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第14話 戦雲の帝国①

 小雨が止むと町はうっすらとした霧に包まれはじめた。


 そんな霧に包まれる廃墟、ベルキエの街中を一人の老人が甲冑の音を立てながらゆっくりと歩いている。貯えられた髭は白く染まり、外見だけならば風采の上がらない老人であるのだが、彼が身につけるそれは、常人ではまともに動く事も困難であろうと思われるほどの重装備。


 それでも、老人は表情一つ変えずに歩みを続けている。



「閣下」



 その老人の元へパシャリと流れる泥水を跳ね上げながら駆け寄る妙齢の女性。


 背まで伸びた艶やかな黒髪が雨を吸って重そうに張り付き、雨露のついた眼鏡を煩わしげに拭っている。


 閣下と呼ばれた老人は彼女の上官にあたるのか、急ぎ足で老人の元へと向かっていく。しかし、老人は彼女の言には答えず、表情を変えずに歩みを進め、時折、周囲の瓦礫を足で寄せたり崩したりしている。




「閣下? いかが……っ!?」



 そんな老人の行動に訝しげな視線を向けた女性であったが、歩みを続けている老人の頭がほんの僅かに左右に揺れている事に気付く。


 長年副官を務めている身であり、その癖が出るときは何をしているのか、彼女は即座に理解した。




「まったく。平時は本当に呆けているわ」



 ぶつぶつとそう呟いた女性は、腰に差した鉄製の筒を手に老人の元に近づく。


 そうとは知らずに、再び瓦礫の元で立ち止まった老人に対し、女性は筒の細くなっている部分を耳に突っこむと、やや開き加減になった筒に口を近づける。




「閣下っ!! ご報告に上がりましたっ!!」


「うおっ!?」




 突然の女性の声に目を見開いた老人は、慌てて声の方向へと顔を向ける。



「おう、アンジェラか。それにしても、心臓が止まるかと思ったぞ」


「浪曲を考えながら徘徊されているからです」


「徘徊とは何じゃ。人をぼけ老人のように……」


「それよりも、報告に上がりました。スヴォロフ閣下」


「うむ」




 はじめは冷や汗を拭う仕草を副官であるアンジェラに向けていたスヴォロフであったが、その後の戯けたやり取りからすぐに軍人の顔になる。




「やはり、どこもホルムガルドと似た状況です。動く事の出来ぬ病人や重傷の兵隊はおりましたが、住民の姿はなく、食糧も兵士が携行しているか最低限の備蓄が残されているだけでありました」




 そういうと、アンジェラは雨に濡らさぬよう懐にしまっていた書類をとりだし、スヴォロフへと手渡す。


 書類は占領した各都市、地域の状況が事細かに羅列されている。


 どの都市も先の砲撃によって壊滅状態ではあるが、倒した敵兵がそこまで多いわけでもなく、住民などを捕虜に出来たわけでもない。


 何より、食糧や武具などがほとんど備蓄されておらず、それらを鹵獲による補給が適わなくなっている。


 現状、こちら側の兵站に大きな問題はないとはいえ、確保できるモノは確保しておきたかったと言うのが本心でもある。




「ふむう。つまり、こちらは戦略上、なんら意味のない場所に広域破壊兵器を撃ち込んだわけか」


「意味がないとは……。強制退去を強いられた住民が不満に思わぬはずはございませんし」


「それよりも、目先の飯よ。まさか、きれいさっぱりなくなっておるとは思わなんだ」


「補給線は構築されておりますが……」


「うむ。ここは、敵の本領。何が起こるか分からぬ」


「パルティノン騎兵は、我々の想像を絶する高速を誇ると聞きます。飛兵も同様に精鋭揃いとか。数で優位に立つと言えども」


「そのあたりは、その数の優位性を頼みにするしかないの。本陣から抽出して、守備に回せ」


「っ!? しかし、それでは……」


「多すぎる兵が足枷になる事もある。それより、前線の状況は?」


「はっ。バグライオフ将軍率いる5万がレモンスクに前面に展開し、閣下の号令を待っております。その間、パルティノン側への追撃を行いましたが、手痛い反撃を受けてそれ以上の動きはございません」


「よかろう。それで、レモンスクより南の大地の状況はどうなっている?」


「変わらぬままです。草原が雨に染まり、泥濘となっております。湿地もホルムガルド周辺ほどではございませんが、あちらこちらに点在している様子です」


「ふうむ……」




 頷きながら、スヴォロフは再び足元の瓦礫をコツコツと軽く蹴る。


 現状は連戦連勝であったが、北部の制圧は冬期に合わせての奇襲と獣人部隊や特殊車両を生かす事に成功した勝利。加えて、パルティノンにとってはしょせん辺境であり、切り捨てる事も可能な地域であったとも考えられる。


 同じような弱兵が多ければ、先のクトゥーズ等による奇襲は成功しているはずであるし、今回の攻撃でも効果的な戦果が見込めたはずである。


 しかし、結果的に精鋭と有能な将帥を失い、今回も制圧した範囲に対して敵の損害は乏しく、要塞のよる攻勢も時間が必要となっている。


 それに、小雨が続く日々によって、大地は泥濘となり、行軍には大きな支障をきたす現状。大軍を生かした長期戦を、パルティノンが許すかどうかは未知数でもあった。



「閣下」


「今少し待て。それほど時間はかけぬよ」




 アンジェラの問いに、スヴォロフはそう答えると、彼女に背を向け、再び廃墟となった街を歩く。


 考えをまとめるにしても、腰を下ろすとどこか落ち着かなくなる。


 若いときから、考えるときは身体を動かす事が習慣となっているのだった。



 そんなスヴォロフが持つ戦歴は無敗。



 ツァーベルの登極以前からリヴィエトを勝利に導いていた第一の名将であるのだが、その彼をしても、眼前の大国との対峙を前に僅かな逡巡を余儀なくされていたのだった。



 そんな彼らの姿をはるか上空より静かに見つめる影の存在に、彼らは気付いていなかった。



◇◆◇


 

 薄曇りの空に飛竜の影が浮かび上がりはじめる。


 それが次第に大きくなり、やがて人を包み込むが如き巨大な体躯を誇る竜がハギア・ソフィア宮殿へと舞い降りていく。


 飛竜の他にも、伝令を示す外套を揺らしながら足早に駆け込んでくる騎兵や徒の伝令兵の姿も散見している。


 敵の攻撃による被害は広範囲にわたり、斥候部隊からもたらされる情報もそれに合わせて膨大な量になっていくのだ。


 文武の官僚や幕僚達が宮殿内部を駆け回り、帝都郊外では編成を終了した部隊が前線へと向かっていく。


 第一、第二次防衛線から後退した部隊は、追撃をかけて来たリヴィエト軍に反撃を浴びせているが、交戦自体はその程度の散発的なモノで、敵もまた広大な占領地域に困惑している様子だった。


 本来であれば、いるはずの住民もなく、兵站になるモノはすべて消えている。


 かといって、闇雲の攻めかかってくれば補給が途絶えかねない現状。大軍であっても、そのまま押しきるというのは非常に困難であった。



「志願者のうち、職人や穀倉地帯の人間は故郷に戻せ。彼らもまた、後方での力となる。鍬を持って作物を育て、前線の兵士の原を満たせ。鎚を持って武器を作り、前線の兵士に武具をもたらせ。こう告げるのだ」



 フェスティアもまた、身重の身体を他者に悟らせることなく、精力的に活動を続けていた。


 いずれ自らが前線に立つその時に備え、後方の体制は盤石にしておけねばならない。


 優秀な官僚は育ちつつあるが、宰相という地位への適任者は今のところ居らず、非常時の代行者が不在というのは大きすぎる痛手ではあったが、このあたりは、かつての反乱によって自らの生命を脅かされ、身内をはじめとする多くの人間を失ったが故であろう。


 軍の最高指揮官も、現状は不在であり、フェスティアは巨大帝国の皇帝、宰相、元帥の三職を一人でこなしている状態である。


 専制国家であれば、皇帝に権力が集中するモノではあるが、それを実際に一人でこなしきるというのは、人間の成せる技ではない。


 しかし、至尊の冠を抱く人間以外が最高の権力を手にするという事実への恐怖もまた、彼女の心のうちには存在していたのかも知れなかった。




「陛下、少しお休みになられましては?」


「軍事の方はゼークト閣下やリリスがやってくれますし、決済以外は官僚でもどうにかなりますよ」




 報告書類に目を通し、一息ついたフェスティアに対し、ともに目を向けていたリリスがそう口を開くと、先ほどの飛竜によって偵察から戻ったルーディルもそれに頷く。


 教団の分裂以降、彼はリリスとともに帝国に帰順している。アイアース等のカミサでの戦死を教団に報告したのも彼であったが、その時点ですでに教団からの離反を決意しており、カミサでの生き残りのキーリアの脱出にも力を貸している。


 とはいえ、アイアース等の正体に関しては彼は知らなかったため、フェスティアに四皇子の生存を知らせてはいなかった。




「昨日三時間も休んだ。今は必要無い」


「しかし」


「リリス、分かってくれ。それと、ルーディル。貴様、勝手に交戦はしておらんだろうな?」


「していませんよ?」


「ならばいい。といっても貴様は無断出撃の常習とも聞く。今回に関しては、戦が再開すれば、勝利の時まで止まる気はない故、それまで英気を養っていろ」


「分かりました。あと、間違っても前線から外したりしないでくださいね?」


「ああ。マンフレート龍翼長に伝えておく。ヤツの命令はちゃんと聞け」


「ははっ!!」




 そういうと、ルーディルは意気揚々とその場を後にする。


 その悠然とした後ろ姿を見ると、それまで張り詰めた空気を纏っていたフェスティアもなんとなく肩の力が抜けたような気分であった。




「あいつはいいが。まだ、自身の立ち位置を証明していないヤツ等はどうなっている?」


「イースレイとグネヴィアは、巫女の命以外では動かないと思います。現状、恭順の意を示していない者たちも同様かと」


「……フォティーナになんとしても前線へ送り出すように伝えておけ。巫女のお守りなど、あの女官どもだけで十分だとな」


「分かりました。念のため、術士の数も増やしておきます」


「うむ」



 ルーディルはすでに帰順を近い、リリスは元からフェスティアとともにある。そして、彼らより下位№は大半がカミサで戦死し、№3ゼノンは狂信派とともにリヴィエトに寝返っている。


 残るは№1のイースレイと№2のグネヴィアであったが、元々が裏切り者であるグネヴィアが帰順するとはフェスティアも思ってはいなかった。


 しかし、№1であるイースレイの動きは彼女自身も読めていない。



(巫女につくと言うのも分かるがな……)



 そんな事を考えつつも、目先の書類に目を落とすフェスティア。戦いを前にやるべき事は多いが、その中でも教団の処理は目下最大の課題と言える。


 巫女を処断するというのは簡単であるが、8年間の間に目に見えぬ信者を増やしている存在である。巫女の処断によって、殉教者、救世主という存在にしてしまえば、後になってよけいなしこりを残す危険がある。


 現状、僅かな側近とともに幽閉し、キーリアや信徒兵を動かす糧にしておく事が精々であった。




(弟たちのためにも私が処理せねばならぬ問題であったのだが……。これもすべては私の無能さ故か)



 そんな事を考えたフェスティアは、ふっと顔を上げる。ほんの僅かに異質な気配を感じ、腰の革ベルトへと手を伸ばす。



「ふっ」



 気配の源を感じると、周囲の兵士や文官達が目を剥く中、立ち上がったフェスティアは手にしたナイフを放る。


 すると、誰もいない空間にてナイフが停止し、その周囲から柔らかな光が浮かび上がりはじめる。


 主君の突然の行動に困惑しかかっていた者達は、今度は眼前の光景に息を飲む事になった。




「あの時も、こうであったなイースレイ」


「ええ。その節は失礼いたしました」




 人の形となった光が薄れていくと、そこには腰まで伸びた黒髪が特徴の青年が、かつての帝国近衛軍キーリアの象徴たる白を基調とした衣服に身を包んで、その場に立ち、彼の背後には臙脂色の外套に身を包んだ人間が立っていた。




「それで、何をしに来た? ようやく、私に仕える気になったか?」


「……戯れ言を。ですが、今回だけは陛下のお力になる所存です」


「ほう?」


「……来たようですぞ」




 不敵な笑みを浮かべるフェスティアに対し、イースレイも苦笑しながらもそう答えると、執務室の扉へと視線を向ける。


 すると、それを待って居たかのように扉が開かれる。





「失礼いたします。陛下っ――イースレイ。それに、アルテア様も……」


「あ、馬鹿」


「なんだと?」



 やや慌てながら扉を開いたリリスは、眼前に立つ二人の姿に目を見開く。


 そんな彼女が思わず口にした名に答えたのは、臙脂の外套に身を包んだ者であった。




「どういうことだ? リリス」


「……それよりも。陛下、彼の者達が到着いたしました」


「――そうか。広間へ通せ」



 フェスティアの鋭い視線に、リリスは思わず視線を逸らすものの、自身が伝えるべき報告を分身とも言うべき主君に対して告げた。



◇◆◇



 戦時特有の熱狂に支配される王宮。


 その地下深くでは、先の戦いにて囚われの身となった人間達が収容され、その最後の時を待ち続けていた。


 その中でも、一際厳重な作りを施された独房。


 そこには、少々小太りの壮年の男が一人瞑想を続けながら時が過ぎるのを待ち続けていた。



 男の名はミハイル・クトゥーズ。


 帝政リヴィエト軍内部でも戦上手で知られ、皇帝を始めとする軍首脳からの信頼も篤い人間であったが、先頃に託された奇襲作戦の際、パルティノン内の義勇軍によって一敗地にまみれ、虜囚の身と成っている。


 敗軍の将であるが故と言ってしまえばそれまでであったが、元々の作戦が成功すれば効果的というレベルのモノであり、成功のための下準備すらも不足している杜撰という、彼だけの責任に帰するには気の毒な側面もあった。


 そんな彼であったが、虜囚となった後、リヴィエトの内情を求めるフェスティアとの会談を経、今では処刑の時を待っている。


 その会談の際、フェスティアは彼に対し、直々に剣を振るうと約束していたが、会談の翌日に執行という約は反故にされたまま時が過ぎていた。

 



「……何者だ?」



 と、クトゥーズは、瞑目したまま口を開く。


 閉ざされた視界によって他の感覚は限界にまで研ぎ澄まされている。暗がりである事が、彼に接近する人間の警戒心を煽っていることも助けとなっている。



「閣下。私であります」


「……何?」


「ミランダであります。閣下」


「ミランダ?」




 耳に届く女性の声に、クトゥーズは目を見開くと巨体を揺らしながら立ち上がる。すると、ゆっくりと開かれた扉から眠そうな目元が特徴的な女性が歩み寄ってくる。



「待て。そなた、何者だ?」


「閣下?」


「ミランダは、義勇兵達に討たれた。我が副官の姿を騙って何をしようというのだ?」


「そ、それは……」


「私が助けたの」



 女性の姿に目を見開いたクトゥーズであったが、すぐに表情を引き締めると、女性を睨み付ける。


 ミランダと名乗った女性も、かつての上官の言がもっともだと思うが故に、思わず口ごもる。


 しかし、そんな二人の耳に抑揚のない少女の声が届く。



「あなたは……」


 声とともに、姿を見せた少女。

 その双眸から放たれる常緑樹のような緑色の光が、クトゥーズの元へと向けられていた。



 クトゥーズが自決したとの報告がフェスティアに元に届けられたのは、その翌日の事であった

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