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第六十八話 思いは違えど


 英雄である魔導師が魔法を使うため前線を後退せよ。


 前線を指揮していた指揮官は不可解で無茶な命令でも従うほかなかった。目の前には敵である魔物と戦闘中で自陣にも神出鬼没に現れる劣悪な状況だ。兵を後退させれば、魔物が隙をついて味方の隊列を突破し、自陣深くまで攻め込まれる危険を伴う。

 それでもさすがに魔物の拠点を制圧するために各地から集められた精鋭だった。鉄壁の布陣を構え少しずつ後退していき、難題である命令を遂行(すいこう)しきった。

 とは言え大半の指揮官は命令の内容に納得していなかった。たかが魔導師一人が戦局を変えられるとは思っていなかったからだ。


 今回の遠征軍は駐屯地にいた兵も多数参加している。駐屯地で延々と魔物と戦い続ける姿を目撃しているため、ケイオスの実力を知るものも多く、強い魔導師であることは認識されている。しかしケイオスは駐屯地にいたころの討伐で極大魔法を使うことはなかった。単純に極大魔法を使う必要がなかっただけではある。

 山のように巨大なマウンテンゴーレムを凍らせた魔導師という噂も聞いてはいた。


 だが遠征軍の中でマウンテンゴーレムの討伐を直に目撃したものは少ない。何故なら件のマウンテンゴーレムはコミューン連合国に侵攻してきたが、迎撃したのはそこを守っていた守兵と神殿騎士団だった。彼らは現在もコミューン連合国を守護する任務に就いているため、遠征軍に参加している兵は少なかったのだ。

 疲れ知らずで魔物と戦うことができる凄腕の魔導師ではあるが、さすがにこの数を相手にするには多勢に無勢であり、ケイオスに実力が比肩するであろうアレクシアやオリバーぐらいの活躍に留まるとしか想像できない。


 少し頭の働く指揮官であれば、これはケイオスを中心として後詰めの部隊を魔物にぶつけ、疲労した前線の兵と交代させる戦術ではないかと考えた。

 英雄の実力は多くの兵が知っている。故に奇襲を受けて戦意を失った兵に、英雄という精神的支柱を活躍させることで安心感と戦意を取り戻すといった効果も狙っているのではと思ったのだ。


 もっとも全員が納得しなかったわけではない。

 特にマウンテンゴーレムの討伐にも参加していた兵やケイオスを心酔しているものが多いコミューン連合国の兵は違う。もしかするとケイオスが放つ凍結魔法ならば、あるいはコミューン連合国でのケイオスの実績から彼が再びこの局面を変えるのではないかと一定の信頼を寄せる兵もいたのだ。

 そんな彼らでもせいぜい一度か二度凍結魔法が使われ、前線に近づく魔物を倒すぐらいの予想でしかなかった。



 ――故に兵は初めて知った。



 さっきまで戦っていた戦場が元の光景の面影を残さないぐらいに蹂躙(じゅうりん)されていく。まるでこの世界を破壊しつくすほどだ。

 空間ごとすべてを凍りつかせる世界、あるものすべてを焼き尽くす世界、大地が割れ、すべてを裂け目に飲み込む世界、空より落ちる雷がすべてを()ぎ払う世界、そして空よりも遠い場所から呼び寄せた星がすべてを押しつぶす世界。

 少し離れた場所で現実とかけ離れた世界が生まれ、そして消えていく。ほんのわずかな時間で、だ。


 その世界を初めて目にする兵たち。それらの世界は全く違う別世界だが、唯一共通するルールが存在している。それは圧倒的な力だ。天変地異すら操る力がそれらの世界を支配している。

 自分たちと命の奪い合いを行っていた魔物が、善戦し苦戦した敵が、何もできないままその力に飲み込まれ命を奪われていく。それは正しく蹂躙(じゅうりん)であり、虐殺にも等しかった。

 遠征軍は三国から集めた精鋭だ。だがそれでも魔物の群れを倒すのには多くの時間と犠牲を払ってどうにか追い込むことまでしかできなかったのである。

 それがこうもいともたやすく天災のような力で命を奪われていく。それはもはや人知を超える力だ。


 ところで天変地異に対して人はどのような思いを抱くだろうか。

 それは自然に対する畏怖(いふ)だ。圧倒的な自然の力に対して無力な自分を知って人は自然に対して恐れ、同時にかしこまる。

 だが天変地異が起こっている瞬間はどのような思いを抱くだろうか。おそらくかしこまるほどの心理的な余裕はない。そこにあるのはただ恐れ――恐怖のみだ。


 では天変地異に等しい人知を超えた力が目の前で起きていれば、人は畏怖を抱くだろうか?

 この目の前で起こる惨事を目撃したラファエル・リルバーンは呆然としていた。それはラファエルだけではない。周囲にいる兵もまた同じである。


「リルバーン(きょう)よ、いったい何が起こっているのだ」


 遠征軍の一部を率いるチェスター伯がラファエルに尋ねる。もっともラファエルも何が起きているのか答えることはできなかった。

 いや、明確に言えば原因はわかっている。それは伝令によって事前に伝えられていたからだ。

 これが一人の魔導師の魔法によって引き起こされた現象であることを。

 そのことは伝令から聞いたチェスター伯もラファエルも知っている。


「これは本当に人の力なのか?」


 チェスター伯の真意はその言葉にすべて集約されていた。こんな感想を抱いたのはチェスター伯だけではない。目撃した兵はおろか、ケイオスと友好的なラファエルでさえ頭にかすめた言葉だった。

 もはや人の領域を超えた何か。それをあえて形容するならば。


「あれは人なんかじゃない。――化け物だ」


 ラファエルの近くにいた兵は放心しながら恐怖した。

 人は天変地異を操り、魔物の群れを蹂躙(じゅうりん)することなどできない。だが現実としてたった一人の魔導師がそれを為している。


「リルバーン(きょう)、私は怖い。魔物と戦うことさえここまで恐怖に怯えることはなかった。何故ならここにはカスタル王国が誇る精鋭がいるからだ。だがそれすらも今では頼りなく心細く感じてしまう」


 はるか上空を飛ぶドラゴン。その背に乗り、自分たちを見下ろす魔導師。

 もし彼がその気になれば、自分たちはあの目の前の魔物のように容易く蹂躙(じゅうりん)されてしまうだろう。そんな脅威が上空から自分たちを見下ろしていたら、凶器を目の前に突き付けられているようなものだ。


「それに我らのこれまでの戦いはなんだったのか。その意味すら失ってしまいそうになる」


 チェスター伯も臆病(おくびょう)なだけではない。この遠征に志願してきた人物だ。高潔とまではいかないが、国のため、ひいては人類のために魔物と戦う使命感ぐらいある。この戦いで命を落とすようなことがあっても、覚悟して戦地に(おもむ)いているのだ。

 だがその使命感すら喪失しそうなぐらい恐怖によって揺らいでいる。自分たちの努力や覚悟をあざ笑うぐらいに暴虐の限りを尽くしているたった一人の魔導師。


 その魔導師はこの場にいるすべての存在に対して不変の不等号を示した。三国から結集した精鋭よりも、その精鋭に対して優勢だった魔物の群れも。すべてはたった一人の前に戦力で劣ることを証明して見せたのだ。

 自分たちが何のためにこの戦地に赴いたのか、ただ一人あの魔導師が活躍すれば自分たちなど必要はなかったのではないかと疑問が湧いてくる。

 それぐらいチェスター伯の心は折れかけていた。そしてそれはチェスター伯だけではない。この場にいる兵士全員が共有している感情だった。


「チェスター伯、気を確かにお持ちください。ケイオスは味方です。味方の攻撃によって敵である魔物は大半が消滅しました。これは反抗の好機です」


 そんなチェスター伯をラファエルは奮い立たせる。これはケイオスの人となりを多少なりとも知っている彼だからこそできたことだ。


「……そうか。そうだな。あれは味方だ。そう、味方なのだ。我らが不安になることなど何一つない」


 自分に暗示をかけるようにチェスター伯は反芻(はんすう)する。そうでもしないと、恐怖で頭が狂いそうになるからだ。

 ラファエルの言う通り、もはや魔物は少数のみ。押し返すには絶好の好機だった。



 前線を退かせる命を出したヴィクトルもケイオスの極大魔法に我を忘れていた。戦場での一瞬の忘我は命取りだ。特に全軍を指揮する頭脳であるヴィクトルが戦局を忘れて忘我するということは遠征軍全体に危機を及ぼしかねない。

 魔導師であるヴィクトルですら目の前の光景が魔法で引き起こされたものだと最初は理解できなかった。いやむしろ魔法に精通している魔導師のほうが衝撃を受けていたと言っていい。

 ヴィクトルは優秀な指導者でもあるが、優秀な魔導師という側面も持っている。もちろん皇帝である彼は専任ではないため、有数の魔導師よりは劣るがそれでも素質や実力は並の魔導師を優に超えていた。

 そんな彼でもこの光景の異様さに対する感情は一般人と大差はない。

 もし違いがあるとすればそれは本人が正気に戻ったときだ。隕石(いんせき)が落ちて天変地異が収まるとようやく彼も正気を取り戻した。


「恐怖したのか、この俺が」


 震える声、汗からも自分が恐怖していることは明らかだった。

 未知への恐怖。自身の命が危機にさらされて無様でも救いを求めようという執着。本能が理性を上回り、生存本能が刺激され純粋な生への渇望を抱く。叫び声こそ上げなかったが、自分が魔物に襲われようとしている無力な幼子のように恐怖にすくむただの人間であったことを思い知らされる。

 そこには身分など何一つ違いはない。あられもなく見苦しい無様な本性が現れる。

 羞恥(しゅうち)(しん)がプライドの高いヴィクトルの心をひどく刺激した。理性という鎧を着込んでいた彼のむき出しになった心をずたずたに引き裂いていく。


「ケイオスはこれほどの力を秘めていたのか」


 アレクシアやイレーヌという超一流の魔導師と騎士を育て上げた価値、そして巨大ゴーレムを倒したことを知っていたからこそ、ケイオスがそれ以上の実力者であることは疑ってはいなかった。

 それでもここまで常軌を逸したものだとはさすがのヴィクトルでも予想はできなかった。だがそれは仕方のないことである。天変地異を自在に操る魔導師など誰が予想できるというのか。

 その中でも特にヴィクトルが注目したのは激しい雷だった。


「神の雷の正体はあいつの魔法だったのだな」


 ヴァイクセル帝国のブランデンブルグという街が魔物に襲われたとき、アレクシアが活躍した。その活躍と教会で神の啓示を受けているところを神官に目撃された故にアレクシアは聖女として称えられるようになった。

 その戦いでアレクシアのマナが尽きて倒れた際に不自然な落雷が起き、ブランデンブルグに押し寄せた魔物をすべて倒したのだ。それは「神の雷」と呼ばれ、神がアレクシアと無辜の民を(あわ)れみ、魔物に神罰を下したとされてきた。

 最初ヴィクトルは「神の雷」をアレクシアの魔法の類ではないかと疑ったことがある。というのも、アレクシアは魔法先進国のヴァイクセル帝国ですら知られていない未知の魔法を使っていることや、不自然な落雷が都合よく二度にわたって落ちたことが原因であった。


 だがその予想は外れていた。もしアレクシアがその魔法を使えるのならば、戦闘の序盤にその魔法を使用すればアレクシアが倒れることはなかった。そして、それ以降不自然な落雷が発生することはなかったので落雷の原因は不明のままだった。

 ヴィクトルの予測は一部外れていたが、落雷が魔法だというのは当たっていた。アレクシアではなくてケイオスの魔法だったのだ。


 以前ヴィクトルがケイオスの足跡を調査させたときに、彼がブランデンブルグにいたことは調べがついている。

 だがブランデンブルグに魔物が襲ってきたときはケイオスの存在は確認できなかった。故にケイオスは襲撃される前にコミューン連合国へ旅立ったものだと考えていた。

 しかし落雷の原因がケイオスであるならば、密かにブランデンブルグを救っていたことになる。何故姿を隠したのかヴィクトルにもわからないが、当然とも考えられる。アレクシアを大切に思う彼が彼女の危機に何もしないはずはなかった。

 ブランデンブルグを救ったケイオスの行動はアレクシアと同等、いやそれ以上に称賛されるはずだった。それでも彼は名誉や名声など歯牙にもかけない。

 その理由がようやくヴィクトルにも理解できた。


(ケイオスに野心や名誉欲が感じられなかったのは当然だ。自分よりも劣る有象無象から称賛されようと興味を持つはずがない)


 遠征軍が相手にしていた魔物をケイオスはたった一人で片づけてしまった。天変地異を起こすほどの魔法は大量のマナを消費する。それも苦も無く連発してしまうほどの無尽蔵なマナを保有する。もし霊薬などで回復していたとしても、人が保有するマナの限界を超えているのだ。

 もはや人間を超えた圧倒的な力を持つケイオス。そんな彼からすれば、親しいもの以外に価値を見出せるはずもない。まったく興味を持たない虫けらのような存在から称賛されたとして誇らしく胸を張るものがいるだろうか。

 それは人だけではなく国に対しても同じだ。

 たとえば民衆にとって身分は人間社会に生きていくうえで重要な指標であり規範である。国に所属すれば身分という規範はどこでも付きまとうものだ。

 だがケイオスにしてみればそれほど重要視していない。さすがにまったく無視しているということはないが、本来であれば無礼と叩かれても不思議ではないほどの気安さで貴人であるアレクシアやコミューン連合国の女王ロズリーヌと接している。


(王であろうと皇帝であろうと奴にとってはみな等しく価値がない。故に同じなのだ)


 ケイオスが浮世離れしているのも異国出身のために異国とは社会構造が違うというわけではなく、単純に彼の価値観が違うだけなのだ。


 いびつな平等主義者。それがケイオスだった。

 だがこれが事実だとすると、ヴィクトルにとって看過できないことを受け入れなければならなくなってしまう。


(つまり私は奴にとって路傍(ろぼう)の石にしか過ぎないのだな。その辺にいるような有象無象な奴らと私は大差ないのか)


 ヴィクトルは生を受けてから皇族として過ごしてきた。生まれついてからずっと支配者という立場であった。それ故にいつも人々から注目される側の存在だ。尊敬、憧憬(どうけい)といった感情を向けられることもあれば、嫉妬(しっと)や殺意といったほの暗い感情を抱かれることもある。あらゆる感情のこもった視線が次期皇帝であるヴィクトルに注がれていた。

 その視線も徐々に年が経つにつれて変わっていく。ヴィクトルは無能と評されるようになり、失望されることも多かった。

 しかしそれはヴィクトル自身が望んでやった振舞いによるものであり、彼は平和で退屈な世界で自身の能力を示す環境がなかったことに起因している。そのため彼らから見下されようとも、彼らの存在を気にも留めていなかったのだから、何の痛痒(つうよう)も感じなかった。


 だがケイオスは違う。ヴィクトルはケイオスの才能を愛した。彼の中で最も注目している人物だと言える。

 そんな人物から相手にされないどころか、有象無象と同等だと思われている。本人は無自覚でヴィクトルを見下しているのだ。今まで自分が有象無象を見ていたように。


 屈辱(くつじょく)だった。

 怒りとは違う。もっと純粋とは程遠い淀んだ感情。


(憎い、憎いぞ。ケイオス……!)


 ヴィクトルが気にも留めていなかった存在は自分に対して同じように憎しみの感情に囚われているのだろうか。そんなこともケイオスの次元で見れば相手も自分も同列なのだから、同列のものが見下す様はさぞや滑稽(こっけい)に見えただろう。いやケイオス自身が気にも留めていない相手なのだからそんな感情すらなく無関心だったのかもしれない。

 自分を有象無象と同等と見るケイオスにヴィクトルは激しい憎しみを覚えた。

 しかし、ヴィクトルの心の奥底からおかしさがこみ上げてくる。まるで自分が狂ってしまったかのような気分だった。


(欲しい。あの力が)


 すべてを敵に回しても唯我独尊を貫ける魔導師。天下を統べることができるほどのこの力。ヴィクトルの持てる権力や国の軍事力をかき集めたとしても届かない純粋なまでの力の頂。

 ヴィクトルは魅了された。もしかすると彼は本能的にケイオスの力に気づき、その力を密かに焦がれていたのかもしれない。


(いい、いいぞ。ケイオス。だからこそ私が欲する価値がある!)


 唯一無二だからこそ手に入れがいがある。

 遠征軍に参加したことは英断だったとヴィクトルは自画自賛した。このケイオスの力を見ただけでも十分に価値があった。


 しかしこの力を広く知られたことは失態だ。

 ケイオスを誰も法や軍事力で縛ることはできない。

 三国から集めた遠征軍とほぼ同程度の戦力だった魔物の大群が、ものの数分で全滅したのだ。もしヴァイクセル帝国がケイオスと敵対した場合、彼一人の力によって国は壊滅してしまう。三国合わせても彼に勝てるとは思えない。

 つまりケイオスという存在は、あまりにもわかりやすく武威を示し過ぎたために各国から恐れられる完全な脅威と認識されてしまったのだ。

 それゆえケイオスを手に入れた国は、周辺国から警戒されるのは必定である。他国がケイオスを招聘(しょうへい)する可能性は減ったが、これはヴィクトルにも言えることだった。

 ケイオスがアレクシアに想いを寄せる限り、ケイオスを引き込める可能性が高いのはヴァイクセル帝国だ。ケイオスとアレクシアの結婚に対して全力で周囲を説き伏せねばなるまいと固く誓う。


 ヴィクトルはそこまで考えて、はっと気づき思わず笑いがこみ上げてきた。

 気がつかないうちに戦後の話をしている。しかも他人の結婚に頭を悩ませるなど独身である彼が何故悩まなければいけないのか。いくらケイオスが魔物を殲滅(せんめつ)させているとはいえ近くには敵が残っているにもかかわらずそんな悠長なことを考えている。

 そう考えるとヴィクトルはおかしくて戦場だというのに声を上げて笑いたくなった。


 けれども敵の増援も途切れた。警戒するほどの敵はいない。ほんの数分前には撤退も視野に入れていたというのに。完全に勝利を引き寄せている。

 ただ周辺の兵は恐怖で身をすくめているだけだ。ヴィクトルは未来を手にするために兵たちに活を入れる。



 一方、ロズリーヌが率いるコミューン連合国出身の兵にも変化が表れていた。

 コミューン連合国の兵は三国の中でケイオスに対して最も敬意を寄せるものが多い。大きく分けて三種の反応を見せていた。


 一つは恐怖だ。ケイオスに関心を持たなかったものは当然のこと、英雄として尊敬する眼差しを向けていたはずの兵ですら、手の平を返すようにおぞましいものを見るかのような視線をケイオスがいるドラゴンに向けている。


 もう一つは困惑だ。唐突な天変地異に理解が及ばないものがいる。一度でも大事なのに五度も連続して天変地異が起これば、理解の許容量も超えてしまう。自国で有名な英雄が引き起こしたものだとすればなおさらだ。

 特に最後の隕石(いんせき)落下は下にいる味方をも巻き込んでしまいそうだった。英雄であるケイオスが味方殺しをするとは思いもよらなかったし、現に被害は魔物のみで味方には傷一つついていない。

 だがあわや衝突に巻き込まれるのではないかと思えるぐらい近い距離にいれば、そんな冷静な判断よりも自身の身の危険が優先されてしまうのはいたって普通のことだ。それ故に何故あんな危険な魔法を使ったのか、ケイオスは味方のことを気にかけてもいないのかといった困惑がこみ上げてくるのだ。

 また一部のものは、これだけあっさりと魔物を倒すことができたのならばもっと早い時点でケイオスが魔法を使っていれば、遠征軍に被害が起きず戦闘が早期に終了したのではないかといった疑問を持った。


 恐怖と困惑。兵の反応は大きく分けていずれに分類されるが、ごく少数だが違う反応をするものもいた。

 元々ケイオスはコミューン連合国で幾度も国家の危機を救い、国民から熱狂的な支持を得ていた。それは兵も例外ではない。英雄譚の主人公を体現したような活躍を見せるケイオスに対してある種の信仰に似た憧れを持つものがいた。

 この世界は魔物と言うはっきりとした脅威が常に付きまとっていた。そんな中で魔物の脅威が活発化し、組織的に侵攻してくるなどの窮地(きゅうち)に立たされたのである。

 そんな窮地(きゅうち)に立ちあがったのが英雄だった。魔物に真っ向から立ち向かい、悪辣(あくらつ)な策を撥ね退けてきた彼らに憧れを持つのは当然なのかもしれない。

 そんな憧れを持つものは遠征軍が危機に陥ったときもケイオスに期待しすがったものたちである。そんな彼らが自分の想像を上回る奇跡を目撃したのだ。


 彼らは興奮した。自分たちが崇拝(すうはい)する英雄が奇跡を示した。間違いなく伝説の一場面に遭遇(そうぐう)したのだ。熱狂的なものに至ってはあまりに感情を爆発させて思わず場違いにも歓声を上げたものもいたぐらいだ。

 ケイオスはただの英雄ではない。今回の活躍で彼は英雄中の英雄へと躍進した。間違いなく前人未踏の領域に、人ならざるものの領域に彼は足を踏み入れたのだ。

 恐怖を覚えたものは人ならざるものと感じたケイオスを化け物と呼んだ。しかし彼らに言わせればまったく違う。もし彼らの前でケイオスは化け物だと(ののし)ろうものならば、その言葉を訂正させるためにいざこざが起こるだろう。

 彼らからすればケイオスは人類の危機に至って地上に舞い降りた救世主なのだ。実在するかどうかわからないあやふやな神という存在とは違い、実際に奇跡を起こす救世主。彼らが信奉するのも不思議ではない。そんな人物を化け物呼ばわりすれば、自らを侮辱(ぶじょく)されるぐらいの屈辱へと変わる。

 以前ならば彼らもそれほど過敏に反応はしなかっただろう。これまでは英雄(えいゆう)崇拝(すうはい)に過ぎなかったが、彼らはそれをある意味で進化させたのだ。


 すなわち信仰である。言ってしまえばケイオスを神格化しケイオス教とでもいうべき宗教が産声を上げた。それと同時に熱烈な狂信者も現れたが。

 ケイオスを救世主とあがめ神聖視する彼らはある意味ヴィクトルと同じでケイオスが起こす奇跡に魅せられたのだ。もっともヴィクトルがこのことを知れば一緒にするなと否定するだろう。

 ヴィクトルと彼らの最大の違いは彼らがケイオスを取り込み、御することは考えていない。彼の御心のままに行うことが正義であり、彼の御心に背く行為が悪なのである。もっともケイオスの本心と彼らが考えるケイオスの御心は一致してはいない。あくまで彼らが解釈し理想の救世主像を押し付けているだけだ。

 だがそれでもその理想に彼らは(じゅん)じる。もし必要であれば、ケイオスが望まなくても自らの命すら差し出す。それぐらいの狂信者が今この場で生まれたのだ。


 そんな様々な兵の反応を見てロズリーヌは激しく後悔した。

 ロズリーヌは前々からケイオスが有名になることが必ずしも彼のため、また国のためにならないと考えていた。ケイオスは異国人だ。いつ故郷に旅立つかわからない以上、軍事力を外部の協力者に任せるのは危険である。

 そのため吸血鬼の被害で復興中であるコミューンは寡兵(かへい)にもかかわらず兵をかき集め、遠征軍に参加した。少しでもケイオスの負担を軽減し、かつ遠征軍全体が活躍することで彼の活躍を目立たなくしようとしたのである。

 ロズリーヌは兵を指揮し序盤までは上手くいっていた。ケイオスよりも前線を駆け抜けたオリバーやイレーヌ、手堅く支援に回ったが味方を指揮したアレクシアの活躍が目立っていたのだ。


 しかし窮地(きゅうち)に追い込まれ、ケイオスにまた頼らざるを得なかった。以前からケイオス一人に依存してしまうことを危惧(きぐ)していたロズリーヌだったが、他でもない彼女自身が脱却できていなかったことに気づき、さらに自分が無力であることを恥じ、彼に謝罪したのである。

 ケイオスは味方の窮地(きゅうち)を救った。しかしそれは周囲の反応を見ればやり過ぎの一言に尽きる。

 元々ケイオスはロズリーヌの想像を上回る行動をしてきた。たとえばヴァイクセル帝国が誤解によってコミューン連合国を攻めてきたとき、たった一人でアレクシアと戦い戦争を終結に導き、マウンテンゴーレムと戦ったときにはドラゴンと人との間で長らく交わされなかった盟約を結んで巨大ゴーレムを撃退するなど普通では考えられないことをやってのけていた。

 とはいえ、このことを誰が予想できようか。そのことに関して誰もロズリーヌを責めることはできない。


 こうしてケイオスの異常さを白日の下にさらされてしまった。以前は彼を政治的に利用しようとした貴族たちがいた。それによって彼がコミューン連合国に強い影響力を持ってしまうことを危険視するものが出るのではとロズリーヌは懸念していたが、今後はケイオスの存在そのものが危険と判断し(うと)んじるものも出てこよう。

 何より人は異端を排除したがるものであり、ケイオスは飛び切りの異端なのだから。

 それでもケイオスを利用としようと考えるものは現れるはずだ。人の道理が通らないドラゴンのヴイーヴルとの盟約が貴族たちに二の足を踏ませていたが、これだけの力を示してしまっては、ドラゴンと関わる危険よりもよほど利益がある。

 ケイオスは魔法の実力は確かでも政略や政治には疎い。それこそ政争に明け暮れるような人物にはあっさりと手玉に取られかねない。

 そしてケイオスを危険視し排除しようとするものと、ケイオスを利用しようとするもの、そしてこの遠征に参加していないケイオスを支持するものたち。彼らの対立が始まるのは間違いない。最悪の場合は国が割れかねないのだ。魔物に襲われ復興の最中にいるコミューンにとって内乱に近い対立は望ましくなかった。


 ロズリーヌはコミューン連合国の君主だ。彼女の選択は重く国の浮沈にかかわる。だからこそ友誼よりも国益が優先されるべきだ。君主としての判断ならば、ケイオスをこれ以上コミューンに留めておくことはできない。


 だが国内だけではない。国外も危険だ。特にヴァイクセル帝国の皇帝であるヴィクトルは、本人が直々にケイオスを勧誘するぐらいだ。もしかするとケイオスのこうした才能に薄々気づいて彼を狙っているのかもしれない。

 カスタル王国は一部の頭の固い貴族がいて、彼らはケイオスを軽んじている。一度は救われた立場なのに、公然と彼を(ののし)る暴挙を働くような人物がいる国だ。今回の件で彼を見る目は変わるかもしれないが、そうした輩の大半はこの遠征にはいない。

 ではこの大陸にケイオスの居場所はないのだろうか。彼は自分の意志とは無関係に故郷へ帰るしか選択肢はないのだろうか。


 ロズリーヌはだんだんと腹立たしさを覚えた。

 ケイオスはやり過ぎではあっても、それでも遠征軍のために戦っただけだ。実害も基本的には起きていない。むしろ敵を倒したという時点では称賛されるべき点も多い。それなのに何故彼は守ろうとした周囲から危険視されて受け入れられない運命なのか。

 ならばケイオスの居場所は自分が作ってみせよう。

 君主として考えれば、ロズリーヌの考えは浅慮であり論理的ではない。どう考えても厄介事にしかならない人物を受け入れるのは害しかもたらさない。


 けれども、そうした論理よりもロズリーヌは義を優先した。

 ロズリーヌにとってケイオスには命を救ってもらった恩がある。もし彼がいなければ、この場に立っていることすらままならなかっただろう。それはコミューン連合国としても同じだ。そんな恩を忘れて恩人である彼を厄介者のように放逐(ほうちく)するようなことはできなかった。吸血鬼によって今もなお荒らされ続けていたか、ヴァイクセル帝国に飲み込まれていたのが関の山だ。

 ロズリーヌがケイオスを受け入れるとなれば、彼を排除しようと様々な陰謀を仕掛けてくるものが出てくるだろう。彼女は若い女王でありまだ政治においても未熟という言葉が付きまとう。豊富な経験から堅実な選択をするカスタル王国のウィルフレッド王や、若くても辣腕(らつわん)を振るうヴァイクセル帝国のヴィクトル帝には及ばない。そんな彼女ではすべての陰謀を防ぐことは難しい。

 それでも決して君主としての才能がないわけではないのだ。コミューン連合国の一部の地域を除けば、ロズリーヌの支持は厚い。それにカスタル王国やヴァイクセル帝国とは違い、派閥が少なく若い貴族が台頭してきている。


 そんな若い貴族をまとめ上げ、どうにかしてケイオスの居場所を作り出す。少なくとも彼が自分の意志でコミューン連合国を去るその日まで。

 ロズリーヌに立ち止まる時間はない。この戦いで兵を率い自分の存在感を周知させる。国土を荒らされた悲劇の女王ではない。これからのコミューン連合国を創り上げる女王として弱腰の女王だと周囲に見くびられてはならないのだ。



 三者三様に思うことはそれぞれ違う。


「みなのもの落ち着くのだ。魔物はもはや風前の灯火。今こそ反撃する絶好の機会ぞ!」


 カスタル王国の名代として、味方を鼓舞(こぶ)し。


「勇敢なる兵よ、何を恐れる必要がある! どのようなことが起きようと敵を前にして逃げ出す腑抜けは遠征軍には存在しない! 殲滅せよ! 残らず敵を蹂躙(じゅうりん)するのだ!」


 ヴァイクセル帝国の皇帝として、味方を叱咤(しった)し。


「周囲を見よ。あの魔法によって傷ついたものがいるか? 誰一人としていない。あれは我らが英雄であるケイオスが放った魔法だ。天変地異を起こせる魔導師が味方にいて、我らが負けることがあるだろうか。ならば我らが魔物に負ける道理はない!」


 コミューン連合国の女王として、味方を激励し。


 それぞれ思いは違えども、今なすべきことはただ一つだ。


「全軍、突撃!」


 異口同音に人類の反撃の狼煙(のろし)を上げた。



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