シーズン最終戦 VS エレガント・チェリーブロッサムズ③
キャッチャーの愛里が自分の目の前で詩織のボールを頭部に受け、そのまま倒れこんだ東堂さんの様子を心配そうに窺っている。
しかしそれも僅かの間だった、五秒もしないうちに東堂さんは自力で起き上がる。
審判が東堂さんの無事を確認した後、詩織に危険球による退場を告げた。
一般的にも運用されている頭部への危険球は投手が退場となるルール、これが適用されたのは今年から始まった女子プロ野球では初めてだった。
東堂さんに向けて帽子を取り、深々と頭を下げてから詩織がマウンドを去った。
二死満塁から東堂さんへの死球で押し出し、四対四と再び試合は同点になる。
「丸岡さん、私の相手をお願いします」
小森さんが準備のために控え捕手の丸岡に声を掛けてベンチを出ていこうとする。
「待て、小森! お前を使うわけには……」
引き止めないといけない、ここで引き止めないと本当に小森さんは壊れてしまう。
「今の西里さんはこの場面を任せるにはまだ力不足です、監督だってこれまでのシーズンでそのことは良くわかっているはずです」
それを言われると反論することができない、小森さん以外でベンチに残っている控え投手は西里のみだが彼女にこの重要な場面を任せることはとても出来ない。
シーズン通算防御率が五点台後半というのもあるが、それ以上に大事な場面になるとメンタル面から大きく崩れて投球内容が平時より更に悪化するのだ。
終盤、同点に追いつかれてなおも二死満塁というこの場面が西里が崩れてしまうその「大事な場面」に当たるのは間違いない。
「行かせてください監督、いえ、止められても行きます、もう行くしかないんです」
そう言って今度こそベンチから外に出た小森さんを引き止めることは出来なかった。
その通りだ、この場面を任せられるのはもう小森しかいないのだ。
この場面で西里を起用するというのはこの試合を捨てるのと同じと言ってもいい。
ここまで来て投げ出せるはずがない、前を向いて全力で走るしかない。
例えそのためにどんな犠牲を出そうとも、この足を止めることはもう出来ない。
覚悟を決めて主審に小森さんの名前を告げる、その瞬間投手交代が確定された。
「ごめん、なさい……私のせいで、小森さんが……」
詩織は今の危険球で完全に平常心を失ってしまった様子だ。
カーブのすっぽ抜けということで東堂さんへの影響はまず心配しなくてもいいだろうが、代わりの投手として小森さんが肘の故障を押して登板しないといけなくなってしまったのが相当にショックなのだろう。
「起きてしまったことは仕方ない、あんまり自分を責めるな」
軽く背中に手をやって詩織を送り出す、退場処分を受けた選手がベンチ内に残ることは許されないため控え室に移動することになる。
それを見届けてからグラウンドに視線を戻すと、ネクストバッターズサークルで長森さんが代打として準備をしているところだった。
もう試合は七回、そして同点で二死満塁という場面。
代打の切り札を起用するのにこれ以上の場面はもうないだろう、当然の判断だ。
小森さんは長森さんに対する今シーズンの成績を見ると、九打席対戦して打たれた安打は二本で対戦打率は二割二分二厘という数字が残っている。
長森さんの今シーズンの打率が五割を超えていることを考えればこれだけを見るなら相当に優秀な数字であると評価していいだろう、しかしこの話には続きがある。
この二安打というのが共に本塁打なのだ、元々小森さんの弱点として被本塁打が多くそれによる失点が大半を占める傾向があるとはいえこれは極端な内容だ。
小森さんが殆ど投球練習をしないまま試合再開、それだけ状態が悪いのだろうか。
投球練習をしている間に肘が致命的な状態になってしまう事もあり得るとそう考えているからこそプレイを急いでいる、そんな風に見えた。
雨足は少しずつ弱まってきていたが、それでもまだ小雨が降り続いている。
小森さんが入念に足場を整えてから、ゆっくりとセットポジションに移行する。
長森さんは積極的な打撃が最大の持ち味である、早いカウントが一番怖い。
初球はインコース、右打者の長森さんの体に近いボールゾーンから曲がり込んでくる際どいコースへのカーブだった。
そのカーブを長森さんが叩いた、痛烈なゴロが三塁線に飛ぶ。
サードを守る樋浦がグラブを伸ばすがその先を抜ける、しかしその打球はラインの少し外を転がっていくファールとなった。
通常よりリリースを遅く、そして球速を落としたカーブだった分ファールとなった。
二球目は外のストレート、これはボール二つ程外れていてボールとなる。
そして三球目、一球目と同じように内角にカーブを投げる。
先ほどとの違いは更にリリースポイントと球速でタイミングをずらしたところだ、先ほどのカーブが頭に残っているのとそれより更に早いストレートを見せている。
そのことでタイミングを狂わせに行ったが、長森さんがそれに対応するためにタメを作ってからスイングする。
いいライナーだったが、飛んだ位置が悪かった。
レフトの常見が定位置から数歩動いてからそのライナーを掴む、これでスリーアウトチェンジだ。
タメを作ってのバッティングは有効な手段ではあるが、やはり予想していたタイミングでの打撃に比べるとどうしても打球の質が落ちることは避けられない。
今回はその分アウトを取ることが出来たと言えるだろう、もしも長森さんの待っていたタイミングだったら失点に繋がっていた可能性が非常に高い。
以前の対戦で打たれた本塁打もそのタイミングの間合いがうまく取れなかったケースでのものだったから、この結果は必然だったのかもしれない。
この回のピンチは苦しみながら凌いだものの、それからも苦難の連続だった。
時折コントロールが定まらなくなり滅多に出さない四球を出したり、そういった形でランナーを背負いながらのピッチング。
それでも小森さんは何とか失点だけは避けながら投げ続けた。
こちらの攻撃もランナーが出ることはあったものの、得点に繋げられない。
今日の小森さんはいつもと雰囲気が違った、一球一球命を削りながら投げているというのが気迫で伝わってきそうなぐらいだった。
選手の中で小森さんの肘の状態を知っているのは詩織だけだが、他の選手達もその様子を見てただならぬものを感じ取ったかもしれない。
いつもより小森さん声を掛ける選手が多かったが、それに対して小森さんは様々なものを押し殺しながら明るい笑顔を返した。
試合は九回では決着が付かず、延長線に突入した。
十回表のブロッサムズの攻撃は二死一・二塁のチャンスでバッターは七番に入っているピッチャーの真由、平均的な野手と比べても遜色のない打撃力を持っている。
フルカウントまで縺れてからの最後の一球、小森さんの四十五球目だった。
インコースのシュート、右打者の真由が完全に詰まらされたピッチャーゴロ。
小森はその正面に転がってきたその平凡なゴロをグラブに収め、グラブを左手から外してボールを取り出してから左手でファーストにトスした。
これでスリーアウトチェンジ、それと同時に今の通常では考えられない左手でのトスを見た他の選手が小森さんの元へ集まる。
小森さんは作り笑いを浮かべながら左手を上げてそれを制してからベンチに戻った。
状態を確認するために小森さんに声をかけようとしたが、視線でそれを制される。
そのまま無言でベンチ裏に下がる小森さんを心配した他の選手が後を追おうとするが、それを俺が制して一人で小森さんの元へと移動する。
小森さんは廊下で一人壁に縋り付いていた、俺からは後ろ姿しか見えない。
「小森、すまなかった……」
何が起こったのか、もう聞く必要すらない。
こうなることは分かっていたはずなのに、覚悟を決めていたはずなのに。
それでも平常心を保つことは出来そうになかった。
「おかしいですよね、こうなることを分かってて、それでもこれでいいと決心して投げたのに。それなのに、どうしてこんな……」
俺は何もいうことが出来ない、この悲劇に加担した俺が何を言っても滑稽なだけだ。
「今までありがとうございました。こうなったことは本当に後悔していません、最後の一球までこのチームのために投げることが出来て良かった」
小森さんの涙声を聞きながら、俺は自分を目元を拭ってから言葉を紡ぐ。
「この試合に勝って、そして優勝してみせる」
小森さんの犠牲に報いる方法は、それしか残されていない。
廊下に小森さんを一人残して俺はベンチへと戻った、試合はまだ終わっていない。
ベンチに戻ると、異変を察知した選手たちが俺の様子を窺っている。
この事態について概ね想像はついているが、その最悪な想像が外れて欲しいと願っているといった状態だろう。
「小森が右肘を故障した、次の回からはもう投げられない。肘の状態が悪いことは前から分かっていたからこの試合は登板させないつもりだったが、避けられなかった」
誰も声を発しない、静かに俺の言葉に聞き入っている。
「この回で決めよう、それが俺達の出来る小森への最大の恩返しだ」
それに対する選手たちの声を聞いてから、十回裏のサンフラワーズの攻撃に入る。
この回の攻撃は九番の四ノ沢から、なんとか塁に出て欲しい。
相手先発の真由の球数は百二十球を超えており、球威は落ちてきている。
その状況から四ノ沢がファールで粘ってフルカウントに持ち込む。
しかし九球目、最後はチェンジアップにバットが空を切ってワンナウトとなる。
それでも続く一番の愛里がレフト前に流し打ちでヒットを放つ。
ここで真由がさすがに限界と見たブロッサムズは継投策に出る、昨日先発した牧原さんをリリーフとして起用してきた。
しかし流れは止まらない、クイックの下手な牧原さんからあっさり愛里が盗塁を決めると二番の常見が強烈な当たりを二遊間に飛ばした。
セカンドの大石が飛びついてグラブに当てるが捕球には至らない、それにより勢いが殺された中途半端な打球が外野の前に転がっていく。
それを見て盗塁で二塁に進んでいた愛里が三塁を蹴ってホームに突入する。
ボールがバックホームされたのは既に愛里が本塁に滑り込んだ後だった。
五対四でサヨナラ勝利、暫定ながらサンフラワーズがコスモスを一歩リードした。




