妖精に導かれるように①
どちらかと言えばエトルは自分のことを小心者だと思う。
自分で使うコップは焼き物じゃなくて割れない木製のものを愛用しているし、リトルペタルの少ない常連がおいしかったと言ってくれるとついおまけもしてしまう。
だから、大切な預かり物を頼まれたら絶対に断った。
それが、いわくまで聞いてしまった想い出箱なんてもってのほかだ。
ところで、たったいま、エトルが肩から提げている鞄の中にはアレットが肌身離さず持っていた想い出箱が入っている。
「まったく、ほんとにまったく」
黒いコートを身に纏い、夜の街を歩くエトルがぼやく。
仕方の無い事情ではある。
この想い出箱が狙われていると分かっている以上、アレットが持ち続けるわけにはいかないし、下手な場所に隠して朽園が暴れても困る。
じゃあ、どこに置くのが一番良いのかと言われれば、その場所はエトルだったという話。
エトルなら朽園に襲われても問題ない、むしろ、探している側だ。
それならカルティアでも良いでは無いかと思いそうなものだが、ミストエーラにはこんな言葉がある。
『妖精に預けたものが返ってくると思うな』
これは別に妖精が猫ばばするとかいう話ではない。
妖精は素直だから、例え黙って持ち出したって『返して』と言えば返してくれる。
この格言の本質は、妖精達が人の暗黙を理解していないという事だ。
どこかに置き忘れたり、ルーズに扱って壊してしまったり、とにかく妖精達は預けものをする相手には適さない。
「でも僕だって戦闘になる確率が高いわけで、そのときどうにかなったって責任はとれないし……」
考えられる限りの抗弁は一通りやってみたが、『どうにかしろ』とのこと。本当に人使いが荒い元上司だ。
こっちはまだ右肩が本調子ではないというのに。
さらに、エトルにはこの想い出箱だけでもいっぱいいっぱいだというのに、なぜかもう一つ、大きな荷物を抱えていた。
「まあまあエトルさん、そのときはわたしがあずかりますよお。大事に両手で持って終わるまで隠れてみているっ! ちゃあんとおぼえていますよお!」
夜の街には似合わないまっ白い妖精がエトルの横を歩いている。
復唱したのは事前に言い含めておいた文句だ。
両手はがっしりエトルの腕を掴んでいる。まるで猛禽類がネズミをかぎ爪で挟むみたいな容赦のなさだ、少し痛い。
「ねえアイシル、痛いんだけど」
「それはごめんなさいですよお」
万力のように腕は締まったままだ。
「ちょっと力抜いて?」
「ななな! もしはぐれたらどうするのですかあ! こんなまっくらな世界に一人になったらわたしってばきっと泣いてしまいますよお!?」
ストリートに並んで揺れている街灯だけでは大きな夜空の下では頼りない。
ミストエーラの人間は基本的に早寝だ。飲み屋だって夕刻から時計の針が二回りしたくらいから店じまいを始める。この時間になると、もう家の灯りだって消えていて出歩く人なんて見当たらない。
「ねえ、いまからでも帰ったら?」
「なにをいうのですかあ! わたしだけが知らない顔をしていられるもんですかあ! 妖精カルティアだってこちらにいるのに!」
どうやらいらない対抗心を燃やしているらしい。
絶対に守らなくてはならないものをいくつも抱えて戦わなくてはならないエトルの気持ちを少しは汲んで欲しいものだ。
(どうして僕の回りには押しつけてくる人しかいないのだろう)
勘弁して欲しいものである。
「それに、イヤじゃないですか。また心配して日が昇るのを待ち続けるのは」
頭から垂れたリボンをいじりながら、アイシルは言った。
「なんだよ、まったく」
そんなこと言われたら無理矢理にでも帰らせるなんて出来ないではないか。
結局いつものお願いと同じ、エトルが頑張るしかないのだろう。
しかし、こんな調子では流石に困る。
歩調はアイシルに合わせなくてはならないし、屋根の上を跳んでショートカットしながら移動することも出来ない。最悪抱えて移動することになるだろう。これから戦うかもしれないって言うときにそれでは何とも格好がつかない。
さて、どうするか。
とぼとぼとアイシルに引っ張られて身体を傾けながら歩いていると、頭上に、ぼおうと燃える音が聞こえた。
巨大なカンテラを左右に侍らせる赫い妖精が飛んでいる。あんまり明るいからそこだけ夜を切り抜いてしまったかのようだった。
遠目に見る分には凜としていて、静謐を好む深窓のお嬢様のようだ。
「妖精カルティアですねえ。おーい!」
近隣の夢の中の住人にもはばからず、アイシルがぶんぶん手を振る。
聞こえたらしい、飛んで行ってしまいそうだったところを旋回して戻ってきたカルティアは、エトル達の目の前にかつんと靴音を立てて降り立った。
「見つけたわよ、チェンジリング! ……なんで根無し草までいるのよ」
「見つけたのはこっちなのですよお!」
そこは別に張り合うところじゃない。
「なによ! へっぴり腰のくせに!」
「むむむ! だ、だってまっくらですよお? 妖精カルティアは怖くないのですかあ?」
「怖くなんてないわ! アタシにはコレがあるもの!」
見せびらかすようにカルティアの周囲をカンテラが回る。
(それってつまり、そのカンテラがなかったら怖いってことじゃないの?)
思っても口にはしないのがエトル。
「魔法を使えないアンタじゃできないでしょ? これに懲りたらちょっとはまじめに庭を創りなさい!」
勝ち誇るカルティアを見て、アイシルは「ぐぬぬ」と歯噛みしていた。そしてそれを見てカルティアはさらにご機嫌になる。
「でも、そうね、アンタは弱くて、アタシは強いのよね」
ぴんっと、カルティアはなにかを思いついたようだ。
「いけ」
短く命令を発し、左のカンテラがふよふよとカルティアから離れ、アイシルの後ろに従いたのだ。
「むむ? およよよ?」
あれほど絶対に離さないと頑なだったアイシルが腕を解放し、エトルの周囲を一周する。
カンテラはまるで一列になって泳ぐ魚みたいにアイシルの後ろにぴったりくっついて辺りを照らしていた。
「暗くないのですよおっ!」
興奮した面持ちでアイシルが雄叫びを上げるから、エトルは「良かったね」と言ってやった。
カルティアは満足げにその様子を見て、言ったのである。
「にょぶれおりーぶよ!」
(なんて?)
呪文かなにかだろうか、カルティアは謎の言葉を繰り返す。
「だから、にょぶれおりーぶよ! 強い者は弱い者を助けてやるんでしょ? だから人間は子供を助けてやるんだわ!」
誰かから言葉を間違って覚えてきたらしい、よくあることだ。
「アタシは『紅灼庭園』だもの! 強いから弱いアンタを助けてやったのよ!」
えっへんと、威張るカルティアは絶好調である。
とにかく助かったのは事実だ。
これで困り果てていた移動もマシになりそうだ。
「ありがとう、カルティア」
「ありがとうございますねえ! 妖精カルティア」
アイシルもこれには諸手を上げて喜んだ。
「もーっと感謝したっていいんだから! ユウキリもこれくらいアタシのことを尊敬すれば良いのに……って、あ、そうだ、これユウキリの手紙よ! 受け取りなさい!」
カルティアの手首にぐるぐる巻きになっている紐には書簡をやりとりするための筒がぶら下がっていた。
「うん? なによこれ、はずれない……」
それを差しだそうとしたカルティアは、しかし括ってある紐が解けないようだった。
助け船を出そうとしたが、言い出す前にカルティアは指先から火を出して焼き切ってしまった。それから何事もなかったかのように「ほら!」と自慢げな顔で渡された筒を、エトルは微妙な表情で受け取る。
こういう力尽くをするから妖精はモノを預けるのに向いてないのだ。
なにはともあれ受け取った筒の留め具をパチンと弾いて、中の書簡に目を通し、エトルは額を抑えたのだ。
「あの人は、本当に、もう!」
やっぱり嘘に決まっている。
民間人のエトルを巻き込んで済まないと思っているなんて、絶対に口先だ。
「なにが書いてあったのです?」
「アレット君とレジアナさんのこと。他の孤児院の子は妖騎兵団で預かったけどアレット君が体調崩しちゃって動かせなかったらしくて、レジアナさんと孤児院に残ったから巡回中気に掛けておけって」
想い出箱はエトルが持っているが、朽園は昨日孤児院に出没したからまたそこに現れる危険がある。
大事をとって今日はあそこの孤児院の子供とレジアナさんには妖騎兵団の宿舎の一部を解放し、そこで朽園を討滅するまで過ごして貰うはずだった。
アレットが病気ならこれも仕方が無いことだろう。だが、平然とまた一つ仕事を背中に乗っけておいて、『よろしく』の一言だけだなんて、あんまりだ。
「それはそれは、大丈夫でしょうかあ。昼間は元気そうでしたのに」
確昼間は緊張はしているみたいだったが体調が悪そうには見えなかった。
ちょうど疫災の話をしたばかりだからなんだか心配になる。
「お見舞いに行きましょう! エトルさん」
「また明日の昼間にね、寝ていたら迷惑だから」
一応釘を刺しておく。
「ユウキリもいらない心配をするわね。アタシの加護は一日程度じゃ解けないのに。心配しなくてもどうせアンタの出る幕なんてないのよチェンジリング!」
腰に手を当てて、自信満々に言い放つ。
その調子で朽園も討滅してしまって欲しいものだ。
「期待しているよ」
苦笑交じりに答えておいた。
「……昨日破られそうになったってききましたけどお?」
「なってないわ! 押されただけよっ!」
顔を合わせると、すぐにいがみ合いをはじめるのはどうにかならないのだろうか。
「でも確かにカルティアの加護がまだ効いて、いるな…ら……」
なにかを、思考の指先が掠めた。
(加護、かご……)
「エトルさん……?」
「なにかを、見落としているんだ。それが分かれば、きっと……」
かりかりと、胸の内側を引っ掻く焦燥。
(朽園は、どうやって想い出箱を見つけたんだ?)
昨日、エトルが見つけたとき、朽園はまるでそこにあると確信しているように孤児院を見上げていた、なんども進入しようと試みていた。妖騎兵団の話ではそれまで街のいろんなところに出没していたと言っていたのに。
「行かなきゃ、いけない気がする」
正体はいまだはっきりしない。
だけど、エトルがレジアナの話に覚えたもやもやを吹き消す一陣の風が、きっとあの孤児院にある、そんな気がした。
「ふーん、いいんじゃない? 行ったら?」
ブロンドを払って、カルティアは次には二人に背を向けたのだ。
「でも、カルティアへの負担が大きくなるよ」
曖昧な感覚で行動して良いものか、これは軽率ではないのか。
アレットを朽園から守るために想い出箱を預かったのに、意味がなくなってしまう。
躊躇う理由はいくらでもあるのに、行く理由はそんな気がしたからなんて、バカバカしすぎる。
「最初から言ってるじゃない、必要ないのよ。アタシ一人でカンペキなんだから。……それに、もうこの朽園騒動だって終わるわ」
スタスタと豪奢なドレスを翻して歩き出したカルティア。
どういうこと、と尋ねるまでもなかった。
不快さを覚えた。
人が妖精に感じるソレに少しにて、しかし、神経を舐られているかのような生ぬるさは正反対の性質だった。
妖精がミストエーラに忽然と現れるのなら、同じところから現れるそいつもやはりなんの準備もなく目の前に出現したのだった。
クツクツクツ
空っぽの笑い声が響いた。




