八話
………
どこを見ても真っ暗だ。おかしい。自分たちは寝たはずじゃなかったか。
右隣に寝ていたはずのナズナはいつの間にかいなくなっていた。さっきまで寝息が聞こえるほど近くにいたのに、いつのまにか忽然といなくなっている。ぞわ、と寒気がした。
「お姉ちゃん…?」
周りのどこを見ても暗闇で、歩いているのに進んでる感じがしない。ここはどこなんだ。生まれて初めて感じる孤独に、呼吸の仕方を忘れそうになる。
ガタガタと体が震えて、ひゅう、と息が口から抜けた。思わず膝をつく。頭の中はナズナのことでいっぱいだった。
いつだって二人で一つだった。なにをするにも隣にはたった数十分早く生まれた姉が、自分よりも大人びた顔で立っている。それを鬱陶しく感じたことは、いままでに一度だってない。
色違いのお揃いの服を着て、手をつないで歩いて、仲がいいのねと近所の人に言われる瞬間が一番の至福だった。
姉は自分にとっての脳であり心臓であったし、姉にとってもそうであればいいと、ずっと尽くして、14年間生きてきた。自分の命は姉のためにある。
ずっと、ここにきてから息が苦しい。ただ自分の事よりも、姉がどこにいるのかが気がかりだった。なんで真っ暗なの。どこにいるの。返事して、お姉ちゃん。お姉ちゃんがいないと僕、
ひゅっ、と何度目かわからない息の音を立てたとき、目の前に光がさした。
ばちりと目を開くと、横にはちゃんとナズナがいた。彼女の寝相はひどいもので、足が薫のお腹に乗っている。さっき苦しかったのはこのせいかと薫は深くため息をついた。
「夢で、良かった…」
ナズナがエレシーを慕うように、薫もまた、ナズナのことを病的に慕い、そして依存していた。
お姉ちゃんという存在は大きく薫の中にある。彼を動かすのはナズナの悲しむ顔は見たくないという、子供じみた理由ただひとつだけであった。
外はまだどこまでも続く黒色だけだ。布団をかけ直して、今度はいい夢を見たいと、薫は再びまぶたを閉じた。
窓の外が白みがかり始めた時、薫は再び目を覚ました。ナズナは隣でまだ寝ていた。呼吸と共に上下する華奢な肩を揺すると、ゆっくりと瞼を開ける。
「……おはよう。」
寝ぼけているようで、状況を理解しないままじっと薫を見つめている。
「お姉ちゃん、今日は街に行くんだよ。」
ナズナは昨日の夜、緊張と興奮がないまぜになって、しばらく寝付けないでいた。そのせいか寝不足気味で頭が回っていない。
「うん……分かってる、そうだった。」
眠い目をこすりながら少し的外れな答えを返事をした。フラフラとした足取りでリビングへの扉へ向かう。薫はその後を追って行った。
「あら、今起こしに行こうと思ってたのよ。」
エレシーは既に起きていて、そんな事を言った。
「(僕が早起きした時に、お母さんが同じことを言った事があったな。)」
それは父親が失踪する前の記憶だった。
そしてそんな感慨に浸りつつ、最後の朝ご飯をすませた。それで、ナズナはようやく目が覚めたようだった。
昨日準備しておいた為、身支度は簡単にすんだ。二人は荷物を背負っていつでも出れる体制になっていた。
(お姉ちゃん。もし、お父さんが帰ってきたらお母さんは元に戻るのかな?)
(……そうだといいね。きっと、そうだよ! 絶対に見つけよう。)
やがて木々の間から指す陽光が窓から入り込み、家の中を朱に染め上げる。床や壁も、机も、本棚も、瓶も、同じ色に染まった。
「行ってらっしゃい。」
エレシーは優しく笑う。彼女も朱い光に照らされながら。とても幻想的な光景だった。
「行ってきます。」
果たして二人は、父を探す旅へ出発したのだった。