エピローグ
大事な最終戦での勝利、それでも選手たちは喜びを爆発させられずにいた。
その原因はやはり小森さんの肘の状態を気にしているということだろう。
小森さんは最後までベンチに座り味方を鼓舞するように声を出し続けていたが、チームの勝利を見届けてからはそのままベンチ裏へと下がっていってしまった。
勝利の余韻に浸るのもそこそこに選手たちが俺を取り囲むようにして口々に小森さんの肘の状態について尋ねてくる。
「今はそっとしておいてやってくれ……それとこの件については俺に任せて欲しい」
俺がそう全員に告げると、その様子で全てを察したのかそれ以上の追求は無かった。
そうして崩れた囲いを抜け、小森さんの後を追ってベンチ裏へと向かう。
今ごろ小森さんは控え室だろうか、その控え室には危険球退場となった詩織がいるはずだから二人で話をしているのかもしれない。
そう思いながら廊下に出ると、小森さんの姿が視界に入った。
そしてそのすぐ側にデイジーズの赤石さんがいて、二人が向かい合っていた。
俺が割って入っていい場所ではない、なんとなくそんな風に思えてしまって俺は無意識のうちに曲がり角に身を隠していた。
「もう、ダメなの?」
先ほどの試合でピッチャーゴロを処理したときの利き手と反対である左手でのトス、真っ赤な目をした小森さんの様子から赤石さんが全てを理解しているようで、それでも最後に一縷の望みをかけているのかそんな風に小森さんに尋ねた。
「うん……ごめんなさい」
先ほどまでよりは少し落ち着きを取り戻した小森さんが呟くようにそう答えた。
「そう……」
赤石さんがそう言葉を溢してから視線を伏せた、一分ほどの空白の時間がすぎる。
その空白の時間を破ったのは赤石さんだった、しっかりと小森さんを見据えている。
「私は高校の時からずっと小森のピッチングが好きだったよ」
「お世辞なんて言わないでください、赤石さんと比べたら私のピッチングなんて……」
「そんなんじゃない、私より小森の方が輝いてた。楽しそうに野球をやっていて、大学に入ってもそれは変わることがなくて私はずっと小森を羨ましく思ってた」
その言葉を聞いた時の小森さんの様子は、とても信じられないといった様子だった。
「私は赤石さんをずっと尊敬してますよ、高校のときも大学の時もそして今だって本当の意味では私じゃ絶対に勝てない雲の上の人なんだってそう思っています」
「それこそ、私じゃ一生小森に勝てないと思ってたよ。体は全力で投げていても、常に心はどこか冷めていてそのアンバランスさがずっと私を蝕み続けてきた」
「そして大学三年の時にそれが破裂してからは二度と戻らないと思ってた、でも……」
そう言って初めて赤石さんが笑顔を見せた、儚げでとても綺麗な表情だった。
「今ほど野球に気持ちが動かされたのは初めての経験だよ、小森はずっとこんな気持ちで野球をすることが出来ていたのかな……」
「赤石さん……」
「次の試合で私の生涯で最高のプレーを約束するよ、それを小森に見てて欲しい」
そんな言葉を残してから、赤石さんはその場を立ち去っていった。
試合の合間のグラウンド整備は雨の影響もありいつもより少し長い時間行われた。
しかしその雨も二試合目が始まる前にはすっかり晴れ上がっていた。
本日の第二試合として行われるコスモス対デイジーズ、これが今年の女子プロ野球のレギュラーシーズン最後の試合となる。
もしこの試合にコスモスが勝てば再びサンフラワーズと並んで一試合勝負のプレーオフ、引き分けか負けの場合はサンフラワーズの優勝が決定する。
そんな大事な試合、サンフラワーズのナインは当然スタンドで観戦する。
そして俺の隣には小森さんが座っている、右肘の状態はもう早く病院にいったからどうにかなるといったものでもないし最後まで今日の結果を見届けたいのだろう。
先攻はデイジーズ、コスモスの二番手先発である浅野さんがマウンドに上る。
柏葉姉妹を要するデイジーズの上位打線は非常に質が高いのだが、今日の浅野さんは非常に良いボールを投げておりそれをねじ伏せた。
柏葉妹をストレート、柏葉姉をシンカーでそれぞれ三振にとってツーアウト。
その後打席に入った三番ピッチャーの赤石さんは外のスライダーでライトフライに打ちとって三者凡退で初回を終えた。
一方の赤石さんも好調、三振を一つ奪っての同じく三者凡退で初回を終える。
そこからは投手戦となったが、五回まで終わって浅野さんの好調ぶりが光っている。
今日は一段とボールがキレており全く手がつけられない、既に二桁奪三振を記録しておりここまで完全試合を継続している。
一方の赤石さんも好調、奪三振は八個と僅かに劣るが四球を二つ出した以外にランナーはなくこちらはノーヒットピッチングを見せている。
「今日の浅野さんは絶好調だな、これは厳しいかもしれない」
「そうですね……でも私は赤石さんが勝つような気がしています」
そう口にする小森さんの表情はそれを心の底から信じきっているようだった。
「それは、どうしてだ?」
「今日の赤石さんのボールはこれまでよりずっと良くなってるように見えますし、もしも全盛期の赤石さんに近い状態であるならば本当に凄いのは終盤なんです」
「投げれば投げるほど調子が上がってくるタイプか」
先発投手としてはさほど珍しくない、立ち上がりが不安定な投手が多いということもあるがそれを考慮した上でも終盤により力を発揮してくるタイプの投手も多い。
それにこれまでの結果を見ても試合を重ねれば重ねるほど赤石さんの成績は良化してきている、全盛期の状態に近づいてきていると言われても十分納得ができる。
「終盤に入った今の赤石さんは誰も手が付けられないと思いますよ」
七回表のデイジーズの攻撃、この回までに浅野さんは四球を一つ出して完全試合こそなくなったものの未だにノーヒットノーランを継続していた。
一方の赤石さんも四球が二つあるも被安打は一で無失点、お互いに好投している。
その浅野さんはこの回、先頭の二番の柏葉姉を三振にとってまずワンナウトとする。
続いて打席に入るのは三番の赤石さん、打者としても侮れない存在だ。
選手復帰後どんどん打率を上げていって規定未到達ながら打率は四割五分を越えており、本塁打もフル出場なら余裕を持って五指に入れるぐらいに打っている。
その初球、浅野さんが投じた真ん中低めのカーブに対してだった。
僅かに甘く入ったそれをフルスイングで捉えると、打球は強烈なライナーとなってバックスクリーンを直撃した。
先制のソロホームランで一対〇、デイジーズが一点をリードした。
いつの間にか小森さんは何も言葉を発しなくなっていた、その僅かな時間すら惜しむかの様に試合を、あるいは赤石さんをただ見つめ続けていた。
そして七回裏、終盤に入った赤石さんがどんどんペースを上げていく。
得意の高速スライダーに対して誰一人バットに掠めることすら出来ない。
面白いように三振の山を積み重ねた、来るのがわかっていても打てないボールだ。
八回を終わった時点で六回の三つ目のアウトから数えて七者連続となる三振、それも全員が空振りの三振となっていた。
もう誰も赤石さんを打つことは出来ないだろう、そんな確信を持った感情を球場全体が包み込んでいた九回表の二死無走者。
打席には三番の赤石さん、フルカウントまで追い込まれてからのシンカーだった。
先ほどの打席とは違って全く甘さはなかった、膝下に沈んでいく完璧なボール。
それを赤石さんは掬いあげた、美しい放物線を描いたその打球をなんとか捕球しようとレフトが少し追いかけたがすぐに諦めた。
レフトスタンドに飛び込む二打席連続のソロホームラン、これで二対〇となった。
これが文句のつけようもない止めの一撃だった、九回裏のマウンドで赤石さんのボールの勢いは衰えるどころかますますその勢いを増していく。
打者三人を全て高速スライダーで空振りの三振にとって十者連続三振を記録すると同時に二十七個目のアウトを奪いこの試合を締めくくった。
被安打一で二つの与四球、そして奪三振は二十個を記録する完封勝利。
最後のアウトを取った後、赤石さんはしばらくそこから動かず天を仰いでいた。
そしてこの瞬間、サンフラワーズの今シーズンの優勝が決まった。
第二試合の結果により優勝が決まり、ファンの前でのスピーチがある。
その前に俺はメンバー全員を集めて伝えないといけないことがあった。
「まずはじめに優勝おめでとう、みんなの素晴らしい活躍によってこうして頂点に立つことが出来たこと、このチームで指揮を取れたことを非常に誇らしく思っている」
「他の三人の監督に比べて俺はまだまだ未熟であったと思う、それでもこういう結果を残すことが出来たのは選手であるみんなの力によるものだと確信している」
俺は緊張しているのだろう、それでも震える唇を抑えながら言葉を紡ぎ続ける。
「みんなには話していなかったけど、俺にはずっと前から決めていたことがある。このチームを優勝させることが出来たらもう一度自分の野球をしようと思っていた」
その言葉で俺のこの話の趣旨を理解したのか、小さなざわめきが起こる。
「右肩のリハビリも完全に終わりその影響は最小限に抑えられるようになった、それでも高校の時に全国大会で優勝を逃したことがずっと心残りで忘れられずにいたんだ」
「だからここで優勝してそれを断ち切りたかった、前に進むために必要な事だった」
思ったよりも反応は薄かった、監督いう立場でありながら大学進学後もずっとトレーニングを続けていたのは誰もが知るところであったからかもしれない。
恐らく俺が未だに選手としての現役にこだわっているのは周知の事実なのだろう。
「そして後任についてもずっと考えてきた、もしも俺がこのチームを去るならその後釜として任せられるのは小森しかいない。小森なら俺より上手くやってくれるはずだ」
そう指名された小森さんに多くの視線が集まる、小森さんは顔を伏せている。
「そんな、指導者としての経験もロクにない私なんかじゃ監督の大役は……」
確かに異例ではあるのだろう、俺も未熟ではあったものの高校時代に監督の真似事のようなことを三年間やった経験というのが下地としてあった。
全てが白紙からのスタートというのに不安を覚えるのも無理はないように思える。
だが、それでも俺の中で小森さん以外の選択肢なんて存在していなかった。
「受けてくれるまで何度だって頼むよ、俺の目には小森しか映っていない」
「それに小森が一人で全てを背負い込まないといけないわけじゃない、俺も選手みんなに支えられてなんとかやってきたんだ。少しずつでいい、一歩ずつ進んでいこう」
「……分かりました、出来る限りの全力を尽くしていきます」
そう小森さんが了承してくれたことに対して自然と拍手が沸き起こった。
「そろそろ最後の挨拶に行こうか、ファンの皆さんに感謝の気持ちを伝えよう」
グラウンドで行われるその最後の挨拶で退任を報告して俺は退団することになる。
その一歩を踏み出す、優勝の喜びと同時にこの球団を去る寂しさや未来への希望などが入り混じった複雑な想いを抱えていた。
その後行われた会議で正式に俺の退任と小森さんがその後任となることが決まった。
小森さんの右肘の状態はやはり相当に酷く、これまで何度もお世話になってきた女医さんからも選手生命は絶たれた状態だと診断されたそうだ。
そのため今季を持って任意引退として来季は監督に専念することになったが、それでもまだ小森さんは現役を続けることを諦めてはいなかった。
以前のようなレベルで現役に戻れる可能性は限りなくゼロに近いという話であったが、それでもリハビリを続けて選手としての復帰を目指していくそうだ。
そして俺は地元である関西にある独立リーグの入団テストを受けて合格、そちらでプレーするために東京を離れて大阪の実家に戻ることを決めた。
所属していた東戸大学は休学の手続きを取った、最大四年まで休学が認められることになっておりその四年間で結果が出なければ復学して卒業を目指すつもりだった。
現在俺は二十歳の大学二年生、ブランクが長かったというハンデを鑑みても二十四歳までに芽が出なければ現役は諦めるべきだろうと自分でそう決めた。
正式にチームに所属するのは中学二年以来、高校や大学で数試合練習試合に参加させてもらったりはしたものの実勢経験の薄さなどは否めない。
これが厳しい挑戦になるのは間違いないだろう。
それでも俺は諦めることなんて出来ない、最後の一秒まで全力で燃え尽きたかった。
シーズン最終戦の小森さんの命を削ったピッチングが脳裏に思い起こされる、あの時の小森さんのようになろうとそう強く決心を固めた。




