこの『紅灼庭園』が倒したわよ! やっぱりアンタの出る幕なんて無かったのよっ!」
そしてこの態度。
自分が間違えたなんて思ってもいないのだろう。
これからもカルティアが朽園を討滅し続けたら街が穴だらけになってしまいそうだ。せいぜいユウキリに頑張って貰うとしよう。
少し、仕事を押しつけられた溜飲が下りたのは内緒である。
「これで終わったのですかあ?」
アイシルが釈然としない顔をしていた。
「なに、ケチつけるの? おあいにく様、今度は逃がさなかったわ! きっとあいつが逃げ込もうとしていた『虚飾庭園』の庭にまで届いたはずよ」
腰に手を当て、完勝宣言。
随分と暢気な姿だと思った。
カルティアは自信満々の笑みでブロンドを払い、胸に手のひらを乗せて高らかに要求したのだ。
「さあ! アタシをもっと賞賛しなさい!」
まるで、示し合わせたかのように、ぱあと、空に華が咲いた。
おめでとうと、朽園を倒せて良かったねって、拍手するみたいだった。
エトルははじめ、その意味を理解出来なかった。
「え…?」
ぽかんと口を広げて、空を仰いでいた。
(なんで、なにがおきたんだ?)
クツクツと、クツクツクツと、道化の乾いた嗤い声が耳にこびり付く。
「どうして? どういうことよっ!」
カルティアさえも、拳を握りしめて空に上がった華に声を荒げる。
朽園を討滅して終わりでは無かったのか。
なら、コレはいったいどういうことだ。
夜空に何発も上がった閃光弾はいったい何の冗談だ。
「すくなくとも、まだ夜は明けないと言うことですね」
落ち着いたアイシルの声が聞こえた。
アイシルだけが、正しくその意味を理解していたのだろう。
これは長い夜の始まりを告げる狼煙なのだと。
そうだ、というように、閃光弾に照らされたストリートに影が生まれた。
一つ、二つ、三つ、影はフザケタ仮面のおくからクツクツと合唱する。
おめでとう、よかったね。
たった一体を倒せて良かったね。
まるでそう言わんばかりだった。




