先生と僕
僕の担任は変な先生だ。最初の挨拶は「僕は勉強が嫌いです」という言葉から話が始まった。彼は切々と自分のことを語る。
「僕はね、漫画家になりたかったんだ」
後は延々と今の週刊誌に連載されている漫画の評価とかをときおり冗談をまじえながら(と言っても僕が理解できなかったジョークらしきものもあったが)、べらべらしゃべっていた。あまりの饒舌ぶりに誰も突っ込む事ができない。そんな調子のまま時は経ち、やがて終了の鐘が鳴ったが、彼はしゃべり続け、痺れを切らした勇気あるクラスメイトがそれを指摘してようやく口を止めた。彼は最後に、
「明日までに――――という漫画を読んできてください。宿題です。感想文も書きたい方はどうぞ」
と言って締めくくり、教室から出て行った。
終わった後、生徒の誰もが思っただろう。
「あの人、オタクなんだ……」
とはいえ、先生のルックスは飛びぬけたものだった。いわゆるジャニーズなんかにも勝るとも劣らない、かっこいい先生だ。おかげで、彼が教室に入って来た当初はクラスの女子全員がガヤガヤとうるさくなった。けれど、彼の語りが終わって残ったのはため息ばかり。近くの女子の声が聞こえてくる。
「オタクじゃやだなぁ」
偏見はいけないと思うけど……思うけどね……。
最初が最初なだけに先行き不安だった。授業ちゃんとできるのかな、あの人。
次の日、彼の行った授業は意外にも至極まともだった。いや、むしろ教えるのはかなり上手い。正直な話、教師としてかなりハイレベルだと思った。けれど悲しいかな、先生はやはり先生で、度々脱線してはアニメやら漫画やらの話を始め、おかげで授業の進み具合はあまり芳しくなかった。
そんなこんなで月日は流れ―――
僕は漫画家になりたいと思うようになっていた。まさに洗脳だ。先生からすれば思惑通りの展開なんだろう。でも、それまで特にやりたい事を見つけてなかった僕は、それでもいいか、なんて考えていた。漫画好きだし。
そんな考えを持ったまま迎えた進路相談。あらかじめ、進路調査票と題してやりたいことを書かされていたが、僕は特に何の抵抗もなく『漫画家』と書いて提出した。提出する相手がオタクなんだ。真面目に話を聞いてくれる事だろう。むしろ喜んでくれるに違いない。僕は先生の嬉しがる顔を想像しながら二者面談に望んだ。
が、その考えは元気のない先生を見て霧散する。
「どうかしたんですか?」
彼は僕が書いた進路調査票を見てため息をつく。
「君もか。漫画家になりたいの?」
半ばあきらめた様子でそういう。変だな…。先生なら狂喜乱舞するくらいが丁度いいはずだ。
「実はね、君と同じ事を書いてた子が何人かいたんだよ。そりゃもう最初は喜んださ。特別授業を組んで練習させる計画すら作っていたんだよ」
なんかすごいな。そこまで行くのかこの人は。
「けどね、いざ進路相談が始まったらみんなして『冗談です』って言うんだよ。まったく酷いからかわれようだ」
怒るどころか意気消沈する先生を見て少し哀れに思ったけれど、仕方のない事だとも思った。あんな調子でやってれば、そりゃあ一度くらい痛い目見せたくなる奴だって多いだろう。度が過ぎるんだよ、先生は。
「それで、君が本当にやりたい事は何かな?」
「漫画家です」
君も人が悪いな、と彼は気の抜けた表情で言う。これは相当な人数にやられたな。ちょっと粘らないと本気だって伝わらないかもしれない。
「本気ですよ」
「まったく……。いい加減にしないと怒るよ?」
「本気ですってば。先生の特別授業も受けてみたいくらいです」
「本当に?」
彼の目が少し輝きを取り戻す。これはいけるか?
「本当ですよ」
「よし、だったら今すぐやろう!こんなところじゃなくてもっといい環境で……そうだ!僕の家に来るといい!道具もそろってるし、君が興味を持てるようなものもたくさんある!」
ちょっと粘っただけで、途端に饒舌になる先生。ああ、なんて単純な人なんだ。でもそれだけに、これは止まりそうにない。
「さぁ!今すぐ行こう!今すぐに!」
「いやあの、他の人たちの進路相談は……」
「今日は君で終わりだ今決めた!さあ我が家へ行こう!」
ぐいぐいと手を引っ張られ、僕は彼の家へ行く事になった。先生の目はかつての輝きを取り戻し…むしろさらに輝きを増したような気もするが、とにかく、異常なバイタリティを持って、僕に漫画家の道を歩ませようとしていた。ぶっちゃけ、ちょっと引いた。
先生は実家暮らしだった。漫画やアニメに金をつぎ込みたいと言う理由で一人暮らしは選択肢になかったらしい。前から思ってたけど、なんて駄目な大人なんだ。
「さぁ、こっちだよ!」
手を引かれ(いい加減離してくれないかな)、僕らは2階へと上がった。途中で先生のお母さんらしき人を見かけたので一応頭を下げておいた。お母さんらしき人は、視線だけでごめんなさいねと謝っていた。親御さんも大変ですね。
「ここが僕の部屋だよ!」
親御さんの苦労に思いをはせていた間に、先生の部屋に到着していた。その空間は意外にもすっきりしていて、アニメのポスターやら等身大のフィギュアやらはどこにもなく、パッと見、普通のように見えた。僕が想像していたような、いかにもな部屋ではなかった。ただ、異常に漫画が多い。何冊あるんだろう、これ……。
「さぁここに座って!」
言われるままに座り、改めて部屋を見回す。すごいな…本当に漫画好きなんだな。そうやって物珍しげに観察していると、先生が普段使っているだろう机に数枚の紙が置いてあるのに気づいた。
「それ、なんですか?」
指を指してたずねると、
「僕が書いた漫画の原稿だよ。読むかい?」
とのこと。僕がうなずくと、先生は原稿を手に取り、順番どおりに並べ替えてから渡してくれた。さて、読んでみるかな…。
……。
すごく面白かった。絵も上手いし、話も面白い。プロに見劣りしない。そう思ったけど、
「やっぱり才能がないのかな?何度も投稿したけど一度も賞を取れないんだ」
彼は少し悲しそうにそう言う。
「まぁそれはいいさ、早速練習を始めよう!」
僕はむりやりペンを握らされ、初めてだと言うのにいきなり一本の漫画を書かされるはめになった。現時点での実力が見たいらしい。戦力ゼロだと思うんだけどな…。
そうやって半ば拘束されるような形で僕は漫画を書き続けた。
すっかり暗くなった帰り道。僕は、白い息を夜空に向かって吐き出しながら歩いていた。ひとつのことを考えながら。
「やっぱ漫画家になるのやめよう」
あんなに上手な先生もなれなかったんだ。僕になれるわけがない。それに、いやそれ以上に、これが理由なんだけど、
『先生みたいになりたくない』
今日の彼を思い返して、素で嫌だと思った。
「明日、やめるって言おうっと」
先生のがっかりしている姿が目に浮かんできて、僕は笑ってしまった。
「はは、ははは……」
少しおかしくて、少しむなしかった。
おしまい。
連載モノが全然更新できないので昔書いたものをそのままシュート。