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サリーナ・マハリン  作者: なのるほどのものではありません
第4章:アルブ戦争
27/32

27, 崩壊

「兄様。」

 彼は弟のほうを見なかった。ただ遠くを見るような目で状況を見定めていた。伯爵邸の一室、金の椅子がある赤い絨毯の敷かれた広間。そこに兄弟は肩を抱き合うようにして立っていた。

 もはや邸宅もイルルの兵たちの手に落ちた。悲鳴や叫びが此処でも響く。幾人かの近衛兵が彼らを囲んで守っているが、ここも時間の問題だった。

「……クシス。」

 小さな声で弟を呼んだその時。



「フェレス!」


 扉が開く音と声が部屋に響いた。フェレスが顔を上げたのが見えた。

 部屋の扉を押し開けて入ってきたのがイルルの兵ではなく、私だったことに目を丸くしていた。

「……スザンナっ!」

 クシスも驚いて振り向いた。

「フェレス!よかった!」

 涙が出そうになった。無事だったことに心底安心したから。

 

 フェレスに思いっきり抱きついた。フェレスはしっかり受け止めてくれた。この血まみれの体を。


「スザンナ……、どうして。」

「よかった……っ間に合った……!」

「怪我してるじゃないか。」

 身体を離して顔を上げる。

「平気だこんなもん。急いで、逃げるぞ!クシスも!」


 その瞬間に屋敷のどこかで何かが崩れた音が鳴り響いた。


「……っ!時間がない。はやく!」

 血まみれの手でフェレスの手を掴んだ。だけどそれはするりと掌から抜け落ちてしまった。血のせいじゃなく。

「フェレス……?」

 フェレスは無表情でこっちを見てた。何も言わない。

「……なに……――」

「スザンナ。」

「何してるんだ、急げ!」

 叫んだ。だけれどフェレスは一切表情を変えずにこう言った。


「俺は行けない。」


 脳がこの言葉を理解しなかった。

「……は?」

「父上が死んだ。母上も。」

 それは、悲しい告白だった。

「今は俺が、この家の主でこの町の主だ。」

「……フェレス、お前……。」

「彼らをおいていけない。」

 フェレスの後ろにいる30名ほどの兵達に目を向ける。彼らの目には覚悟めいたものが見えた。

「じゃあ皆で逃げればいいだろ!」

 フェレスは首を振る。

「戦う。」

「何言ってるんだよ!」

 声がかすれそうになる。

「町がこれだけやられた。ここはアルブだぞ。誇りをかけて戦う。最後まで。……スザンナ。」

 私の頬に手を添えてフェレスは言った。


「笑って。」


「……わら……えるわけないだろ!こんな……こんな冗談!」

 涙が出そうになって顔をゆがめたら、フェレスが私を抱きしめた。

「クシスを連れて、逃げてくれ。」

 耳元で、フェレスの声がする。

「無理だ……っ。」

 フェレスの身体を引きはがし、無理やりにでも連れて行こうとした。だけれど、それは敵わなかった。

「スザンナ。」

 強く抱きしめられる。窒息しそうだった。

「初めて会った時の、あの時のお礼。やっと完成したんだ。貰ってくれ。」

「……え?」


 フェレスは私を放した。彼の言っていることが分からず、ただただ呆然とした。


「ラピス・ラズリの道から逃げて。クシスが知ってる。大事な弟なんだ。頼むぞ。」

「……私だっ……て!フェレスが大事なんだよ!」

 祈るように叫んだ。


「俺もスザンナが大事だよ。」


 もう一度、何かが崩れる音がして、この部屋もグラグラ揺れた。


「行って。」


 彼の手が私の頬にもう一度触れる。


 ――ああ。そうか。


 そのフェレスの顔を見て、身体の奥に何かがコロリと落ちて行った。

 束の間、手がするりと離れてしまう。


「…………行くぞクシス。」

 私はぽつりとそう言った。

「え?スザン……――」

 そしてくるりとフェレスに背を向け、クシスの手を引いて私は来た道を足早に戻りだした。

「スザンナ!?……兄様!……兄様!兄様はっ……!」


 もうフェレスの方は見ない。


 クシスのフェレスを呼ぶ声だけを耳に。心音も、破壊の音も、私の耳にはもう届かなかった。最後にうっすらと微笑んだフェレスの顔だけを目の奥に焼き付け、私はもう何も見なかった。


 崩壊は、すぐ起こった。

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