プロローグ
以前別のサイトで投稿していたモノの改変&タイトルを変更した再投稿版になります。よろしくお願いします。
桜のつぼみが目立っていた。
身体に吹き付ける風も柔らかさをまし、春はすぐそこまで来ていることを実感させてくれる。
そんな季節の変化を感じつつ、バイクの速度をさらに上げ、ヘアピンカーブを滑らかに曲がると先ほどまでののどかな並木通りから住宅やビルの連なる市街地の景観へと移り変わっていった。
「うーん、相変わらずいい景色だな。ここは」
高台にあるこの場所は、市街地を一望できる知る人ぞ知る夜景スポットでもある。
「とりあえず、ツーリングに誘ってここに案内をして……、たしか夜景が好きだって言っていたよな」
バイク仲間との話の中でこの場所を知った彼、十川和将は、そんな事を呟きつつ、眼下の街並みを見下ろす。
(前に来た時も感動していたみたいだしな。まあ、玉砕したらしたで仕方ない)
和将の脳裏に、同じサークルの斉御司百合愛の姿が思い浮かぶ。
長い黒髪と切れ長の眼が印象的な和風美人であり、交際を申し込まれることもたびたびのようであったが、
以前に友人達と来たときは夜であり、宝石を散りばめたとまではいかずとも、昼間の雰囲気とは大いに異なる。
都市の作り出す光は別世界を思わせるような、どこか不思議な気持ちを抱かせてくれるのだった。
「まあ、駄目で元々。とりあえず、誘うことはできたんだ。後は来週の勝負だっ!!」
以前の光景を思い返していた和将は、そう言って握り拳を振り上げると踵をかえす。
道路脇に停めておいたバイクの元にまで戻ると、同年代の女性がゆっくりとした足取りで和将が歩いてきた小道へと入っていく。
(おっ!? 美人っ!! ……ん??)
すれ違った女性の長い黒髪や整えられた容姿に一瞬目を奪われた和将であったが、バイクに歩み寄る間にふとした違和感に気付く。
今日は比較的暖かい日であるが、さすがに防寒着は必要な時期であった。
それに対して、彼女の服装はコートの一つも羽織っていない軽装である。それに、言い方は悪いが、普通の女性が一人で来るような場所でもないように思える。
そして、ここは高台にあり、場所によっては急な崖にもなっている。もしかすると、もしかするかも知れなかった。
「ま、まさかっ!?」
そう思うと、無意識の内に身体は動き始めていた。自慢するわけではないが、道路で飛び出しかけたこどもや橋から身を投げようとしていたおじさんを助けたこともある。
なにより、先ほど自分がすれ違った女性が身を投げたとなったら、寝覚めが悪すぎる。目的が和将と同じであれば、それはそれでよいのであり、ちょっとした正義感と自尊心と個人的な都合が誘導した結果の行動であった。
整備されていない小道であったが、高校までは体育会系の部活をやっていたし、今もサークルで運動はしているため走るのは苦にならなかった。
とはいえ、女性に追いつくことはできず多少息を切らせながらも先ほどのスポットにまで戻ってきた。
「ふぅ、最近ちょっとサボり気味だったからな……さて」
ふっと息を整えると、和将は周囲を見まわす。すると、やや切り立った崖となっている場所に女性が身をかがめているのが見て取れる。
しばらく、様子を見ていると女性は崖に向かって何かを語りかけているのか、じっと視線を前方へと向けている。
和将にとっては長い時間が経っているように感じ始めた頃、女性は懐から白い封筒を取り出した。
(まさか、遺書っ!?)
「ちょ、ちょっとまってっ!!」
「えっ!?」
慌てて、近寄り声をかけた和将に対し、女性は驚きと共に声を上げ、顔を上げる。見ると、目尻には涙が溜まっていた。
「あ、その…………えっと、何があったのかは知らんけど」
「えっ、ええ…………」
そこまで言って、和将は口を閉ざす。慌てて出てきたのはいいが、女性に大してなんて言って良いのか分からなかった。
こどもの時は、注意を促すだけだったし、おじさんの時は相手が取り乱していたため押さえつけることに必死であった。
しかし、今回は相手が妙に落ち着いており、『自殺は駄目だ』なんて言えるような状況ではないような気もしている。
「え~と、その、なんだ」
「あの? ……もしかして私が自殺しようとしているって思いました?」
何を言って良いのか分からず、言葉に詰まる和将に対し、状況を察したのか、女性が苦笑しながら口を開く。
「えっ!? いや、その…………はい…………」
「あ、やっぱり? お兄さん、さっきすれ違った人ですよね? たしかに、あんな顔していたら勘違いしますよね」
「そ、それじゃあ、自殺しようってわけじゃ」
「ないです」
「そ、そうすか…………」
安心したのか、恥ずかしさからか、和将は思わずその場で膝を折る。
嫌な予感というのは、当たったときの衝撃が大きいため印象に残りやすい。そのため、大半の取り越し苦労に終わったことなどは忘れてしまうことが多いのだ。結果として、『自分の予感は当たりやすい』等と勘違いをする羽目になる。
「私は、静原美空。東峰福祉大学の2年生です。あなたは?」
「えっ? 同じ大学? 俺は十川和将。2年生って言うと、春から?」
「うん。十川君か……、いつもちょっとチャライ人達と喫煙所にいない?」
「えっ? まあ、あそこでだべったりはしているかな……」
「あ~、やっぱり……。頭の悪そうな人達って印象に残りやすいんだよね」
「こら」
最初の儚げな印象とは異なり、美空は思いのほかズケズケとものを言う性格のようである。とはいえ、喫煙仲間の連中が頭が悪いのは事実であるため、声を大にして否定もできない。
そもそも、一人でぶらつく羽目になったのは、全員が揃って追試をくらっているせいでもある。
「ま、こんな格好で手紙なんか持っていたら勘違いもするよね」
手に持った封筒を掲げながら、美空は苦笑する。
改めて顔を見てみると、なんとなく見覚えのある顔立ちである。大学で美人とすれ違ったら思わず目を向けることが多いため、見たことはあるのであろう。
「手紙?」
「ええ…………、ここに持ってこようと思って。ここね…………、私の大切な人がいるの」
そう言って、美空は崖下に視線を向ける。その表情は先ほどまでの落ち着いたものではなく、悲しみを押し殺しているような、どこか苦しんでいるような、そんな表情であった。
(やっぱり、さっきのは嘘だ…………)
先ほどの明るい態度が一変、儚げな姿に戻っている美空に和将はそう思った。
自殺をするものだと勘違いをされれば、怒るか勘違いを笑うと言ったところが相場である。なにしろ、和将とは初対面であり、そんなことを話すような関係でもない。
「高校の時だったかな。ここで……ね、彼に」
「ストップ」
「えっ?」
「俺に話すようなことじゃないでしょ? 彼氏さんだって嫌がると思うよ?」
「感づいているクセに。止めたかったら、代わりになるぐらいの甲斐性を見せてくれてもいいんじゃない」
「気付いていたのか」
「そ。でも、安心して。誰かに見られたら、そして止めに来られたら止めようって。決めてきたから。今度は信用していいよ」
再び、儚げな表情から明るい表情へと変わる美空。
たしかに、自殺する気は無くなったようでもあるが、感情が安定していないことには変わりないような気もする。
「あー、そう言えば今日は……」
そこまで言いかけて和将は口を閉ざす。今日は忘れもしないあの日でもあった。
「そういうこと。それでね、ここに来ればまた彼に会える。そう思えるような気がするんだよ。ここは、人気もないしね。神様に祈ったり、お願いをするにはいい場所だしね」
「神様ねえ」
「あの人を返して。もしくは、生まれ変わっても、また見つけれるように……ってね」
「手紙がそれ?」
「そ。……でもね、ふふ……」
「なによ?」
再び表情が一変、今度は何やら獲物を狙う肉食動物。分かりやすく言えば、餌を前にした猫のような、危険ではないが、今にも食いつかれそうな表情をしている。
「質問、和将君て、今、フリーですか?」
「…………今日ここに来たのは、告白場所の下見でな」
「はい、了解。それじゃあ、それを中止できるよう、今から頑張っちゃいます」
「なんでやねんっ!!」
「立候補だけだもん。それに~、和将君も宛のない人より、告白即オーケーの人の方がいいんじゃないの?? 私だったら、振られるショックは受けなくてすむよ」
「よっしゃ、美空ちゃ~ん。……なんてルパンダイブするとでも思ってんのか?」
「あっ、ここじゃ危ないから、また後で……あぐっ!? おおおおっ!?」
ほえほえとした表情を浮かべる美空に対し、和将は思わず手刀を脳天に振り下ろす。
突然の攻撃に、驚きと痛みで膝を折る美空であったが、和将からすると無理をしているのがあからさますぎて、何とも言えない気分になってくる。
「はあ、とりあえずさ、それだけ元気が出たらもう大丈夫だろ? 帰ろうぜ」
「あいたたた、全力でチョップをしなくても……って、一緒に帰るの?」
そうして、差し出された手に、美空は目を丸くする。
「歩いてきたんだろ? 同じ大学のよしみだし、乗っけていくよ。一人で返してやっぱし自殺しましたじゃ、寝覚めが悪いし」
「そう? まあ、そこまで言うのなら好意に甘えようかな~。あと、これ」
「なに?」
「メアドと番号教えて」
「ああ、ほれよ」
「よしっ!! 情報ゲットっ!! あとは、攻勢あるのみ」
「やっぱり返せ」
「やだ。お姫様を助けたら、黙って婿になるのが常識ってものよ」
「そんな常識、知るかっ」
「なによお。自分で言うのもなんだけど、顔も身体も自信あるよ? 伊達にミスコンにも出ていないし。今なら、ただでゲットだよ。ただで」
「あー、もうっ!! その話は終わりっ!! ついでに、俺が怒って帰っちまうようにしむけんのもやめいっ!!」
再び攻勢を再開した美空であったが、いい加減付き合うのも面倒になってきた和将は、思わず声を荒げる。
そして、目的を見抜かれていたことを悟った美空は、再び表情を改める。
「君さあ……、ちょっと勘が良すぎない?」
「バレバレな演技で何言ってんだ」
「そう……かもね。でもさ…………、もう二年だよ? でも、忘れられないんだよっ!? 慣れないんだよっ!? 他に人に優しくされても、どうしても彼の顔が浮かんできて。会いたくなっちゃって……、でも会えなくて……、だったら私が側に行くしかないじゃないっ。あんたは、私が死ぬのを止められて、寝付きも良くて満足だろうけど、私はまともに眠れた事なんてないよ。あの日以来。自分から首を突っ込んで来といて、私に説教?? 何様のつもりっ!! 優しくするんだったら受け入れてよっ!! 私は、私はっ……」
それまで彼女が押さえ込んでいた何か、それが和将の言によって崩れ去ったのか、美空は泣きながら和将を責め続けた。
「……これ、使えよ」
そう言って差し出したハンカチとポケットティッシュを手渡すと、美空はすぐに涙などで汚れた顔を拭う。
「ふーん」
「何よ……」
「いや、別に。…………とりあえず、今日の所は帰ろうぜ? 送っていくから」
「…………うん」
はき出すものをはき出せたからか、美空の表情はどことなく落ち着きを放っているように思えた。だが、放っておくのも危険すぎる。
そう考えると、今は可能な限り一緒にいるしかないと和将は結論づけた。
(とりあえず、彼女ぐらいだったら抑えられるよな?)
崖に視線を向け、美空の傍らに立った和将は、彼女がやけを起こした場合のことを考えつつ歩みを進める。
先ほど感じた美しい景色は、今になって見れば天国への階段のような、そんな不気味な雰囲気を醸し出しているように思えた。
「ありがとね…………」
ゆっくりと歩みを進める中、美空は静かにそう呟く。
これは、彼女の本心であるのかも知れず。和将は、美空へと視線を向ける。しかし、その一瞬のやり取りが、和将も、そして美空も考えつかない結末へと導いていくことになった。
「ああ……うっ!? ………………あれ?」
ひゅうっ。っと、吹き付けてくる北風。それが、目を冷やし、一瞬視界が転瞬する。
次に目を見開いた時、美空の姿が急速に遠退いていくように見えた。
(なんなんだ?)
声を出してみたが、声にはならなかった。どこからか、悲鳴のようなものが耳に届き、次第にそれも遠退いてく。
(だから、どうなっているんだ??)
目の前が二転三転し、やがて白く霞んでいく。先ほどまで耳に届いていた悲鳴も、風を切る音も遠退いていき、やがて何も聞こえなくなっていった。