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第2話 異世界にて②


 その後、リアネイアが迎えに来るまで、ゆっくりと身を休めたアイアースは、今は馬上の人となっている。



「今思えば、よく生きていたな……」


「ん? どうしました?」


「あ、――いえ、何でもありません」



 後頭部に出来た傷を撫でながらそう呟いたアイアースの言が、傍らにて馬を進めるリアネイアの耳に届いたようである。

 ごまかすように首を振ったアイアースに対し、リアネイアは両耳をピクリと動かした後、視線を前方へと移す。

 変にごまかす必要もなかったかもしれないが、アイアース自身、あの時以降リアネイアが自分の変化に異変を感じていることは分かっている。よけいな心配はかけたくないと言うのが本音であった。



「あなたはやさしいですね」


「えっ?」



 しかし、下手なごまかしなどが通じる相手でもなかったようである。驚きと共に視線を向けるが、リアネイアはそのまま続ける。



「ふふ、あれ以来、クランや他の馬を怖がるかとも思っていたいました。ですが、そうはならなくて安心しましたよ。自分の子どもと草原を駆けることは私の夢でもありました」


「そうなんですか?」


「ええ。平和な世が……続いてくれれば」


「…………」


「閣下、殿下が黙ってしまいましたよ」



 リアネイアの部下であるティグ族の女性が苦笑いを浮かべながら口を開く。アイアースが、言動の背景を理解出来るというのは皆が承知しているが、中身はともかく外見は年内に7歳を迎える少年である。


 理解できるからこそ、その事実に衝撃を受けてしまうという危惧は当然のように持っていると皆が思ったのであった。



「…………私も、楽しみです。母上。すぐには無理でしょうけど、帝都に戻ったら一緒に行きましょう」


「ふふ、そうですね。さてと、見えてきましたね」


 とはいえ、心配されたまま何もせずと言うのはなんとも居心地が悪い。多少の気遣いと本音を含んだ言を返すとリアネイアは柔らかな笑みを受かべる。


 そして、丘を登り切った先に今回の目的地である街並みが見え始める。


 皇妃と皇子による行啓である。遠目から見ても、街の入り口付近に人々が集まっている様は見て取れた。



 皇帝による行幸、皇族による行啓には何らかの施しが訪問先に成される。もちろん、帝室への畏敬の念から集まる者もいるであろうが、昨今の世情を考えれば食糧を始めとする援助を期待する者が大半であったのだ。


 アイアースの転落事故から間もなく4年が経過しようとしていたが、その間に帝国は激動期を迎えようとしていた。


 ◇◆◇


 きっかけの一つは、100余年ぶりとなった大親征の実施である。



 大陸過半の統一の後、史上初の『平和』というモノを享受していた帝国民にとっては、いずれは訪れる平和の終わりを宣言されたわけであったが、長く続いた平和による閉塞感の打開を期待する人間は多かったのである。


 しかし、親征軍の大敗と皇帝の戦死よって事態は急変する。


 史上空前の規模で行われた親征による国土のダメージは、新天地の獲得によって補填されるはずであったのだが、その期待が灰燼に帰し、残ったのは多くの遺族と疲弊した国家だけであった。


 そして、それに追い打ちをかけるような事態が巻き起こる。


 穀倉地帯南部に位置する聖山セオトコス山が大噴火を起こし、それに端を発した大飢饉が帝国中央部を中心とする穀倉地帯を襲ったのである。

 さらに、帝室内部で後継者争いが勃発したことも、混乱に拍車をかけることになる。

 皇太子であったアイアースらの父、ゼノス・ヴァン・アルティーヌ(現ラトル・パルティヌス)は10数人いた生き残り兄弟の中ではもっとも凡庸であるといわれていたことに他の皇子・皇女達が野心を抑えられなくなったことが原因であった。

 もっとも、生き残りの中では唯一大親征に参戦し、父帝や優秀な兄弟達の亡骸を帝国へと持ち帰った功績があり、凡庸と謳われていても、尚武の気風漂うパルティノン皇室にあって、国を挙げての大親征に参加していない兄弟達に発言力など有りはしなかったのであるが……。


 結果として、乱の平定に一年以上の歳月(むしろ、一年で収まったことが奇跡的な規模である)をかけたため、戦傷による国力の回復も飢饉への対策も後手後手に回ってしまったのである。

 

 その結果、まだ幼年であるアイアースも国家のために動くことを義務づけられているのであった。


 ◇◆◇ 


 ――意味があるかは正直分からない。



 行啓を終えた後、野営地で炎を見つめながらアイアースが思ったのはそんなことであった。

 父親を亡くした家族の元を訪れ、困りごとを尋ねたときや帰国した兵士を慰問したときも、彼らは正座をして黙して涙をこらえるだけであった。



「我らの謝罪などに意味はありません」



 とは、リアネイアの言であったが、戦争がなければ、後継者争いなどを起こさなければという想いは、平和ボケした日本人としての過去がどうしても訴えかけてくるのである。



「アイアース、明日は久方ぶりに陛下……いえ父上達と合流します。今までよく頑張ってくれましたね。――――皆も、ご苦労だった。我々の我が侭に付き合わせてしまったこと、心から感謝する」



 たき火を見つめるアイアースにそう声をかけた後、周囲の部下達を気遣うリアネイアであったが、彼女にとって父ゼノスは、夫ではなくあくまでも仕えるべき主君であるようであった。

 行啓している皇妃や皇子が野営をすることなど本来はあり得ない話でもあったが、先ほどの街からでは、集結地である離宮に到着するのは夜半となってしまうため、強行軍となっているのであった。



「アイアース。そなたは、天幕にいって休みなさい。明日も早いですよ」


「ええ……」



 すでに夜の帳は降り実際に体力も消耗していたアイアースであったが、中々寝付けそうにもなかった。

 とはいえ、言ってよいことなのかどうかも分からない。



「はて? 如何した?」


「えっと……、疲れただけです」


「ふむ…………、我々のやっていることに納得がいきませんか?」



 そんな態度のアイアースに対し、リアネイアは耳と尻尾をパタパタと動かしながら思案すると、そう口を開く。


 普段冷静な彼女であったが、深く思案すると気持ちが落ち着かなくなるようで、無意識の内に耳や尾が動いてしまうようである。


 当初は、『こういうのを萌えっていうのか』と母親に対して分けの分からない感情を抱いていたアイアースであったが、根が真面目な質であるため今では母の思案内容を読もうとまでしてしまう。



「納得がいかないわけではありませんが」


「彼らが苦しんでいる責任は自分達にあるのに。といったところですか?」


「………………」



 深く思案して答えを出した彼女にごまかしなど通用しない。そのため、本音を口にするしかないのである。



「殿下はお優しいですね」


「そんなことは」



 同行しているキーリアの一人が、アイアースの沈黙を是と判断し、そう口を開く。

 一瞬皮肉かとも思ったが、まだ年若い彼女の表情に悪意はなく、柔らかな笑顔を浮かべている。



「勝敗は兵家の常であります。殿下。死したる者達は残した者達を思うのであり、我らの謝罪などを必要としておりませぬ」


「後継者争いに関しては、不敬ではありまするが、野心を抱いた方々が愚かであるとしかいいようありませぬ。仮令玉座を得たとしても、それを受け入れる人間は多くはない。それに気付くことがなかったのですから」


「そなたたち、そのくらいにしておけ」




 他の者達も次々に口を開くが、事実を教えられたからといって納得のいくものではない。何より、戦争とは歴史のうちの一幕でしかない環境で育ってきた時間が長いのである。



「うわっ!!」



 そんなことを考えていたアイアースは、突然何かに引っ張られる形で後ろに倒れる。

 視線の先には、自分を見下ろす母の顔があった。



「母上?」


「アイアース、星がきれいですよ」



 そう言って、夜空を見上げるリアネイアに習う形で彼も星々の瞬きの海へと視線を向けた。



「こうして、夜空を眺めることが出来る。戦いに身を置くべき我らであってもそんな時間がもてる。なれば、多くの民もまた同じようにあるであろう」


「………………」


「それを守ることが我らの使命。こうして我々が赴いた結果として、その時間が出来ればそれでよいのではないですか?」



 そんなリアネイアの言に耳を傾けていると、次第に瞼が重くなってきていた。



 ◇◆◇◆◇

 


「眠ったか……」



 自身の膝を枕に寝息を立て始めた一人息子にリアネイアはそう呟くと、ゆっくりと天幕へと運んだ。

 毛布を掛け、穏やかな寝顔を見せる少年は、年相応に幼く、穏やかな表情で眠りについている。


 たき火の元へと戻ると、部下達は神妙な面持ちでリアネイアを待っていた。



「姫様、いや、閣下」


「好きに呼べ。今更、気を遣う仲ではなかろう」


「はっ。…………殿下はやはり」


「ふむ。ティグの教えにあるが、まさか真実であろうとはな…………」


「『乱起こりし御代にティグの皇女、麒麟児を産みしたまう』でありますか、たしかにアイアース殿下は聡明でありますが」



 一人がそう言うと、皆が一様に口を閉ざす。


 ここにいる者の大半は、リアネイアがキーリアとなった時から付き従う。それ故に、皇太子に見初められたときは複雑な思いをしていた者が多い。そして、今回のアイアースの変質である。


 正直なところ、聡明だ、神童だ。等という無責任な賞賛で片付けられるほどのことでなく、やや未熟ながらも大人同然の精神状態をいえるのである。



「乱が起こる故に麒麟児が生まれるのか、麒麟児が生まれるが故に乱が起こるのか。――前者であって欲しいものだ……」



 今回の行幸啓の成果か、国内は比較的安定しつつもある。とはいえ、帝国は非常に広大であり、目の届かぬところで反乱の兆しは常に存在している。

 それまでであれば、民が叛徒の側に靡くことはあり得なかったが、それは帝室が公のためにあったからであり、非常事態に後継者争いなどという愚行に走った以上、それまでのような忠誠を強いることは簡単ではない。



 帝国が千年とも謳われる時をかけて育んできた威光も、ほんの僅かな愚行で崩壊していくのである。

 その事実を、今回の行啓で突き付けられていたのは、アイアースだけはなかったのである。




 そして、彼らの離別の時は目前にまで迫っていたのであった。

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