第9話 生者と死者
いつもより短いです
目の前には闇が広がっていた。
その闇間に、一点の光が灯ると、それはゆっくりと落下し、飛散していく。
それを受けて、それまで凍り付いたかのように動くことの無かった身体が熱を帯び、筋肉が脈動していく事がよく分かった。
アイアースは、ゆっくりと薄目をあげると、二度三度目を見開き、一度力強く目をつむると、ゆっくりと目を見開いていく。
視界が開けた先にあるのは宵の闇に瞬く数多の星々。
顔を左右に倒しながら周囲の様子を探ると、方々に火が灯され、多くの人の気配を感じた。
「目が覚めた?」
そうして、アイアースの耳に届く女性の声。
声がした方向へと視線を向けると、顔に仮面を付けた女性がこちらを覗き込んでいる。
一見気味の悪い仮面であったが、そこからこぼれる目の光に邪悪なものはなく、むしろ澄みきった夜空を思わせるような光であった。
「メリルか……戦いは?」
「君があの騎兵を倒した後で、こちらはすぐに撤退した。指揮官級は壊滅したし、奴隷兵と下級士官だけでリリスに勝つのは難しいさ」
「リリス?」
「……皇帝は近衛部隊をヴェルネージ大森林に派遣している。その指揮官が、片腕とも呼ばれるリリスという女。冒険者だし、それぐらいは知っているよ」
「なるほど。――俺は、あの女に?」
「勝ったとも言えるし、負けたとも言えるな」
身を起こすと、上着を脱がされ、腹回りには硬く包帯が巻かれている。
キーリアとなったその時より、肉体の強化はされているが、敵の投擲は思いのほか強力で、骨が軋んでいた。当然、相応の負傷が身体の中にはあるであろう。
「しかし、改めてみてもすごい身体だな。とても、16の少年とは思えん」
「鍛えているし、ところどころで発光しているからな」
「他の連中も驚いていたぞ? エミーナやフェルミナはそうでもないみたいだが」
「ふうん」
口元に笑みを浮かべつつ、そう口を開いたメリルに対してアイアースは素っ気なくそう答えると、傍らにたたまれていた上着を着こむ。
随分丁寧なたたみ方であり、眼前のメリルを一瞥するも、彼女は「まさか」といわんばかりに首を振ると、顎をしゃくるように別の場所を示唆する。
そこには、負傷した兵士の治療を行っている漆黒の翼。フェルミナの小さな姿があった。
「だろうな」
「ふ、未来の妻の行動に鼻が高いかい?」
「まあな。エミーナやお前さんがやってくれるとは思えんし」
「私がやる必要があるとは思えないしな」
そう言うと、メリルはアイアースが寝かされていた敷布に腰を下ろす。
すると、それを待って居たかのように兵士が二人につつみを差し出してくる。すでに夜を迎えており、食事をとるだけの余裕も出てきている様子だった。
「ふうん。まあ、上手いな」
「……キーリアでも食事をとるんだな」
ともに食事を取り始めたアイアースに視線を向けたメリルは、特に悪意無くそう口を開く。
「それぐらいはさすがにな。たいした量は必要無いけど、相当量食っても問題ない。どちらかというと、味を愉しむことの方が目的に近いな」
「便利な身体だ」
「それほど良いもんじゃないよ」
世間一般にとってのキーリアの印象など、化け物に近い存在と思われているのも当然であるし、悪意を向けられる事など今に始まったことではない。
思えば、母親達も量を食べるというより、食事の場を愉しむことを優先していたし、イレーネのように食事の席をともにしたのが一度だけというキーリアも居れば、ハインのように他の近衛兵に混ざって普通に過ごすものもいた。
たしかに、便利な身体と言ってしまえばその通りかも知れない。
「それでもだ。食事の時間ぐらいゆっくりとりたいところだが」
「冒険者ってのはそんなに忙しいのか?」
「たぶんな」
「多分って……」
「それが真実でないことぐらい気付いているだろ? 無理に合わせなくていいよ」
「なんだよ。気遣いを無にしやがって」
たしかに、突然戦場に現れたことや剣伎の凄まじさを見るにただの冒険者であるはずもない。顔の損傷のことが気にかかるが、その立ち振る舞いなどからもある人物の姿がアイアースの脳裏に思い浮かんでもいる。
それでも、それを指摘することは野暮というもの。某かの考えが合ってのことだと思うことにしていた。
と、そんなことを考えつつ干し肉を噛む二人の元に一人の兵士が駆け寄ってくる。
「お食事中のところ、申し訳ありません。総長より、至急集まってくれとの伝言が」
「了解した。すぐに行く」
「それでは、私も暇を告げるとしよう」
「っ!? そうか……」
「元々、食い物にありつければ良かったしね。機会があったらまた会おう」
伝令兵士の言にアイアースが頷くと、メリルも同様に頷きながらそう口を開く。たしかに、彼女は解放戦線のメンバーではなく、たまたま渓谷を抜けてきたところに戦闘に巻き込まれただけであるのだ。
裏に何があろうとも、表向きな理由はそれ以上のものではない。
目的通り、食事にありつけたからこの場を後にする。特段の問題もなかったのだ。
あえて問題を探すとすれば、今回の戦いでもっとも敵兵を屠った凄腕をあっさり手放して良いものかという話だけである。
そして、アイアースには彼女を慰留させる理由も権限も無ければ、手段もなかった。
「まあ、エミーナのところまでは付き合ってくれ。けっこうきついわ……」
立ち上がった衝撃で、軋み上げながら鈍痛が全身を駆け巡る。
眉間にしわを寄せながらそれに耐えるアイアースに対し、メリルは静かに頷くと、アイアースに肩を貸して、二人はエミーナの本営へと足を向けた。
◇◆◇
本営に到着し、アイアースをフェルミナに預けると、メリルはエミーナに暇を告げる。
驚き目を向けた彼女であったが、すぐに帷幕の裏へとともなわれる。何が言いたいのかを察していたメリルは、特に反対するわけでもなく彼女の後に続いた。
「ふう。さすがに暑いなこれは」
エミーナの後に続き、帷幕をくぐったメリルは、声を落としながらそう口を開くと、仮面を外し、次いで顔の表面へと指をかける。
そうして、焼け爛れた外皮をゆっくりを剥がしていくと、そこには首筋と変わらぬ白磁の肌と凛とした切れ長の目元が現れる。
次いで、頭部を覆っている布を外し、そこにまとめられている黒髪を引くと、それが帽子のように外れて、黒みがかった銀色の髪がそこから流れていく。
改めてメリルだった者の外見を一瞥したエミーナは、その場に片膝をつき、一寸だけ頭を垂れると、すぐに立ち上がり、剣呑な表情を浮かべながら口を開く。
「それで、どういうおつもりなのですか? 陛下」
「遊びだ。許せ」
陛下と呼ばれた女性。
それは、このパルティノンにおいてはただ一人しか存在していない。
この地において唯一至尊の冠を頂き、その呼称で呼ばれる女性、フェスティア・ラトル・パルティヌスは、エミーナの問い掛けに対して素っ気なくそう答える。
「それは分かります。しかし、何故……。腹心のリリス殿を派遣するだけで十分であったのではないのですか?」
「なぜであろうな?」
そう言われると、フェスティア自身もなぜかという思いがある。
今回の戦いをエミーナとリリスに託した時点で、すべては片付くという思いはあった。それでも、その後のフェスティアの心に浮かんできたのは。と、そこまで考えて思い立つ要素があった。
「はぐらかさないでいただきとうございます」
「エナ、そうとやかく申すな。言うなれば、個人的な感情だ」
「…………殿下と戦場をともにしたくなったと?」
「そんなところ……かも知れんな」
そう答えたフェスティアは、無意識のうちの自身の腹部に手をやる。
それを見て取ったエミーナは、かつて自分が名のっていた名で呼ばれたことを無視して、声を落とす。
「やはり、真なのですね?」
「こればかりはな」
「事が明るみに出れば、陛下は下より、殿下や御子も重大なる非難に晒される事と思われますが」
「その時は、私が父上の血を引いていないという流言を真実とするしかないな。非難されるは私。帝室に泥を塗る醜聞には変わりないが、そこは私の命で納得してもらうとしよう」
「ご冗談を。殿下の御身の真実を語れば良いではありませぬか。救国の英雄同士として賞賛される事と存じます」
当初は、避難めいた視線を向けていたエミーナであったが、フェスティアの言に思わず身構え、そう口を開く。しかし、フェスティアから返ってきたのは、彼女へと向けられた鋭い視線であった。
「それこそが冗談だな。再び私から、アイアースから家族を奪うつもりか?」
「夫婦となられる事も家族と存じまする。とはいえ、陛下の心情も……」
「いや、私が無茶を言っていると言う事は分かるつもりだ。――ふむ。やはり、今回の事は私の不明であるな」
「と、いわれますと?」
「アイアースの武勇をあえて知ろうとする必要など無かったと言う事だ。あやつは、十分に私の傍らにて戦う事が出来ると。それを、この目で見通さねば納得できなかった事など私の不明でしかない」
そう言ったフェスティアの表情には、どこか物寂しげな笑みが浮かんでいた。
生まれ落ちたその時より、不思議な絆を感じていた弟。
父より告げられた真実を受けても、肉親としての感情が変わる事はなかったし、あの日、母より伝えられた秘術を為してからもそれが彼女の中で変わる事はない。
ただ、この身に宿った小さな灯火の事を鑑みれば、そのことが正しいはずもない。
「何にせよ、エミーナ。時は間近だ。本来であれば、軍の中枢を担うそなた等に泥水をすすらせた事、改めて謝罪したい」
「恐れ多き事にございます」
「すまぬ。アイアースを、そして、シュネシスを、ミーノスを、サリクスを今しばらく頼む。時が来れば、アルテアも交えてともにあろう。――そう告げてくれ」
◇◆◇
フェスティアがエミーナの下を辞した頃、神聖パルティノン帝国帝都パルティーヌポリスに屹立するハギア・ソフィア宮殿でも、ちょっとした変事が起こっていた。
暗がりの中に、赤き光が灯ると、それはやがて人の姿となり、ゆっくりと敷布へと落下していく。
それは、ぼろぼろに破損した甲冑に身を包んだ女性であり、傷ついたその姿は、激しい戦の後を想起させる。
そんな女性、ミランダ・トハチェフスカヤは、漆黒の闇に包まれた視界に、柔らかな明かりが灯りはじめた事を自覚すると、ゆっくりを目を開いた。
「……ここは? 私は?」
そう呟いたミランダの脳裏に蘇る光景。
激しい戦いと勝利を目前にしての敗北。それらが脳裏を揺らし、ミランダは両の手で頭を抑える。
何人も、自身の死の直前の皇家を思いかえしたいはずもなく、外的要因でそれを思い起こされたら、身体に激しい拒否反応が出るのは自明の理。
彼女もそんな理に捕らわれつつあった。
「苦しむ事はないわ。あなたは生きているのよ?」
頭を抑えながらもがくミランダの耳に届く、女性の声。女性と言うにはどことなく幼さを残しているものの、声とともに彼女の周囲を包み込む水色の光によって次第に心の苦しみが癒されて行くように、ミランダには思えた。
「だ、だれ…………?」
それでも、気だるさの残る身体は言う事を聞かず、ミランダや切れ切れの声を出すのがやっとである。
「まずはこっちを向きなさい。無様に這いつくばっているのがあなたではないはずよ」
そうして、声はどこか侮蔑を含んだものへと変わる。
強引に身を起こし、背後を振り返ったミランダの目に映ったのは、何一つ身につけることなくその場に立つまだ、少女と呼んでも良い年齢の女性。
その姿に、ミランダは思わず目を見開いた。
「何を驚いているの? 私の事を忘れた? この前会ったと思うんだけど?」
「――っ!? ま、まさか、皇女殿下っ!? し、しかし、そのお姿は??」
女性の言に、ミランダは慌てて膝を折る。しかし、全裸の女性が目の前に立っていては、それが主筋に当たる女性でも困惑が残るだけである。
「ああこれ? 体力の回復と気分転換に都合の良い物を見つけただけよ。そこで寝ている馬鹿二人に手伝ってもらったんだけど」
そう言うと、女性は背後の寝床に倒れ込んでいる二人の女性の姿をみとめる。こちらも、当然のように何も身につけていなかったのだが。
「で、殿下、それは、そ、そ、その……」
「あら、いい年だって聞いたけど経験無いの? それと、こっちではシヴィラと呼ばれているからそう呼んで。もう、リヴィエトの皇女である気はないわ」
「なっ!? し、しかし……」
「私が言っているの」
シヴィラの言に、ミランダは思わず反問しかけるが、途端に全身から殺気を放ちはじめたシヴィラに対しては、首を縦に振らざるを得なかった。
そうして、それでいいと口を開きながら外套を羽織ったシヴィラは、ゆっくりを椅子に腰掛けると、ミランダもそれに続く。
「それで、唐突だとは思うけど、一度死んだ身だろうし、私のために生きてみない?」
「…………どういう?」
「私はもう、父上の元には戻らない。ロジェ達と行動を共にするつもりもないわ。それで、手駒がもっと必要なの。兵士はいくらでも沸いてくるけど、幼女に欲情している連中なんて頼りにならないわ」
「そ、それはっ。私に祖国を裏切れを申されるのですかっ!? 生まれ育った祖国をっ!!」
「祖国って言っても、リヴィエトに何かがある? 侵略して、破壊と掠奪に明け暮れて、奪うものが無くなったらさっさと次の国に襲いかかるだけ」
「そ、それでもっ」
「ああそう。でもね、一度死にかけたあなたを救ったのは誰かしら?」
シヴィラの言に、思いがけず押し黙るミランダ。
たしかに、リヴィエトに故郷というものはなく、彼女が今まで戦い続けていたのは大帝ツァーベルへの忠誠心が故である。
しかし、先の戦いにおいて、生きた大地への渇望をというものを自覚せざるを得なかった事も事実。
そして、何よりも失われるはずであった命を救われたという事実もそこには存在していた。
「まあ、まだ時間はあるから、よく考えるといいわ。あなたは私付きの次女という事にしておけばいいし」
そう言って、シヴィラは目を閉ざして苦悶するミランダへと近づく。
「それと、せっかく教わった事だし、ちょっと付き合ってもらおうかしら?」
「えっ!?」
静かにそう告げたシヴィラの表情は、いまだに幼さを残す年齢とはかけ離れた妖艶さを醸し出しており、その表情にミランダは、すでに自分が戻れぬ道に足を踏み入れてしまった事を自覚せざるを得なかった。




