序 著作堂主人の言葉
『椿説弓張月』の序文にあたるものです。一応訳しました(直訳どころか意訳ですらないほど大幅にアレンジ加えちゃってますが)。本編にはさほど関係はないので読み飛ばしても支障はないと思いますが、馬琴先生の考えなどがよく表れているので、お時間あれば是非(多分時間なくてもカップラーメンができるのを待つ間には読み終わるかと)。
この小説では、かつて保元の時代に活躍した猛将・源為朝の事蹟を述べていこうと思う。
これを書くにあたって、私は中国の演義小説を手本とした。
演義小説というのは、史実をもとにしつつも虚構的・幻想的な描写を加え、あるいは出来事を詳細に説明することで創り上げられ、白話――中国の口語によって綴られた小説である。
それ故に、本作の内容は為朝に関する歴史的事実を辿りながらも、多くの話は空想に基づいて書かれている。言ってしまえば歴史ファンタジーみたいなものだ。
この小説を読む者は、文章の醸し出す非科学的で文学的、ファンタジックな雰囲気の中に入り込み、為朝の勇姿や怪奇的な事件を楽しんでもらえれば幸いである。
さて、この作品の主題は、為朝の琉球渡来までの過程であるが、そもそも彼が本当に琉球へ行ったのか、というのはよく判っていない。
それどころか、一体このような説はどの書物に記され、どこの誰が言い出したのか、それさえもはっきりしていないのだ。
本編で詳しく語るが、源為朝は平安時代後期の武将で、一一五六年に起こった「保元の乱」で敗戦し、八丈島に流され、そこで自害したと伝えられている。
この話の典拠は、保元の乱を記した『保元物語』という軍記物だが、ここでは為朝が琉球に渡ったという説には、一ミリも言及されていない。
軍記物は『平家物語』や『太平記』の例からもわかる通り、史実にかなり近く書かれているため、史料としての価値が大きい。
それ故、ここに記載されていないこと――為朝の琉球渡来の説は、史実とは異なった単なる噂話、ということになる。
しかし、全く根拠がない、というわけではない。
例えば、江戸幕府お抱えの儒学者だった林羅山は、日本各地の神社の伝説を採録した『本朝神社考』という著書にて、こう記している。
「為朝は八丈島から『鬼界島』に行き、それから琉球に渡った。今では、琉球の島々に神社が建てられ、彼を島の神として祀っている」
また、江戸時代に医者の寺島良安が編纂した百科事典『和漢三才図会』では、こう解説されている。
「為朝は八丈島から逃げ出して琉球に行き、そこに棲まう山々の怪物を駆逐し、島民を安らかに統治した。島民は為朝の徳ある行動に心を動かされ、彼を自分たちの君主とした。そして彼が亡くなった後は神社を建立し、『舜天大神宮』の神号を彼に与えて崇め奉った」
とはいうものの、この二書も出典は明記せず、ただどこかから聞いた話を載せているだけである。故に噂の域を出ない。
儒学者や医師といった知識者層に広まっていたとはいえ、決定的な史料に欠ける以上は、俗説とみなしておくしかないだろう。
しかしながら、これが俗説的であったからこそ、私は自由にこの伝説を換骨奪胎し、一つの空想的小説として創り上げることができたのだ。
件の伝説を小説化するに際して、私は前述の演義小説に加え、軍記物の異説や年寄りの話をも参考に、かつ道理に合わないようなことを言葉によってうまく着飾り、文学として違和感のないような作品にした。
内容に関しても、数々の史料や言い伝えをもとに時代考証を行い、為朝が生きた時代を考慮して話を書いている。
とはいえ、『保元物語』のような高度な表現はできず、文章はやはり通俗的なものになってしまった。
だがそのおかげで、かえって知識の浅い子供や女性にも理解しやすくなった。
また、浮世絵師の葛飾北斎先生に頼んで、挿絵を描いていただいた。
今までの「読本」は多くが文章のみで堅苦しい雰囲気があったが、イラストによってそれが多少和らいだことだろう。もはやある種のラノベとも言える。
北斎先生にはこれからしばらくの間お世話になる。協力して良い作品を作っていきたい。
最後になるが、この小説は――何度も言うけれど――史実とはかけ離れた虚構的な部分が多々存在する。
故に、歴史が好きな人なんかは、この小説に違和感を覚えるかもしれない。ひょっとしたら、事実との食い違いを指摘しようと思われるかもしれない。
だが、あくまで『椿説弓張月』という作品は、歴史をもとにした「ファンタジー」なのである。
だから、できればこれを「歴史小説」ではなく、空想的なフィクションとして読んでいただきたい。一つのエンターテイメントとして享受していただきたい。
以上の注意をもって、この序文の筆を擱く。