ゲーム差ゼロ
先の試合前まで二十勝を上げ無敗とまさに無敵のエースだった渡瀬さん。
その渡瀬さんを攻略出来る可能性を生み出す唯一の糸口である小さなキズ、それはスタミナ不足という数少ない欠点が生まれるものだった。
相手打者の力量やその時の状況から判断してその時の必要に応じて力の入れ具合を細かく調整する能力、これが渡瀬さんの特徴だった。
これについてはビデオを繰り返しチェックすれば明らかだ、主軸を担う打者を相手にした時や得点圏にランナーを置いた時と下位の相手をする時ではまるで別人だった。
以前からの繰り返しになるがこれは全面的にマイナスというわけではない、この能力が渡瀬さんのピッチングを支えていたことは間違いないと俺は考えている。
事実としてこのペース配分はここまでほぼ完璧に機能していた。
球数が百二十球ほどに達する場合でもほぼ全ての試合で九回を投げきった上に、一試合で二失点以上を記録した試合は一つもなかった。
九回を投げ切れなかったのは僅か一試合、その一試合も点差が付いたため控え投手に後を任せるという理由からの降板であり渡瀬さんの失態によるものではなかった。
ペース配分という意味では何も渡瀬さんに限ったことではないだろう、全ての先発投手は大なり小なり同じようなことをしているはずだ。
全ての打者に対してどんなシチュエーションだろうが同じ力で投げ続けるという投手がいるとして、それが正しい投球スタイルなのかと問われるとそうだとは思えない。
常時全力投球を続けて九回まで投げきれる投手というのはそうはいないだろうし、どうしてもどこで力を入れてどこで抜くかという問題は付きまとってくる。
特に渡瀬さんの場合はその問題が顕著だ、リリーフを務めるピッチャーは二人いるがそのどちらもが十分な成績を残しているとは言い難い。
リリーフ一番手は川見という右腕でコントロールはいいのだが球威が今一つで痛打を浴びる場面が目立ち、一度得点圏にランナーを背負うとそのまま崩れることが多い。
二番手は角山という左腕だがこちらはもっと酷い、スピードこそ速球派というレベルだがコントロールが荒く四球が非常に多い上にランナーを出すと大きく乱れる。
防御率は川見が四点台前半で角山は五点台後半といずれも信用は得られていない。
そしてこれまでの試合でも渡瀬さんが同点でマウンドを降りた試合はこの二人が打ち込まれるという結果によりいずれもチームは敗れてる形で終わっていた。
それだけに勝てば優勝が決定する一戦、渡瀬さんはなんとしてでも最後まで自分一人の力で投げ抜きたかったはずだ。
そしてそれが九回までならどうにでもなったはずだ、これまでの試合でも九回までは一人で投げられて当然といってもいいぐらいのピッチングを常にしている。
問題は延長に突入した場合、そういう展開になってくると渡瀬さんは十回に限界が来ることが多くこれまでの最長でも延長十一回まで投げた後マウンドを降りている。
それはこれまでのシーズンと同じピッチングでは最大延長の十二回を一人で投げることが出来ないということを意味している。
延長が必要な展開となった場合はさらなる省エネピッチングが必要になるという考えに至るのは極めて自然な発想だろう。
これらの事情を考えると複数の条件が揃えば渡瀬さんを攻略し得ると言える。
一つはこちらの投手が無失点で試合を進行させて延長を渡瀬さんに意識させること。
そしてもう一つは渡瀬さんの想定を上回る打力を見せる打者を用意することだ。
渡瀬さんに延長を意識させることが出来ればその影響は大きいのは当然だ。
リードを貰った状態で九回まで抑えきれば確実に勝てるのと、点が入らず最大延長である十二回まで投げないといけない可能性があるというのは全く別物だからだ。
延長を見据えた場合のほうがよりスタミナを節約しながら長いイニングを投げられるように工夫しないといけない、これによりチャンスが生まれる可能性が高くなる。
しかしそれは攻略を後押し要素にすぎない、本当に重要なのは二つ目の要素だ。
渡瀬さんは長年の経験と積み重ねてきた打者データ、そして試合の状況等から総合的に判断してどの程度の力で投げるかを決めている。
その判断力は素晴らしく正確なもので、それを裏切る結果を生み出すのは難しい。
だからこそ今までの試合で渡瀬さんは無敗のまま二十勝を挙げることが出来たのだ。
シーズン序盤で未知数な打者が多い時期ならまだなんとかなったかもしれないが今はもう終盤、使える選手のデータは全て露呈している。
だからといって渡瀬さんがペースを落とすような下位を打つ選手ではいい結果を生み出すことが全く期待することが出来ないのは明らかだった。
そうなれば取れる手段は一つだ、渡瀬さんの判断を狂わせて打力のある打者に大してペースを落としたピッチングをしてもらうしかない。
その役割を担う打者として四番の樋浦を選んだのには二重の意味があった。
単純に渡瀬さんから一発を放ちうる打力を持っているということと、これまでのシーズンでずっと四番を打ってきた主軸であったということだ。
一発長打が狙える選手だというのは必須条件だった、この方法はうまく言っても一度きりである以上一太刀で全てを決めるだけの長打力がどうしても必要なのだ。
そして作戦の実行者にしても怪しまれないだけの実績と能力があることも重要だ。
その作戦というのは一つの演技だった、試合中に何らかの形で負傷を匂わせる。
その点理想的なシーンが回ってきてくれたものだ、本塁クロスプレーでの交錯により左手首を負傷するというのは現実的にも考えうるシーンだったのだから。
そういったシーンに出会えなかった場合は守備中に地面に変な形で手をついてしまった等といった内容での負傷退場を演出するつもりだったが予想よりいい形だった。
あとはその負傷を確かなものだと意識付ける作業を積み重ねていった。
負傷したその試合はすぐに途中交代でベンチに下げ、次の日の試合はスタメン落ち。
数少ないチャンスに代打で出てくるが全く精彩を欠いたスイングで三振に倒れる。
そして翌週の試合は七番に打順を下げてのスタメン出場。
しかし左手首には相変わらずテーピングを巻いたまま、そして実際に打席にたっても相変わらず酷い内容の三振を繰り返すばかりだった。
それでもずっと四番打者として結果を残してきた樋浦だからこそ、負傷を押してでもスタメンに起用しているのではないかと相手は考えただろう。
四番は無理でも下位を打つ選手の打力を考えたら手負いの樋浦の方が期待が持てるからこその強引な起用であり、その期待に答えられていないように見えただろう。
それを演出するために血を流した、樋浦を重要なチャンスで代打に送った上で負傷を匂わせる三振に倒れる場面を見せたりその後もアウトを献上し続けた。
それが原因で敗れ、決戦を前に優勝争いから脱落してしまう恐れもあった。
それでもこの方法しかないのだと信じて突っ切った、そのぐらいのリスクを背負うことすら出来ずに渡瀬さんを攻略することは不可能だとそう考えていたからだ。
そして、小森さんの熱投と樋浦の執念の一振りがついに渡瀬さんを打ち砕いた。
小森さんが無失点に抑え続ける中迎えた八回のサンフラワーズの攻撃。
渡瀬さんは二死からこの試合初ヒットを六番の常見に打たれてランナーを出した。
この試合初めてのセットポジション、スタミナが少しずつ失われてきている終盤、そして打席には負傷のあと全く別人のような稚拙な三振を繰り返す樋浦。
渡瀬さんの正確なペース配分を乱れさせるだけの条件が整っていた。
初めてランナーを出したとはいえまだ一塁、長打を浴びない限り安全なままだ。
そんな思いが必要以上に渡瀬さんを緩ませてしまったのだろうか。
カウントを取りに来た初球の甘いカーブを、樋浦が本来のスイングで打ち抜いた。
この勝利でサンフラワーズは首位を走っていたコスモスに追いつき、ゲーム差ゼロで完全に横に並んだ。
お互いに最後に残すのは一試合、この試合の結果で優劣が付けばその結果で、優劣が付かなかった場合は一試合限定のプレーオフを追加で行い優勝チームを決定する。
最終戦、俺達が勝てばコスモスが同じように勝利してもプレーオフとなり、再び直接対決を行い自分たちの力で優勝を引き寄せるチャンスが生まれることになる。
残されたシーズン最終戦、今の俺達に出来るのはとにかく勝つことだけだった。




