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虚無主義という言葉がある。
厳密には違うが、ここでは人生を諦めた者を指そう。
無気力症候群の患者と言い換えても間違いではないかもしれない。
そんな彼らはこう主張する。
「生きている意味が分からない」
「何の為に勉学に励まなければいけないのか分からない」
「こんな人生無意味だ。結果論で語れば”死”が私たちの末路だ」
などなど……
一度は思ったことがあるのではないだろうか?
もし無いのであれば、おめでとう。
あなたはたぶん”しあわせもの”だ。
さて、引き続き”逃げ”について語っていこう。
受験の時、親しい肉親の無くなった時、あるいは試験に落ちた時。
何がきっかけにせよ、ヒトは絶望する。
そんな時に生まれ、次第に心に巣くうのがこの”逃げ”だ。
例えば、”逃げ”の原因の一つは、日本で言うなら徹底したランキング制度だろう。
小学校、中学校と義務教育の過程において、生徒が学ぶのは己の立ち位置。
常に比べられ、常に競わされ、常に成績に左右される人生。
嫌になってコースアウトも周りがさせてくれない。
もししようものなら、ENDの三文字が待っている。
そんな”見えさせてくれないストレス”の中、私たちは生きている。
それはもう”逃げ”たくもなるものだ。
あぁ、べつに今資本主義やら経済やらを否定するつもりはない。
社会主義や共産主義を歓迎するつもりもない。
本題に戻ろう。
そして、”逃げ”は一度住み着いてしまえば中々立ち去ってはくいれないものでもある。
もし子供が”逃げ”に囚われれば、それは不登校だったりNEETになるだろう。
大人で言えば、消滅。もとい鬱でヒキコモリといったところか。
”逃げ”から逃れるには、精神的成長が一番だろう。
その精神的成長とは何か。
それは一般には、思想であり宗教であったりするのだろう。
信じる者は救われるとはよく言ったものだ。
別に無神論者を否定するつもりはないし、逆に宗教の道へあなたを導くつもりもない。
余談だが、神を信じる者と信じないものの差を考えると、信じた者の方が死後___輪廻転生を考え、幸せに生きらるのではないかと言う人もいるようだ。
しかし、そうではない。
ここで言いたいのは、いるかどうかも分からない神様を信じることを薦めることではなく、自分でそれを脱却する考え方だ。
何故、”死にたい”と願うのか。
何故、”楽しくない”のか。
何故、”生きる意味が分からない”と諦めるのか。
答えは単純明快。
「考えろよ」
ただそれだけだ。
結局は頭を使って考えて、必死に解決策を探して、善悪を判断して生き抜いて、そうすれば明日が輝くんじゃないかとおもう。
現実逃避、ただの”逃げ”、思考放棄。
実は「考えた結果が今なんだ」なんて言ってる奴ほどこんな感じだ。
さぁ、頭をフル回転させろ。
絶望するな、上を見ろ。
一番の敵は諦めだ!
敵を倒せ!
【雑記】
ここまでお読みいただきありがとうございます!
ぶっちゃけこの回は本編にたぶん関係ありませんし、半分ネタで書きましたので続きもありません。
ただ一年ぐらい放置してたssなので、すこし浮上させてみようかなーなんて考えた結果です。