ドラフト一位候補
ドラフトまで約二ヶ月、そのタイミングで一つの編成会議が開かれることになった。
新監督のうち内山監督と古谷監督は直前まで高校野球の監督を続けていたためドラフト候補について調査する余裕が無かったことになる。
一方で俺は一年掛けてじっくりと調査していたわけで、その情報格差を埋めるために俺が調査した映像を含めた情報を全員で共有することを決めた。
そうはいっても全ての情報を共有する必要はないそうだ、俺の選手に対する個人的な評価などについては伏せて良いことになっている。
具体的に言うと伝えるのは客観的な成績やプレーを収めた映像、そこから先の評価はあくまでも各個人が行うという流れになるはずだ。
こうしても長い時間を掛けて選手を直接調査してきた俺と他の監督方では多少の差は生まれてしまうだろうが、それはある程度仕方がないと割り切るしかないだろう。
リーグの新設が決まってから用意された事務局のビルへと歩を進める。
その他の監督方との待ち合わせの時間まではあと一時間ある。
なぜこんな早い時間にここに来たのかというと、別口の待ち合わせがあったからだ。
今は他に誰も使っていない会議室があり、どうやらそこで話すことになりそうだ。
「宍戸オーナー、お待たせしました」
俺が待ち合わせしていたのは天帝高校のエースであった宍戸真紘さんの父親である宍戸大輔さん、俺が監督をする球団のオーナーという大切な存在だ。
「安島監督、忙しい中ご足労願って申し訳ないです。とりあえずお座りください」
監督と呼ばれるのはまだ慣れておらず、どこかくすぐったい感覚がしてしまう。
そんな風に感じてしまうのもどこか自分の中にまだ緩みがある証拠なのだろうか。
「いえ、どちらにせよ今日は編成会議ですからお気になさらす」
椅子に座ってから軽く手持ちの荷物を邪魔にならない位置へと移す。
大切な資料が入った鞄だ、ドラフト対象者が多いためそこそこの量となっている。
「右肩の調子はどうですか?」
どうやら手術した俺の右肩の調子を気遣ってくれているらしい。
些細なことではあるがその心配りが嬉しくないはずがない。
「お気遣いありがとうございます。リハビリは順調に進んでいます、今は九割……いや全力でも投げられると思います。今はその必要がないので無理はしませんけれども」
手術をしてから既に一年以上が経過している、大きな手術であったことと長年のブランクという条件が重なり長いリハビリを必要とはしていたがそれでも十分な期間だ。
今年の夏から秋口にかけては宍戸オーナーの口利きのおかげで、大学野球の練習試合にも何度か参加させて貰うことが出来た。
夏には右肩は八割から九割程まで回復していたが、それでも無理をしてはいけない。
そういう配慮からポジションは指名打者や負担の少ない一塁手としてもらえた。
そして結果としては七試合に出場し打率三割五分を超える数字を残すこと出来た。
本塁打も三本記録したことも併せて考えると良い結果と言ってもいいだろう。
思ったほど錆びついていなかった打撃に自分でも手応えを感じていた。
「話に聞いたのですが、参加した練習試合でかなりいい結果を出したらしいですね」
「ええ、非常にいい経験になりましたし自信もつきました。それもこれも宍戸オーナーのお力添えがあってこそです、本当になんと感謝していいものか」
手術を受ける支援だけでなくこうして練習試合に出られるよう手回しもして貰えた。
宍戸オーナーの力がなければこんなことは絶対に不可能だっただろう。
「私は大したことをしたわけじゃないですよ、結果を出すことが出来たのは安島くん自身の実力の高さから来るものですよ」
これは監督の業務とはあくまでも別件、そういう意味で呼称を切り替えたのだろう。
「そう言っていただけると私としても嬉しいです」
こうして会話をしながら俺はどことなく違和感を覚えていた。
宍戸オーナーは比較的単刀直入に用件を切り出すことが多い印象であった。
しかし今日はどことなくそれを言い出しにくい、そんな風に見えてしまう。
もちろん俺個人の状態を気にかけてもらっているのはとても嬉しいことだが、それが今日こうして待ち合わせた用件であるはずがない。
こんな風に考えながらも俺はその用件の内容にある程度当たりをつけていた。
「安島監督、ドラフトでの指名方針はある程度定まってきていますか?」
ようやく本題に近づいてきた、そんな印象を覚えた。
「ええ、まだ二ヶ月ありますが全ての選手のチェックは一通り終えました。それと同時に他球団との兼ね合いも含めてある程度の優先順位というのは決めていますよ」
「そうですか……素早い素晴らしい仕事だと思います」
そう賞賛の言葉を口にしながら、宍戸オーナーがどこか落ち着かない様子を見せる。
それを俺が予想した今日の用件というのは間違っていないだろうとそう思った。
「オーナー、私に対して何を遠慮しているんですか?」
「遠慮というわけではないですが……真摯にチーム作りに取り組んでいる安島監督に対してこんなことを言っていいのかどうか……」
俺がある程度ドラフト戦略を組み立てた後だと聞いて尚更切り出しにくくしてしまったかもしれない、オーナーの望みはそれに逆行するものだろうから。
「真紘さんをドラフト一位で指名して欲しい、そういうことですよね?」
確認の意味も込めてそう尋ねると、オーナーは俺から視線を逸らした。
しばらくしてから覚悟を決めたように俺にしっかりと視線を合わせてから口を開く。
「さすが安島監督ですね、ご明察です。大学一年時の真紘の成績を見ればドラフト一位に値しないことはわかっていますがそれでもやはり……」
「何もおかしなことではないですよ、真紘さんに野球を続けさせてあげたいという思いがこのリーグ発足にも大きく影響を及ぼしているのですから当然のことです」
自分の作った球団に娘を入団させたい、その立場なら誰だってそう思うはずだ。
東堂さんの父親がオーナーの新球団はドラフト一位で東堂さんを指名するだろう。 彼女は野手の中で素晴らしい成績を残しており、文句なしでドラフト一位に値する。
しかし一方で真紘さんの成績があまり振るわなかったというのも事実である。
その縁故を抜きで考えた場合、彼女を一位で指名するのは一般的に考えにくかった。
逆に言えば二位以下でも十分に指名できる余地があるということになるが、万が一という可能性は常に付きまとうし、なによりそれでは面子が立たないだろう。
「私は安島監督にチーム作りを任せたいと思っていますが、どうしてもその部分で割り切ることが出来なくて……こうして編成会議の前に話がしたいと思ったのです」
「割り切る必要なんてありませんよ、一位は真紘さんで行きましょう」
俺があっさりとそう口にすると、その反応があまりに想定外だったのかオーナーに驚きの表情が浮かぶ。
「安島監督はそれでいいのですか?」
「ここはオーナーのお力で作った球団ですから当然の権利です、というのは建前で私は真紘さんは良い投手だと確信しています。一年不調だった程度では見切りません」
「これが本当に能力のない選手を一位に、という話であれば私も多少の反対意見を出したかもしれませんがそれが真紘さんなら全く問題はありません」
「……ありがとうございます、安島監督。後の編成は全面的にお任せしますのでこの一事に関してだけはどうかよろしくお願いします」
そう言ってオーナーが俺の両手をしっかりと握ってくる。
「お任せください、共に全力を尽くして優勝を目指しましょう」
そろそろ編成会議の時間も迫ってきている、俺はオーナーに挨拶をして退室した。
その足で編成会議が行われることになっている別の大きな部屋へと移動する。
今日のメインイベントはこちらだ、他の監督方に迷惑をかけないようにしっかりと説明しないといけないな。
その会議室に入る前に軽く自分の頬を叩いて気合を入れてから、そのドアを開いた。