第5話 忠義と現実の狭間で
エウロス地方とルーシャ地方の境界には、ヴェルネージ大森林と呼ばれる広大な原生林が存在している。
大陸の覇者神聖パルティノン大国にあってもその最深部を知ることはできず、人が足を踏み入れることを許さない聖なる森であったが、それは侵略者達にとっては身を隠すためには最良の地とも言えた。
アンサイルス湖中央部に出現した氷の橋を抜け、この大森林地帯へと到達するには、大森林西方に位置するレトラ渓谷を抜ける進路が最短路となる。
上陸地点から東西には平地が広がっているが、東は相応の規模の部隊が身を隠せる場はほとんどなく、西はエウロス地方きっての良馬の産地であり、本国軍に匹敵する騎兵部隊が残っている。
そうなるとレトラ渓谷を抜け、ヴェルネージ大森林から中央ステップ地帯を睨むルートをとると考えられる。
それを受けて、アイアース等は帝国への通達の後、一騎また一騎と集結地点へ向けて拠点を後にし、一路レトラ渓谷南方アウシュ・ケナウの町へと向かっていた。
フェルミナ等がカミサにて主張したように、義勇軍的な性格を持つ解放戦線であるが、平時においては教団との暗闘を繰り返すテロ集団に過ぎない。
フェスティアをはじめとする帝国首脳部の意向に沿って行動しているという真実はあれど、裏をになう人間達が表街道を歩むわけにも行かないのである。
そのため、アイアースとフェルミナも作戦部隊との合流地点にほど近いアウシュ・ケナウへとやって来ているのであった。
合流は明後日。敵軍との交戦予想日は五日後である。
「どうもこのあたりに縁があるらしいな」
目に映りはじめた街並みに、アイアースは思わずそう呟くと、傍らにて歩みを進めるフェルミナが顔を向けてくる。
「以前にも?」
「ああ、教団の指令でな。知己もいるにはいる」
「なるほど、このあたりは教団の影響が強いですからね」
「お前も翼を隠さなきゃだから大変だな」
「そうですね……。しかし、隠れ信徒に見つかるとやっかいですし、致し方ありません」
やや窮屈そうな衣服に苦笑しながらもそう答えたフェルミナを一瞥し、アイアースは改めて周囲を見まわす。
町を囲むように生える木々。
その森の向こうに、アウシュ・ケナウ監獄の跡地がある。岩山を削りだして立てられた要塞としての機能もあり、今では帝国軍の監視部隊が駐屯しているという。
牧で働いていた人間達も当面は職を失わずにすんだ様子であった。
「まあ、そこまで心配する必要は無いと思うぞ?」
「そうでしょうか?」
「行ってみれば分かるさ。……そうであってほしい。というのが本音だけどな」
アイアースは、監獄にて苦役にあっていた亜人達の姿を思い浮かべつつ、そう口を開く。あの後、帝国軍によって無実の者達は解放され、奴隷とされた者達も正当な手続きを持って仕えるべき場へと散っていったという。
となれば、監獄からほど近く、帝国軍の目も届く町の様子はある程度は変わっているはずであった。
そして、アイアースの予想はほぼ当たっていた。
「いつの間にこのような??」
「まだ、半年も経っていないからな」
門をくぐり、町へと入ると、そこは以前のような活況では無かったが、亜人を含んだ多くの人が練り歩いている。
リヴィエトの侵略の情報が出まわり、戦場から遠く離れたこの町であっても人々に動揺は広がっている様子だった。
とはいえ、直接的な戦火に晒されている分けでもない以上、人々の生活は大きく変わるわけではない。夕刻になれば繁華街が活気に満ちあふれ、笑い声も聞こえはじめ、雑踏に立つ女性の姿や物乞いの姿が目立ちはじめるのもこの時間帯となってからである、
それでも、亜人達が人間の中に混ざりながら生活をしている光景は、以前にはなかったものである。
「二人とも旅人かい?」
アイアースとフェルミナもまた、食事のために繁華街に並ぶ屋台の一つに立ち寄り、腹を満たしていると、店主の初老の男が恐る恐るといった様子で話しかけてくる。
はじめは警戒した二人であったが、僅かに発した殺気に反応を見せないため、男性や背後の女性店員や他の客達に害意の類はない様子である。
それ以上に、女性店員に至っては泣きそうな視線をこちらへと向けている。
「ええ。何か用ですか?」
「いや、なんでも戦争になるって話で持ちきりでな。旅をしている人だったら何か知っているんじゃないかと思って」
「なるほど。北の方は随分大変みたいですよ? 帝都でも皇帝陛下をはじめ、お偉方が血相を変えているとか」
「そうなのか。この辺は大丈夫なんだろうか?」
「さあ、そこまではねえ」
と、そこまで話したアイアースは、背後にて動く気配を察する。視線だけ動かすと、フェルミナもまた同様の気配を感じた様子である。
「ま、夜逃げの準備をするにはまだ早いよ。じいさんの手を借りるほど帝国軍も人手不足じゃないだろうしな。それじゃ、お勘定置いとくぜ?」
「おいおい、多すぎるぞ?」
「釣りはいらねえよ」
そう言ってアイアースは男性との会話を打ち切ると、屋台の脇を抜け、裏路地へと歩みを進める。そうして、人気が無くなるところまで来ると、フェルミナを飛び立たせ、アイアース自身は跳躍して、通路を見下ろすように建物へと身を潜める。
娼館の一角であった様で、開いた窓から見える光景に、思わず噴き出しかけたアイアースであったが、視線を通路へと向けると、ほどなく、頭まで外套を羽織った者が通路へとやって来て、二人の姿がないことに慌てはじめる様が見て取れる。
アイアースは静かに上空にいるフェルミナに合図を出すと、彼女は音もなくその者の後方へと降り立つ。
「私たちに何か御用ですか?」
「っ!?」
驚きと共に振り返った者は、思わず外套がめくれ、壮年の男の顔があらわれる。
「や、やはりあなたはっ」
男はフェルミナの翼に思わず目を見開くが、すぐに得心し、片膝を着いて頭を垂れる。
その様子に、当てが外れたフェルミナとアイアースは困惑し、アイアースもまた男をフェルミナと挟むように背後へと降り立つ。
「いったい何事だ?」
「こ、これはっ!!」
アイアースの言に振り返った男は、アイアースに対しても片膝をつき、フェルミナの時よりも深く頭を垂れる。
「アイアース四太子殿下、フェルミナ王女殿下。お初お目にかかります。私は、スカルヴィナ地方軍龍騎長スノウ・リューキスと申します」
「…………なぜ、俺達だと?」
「私は、以前殿下にお目見えしたことがございます。何より、ロクリス閣下によく似ていらっしゃる」
「そうか。で、フェルミナのことは?」
「はっ。奴隷の身に堕とされていたところを殿下によって救われたと」
「まあ、間違ってはいないな」
「その通りですね」
スノウと名乗った男が頭と垂れたままそう答えると、アイアースは苦笑しつつ同意し、フェルミナはアイアースの言を阻むように力強く肯定する。
彼女にとっては、アイアース達の救われたという事実は今となっては捨てることの出来ない大切な過去でもある。
「それで、死んだはずの四太子に何のようだ?」
「……万一のことがございます。できれば、人払いの出来る場に」
「ふむ。……他の同席させることは?」
「――殿下が信用なされる方であれば」
「分かった。フェルミナ。リーダーに連絡は取れるのか?」
「出来なくはないと思いますが、私もまだまだ下っ端ですし……。それでも、広く情報網を構築しておりますので、利に聡い商人の類であれば」
「わかった。スノウ、場はこちらで用意する。かまわぬな?」
「はっ……」
フェルミナの言に、アイアースは思い当たる節があった。
おそらくは自身のアジトへと案内しようとしていたであろうスノウも多少憮然としながらもアイアースの問いに頷く。
その様子に、アイアースはとりあえずスノウのことを信用することにした。
ここでごねでもすればアイアース等を害すことが目的であると言えるのだが、こちらの提案に乗ると言うことはスノウ自身にも相応の理由があると言うことである。
「一応、この町には顔見知りがいる。信用できる人だし、貴様も身体を休める必要があるだろう」
「……お気づきでありましたか?」
「これでも、死にかけることは何度もあったのでな」
そんなアイアースの言に、静かに答えたスノウの首筋にフェルミナが一撃を与えると、彼は静かに崩れ落ちる。
それまで、全身の痛みに耐え、アイアース等を追っていた様子であった。
そんなスノウを抱えたアイアースは、かつて利用した宿へと向かうと、こちらの顔を覚えていた主人にバーテンに用があると告げ、スノウを連れて借り受けた部屋へと向かう。
スノウをベッドに横たえらせ、濡れたタオルを額に当ててやると、ノックとともに壮年の男が少女をともなって部屋へとやってくる。
「四太子殿下、ご機嫌麗しく」
入室するや否やバーテンことゲルハルト・リカ・ルフトバッフェは、膝を折り、二人に対して頭を垂れる。
ゲルハルトが連れてきていた彼の娘もそれに倣う。
人間に比べ、やや成長の早いティグ族の血を引いていることはあり、以前に比べ大人びた態度をとるようになっている。
「すまんな将軍。あなたの平穏な暮らしを乱すことになって」
「もったいなきお言葉。ですが、祖国の危機にこうして身の安全だけを図っているわけにも行きませぬ故」
「……軍に戻るのか?」
「事が済めば。となりますか……、して、この度は如何様な?」
ゲルハルトはアイアースの問いに苦笑を浮かべながら立ち上がり、娘の頭を易しく撫でると、しずかにそう口を開く。
「実はな……」
アイアースはカミサでの戦いから解放戦に身を寄せていること、そして、先ほどであったスノウの言。そして、そこから予想されることに関して、解放戦線リーダーの許しが必要になりそうであることを告げる。
そして、ゲルハルトの水面下での人脈を期待していると言うことも。
「途方もない話ですな。私が殿下にご助力出来たのも一重に町の近郊であったが故であります。知己の商人達を通じても、解放戦線のリーダーに接触できるとは……」
しかし、ゲルハルトから返ってきたのは、そういう返事であった。
「そうか。まあ、いずれは会うことの出来る相手ではある。どのみち、あなたにはこの男の話を聞いてほしいと思っていたところだ」
「お役に立てずに申し訳ありませぬ」
「気にしないでくれ。――それより、久しぶりにサラダでも作ってくれ。こいつはしばらく休ませてやりたい」
アイアース自身、あたりがあれば儲けものと思っていたのだが、それでも残念ではある。スノウを休ませる口実であったとは言え、リーダーに顔見せぐらいはしておきたいという思いもあったのだ。
とはいえ、敵わぬモノである以上、考えても仕方のないことである。今後はスノウから話を聞き、解放戦線に合流すれば良いだけの話である。
そうして、スノウを残し、部屋を後にする一同。
と、階段を下りたところで受付に立つ主人がアイアースの姿を認めると、気さくな笑みを浮かべて歩み寄ってくる。
「あ、お客さん。ゲルトとの話は終わりましたか?」
「ああ。手間をかけた」
「いえ、払いのいい人は歓迎でさあ。それより、あなたに客人が来ていますよ?」
「客?」
「ええ。――――大人しく、こちらへ来ていただきますかね?」
「っ!?」
そう言って、アイアースの傍らに立つ主人。だが、ほんの一瞬の間に腹部に鋭利なナイフを突き付けられる。
衣服を破って肌に触れるそれは、じんわりと肌が熱くなっており、刃に毒が塗られているようであった。
「な、なにをっ!?」
「静かに。別に害を為そうと言うつもりはない」
それを見たゲルハルトが声を上げ、フェルミナが剣に手をかける。しかし、主人はそれまでの笑みを一変させ、引き締まった表情で二人を睨む。
どのみち、アイアースが囚われた形になっている以上、二人は手出しをすることが出来るはずもないのだ。
(どういうつもりだ? 俺は、その程度の毒では死なぬぞ?)
(害を為すつもりはございません。こちらも、指示でありますので)
「……案内しろ」
目と目でそう言葉を交わした主人に対し、アイアースはそう告げると、突き付けたナイフを隠しながら先を促す主人に従い、フェルミナと娘を抱いたゲルハルトもそれに続く。
一行が宿の裏手に出ると、主人の姿に気付いた小間使いがこちらを一瞥し、それに主人が頷くと小間使いが奥の井戸へと走りより。急いで水をくみ上げはじめる。
無言のままそれを見つめるアイアース達であったが、ほどなく井戸の傍らにある岩が音もなく動き始め、地下へと通ずる階段が姿を見せる。
「こちらへどうぞ」
そう言った主人は、小間使いに視線を向けるとアイアース等をともない地下へと降りる。明かりが灯り、どこか淀んだ空気が支配する空間。井戸の脇に入り口があったためかひどく湿っているようであったが、地下へ降りるに連れてそれも消えていく。
そして、ほどなく階段を下りるといくつかの扉があり、一番奥の扉内へと導かれる。
「こちらでお待ち下さい。ルフトバッフェ閣下も」
「主人、あなたは……」
「それも後ほど」
ゲルハルトの問いにそう答えた主人は、音もなく部屋から出て行く。
「まさか、こうなってしまうとはな。油断した」
「知己であったが故に。ということですな。殿下、なんとお詫びすればよいか」
「いや、問題がある分けじゃない。目的の人物が向こうから来てくれるわけだ。むしろ、僥倖と言って良い」
アイアースの言に頭を垂れながらそう答えるゲルハルトであったが、これがアイアースの命を狙う集団であれば、主人に懐をとられた時点で勝負はついている。
このような場にまで連れて来られた以上、目的はある程度達せられたと判断しても良い。それが、例え説教付きの邂逅であったとしても。
「私が知る組織も、まだまだ表面だけだったようですね」
「俺もお前も、周りから見れば子どもだからな」
「その通りだ。もう少し、慎重に行動してもらわぬとな」
フェルミナの言にアイアースが応えると、背後から凛とした女性の声が耳に届く。
視線を向けると、開かれた扉から赤と黒を基調とした衣服と外套に身を包んだ女性が、主人と小間使い、そして、気を失ったスノウをともない入室してくる。
「あんた、さっき店にいた」
「店員さんですね」
「ああ、ラノン殿の屋台か」
とはいえ、アイアース等が最初に思い当たったのは、屋台の店員としてアイアース等のさっきに当てられ、涙ぐんでいた女性の姿である。
他の者達が何の反応を見せぬ中、それを察していた女性の姿が印象に残っていたのだが、その時と今では発する気配の類は段違いである。
とはいえ、それが賤しい何かであるようには思えなかった。
「まったく。我々と志を同じくするというのならば、あの程度は見抜いて欲しかったのだがな。私は、エミーナ・スィン・ヴァレンシュタイン。パルティノン解放戦線の首領を務めさせてもらっている」
エミーナと名乗った女性は、アイアースに対して鋭く視線を向けつつ、フェルミナとゲルハルトに対しても視線を向ける。
そして、厳しい表情のままそう告げると、アイアースは苦笑しつつも口を開く。
「少し引っかかることはあったが……、捨て置いて問題ないと思ってな」
「ふん。それで、教団のキーリアが私に何のようだ?」
「主人から聞いていたのか? まあ、用というかだな」
「エミーナ様。私は、フェルミナ・ツェン・フォートです。先年より解放戦線に馳せ参じておりましたが、ご挨拶が遅くなり、申しわけございません。そして、この方は」
キーリアという言葉に、アイアースも言葉に詰まる。
彼女らにとっては教団は不倶戴天の敵であり、衛士ともなれば同胞の命を奪うまさに敵に等しい存在であろう。
先頃の指令にて滞在していたことが、今になって響いてきている。
それを見たフェルミナが慌てて口を開くが、エミーナはなおも鋭くフェルミナを睨み付けるだけであった。
「フェルミナ……。飛天魔の姫でありながら、奴隷に身を堕とした愚か者か? 少しは成長した様子だが。その程度ではすぐに死ぬぞ」
「も、申し訳ありません」
「それで、貴様は何の用なのだ?」
鋭い視線と厳しい指摘でフェルミナを黙らせたエミーナが再びアイアースに対して向き直る。
「簡潔に言えば、ともに戦わせてほしい。ということですね。どうか、自分も解放戦線の旗元にお加えください」
「どういうつもりだ? いや、どういうつもりなのですか? アイアース殿下」
アイアースは小細工の通じる相手でもなく、隠し立てする必要もないと判断してそう口を開く。しかし、エミーナの口を突いた言に、思わず目を丸くする。
「――――知っていたのか?」
「我々は何のために戦っていたと思っている? 一人、孤高に玉座を守る陛下の恩ために戦い続けてきたのだ。そして、帝国に背を向け、教団に身を投じた皇子の存在を無視しておくと思うか?」
「し、しかし、それには理由がな」
「閣下。あなたも同罪なのですよ? 力を持ちながら、それを民がために用いず、無為の日々を過ごし続けた。妻を愛する気持ちも、子を愛する気持ちも分かるが、あるべき地位にあるべき人間を失った帝国はどうなった? 貴方であれば救うことので来た命もあったのではないですか?」
アイアースを責め立てる形になったエミーナに対し、アイアースを庇うゲルハルトであったが、なおも口を着くエミーナの言に彼もまた言葉を失う。
帝国の崩壊に絶望し、家族との平穏を望むことは間違ったことではないが、たしかに彼が救えた命がなかったとも言いきれないのである。
「そこまで言うこともなかろう? だが、私の為したことが帝国への裏切りであるというのならば、たしかにその通りであろうな」
「で、殿下っ!?」
「だが、それなら話は簡単であろう? 俺のこれからの人生は帝国への贖罪のために使わせてもらう。そのためにも、あなた方に協力したい。返答は?」
「…………面の皮の厚い男だ。だが、解放戦線に協力する以上、皇子としてではなく一戦士として扱わせていただく。それが、他の者へのけじめであり、あなた方に出来る譲歩だ。――いずれ、名乗り出る日も来ようがな」
「ありがとう。もっとも、断られても勝手に一緒をさせてもらうつもりだったけどな」
「図々しい男だ。だが、これからはよろしく頼む」
そんなゲルハルトに対するエミーナの言に、アイアースは思わず言葉を荒げかけるが、不思議とエミーナの言に反発する気持ちは起きなかった。
彼女が、どこか無理をして厳しいことを言っているような気がしていて、それが自身を冷静にさせていた。
そんな態度をとられれば、エミーナもまたアイアースを邪見にするわけにも行かず、素直にその武人とは思えぬほどのしなやかな手を差し出すと、アイアースもまたその手を力強く握った。
「では、別室でヤツの話を聞くとしよう。我々も無関係ではないようだしな」
そう言ったエミーナの言に答えるように、スノウが呻き声を上げる。
彼に肩を貸していた主人と小間使いが、急ぐようにとなりの部屋へと彼を運んでいくと、アイアース達もまたそれに続いた。
◇◆◇◆◇
一人、室内残ったエミーナは、先ほどアイアースと握手を交わした右の腕を見つめる。
「殿下、あのような無礼な物言い、申し訳ありませぬ。ですが、民の間にも、帝室への不信感は芽生えつつあるのです……。戦を愉しむ姉君の心情を解すること。それは、悲しみを知る者か、戦いを知る者のみにしかできぬことなのです」
かつての混乱による帝国の崩壊と再生。
その後の内海国家群の討伐。共和政権残党勢力の粛清、強引とも思える経済政策や農業政策。そして、重なる外征。
燃えさかる炎の如くそれらを為し続けたフェスティアであったが、その身に起こった悲劇を知る者も知らぬ者も急激な社会変化と繰り返させる外征に帝国そのものの歪みを感じ取っている。
扇動されたとはいえ、先帝を追い詰めたのは、帝国の民なのである。
民とは、たとえ上に立つ者が聡く正しくとも、それを恐れ敬いながら、武器をその身に隠し続けるものなのである。
水面下での戦いを続ける彼女にとって、リヴィエトや教団という目に見える敵の背後には、民という目に見えぬ難敵が潜んでいる姿が見えている。
そして、その事実はフェスティアやアイアースがその身に宿す理想とは相反する存在でもあるのだった。
静かにそう口を開きエミーナは、自身が戦いを通じて見続けた帝国のことを反芻しつつそっと額を撫でる。
眩い水色の光を発する額の刻印。かつて、先代皇帝によって与えられた縛は、今も彼女の中で生き続けている。
「殿下は、私の事などお忘れなのでしょう。それはそれでよろしい。私は一日たりとも殿下のことを忘れたことはないのですから……」
かつて、ハギア・ソフィア宮殿主広間にて巫女の姿を追っていった少年の背中。それは、ひどく小さく、ひどく弱きものであった少年が、かつて自分が憧憬を抱き、背中を追い続けた女傑の姿を引き継いでいる。
エミーナにとっては、その事実が何よりも救いとなる。先ほど、彼の姿を一瞥した際に涙がこぼれたのは、立ち振る舞いだけでその事実を感じ取れたが故であった。
そうして、再び濡れつつあった瞳を拭うとエミーナは、皆の後を追い室内を後にする。その際、室内奥におかれた衣服に視線を向ける。
そこには、白を基調とした衣服が丁寧に置かれていた。
それは、かつて彼女が帝国近衛軍“キーリア”であった証であり、かつては“エナ”と名乗っていた月日の思い出でもあった。
執筆時間:前半3000字→約二日
後半5000字→約二時間
なんというか、群があって更新が遅れてしまい申し訳ありません……。勉強や作業も進まないし、どうにも上手くいきませんorz




