一話
やけに蒸し暑い夜だった。
深夜の住宅街に皿の割れる音が鳴り響いた。続いて女の人の怒鳴り声。
「お前なんて生まれてこなければよかった! 余計な食い扶持増やしやがって! お前が汚い格好で出歩くから、私がまた近所の人に噂されるじゃない! 私が食わせてやってるからちゃんと生きているのに! 何があの家は虐待してるだ! こんなに苦労しているのに!」
頬がこけて髪の毛がボサボサになった女は畳み掛けるように言った。居間には皿や花瓶の破片が散乱している。その中に十代半ばの少女が座っている。その女の娘だった。彼女は何も言わずに女を見ている。特に恐怖や憎悪などといった感情を見せずに、怒らせちゃったなぁ、とかその程度にしか思っていない様子だった。その態度がまた勘に触ったらしい。
母親はそこにあったビール瓶を持ち上げ、少女は目を見開き、そして鈍い音がした。
その時、居間のドアが開いた。お酒やら煙草やらをビニール袋に詰め込んだ、先程の少女に良く似た少年が立っていた。少年は散らばった部屋の惨状と、頭から血を流して倒れている姉を見て全てを理解した。母親はまだ血走った目で、倒れた少女を見ている。
少年はしばらく茫然としてたが、その表情が怒りに変わる。すると、辺りの大気がその怒りを表すのかのように震えた。まず、壁にヒビが走った。次に壁にかけてある絵や、飾ってあるツボが割れ、机に置いてある一輪挿しも枯れてしまった。家具も倒れ始めた。ブレーカーが落ちて、家は闇に包まれた。その家にだけ地震でもきたのかのように、柱がミシミシ言い始めた。
母親は頭を抱えてしゃがみ込み、小さな声で「ごめんなさい、ごめんなさい。」と繰り返した。