第九話 屋敷と女と魔導師
――この○○○!
目の前の存在への恐怖に歪んだ顔。
その表情は一人だけではない、幾人もの大人の表情は一様にして恐怖に彩られていた。
与えられるのは一方通行な罵倒と暴力。
何度も何度も繰り返す光景。
――もう見飽きた光景だ。
ぼんやりした意識が覚醒し始め、エリザベスはゆっくりと目を覚ました。
起き上がり短い髪と身支度を整えて部屋を出る。
いつものように屋敷の外を見る為、窓際を陣取った。
それは彼女の唯一といっていい日課となっている。
彼女の淡い蒼目は屋敷の外の世界を捉える。
代わり映えのしない風景をただぼんやりと少女は眺めていた。
代わり映えのしないといっても四季によって彩りが変わるぐらいの変化はあるが、その変化ももう見飽きている。
それぐらい長い間この風景を眺めていた。
外を眺めるのは屋敷の中がもっと変化のない退屈な世界であり、もしかしたら触れられずとも新しい発見があるのではと淡い希望を持っていたから始めた事だ。
けれどそれに関してはもはや諦めている。
故にこの行動に意味は無く、形骸化した日課のようなものと化していた。
外に出られたらこんな所でただ眺めるだけの生活を過ごさなかっただろう。
しかし彼女は元々身体が弱く一度も外に出た事は無かった。
今もまだ屋敷から離れることは出来ない。
その為唯一許された行動を日がな一日行っているのである。
今日もいつもと同じ光景が続く――そう彼女は考えていた。
しかしその光景に変化が見られる。
いつもと代わり映えのない風景に混入したたった一つの異物。
そこには一人の男の姿があった。
男の人か――エリザベスは反射的に身を竦める。
彼女の記憶には自分の父親を除いて他者から酷い扱いを受けた事しか無い。
椅子から立ち上がると見つからないように窓の陰に隠れ、男の様子を伺った。
どうやら男は魔物と戦っているらしい。
魔物は朽ちた身体を持つ死体、アンデッドの一種であるゾンビだ。
この一帯ではアンデッドが多く、生者に恨みを持つかのように旅人に牙を剥く。
そして殺された旅人は総じてアンデッドの仲間入りを果たすのだ。
だから旅人はこの一帯を避けているようで人など滅多に見ることは無いのだが、男は知らなかったのだろうか。
しかし男はどうみても屈強そうな体躯をしていない。
むしろ華奢といって差し支えないだろう。
このままでは彼はアンデッド達と同じ末路を辿る事になるかもしれない。
だが屋敷から出られず非力な自分では到底彼を助ける事などできず、ただ見守るしか術がなかった。
ゾンビが大きく口を広げ男に襲い掛かる。
そのまま男は食べられると思った瞬間、男が手にしていた杖から炎の矢が放たれる。
口へと投げ込まれたゾンビは顔が燃え上がり倒れ、まるで痛みを感じるかのように苦しみのたうちまわるが、まだ動けるのか男へとはいずっていく。
男はそんな光景を物ともせず、紫電を何度もゾンビに向けた。
魔導師だったのか――華奢に見えた男の意外な強さに息を飲む。
自分の父も魔導師ではあったが戦っている姿を見たわけではない。
魔導師はあのように強いものなのだろうか。
だが男の行動はそれだけでは止まらなかった。
ゾンビが動かなくなると、男はその死体に触れ死体を掻き消してしまったのだ。
まるで、自分に仇なすものは塵一つ遺さないかのように。
まずい――頭に警鐘が鳴り響く。
魔物を倒すのは構わない。だがあの男は危険だ。
そんな彼が自分を見付けたらどうなるのか。
エリザベスは彼に害を為したわけでは無いが見捨てたと取られるかもしれない。
見捨てたと考えた場合、男はどのような行動に出るか――考えただけで恐ろしくなった。
願わくば屋敷に向かって来ないで欲しいと必死に祈る。
だが男はゆっくりと屋敷へと歩を進めた。
そして――エリザベスと目があった。
まずいまずいまずい!
見つかってしまった。早く隠れなければいけない。
部屋を出て、隠れる場所を考える。
地下や一階――今からいっても男と鉢合わせる可能性があるから危険だ。
二階となると自分の部屋か父の部屋と広めの書斎、物置ぐらいしかない。
父の部屋はダメだ。物置も隠れる程の隙間はない。
自分の部屋のクローゼットぐらいしか身を隠す場所が思いつかなかった。
仕方なく部屋に立て篭もり、クローゼットの中に入る。
それとほぼ同時くらいに階下からだろうか、遠くでノックの音が響いた。
身をブルブルと震わせ嵐が過ぎ去るのを待つかのように祈りを捧げる。
キィィィと扉が開く音――そして足音が続いて聞こえてきた。
一階、地下を探してくれないだろうかと願うが、やはり男は確かにエリザベスを見たのであろう。
階段を上る音に変わり二階を目指しているのがわかる。
ならば先程まで外を眺めていた部屋、或いは他の部屋に向かうかもしれない――いや向かってください、と心の中で懇願した。
その間に一階や地下に避難するつもりだったからだ。
足音が近づく――来るな来るな――。
ピタリと足音が止んだ。
そしてクローゼットの戸が開いた。
開いた戸の前には黒髪黒目の布のマントを身に纏った彼女より遥か長身の男がいて、エリザベスを見下ろしていた。
なんで迷いも無く自分を見付ける事が出来たのか!
疑問が尽きないがじっと見つめてくる。
男の表情は読めず無愛想に見え、それが返って内心怒っているのでは無いかと不安を煽る。
先程のゾンビに向けられた無慈悲な行動を思い出し、それが自分に向けられるのではないかと恐怖で顔が引き攣り、恐怖から逃れる為に目をつぶった。
「驚かせて済まない」
男がハッキリとした口調で言った。
恐る恐る目を開いて仰ぎ見ると、バツの悪い表情をした男がいる。
……一体これはどうしたのだろう。
先程の印象とはガラリと変わり男は年相応の表情をしている。
思ったより怖い人では無いのだろうかとエリザベスは考えた。
「あの……何もしませんか」
「ああ」
男が返答する。どうやら危害を加える気では無いのは本当のようだ。
緊張の糸が解け、安堵の溜息を吐く。
……思った以上に男は理知的なようだ。だとするとこれは非常に好都合では無いか。
もしかすると長年考えていた事が実現できるかもしれない。
――この化け物!
希望が頭を過ぎった瞬間、その言葉を思い出した。
この男もまた他の大人達と同じなのでは無いか。
自分は人とは異なる異常の存在だ。それも見れば直ぐにわかるような異常である。
この人もそれに気が付けば恐れるのではないか、と。
不安に駆られじっと男を見るが、男は特に怯えた様子も無い。
「あの!……私の事怖くないんですか?」
沈黙がその場を支配する。エリザベスはぎゅっと唇を噛み締めた。
「特に怖くは無いが」
「どうして……どうしてですか!?」
彼女は大声で叫んだ。
彼女の事を知った人間は皆、彼女に恐怖した。
罵倒する者、剣を振るう者、逃げ出す者――どれもが恐怖を目の前にして起こした行動だ。
何故なら彼女は――。
「私は既に死んでいるんです。正真正銘の幽霊なんですよ。化け物なんです。身体だって透けているし、それに――」
幽霊だから――。
人には忌み嫌われる存在。
人とは違う異端の存在なのだ。
だが違っていたのは彼女だけでは無かった。
「幽霊でも襲ってくるわけでは無いんだろう。なら問題無い」
事もなげに答える男。
彼もまたこの世界と異なる価値観を有した人間だった。
男の言葉に呆けてしまったが、言葉の意味を理解した時、つぅと涙が零れた。
一度零れると涙が止まらずそのままわんわんと泣きはじめたのだった。
「すみません」
赤面しながら謝罪するエリザベス。
慈愛に満ちた視線がさらに彼女の顔を赤く染め上げる。
「気にするな」
大した事ではないと手振りする男。
「私の名前はエリザベスです。そのお兄さんの名前は……」
「ケイオスだ」
「ケイオスさんですか。それにしてもどうしてこのような辺鄙な所に?」
ケイオスの話では、メールディアから王都に向かう道中らしい。
山道を抜けて暫くすると急にアンデッドの襲撃が増えたので、戦いながら移動していたら偶然この廃屋を見付けたらしい。
エリザベスを見かけて廃屋に何があるのか見に来たそうだ。
エリザベスは一度も外に出た事が無いから王都やメールディアがどんな所かわからない。
どのような所なのかケイオスに尋ねる。
王都は初めて向かうのでわからないとケイオスは答えたが、メールディアでの冒険者生活を話した。
初めてのクエストやパーティーでのクエストなど体験談を話していく。
世間知らずのエリザベスに取って意味のわからない言葉もちらほらと出ていたが、すべてが新鮮で聴き入っていた。
いつ以来だろうか、こんなに賑やかなのは。
父が亡くなって以来、ここまで話したことは無い。
色褪せていた世界が急に彩られていくかのような感覚を覚えた。
「メールディアではだいたいこんな感じだったぞ」
「ありがとうございます、ケイオスさん。すごく楽しかったです!」
「……そうか」
ひとしきり話し終えたケイオスにエリザベスは礼を言った。
そして話していく中で初めは怖い人だと思っていたけれど、本当にいい人なのだと実感する。
彼ならば何とかしてくれるのでは無いのだろうか。
「ケイオスさん、お願いがあります。地下にある宝珠を壊して頂けませんか」
屋敷の地下はエリザベスの父の実験室であり、父はここでよくマジックアイテムを造ったりして過ごしていた。
彼女の生前の頃も今の状態になってからも頻繁に訪れた事はない。
彼女の父が存命だった頃の地下室はきちんと掃除されていて、本や標本、マジックアイテムなどが整理されていた印象が強かったが、長年放置された地下室は埃に塗れていて、蜘蛛の巣が張り巡らされているような状態で見る影もない。
その部屋にある台座に鎮座した宝珠が一つ。
これが彼女が壊して欲しい宝珠だった。
「これか?」
ケイオスが確認する為にエリザベスを問う。
「はい、これがある限り私はこの屋敷から出られません。これを壊せば解放されるはずです。私では屋敷内の他の物なら干渉できるんですが、あの宝珠は触れる事ができなくて」
エリザベスが近付こうとすると、まるで見えない壁があるかのように結界に阻まれて進めない。
「だからどうかお願いします。あれを壊してください」
「……わかった」
ケイオスはゆっくりと杖を振りかぶり宝珠を叩き壊す。
ケイオス自身は何も感じなかったかもしれないが、エリザベスは長年身体に感じていたものが失われていくのを感じた。
それは身体に纏わり付いていた鎖から解き放たれたものに近い感覚だった。
「……これでようやく……ありがとうございます。ケイオスさん」
ああ――ようやく解放される。
長年の夢が叶い、彼女の胸は歓喜でうち震えた。
屋敷の玄関に立つ。
エリザベスは自然と喉を鳴らした。
いつもは牢の鉄格子に見えるその場所は、今はただの扉にしか見えない。
意を決して扉を開く。
開け放たれた扉から陽光が眩しく降り注ぐ。
目を閉じながらも一歩一歩踏み出す。
――そして彼女はようやく屋敷から出ることができた。
「ありがとうございます。ケイオスさん。これでもう思い残すことはありません」
満面の笑顔を浮かべるエリザベス。
「御礼にこの家にある物を差し上げます」
お役立てる物があるかはわからないのですが……とエリザベスは断りを入れ苦笑いした。
ケイオスの反応は鈍い。気になってほんの少し見上げてみる。
彼の表情は――。
「本当に優しい人ですね。最期に会えたのがケイオスさんでよかった」
唯一父以外で化け物扱いをしない人だった。
それだけでどれ程彼女の心は救われただろうか。
「そんな顔はしないで下さい。ケイオスさんの御蔭でようやく逝けるんです。これは私が望んだ事だから、笑顔で見送ってくれませんか」
長い髪をかきあげて見せた彼女の微笑みに、ケイオスは引き攣った笑顔で答える。
――ありがとう、ケイオスさん――。
ざっくざっくざっく――。
クエストは終了した。
王都に向かう途中、たまたま見付けた廃屋に幼女がいたので、なんだろうと思って訪れてみただけだった。
ピンク髪のエリザベスを見付けた時は半透明だったのでモンスターかもしれないと思って警戒したけど、マップ上では敵とは認識されていなかったので多分NPCなんだろう。
警戒したためか最初は怖がらせてしまったが。
ざっくざっくざっく――。
そして彼女と話していくと新規のクエストを受領していた。
クエスト名は「捕われの魂の解放」――。
これは後で調べて知った事だが、エリザベスは病を患っていて身体が弱く、父親が何とかしようと色んな手を尽くしたらしい。
だが彼女の病を治す事が出来なかった。
最後に彼が辿り着いたのが、アンデッド達のように魂をこの世に留める方法だ。
幽霊であるが物体に干渉し、屋敷の中では自由に動き回れる。
一見試みは成功したかのように見えた。
だがそれだけでは無かった。
無理に魂を閉じ込めた弊害なのか、徒に命を弄んだという罰なのか――。
彼女は一日のうちに生まれ成長し、老化し朽ち果てる罰を背負ってしまった。
実際最初に会った時は長いボロ布を身に纏う短い髪をした幼女の姿をしていたが、最後成仏した時は髪の長い成人を過ぎた女性へと変貌していた。
一日に生死を繰り返す彼女を救うべく父親は奔走するが、結局解決せず苦悩のうちに息を引き取ったのだ。
二階の彼女と出会った部屋以外の部屋のベッドの上に遺体と思われるミイラのようなものが残っていた。
――という設定である。
あとは死者を冒涜する宝珠を破壊し彼女を解放する。
報酬は父親が使用していた杖が貰えるクエストだ。
ざっくざっくざっく――。
よくある王道の鬱系クエストだ。
あと数時間もすればリセットされ彼女はこの場に戻り、再び他のプレイヤーがクエストを請ける事ができるのだろう。
ざっくざっく――。
それなのに。
ざっくざっく――。
どうして俺はこんなに悲しいんだろう。
こんなに感受性が高く感傷に浸るような人間だっただろうか、自分は。
従来のディスプレイの外から眺めていた傍観者の自分なら、ただ悲しいイベントだなと思うだけだったろう。
なまじVRの世界でリアルすぎるからだったからなのだろうか。
ほんの少しの邂逅がもたらした感傷なのだろうか。
ざっくざっく――。
つい考えてしまうのだ。
他に救う方法は無かったのかと。
だがあくまでこのクエストは宝珠の破壊でしか完了される事はない。
彼女はまるで設定のようにゲームという檻に縛られてしまった存在ではないだろうか。
何度も何度もプレイヤーが体感する一イベントに過ぎない存在。
果たしてあの成仏は本当に報われる結果だったのかと疑問を抱いた。
だから――ざっく。
今杖をシャベルがわりに穴を掘り、エリザベスと父親の遺体を埋めた。
今まで使っていた魔導師の杖を墓標がわりに刺しておく。
前にジャイアントモールで地面がえぐれたから穴を開ける事ができると思ったけど、改めてできたのを考えるとこのゲームの開発プログラマーは天才だと考えてしまうな。
この行為に意味は無いだろう。
数時間後にはまたエリザベスは戻ってくるはずだ。
だからこれはただの自己満足に過ぎない。
それでも一人くらい――こんなプレイヤーがいてもいいのでは無いかと考えるのはおこがましい事なのだろうか。