第7話 飛天魔と刻印師
離宮への道中、アイアースは悩みに悩んでいた。
兄シュネシスとともに市街地へ遊びに行ったことの言いわけ。というわけではない。このことはすでに了承を得ている。
悩みの種はもっと別のところにあった。
「ふーん、一箇所から生えてるのねぇ。それに、この手触り……柔らかいわあ」
「あ、あの……あまり触らないでください」
兄、シュネシスと別れたあと、護衛を呼んで離宮へと戻る。そんな予定であったのだが。
「それに、お髪も……。今回の奴隷商人はずいぶん人がいいんだねえ」
「か、身体だけはきれいにしていろと言われました」
先ほどから、髪や翼を撫でている女。そして、抵抗できない少女。
周囲を警戒していたところを呼び寄せられた護衛達もいささか困惑しているように思える。
「おい。二人とも」
「なあに~?」
「な、なんですか?」
思わず立ち止まり、声をかけると女の方はしなを作りながら妖艶に微笑み、少女はいささか怯えながら口を開いた。
「フェルミナは多分大丈夫だと思う。事情を話せば、離宮においてもらえると。ただ、ミュウさんは、分かりませんよ?」
「ええ、さっき聞いたわよ。でも、多分大丈夫よ」
「ええっと、わ、私は」
「それならいいです……はあ」
女の方は、ミュウ・パリザード。
先ほどの競りの際に『業火の刻印』を求めて参加をしていたのだが、こちらの資金力にまったく敵わなかったため、あきらめざると得なかったという。
そして、少女。
希少種族である光の飛天魔族であるが、種族独特の赤い髪と白い翼ではなく、銀色の髪と黒い翼という希少中の希少な存在の少女であり、名をフェルミナ・ツェン・フォート。
興味本位で一族の里から外に出た際に、捕らえられてしまい、奴隷となった。
「ははは、殿下も大変なモノを手に入れられましたな」
「うるさいぞ。笑うなっ!!」
護衛の一人で、その中心をになうキーリアの男が親しげに笑い声を上げるが、他の護衛達は困惑するだけである。
そもそも、なぜ今このような状況になっているのか。
◇◆◇
フェルミナの競りは、アイアース等の勝利で終わった。
元々の資金力が違いすぎるのだから当然であったが、競り落とした商品と奴隷の元へとやって来た際には、主催者側から『次は断る』との旨が伝えられている。
金さえ積めばいくらでも購入は可能なのだが、現実には複雑な権利や暗黙の了解などが存在している。
希少な刻印と目玉の奴隷二人を同じ落札者に持って行かれては、他の参加者の立つ瀬がない。
一応、皇族であることを匂わせて黙らせたのであったが、それでは別の反感を買うことになる。
それ故に、次回の参加は見送って欲しいとの要請があったのだった。
「まあ、やりすぎたが後悔はしていない。優秀な人材を金や建前を気にして逃すなんざ、二流のやることよ」
「アルティリア様の受け売りですか?」
「いや、父上だ」
上機嫌のシュネシスに対し、アイアースは毒のこもった言を向けるが、毒にも慣れた兄はどこ吹く風で、すっかり意気消沈している二人の奴隷の元へと歩み寄る。
奴隷契約を結ぶ、結印を行うための刻印師が来るまでの間は、一種の目利き時間である。
この部屋は特殊な魔術が施されており、戦闘行為は一切禁止され肉体へのダメージそのものを掻き消す。用心が奴隷と対面する際に、危険がないようにするためのもので、普段は使われておらず、技術そのものも消滅している。
やや古びたこの屋敷が会場として使われている理由でもあった。
「さて、今日から俺がお前達の主人となるわけだ。よろしくな」
明るい調子でそう声をかけたシュネシスであったが、二人はさらに表情を暗くするばかりである。
「……頼みがある」
「ん? なんだ?」
「私はどうなってもかまわぬ。……だが、姫様だけでも助けてもらえないか?」
「シャル? 何を言っているの?」
「今、このような身に甘んじているのは、私の無力故。このような願いが聞き届けられるとは思えぬが、慈悲の心あらば……何卒」
そう言って、シャルと呼ばれた赤髪の女性は、床に膝をつき、頭をこすりつける。
やはり、少女の方は、やんごとなき身分であるようだ。
「それは聞けぬ。残念だが、奴隷へと身を落とした以上、務めを果たして解放奴隷の権利を得る以外に方法はない」
「くっ…………」
シュネシスの言に、シャルは唇を噛みしめ、フェルミナはその大きな瞳に涙を溜めてこちらを見つめてくる。
(いや、俺に目で訴えられても……)
「もっとも、俺は伽に使う気はないからその辺は安心してくれ」
二人の視線に何とも言えない気分のアイアースであったが、シュネシスはそれを気にすることなく軽い口調でそう言うと、居住まいを正す。
「シャルミシタ・フォリーナ」
「っ!? はっ!!」
突然、それまでとは異なり、毅然とした口調で名を呼ばれたシャルは、先ほどまでのやや反抗的な態度から一転、姿勢を正した。
「神聖パルティノン帝国第一皇子シュネシス・ヴァン・テューロスの名において約束する。フェルミナ・ツェン・フォートの身柄は私の名において保障する。以後は、マムークとして私とフェルミナに仕えよ」
「な、な、な…………」
「え? え? え?」
「本当ですよ? こちらの御方は、第四皇子アイアース様」
困惑する二人に対し、フォティーナがやんわりとした口調で肯定し、アイアースも頷く。
二人の反応も当然であり、皇族がこのような場に来るはずはない。と、普通は思うものだ。それに、奴隷を手に入れるのにこのような回りくどいことをする必要も当然のようにない。
「お待たせ致しました。刻印師の方が到着をされました」
それを待っていたかのように、ドアがノックされ係の者の声が室内に届く。
「ああ、入ってくれ」
硬直する二人に対し、苦笑するシュネシスは、そう言って刻印師の入室を促す。先ほどのことがよほど衝撃的だったのか、二人の飛天魔はいまだに固まったままである。
「はじめまして。私が今回の結印を執り行う者で、ミュウ・パリザードと申します」
やや露出やシースルーの多い衣装を身につけた妖艶な女性が入室し、頭を下げる。妖艶ではあるが、その所作から不快な感じはしなかった。
「ああ、よろしく頼む。…………って、さっきの競りで見かけた気がしたが?」
「私を中々の形相で睨んでおりましたよ」
「あら……。見られておりましたか。ですが、それは当然ではありませぬか?」
「まあ……な」
「中々手に入れることのない逸品ですし、刻印師としての血が騒ぐのですよ。まあ、今更言っても詮無きことですが……。――――それで、どちら様に結印をなさればよろしいのですか?」
競りの時のことを言われ、ミュウは若干苛立ちのこもった視線を二人に向けるが、すぐに元の笑みに戻る。闇ではあるが、正式でもあるオークションで落札された刻印である。
それを奪おうなどと言う意思はないのであろう。
「ああ、赤髪は俺。銀髪は弟と結んでくれ」
「はっ!?」
「なっ!?」
「えっ!?」
シュネシスの言に、アイアース、シャル、フェルミナがそれぞれに反応する。
「兄上、ちょっと待ってください。そんな話は聞いていませんよ」
「してねえもん」
「いや、そうじゃなくて」
「で、殿下。先ほどの約定はどうなるのですかっ!? 御名において約されたはずではありませぬか??」
「殿下?」
「あっ……」
慌てて口を開くアイアースとシャルであったが、思わず口走った言にミュウが反応する。
「まあ……そういうことなのですね。――商売がら、黙っていなくてはならないことも多いですので。続けてください」
「すまんな。でだ、二人とも、俺が求めているのはシャルミシタの武勇だ。で、シャルミシタが求めているのは、フェルミナの安全だろ? だったら、俺といるよりアイアースといた方がいい。年も近いしな」
「…………皇族であるならば、変わりはないのではないですか?」
「俺は、長子。後継者という立場狙われやすいんだよ。それに、アイアースには、帝国最強の人間が側についてる」
「リアネイア・フィラ・ロクリス様ですか」
「ああ。お前さんも相当な腕だろうけど、だからこそ、安全な理由が分かるんじゃないか?」
「分かり申した」
「よし。まあ、立場上、お前らに拒否権はないんだけどな」
◇◆◇
それまでのやり取りを思い返していた、アイアースであったが、悩んでいるときは案外早く時間がすぎるものである。気づかぬうちに離宮の内宮へと足を踏み入れていた。
「と、いうわけです。母上」
今更、何を言ったところでどうにもならないと思ったアイアースは、二人を見て困惑するリアネイアに対し、事の次第をすべて話した。
「遊びに行くことは許したはずですが。…………分かっていますね」
「……はい」
話を聞き終えたリアネイアは、表情を変えずにそう言うと、アイアースもまた、居住まいを正して歯を食いしばる。
パチンと小気味のいい音が室内に響き渡る。
「遊びに行くことは私も許しました。ですが、父上のお金を持ち出すことなど、言語道断っ!! 恥を知りなさい」
「申し訳ありません」
「もちろん、シュネシス様にも咎はありますし、あなたの年齢を考えればまだまだ学ばねばならないことでしょう。それに、彼女のことをどう責任を持つつもりですか?」
「そ、それは……」
「あなたは、やがでシュネシス様をはじめとする兄弟達を助け、この国のすべての民を守らねばならぬ立場となります。その中には、当然フェルミナ様も加わることでしょう。ですが、今のあなたは皇子という立場があるだけの子どもです」
そこまで言うと、リアネイアは言葉を切る。
「ですが、子の過ちは親の過ち。そして、飛天魔族の姫君が本当の意味で奴隷に落ちることを救うことができた。結果とは言え、それはあなたの功績です。今回のことは、父上にも話を致しますが、今後気をつけなさい」
「はい」
「それで、どうなさるおつもりですか? 制度上認められているとは言え、一種族の姫君を奴隷として結ばれた……」
「う……」
「あ、あの……」
「ふう……、ですが、結ばれてしまった以上、フェルミナ様が解放の権利を得るまでは一緒にいるしかありませんね。このリアネイア、責任を持って二人を保護しましょう」
「は、母上……申し訳ありません」
「こ、皇妃様……、このことはお父様達には」
「責任を持ってお伝え致します。ですあ、フェルミナ様。奴隷に墜ちると言うことは、落ち度が無くとも恥ずべきことでもあるのですよ? あなた様も、自身の過ちを顧みることです」
「…………はい」
「では、お説教はここまでにしましょう。アイアースも同年代のお友達ができたのですし、身分などは関係が無い。そうですね?」
「と、友達……か」
「あ、あの……」
「まあ、改めてだけど、よろしくね」
「は、はいっ!!」
アイアースはなんとも複雑な気持ちを抱きながらも、フェルミナに対して手を差し出す。すると、フェルミナもまたぎこちなさげにアイアースの手を握り替えした。
「それで、あなたは何ですか?」
「はっ。私はここスラエヴォで刻印師を営んでいる者でありますわ。是非とも、皇子殿下にお仕えしたく、参上つかまつりました」
「国ではなく、アイアース個人に仕えると言うこと?」
「はい」
「ふむ……いったいどういうことなのですか?」
「それは、別の場所で話させていただけるとありがたいのですが……」
そう言って、ミュウは不敵な笑みを浮かべたままアイアース。そして、フェルミナを見つめる。
思えば、結印が終わったと思えば、いきなり同行させて欲しいと言い出したのである。
シュネシスが悪ノリしたため、なし崩し的に離宮にまで同行させることになってしまったのであるが。
「ふむ……。よかろう。話を聞こう。だが、もし、危害を加える可能性があると判断した場合は、その場で斬る。よいな?」
「はい。皇妃閣下も必ずや私を必要とされるはずですわ」
そう言って、二人はアイアースの居室をあとにする。
その後、ミュウがアイアースの、魔導に関する師となることが正式に決定された。
こうして、奇妙な形で増えた同居人とともに、慌ただしい一日が終わろうとしていた……。
フェルミナ・ツェン・フォート。ミュウ・パリザード。
アイアース・ヴァン・ロクリスとともに動乱の時代を生きた二人の女性であったが、彼女達は自身の人生の終焉とともに一つの時代の終焉を見届けることになる。
しかし、それは今の彼女達が知るよしもない運命であった。