オールドルーキー
その後もうしばらくの話し合いを経て会議は終わりを告げた。
縁故絡みの話の他にもずっと子供のころから同じチームでプレーしていた関西国際女子の柏葉姉妹を同じチームにまとめる意味合いでもちょっとした配慮があった。
柏葉姉妹を指名する場合は姉を先とし、それを指名する場合は直後の指名順で妹も指名することが明言こそなかったものの事実上約束された。
他にもドラフト候補についての意見交換が行われたが概ね予想通りの内容だった。
やはりいい選手というのは誰からみてもある程度の評価をされるわけで、あとはどのポジションを重視して指名していくかというドラフト戦略の差になるだろうか。
そんなことを考えながら後片付けをしているのだが、今ひとつ落ち着かない。
他の二人の監督が会議終了後に退室した一方で、赤石監督が部屋に残っているからだ、机の上に先ほどの資料を広げたままそれを眺めている。
しばらくして後片付けを終えた後、赤石監督同様に俺も椅子に座る。
「こうして部屋に残ったということは、何か私と話したいことがあるのですか?」
「そうですね、少し気になることがあって」
赤石監督は資料に目を落としたまま、そんな言葉を口にする。
視界に入ったそのページの内容は小森投手のものだった、彼女は社会人野球からの数少ないドラフト候補である。
「小森とは昔同じ高校で野球をやってまして、今どうしてるのか気になってしまって」
先ほど会議前に何かを探して資料を捲っていたのも小森さんが目的だったのだろう。
「そうですか……彼女を見に行った時に少し挨拶をしましたけど元気そうでしたよ」
「これまで手術が合計三回、よく野球を続けられるものだと思ってしまいますよ」
「それだけ野球が好きなんじゃないですか? 辛いリハビリや怪我に伴う能力の低下のリスクを踏まえても野球がどうしても好きだから辞められないんですよきっと」
中学で一度野球を辞めた俺が言うのも何だがその気持ちは分かる気がする。
今こうして手術をして少し野球をしただけでもどうしようもないぐらい楽しいのだ。
もし状況が許せば中学のあの時も手術してでも野球を続けただろう。
「それで、安島監督としては彼女を指名する予定があるんですか?」
単刀直入にそう尋ねられた、昔なじみの小森さんの進路が気になるのだろうか。
「そうですね、上位というわけではないですが指名することは決めてますよ。彼女の野球への情熱や経験、そして培われた技術はチームに欠かせないと思ってます」
その言葉を聞いて赤石監督の表情が少し緩んだ。
「そんな風に評価して頂けたら小森も幸せだと思いますよ」
「でもこちらが指名してしまってもいいんですか? 元同級生という縁があると聞いた時に赤石監督こそ指名を考えるかと私は思ったのですが」
「一時はエースナンバーを争った相手ですからね、あまり良好な関係を築けていたとは言えないですし小森も私の下でプレーはしたくないでしょう。だからこそ安島監督が指名してくれるとおっしゃってくれて安堵しているところなんですよ」
同じチームの仲間でもポジションを争う間柄となれば仲良くやるというのはなかなか難しいものだということは俺にも分かる。
その過程で関係が少し拗れてしまったのかもしれないなと勝手に想像していた。
それでも赤石監督の側は今でも小森さんを強く気にかけているのは分かるだけに、もし何かあったのならばその問題が解決してほしいとそう思わずにはいられなかった。
「そういうことであれば遠慮なく指名させていただきます、今度改めて彼女には声を掛けるつもりなんですか何か言伝がありましたら承りますよ」
「お気持ちだけ受け取っておきます、残念ながら今の私が小森に何かを口にできるような立場ではないですから」
そう言った赤石監督の表情はとても寂しそうで、二人の間に浅からぬ事情があることを感じさせた。
「分かりました、それでは帰りましょうか」
二人で荷物を手に部屋を後にしてビルの出口へと向かう。
「そういえば先ほどは妹の愛里の件で助けてくださってありがとうございました」
「別に大したことはしてないですよ。私だけ自由に一位指名というのが不公平なのは確かでしたし、安島監督が妹さんとプレーしたいと思うのも当然でしょうから」
「そうですね、やっぱり成宮投手と妹の愛里の二人は私にとって特別な存在ですから出来れば同じチームで勝利を目指したいという気持ちはとても強かったですから」
「いいですね、そういう特別な存在がいるっていうのは」
俺は思わず赤石監督の顔を凝視してしまった。
その声はあまりにも羨望の感情に満ち溢れていて、俺の心を揺り動かした。
「これから作ればいいじゃないですか、そんな関係をこのチーム作りで」
「……そうですね、そう出来ればいいですね」
駅に辿り着く、東戸大学の寮で暮らす俺と赤石監督はどうやら反対方向のようだ。
赤石監督に別れを告げてから俺は帰路についた。
それから数日後、俺は八王子まで出向いていた。
目的は八王子女子野球クラブに所属する小森投手への指名に備えた事前挨拶だ。
連絡をとったところ今日は練習が休みらしいので、近所の喫茶店で待ち合わせた。
俺がその喫茶店についた時には既に彼女は店内で待っていた。
「小森さん、お待たせして申し訳ありません」
そう声を掛けると小森さんがこちらに視線を向けてから柔和な笑みを浮かべる。
「いえ、私も今来たばかりですし……そもそもまだお約束の時間でもないですから」
対面の椅子に腰掛けてからアイスティーを一つ注文して改めて向き直る。
「いきなり本題に入る形になってしまいますが……この度、小森さんを指名することが決定しましたのでその挨拶に伺わせて頂きました」
そう声を掛けたものの意外にも小森さんはどこか薄暗い表情のままだった。
「どうして私なんですか? 若くもなく、手術を繰り返しており、決して能力としても頭抜けたものがあるわけでもない。そう考えると指名はあり得ないと思ってました」
「でも小森さんはプロ志望届を出してるじゃないですか、失礼な言葉かもしれませんがプロに入りたくないわけではないんですよね?」
万が一指名してから拒否でもされたら困る、念には念を入れて確認を取る。
「それはもちろんです、女子プロ野球が出来ると聞いた時からずっと私がその舞台に立てたらいいなとそんな風にずっと思ってましたけど……」
自分に自信が持てない、そんな様子が見て取れる。
「小森さんはすばらしい投手だと思ってますよ、決して恵まれていない環境の中で手術を繰り返しながらも諦めずに自分を磨いて野球に真摯に取り組み続けたという事実がまず素晴らしいことです。そしてその年月で高い技術を身につけました」
「高い技術……とは何のことを指すのですか?」
小森さんは恐らくその答えを分かっている、その上で俺に問いかけてきた。
「小森さんはフォーム、リリースポイント、リリースの仕方、そういった複数の要素に少しずつ変化を分散させ同じ球種でも多種多様のボールを投げてるじゃないですか」
初めてそれを見た時は驚いた、通常であれば投げるタイミング次第でそれらを変えるということをする投手は殆どいない。
基本的には一番安定した自分に合った投げ方でボール投げるのがベストなのだろう。
それを小森さんは小さい変化を積み重ねることで巧みにボールを操って打者のタイミングを外すというのを実現している。
器用というか、調整能力がずば抜けて高いというか、とにかく異質の能力だ。
そして投げる変化球の種類も多いことから、それらを合わせて考えると彼女の投げるボールは膨大なパターンを持っていることになる。
「私は力がないからそういう小手先の技術に頼るしかないんですよ、もっと若くていいボールを投げる投手の方が期待が持てるんじゃないですか?」
「どんなに力のある投手だろうといつかは衰えます、そして最後に行き着くのは技術でその衰えを補う道しかありません。技術で戦うことを卑下する必要はないですよ」
「小森さん、あなたが必要なんです。積み重ねてきた経験と技術、そして野球に対するその情熱で私と一緒に戦ってくれませんか?」
彼女を評価してることを伝えて、誠心誠意お願いすることしか俺には出来ない。
小森さんの顔を見つめつつ返事を待っていると、不意に彼女の目から涙が零れた。
「小森さん?」
「ごめんなさい……嬉しくて……私が今まで野球をやってきてここまで私を見てくれた人はいなかったから、そして私を強く必要としてくれた人はいなかったから……」
彼女がハンカチを取り出して涙を拭う、周囲の視線が集まるがそれも気にならない。
「……本当に野球を続けてきて良かったって、そう改めて思いました。私に安島監督のお手伝いをさせてください、よろしくお願いします」
そう言って頭を下げられる、小森さんが年上なのを考えると居心地が悪い。
「頭を上げてください、小森さんの豊富な経験を考慮すれば私から頭を下げてお願いしたいぐらいですよ。他の監督に比べて未熟者ですが最善を尽くします」
小森さんはきっとチームにとって大事な存在になるだろう。
そんな風に考えていただけに彼女が入団を決断してくれて胸をなでおろしていた。