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第21話 魂とともに

 

 ベッドに横たわった女性は、安らかな表情で眠っていた。


 全身がほんのりと光を帯びているのは、全身に埋め込まれた刻印の影響だという。使用者の命を削り取る法術を使役するものであったが、宿主が死したところで刻印が死ぬ分けではない。

 刻印が生きることで肉体の死が緩やかになるというのは、過酷な人体実験を経て人たる身で無くなった彼らにとっては唯一の慰めであるのかも知れなかった。



「………………」



 永遠の眠りについた女性。


 その血に塗れた姿はきれいに清められ、ボロボロになったキーリアの正装は、新しいものへと取り替えられていた。

 白き髪に白き肌、白き衣服。全身が純潔の象徴たる白であった女性。しかし、その生涯は純潔とはほど遠いほど過酷なものであったという。

 それでも、その最後は純粋に守るべきもののために戦いきった。


 一騎当千を体現するキーリアであるが、それはあくまでも正規兵を相手取った場合。精鋭中の精鋭を相手にすれば苦戦もする。


 イレーネに襲いかかった者達は5人のキーリアを中心とする、暗殺の専門集団と叛徒兵(信徒兵)の精鋭揃いだった。

 しかし、一人を逃亡させただけでそのすべてを斬り、一人を捕らえている。

 人間を超えた存在であるキーリア。人たる身で無くなった存在を彼女はさらに超えたのであった。自らの命を代償として。


 それをさせたのは自分であった。


 そして、もう一人。自分の命の代償として望まぬ生を歩んでいる女性がいる。それを胸に抱きながら、アイアースのイレーネの身体を抱きかかえた。



◇◆◇



 シヴェルス州都にして極北軍管区政庁の置かれるオルクス。


 帝国東北部最大の都市であるが、その規模は中央の一都市にも劣る。しかし、人口や産業の少ないこの地方にあって、唯一と言って良いほど交易などで賑わいを見せるこの都市もこの日は奇妙な静寂を保っていた。


 そして、このオルクス領主ドゥアが長女フィリス・スィン・レヴァンスにとっても、この日のこの静寂は意味のあるものであった。


 一人の死を全員が弔う。過酷な自然環境の中で生きる人間達にとって、その死は自分の死と同義のものである。

 掠奪の応酬に生きる遊牧の民とも銭という欲望の対価の中に生きる都市の民ともその価値観は異なるのであった。

 もっとも、都市に住む全員がそれを弔うというのは稀であった。

 


 フィリスは、黒で統一した衣服に身を包み、自身の愛馬に跨がりながら、館の前に広がる広場から郊外へと続く大通りに視線を向ける。


 大通りは暗闇に包まれているが、どことなく人の気配を感じている。

 目をこらせば、大通りから湖の畔を抜け、この辺り一帯を見渡すことのできる小高い丘にまで人の姿を目にすることができる。


 それを一瞥したフィリスは、背後から耳に届く轡の音に馬を返す。


 フィリスの前を、大型の美しい白馬に跨がった一組の男女が通り抜ける。男の方は少年であり、大人の女性をその腕に抱いていた。

 少年は青を基調とし、白の装飾を施した衣服を身につけている。これは、今は無き神聖パルティノン帝国皇族のみが身につけることの出来る衣服であり、帝国の御旗である青き空と白き狼虎を表す姿でもあるのだった。

 そして、その少年に抱かれた女性は、全身を白地の衣服に身を包んでいる。帝国最強の戦士であるキーリアの証であった。

 その少年が大通りに立つと、闇に包まれる大通りが人の気配で包まれる。

 それを見て、フィリスは傍らに立つ男が持つ燭台に自身が持つ燭台の火を灯した。

 男はそれを傍らに立つ少年へ、少年は女性へ、女性は老人へ、次々に火は灯されていき、闇の中に一つの道が作り出されていった。


 その炎の道を、少年はゆっくりと馬を進ませる。


 その背後には、女性と同じく白を基調とした4人の男女が続き、オルクスの領主であるドゥア・テムルと少年の同行者である二人の少女が後に続く。

 一人は年齢以上の落ち着きを感じさせる少女で、薄く施した化粧にもかかわらずその妖艶さが強調されている。もう一人の少女は、銀色の髪と漆黒の翼を持つ飛天魔族の少女。その瞳は涙に濡れていた。

 その後をオルクスの要人達が続き、一行が過ぎ去った後、フィリスはその集団の後方へと続く。両隣を同じ背格好の少女が馬を進める。

 妹のリコリスとシルウィスである。


 一歳年下の妹二人であるが、元々血の繋がりはない。老境に入った父が養子として迎えたためだ。

 なぜ、少女を3人も迎えたのかはまだ聞かされていないが、おそらくは外交を有利にするためであろうとフィリスは思っていた。

 外見も性格も似ていない姉妹であったが、普段は仲良く行動し、今もまた“熾火の役”をともに与えられたのだ。


 列を成す人間達の蝋燭に火を灯し、それをもって先頭を歩くだけの行為であるが、死者をおくる役目の一つであることに変わりはない。

 何よりも、今回は町を挙げてのことであり、その役を当てられるだけでも名誉なことだとフィリスは思っていた。


 少年が歩く速度に合わせて灯されていく火。

 それは大通りを経て、闇夜を映し出す湖畔を通り、やがて小高い丘へと続く。そして、フィリスはリコリスとシルウィスとともに少年達の傍らを抜け、丘の頂上に作られた祭壇に火を灯した。


 すると、火は役目を終えたように消えてゆく。


 街から伸びる炎の道が消えると、丘に作られた祭壇だけで闇夜に残された最後の灯火となるのだった。

 少年が馬から下り、祭壇へと女性を横たわらせると、腰に下げた双剣を抜き、彼女へと差し出す。



「イレーネ・パリス。その武勇は我が母、リアネイア・フィラ・ロクリスと並び称され、帝国北部の守護神として、また帝国の守護者としてその責務を全うし、不幸にして凶刃倒れた。我々は、あなたの勇姿と献身を生涯忘れぬ」



 静まりかえった丘に少年の声が響き渡る。静かで、とても澄んでおり、普段の優しい少年の姿とは異なったものであった。


 そして、少年がその背後に控える者達へと向き直る。



「皆、彼女の旅立ちに参列してくれたこと、感謝致す」



 そう言って、うつむき加減に目を伏せた少年は、再び口を開いた。



「私は彼女の死をを受け入れぬ。彼女は永遠の眠りについたが、その思いは私の中で生き続けている。私が生きる限り、彼女に死はない。……そう思わねば、これ以上戦い続けることなどできぬ」



 少年の言は、最後には震えており、悲しみに耐え続けていることは痛いほどよく分かった。

 戦士にとっての死は、つねに隣にあるものと聞いている。だが、愛するものの弔いすらもできなかった少年にとって、イレーネの死はすべてを投げ出させてしまうほどの衝撃であったことは容易に想像がつく。


 しかし、彼は今“戦い続ける”と言った。それは、少年の心がまだ折れていない証明でもあった。



「今の私は、まだまだ無力。そして、この命も、憎むべき天の巫女の手の平の上にある。だが、私、アイアース・ヴァン・ロクリスは、イレーネ・パリス、オルクスの守護者の魂に約束する。帝国の復興のため、この草原に生きるすべての民のため、戦い続けることを…………。――――私の告白はここまでだ。弔いを捧げるもの、語りかけるもの。自由にしてくれ」



 そう言って、アイアースは祭壇から離れた。その後、父ドゥアや現シヴェルス方面を担当するキーリアであるヴァルター、イレーネとともにアイアースの守護にあたるハイン以下4名のキーリア、そして、彼女がこちらに赴任してきた際に関わりのあった人間達が次々に祭壇へと立ち寄っていく。


 立ち振る舞いや素行は粗暴なところがあったと聞くが、それは孤高と保つことで皆を危険に晒す機会を奪うためであったという。

 アイアースとともに再びこの地を訪れたときも、近づきがたい態度をとり、孤高を保ち続けていたが、不思議と不快な感情は長くは続かなかった。

 その孤高さの中に寂しさと苦悩を自分なりに感じ取ったからかも知れなかった。



 そして、フィリス達の姉妹が手向けの花を贈ると、アイアースの同行者の女性が、イレーネの前へと進み出る。



「光よ、今ここに眠り行く者に平穏を……」



 声とともに彼女の右手が光り始め、矢がその光がイレーネの身体を包み込む。

 全身の刻印によって、腐敗することのない彼女の肉体であったが、それは死者を弄ぶ者にとっては格好の標的になり得る。

 今、彼女が施した者は、それらを妨害するための法術であった。

 そして、それを終えると祭壇はゆっくりと地中へと降ろされていく。オルクスをはじめとする大地を見渡せる地。彼女にとって、この大地がどのようなものであったのかは知るよしもない。だが、彼女が最後に笑顔を見せた地でもあるのだった。


 そして、祭壇が地へと埋められ、残されたのは穏やかな丘。そこに、アイアースは自身が持っていた双剣の一振りを突き刺した。



「墓標は一つで十分だろう。母上は、お前を気に入っていたという……」



 そう言ったアイアースの手には、双剣よりもやや大型の剣が握られていた。



「悪いが、お前のをもらっていくよ。ともに戦い、俺がどのような人生を歩むのか見ていてくれ……。イレーネ」



 そう言うと、アイアースは墓標に背を向ける。



 キーリアの墓標に名はない。ともに戦った武具が立てられるだけである。それが、人たる身で無くなった者達が歩み続ける道の終わりであった。



◇◆◇



「皆、今日はご苦労だった。イレーネもゆっくり眠れるはずだ……。皆も、ゆっくり休んでくれ」


「殿下……。いえ……フェスティア様は、必ずや」


「当然だ」



 館へと戻ると、アイアースはハイン等にそう告げ、私室へと戻る。グネヴィアに告げられた事は、すでに皆に伝えてある。


 フェスティア生存の報は、キーリア達を驚かせたのだが、今は共和政権と“教団”の手にあるという事実。それが、激発を防ぎ、皆に新たな決意を抱かせていた。


 帝国の崩壊から一年余。


 アイアースが受けた傷は癒え、共和政権の国家運営は限界になりつつある。地方の反乱も相次ぎ、時代は大きく動き始めている。

 教団と共和政権が、フェスティアの動きを掣肘するべく、アイアース等に刺客を放った事実は、事態が動き始めた証明でもあるのだ。


 そして、イレーネの死によって、アイアースの中の何かが目覚めはじめている。


 それを、ハイン等は敏感に感じ取っている。ドゥアを通じての極北各地への呼びかけは続いており、まとまった兵力も間もなく整うはずなのであった。



「…………ふう」


「殿下…………」


「ん? フェルミナ、どうしたんだ? 早く部屋に戻れ」



 アイアースは、一人私室に残った飛天魔の少女へと視線を向ける。


 飛天魔の特性故か、フェルミナは一年の間に大きく成長し、はじめの大人しい少女の姿から大人の女性へと成長しはじめている。

 成長が早く、長命であるという戦いに適した種族であるが故のものであったが、中身に関してはアイアースが手に入れたときからあまり成長していないように思えた。



「今日は、ともに居させていただけませんか?」


「はあ? 何言ってるんだよ」


「でも…………、なぜか、殿下がどこか遠くへ行ってしまうような気がして。この前のこともそうです」


「まあ、あの時は必死だったからな」



 そう言って笑うアイアースであったが、フェルミナは目をうるませて見つめてくるだけである。身体の成長はフェルミナの方が早いが、アイアースは中身の年数が違う。


 健気な様子は愛おしくもあるが、それは少女が大人に対して依存しているのと対した差はないとも思っていた。



「フェルミナ。姉上を取り戻したら、一緒にお前の故郷へ行こう。国王様にも謝らなくちゃならないしな。だから、俺は居なくはならない。約束は必ず守る主義だからな」


「一緒に……ですか?」


「ああ、結印は外してあるし、そこに留まるか帝国に仕えてくれるか、そこで選べばいい」


「……………」


「ようは心配するなと言うことだ。それで良いだろ? さすがに、今日は眠い」


「殿下…………」


「…………ああ、分かった分かった。一緒にいて良いよ」


「……ありがとうございますっ!!」



 何とか説得をしようと努力をしたアイアースであったが、なおも目で訴えかけてくるフェルミナの視線に根負けした。


 実際、子ども同士。間違いが起こるわけはないのだが、最近のフェルミナの様子は少しおかしいように感じていたのだった。



 傍らにて寝息を立てる少女の銀色の髪を撫でる。


 出会った当初から美しいままの髪。それは、一人の女性の姿をアイアースに思いかえさせた。



「ごめんな、フェルミナ…………」



 そう言うと、アイアースは音もなくベッドから下り、手早く衣服を整えると、館から外へと出て行く。

 街はすでに眠りについており、闇の中には完全なる静寂があるだけであった。



「サヨナラとは言わない。俺は必ず返ってくる……。オルクスの街よ、しばしの別れだ」


 そう呟くと、アイアースは街を抜け、周囲に広がる草原へと足を運ぶ。すると、いくつかの馬蹄の響きが耳に届きはじめた。


 そちらに視線を向けると、闇夜に生える白き影が浮かび上がる。



『覚悟は決まったのか? 小僧』


「ああ……、行こう」



 白馬からの問い掛けに、アイアースはそう応えると、白馬に跨がる。自分がこの世界にやってくるきっかけとなった馬。しかし、今はアイアースを目的の地へと誘う存在であり、白馬、クランにとってもかけがえのない主人の忘れ形見であるのだ。


 お互いがお互いを必要としているのだった。



「母上、イレーネ…………ともに帰りましょう。我らが帰るべき、パルティーヌポリスへっ!!」

2日も明けてしまい申し訳ありませんでした。


あと、2話で流転編は終了になります。前話の様な気合いで頑張りたいと思います。

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