第30話 白銀の挽歌⑨
風が再び吹き始めた。
吹き積もった粉雪を巻き上げ、視界を曇らせるそれが顔を打つ。それはまるで、眼前に立つ女が呼び寄せたかのようにアイアースには思えた。
「パーシエ……」
「いよいよ、お出ましか」
アイアースは剣を支えに立ち上がり、外壁に立つ女を睨み付けるアイアース。
傍らに立つザックスも、よろめくアイアースを支えながらそう口を開き、ふっと一息吐くと大剣を構えた。
獣とキーリアの交戦が続く町の中。
敵の謎の軍勢は潰走した様子だったが、獣たちの討伐はいまだに済んでいない。元々の戦力差がありすぎるのだ。
そこに現れた新たな脅威。
そちらへと意識を奪われたキーリアに対し、獣たちが再び襲いかかる。
孔雀型の獣が放った飾り羽に斬り裂かれ、牛型の獣によって叩き伏せられ、狼に近い型の獣に斬り裂かれる。
傷を負っていない者は誰一人としていない。さらに、再び吹き荒れはじめた吹雪が、体力を確実に奪っていく。
身に埋められた刻印が、宿主を守っているとは言え、自然の驚異は人に在らざる存在となった者達の肉体をも蝕むほど巨大であった。
「行くぞっ!!」
あまり長い時間はかけられない。
そう思ったアイアースは、傍らのザックスとともに雪原を蹴る。
今のテルノアは、人型のまま。獣化する前に討ち取ることが出来れば、驚異ははるかに減ることになる。
以前の戦いにおいて、手出しすら出来なかった相手なのである。
「ふうん、いい判断ね。でもね、私が“人”のままじゃあ、あなた達に勝てないとでも思っているの?」
飛び掛かってくる二人の姿に、テルノアはそうほくそ笑むと、ハルバードを手に城壁を蹴り、二人へと飛び掛かる。
「っ!?」
「えっ!?」
その姿にアイアースもザックスも目を見開く。
相手を侮ったわけではないが、いったん城壁から下り、獣の姿になってから戦いに望んでくるものだと思っていたのある。
とはいえ、それであれば今戦う獣たちのように、はじめから獣化していればよく、“人”としての姿のままでこの地に現れたのは、ある意味での自信があったからでもあるのだった。
そんな中、上空にて交錯する両者。
入れ替わるように城壁へと着地したアイアースとザックスは、互いに肩口を斬られて血を吹き上げていた。
「ぐっ…………」
「予想外だったな……。カズマ、先に言って、殿下達を援護してくれ」
「なにっ!? 一人じゃどうにもならないだろ?」
「二人でも同じだ。殿下とジル、シャル、ミュラーあたりがいなきゃ無理だ」
傷口を押さえながらそう口を開くザックス。たしかに、実力差が見て取れる以上、数人で相手をする以外にない。
シュネシスの統率力ならば、連携に大きな支障が出るとも思えないのだ。しかし、一人で相対出来る相手とも思えなかった。
「だからって……っ!!」
「はいはい、おしゃべりはそれまで。私は、あなたに興味があるのよ?」
なおも反論しようとするアイアースに対し、そう口を開きながら躍りかかるテルノア。
「すまん、蹴るぞっ!!」
視線を回し、剣を構えたアイアースであったが、その間にザックスがその巨体を潜り込ませると、その声とともにアイアースを横方向へと蹴り飛ばす。
予想外のことにアイアースは防ぐことも出来ずに、虚空を舞い、乱戦の続く広場へと身体を着地させる。
「殿下っ!!」
「ファナ、無事か?」
そんなアイアースの姿を目にしたファナが、交戦中の獣の攻撃をいなしながら、駆け寄ってくる。
それを目にしたのか、こちらへと攻撃の目を向ける獣。アイアースは、ファナの傍らを抜け、振りおろされた獣の腕を斬り落とす。
咆哮をあげ、鮮血を周囲にばらまく獣。しかし、それを見ていたキーリア達が、一斉にとびかかり、獣の肉体を斬り裂いていく。
「っ!!」
そして、アイアースの背後から飛び退いたファナが、継戦能力を失った獣の首を飛ばした。
「殿下、助かりましたっ!」
「ああ……」
全身に返り血を浴びつつも、笑みを向けてくるファナ。
先頃、監獄にて拷問されていたときの絶望的な表情を知っているアイアースからすれば、今の笑みは嬉しくも思える。
しかし、状況を理解していない様子には、少し頭を抱えたくなった。
「? いかがいたしました?」
「お前ねえ……」
「ええっと、殿下って……」
「こいつもって、ことか?」
「あっ」
そんな二人の様子に、他のキーリア達を目を見開きながら口を開く。
もっとも、知られたところで問題はないといえば問題はない。しかし、シュネシスがアイアースの存在をどう思うかが分からぬ以上、一キーリアとして兄を助けるという選択の方が正しい様にも思えていたのである。
しかし、これも戦の高揚が原因であること。
獣化を強制されてなお、自我を保っていたジルのような強靱な精神があれば避けられることでもあったが、万人に強要できることでもなかった。
「っ!? ザックスはっ!?」
そして、アイアースは先ほどまで共闘していた巨漢のキーリアへと視線を向ける。
自身の正体のことよりも、今は絶体絶命の危機局に立つ仲間のことを優先するべきだった。
しかし、そんなアイアースの思いも空しく、彼の視線の先において、巨漢のキーリアが全身を切り刻まれながら、建物から落下していった。
「っ! パーシエっっ!!」
込み上げた怒りに奥歯を噛みしめるアイアース。
その視線の先では、その持つべき姿を開放した女の姿が合った。
◇◆◇
こちらの攻撃を受け止めながら、仲間を蹴り飛ばしたキーリアの姿がテルノアの目に映る。
仲間を逃がしたその男は、攻撃の衝撃に後退しつつも、剣を構えてこちらを睨み付けて来ている。
その姿に、テルノアは感心しつつも、胸に何らかのしこりを感じる。
「なるほど。自分を犠牲に、仲間の勝利を見出そうって言うわけ? そういえば、あなたは前の時もそういう戦い方だったわね」
「私は殿下やカズマには及ばない。だが、防御は得意な方でね。やるべきことをやるだけだ」
「見た目の割りに仲間思いなのね。そう言えば、私の良く知っている子にも…………、ん? 誰のことを言おうとしているの? 私は??」
「?? 何を言おうとしている?」
突如、脳裏に浮かんでくる一人の女性。
口はやや悪く、行動も少々短慮であったが、他人思いで自身の犠牲を顧みずに行動する姿。他人との交流が好きで、酒を嗜んで大声で笑う剛胆さを持ちながらも、普段は本来の種族としての姿を隠している。
その理由が親しい女と比べられるのが嫌だからという、些細なものであるという繊細さも持ち合わせている。
「……誰なの? これはっ!!」
記憶の奥底にあるなにか。
本来持つべき記憶を抹消させられたテルノアであったが、その心に住み着いた存在のことまで忘れうることはない。
そして、困惑する彼女の脳裏に浮かんでくるその女性の姿。それは、幸せそうに赤ん坊を抱いている姿でもあった。
「っっ!?」
「どこを見ているっ!!」
「…………あなたは、誰なの?」
「なにっ?」
そんなテルノアに対して斬りかかるザックス。
だが、元々の実力差の異なるテルノアは、難無くそれを受け止め、二人の視線が絡みあう。そんなテルノアの視界にて、女性に抱かれた赤子がやがて成長し、少年の姿へと成長していく。
そして、その少年の姿と目の前のキーリアがゆっくりと重なっていったのだった。
「ふっ!!」
「うおっ!?」
「何が何なのかさっぱり分からないね。人の姿というのは、どうしても情が湧いてしまう」
ザックスを突き飛ばしながら、その残像を脳裏から打ち消したテルノアは、自らの意識の奥底にそれを押し込み、再び自身が身を任せる存在の姿を引き出しはじめる。
「しまったっ!?」
テルノアの耳に届くザックスの慌てた声。
だが、テルノアはそれに反応することなく、身体の奥底から沸き上がる何かに身を任せていた。
肉体が高揚し、意識が快楽に支配されていく感覚。そして、未知なる感覚への誘い。それらを越えた先にあるのは、深い闇間。
闇に視界が覆われはじめると、襲ってくる得体の知れぬ恐怖と痛み。そして、闇の中に灯った光とともに消え去っていく何か。
やがて、輝きを増した光とともに、テルノアの肉体はこれまでにないほどの開放感へと満ちあふれ身体をいくらか痙攣させている。
「ふう……。この感覚はやみつきになりそうね」
「くそっ……!! ――――しかし、この前とは随分姿が違うじゃないか」
獣としての姿を解放し、心地よい開放感に包まれるテルノアに対し、その姿に目を背けながら口を開くザックス。
気圧されそうな闘気を発しているその姿に、ザックスは恐怖を必死で押さえ込むと同時に、目のやり場にも困りかけている。
いかに、化け物の部類にはいるとは言え、ザックスから見ても、今のテルノアの姿は耽美かつ妖艶を体現するかのようであり、外見の美しさに関して言えば、手を出すことすら憚られるように思わせる。
だが、目に付くのは、以前戦ったときのような、牛を思わせる強健な外見ではなく、機動性と攻撃性に優れた獅子を思わせる外見をしていることであった。
「あの時はまだまだ実験途中でね。やはり、私には元の姿が合っているようなのよ」
「元の姿?」
「そういう種族の出身みたいなのよ。私は。記憶はないけどね。それで、お兄さん。あなたはどうする気?」
「無論、戦うまでだっ!!」
「そうよね。じゃ、邪魔はしないようにしないと」
そう言って、指先を掲げたテルノアが目を閉ざすと、ほどなく彼女の身体は光包まれ、その光がはじけると、それまで剥き出しになっていた彼女の身体は、戦闘用の衣服に包まれている。
羞恥心の類を抱いたつもり無かったが、それは元々人間の女性。自らの裸体をさらけ出すような真似をする気にはなれなかったのだ。
「こんなおばさんの外見を悪かったわねえ」
「知るかっ!! なめやがってっ!!」
「だってねえ……。それじゃあ、行くわよ?」
そう言って、足場を蹴るテルノア。速度を増しながら、吹き付ける雪の冷たさを全身に感じる。
ほどなく、ザックスの巨漢が視界に入ると、手にしたハルバードが振るう。
「ぐほっ!!」
ハルバードの柄を振るい、ザックスの巨体へと打ちつけていく。高速で飛来するそれをザックスは何とか防ぎ続けたが、やがて防御を破られ、全身が攻撃に晒されていく。
一撃一撃の重さはそれまでの敵を遙かに凌駕し、全身に痣を刻むと同時に、内側から肉体を粉砕するような、そんな衝撃に襲われていく。
「ぐっ!! くっそぉっ!!」
「あら?」
殴打を続けるテルノアに対し、目を見開いて剣を振るうザックス。思わぬ反撃に、一瞬だけ気を取られたテルノアの目の前を、雪に照らされた白刃が通過していく。
金属どうしがぶつかり合う音。
跳ね上がったハルバードが虚空を舞い踊りながら、地面へと落下していった。
「はぁはぁっ」
目の前で息を荒げるザックス。得物を失ったテルノアの姿に、口元に笑みを浮かべていた。
わずかながらに勝利の可能性を見出してきたのであろう。しかし、その希望に付き合ってやれるほどテルノアはお人好しではなかった。
「もしかして勝てると思ってる?」
「えっ!?」
そう言ったテルノアが足元を蹴り、ザックスをすり抜けるかのようにその傍らを駆け抜ける。
テルノアの耳に届くザックスの声。彼女が視線を向けると、全身を切り刻まれ、血を吹き上げているザックスの姿が目に映った。
「得物が無くてもね。これがあればどうにでもなるのよ」
そう言いながら、自身の両の腕から伸びる爪を掲げるテルノア。無念の表情でそれを見つめていたザックスは、力を失い、建物からゆっくりと落下していった。
◇◆◇
落下するザックスの姿をただ見つめているしかなかったアイアース。
耳に届く鼓動の高鳴りを自覚していた彼は、怒りが全身を支配しはじめていることを自覚した。
ザックスとは前回の指令の際に、はじめて顔を合わせただけである。いきなりけんかをはじめたアイアースとミーノスに対し、ミュウとともに仲裁に入るなど、強面の外見からは想像できないほど気の優しい男であった。
その後は、本部などで顔を合わせることになっても悪い印象を抱いたことない。
そんな男が目の前で敵に倒され、崩れ落ちている。
そして、怒りが込み上げはじめるアイアースに対して、迫りくる一頭の女獅子。先ほどまでは、妖艶な女の姿をしていたそれは、今では彼女本来の獅子。パルティノンに生きる、レア族によく似た外見となって、こちらへと迫ってきていた。
「どけ、ファナっ!!」
アイアースは、迫り来るテルノアの姿に唖然とするファナを押しのけると、双剣を振るって飛び掛かってくるテルノアの攻撃を受け止める。
しかし、先ほどまでとは比べものにならいほどの力に押され、降り積もった粉雪の上に押し倒される。
「ほら。どうしたの? さっきの子はそれなりに頑張ったわよ?」
首を押さえながらそう口を開くテルノア。
アイアースは絶息しかけながらも、テルノアを睨み付けると、その脇腹に膝を入れる。
「ぐっ!! そう、もっと、もっとよ。もっとやってみなさい。私に傷をつけられるならつけてみなさいっ!!」
一瞬、顔をゆがめたテルノアであったが、すでに自分が主導権を握った相手。絶体絶命の危機にもかかわらず、闘志の失わずに抵抗してくるアイアースに、彼女のうちに秘めたサドフィズムとマゾフィズムの入り混じった感情が刺激される。
「このっ!!」
そんなテルノアの目に狂気を見て取ったアイアースは、彼女の腕を掴むと、脇腹に力を入れながら身を起こす。
予想外のことに目を見開いたテルノアを引き離すと、その身体を突き飛ばす。
「っっ!! うああああああっ!!」
それまで、動揺しつつその光景を見つめていたファナは、目の前に突き飛ばされてきたテルノアに対して目を見開くと、全身の恐怖を振り払うかのように叫び声を上げながら、剣を振りかぶる。
しかし、それはテルノアに自身の存在を悟らせる結果にしかならなかった。
「っ、雑魚に様はないわ」
ファナの気配を察し、彼女に腕を向けるテルノア。何が起こるかを察したアイアースが口を開きかけたとき、すでにテルノアの指先から伸びた無数の爪が、ファナの肉体を貫いていた。
「がはっ……」
「ファナっ!?」
身体を貫かれ、痙攣するファナの身体。
無言でその様を見つめていたテルノアは、冷めた目を向けたままファナの身体を引き寄せると、その肉体を腕ごと貫いた。
「ふうん、あなたや何人かはけっこうやるみたいだけど……、邪魔な子も随分いるみたいね」
すでに物言わなくなったファナを捨てるように雪原に叩きつけたテルノアは、アイアースを一瞥した後、彼と同様にテルノアを取り囲むキーリアをはじめとする周囲の様子へと視線を向けている。
「雑魚には様はないって言ったはずよね?」
一瞬目を閉ざし、そう口を開いたテルノアは、目を見開くと、両の腕を思いきり振るう。
瞬時に跳躍したアイアースであったが、わずかに遅れたキーリアが足を両断されて崩れ落ち、他二人のキーリアが胴を両断されて倒れ込む。
ほんの僅かな間の出来事であり、アイアースも思わずその光景に目を奪われる。
「よそ見をしないで?」
「っ!?」
そんなアイアースの目の前に迫るテルノア。
降られた拳がアイアースの腹部へと突き刺さる。指先ではなく、拳であったのが幸いしたが、口から血を吐きながらアイアースは後方へと突き飛ばされる。
「うおっ!?」
吹き飛ばされたアイアースは、間が悪く後方にて交戦中のシュネシスに激突し、揃って雪原に叩きつけられる。
「ぐっ……、何をやっているんだっ!!」
「すまん。だがっ!!」
そんなアイアースへと向けられたシュネシスの怒声。しかし、彼らが口に出来たのはそこまでであった。
「殿下っ!! ぐあっ!!」
二人へと駆け寄ってくるジルが、背中から血を吹き上げて倒れ込むと他のキーリア達も降られた拳の前に倒れ込む。
「次ね。あなたと皇子様は、最後までとっておいてあげる」
瞬時にアイアース等の周囲にて戦うキーリアを叩きのめしたテルノアは、アイアース達をあざ笑うかのように支援に当たっているセイラ隊へと視線を向ける。
それまで、その光景を見つめるしかなかった法術部隊のキーリア達がはっとして顔を上げ、刻印を輝かせはじめる。
「法術でいいのか?」
そう言って雪原を蹴るテルノア。
慌ててアイアースもテルノアの後を追うが、追いつける距離ではない。アイアースは、背に仕込んだ投擲用のナイフを手に取ると、その背中へと投げつける。
しかし、テルノアはそれを一瞥することなくそれを叩き落とす。だが、その一瞬の間は、法術部隊のとっては天の恵みの如き間。
3人のキーリアの手が眩い光を放ったかと思うと、炎と氷塊を纏った閃光がテルノアへと襲いかかる。
「きれいね。でも……」
常人ならば、灰すらも残らぬほどの威力を秘めた法術。三つの刻印の合力によって、単体の数倍の威力を持つそれであったが、迫り来るそれに対してテルノアは何の感慨も抱かなかったようである。
そして、本来であれば刻印によって焼き尽くされるはずだった彼女の肉体。だが、今のそれは彼女の眼前にて停止していた。
「私が刻印への対策をしていないと思う? 隊長さん」
眼前にて張った障壁に激突、激しい音と光を発している光弾。その人造の脅威が奏でる演舞によって舞う一人の女性。
本来であれば、その演目の主演を担うはずだった彼女、№10セイラは、テルノアの言とともに背後突き出された彼女の爪を額に受け、その行動を停止していた。
迫り来るテルノアに対し、一か八かの合体法術を用いたキーリア達。そして、それが通用しなかったときの保険として、気配を断ったまま背後へと回り込んだセイラ。
しかし、その努力をあざ笑うかのように、テルノアは突き刺した指先を思いきり振り下ろしたのだった。




