稚拙な攻略法
試合が終わり、マウンドを下りてベンチに戻ってくるナインを出迎える。
小森さんはどこか複雑そうな表情を見せているが、大きな一勝には変わりない。
本日の試合でコスモスはブロッサムズに敗れまた差が少し詰まった。
ロッカールームに引き上げる途中、赤石監督がそれを待っていた。
小森さんが他の選手から離れて赤石監督に近づき、俺もそれに付き添う。
「復帰初登板とは思えない内容のピッチングでしたね、七回二失点なら先発として十分仕事を果たしたと言っても問題ないでしょう」
「ありがとうございます、自分としては満足出来る内容ではなかったですけどね」
赤石監督は最初に監督同士という立場で俺とそう言葉を交わしてから、小森さんの方に視線をずらして向き合う。
「こうして小森に負けたのは初めてだね、大学のときより少しスピードは落ちたみたいだけどその分磨いた技術であの時よりずっと安定したいい投球を見せていたと思う」
「赤石さんが普通の状態なら負けてました、今の状態で七回二失点なら一失点で完投ぐらいは出来たでしょうし。何より赤石さんに打たれたあの満塁からの二点タイムリーツーベースは確実に満塁ホームランになってましたよ」
小森さんの事は恐らく正しいだろう、ブランク持ちでありながら放ったあのタイムリーツーベースはフェンスの最上部を直撃する当たりだった。
あと五十センチ距離が出ていればホームランになっていたと断言出来るぐらいの際どいものだったから、ブランクの影響がなければと考えるのもよく分かる。
「そうだね、あれはホームランにしないといけないボールだった。そういう打ち損じもあったし、投手としてもまだまだ物足りない内容だったし私の完敗だね」
赤石さんがそう負けを認める発言をしたのだが、小森さんは首を振って否定した。
「赤石さんはまだ投げていないのと同じようなものですよ、こんなブランクで苦しんだ赤石さんなんて別人なんですからこんな試合で完敗なんて言ってほしくないです」
「うん……これから少しづつ調子を上げて次の対戦ではもっと、とまでは言えないけど来年にはもっとしっかり調整して良いものを見せると思う」
今年は事前の準備という意味でも不足し過ぎている、ここから登板を重ねて感覚を少しずつ戻すことは出来ても劇的な変化は望めないかもしれない。
そういうことを考えると赤石監督の言う通り来年からが一番期待が持てそうだ。
「来年……ですか」
小森さんが呟くように口にしながら視線を泳がせる。
その光景に違和感を覚えたものの、それも一瞬のことですぐに小森さんが向き直る。
「そうですね、来年が本番になると考えてそれを楽しみにします」
それからも二人はこれまでの空白を埋めるかのように話し続けた、傍にいる俺のことなど頭から消し飛んでしまったのか目もくれない。
この二人の積み重ねてきたものは俺のような若造に分かるはずもない、今の俺に出来るのは二人を残して静かにその場を立ち去ることだけだった。
夕食を終えたあと、俺は今や日課となったことに今日も取り掛かる。
その日課とはコスモスでエースとして投げ続ける渡瀬さんの攻略法を探すことだ。
もうこれを始めてから随分と経つが、渡瀬さんに大きな弱点など全くなかった。
それどころか小さな弱点と言えるものすら二つしか見つからなかった。
そのうちの一つはスタミナが他の能力に比べて高くないということだ。
スタミナが低いといっても九回を投げきることは出来るだろうが、十回十一回ぐらいになってくるとスタミナ切れでマウンドを下りざるを得ない場面が目立つ。
これまで渡瀬さんは無敗を保っているが、登板試合で白星が付かなかったのは延長に入って自分がマウンドを下りた後に後続が打たれて試合に負けるパターンだ。
これも渡瀬さんの登板する試合で勝ちを拾うための方法として考えれば有力と言えるのだろうが、これを作戦と呼ぶには余りにも頼りないだろう。
味方投手が失点した時点で相当に厳しくなるし、最初からここを全ての目標にして戦っていくというのはあまりいい方法には思えない。
そうなるともう一つの欠点というのが頼りになってくるのだろうか。
これは一つ目の欠点であるスタミナが不足気味であるということから生まれたものであろうと思われる、複数の試合で同じ傾向が見られるのでその欠点が存在するというのは間違いないと断言してもいいはずだ。
ただ、これを試合を左右するようなものに繋げることが出来るだろうか。
欠点と言えば欠点になるだろうが、完全にマイナス要素でしかないわけではない。
渡瀬さんのスタミナ問題を考えればゲームマネジメントの上で必要な能力とも言えるし、欠点だと断じてしまうのは少し乱暴にも思える。
しかしいずれにしても、何か仕掛ける余地があるとすればもうここぐらいしか考えられないというのもまた確かな状況だった。
これだけ散々時間をかけて隅々まで研究した結果こうなっているということは、今から新規に他の何か欠点めいたものを見つけられるかもしれないと考えるのはあまりにも楽観的すぎると言わざるを得ないだろう。
それよりは今ある材料で何か乗り切る方法を考えるほうが遥かに現実的に思える。
渡瀬さんもこの弱点のようなものに関しては最大限に気を配っているだろう、データの少ない初期の試合なら何とかなったかもしれないが今となっては厳しい。
もうシーズンも終盤、何度もそれぞれの打者と対戦してきた渡瀬さんがその弱点を失点に繋げるような判断ミスを犯すかもしれないというのは全く期待できないだろう。
それならばこちらがそれを誘発する何かを仕掛けるしか方法はない。
その方法はどうするのか、何度も何度も考えてイメージを重ねた。
そして三十分ほどが過ぎたころ、一つのイメージが生まれた。
この方向性で物事が上手く運べばもしかしたら渡瀬さんを攻略出来るかもしれない。
成功率が高いとは言えないし、失敗すれば通常のやり方で試合をするよりもずっと悲惨な結果に終わってしまう可能性だってある方法だ。
それでも他に方法は思いつかない、これに賭けるしかないと俺はそう思った。
そしてこの作戦を任せられる打者は一人しかいない。
俺は自分の部屋を出て、樋浦の部屋に向かった。
「樋浦、話がある」
試合や練習の時以外に樋浦とこうして話をすることは滅多にない。
それだけに俺が部屋を訪ねてきたのだと理解したときの樋浦は驚いた様子だった。
「どうしました、監督?」
「コスモスの渡瀬を攻略するための作戦を、樋浦に任せたいと思う」
感情的になっていた俺は思わずそう切り出したが、樋浦はきょとんとしている。
そんな樋浦の表情を見て少し冷静になった、一つ深呼吸をして自分を諌める。
「悪かった、急にこんなこと言われても困るよな」
「はい、よく分からないですけど……とりあえずお話を聞かせてください」
部屋の中に通され、樋浦に先ほど思いついた作戦についてその全容を話す。
「その話を聞く限り、難しそうな作戦に思えますね」
「樋浦はこの作戦に反対か?」
そう尋ねると樋浦は少し困った様子を見せる。
「他にいい方法も思いつきませんし、難しくてもこれしかないと思います。でも、これを実行するとしても私じゃなくて他に誰か適任者が……」
「他に適任者なんていないよ、この作戦は、いやこの作戦じゃなくたって渡瀬を攻略出来るとしたら樋浦しかいないって俺はそう思ってるから」
正確に言えばメインが樋浦でそれをフォローする形で二番を打つ常見が入る。
しかし常見には何度かチャンスがあるのに対して、樋浦に与えられたチャンスが一度だけであることを考えるとその難易度は全くもって段違いである。
そんな一番難しい場面を任せられるのは樋浦しかいない。
「でも、私には自信がないです……」
そう言って俯く樋浦、彼女は今年十分に結果を残していると言えるのにそれでもまだ彼女の自信を回復させるには至っていないのか。
「打てなくてもいいよ、自分のスイングをしてくれればそれでいい。樋浦で挑戦してダメだったとしても俺は何一つ後悔なんてしないから」
「だからベストを尽くして欲しいんだ、それだけ約束してくれたら後はもう……」
高校時代の最後の大会、全国大会の決勝戦。
四番を打つ樋浦の最後の打席は送りバントという結果に終わっている。
あの結末を創りだしてしまったことを、俺は今でもずっと後悔している。
「分かりました、私に出来る最高のバッティングをしてみせます」
樋浦もあのことを思い出しているのだろうか、それは分からない。
それでも樋浦が力強くそう約束してくれただけで俺は満足していた。
絶対に高校時代のような終わり方だけは繰り返したくなかった。




