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第10話 血に染まる離宮


 ――――黒く流れる髪が私の自慢だった。


 ――――だが、すべてを失ったあの日、私の運命は大きく変わった。


 ――――野獣どもの慰み物になるか、国家の犬となっておもちゃのように扱われるか、それとものたれ死ぬか。


 ――――守ってくれる者の無い私に選択の余地など無かった。


 ――――望んで奴隷の道を選ぶ物好きもいると言うが、正直、馬鹿としか思えない。


 ――――そして、流れ赴くままに身体を引き裂かれ、私は人ではない何かになった。



 帝紀1025年盛夏、帝国北西部は大干魃に襲われ、本土からの支援の甲斐無く膨大なる餓死者を出すことになる。

 数年後の親征の遠因にもなったこの災害によって多くの孤児や浮浪者を産み出され、その大半が奴隷へと身をやつしていくことになる。

 彼女もその一人であった。

 年若い女子が奴隷となった後の運命は少なくとも二つある。性奴隷を始めとする労働力として朽ち果てていくか、奴隷軍人となって栄達を夢見るか。である。

 多くが後者を選び、過酷な教育課程を耐え抜き、奴隷故の差別ややっかみ、人によっては性的な暴行にもさらされながら生き残り、さらに功績を挙げた者だけが最上級の地位に預かれるのである。

 しかし、彼女達がその地位にまで上り詰めるまでの道筋は、他人の知る所ではない。



「冗談じゃねえ…………」



 『キーリア』に対する羨むような眼差しや声に対して、彼女は怨嗟の念をこめてそう呟いた。

 皇帝の直属にして帝国の柱石。その地位を得るまでの過酷な道筋と危険な人体実験。全身を切り裂かれる苦痛と刻印に身体を蝕まれるかのような恐怖。

 それらは、生き続ける限り彼らを支配し続けるのである。そして、ようやく得た解放という自由の代償は、帝国と皇帝への忠誠であった。

 最後のことは誇りに思う者が多いが、生憎とそう割り切れない者も存在している。

 彼女はその典型でもあった。



「あんな目に合うんだったら、女郎にでもなった方がマシだったさ。あん時だって、最悪だとは思ったけど、一時だけだった……」



 実験を生き残ったが、その恐怖から自慢の黒髪から色素は抜け落ちてしまっていた。リアネイアやラメイアのような強靱な精神力の持ち主やアルティリアのような生まれながらのの適性者であれば、外見の変容はないが、そんな例は極稀である。

 力を得たとしても、いつ訪れるのか分からぬ肉体の終わり。生命ある限り続く戦いの日々。あるはずもない自由。



「生きるため。それが、私が剣を振るう理由。勘違いなんかするな」



 帝国近衛軍『キーリア』、№7位、イレーネ・パリスは、自身の任地にて大型の野生獣と対峙した際、感謝の言葉を述べてきた住民に対してそう言い放って憚らなかった。


 最初の赴任先における賊徒の討伐、辺境地帯を襲うはぐれ竜の対峙、そして、北方異民族の侵攻。それら、すべてを『たった一人』で退けた英傑。


 リアネイア・フィラ・ロクリスを帝国最強の女と称する声は大きいが、彼女を知る者は、彼女を『帝国最強の化け物』と称すると言われていた。 

 


 ◇◆◇



 血を見るのにはすでに慣れてしまっていた。


 先ほどまで全身を襲っていた震えも今はなく、ただひたすらに前を歩くキーリアの後を追うだけであった。

 居室にて叛徒の工作部隊に襲われた際、あっさりとそれを斬り捨てて自身を救ってくれた女性。しかし、はじめの面倒くさそうな態度やその後の取り繕ったような態度にあまり良い印象を抱くことは出来なかった。

 とはいえ、今は彼女についていく以外にとるべき手段は何もないということを、アイアースも理解していたし、敵との遭遇回数が進むごとに増している。

 非常事態に我が侭などを言っているヒマはない。

 そして、仮の玉座が置かれている大広間への通路に差し掛かったとき、再び6体の影が周囲から飛びかかってきた。

 驚きのあまりに身体が硬直するが、現在の自身の守護神は格が違っていた。



「気付かれたくないのは分かるが、我々の姿が見えた時点で刻印を上手く使って戦いに備えなきゃ…………もっとも、何をしたところで結果は同じだったがな」



 5人をあっさり両断し、残った一人の四肢を断って、頭部を足蹴にそう告げた声は、氷の如く冷え切っているように思えた。



「なぜ…………いや」


「ん? どうしました」


「なんでもないです」



 そんなことをする? と、問い掛けかけたアイアースであったが、実際に戦うののは彼女であって、守られているだけの自分が戦い方を非難する資格はない。と、アイアースは必死に口を閉ざした。

 一応、アイアースに対しては、丁寧な口調で話してくるが、親しみやその他の心情はとても感じられなかった。



 なぜ、こんな女が? と言う思いは先ほどから強まる一方である。



 帝国近衛軍『キーリア』。

 帝国軍の頂点に立つ軍においても、その存在は際立つ存在である。当然、強さ以外にも求められる部分は多分にあるはずであるが、今のところの彼女からは、粗野な一面しか感じられなかった。

 そんなことを考えている間に、大広間の入り口へと差し掛かる。

 入り口の前には無数にしたいが転がり、帝国軍の青を基調とした軍服に混じり、様々な衣服の男女が折り重なるように倒れている。



「四皇子殿下と共の者をお連れした。開門せよ」


「はっ……」



 イレーネの声に反応したのは、息も絶え絶えになった男のキーリアだけであった。

 生き残っているキーリアも騎士も兵士も、皆可能な限りの礼を尽くすのみで、地面に座り込む者が大半である。



「皆さん、ありがとう」



 意味があるのかは分からない。しかし、全員がなんのために戦っているのかは、分かっているつもりであった。



「ご苦労だった。生きられるかどうかは、祈っておけ」



 イレーネも素っ気なくではあるが、そう言うとアイアースの手を引き、大広間へと入っていく。

 すると、先ほどまでよりも剣戟や魔法の炸裂音は大きく鳴り響き、思わず身をすくめる。後からついてきている、フェルミナとミュウも身体を寄せ合って震えていた。

 すでに大広間の扉は破られており、主通路では壮絶な戦闘が続いてのである。



「アイアース。怪我はありませぬか?」



 壇上からアイアースの姿を目に止めたリアネイアがそう口を開く。

 アイアースが静かに頷くと、リアネイアをはじめとする皇家の人間達が一斉にほくそ笑む。



「イレーネ、ご苦労であった。礼を言う」


「感謝の極みでございます」



 はじめに声をかけてきたのは、父帝ゼノスである。他の兄弟達も勢揃いしており、最後まで現れなかった息子の身を案じていたのかも知れない。



「ほう、素直になったか?」


「…………いかなる意味でしょうか?」


「私に褒められて少し嬉しそうだったぞ」


「だ、誰がですかっ!!」


「お? 赤くなってる赤くなってる」


「それに、アイアースともしっかり手をつないで。けっこう子ども好きなんじゃない」


「っ!!」



 はじめはクールに応じていたイレーネであったが、ゼノスの場違いな言に思わず顔を赤くする。意外な反応に驚いたアイアースであったが、アルティリアの言に慌てて手を離す様子が少しおかしかった。



「はははっ」


「殿下…………」


「うっ」



 しかし、少しの笑いもイレーネの凍てつく視線にて終わりを告げてしまう。とはいえ、場が和んだことには変わりなかった。



「ふふ、ですがイレーネさんに頼んだ甲斐がありました」


「…………閣下、出過ぎたことを申すようではありますが」


「分かっておりますよ。ですが、おかげでフェスティア様やシュネシス様は安全に合流することが出来ました。感謝いたしますよ」


「だがっ!!」


「待ちなって」


「ラメイアっ!!」


「こらこら、子どもが見ているぞ」



 そんなイレーネの様子に満足したのか、リアネイアがスッと頭を下げる。はじめは、我が子を守ってくれたことを感謝したのかと思ったが、どうやら事情は違うようであった。



(姉上や兄上が安全にこれたってのはよかったけど、イレーネは何に怒っているんだ??)



 アイアースは呑気にそんなことを考えていたが、今も憮然とするイレーネの様子がどうしても分からなかった。



「ともあれ、イレーネ。ご苦労だった。ゆっくり休んでくれ、と言えんところが少し残念だが」


「構いません。ちょうど、暴れたりないと思っていたところですので」


「そうか。まあ、お前にとってはちょうど良い肩慣らしだろうしな」


 今も先頭の続く主通路に視線を向けたゼノスは、肩をすくめながらそう口を開く。

 イレーネも当然とばかりに頷いている。



「いいでしょう。主通路は混戦状態に持ち込んでおります故、右側路の応援に」


「了解、ボス」



 それまで、憮然としていたイレーネであったが、言っても詮無きことを考えたのか、次なる命令に戯けた態度で応えると、すぐによこの扉から出て行く。

 これで、右即路から叛徒が来ることはまず無い。

 僅かな間であったが、そう思わせるだけの信頼をアイアースは無意識の内に彼女に抱いていた。



「先ほどのような態度をいつも見せていればな」


「ええ…………辺境に貼り付けておくこともなかったのですが」


「まあ、陛下に対してもタメ口をの時があるんだから仕方ないわねえ」


「あんたが言うの? それ」



 そして、その後ろ姿を見送った首脳陣が一斉にため息をつく。

 話しぶりから察するに、実力以外の面で中央に呼ばれる。すなわち、最上位へと上り詰める機会を逸しているようであった。

 たしかに、自身に対する態度などを考えれば、普段の素行面も容易に想像がつく。最上位クラスになれば、皇帝の側近として振る舞う必要が出てくる。今の7位という地位も実力のみを評価したとすれば破格の地位でもある。



(いつの時代にも、損な性格のヤツっているもんだな。とはいえ、俺だってあのタイプは側に置きたくないけど)



 命を救ってくれた相手に対してはあんまりな評価ではあったが、現状そのことをいつまでも気にしていて良い状況ではなかった。



「さて…………、もうじきここも戦場になるな」



 ゼノスが玉座から身を乗り出すように、前方を見つめると、全員がそれに倣う。剣戟や歓声が木霊し、近衛兵になぎ倒される叛徒達の姿や数人係で切り刻まれる近衛兵の姿見て取れる。

 アイアースは、ゴクリと息を飲むと、震えを抑えるために拳をきつく握りしめる。

 目と鼻の先には、自分達を倒すことだけを考える人間達が大挙して押し寄せてきている。兵士達も奮戦しているとはいえ、数には絶対的な差があるのだ。

 しかし、ゼノスや三皇妃をはじめ、室内にて戦況を見守るキーリア達に動揺は見られなかった。

 スラエヴォへと続く街道はすべて閉鎖され、膨大な兵力によって包囲されている状況にもかかわらず。



「リア、そろそろどうだ?」


「そうですね。メイアさん数人を連れて行ってもらえますか?」


「あいよ。ベルケ、ジュグナ。付いてこい」


「はっ」



 リアネイアの声に、ラメイアは二人のキーリアと共に駆け出す。

 キーリアの脚力は常人のそれとはまったく異なる。見えている範囲だけでも、叛徒達が風に煽られたかのように吹き飛ばされ、押し寄せる波のようであった集団が二つに割られていく。

 特に、先頭を征くラメイアに触れた者達は、紙切れのように吹き飛ばされ、二度と動かない肉塊へと変わっている。



「斥候だってのに、やることが派手ねえ」


「暴れたくてうずうずしていたようだったからな。さて、お前達」



 ラメイアの派手な暴れ振りにあきれ目でそう言ったアルティリアの言に、ゼノスは笑みを浮かべながら応えると、玉座から立ち、こども達の前へと立つ。

 普段は覇気のない壮年であったが、こうして軍装に身を包み、背筋を伸ばしていると相応の風格を見せている。

 思えば、父親との交流などほとんどなかったとアイアースは思い返していた。



「残念ながら、現状、我々に勝機はない。そして、反逆者どもの首魁が誰なのか、それすらも分からぬ。――――国家の命運を賭けた戦であれば、我々は先頭に立ち、兵を、民を導かねばならぬ。だが、此度は義無き戦故、我々はなんとしても生き残らねばならぬ。そこでだ」



 そこまで言うと、ゼノスは自身の額に軽く手を触れる。すると、彼の指先が、青色の柔らかな光に包まれはじめる。



「フェスティア」


「はっ」


「お前には…………そうだな。よし、兜を脱いで俺の前に立て」



 名を呼ばれて前に出たフェスティアに対し、ゼノスはそう言いながら光に包まれた指先を額にかざす。



「うぐっ!?」



 そして、眩い光と共にフェスティアが仰け反ると、痛みをこらえるかのように額を抑える。



「ち、父上…………なんですか、これは……?」


「全員に終えた後で説明する。次は、シュネシスお前だ」


「は、はいっ!!」



 そうして、ゼノスはシュネシス、ミーノス、サリクス、アルテアに対しても同様の処置を施す。そして、いよいよアイアースの番になった。



「お前は…………、まずはあいつだな」



 そう言って、額に指先がかざされると焼け付くかのような痛みと共に脳裏に浮かび上がってくる数人に男女の姿。

 すべてが白を基調とした軍装に身を包んでおり、見覚えのある顔の者もいれば、見たことのない者もいた。



「さて、脱出の手段を説明するぞ」



 そう言って、玉座から立ち上がったゼノスの姿にアイアースはこれまでにない安心感を抱く自分がいることを自覚した。


 激しさを増す戦闘が続く中、普段は白皙のごとく輝く離宮は、人の営みを象徴する血の色へと染め上げられていった。

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