編成会議
会議室には既に俺以外の三人の監督が揃っていた。
まだ編成会議の開始予定時間までは十五分ほどの余裕がある。
「この度選手の調査を担当させていただきました安島です。まだ会議の開始までは時間がありますが今のうちにその資料の一部を配布させていただきたいと思います」
「編成会議が始まりましたらまた改めて映像も添えてこの資料について詳しく説明させていただきますが、事前にご確認したい場合はどうぞ御覧ください」
そう告げてから俺は鞄に入れていた紙媒体の資料をそれぞれの監督へと配る。
元天帝高校の内山監督や元関西国際女子の古谷監督とは面識があるが、残る一人である赤石監督とは面識がない。
これらの監督は全員女性であるが、男子野球の監督に比べると全員若い。
考えてみればそれも当然である。今まで女子プロ野球がこれまでないことを考えると選手としての引退も比較的早くなる。
そうなれば指導者として動き始める年齢も自然と低くなるということだろう。
その中でも赤石監督は特に若い、見た感じではまだ二十代ではないだろうか。
それだけに監督としての経験も浅いことになるが、その若さで全国ベスト四という実績を残しているのは文句なしで立派な結果だ。
編成会議の前に一通り資料には目を通しておきたいのだろう、その三人全員が俺の渡した資料を捲り始める。
内山監督と古谷監督は一ページ目からある程度読んでいたが、赤石監督は違った。
いきなり素早くめくって読み飛ばしていき、しばらくしてあるページに目を止めた。
その動きは特定の選手が目的だとしか思えないものだった。
選手の並び順としてはまずポジション別、そして同じポジション内では大学一年目の成績の良い順で並べている。
ポジション別という意味では投手が一番最初に来ている、そしてその中でも一般的にいい投手というのは最初の方のページに載っていることになる。
例外としては東戸大学一年の時に試合に参加しなかった選手、つまりは俺より一つ下の世代の選手や大学・社会人の投手については能力に関係なく順番は後ろになる。
そうなると他大学をちょうど卒業して今ドラフトの目玉になるのが間違いない元天帝高校のエースである渡瀬さんが目的だったのだろうかとも思える。
しかしそうだとしたらあまり良いことではない、なぜなら新球団のうち一つのオーナーが渡瀬さんの父親であるからだ。
そしてその球団の監督は古谷監督が務めることが決まっている、そのような事情を考えれば他の球団が渡瀬さんを指名することが好ましいとは言えない。
宍戸オーナーの先ほどの反応を見ても分かるように、やはり自分が関わっている球団に娘を入団させたいというのは誰もが考えることであるはずだ。
赤石監督の球団のオーナーはある会社の女社長だ、自身が女子野球経験者でもある。
それだけに女子野球に入れ込んでおり、今回オーナーになることを決めたのだろう。
そのオーナーにとって今回のドラフト候補に特に縁深い選手はいないようだから、恐らく赤石監督がドラフト一位を縛られることはないはずだ。
それが良い事とは限らない、逆に言えばその縛りに従うのであれば他の球団が手にしている一位候補に手出しは出来ないということになる。
しかし今回のドラフトに限って言えば本当の目玉は他にいると俺は考えていた。
時計に目をやるとそろそろ編成会議の開始時間だった、席を立ち全員の前に立つ。
「時間になりましたので会議を始めさせていただきます、まず私の方からここにまとめた資料について確認も兼ねて説明していきます」
俺の手元には他の監督方に配ったのと同じ資料、そして会議室に置かれたディスプレイにはその時説明している選手の映像を流す。
まずは投手、東戸大学一年時の防御率が一番よかった黒崎さんからという順番。
それが終わると東戸大学に所属していなかった投手、具体的には世代が一つ下である関西国際女子の伊良波さんや江戸川女子大を卒業した渡瀬さんの名前が挙がる。
それらの説明の際に補足を忘れない。宍戸さんが俺の球団のオーナーの娘さんであるとか、同様に渡瀬さんに関しても父親がオーナーを務めているという事実を伝える。
これはあくまで事実を伝えただけだ、それを考慮しろという強要ではない。
それでも願わくば荒波を立てずに上手く進行できればといった一種のお伺いである。
そして投手リストの最後の一人に辿り着く。
「小森弥生さん、社会人野球のクラブチームである八王子女子野球クラブに所属する二十八歳の投手です。高い制球力を武器として防御率は一点台後半を記録しています」
「不安要素としては既に肩を一度、肘を二度手術していることが挙げられます」
そう説明してから小森さんが試合で投げている時の映像を流す。
スピードは平均以下、コントロールはいいが特別変化球のキレが良いわけではない。
奪三振は殆どなく打たせて取るタイプのピッチングというのが印象に近いだろうか。
この短い映像を見ただけで彼女の本当の持ち味に気がつく監督はいるだろうか。
そんなことを考えながら捕手の説明へと移る。
捕手に関しては佳矢と愛里が圧倒的に頭抜けた実力を持っている。
他には関西国際女子の和泉さんや港南女子の会田さんなどの候補はいるものの、どちらも前述の二人に比べればどうしても格が落ちるというのが客観的な評価だろう。
続いて内野手、打者としては東堂さんが文句なしでトップだが彼女は父親がオーナーを務める球団が一位指名することがほぼ確実だろう。
あとは鉄壁の二遊間である柏葉姉妹が大きな目玉だろうか。
最後に外野手、彩音がアベレージヒッターとしては一番で総合的な打撃力の高さで言えば神代さんが優秀な選手と言えるだろう。
他にも日下部さんや桜庭さんなど外野にはいい選手が多く揃っている。
「以上で説明を終わります」
そう言ってから自分の椅子へと戻る、緊張していたのか疲労感が襲ってきた。
「お疲れ様でした、安島監督が作って下さったこの資料にはとても助けられそうです」
「全くですね、これがなかったらドラフト戦略を練るのは大変だったでしょう」
内山監督や古谷監督がそんな風に俺の資料を賞賛してくれる。
「ありがとうございます、手が空いてた私に出来ることはこのぐらいしかありませんし少しでもお役に立てたのであれば幸いです」
「少しよろしいですか?」
そう声を上げたのは赤石監督だった。
「はい、何か資料に不都合な点でもありましたか?」
「いえ、そうではなく……他のお二人は安島監督のことをある程度知っているようですが私は全く知りません、興味があるので安島監督について聞かせて頂けませんか?」
意外な申し出だった、女子野球に男の関係者珍しいからということだろうか。
「もちろん私は構いませんが、この場でそんな話をしても良いものかどうか……」
「安島監督に興味があるという意味では私もそうですよ、こうして監督になるまでの経緯を全く知らないとはいいませんが殆どは知らないも同然ですから」
「そうですね、安島監督とは私が監督を務めた全日本のチーム編成の際にお話させてもらいましたが詳しい経緯までは私も知りませんし」
内山監督と古谷監督もそれに同調する、ここまで言われたら断ることも出来ない。
「みなさんがそうおっしゃるのであれば、手短にお話させていただきます」
小学生のころ詩織と出会った時のこと、中学で肩を壊して野球部を辞めたこと、そして高校に入ってマネージャーとして女子野球に関わり始めたこと。
それらの話に他の監督方は静かに聞き入ってくれていた。
「苗字が同じだからもしかしてとは思っていたのですが、やはりドラフト候補の安島愛里捕手とご兄妹でしたか。幼いころにバッテリーを組んだ成宮投手と妹さんである安島愛里捕手の二人が安島監督にとっては特別な存在だということですね」
赤石監督がどこか確認を取るかのような口調で俺にそう問いかけてくる。
「そうですね、その二人に特別な思いが無いと言えば嘘になるかと思います」
「有意義なお話を聞かせて頂きました、ありがとうございます。そこでもう一つ提案なのですが……今回のドラフトについて話し合いを持ってみませんか? 意見交換することで全員にとってより良いドラフトにすることが出来るのではないでしょうか」
「そうおっしゃられるからには、赤石監督に何かお話したいことがあるのですか?」
内山監督がそう指摘する、確かに会話の流れからはそういう意図を感じる。
「その通りです、今回のドラフトの目玉は江守捕手ではないかと私は考えています」
「それは間違いないでしょう」
「あれだけの打力を持ちつつ他の能力にも優れる捕手なんていうのはそうはいません」
赤石監督の言葉に他の二人も同調する。
その点は俺も全く同意見だった。佳矢は三年生となった今年も大活躍、東堂さんの卒業をうけて数多くの四球や敬遠を受けながら大会タイ記録の本塁打を記録している。
そしてチームを全国制覇に導き昨年に失った王座を奪還することに成功した。
東堂さんが超一流のスラッガーであるのは周知の事実であるが、今の佳矢にはその東堂さんに肉薄する、あるいは肩を並べているといってもいいぐらいの実力がある。
更にポジションが貴重な捕手であり、しかも強肩で捕手としての能力にも優れる。
ドラフト戦略は人それぞれ様々な形が考えられるとはいえ、これだけの打力を持つ捕手となると多くの人間が一位候補に選んでもおかしくない。
野球では投手も重要であるが、その投手に関しては良い候補が何人もいることを考えると一位で指名しなくても二位以下で十分いい投手の獲得が見込める。
一方で捕手のドラフト候補で優秀なのは実質佳矢と愛里の二人だけ、そしてその二人を比較すると佳矢の方が部分的にはともかく総合力では優れるという結論になる。
それだけ貴重な存在であることを考えると一位で取りに行きたいのは山々だ。
だが、赤石監督以外の三人にはそれが出来ないというのが実情だ。
「しかし、どうやら他の監督方には様々な事情がおありのようです。しかし一方で私にはそういったものがない、これは不公平だとそう私は考えています」
「そういった諸々の事情を考慮しまして、私はドラフト一位で江守捕手は指名しないことをここにお約束します」
この言葉がどういう意味を持つのか脳内で情報を整理する、他の三球団の監督は縁故関係でドラフト一位指名の選手が事実上既に決定されている。
そして唯一それがなく自由に指名できるはずの立場である赤石監督がドラフト一位で佳矢を指名しないということを宣言した。
そうなると自然と佳矢が指名されるのは二位以下ということになるが……。
「安島監督としてはドラフト戦略としてはどういったものをお考えですか? 例えばの話ですがドラフト二位指名で誰を指名するのか、なんて話を聞いてみたいですね」
「……そうですね、もしそれをお聞かせいただければこちらも対策が立てやすい」
「よろしければ安島監督のプランを聞いてみたいですね」
三者三様に俺に直接話を振ってくる、さすがにここまでされれば俺でもこの行為に込められた意図に気がついた。
「私の二位指名では安島愛里捕手を指名しますよ、これが一番無難そうですから」
「そうですか、それを聞いてこちらも戦略が立てやすくなりました」
「貴重な情報を公開していただいてありがたいですね」
わざとらしく周囲が俺に対して相槌を打つ、全く大した演技力だなと苦笑いする。
どうやら赤石監督という人は相当なお人好しのようだ。
この茶番の意図は明らか、俺に愛里を単独指名させようとしてくれているのだ。
まず先ほどの話で詩織と愛里が俺にとって特別な選手だということを確認をとった。
詩織に関してはあまり問題がない、他にも素晴らしい投手はいるしあえて詩織を指名せずとも他の投手を指名するという選択肢を取れば自然に回避が出来る。
しかし愛里の場合はそうも行かない、今年のドラフトで一流捕手は二人しかおらずその内の一人という非常に貴重な存在だからだ。
もしも赤石監督が一位で佳矢を指名すれば、二位で愛里は間違いなく競合する。
仮にクジを外しても優秀な選手がいくらでも残っている状況であることも踏まえれば佳矢を確保した赤石監督の球団以外の三球団全てが愛里を指名してもおかしくない。
このドラフトの取り決めでは指名順に関係なく重複した場合は全て抽選で決定することになっているから、もしも三球団が重複すれば引ける確率は三分の一となる。
いくら俺と愛里に兄妹という縁があろうとさすがに残り一人の貴重な捕手を得る機会を見逃すわけにはいかないだろう、それは敗退行為のようなものだ。
だからこそ赤石監督は一位指名で佳矢を回避して二位以下に持ち込んでくれたのだ。
その上で俺に愛里を指名するという宣言をさせるように仕向ければ完璧となる。
この状況から予想される結果は俺が単独で愛里を指名、残り三球団が佳矢で競合だ。
もしもその内一つの球団が愛里に指名を切り替えれば二球団ずつの競合となる。
その場合は自分が愛里を引ける確率が半々になるのに他の球団は格上の佳矢を同じ半々の確率で引ける状況を作り出すことになる、敵に塩としか言えない状況だろう。
それでも三分の一で佳矢から二分の一で愛里となるため単純な確率自体は上がっているのだが、佳矢と愛里の実力差を考えればその程度の確率差なら佳矢に行くべき。
通常であればそう考えるであろうという状況に加えて、俺が愛里と血縁関係にあるという事実がそれを後押しすればもうこれは回避するのが妥当となるのが当然だ。
決して血縁関係に遠慮して指名しなかったわけではない、ドラフト戦略で妥当な選択をしただけだ、そう言うことが出来る口実を作りだしてくれたのだ。
そうなれば俺が愛里を二位で単独指名出来るのはほぼ確実だろう。
確かに赤石監督のみ一位指名を縛られず佳矢を単独指名出来るとしたらそれはあまりにも大きな差であると言えると思う、その点では自制が望ましいと言えるはずだ。
しかしこちらの心情を考慮してわざわざそれを投げ出すとまでは思っていなかった。
直接リーグの運営に深く関わっているオーナーの意向である程度ドラフトに配慮が行われるのは妥当なことだと思うが、俺に対してまでそれをする義理は通常無い。
そういう勘定抜きで監督方がこう対応してくれた事実をとても嬉しく感じていた。