第六十九話 帰還
極大魔法を使い魔物を倒してから、しばらくケイオスは上空から下の景色を眺めていた。念のため極大魔法を使う必要があるか戦況を見守っていたのである。だが味方は優勢のまま戦闘は終結する。ようやく役目を終えたことを確認すると、地上に降下した彼はロズリーヌと合流する。
そこで周囲の妙な雰囲気にひっかかりを感じた。形容しがたい空気と周囲の反応に戸惑うが、ケイオスには理由がわからない。
ロズリーヌは明るくケイオスたちを出迎えた。
「よくやった、ケイオス。神殿周辺の制圧も終わった。これで神殿内部の制圧に取り掛かれるな」
「神殿か。俺も神殿に入れるんだろうか?」
「それはヴィクトル陛下がお決めになる。これ以上の魔物の増援はあるまい。ケイオスたちにも声はかかると思うぞ」
ロズリーヌはもはや敵の増援は尽きたと考えていた。彼女の考えは当然ともいえる。実際に転移してくる魔物は完全に終息し、目測ではケイオスの魔法で最初にいた魔物の倍以上の数を倒したのだ。これ以上の魔物の増援があるのであれば、最初から配置しておくか増援時に投入しないはずがない。
増援を倒したのはあくまでケイオスという規格外の存在がいたからである。もし彼がいなければ敵の数に押され、敗北を喫していたのは遠征軍だ。
故にこれ以上の増援はないと結論付けていた。
「うーむ、これはちとまずいかもしれんぞ」
ロズリーヌとケイオスの会話を無視して、ヴイーヴルは転がる魔物の死体に目を向け、うなり声をあげた。
その様子が気になったケイオスがヴイーヴルに問う。
「どうした? 魔物の死体なんか見つめて」
「この魔物は仮初の身体と言ったじゃろ。つまりはゴーレムのようなものじゃ。ゴーレムのようにいくらでも作り出せてしまう。元を断たねばまた増えるぞ」
「そんなバカな。これだけ倒してもまだ続くとっ⁉」
大声で驚愕するロズリーヌは慌てて口をつぐんだ。
ただでさえ激戦だったのだ。さらに同規模の魔物と連戦することが兵に知られれば、兵の士気にかかわる。
「ほう興味深い話をしているのだな。私にも聞かせてもらえないだろうか?」
「ヴィクトル陛下! どうしてこちらに?」
「何、神殿の突入についてロズリーヌ陛下やケイオスの意見を聞いておきたくてな。私も悩んでおるのだよ」
悩まし気に肩をすくめてみせるヴィクトル。
「神殿の周辺を制圧できたが、まだ神殿の内部には魔物のいる可能性が高い。先行して突入した神殿騎士団の消息がつかめないからな」
一度神殿への進入路を確保した際に、先行して神殿騎士団が神殿に突入している。それから魔物の増援が現れ、遠征軍は一時的に後退した。
しかし遠征軍が再び周辺を制圧しても神殿騎士団の姿が見えない。生死は不明だが未だ神殿内にいるようだ。
「魔物の増援を倒すのに時間をかけ過ぎた。神殿騎士団が突入してから時間がかなり経過している。神殿の規模を見る限り、それほど時間がかかるとは思えないが、何しろ神殿の構造など我々は完全に把握していないのでな」
「事前に聞いた話ですと神殿には地下があり、件の魔法陣は地下の奥深くにあるそうですね」
口調を改めたロズリーヌの確認に、ヴィクトルは頷く。
「神殿の地下が迷宮のように入り組んでいて迷い時間がかかっているのか、はたまた敵と交戦中なのか、あるいは全滅している可能性もある」
「全滅ですか。オリバー殿もアレクシア殿に匹敵する手練れのはず。そうそう魔物に後れを取るとは思えませんが」
「ロズリーヌ陛下、不躾ながらその認識は甘い。戦争に絶対はない。ましてや魔物が突然転移し奇襲してきたのだ。我々がここに来ることはずっと以前から予測していたはず。ならば神殿にも罠が仕掛けられていても不思議ではないし、オリバーよりも強い魔物や神殿騎士も奇襲にあっていることは十分に考えられる。いずれにせよ神殿の制圧だけではなく神殿騎士団の救援も必要だ」
何しろ敵地である。遠征軍への迎撃の準備はいくらでもできた。
「問題は神殿の突入部隊だな。オリバーに匹敵する敵がいると想定すると、生半可な部隊では返り討ちにされてしまう」
「最低でもオリバー殿の実力と同等の人物ですか。ああ、それでケイオスたちを神殿に突入させるのですね」
オリバーと実力が同等の人物となると両手で数えられるぐらいしかいない。アレクシアやイレーヌ、ケイオスやハボックたちぐらいだ。それでヴィクトルが自分の下へ来た理由をロズリーヌは察した。要は誰を突入させるか決めかねているのである。
「その前に確認したい。ドラゴン殿、あの魔物は造り出されたものだそうだが、再びあの増援が来る可能性は高いか?」
「有り得るな。簡単に造れるものではないと思うが、できないとは断言できぬ。次に現れる時間も予想はできんな」
「だとすると神殿の制圧中に新たな魔物が現れるかもしれない。地上の防衛も疎かにしてはいられないか」
またいつ魔物の増援があるかわからない。神殿への突入部隊に戦力を割き過ぎることは愚策だ。それに神殿からの退路を確保できなければ、突入部隊は前後を敵に挟まれ救出するどころか救出される側へと変わる。
「先刻の魔物の増援は神殿周辺から退避できたが、今は遠征軍が神殿周辺に集まり過ぎている。再び魔物が神殿周辺に現れたら乱戦は必至だ。ケイオスのあの魔法は使えない。あれは規模が大きすぎる。味方を巻き込みかねない。乱戦ならばむしろ魔法に頼らず複数の敵を倒せるイレーヌや、広範囲に味方を強化し白兵戦を支援できるアレクシアのほうが実力を発揮できる」
ケイオスの極大魔法は強力で広範囲に威力を発揮する。だが全力を出すには味方がかえって邪魔になり、乱戦では諸刃の剣となってしまうのだ。
「もちろんあの魔法抜きでもケイオスは強い。が、地上であの魔法が使えないのならば、地上であろうと地下であろうと強さに大きな差は生まれないはずだ。それにケイオスは冒険者なのだろう。洞窟や遺跡などの屋内での戦いも慣れているのではないか。ならばアレクシアやイレーヌを地上の防衛に回し、ケイオスたちを神殿の突入部隊に加えたほうが良いかと考えている」
戦略を塗り替えるほどの強力な極大魔法が使えなくても、ケイオスはアレクシアに勝利している。しかも彼を護衛する仲間たちの実力も高い。ならば神殿内部の突入部隊にはうってつけだ。
「待て。むしろ神殿内に戦力を集めたほうが良いかもしれんぞ」
ヴイーヴルがヴィクトルに対して異議を唱える。
「ドラゴン殿、何か気になる点でもあったか?」
「さっき魔物の増援。ケイオスが魔法を放つと飛行できる魔物が出てきた。それまでは飛行できる魔物が増援にいなかったにもかかわらずじゃ。明らかにケイオスを脅威とみなし意図的に転移する魔物の種族を変えてきておる。じゃが転移元にいる魔物はどうやってそれを知ったのじゃ?」
そのことを指摘され、ヴィクトルははっとなった。
「そもそも神殿への道を切り開いた瞬間に合わせて都合よく魔物の増援が出現できたのもおかしい。戦況を見ていない限り転移元の魔物が知るはずがないからだ。つまり転移元は戦況を確認できるこの付近のどこかから現れたことになる。だがこんな見晴らしのいい場所で転移元にいる魔物を見逃すはずがない」
つまりは敵の増援は戦況の推移が確認できるほどの近隣でかつ身を隠せる場所といえば一つしかない。
「敵の増援は神殿の内部から来ているということか?」
だが言った本人であるヴィクトルも半信半疑だった。
あれだけの規模の魔物が増援として現れたのならば、それを作り出すには時間がかかる。そう仮定した場合、一時的にでも魔物を集結させる場所が必要だ。
地表にある神殿の広さではあの規模の魔物を収容できない。地下もあるそうだがあの規模の魔物が収容できるのだろうかと疑問に思ったからだ。
確証はない。ヴイーヴルの証言だけだ。もしかすると地下の魔法陣と何らかの関係があるのかもしれないが、ヴィクトルには判断がつかない。
だが神殿の中で新たな魔物が作り出されているとしたら際限がない。決着をつけるのならば神殿内の制圧を優先しなければならなかった。
「よかろう。魔物との戦いに終止符を打とうではないか。全力をもって神殿をつぶすぞ」
不敵な笑みを浮かべてヴィクトルは宣言した。
神殿内部に遠征軍全軍で突入することはできない。遠征軍の大半は魔物の奇襲に備え、神殿周辺を防衛している。
突入するのは遠征軍の中でも最精鋭の部隊だ。そこにケイオスやアレクシアたちも加わっていた。
それに加えてオリバーに頼まれていた魔法陣の破壊のことも考えて、ヴイーヴルの人間体もいる。ヴィーヴルの本体の大きさではさすがに神殿は窮屈過ぎたのだ。もっともこの身体では大した戦闘能力がないので戦闘員ではない。
ヴイーヴルの参加は本来地上の防衛に協力してもらおうと考えていたヴィクトルに渋られたが、魔法について造詣の深い彼女の協力は未知の魔法陣に対しても有効かもしれないという提案に従う形になった。
「ケイオス、そういやギルドスキルってやつはまだ使わないのか?」
「ああ、そろそろ使うさ。一日に何度も連発できないから温存していただけだしね」
神殿の突入前にケイオスはギルドスキルの使用を決めた。
ギルドスキルとはギルドと呼ばれるコミュニティーに加わることでギルドのリーダーであるギルドマスターのみが使用できるスキルのことだ。
その効果は様々なものがあるが、基本的にはギルド同士の対抗戦など個人よりもギルドに所属するメンバーによる集団の戦いで使用されることを想定されている。そのため主に戦闘に関わるスキルが多く、ギルドに所属するギルドメンバーに対して効果が発動するスキルが多い。
たとえば代表的なものは支援魔法の強化版のようなステータスの上昇系のギルドスキルだ。他にはギルドマスターの周辺にギルドメンバーを呼び寄せるスキルもある。ギルドの対抗戦ではギルドマスターがやられると敗北してしまうルールの戦いもあるからだ。
ギルドスキルはギルドメンバー全員に効果があり、ステータス上昇なども大幅な効果が見込めるが、再使用時間は通常のスキルの比ではない。中には一日に一度しか使えないといったデメリットもある。そして使用にはスキルに対応する素材を消費するというデメリットも加わっていた。
ただし、ギルドスキル使用の際に消費する素材は駐屯地での戦いで集め終わっていた。そのため実質的なデメリットは再使用時間のみとなっている。
現在ギルドマスターであるケイオスのギルドに所属するのはハボックたちやアレクシア、イレーヌだけだ。事前にギルドスキルが使用できるか確認するためにケイオスは彼らを頼ったのである。
ただ残念ながらヴイーヴルをギルドに所属させることはできなかった。これはドラゴンであろうと疑似的なアバターであろうと同じ結果であった。種族的な問題なのか疑似的なアバターの問題なのか皆目見当はつかなかった。
「能力上昇系のギルドスキルを使用っと。あとはスキルをリセットしておいて、と」
極大魔法だけでは屋内で戦うのは不向きだ。効果範囲もそうだが使用時間が長く、とっさの判断が必要になる戦いでは使い勝手が悪い。ケイオスは標準的なスキルの割り振りへと変更した。
「そろそろ行くみたいっすよ」
突入部隊は神殿の奥へと進んでいく。
神殿の一階は天井も大きく突入部隊が入るには十分の広さがあった。王宮にあるようなきらびやかな建築物とは程遠く、遺跡のように年代を重ねた組積造の頑丈な造りだ。神話の時代より存在すると目された建築物にしては近年まで利用されている雰囲気を残している。少なくとも戦闘の余波で崩壊するほど老朽化してはいない。
人間を優に超える大きな魔物でも入れるような造りになっている。まるで侵入者を出迎えるように明るい。反面とても静かで出迎えるものは誰もいない。
「どうやら無事に奥まで進んでいったみたいじゃの」
先行して突入した神殿騎士団と交戦した魔物の死体がある。人間の遺体はないし、一階に残っている兵はいなかった。少なくとも一階は無事に制圧できていたのだろう。
地下は一転して明かりがない。まがまがしい邪神が封印された場所だからだろうか、闇が支配している。このまま進めば闇の中に沈んでいくのではないかと錯覚するぐらい真っ暗闇だ。
同行している部隊員が松明を持ち、地下へと進んでいく。ケイオスたちもそれにならった。地下に漂う独特の淀んだ空気がケイオスの鼻についた。
「こうも暗いと敵がいるかわからないわね」
「一応、照明器具は持ってきているし、警戒はしているがさっきみたいに突然現れたらわからないな」
何しろ松明周辺以外は真っ暗だ。よく偵察してきた兵はこんな所に侵入できたものだとケイオスは感心した。彼にはマップ機能が備わっており、周辺の魔物の位置が判別できる。それでも暗闇の中を見通せるわけではなかった。もし松明が消えてしまえば、あっさりと迷子になる情けない自信があった。
濃く深い闇もあるが思ったよりも地下は広い。暗くわかりにくいために一階と比較しにくいがそれでも地下への階段からして兵士が並んで歩いても十分な広さがあった。
しかしケイオスのマップには近隣にいる敵の反応はない。神殿騎士が倒したのか、そもそも無人なのかわからないが、外にいた魔物の大群に比べたらまるで何もない別世界のようだった。
「これじゃ罠があっても気がつきませんよ。気をつけてくださいね」
エミリアに言われてケイオスは不審なものがないか足元を調べる。
「うん? これなんだ?」
床には紙切れが落ちている。真新しいものだから先行した兵の誰かが落としたものかと思い、ケイオスは拾い上げる。
「何かの御札? でもなんでこんなものが?」
漢字によく似た文字が書かれた札のように見える。よく周囲を見渡せばその札と同じようなものが辺りに散らばっていた。いかにも和風な札にケイオスは不自然さを覚える。
「気をつけろ、何かあるぞ!」
ケイオスは嫌な予感がして周囲に注意を促そうとするが、札の発動が早かった。札は光を放ち、ケイオスは目がくらむ。
再びケイオスが目を開いたときにはすでに元の場所から転移していた。ハボックたちはおろか、あれほどいたはずの兵も周辺にはいない。
輝く札が消滅する前にケイオスは慌ててランタンを取り出し、火をともす。何とか間に合ったが危機的状況はまだ続いている。
「パーティーを分断させ孤立させるトラップか。まさかあんな罠を仕掛けているなんて」
敵地の中で孤立してしまったことに頭を抱えるケイオス。
「一応まだ神殿の中みたいだけど、どこだここは?」
どうやらまだ地下であることから神殿内部であることは確かだ。
「みんな無事かな? 札があれだけたくさんあったってことは、俺を狙ったわけじゃなく、部隊のみんなを分断することが目的だな」
神殿騎士団ももしかするとこのように味方を分断されて、引き返せない状況に陥ったのかもしれない。
罠であることは明白である。各個撃破されてはたまらない。
「ギルドスキル発動、『招集』」
ギルドに所属するギルドメンバーをギルドマスターの下へ招集するギルドスキル。使用制限が大きく何度も使えないスキルだが、ケイオスは迷わず切り札を切った。これでハボックたちを自分の下へ呼び寄せることができる。
だがケイオスの声が響くだけで何も起きなかった。
「あれっ? ギルドスキル『招集』! あれ? なんで?」
何度もスキルを発動させようとするが、発動する気配はない。別の場所でこのスキルが発動することはすでに確認している。
「この神殿内じゃ利用できないってことか? 弱ったな。これじゃ自力で合流するしかないか。アレクシア様、みんな……。無事でいてくれよ」
マップで確認しても味方の姿はない。少なくとも転移した場所はマップで味方を確認できる範囲よりも遠くのようだ。だからケイオスは心細さを押し殺して、味方との合流を優先した。
「畜生、みんな無事か?」
ハボックは大声でパーティー全員に聞いた。
「なんとか無事っすよ。でもケイオスとヴイーヴルがいないっす」
「どっちもそう簡単にやられるとは思わないけど、護衛対象から引き離されるなんて護衛失格ね」
ハボックたちは札の罠に気づいたケイオスの下へ駆け寄ろうとしたが、間に合わず彼らもまた別の札によって別の場所に飛ばされていた。
そして転移した先には魔物が待ち構えていた。ハボックたちはそんな不幸な目にあったが、不幸中の幸いとでもいうべきか魔物のいた場所は明かりがあり、彼らのパーティーは近くに転移していたのだ。
ハボックたちは合流を果たすとすぐさま追ってきた巨人の魔物を蹴散らした。
「あいつは俺たちをすぐに呼べる。それをしないということは、まだ無事かもしれないな。まあとっとと合流するに限るが」
「どうやら神殿騎士も罠にはまったみたいですね」
エミリアは顔を歪めた。近くに事切れた神殿騎士を見つけたからだ。罠にかかって薄々予想はしていたが、同じ罠に引っかかっていたことを知る。
「魔物はそれほど強くはなかったわ。他の魔物も同じぐらいの強さならきっとケイオスは大丈夫よ」
むしろ突入した部隊のほうが心配だ。ということを匂わせつつも、コーネリアの顔には不安の色がありありと出ている。内心はケイオスやヴイーヴルのことを心配しているのであろう。
「ほう、四人も残っているか」
低い声が周囲の壁や天井に反響してこだまする。反射的にハボックたちは戦闘態勢を取った。
ぶおんと、大きな音が鳴り響く。前傾姿勢を取っていたリーアムはとっさに背後から頭上を襲ってきた木の塊をとっさに避けた。
「なかなか活きのいい獲物ではないか。ケイオスと戦えないことは残念ではあるが、それでこそ戦いがいがある」
振り下ろした棍棒を持ち上げ直すと単眼の巨人がハボックたちを見下ろして笑顔を浮かべる。
「ケイオスと戦えない? どういうことっすか? もしかしてケイオスがどこにいるか知っているっすか?」
この場にケイオスがいないことは、ケイオスを知っているものであれば一目瞭然ではある。だが自分たちを倒した後に同じように罠にかかったケイオスを探せばいいだけだ。
巨人が弱いとは思えない。さっき倒した巨人とは比べ物にならないほどの鋼のように鍛え抜かれた体躯やまるごと木を抜いてきたような巨大な棍棒を持ち上げるだけの怪力、何より巨人の自信ありげな不敵な笑みが雄弁に語っている。
それでもまるで二度と戦えないと断言する巨人の言葉にリーアムは引っ掛かりを覚えた。
「単純なことだ。俺と戦う前にケイオスが倒されるからに過ぎん。あのお方は俺よりも強いのだからな」
「あのお方?」
「ふん、小賢しい。そのような姑息さこそ脆弱な人間が身に着けた知恵らしいな。そこまでお前たちに教えるわけがないだろう。どうせ倒してしまえば聞く必要もないのだからな」
「うっわー、まるで三流の小悪党がいうような典型的なセリフね。ある意味貴重な経験だけどちょっと引くわ」
「弱い人間がよく吠える」
「ちょっとどこに目をつけてんのよ! 耳みなさいよ、耳を! 私はハーフエルフなんですけど、そこのところちゃんと見てから言ってよね!」
「まったく、お前が挑発されてどうするよ」
「ネルも短気で考えなしなところがありますからね」
「リーアムと似たもの夫婦だな、こりゃ」
「夫婦じゃないわよ!」
「夫婦じゃないっすよ!」
顔を真っ赤にしてハボックの言葉を否定するコーネリアとリーアム。
「気がそがれるな。お前たち本当に強者か?」
「ああ、あいつと比べたら俺たちは大したことないさ。だからよ、お前さん見逃しちゃあくれないかね」
「世迷言を。古来より魔物と人が相対して命の奪い合い以外何がある。見逃すなんてありえないだろう。せっかくここまで生きてたどり着くような強い人間と戦えるのだ、せいぜい長く俺を楽しませろよ」
「くそ、戦闘狂かよ。面倒臭い奴と会っちまったな」
軽口で応酬したところで単眼の巨人が挑発に乗りそうもなく、無意味であることはハボックたちにも理解できた。単眼の巨人の冷静さでも失わせれば儲けものだと彼らは考えていたが、予想以上に理性的で冷静なようだ。
戦闘に時間をかければかけるほど、窮地に立たされるのはハボックたちや突入部隊である。会話が長引けば長引くほど自分たちが有利になることを巨人は理解している。戦力が分散している味方が各個撃破されてしまうのが落ちである。
そうした駆け引きもあるのだろうが、会話もまた戦闘狂である単眼の魔物にとって神聖な戦いの前菜のようなものなのだろう。人間と魔物と言う相容れない存在なのに和やかに会話が成立している。話している内容は殺伐としたものだが。
「仕方ねえな、リーアム。あいつを倒して先へ行くぞ!」
「そうだ、そうこなくては! いいぞ人間。それを待っていた!」
痺れを切らしたハボックは、単眼の巨人との戦闘に臨む。単眼の巨人は歓喜に打ち震える。
「さあ、受けてみろ! この程度で終わってくれるなよ!」
力比べとでも言わんばかりに豪快に棍棒を振り回す単眼の巨人。パーティーの中でも最も重装備なハボックは盾を構え、棍棒に備えた。
だが横薙ぎに振り回された棍棒が接触する前にハボックは目を見開くと、盾をずらして直撃を逃れる。風を切り裂いて棍棒が走った後は、衝撃波がハボックの盾に襲い掛かる。下半身にぐっと力を込めてそれにハボックは耐えた。
「避けたか! よく見ているな!」
攻撃が外れたというのに、単眼の巨人はハボックに称賛を送った。対するハボックは苦い顔をしたまま視線を単眼の巨人から外さない。
単眼の巨人の攻撃を盾でいなして、相手の体勢を崩そうと考えていたハボックの目算が外れる。受け止めることはおろか、いなすことさえ難しい。
「気をつけろ、あいつの怪力は並じゃない! リーアム、距離を取って戦え!」
「わかっているっすよ! あんなの直撃したら俺じゃ一溜まりもないっす!」
パーティー内で最も重装備のハボックでさえ受けきれない攻撃なのだ。同じ前衛でも軽装なリーアムは敵の攻撃を剣で受けるか避けることが多い。だがあんな攻撃を受けてしまえば、剣が砕けるどころか上半身ごと吹き飛ばされてしまう。後衛のコーネリアやエミリアはもってのほかだ。
そんな二人に意識を集中させている単眼の巨人に対して、距離を大幅に取ってコーネリアが弓で単眼の巨人の目を狙う。矢がすんでのところで目に刺さるまえに単眼の巨人は左手を目に覆う。
太い腕は勢いのついた矢ですら刺さることはなく決定打にはならない。しかし一瞬単眼の巨人の視界を塞ぐことに成功した。
決定的な機。長い間パーティーを組んで気心の知れた仲間が、それを見逃すはずがない。
「『セイントアロー』」
エミリアの数少ない攻撃手段の一つ。輝く光る矢の追撃。
本能的に敵の追撃が来ることを感じて、単眼の巨人は素早く身をかがめて追撃をかわす。
だが『セイントアロー』はただの囮。本来はチャージすることで威力が増すそれは単眼の巨人の目が塞がっているわずかな時間に放ったため、ほぼノーチャージだ。つまり大して威力はない。
「『シャインセイバー』」
輝く光の剣が単眼の巨人の腕を斬り上げる。リーアムはハボックの言葉とは裏腹に距離を取るどころか一気に距離を詰めていたのだ。
けれどもリーアムは舌打ちすると即座に後退した。直後にリーアムのいた場所へ単眼の巨人の拳が落ちる。
「浅かったっすか!」
リーアムは魔法剣の『シャインセイバー』で威力が増した状態で、腕を斬り落とすつもりだった。でもその前に直感に従って単眼の巨人が後ろに退いたのだ。
巨体に似合わぬ機敏な反射神経。そして戦いに特化した直感。間違いなくさっき戦った巨人と一線を画す。
「ああ、人間がこの俺を傷つけたか! そうか、そうか! フハハハ、認める。認めよう! お前たちは強者であると! 俺はついている! 噂のケイオスと戦えないと嘆いたものだが、お前たちのような強者と戦えようとは!」
血をぽたりぽたりと落とし傷つけられたにもかかわらず、単眼の巨人は歓喜していた。根っからの戦闘狂にとって強敵は最高の御馳走のようだ。
「被虐の性癖でもあるのかしら、悪趣味ね」
「まったくよう。魔物の本拠地だから強い奴がいるとは思っていたが、まさかこんな強敵と出会うなんて厄日だぜ!」
「さあ、次はどんな手で来る? お前たちのすべてを見せてみろ!」
互いに軽口を叩き合って、ハボックたちと単眼の巨人は再び仕切り直した。
一方、転移の罠にはまったのはケイオスやハボックたちだけではなかった。アレクシアやイレーヌもまた同様の罠にかかっていた。
罠にはまったのはアレクシアだが、持ち前の速さを活かしてイレーヌはアレクシアの傍に駆け寄り、一緒に転移することができた。
「イレーヌ、急いで。このままではいけません」
「はっ」
地下を駆け抜ける二人は、目の前に明かりを見つけ味方だと思い、その場所を目指した。光は広間の照明から漏れた光だった。
広間に入ったイレーヌとアレクシアは鼻を覆った。濃厚な血の臭いでむせ返ったからだ。広間は真っ赤に染まっていた。
むせ返る広場の中心には血に染まった少女が、手に伝う赤い血をちろちろと舐めている。
広間の奥は直視できない塊があった。おそらくこの赤い血はその塊のものだったのだろう。塊は一際赤黒く染め上がり、原形を保っていなかった。
「んはぁ、おいしい。勝利の美酒って奴ね」
恍惚な表情の少女は熱い吐息を吐いた。プラチナブロンドの長い髪が手に舌を伸ばすたびにゆらゆらと揺れる。凄惨な光景なのにどこか蠱惑的で惹きつけられる妖艶さを兼ね備えるおぞましい存在。
アレクシアと同じかそれよりも幼い少女。それなのに周囲を近づかせない独特の異様な雰囲気があった。
「あら、あなたたちここまでたどり着いたのね。他の魔物にやられたのかと思ったわ」
血をすすることに集中していた少女は、ようやくアレクシアたちの存在に目を向けた。
「残念だが、すべて倒してきたぞ」
「ええー、何それ。弱すぎじゃない? まったく役に立たないんだから」
「血をすする吸血鬼。コミューンを襲った吸血鬼の首魁は一人の少女だったと聞きます。あなたはその首魁の少女と特徴が一致している。もしかするとあなたがコミューンを襲った吸血鬼の首魁ではありませんか? ヴァイクセル帝国を騙し、コミューンン連合国と戦争に追い込んだのもあなたの仕業ですか?」
「さすがにバレるか。そうよ。全部カーミラちゃんの仕業。簡単すぎてちょっと退屈なお仕事だったけどね。有名になるのも困ったものね!」
アレクシアの問いにちらっと舌を出すカーミラと名乗った少女。悪戯をして見咎められた子供のようだ。
「お前はあれほど残酷な行いをしておきながら良心の呵責すらないのか?」
「何言ってんの? あなたたち私たちの敵でしょ。なら敵を効率よく倒すのは正しいことじゃない。そんなことで良心について語るとか馬鹿じゃないの?」
憤慨するイレーヌの言葉などカーミラにとってどこ吹く風だ。
「だいたいあなたたちだってあなたたちの倫理観で言う残酷な行いをしているじゃない。生活のためだとか言って、私たち魔物の体から皮や爪をはぎ取ってそれを売り払う。加工して武器にしてそれを手にしてまた私たち魔物を殺す。そっちの子の杖についているそれだってドラゴンを倒して手に入れたものでしょうに。私たちの体の一部が高値になるからと言って殺し尽くされて絶滅した種族もいるそうよ。これは悪行には当たらないの? ここまで来るまでにどれほどの魔物の屍を築いてきたのか知ってていっているならとんでもない厚顔無恥だわ。私たちの所業は糾弾されて、自分たちの所業は省みないとか矛盾しているって思わないのかしら?」
アレクシアが使っている杖は最高級品であり、ドラゴンソウルと呼ばれるドラゴンより手に入る宝玉をはめている。イレーヌは言い返すことができなかった。
ある意味彼女は純粋と言えるだろう。純粋なほど悪意にあふれている。言い換えれば自然体で悪意を周囲にまき散らす。
「騙されるほうが悪いのよ。はっきり言うけど、私のしたことなんて大したことじゃないわ。ほとんど眷属任せで、ちょっと誘導しただけであっさりかかるんだもの。張り合いがなかったぐらいよ。いいえ、もしかするとヴァイクセル帝国はわざと騙されたふりをしたんじゃないかしら。私の策を読んだうえで、流れに乗っただけじゃないの? せっかくだしこれを機会に邪魔なコミューン連合国をつぶしてしまおうぜ! って感じで!」
「ふざけるな! 私たちがそのようなことをするか!」
「あら、そう? っていうか暑苦しい感じね、あなたは。でも、そっちの子は否定しないみたいだけど?」
「アレクシア様?」
アレクシアの浮かべる表情にイレーヌの威勢が弱まっていく。
「その吸血鬼の言葉が正しいかどうかはわかりません。ですが可能性は否定できません」
「そういうことよ。人間なんて裏で何を考えているかなんてわからないものなんだから。あなた話が分かるじゃない」
困惑しているイレーヌをよそにカーミラは笑顔のままアレクシアに話しかける。
「あなたのことは知っているわ。アレクシアって子よね。ブランブルグでグリフォンとライノスたちを倒した子じゃない。ケイオスほどじゃないけど人間では突出して強かったから印象に残っているわ」
アレクシアは警戒の色を消してはいない。が、ケイオスの名前が出た途端、少しだけ瞳が揺れる。
感覚が鋭いカーミラはそれを目ざとく見逃さなかった。
「あなたケイオスと仲が良かったわよね。どうしたのかしら、ケイオスの名前を出しただけで泣きそうな顔をしているわよ。振られでもしたの?」
カーミラは適当にカマをかけたつもりだったのだが、アレクシアはひどく悩ましい表情をした。事情を知らないものですら、彼女が苦悩していることを察せるぐらいに過剰な反応してしまったのだ。人間でないカーミラですら察せるぐらいに。
「あら、図星? お気の毒様。なんていうか報われなさそうな臭いがぷんぷんしているわ。幸が薄そうな顔をしているもんね」
悔しさなのか悲しさなのか。アレクシアの真意は他者には理解できない。彼女はだんまりを決め込んだままだ。
「ねえ、アレクシア。私たちの仲間にならない? 人間は嫌いだけど、あなたみたいな人はまだ許してもいいわ」
カーミラはなんと敵であるアレクシアへ味方になるように説き伏せ始めた。
「おい、何勝手なことを言っているんだ」
「まったく騒がしい人ね。私はアレクシアと話しているのよ。少し黙ってて。目を見ていればわかるわ。この子はね、世界を嫌っている、そんな負の情感を宿しているの。きっと今まで辛い思いをしてきたのよ。私もわかるもの」
カーミラは二人に構わず語り出す。
「この北の大地はね、ひどいところなのよ。辺りは一面の荒地だけ。本当に何もなかったの。理由は知っているでしょ。魔物は人間に敗北しこの地に追いやられたからよ。そんな何もないところで私は生まれたわ。なまじ魔物で強い生命力を持っていたからかもしれないわね。でも私も生きているもの。何か食べなきゃ生きていけないわ。人間には分からないでしょうけど、吸血鬼はね、血を得なければひどい飢餓感があるのよ。でも血を得るには人間なんていないから、いつも魔物を襲って血をすすっていたわ。北の大地に住む他の魔物だって似たようなものよ。森から得たわずかな食料を奪い合い、負ければ相手の糧に成り下がるなんてことは日常茶飯事だったわ」
「魔物同士? 仲間同士で争っていたのか?」
「はあ、口を挟まないでほしいんだけど。まあいいわ。そうよ。まさか人間だったら仲間は襲わないとか寝ぼけたことを言うつもりはないわよね。さっきのヴァイクセルやコミューンほどの規模じゃないけど、身内同士ですら傷つけあうことなんてありふれたものじゃないかしら?」
「そうですね。身内を手にかけることはあります。私ももし先生と出会わなければ、魔法が使えず家の恥だと処断されていたかもしれませんから」
「ほらね。そんなもんよ。だいたい人間を襲いに行くなんて今でこそ不可能じゃないけれど、当時は無理だったもの」
「何故だ? 険しい道のりだが、人間にとってあの森は魔物の巣窟でもお前たちは味方なのだろう?」
「あのね。魔物のすべてが味方じゃないの。本能で行動するだけで理性が足りないようなやつらもいるもの。そういう奴らには力で躾けるほかないわ。まあそれ以上に森にはあの忌々しい奴らがいるから無理ね」
本当に憎らし気にカーミラは天井を見上げた。
「自由に空を飛ぶドラゴンども。人間側に与し、神話時代から生き続ける知恵のついたトカゲども。どいつもこいつもしつこいったらありゃしない。人間には見切りをつけていたみたいだけど、魔物とは大昔から不倶戴天の敵。でもあいつらにとって私たちは餌にしか過ぎなかったわ」
「ですがドラゴンに群れで襲い、森から立ち退かせたのではないのですか?」
「よく知っているわね。あの暴竜から聞いたの? 残念だけど大半は逃げられたわ。一部は倒したけどね。でもま、ごく最近のことよ。以前は魔物同士、種族を越えて手を取り合うなんて不可能だったもの」
「お互いのことを信頼できなかったのですね」
「ええ、だってお互いがわずかな食料をかけて命を奪い合う関係だったもの。それが手のひらを返して仲良くしましょう殺しませんからなんて言っても、誰も信じられないわ。人間だってそうでしょう? 私たち魔物が仲良くしましょうって言ってすぐに仲良くできる? 自分たちの体から素材と称して剥ぎ取り、こんな何もないやせた土地に追いやった人間を魔物が恨んでいないとでも思っている? 互いに相容れない存在であることはわかっているでしょ。それと一緒よ。私たちを集団としてまとめるにはそんな因果を断ち切るような存在が必要だった」
カーミラは興奮している。かつて味わった自分の感動をアレクシアたちにも伝えるように口調にも熱がこもっていた。
「そして私たちは得た! 無為に過ごしていた私たちの前にずっと望んでいた主が現れた。本当に長かった。ようやく私たちはこのどうしようもない世界をぶち壊すことができる! 主さえいれば必ず!」
カーミラが慕う、主。人を嫌い、魔物を信頼できないカーミラが忠誠を誓う存在。
「あなたが言う主とはどなたなのです?」
「うふふふ、気になる? でもダメ。アレクシアはまだ敵だもの。味方になるなら考えてあげる。ねえ、どう? 私と一緒にあなたをないがしろにした理不尽なこの世界をぶち壊してみない? 不条理な仕打ちであなたを翻弄しているくそったれな運命を私と一緒に切り開くのよ!」
夢見る彼女の瞳は輝いていた。これから到来する輝かしい未来に目が向いていて、それを信じて疑いもしない。絶対の信頼が主に向けられている。
「今ならアレクシアが欲しかったものをあげる! あなた、ケイオスのこと好きだったんでしょ? でも振り向いてもらえなかった。だったら主にお願いして、ケイオスの身体だけでも残していただくわ。私がケイオスを眷属にしてあげる。私があなたのいうことを聞くように命じておくわ。どんな命令でも思いのまま。従順なケイオスがあなたのすべてを受け入れてくれるの。それはとっても素敵なことだと思うわ。ねえ、どうかしら?」
カーミラはアレクシアを誘うように手を伸ばす。イレーヌはそれを止めようと前へ出るが、その前にアレクシアが制した。
「あなたの言う通り私は先生が、ケイオスが好きです。昨日、告白して断られました」
沈んだ表情のまま胸の内を語り出すアレクシア。イレーヌは痛ましく思えた。
「失恋って、こんな気持ちなんですね。本当に苦しくて切なくて、思い出しても涙があふれきます。じくじくと胸の痛みが止まらない。今でも現実だったって認めたくない気持ちでいっぱいです」
もちろん否定したところで何も変わらない。そこにはただ事実が残るだけだ。鮮明に残る痛ましい記憶とともに。
しかしアレクシアにとってそれはただ痛ましいだけの記憶ではなかった。
「でもあの人もそうだったんですよ。ずっとあの人を目で追い続けてようやくわかりました。あの人は不愛想なところもありますけど、実際は顔に出ないだけで感情豊かな人なんですよ。あの人は私の告白を断った。なのに、あの人はひどく苦しそうだったんです。きっといっぱい悩んで苦しんで、その上で断ったんだと思います。自惚れかもしれませんが、あの人も私のことを好きでいてくれたのかもしれませんね」
怖くて問い返すことはできませんが――自嘲気味にアレクシアは笑った。
「ひどい人ですよね。私にいっぱい隠し事をしているくせに、そのことも一緒に私に悟られないように隠し続けてほしかったのに。もし私が気づかなかったら、愚かしくも私はあの人に逆恨みしていたかもしれませんが」
本当にひどい人、という彼女の表情は相手を責めるというよりもどこか茶化したような口ぶりだった。
「でも私は気づいてしまった。あの人は悩んで答えを出したんだと理解してしまったんです。だから私は真摯にそれを受け止めなければならない。選ばれなかったことは悲しくて辛いけれど、それでも私は受け入れる。あの人が下した決断を。そして、そこから続く未来を」
例えどのような思いがあっても受け入れた未来を進んでいく。どれほど苦難が待ち受けていようとも後悔しようともそう決めたのだから。
「確かに世界は理不尽なことでいっぱいです。けれど私はそれ以外の素敵なことも知っています。素晴らしい思い出がいっぱいあります。辛くても支えてくれたこのイレーヌもいます。だから私はこの世界を壊したいとは思いません」
種族が違う少女たちはどこか似ていた。理不尽な境遇に生まれ、そんな境遇を呪っていた。そして誰かにそれを救われたことすらも。それぞれその人物から強く影響されている。それ故に少女たちは共感できるところがあった。
ただ違いがあるとすれば、その救ってくれた人物に対して吸血鬼の少女は忠誠を、人間の少女は恋情を抱いた。
その人物に従うことを選んだ吸血鬼。そして、その人物に並び立つことを望んだ人間。それが決定的な違いであり、彼女たちが絶対に交わらない道を歩む理由だった。
「だから私はあなたの手を取るわけにはいかない。私が欲しいのは何でも言うことを聞くケイオスなんかじゃない。私がずっと想い続けたありのままのケイオスだ! 絶対にあなたの眷属にはさせないし、あなたの主にも殺させはしない! この私の想いを汚すな、カーミラ!」
アレクシアは手を取ることなく、カーミラに杖を突きつけた。
決定的な決裂。
言葉だけではなく態度で意思表示したアレクシアに対して、カーミラは落胆した。
「あーあ、あなたは普通の人と違って賢いみたいだから理解できると思っていたんだけど、所詮人間という呪縛から逃れられなかったのね、残念」
伸ばした手をカーミラは降ろす。降ろした途端、彼女の鋭利な爪がしゅっと伸びる。
「なら、あなたは私たちの敵よ。私の手を取らなかったことを後悔して死になさい!」
カーミラは牙をむき、アレクシアと相対する。もはや少女の姿というよりも醜悪に牙をむく魔物として本性を現していた。
「イレーヌ、相手は一国を手玉に取った強敵です。絶対に負けるわけにはいきません。何としても倒して先を目指しますよ!」
「もちろんです、アレクシア様!」
主従は力を合わせ、吸血鬼に立ち向かう。
転移させられ、地下をさまようケイオスはようやくマップに反応を見つけた。
「味方が二人だけ? 転移ではぐれたのか?」
マップ上では敵と味方の識別はできても、詳細まではわからない。確実なことは周囲に敵影はない。行ってみるまでは判別できなかった。
転移して正確な位置はつかめていないが神殿の奥深くまで侵入している。脱出するのも一苦労だ。
「とにかく行ってみよう。話はそれからだ」
ケイオスは味方の下へ走る。
明かりが漏れる部屋。その中央には祭壇らしきものが置いてある。
「あれ? ここはもしや魔法陣のある場所?」
地下奥深くまで進んでいることは彼も理解していたが、まさか目的地に到着したとは思いもしていなかった。
激しい音が辺りに反響する。まるで何かが衝突するような音だった。
「オリバーさん⁉」
音がする方へ顔を向けたケイオスの目に飛び込んできたのは、オリバーが倒される瞬間だった。
ケイオスは急いで駆け寄り、オリバーを抱き上げる。オリバーの身体はすでにぼろぼろでもはや風前の灯だ。
「オリバーさんがここまでやられるなんて」
「……はあはあ。ケイオス殿。申し訳ない。私では力及ばず……」
「オリバーさん! 無理にしゃべらないで!」
「気をつけてください、敵は魔法だけではなく見た目に反して近接戦闘にも強い。ですがそれも全力ではないのでしょう。私では奴の底まで見ることは叶いませんでした。しかし何故、人間が魔物に与しているのか……。お願いです、ケイオス殿。奴を倒して、魔法陣を……!」
そのままオリバーは事切れた。間に合わず悔やんでも悔やみきれないが、ケイオスは丁重にオリバーを下ろして、オリバーを倒した相手を見た。
「人なのか? でも……」
吸血鬼のような人型の魔物も存在する。だがケイオスのマップ上に魔物はいなかった。さらにオリバーが人間だと断定している。
ケイオスの視線の先には陰気臭い神経質そうな痩せぎすの中年のスーツ姿の男が立っていた。ケイオスの目から見ても魔法を使うならともかく、高い身体能力が要求される接近戦まで得意な人物には思えない。しかし現実としてこの場にはこの人物以外誰もいなかった。
特にオリバーはこの世界でも屈指の実力者だ。特に拳を交えた接近戦において、彼の右に出るものはごく限られる。
対してその中年の男は傷一つついていない。オリバーは一方的に敗北したことになる。
「あんたどこかで」
ケイオスも男が気になっていた。記憶の隅に何か引っかかるものを覚えていたからだ。
「そういや、前に雑誌やテレビで見たことがある。確か『アナザーワールド』の開発者の海野……」
雑誌やテレビにも出演したことのある『アナザーワールド』の生みの親ともいうべき人物――海野航。本来現実世界の人間である彼がこの世界にいる。これはある事実を示していた。
「やっぱり現実世界の運営が関与していたのか」
あまりにもゲームである『アナザーワールド』との類似点があったこの世界でゲームの運営会社が関係していると予想はしていたが、開発者がこの世界にいるということはやはりケイオスにとっても衝撃だった。
「現実の私のことを知っていたのか。あれほどメディアに露出すれば見ていても不思議ではないか」
「じゃあ、やっぱりお前は海野本人なのか」
「アバターは自由自在に姿を変えることができるが、正真正銘私は向こうの世界と同じ存在である海野だよ」
海野はあっさりと認めた。
「なんで魔物に協力しているんだ? 秘術なんか使って理を歪めようとして何を企んでいる?」
「なんだ、それすらもわからなかったのか?」
場違いに呆気にとられる海野にケイオスは返す言葉もない。海野は天を仰いだ。
「何ということだ。何も知らぬ男に妨害され続けていたのか。もしかすると魂にまで刻まれていた宿命に動かされていたのかもしれないが、これではお前をここまで誘導した意味がなくなってしまうではないか」
「宿命? 何を言っている? それに誘導?」
「お前に対して転移符に細工をして転移符が発動するとこの祭壇の近くに転移するようにしたんだよ。まあ今となっては無意味だったのだが。プレイヤーであるお前をはめるには攻略サイトで情報が出回っていない罠でなければ簡単に引っかからないと考えたからだ」
転移符はおそらくあの札のことだろう。未知のアイテムだったがゆえに判断が遅れたのも海野の計算によるものだったのだ。
「俺のことは知っていたんだな」
「もちろんだとも。あれだけ派手に妨害してくれれば否応なしに目につく。魔物がお前を排除しろと何度も忠告してきたぞ」
「じゃあ、俺を狙ってきたのもすべてお前の仕業なんだな」
「ははっ、それは違う。私はそんな指示を出していない。邪魔だと思った魔物がお前を狙っただけだ。よほど目障りに思われていたようだな。むしろ私は止めたぐらいだよ。感謝してもらいたいぐらいだ」
「止めた? 俺を罠にはめたのに何を言っている?」
「私がお前と話したかっただけだよ。でなければこんな手間のかかる罠など張るものか」
「俺と?」
「もっとも当てが外れてしまったがな」
海野は残念がっている。何故彼が残念そうにしているのかケイオスには皆目見当がつかなかった。
「仕方あるまい。自分の正体すらまったく記憶していないとは予定外だったが、何も知らないままではここまで誘導した意味がない」
海野はため息をついた。海野の話を聞けば聞くほど、ケイオスは疑問符が浮かぶばかりだ。
「正体? 記憶?」
「そもそも疑問に思ったことはないかね? この世界は何なのかと。何故『アナザーワールド』をプレイすることでお前だけこの世界に転移できるのかを」
それはケイオスもずっと疑問に思っていたことだった。ケイオスは海野の話に耳を傾ける。
「ここは異世界だ。『アナザーワールド』の仮想世界はこの世界を元に創り上げている。故に地名などはこの世界とまったく同じだ。さしずめミラーワールドとでも呼称しておこうか。一般的なプレイヤーはミラーワールド上でゲームをプレイしている」
「じゃあ他のプレイヤーはミラーワールドにいて、なんで俺だけこの世界に転移されるんだ?」
「はっきり言えば想定外の事故だ。基本的にはプレイヤーがログインした場合、ミラーワールドへログインするようにフィルタリングしている。この世界に関係するもののみ転移できるようにふるい分けていたはずだったんだ。地球でこの世界に関わりを持つものは私だけ。唯一私のみがこの世界へ転移するはずだった。だが私以外にもこの世界と関わりの持つものがいたということだよ。お前という例外がな」
「ちょっと待ってくれ、海野はこの世界の人間なのか? それ以前に俺はこの世界とは無関係なはずだぞ?」
唐突に海野が異世界人であることを暴露され、ケイオスは困惑した。さらに自分が異世界の関係者だと言われてもゲームを始める前にこの異世界にいたことなど記憶にない。
困惑するケイオスに対して海野は彼の疑問に一部だけ回答する。
「そうだ。私はもともとこの世界にいた。この世界であがめられる神、モウスデウスとして」
「モウスデウスだって⁉ それってあの封印された邪神か⁉」
「そうだ、ある神によって封印されてしまった不甲斐ない神だよ」
神話の時代、魔物を率い他の種族や神々と戦争した厄災の神。
「モウスデウスは封印されていなかったか? 公式で公表されている邪神モウスデウスは、確か邪神は器である肉体と魂に分けられて封印され、肉体はこの神殿に魂は異世界に追放されたとかあったはずだが」
「よほど私が憎らしかったらしい。私が二度とこの世界で災いをもたらさないようにある一柱が、器となる肉体をこの神殿に封印し、魂を異世界に追放してしまったのだ。――この世界から見て異世界である地球にな」
「じゃあお前の中の魂は邪神のものってことか?」
「その通りだ。アンデッドの発生による混乱の中で封印した神は短い間によく考えたと思うよ。もっとも残忍な神の殺し方だ。肉体や魂の封印を施せば魔物が封印を解き、私を復活させてしまうかもしれない。それに魂だけ封印しない場合は魂の浄化が始まる。浄化とは魂の力をそぎ輪廻の輪に戻すことだ。その過程を経てあらゆる生物は転生を繰り返す。浄化の際は魂に蓄積された力だけではなく記憶を失ってしまう。だが神の魂が浄化されることは初めてだった。何が起きるか予想はできなかったのだろう。もしかすると転生したとしても私が記憶や力を保持したまま転生してしまうかもしれない。そうなれば封印された肉体を取り戻し復活することも考えられる。故にあいつは絶対に交わることのない異世界へ飛ばした。もっとも転移先にされた地球にとっては不法投棄のようなはた迷惑な話だがね」
まったく無関係だった地球はとんだとばっちりである。余裕がなかったのかもしれないが、もう少し他の方法はなかったのかと封印した神にぼやきたい、とケイオスは思った。
「そして私は地球で人間に転生することになった。知識や記憶を残したままでね。まさか人間と敵対していた邪神が人間に転生するなんて何という皮肉だろうか」
自嘲気味にくつくつと海野は笑う。
「思いのほか神の魂の格というものは凄まじいのだ。多くの生物は浄化されれば記憶や力を失うが、私は記憶や力を残すことができた。浄化で喪失する量を圧倒的に上回っていたのだろう。だがね、魂がまったく浄化されなかったわけじゃないんだよ」
海野から笑みが消えた。それこそ自身の絶望を露わにしたような憎しみへと変わる。
「人の身に生まれ変わった私は寿命もまた人間と同じ。生まれ変わるたび何度も浄化を繰り返した。そのたびに私の力は、記憶は虫食いのように奪われていく。わかるか、この恐怖を! まるで自分が徐々に消されていく感覚を! どこから消されるのかもわからない。このままではいつか神であったことも忘れて、自分が何者なのか覚えていない恐怖に怯え続ける」
海野は震えていた。恐怖は海野の心に深く刻まれている。故に深く恨みが募る。
「これではまるで緩慢な死だ。私はいつまでこの恐怖に耐えればいい? 封印した神はそこまで予想していなかったのだろう。だが知らないからと言ってその残虐な行いを私は決して忘れない」
凝縮された憎悪。ケイオスは海野ににらまれて一瞬怯んだ。
「くくくっ、滑稽だ。道化だよ、私は。憎み続けてきた相手が何も覚えちゃいない! これでは楽しみが半減ではないか!」
「どういうことだ⁉」
ケイオスは向けられた憎悪に抗うように叫んだ。
「まだわからないか。私を封印した神。それがお前の正体だ」




