第六十五話 告白
パソコンを立ち上げ、『Another World』を起動する前にニュースサイトに目を通す。記事の内容は主にオンラインゲームのことばかり。ゲームの攻略情報ばかりではなくて開発者のインタビューなども含めてだ。高校も最終学年となった今でも、この行動はもはや日課となっていた。
最初はただ『Another World』に関係する情報を手に入れるためだった。現実で『Another World』の運営会社との接点がない俺はネットなどから情報を得るぐらいしか手がなかったからだ。
もっとも成果はあまりなかった。『Another World』の運営会社や開発者の名前などは詳しくなったが、ネットで得られる情報では限りがあるからだ。真贋が見極めにくい噂も流れていることもあり、それを真に受けるわけにもいかない。
それでもどんな些細なことだって見逃さないように『Another World』以外にも目を通している。今目を通しているのは『Another World』とは別の開発会社が作ったVRMMORPGの新作がサービスを開始するという記事だ。
『Another World』はその仮想現実という技術を活かして徹底的なリアルさを追求している。だが、そのせいで生々しくグロテスクな表現が多いという批判も起きていた。そのせいか新作として掲載されたイメージ画像に登場するキャラクターはかなりファンシーな表現になっており、グロテスクな表現を避けていた幅広い年齢層に受け入れられやすいような世界観に仕上がっていた。
「あのゲームがとうとうサービスを開始するのか。まさかこのゲームも異世界に転移できるなんてことはないよな?」
『Another World』から異世界に転移することができるのも俺だけであり、他のプレイヤーは普通のゲームを楽しんでいるようだ。
だから必ずしも新作のVRMMORPGがそうなるとは限らないし、ましてや他社が開発したVRMMORPGまでそんなことになるわけないか。もしそうだとしたら、これから開発されるすべてのVRMMORPGまで調べなきゃいけなくなる。下手をするとVR技術を使ったゲームすべてを調べたほうがいいなんて話になりかねない。
もっともVRMMORPGが開発されるまで、――もっと言えば、VR技術を使ったゲームの開発はまだまだ発展途上であり時間がかかりそうだけどな。
世界初のVR技術を使ったゲーム、VRMMORPGの『Another World』は社会現象を引き起こすほどのブームを巻き起こし成功を収めている。これまでVR技術を使ったゲームは『Another World』ただひとつであり、後発のゲームも他のジャンルもなくその成功を独占している状態にあった。
だが同じゲームの業界に身を置く他社がそれを静観しているはずがない。以前からVRMMORPGの開発を行っている会社は『Another World』を開発した会社以外にもいくつか存在していた。世界初という称号こそ得られなかったものの、その裏では着々と新たなるVRMMORPGの開発に勤しんでいたのだ。
だが他のVRMMORPGの開発は遅れが生じている。『Another World』がサービスを開始して一年以上経過して、ようやく後発のVRMMORPGが発表されるのがその証左だ。
何故VRMMORPGの開発が遅れているのか。それはVR技術を用いたゲームは技術的に困難を極めるらしく開発できる技術者が少なく限られているからだ。
これはヘッドギア型仮想空間体感装置――通称「ヴァルギア」と呼ばれる装置の影響が大きい。「ヴァルギア」は機械を通し人間の脳に疑似的な信号を送り込むという従来のVR技術とは一線を画すシステムである。システムを使いゲームを作るには単純に従来のVR技術の知識だけではなく人間の脳に対する知識の両者の知識が必要になるため、必然的にそれだけの知識を有した技術者が限られてしまう。
そしてこのシステムを使う技術は何もゲームだけではない。様々な分野で応用されようとしている。つまり別の分野でも技術者の確保に動いているため、ゲーム業界に身を置く技術者がさらに限られてしまうのだ。そのためVR技術を利用したゲームの開発は難航している。
俺みたいな状況ならばともかく、やはりこのシステムを用いたゲームは素晴らしいと思う。早く技術者不足の問題が解消すればいいんだけどな。
VR技術を取り巻く状況に悲観しつつ、次の記事を読み始める。
次の記事はVRMMORPGとはまったく関係のないが、俺の目を引きつけるだけのものがあった。
「あれ? あのゲーム、もう終わってしまうのか」
それは俺も知っているとあるMMORPGがサービスを終了するという記事だった。
俺も以前、別のMMORPGをプレイしていた経験がある。『Another World』の開始とともに完全に引退してしまったゲームではあるが、それもずっと前にゲームは終了してしまった。
最近このようにMMORPGが終了してしまうニュースが多い。同時に納得もあった。
VRMMORPGである『Another World』が登場し、旧来のMMORPGのユーザーが『Another World』へ移行したことで、その人気は下火になりつつある。去年の秋にはヴァルギアの廉価版も発売され、ネックだった初期費用の高さが解消され安価になったことにより『Another World』へのユーザーの流入は爆発的に増えている。
それがユーザーの減少に拍車をかけたのだろう。実際にこのゲーム以外にも従来からあるMMORPGのいくつかが立て続けにサービスを終了していた。
オンラインゲームはユーザーがゲームのプレイ料金が無料だとうたっているものもあるが、企業が運営している以上何らかの形で利益を出さなければいけない。
このゲームもまた『Another World』と同じで、プレイ料金は無料ではあるがユーザーに課金アイテムを購入させる「アイテム課金制」を採用していた。もちろんそれ以外の収入もあるのだろうが収益はユーザーの数によって大きく変動する。たとえばアニメやコミックなどメディアミックス展開やグッズなどで収益を得ていたとしてもプレイしているユーザーがいなければそうそう購入されないからだ。
つまりユーザーがいなければ収益を得ることはできず、サービスを維持することができない。必然的にサービスを縮小していくしかなく、それによりユーザーがさらに減ってしまう負の連鎖だ。ユーザーの減少はゲームの終焉に直結する。
記事にはサービスが終了する理由は特に明かされていない。淡々とサービス終了の告知がされているだけだ。しかし、それほど的外れな推測でもないだろう。
このゲームはサービスが開始してからたった五年ほどしか運営されなかったことになる。
五年が長く感じるか短く感じるかは人それぞれだ。プレイした自身の感想としてはやけに短く感じてしまう。だが残念なことにオンラインゲーム全体で見ればそれほど物珍しい出来事でもない。
MMORPGに限らずオンラインゲームには様々なジャンルのゲームがある。それが日夜数多くリリースされており、長期間楽しまれているゲームはごく一握りであり、数年も持たずにあっという間に消えていくゲームが多いのが現状だ。半年もたたずに終わるものもあれば、予期せぬアクシデントが起きて突然サービスが終了してしまうケースもある。家庭用の据置型のゲーム機やパソコンのOSのサポートの終了による終了、採算が合わなかったのか運営していた会社が倒産して終了してしまうこともあった。
どんなゲームでも始まりがあればいつか終わりを迎えるのだ。
もっとも長い間愛されて続けていたゲームもある。そういう意味ではこれほど成功を収めている『Another World』は安泰なのではないだろうか。
そう、そうだよな。簡単に終わるわけじゃないんだ。記事を読み終え、画面を切り替えた。そろそろ行こう、みんなが待っている。
いつものようにログインして、白い空間に出る。すると突然メッセージ画面が開いた。
「あれ? 今日はメンテナンスの日か?」
そのメッセージ画面はメンテナンスの時間についての告知だった。ゲームのメンテナンスとは大抵、大きな不具合やイベントなどでプログラムに修正を加えたり、ハードウェアの点検や交換を行ったりするそうだ。メンテナンスの間はゲームのサーバーと接続できないため、一時的にゲームがプレイできなくなる。
『Another World』はサーバーのトラブル予防のためにメンテナンスを行うことがある。今回のメンテナンスは定期的に行われるメンテナンスではなくイレギュラーなタイミングであったため少々驚いた。
どうやら通信環境の整備のメンテナンスらしい。ユーザーの増加とともにネットワークへの負荷も増加していて通信環境の整備が行われるようだ。
「ええと、メンテナンスの時間は。なんだ、結構先じゃないか。まだ時間はあるか」
てっきりすぐにメンテナンスが行われるのかと思ったが、メンテナンスの開始時間を見るとそれほど時間があるわけではないが、まだ先の時間のようだ。このままログインしても問題ないな。
ログインした先は駐屯地で俺に割り当てられた部屋だった。
「おう、ケイオスか。そろそろ来るかと思うとったが、ようやく来たの」
「うん、ただいま。すっかりその姿に慣れちゃっているな」
聞き慣れた声の主、ヴイーヴルに挨拶をする。元々は巨大なドラゴンであったヴイーヴルは現在人間に姿を変えている。最初のうちにあったこの姿に対する違和感も、いつしか消えていた。
「ここのように人間の住む場所だとこの姿のほうが都合のいいことが多いからの。安心せい。本体は近場にある。何かあればすぐにでも元の体に戻ることができるぞ。また魔物の討伐にでも行くかの?」
駐屯地があるのは大陸の北部だ。ヴイーヴルは人間の姿――俺の仮初めの身体であるアバターを元にして創り出したアバターもどきから意識を任意で即座に本体であるドラゴンの身体に戻すことができる。しかしいくらできるからと言って、本体と距離があれば到着するまでに時間がかかってしまう。
そのため本体は彼女の行動範囲に近いほうがいい。駐屯地の一部にヴイーヴルのドラゴンの身体を置くスペースが設けられていた。対価としてヴイーヴルは周辺の魔物の討伐に協力している。
『Another World』の暗黙のルールと同様で、僻地である駐屯地周辺は人の住む中心地と比べて魔物が強い傾向がある。それゆえに一般の兵士よりも強い魔物が数多く生息しているようだ。
では一般の兵士の力では全く魔物を倒せないのかというとそうではない。一般の兵士の対魔物戦は常に個ではなく群である。巧みに集団を動かすことで魔物を誘導し、罠を使っていかに魔物を不利な状況へと追いやり、巨大な弓矢のような兵器などをうまく運用して魔物を倒していく。
レベルが低いころに、高レベルで格上だった吸血鬼を橋から落として倒したことを思い出す。結局のところゲームに酷似していても一部例外のあるこの世界では、多少のレベル差があっても真正面から戦うことをしなければ、創意工夫次第で対処は可能ということなのだろう。
話を戻そう。一般の兵士は軍の運用で魔物の討伐は可能だ。だが軍を運用するということは、魔物を倒すのに人手が必要になり、どうやり繰りしても手が足りないときがある。その場合は少数の精鋭部隊で補っているのだ。
そこには俺のパーティーやヴイーヴルなども含まれている。
この世界の住人にとって魔物討伐とは命がけの戦いだが、プレイヤーである俺にとっては別の側面を持つ。
プレイヤーが魔物を倒せば経験値がもらえる。経験値を得れば、レベルが上がり強くなる。この『Another World』のゲームのルールはこの世界でも有効だ。俺だけでなく、俺とパーティーを組んだメンバー全員に適用される。彼らのレベルも上昇するわけだ。そして魔物が強ければ強いほど手に入る経験値も大きい。
つまり駐屯地周辺の脅威を排除することは、自分たちの強化につながり、強敵に備えレベルアップを図っていた。
少し前のことだが、マウンテンゴーレムという巨大な山のようなゴーレムと戦ったことがある。俺が使えたもっとも威力の高い魔法はちょっとの足止めしかできず、ヴイーヴルの助勢によってゴーレムの体内に侵入し、これを何とか撃退できた。が、ヴイーヴルという切り札がなければ負けていたのは俺たちのほうだ。
あれクラスと同等以上に強い魔物、仮に存在するとしたらそれこそゲームに出てくるボスクラスの強い魔物が現れたら、ヴイーヴルですら対抗できなくなるかもしれない。だからヴイーヴルだけに頼らず、少しでも俺自身が強くなろうと周辺の魔物討伐を積極的に行っていた。
「うん? 魔物の討伐には行かぬのか?」
「今日は魔物の討伐は行けないかな。こちらにいられる時間はあまりないんだ」
俺はヴイーヴルの提案を断った。討伐に出る時間はあるが、駐屯地に戻ることを計算に入れると心もとない。今日は討伐を控え、適当に仲間と話したら現実世界に戻るつもりだった。そうか、残念じゃのうとヴイーヴルは落胆する。
「アレクシア様の所に行こうかと思うんだけど、一緒に行くかい?」
ヴイーヴルがにやりと笑った。
「ほほう、こっちに来てそうそう真っ先に行くのは女の所か。なかなか隅に置けんな」
「なんだよ。からかうなって。それにしてもヴイーヴルもそういう話は好きなんだな」
「それほど興味があるわけではないが、長く生きておるとそうした話はよく聞くものじゃ。いつの世も変わらんよ。だが妾とていつかは自分の番を得たいとは考えておる」
「へえ、ヴイーヴルもそういう浮いた話があるのか?」
ヴイーヴルは首を振った。
「残念じゃがないのう。妾は自分を安売りするつもりはない。妾にも番となる雄に対する理想があるからの」
「理想ねえ。具体的にはどんな?」
「できれば妾と同等ぐらいの高位のドラゴンであればいいが、数が少なく、もはや知り合いばかりじゃ。連中も妾に番として声をかけることはなかったからのう。これでは妾の心がときめくはずもあるまい。低位のドラゴンでも構わんぞ。じゃがそやつが魅力的であれば他種族でも構わん。こうして人間になることもできるし人間の中から番を探してみるのもいいかもしれん」
「へえ、意外だな。てっきり同族以外はだめかと思ったんだが」
「そうじゃな、子は産みたいぞ。だが妾は悠久の時を生きる。遠い未来にその機会があるかもしれん。それよりも男は中身じゃろうよ」
そう言ってどや顔でヴイーヴルは断言した。この辺りは人間もドラゴンもそれほど変わりはないのだろうか。
「やはり雄は強くなくてはのう! 何しろこの世界には襲ってくる魔物がいるのじゃ。強さがなければ生きてゆけぬ」
ドラゴンの価値観なのか、ヴイーヴル本人の価値観かはわからないが、彼女にとって異性の魅力とは強さこそがウェイトを占めているらしい。
「どのぐらい強ければいいのさ? やっぱり魔物を一蹴できるぐらいか?」
「少なくとも妾よりも強い相手でなければ話にならん」
「そうか。……あれ? ヴイーヴルってドラゴンの中でも強いよな? ドラゴン自体他の種族と比べたら総じて強い種族。その時点でハードル高いじゃないか!」
ヴイーヴルより強い相手ってそれこそドラゴンぐらいしか思いつかないんだけど。結局他種族でもあまりチャンスがないような気がするんだが。ぶっちゃけ他のドラゴンがヴイーヴルになびかなかったのも、強すぎる彼女に手を出さなかったのではないだろうか。……十分にあり得る。
もっともそれを口に出して一波乱巻き起こすつもりはなかった。それぐらいの空気なら俺でも読める。これ以上考えるのはよそう。
「あーっ! お主、内心笑っておるの⁉」
いかんな、ヴイーヴルは割と察しがいい。さっさと撤退しよう。
「それより、アレクシア様の所にもう行くぞ」
「それよりとはなんじゃ、それよりとは! あっ、おい、待て、待たぬか!」
赤い顔をして追いかけてくるヴイーヴルに背を向けて、俺はアレクシアの所へと逃げ出した。
アレクシア様のいる部屋には物々しい警護の兵がついている。アレクシア様自身、ヴァイクセル帝国の重要人物であるから不思議ではないのだが、いつにも増して多い気がする。さして思いつく理由もなく、部屋の外にいた知り合いに声をかけた。
「イレーヌさん、こんにちは」
「ああ、ケイオスか。アレクシア様に会いに来たのだな。アレクシア様は来客中で手が離せない。すまないがまたあとで来てもらえるか」
こんなところに来客? それにいつも彼女の傍で世話をする侍女のイレーヌさんが席を外しているということは重要な話でもしているのだろうか。
タイミングが悪かったかな? しかしアレクシア様の立場上、各国の代表に連なる人物との交流も多い。ここは邪魔にならないように引き返すべきだろう。
「おや、誰か来たのかな。イレーヌよ」
すごすごと帰ろうとしたときに部屋の中から若い男の声がした。そして扉が開く。イレーヌさんが頭を下げた。
「ご歓談中申し訳ありません、陛下」
「構わぬ。おお、これはこれは。英雄殿ではないか。久しぶりだな」
嫌味のない爽やかな笑みを浮かべて出てきたのはヴァイクセル帝国のヴィクトル皇帝陛下だった。
「お久しぶりです、陛下」
イレーヌさんにならい、俺も頭を下げる。それにしても何で最前線ともいえる危険な場所にこんな重要人物がいるんだ? 特にヴァイクセル帝国のトップがいるべき場所ではないと思うのだが。
「それほどかしこまる必要はない。私はこの駐屯地の視察に来ただけなのだ。普段のままで構わぬぞ」
視察って皇帝ってこんなにフットワークが軽いのかとついつい考えてしまう。
「視察ですか?」
「この駐屯地の建設をカスタル王国とコミューン連合国に提案したのは私だからな。何か問題があればすぐにでも改善する必要がある。ここは人類の盾となる重要な場所だ。兵が全力を出せるためにも、我々は惜しみなく支援し、最善を尽くさねばならない。だから部下の報告だけではなく直接この目で確認したかったのだよ」
その言葉に警護をしていた兵士たちが密かに奮い立つ。やっぱり皇帝陛下ってすごく兵士から敬愛されているんだな。
前に皇帝と会ったときも勧誘されて困ったぐらいで、それ以外は自分に対して礼を尽くしてくれたし。今もこうして親しく話しかけてくれている。皇帝という重責を担う身分を考えれば皇帝らしからぬ気安すぎる接し方だが、それが悪い印象を抱かせない。こうした言動や振舞いが兵士から敬意を抱かれているのだろう。
……カスタルの偉そうに振舞う貴族とは大違いだ。
「家臣には連れてゆく護衛が少ないから危険だと厳しく諌められたがな。ここには聖女や英雄、古のドラゴンがいる。世界一安全だと言ったのだがね」
皇帝は苦笑いを浮かべた。
「それはみんな皇帝陛下の身を心配しているのではないでしょうか」
「ははは、英雄殿もみなと同じことを言う。なに、戯言だ。忠言してくれる家臣がいてくれるということはありがたいことさ。私は素晴らしい家臣を持ったよ」
優しそうな笑みを浮かべる皇帝。そしてパッと何か思いついた表情を浮かべる。
「ケイオス、立ち話もなんだ。部屋の中で話でもしないか? どうだろう、アレクシア。構わないだろうか?」
「ええ、よろしければこの部屋をお使いください、陛下」
背の高い皇帝陛下に隠れるように小柄なアレクシア様がいた。部屋の中には皇帝とアレクシア様以外誰もいない。……兵士も抜きで二人きりか。そのなんだ、よほど他人には聞かれたくない話でもしていたのだろうか?
「その、お邪魔じゃありませんか?」
「ちょうど話し終わったばかりだ、なあアレクシア?」
アレクシア様はこくりとうなずいた。だがよくよく注視すれば、彼女の頬は赤い。そんな彼女に皇帝は近づきささやく。
「アレクシアよ、あの件はくれぐれも周囲に吹聴しないようにな」
「……はい」
元々皇帝は親しみやすいところがあるが、アレクシアに対してもかなり親し気だ。しかしどこか特別なように距離が近く感じる。まるで二人は秘密を共有する共犯者のような仕草がなんだか自分だけ蚊帳の外に置かれたようで少し気に食わない。
結局断る理由もなく部屋の中に招き入れられ、皇帝と話したのは本当にたわいのない世間話程度だった。視察の目的もつながっているのか皇帝からは俺が実際に戦っている周辺の魔物のことについて詳しく話してほしいとねだられた。いわゆる現場の意見を聞いておきたかったのだろう。これはアレクシア様も一緒に話していた。ということは、二人きりのときは別の話をしていたということだろう。
二人で何を話していたんだろうと気になり、皇帝との会話は気もそぞろだった。幸いそれほど突っ込んだ内容ではなく、ぼろを出さずに皇帝との会話は終わる。本当に世間話でよかった。
しかし、改めて見るとアレクシア様は美少女だというのは知っていたが、皇帝もかなりの美男だ。おそらく俺よりも年上だがそれでも二十歳そこそこぐらい。コミューン連合国の女王ロズリーヌも若かったが、彼女の父親である先代の王が亡くなってしまったために女王にならなければいけなかった事情があった。この皇帝にも若くして皇帝の地位につかなければいけない事情があったのだろうか。
女王であるロズリーヌはああ見えてお転婆なところもあり、猫をかぶっていることを知っているからあまり高貴なイメージが付きまとわないが、皇帝とアレクシアが話している姿は、高貴な王子と深窓の令嬢が話している一枚の絵画に見える。そんな絵画の中に黒く塗られたローブ姿の自分がいる姿を思い浮かべると、自分の場違い感を半端なく感じて、気が引けてしまう。
何というか、そう。二人は釣り合う、いやお似合いなのだ。その言葉がぼやけていた何かをはっきりとさせ、一番しっくりときた。
さっきヴイーヴルとあんな話をしたからか、どうにも下世話なイメージが浮かんで邪推して止まらない。
皇帝との会話はほんの三十分にも満たないほどで終わり、そのまま皇帝は公務があるからと駐屯地を後にした。アレクシア様にはもう少し話していかないかと誘われたが、どうにも落ち着かなくて、誘いを断り部屋から出ていく。
自分の部屋に戻る途中でたまたま兵士たちの話し声が聞こえた。
「やはりあの噂は本当なのだろうか」
「あの噂?」
「ああ、陛下と聖女様がご結婚なさるという噂だ。陛下も若いが独身だ。それなのにまだ許嫁はいらっしゃらない。一番身近に接する機会があって身分が釣り合う女性といえば聖女様を置いてほかにいないんだよ。聖女様の御父上であらせられるザヴァリッシュ伯爵家のご当主と陛下は何度かお会いになられていると聞く」
え、結婚?
「陛下と聖女様のご結婚か。お目出たい話だが、それならば何故ここに聖女様がいらっしゃるんだ? 聖女様はお強いが万が一ということもある。本当に聖女様が輿入れなさるのだとしたら、ご実家や陛下も身の安全を考えて反対なさるだろうに」
「それはわからんな。この要地を守るため聖女様ご自身が望まれたのかもしれない。案外この度の陛下のご来訪は聖女様を説得して連れ戻そうとされたのかもしれないぞ」
「では、直に聖女様がいなくなってしまうかもしれないのか。できればこの地にいてくださるとありがたいのだが」
「聖女様がいなくてもあの魔導師の英雄もいればドラゴンもいる。不安はないさ。もし聖女様がお輿入れとなれば国の挙げての慶事になるぞ。反対するものなど一人もいないだろう」
やっぱり、そういうことなのかな……。
***
アレクシアは待ち人の来訪を今か今かと待ち望んでいた。彼女の待ち人は時間通りにやってくることが多いので、その時間が差し迫ると心が弾んでしまう。
ノックが鳴り響く。来た――と思ったアレクシアは自分でその扉を開けた。だが、目の前にいたのは彼女が待ち望んでいた人物ではなかった。
「急な来訪で済まんな。許せ、アレクシア」
「皇帝、陛下⁉」
アレクシアの目の前にいる偉丈夫はヴィルヘルム・ヴィクトル・フォン・ヴァイクセル。現ヴァイクセル帝国の皇帝である。その皇帝が何故ここにいるのかとアレクシアは混乱する。
自分はいい。ヴァイクセル帝国でも聖女ともてはやされている自分だが、皇帝からこの地を守護する命を請けている。それは自分が望んでいたことでもあった。これまでの功績から自分は戦力になると認められている。師と一緒に討伐に向かうこともあれば、兵を率いて討伐に出ることもあるぐらいだ。
しかし皇帝が訪れるにはふさわしくない。そもそもアレクシアは皇帝の来訪の話を耳にしていない。今アレクシアのいる駐屯地は魔物の住処に近く危険な場所だ。もし来訪するのならば厳重な警備が必要となる。だが護衛はほとんど連れてきておらず、要人を守るには心もとない。
アレクシアの視線をたどり、視線の意味を悟ったヴィクトルは苦笑交じりにいった。
「駐屯地に近い町まで転移魔法で行き、そこからドラゴンに乗ってきたのだ。それゆえあまり護衛は連れてきておらぬ」
「陛下、ご自愛くださいませ。陛下に何かあれば国は立ち行かなくなります」
呆然としていたアレクシアはそれに驚き、ヴィクトルをたしなめた。彼はバツの悪そうな顔をしながら答えた。
「やれやれ、家臣にも言われたが、卿にまで言われてしまったか。何、この駐屯地の視察もあるが、卿にも話があってきたのだ」
「私、にですか?」
「うむ、まずは人払いを頼めるかな?」
いつもアレクシアの傍にいる侍女のイレーヌを下がらせるようにヴィクトルは申し付ける。皇帝からの直々の申し出を断ることはできずアレクシアがイレーヌに視線で合図を送ると、イレーヌは頭を下げ部屋を出ていく。
「どうだ、壮健であったか? こちらでの生活に不自由はないか? 何か必要なものがあればすぐにでも届けるぞ」
「ええ、最近は魔物の襲撃もありませんから物資も十分に届いております。お気遣いありがとうございます」
ヴィクトルはわずかな間、アレクシアの顔をまじまじと眺めた。イレーヌに最低限整えさせているとはいえ、さすがにこうもじろじろと異性から見られるとアレクシアは恥ずかしさがこみ上げてくる。
「どうやら嘘ではないらしいな。安心した。ここは北部から来る魔物を防ぐ要地。失うわけにはいかないのだ。だがここは私の目が届きにくい。この地で生活する卿ならば生活の不備に気づくであろうし、兵の不満も耳に入るであろう。もしアレクシアが気づいたことがあれば遠慮なく私に報告してほしい」
「わかりました、陛下」
しかしこのことは駐屯地に来る前にヴィクトルから言い含められている。わざわざ人払いする話でもない。
つまりここからが本題であるとアレクシアは気を引き締めた。
「アレクシア、実は卿に折り入って話がある。実は卿の父上であるザヴァリッシュ伯のことなのだが」
「お父様が何か?」
アレクシアにとって父親は一時期落ちこぼれだった自分を見捨てた存在だ。彼女が聖女と呼ばれ利用価値が出ると途端に手のひらを返して、家の影響力を強めようと利用するようになった人物だ。
ヴィクトルの勅命があったとはいえ、娘を戦争に差し出したのもその意図が大きい。これについては利害の一致もあるため、彼女の心を深く傷つけることはなかった。何故ならアレクシアは実の家族に対して親愛の情を失い、すでに見限っていたからだ。
意図的に家族と距離を置くようになったアレクシアだったが、最近では父親がしきりに.彼女を家に連れ戻そうとしている。何かと理由をつけて退けていた。
「ザヴァリッシュ伯は私に卿との縁談をしきりに勧めてきているのだ。卿を私の正妃にと、な」
アレクシアがヴァイクセルの聖女として人々からあがめられだしたころ、彼女の前に現れた父親は彼女を他家に嫁がせ、政略結婚させようと目論んでいた。
それからアレクシアはすぐヴィクトルの勅命もあって従軍し、父親と会う機会が少なかった。当事者が最前線にいるのだから悠長に政略結婚に関わる暇などない。ましてや娘を率先して戦地に送り込んでいるものだから、注意はしていたもののまだ当分先のことだと彼女は思っていた。
しかしどうやら本人の意思をまったく無視して話が進んでいたようである。これは仕方ないことだ。アレクシアの直属の部下はイレーヌだけだ。イレーヌがアレクシアと行動を共にしているため、実家の近況など知る由もない。
おそらく家へ連れ戻そうとしていたのもそれが原因なのだとアレクシアは理解する。大方、本人の意思など無視して既成事実だけを積み上げ、引き返せない状況に追い込もうと企んでいたのだろう。激しい怒りと焦りがアレクシアの心の中に芽生えた。
「陛下、まさか」
焦りの原因はヴィクトルの話の続きだ。父親が縁談を持ち掛け、ヴィクトルがわざわざ人払いまでさせて自分と話しに来たこの状況。
縁談を断りに来たのならば、アレクシアの父親に話を通すべきだ。相手となる本人を目の前にして縁談を断るというのは失礼極まりない。そうなると答えは一つだ。
自惚れかもしれないがヴィクトルは自分との縁談に乗り気なのではないだろうかとアレクシアは考えた。
しかし都合が良かったとはいえ自分を戦争に駆り出し、最前線に送ったのはほかでもないヴィクトルである。自分を異性としてみていたとしたら、縁談する相手を戦地に送るだろうか。
もっともヴィクトルは合理的な面もある。アレクシアを参戦させることでヴァイクセル帝国軍の被害が減らせるならたとえ相手が誰であろうと容赦はしないだろう。それにヴァイクセル帝国の貴族は魔導師としての価値を重んじる。配偶者は優秀な魔導師が望ましい。そしてヴィクトルがアレクシアとの縁談に政治的な価値を見出していたのだとしたら、彼が自分に縁談を申し込んでも不思議ではない。
もしヴィクトルが自分との縁談を望んでいたとしてもアレクシアは断るつもりだ。自分が皇帝からの求愛を拒み、自身の立場が危うくなるとしても決してそれを認めるわけにはいかなかったからだ。
困ったような顔をしてヴィクトルは話を続けた。
「本人を目の前にして非常に言いづらいのだが、随分前にそれとなく断ったのだよ。ザヴァリッシュ伯の面子もある。周囲には話していなかったがね」
ヴィクトルの言葉が頭の中に流れて言葉の意味を理解すると、アレクシアは予想と外れてほっと胸をなでおろした。そしてそれと同時になんて自分は自惚れた考えをしていたのだろうと恥ずかしくて顔を真っ赤にした。
「卿を伴侶に出来る男は望外の幸せだろう。だが私は皇帝だ。自身の婚姻には政治的にも重要な意味を持つ。正妃ともなれば周囲の貴族も納得させる必要があるのだ。私の一存だけでは簡単に婚姻することはできんよ」
その辺りは名門の貴族であり聖女でもあるアレクシアも同じ立場だ。ヴィクトルが拒んだ理由と真逆ではあるが。
「何故そのような話を? 陛下が縁談を断ったのならばすでに終わった話ではないのですか?」
「どうやらザヴァリッシュ伯は縁談を諦めてはいないようだ。人を使って周囲に吹聴しているらしい。私が卿との縁談を望んでいる、とな。思いのほか噂は広まっているようだ。兵士にまで噂が流れているようなのでね。まったく周囲を扇動すれば押し切れるとでも思っているのだろうか」
アレクシアは自分の父親がしでかしたことにあきれてものが言えなかった。
ヴィクトルとアレクシアが結婚する。おそらく多くの民衆や貴族は祝福するだろう。民衆からあがめられるほど求心力のある聖女の価値は大きく、アレクシアを皇室に迎えるというのは政治的な利点も大きい。
だがそうした利点を差し置いてヴィクトルはアレクシアとの縁談を断っている。つまりこの縁談には何らかの問題があると彼が判断したからだ。それなのにアレクシアの父親は彼の判断を無視して、噂を流布して同調する貴族を増やそうとしている。
ヴィクトルが内密に断った以上、まだ真相は他の貴族には伝わっていないはずだ。真に受けた周囲の貴族がアレクシアとの婚姻を推し進めようとするだろう。
ヴィクトルも完全にこれを無視するわけにはいかない。何しろ皇帝は未だ独身であり、女性の陰がない。それに皇帝の婚姻ともなれば生半可な相手では務まらないのである。聖女であり有力な貴族であるアレクシアの存在は適任と言えた。
周囲を納得させるには、縁談を断った理由を明確にしなければならない。ヴィクトルが縁談を内密に断ったのも、ザヴァリッシュ家への配慮もあるだろうが、それ以上にアレクシアとの縁談を断った理由を公にはしたくないのだろう。
ヴィクトルを軽んじ、他の貴族を扇動して巻き込む所業。噂を流したことまで知られてしまっては不敬と取られても仕方のない行動である。
ヴィクトルは一時期貴族の間で凡庸な皇帝と揶揄されていたことがある。実際彼が皇帝になって目立った功績がなかった。だからこそアレクシアの父親はヴィクトルを軽んじたのかもしれない。
だがここ最近のヴィクトルの動向を詳しく知れば、その認識は間違いであることは明白である。コミューン連合国への遠征は顕著な例だろう。遠征自体近年行われていなかったにもかかわらず短期間で派兵を可能にし、物資が滞ったこともない。現在もなお吸血鬼から解放したコミューン領土に対して継続した支援を行っている。
そして今回の駐屯地の設営。三国間で歩調を合わせるためさまざまな調整や交渉も行った。魔物の被害が大きかったコミューン連合国やカスタル王国よりも支援の比率は高い。
それらを実現させたのに自国への負担は少ない。たとえば戦時下における増税が驚くほど少ないのだ。いくらヴァイクセル帝国が大国だといえども無視できない膨大な支出があったにもかかわらずだ。これらは他でもないヴィクトルの辣腕によるものだった。
そのような人物を相手に今回のアレクシアの父親がとった行動は軽率としか考えられなかった。アレクシアを皇后にしたて、皇帝の姻戚になる名誉に目がくらんでしまったのだろうか。それとも吸血鬼にでもなり代わられてしまったのかと本気で疑ってしまうほどの軽率さである。
「父が思慮の足りぬ行動を取り、ご無礼を働きましたこと申し訳ありません」
「やはり卿は無関係か。何、卿が気に病む必要はない。むしろザヴァリッシュ伯が動き出す前に真相を伝えに来たのだよ」
ヴィクトルはあくまで忠告に来ただけのようだった。しかしヴィクトルが何故縁談を断ったのかアレクシアには理由がわからなかった。
「陛下は何故この縁談を断ったのですか?」
「なに? アレクシアは乗り気だったのか?」
楽しそうにヴィクトルは笑いだす。
「お戯れを」
「……あまり話したくはないが、他ならぬ当事者から聞かれては仕方あるまい。卿には話しておこう」
大きなため息をついて、ヴィクトルは理由を明かした。
「大きな理由はザヴァリッシュ伯爵家の権威だな。卿の活躍によってザヴァリッシュ家は権威が増した。それだけならばまだ大目に見ることはできる。だが卿が私の正妃となれば話は別だ。ザヴァリッシュ家が外戚となる。そうなればザヴァリッシュ家はこの国の中でも皇家に近い権威を持つ貴族になってしまう。するとどうなる。ザヴァリッシュ家に権威が集まり過ぎて貴族間の均衡が崩れてしまうではないか。そうなれば貴族の序列が崩壊し、貴族間の争いに発展しかねない」
貴族の序列は爵位だけで決まるものではない。たとえば数ある伯爵家の中でザヴァリッシュ家が名門と呼ばれる理由は、その家の歴史と権威によって裏付けされているものだからだ。
つまり名門であるザヴァリッシュ家に権威が集中した場合、この序列に乱れが生じてしまう。序列の低い貴族ならばともかく名門のザヴァリッシュ家となるとそれは貴族の派閥の勢力図を大きく変動させる可能性を秘めている。
他の貴族がそれを見逃すはずがない。外戚の座を狙っている貴族はザヴァリッシュ家だけではないのだ。貴族の序列を守るための権力闘争が始まってしまう。魔物と言う外患があるにもかかわらず、権力闘争という内憂が発生し板挟みになりかねない。それをヴィクトルは危惧していた。
これを聞いてアレクシアはヴィクトルが縁談を断った真の理由を周囲に明かせないわけがようやくわかった。真実は権力闘争を防ぐためだが、ザヴァリッシュ家の権威を集中させないという行為とも受け取れる。
これではヴィクトルがザヴァリッシュ家の権威を恐れているように他の貴族に受け取られかねない。自分の配下である貴族の権威に怯える皇帝など示しがつかなくなってしまう。隙を見せるわけにはいかないと縁談は別の理由で断ったが、それがザヴァリッシュ伯の目には付け入る隙に見えてしまったのだ。
「コミューンでの戦争は終わったが、魔物との戦争は終わっていないのだ。今ここで貴族たちの権力闘争が起きれば厄介だ。早いうちに問題を解決せねばならん。もっとも今回のことでかなりザヴァリッシュ伯は一部の貴族から反感を買ってしまったがな」
ヴィクトルの説明は端的だった。
聖女の価値は大きく、それによってザヴァリッシュ家の権威が増したことは確かだ。それなのにザヴァリッシュ家に縁遠い貴族の間では、アレクシア自身の功績と認識されていて、ザヴァリッシュ家とは無縁だと切り離されている。
これは一言で言えばやり過ぎたのだ。アレクシアが活躍しすぎたというのもあるが、ザヴァリッシュ家の当主が権力の伸長を必要以上に図ったため、一部の貴族の反感を買ったというのが大きい。つまり反ザヴァリッシュ派の貴族が台頭し始めたのである。
アレクシアの功績は大きく、これを認めないわけにはいかない。そんなことをすれば反ザヴァリッシュ派の貴族がアレクシアの信奉者から袋叩きにされてしまう。だからこそ矛先はアレクシアの父親であるザヴァリッシュ家に向いているのだ。
実際ザヴァリッシュ家の中でもっとも貢献しているのはアレクシアだ。本来務めを果たすべき当主は後方で権力の伸長に励んでいる。反ザヴァリッシュ派の貴族は娘の功績をかすめ取る卑しい家だと蔑んでいた。
「卿は動く必要はない。卿はただ自身の務めを果たしてほしいのだ」
「わかりました。元はと言えば父が犯した失態。陛下のご随意のままにご処分をしていただいて構いません」
自分が余計な口を挟むべきではない、そう理解したアレクシアはすべてをヴィクトルにゆだねることにした。
「それはそれとして、アレクシアよ。おそらく私との縁談が破談となれば、ザヴァリッシュ伯は別の貴族に縁談を持ちかけるはずだぞ。卿はどこかの貴族に嫁ぐことを考えていないのか? もしそうならば私から話をしてみるが」
ヴィクトルの言葉にアレクシアは顔をこわばらせた。
「ほう、どうやら相手がいるようだな」
アレクシアの口から言葉にするのはためらわれた。アレクシアが想いを寄せる相手はおいそれと公言できる相手ではないのだから。
「やはりケイオスか」
ヴィクトルの声は揺ぎ無く確信に満ちている。
アレクシアは自分の魔法の師であるケイオスに好意を抱いている。コミューン連合国の女王であるロズリーヌも同じようにアレクシアの想い人が誰か気づいていた。その際にケイオスの知人も気づいていると言っていたが、ヴィクトルとケイオスが対面したのは片手で数えるほどしかない。たったそれだけでヴィクトルにまで知られてしまうほど、自分はわかりやすいのだろうかと恥ずかしくなりアレクシアは赤面した。
「どうやら私の見立ては間違っていなかったらしい。そしてそれを為すことが困難であることも理解しているようだ」
ヴィクトルの言う通りだった。コミューン連合国では英雄と称えられていてもケイオスの身分は平民でしかない。ヴァイクセル帝国の名門貴族であるザヴァリッシュ家の令嬢であり、聖女として象徴と化しているアレクシアと身分が釣り合っていなかった。
アレクシアの父親も自分の娘が平民に懸想していることを知っていた。彼女の縁談を強引に推し進めたのもそれが理由の一つにあるのかもしれない。アレクシアがケイオスと結ばれるには、身分の差を埋めて父親を納得させるか、それこそ今の地位を全部捨ててしまうぐらいしか方法がなかった。
現状を考えればアレクシアの父親が娘の恋を反対したことは貴族としては正しい判断だった。身分の差を埋めるというのは容易なことではない。
だからこそアレクシアは家名を捨てることを考えていた。もはや聖女という身分から逃れることはできないが、ザヴァリッシュの家名を捨てることは可能ではないかと考えていたのである。
平民になることは難しくても、ザヴァリッシュ家の分家かあるいは断絶した家系に独立することは難しくはあるが、不可能ではない。ザヴァリッシュ家にはアレクシア以外にも子がおり、次期当主の候補として育てられている。跡継ぎがいるからこそアレクシアを他家に嫁がせ、政略結婚させようとしていたのだ。アレクシアがザヴァリッシュ家に留まる必要性はないのである。
自分が当主になることでケイオスとの仲に反対するであろう実家の影響力をそぐことができる。アレクシア自身はもうすでに実家への執着はないし、捨て去ることにためらいはなかった。
もっともそれも簡単なことではなかった。ザヴァリッシュ家当主である父親に認めさせなければならない。だがこれまでの功績やヴィクトルの話を聞けば決して不可能ではない。
しかしこれにも大きな問題が一つ残っているのだが。
恥ずかしさで赤面していた顔が途端に曇る。想いを捨て去ることはできない。簡単に捨て去ることができるならとっくの昔に諦めている。そしてその想いは未だ秘めたまま、相手には伝えていなかった。
結局のところ曖昧にしたままの今の関係が一番落ち着いていた。お互いの立場もあり、出会った当初よりも時間は短くなったものの、ケイオスとはほぼ毎日顔を合わせることができ、一緒に過ごすことができる。二度と会えないと思っていたときに比べればずっと幸せだと感じることができた。
けれどもそれ以上の幸せを望んでしまう欲望がアレクシアの心の中にあるのも事実だ。でもそれ以上の幸せを求めた場合、今の関係を壊してしまい気軽に接することができなくなってしまうのではないかと恐れてしまい、二の足を踏んでいる。
ただこの関係も長くは続けてはいられない。アレクシアの父親がヴィクトルとの縁談が完全に破談になったとしてもそれで話が終わるはずがなかった。自分の父親が自分の意志など汲むはずもなく、別の貴族との縁談を勝手に進めてしまうだろう。
時間は限られている。だがアレクシアに起死回生のひらめきはなかった。
「ケイオスが無位無官のままでは難しかろうな。少なくとも貴族にならねば。もしケイオスがヴァイクセル帝国に来るならば最大限の便宜を図るぞ」
「そう言えば、陛下は以前ケイオスを勧誘しておられましたね。しかしながら陛下がそこまでしてくださるとは思いませんでした」
「あの時の言葉は嘘ではなく本心だ。あの男と卿には恩がある。ならば卿らの望みをかなえることに私が尽力を惜しむつもりはない。もちろん、私個人の感情だけでこのような話をしているのではない。国としても利があるのだぞ。有能な人材は是が非でも欲しい。ましてや英雄殿であれば宮廷魔導師として迎え入れたいぐらいだ」
もしヴィクトルが本当に後押しすれば不可能ではないかもしれないとアレクシアは思った。ただ貴族になっただけでは身分の差は完全に埋まらない。だが英雄としての評価と貴族という身分、そこに皇帝直々の頼みが加われば、アレクシアの父親も無碍にはできまい。今までで一番実現性が高いのではないのだろうか。
ただ、もう一点彼女にはネックになっていることがあった。
「しかしケイオスは貴族になるつもりはないようです」
「なんだと? 貴族になることが不満なのか? もともと身分には興味がないように見えたが、それでも卿と結ばれるには避けられぬであろう。もしやケイオスは卿を連れて故郷に戻るつもりでいるのか? それは困るぞ」
「はい?」
ヴィクトルの言葉に、思わずアレクシアは素で聞き返した。ヴィクトルもアレクシアの反応を予想していなかったかのように目をぱちくりとさせている。
「……待て、アレクシアよ。私はとんでもない思い違いをしていたのかもしれぬ。つかぬことを聞くが、すでにケイオスとは想いが通じ合っているのではなかったのか?」
アレクシアは首を振った。ヴィクトルはそれを見て天を仰いだ。
「何ということだ。カスタル王国の舞踏会でケイオスが卿を会場から連れ去ったのを見かけたので、すでにそうした仲なのだと完全に思っていたぞ。どうみても恋人のそれにしか見えなかったからな。魔物との戦いのときの勇ましさに比べたら恋愛は奥手なのか。なるほど、聖女とて年頃の娘なのだな。それともあの男が優柔不断なのか」
ヴィクトルが呆れを交えた口調で話すため、アレクシアはなんだか居心地の悪さを感じていた。だが次の瞬間、ヴィクトルは居心地の悪さすら忘れさせてしまうようなとんでもない発言をする。
「少し先走り過ぎたか。だが、アレクシアよ。余計なお世話かもしれないがいずれにせよケイオスと卿の関係をはっきりとさせたほうがいい。こればかりは私が直接力を貸すような問題ではないからな。直裁にケイオスに告白してみてはどうか?」
「告白……ですか⁉」
「英雄殿は朴念仁のようだから迂遠な言葉では理解されまい。きちんと言葉にせねばわからぬぞ。そうだな、なるべく早くにしておいたほうがいい。ケイオスがこの地を離れてしまうその前に」
それについてはアレクシアも同意見だった。周りは自分の想いに気がついているのに、当の本人はまるで気がついていないのではないか。そうなると自分の想いを直接本人にぶつけるしか方法がない。
今の関係を壊すことへの恐怖はある。だが実家からの縁談の話で残された時間はないことと、ヴィクトルからの強力な後押しがあることを考えるとこれ以上の好機を逃すことはできないのではないだろうか。
思い悩んだアレクシアは決意を瞳に宿し、ヴィクトルを見据えて返事をした。
「わかりました。折を見てケイオスと話してみます」
***
「なんじゃ、戻ってきたのか? どうした、顔が真っ青じゃぞ?」
ヴイーヴルの言葉に大丈夫だと手を振ってこたえる。
「何かあったのか?」
「アレクシアがどうも皇帝と結婚するらしいって噂を聞いたんだ」
「なんじゃ、番を別の雄に奪われたのか⁉」
素っ頓狂な声でヴイーヴルが叫ぶ。
「番ってなんだよ。違うよ、そういうのじゃない」
「じゃあどうして落ち込んでおるのじゃ? どう見てもお主の様子はおかしいぞ」
「……俺が落ち込んでいるように見えるのか? そんなつもりはないんだけど。多分ショックが大きかったんだよ。アレクシア様が皇帝と結婚するなんてさ。だってまだアレクシアは子供だぞ」
アレクシアの年齢を現実世界で例えるなら中学二年ぐらいの年齢だ。そう考えるとアレクシア様は結婚するには若すぎる。
「子供のう。妾から見るとみな年下なのじゃが。それでも珍しくはあるが、あの年齢ならばまったくないわけではなかろう。特に貴族とかいう連中にとってはの」
この世界ではアレクシアの年齢ぐらいでも結婚することは有り得る話だった。
しかし長い間、一緒に戦ってきたアレクシア様が結婚することは考えてもみなかったことだった。それゆえにショックも大きいのだろう。
「ううむ、まさかとは思うがこやつまったく気づいておらんのかな」
「なんだよ、さっきの話みたいにまた俺をからかうつもりか?」
ヴイーヴルのつぶやきに苛立ちを感じる。
「ケイオス、アレクシアとその男のことが結婚するときのことを想像してみろ。どう思うのじゃ?」
「なんだってそんなことを」
「いいから、いいから。物は試しじゃ」
ヴイーヴルに言われて仕方なく、二人の結婚式を想像してみる。皇帝の隣にアレクシアが立つ姿を。
「何というか、皇帝ってロリコンだよな。年の差離れすぎじゃないか?」
というのが最初の感想だった。ロリコンという言葉は理解できなかったのかヴイーヴルは不思議そうな顔をする。
「だって皇帝の年齢、二十歳ぐらいだぞ。それが十三、四歳ぐらい、中学生に手を出したなんて、向こうの世界じゃ淫行で大問題だよ」
「たった六、七歳差じゃぞ。そんなに大問題か?」
「向こうの世界じゃ二十歳から成人だからな。もっともこの年齢ですぐに結婚する人は少ないぞ。働くようになって余裕ができてから結婚する人が多い。少なくとも四、五年はかかるんじゃないか? 晩婚化も進んでいるし初婚の平均年齢はこっちと比べると高いんだ。十三、四歳じゃ完全に子供だよ。最低でも女性は十六歳になれば結婚できなくはないけど、成人じゃないから親の同意が必要になるな」
「難儀じゃの。異世界でそんなに風習が違うのか」
感心したような声でヴイーヴルは言った。
「では年を重ねて考えてみてはどうか。そうじゃな。六、七年後、アレクシアが二十歳のころを想像してみるといい」
六、七年後か。皇帝は三十手前だが、まだまだ若く今の姿と変わらないかもしれない。だがアレクシア様はもっと大人びてきれいになっているだろう。カスタル王国で化粧していた彼女よりもずっときれいに。そんな二人が寄り添う。美男美女との夫婦だ。お似合いという言葉が浮かぶ。
「お似合いなんじゃないかな。周りも皇帝と聖女の結婚ということで国を挙げて祝福すると思うぞ」
「そうか、お主はどうじゃ? それを祝福することはできるか?」
「それは……わからないや」
祝福できるかと問われると、何故だかそれをどこか認めたくないもやもやとした淀んだ気持ちが胸の中を渦巻く。これが何だと言われると言葉に表すことができなかった。
「ではアレクシアではない別人に置き換えてはどうか? たとえばそうじゃな、あのコミューンの女王でもいい」
「ロズリーヌ? 不思議なことを言うな」
ロズリーヌは今でも十分お似合いだ。ただロズリーヌの場合は本人が猫をかぶっているので、皇帝にばれたら大変そうだが。
「なんか面白そうじゃの。まあいい。もし女王が皇帝と結婚することになればそれを祝福することができるか?」
「ありえないでしょ。ロズリーヌは一国の女王だもの。けどまあ、もし二人がその気なら祝福できるかな」
「じゃあ女王の年齢差がアレクシアと同じぐらいに離れていたとしても?」
「うん……そりゃまあ。本当に好きなら」
あれっ? 何かおかしなことを口走ってないか?
何とも矛盾していて腑に落ちない。
「おや、おかしいぞ。お主、女王ならば祝福できるのに、なんでアレクシアだけは祝福できないのじゃ?」
「何でって……、何でだろ?」
年齢の問題か? いやでもアレクシアが大人になったときですら祝福できないんだぞ。それじゃ矛盾している。
「ううむ、まだわからんか。じゃあ話を変えてみるか。例えばもしお主が結婚するとして、その相手が妾だったらどうする?」
「え、ヴイーヴル」
「おい、なんじゃ。その嫌そうな返事は。普通に妾、傷つくんじゃけど」
「うーん、やっぱり考えられないかな。というか、俺ってヴイーヴルより強くないんだし無理じゃない? そもそも結婚だなんて想像できないよ」
「想像しにくいみたいじゃのう。では、別の人で恋人ならどうじゃ? あのエルフなんかどうじゃ」
「ネルのこと? そうだな、もしネルとそういうことになっていたらきっと困ったことになっていただろうな」
もし恋人同士になったらきっと困っていただろう。ネルのことは嫌いではないけれど、仲間という意識のほうが強いから、恋人って関係になれそうもない。
「じゃあ、もしお主と結婚する相手がアレクシアならどう思う?」
「どう思うって、そりゃ」
そう言ってアレクシア様に置き換えて考える。アレクシア様と恋人か。こっちも現実味はない。
もし恋人になるなら馴れ初めから考えるべきか。となると告白するのが順当だろう。アレクシア様が告白してくるなんて有り得ないから、やっぱり俺から告白するのかな。
――そう考えると、どくんと胸が飛び跳ねた。
あれ、なんかおかしい。どくんどくんと早鐘のごとく胸を打つ。まるで急病が発症したかのような感覚に、戸惑いを隠せなかった。胸を打つリズムにそれに比例して顔が熱くなっていく。
この上なく恥ずかしい。そのはずなんだが、恥ずかしいとか困るという気持ち以上に違う感情が心を満たしていた。
告白して、もしも。もしもアレクシア様がその告白を受け入れてくれたら――。
「嬉しい、のか」
多分嬉しいとか幸せだとか、そういう正の感情だ。それもさっきのもやもやなんか押し流すぐらいの膨大な量の感情の波。
今まで見てきたアレクシア様の笑顔が浮かんでは消える。もし告白して受け入れてくれて、あの子がその笑顔を浮かべてくれたら。その、恋人になれたら。それはこの上なく嬉しくて、たまらない。
がくりと膝をつき、頭を抱えてしまう。
「どうしよう、ヴイーヴル。やばい、俺やばい」
「大丈夫か?」
大丈夫なんかじゃないと叫びたいぐらいだ。
「俺、皇帝のことを馬鹿にできなくなってしまう。俺もロリコンだった!」
「いや待て、アレクシアとはそんなに歳が離れていないじゃろうに」
「高校生と中学生じゃ大きな違いだよ!」
俺ぐらいの年齢じゃその差は大きい。そんなに歳が離れているわけじゃないのに、中学時代の高校生ってなんで大人びて見えるんだろうな。実際に自分が高校生になってみたら全然大人なんかじゃなくて子供っぽい感じなのにさ。
けど三、四年とはこの年代にとって無視できない大きな隔たりがあるのだ。
「アレクシアに対する自分の気持ちがわかったか?」
ああ、畜生。この上なくわかったよ。
「好きだ。好きだったんだ。アレクシア様のことが」
完全に認めるしかなかった。どうやら俺はアレクシア様にべた惚れらしい。それにずっと気がついていなかったのか。いつからだ、俺が彼女に惚れていたのは⁉
「ようやく気づきおったか。まったく鈍い奴じゃ。このままずっと気がつかないんじゃないかとやきもきしたぞ」
どうやらヴイーヴルはとっくの昔に知っていたらしい。
でも思い返してみれば、この世界ぐらいしか親しい異性はいない。その中でも特に親しいとしたらヴイーヴル、ロズリーヌやアレクシア様ぐらいだ。一番親しくそして長く付き合ったのはアレクシア様しかいない。
そしてアレクシア様は俺よりも年下とは言え、現実世界ではお目にかかれないぐらいのとんでもない美少女だ。そんな子とずっと一緒に楽しく過ごしていたら俺が恋に落ちても全然不思議ではない。むしろ惚れないほうが女性に興味がないんじゃないかと疑われるレベルだ。
いつから恋に落ちていたのかわからない。もしかすると一目惚れしていたかすらあいまいだ。初恋だからとか、師として慕ってくれていると考えていたから、自分が恋に落ちているなんて思いもよらなかったのか。
「そっか、好きだったのか。まじか」
でも、好きだってわかっても。
「アレクシア様、皇帝と結婚するんだよな」
好きだとわかった途端に、アレクシア様は別の人と結婚する。アレクシア様と皇帝が二人きりでいたときやさっき心の奥でわいたもやもやの正体は嫉妬に過ぎなかった。今の年齢差や好きな人を取られる喪失感で胸が痛くて、とてもじゃないが二人の結婚を祝福なんてできない。できないけれど、頭の中では否定的に見ることができなかった。
皇帝は外見もかっこよく人柄もいい人だ。皇帝という立場にしては気さくな人だし、人々から慕われている。二人きりでしゃべっていることからもアレクシア様との仲も良好に違いない。
同性から見ても割と完璧じゃね、皇帝。アレクシア様の相手としてはかなり相応しいなのではないだろうか。決して悪い話ではない。さっきの兵士たちのように国民も二人のことを祝福するだろう。
ひるかえって俺はどうだろう。容姿を皇帝と比べたら勝てる気がしない。悔しいというかもう自ら敗北宣言してしまうレベル差だ。
皇帝と英雄という立場じゃどちらがいいのかわからないが、少なくとも俺の英雄という立場は訳の分からないゲームの力で下駄をはいているような状況だ。何より異世界人であることをアレクシア様には打ち明けていない。
そんな状況でアレクシア様と恋人になるって無理じゃないか? アレクシア様には幸せになってほしい。俺が彼女の傍にいて彼女を幸せにできないのは辛いけど、皇帝ならば彼女のことを幸せにしてくれるんじゃないだろうか。
「アレクシア様が若すぎるとは思うけど、皇帝なら彼女を幸せにできるんじゃないかな」
「ケイオス、本気でそんなことを思っているのか?」
俺の答えにヴイーヴルが声を低くして、強い口調で非難する。
「でもさ、アレクシア様と皇帝が結婚するって決まっているなら、俺が入る余地ってないんじゃないか?」
「かーっ、なんじゃ情けない」
ヴィーヴルが吐き捨てた。
うん、自分でも情けない。自覚ぐらいある。
「落ち着いて考えよ。所詮噂じゃろう。本人が結婚するって言っているわけじゃない。本当かどうかも分かぬではないか」
……そうだ。あれは兵士の話を聞いただけで、アレクシア様からは直接皇帝と結婚するなんて聞いていない。ただ皇帝がアレクシア様と二人きりで内密の話をしていただけだ。その内密の話が何なのかはわからないけれど、それが結婚の話とは限らない。
「そもそもアレクシアがその皇帝やらを好きなわけがなかろう。あやつが好きなのは別人じゃ」
「別人? 皇帝じゃないのか?」
アレクシア様が好きな人? 皇帝以外にそんな相手がいるのか?
ヴイーヴルが知っているということは俺がその相手と会っていても不思議ではない。アレクシア様の知り合いで俺の知っている人物だとハボックやリーアム、あとはオリバーさんぐらいか?
ハボックやオリバーさんは皇帝よりもだいぶ年齢が離れている。消去法で年齢が近いのはリーアムだけど、二人きりで話しているところを見たことがない。むしろリーアムはネルと一緒のことが多いじゃないか。それとも俺がまったく知らない相手か?
「そうじゃよ。どう考えてもお主しかおらんじゃろ」
え? 俺?
「いやいやいや、それはないだろう」
「はあ、なんでそんなところは鈍いんじゃ」
呆れるヴイーヴルだが、さすがにこの発言は疑わしくてつっこまざるを得ない。
「だいたいヴイーヴルはアレクシア様にそれを確認したのか?」
「さすがにそれは……。直接聞いたわけじゃないがの」
「ほら、そうだろ。信憑性が兵士の噂と同レベルじゃないか」
「じゃが妾はアレクシアと面識がある。何も知らない第三者よりもずっと信憑性があるし、根拠があるぞ」
「根拠ねえ」
ヴイーヴルの言葉に耳を傾けることにした。ほんのちょっとだけ、もしかしたらなんて思ってはいない。……というのは言い訳だよな。実際そうならやばいぐらい嬉しい。
「まずお主と話すときいつも楽しそうにしておるではないか。他のものと話すときとはまったく表情が違うぞ」
それぐらい異性として好きかどうかって関係ないんじゃないか? たまたま話が合うとか。そんなことで好きだと決めつけるのは早計だ。コンビニでちょっと手が触れただけで勘違いしてしまう青少年のシチュエーションに似ているだろう?
「それにな、他の雄と比べるとお主はアレクシアとの距離がずっと近い。それこそ一歩近寄れば肩を寄せ合うぐらいに。普通何も思っていない異性をあんなに近づけることなんて有り得ぬ」
いわゆるパーソナルスペースって奴か? 近いと言えば、近いかもしれないな。
そう、かな。うん、そうかも。
ってことは、本当にアレクシア様は俺のことを好きかもしれないってこと?
アレクシア様との思い出を振り返ってみて、彼女のすべての行動が恋愛につながる意味ありげなものに変換されてしょうがない。
例えばコミューンで再会したとき。あのときは俺が偽者だと思い込んだアレクシア様と敵対し、戦わないために彼女を抱き締めたことがあった。よく考えれば、あんなに簡単に抱き締め続けることができ、あれだけ憎しみを覚えていてくれたのはそれだけ俺に対して好意を抱いていたってことじゃないだろうか。
それにカスタル王国の舞踏会、二人きりになったときにアレクシア様は俺のすべてを知りたいと言ってたっけ。あれってつまりは好きな人のことを全部知りたいって遠回しな告白だったのか。
くっそ恥ずかしい。他人の前でつらつらとそんなことを言われるのが恥ずかしくてたまらない。
「客観的な意見じゃからの。本当かどうかは本人に聞くべきではないか。結婚の件も含めて」
ヴイーヴルの言葉で、少し冷静さを取り戻す。
全部状況証拠でしかない。だったら本人に聞くしかないのはわかる。
……ちょっと待てよ。アレクシア様に俺のことが好きですかって、聞くの? 本人に直接?
「無理無理無理。ちょっとそれ無理だから! 結婚はまだしも、自分のことを好きですかなんて本人に聞けるわけないだろ!」
「ならお主から告白すればいいのではないか? 相手が好きならば受け入れるのではないか?」
自分を好きか聞くよりはいいけれども。いいけれども! 心の準備っていうのがまだできていない。
「迷っているようじゃが、お主それでいいのか? 結婚の真偽はわからんが求愛する雄が他にもいるかもしれんぞ。取られてしまうかもしれんぞ?」
そんな心を見透かすようにヴイーヴルは挑発してきた。
……それは嫌だ。
「わかった。うん、とにかく本人会って確かめてくる」
俺の反応にヴイーヴルが色めき立つ。
「……取りあえず皇帝との結婚の確認をして、それから告白……できたらいいな」
「ヘタレじゃのう、お主。英雄の名が泣くぞ」
うっさい。
再びアレクシアの部屋へ一人で向かう。ヴイーヴルはからかってばかりだから、部屋に置いてきた。
アレクシア様と顔を合わせるというだけで、ものすごい緊張感が止まらず体がカチコチだ。それで頭の中は何から話そうとずっとシミュレーションばかりしている。
皇帝との真相を聞くのは確定だ。でもいきなり聞いて不快に思われないだろうか。否定的に取られないか、つまり自分が別人と結婚してもいいのかというややこしい誤解を招かない。
だったら、先に自分から告白する? 本当にアレクシア様が結婚するのならば俺が告白することでかえって迷惑にならないだろうか。取りあえず振られたら、俺もう立ち直れないかも。
足取りが重くなる。引き返したくてたまらない気分だ。
結婚は本当の話なんだろうか。貴族同士の結婚だし、実家もその話に絡んでいるんだろうな。現実世界でも家族同士で対面するし。
あれ? アレクシア様は両親と仲が悪かったんじゃなかったっけ。確かヴァイクセル帝国は魔法の実力が重視される国だった。俺と会う前のアレクシア様は魔法が苦手だったから、親がアレクシア様のことを見放していたって言っていたぞ。友達にも恵まれなかったみたいでいじめられていたし。
ひょっとして結婚の話はアレクシア様の両親が勝手に決めたことで、アレクシア様が望んでいないのだとしたら。
だとしたら止めたい。アレクシア様が困っているなら力になりたい。行かなくちゃ。
アレクシアの部屋の前に戻ってきてノックをする。
「はい、どなたですか?」
「俺だ、ケイオスだよ」
「先生ですか? 少しお待ちください」
扉が開く。アレクシア様――。
「あれ、先生? いらっしゃらないのですか?」
気がつくと俺は白い空間の中に居た。
この場所は、ログインやログアウトするときにいつもいる場所。
いったいなんで? さっきアレクシア様の部屋の扉が開いた瞬間までは記憶がある。だがログアウトした覚えはない。
そんな俺の疑問に答えるかのようにメッセージ画面が開いた。内容はひどく簡素なものだった。
『現在メンテナンス中のため、しばらくの間ご利用できません』
メンテナンス……? ああ、そうだ。メンテナンスが予定されていたっけ。
アレクシア様の所に行って皇帝と一緒に話をしたり、ヴイーヴルと話したりしたから、いつの間にかメンテナンスに入ってしまったようだ。
気合を入れていたせいか、どっと疲れが押し寄せてきた。
絶妙なほどタイミングが悪すぎる。誰か監視していてタイミングよくメンテナンスに入ったんじゃないかと疑うぐらいだ。
アレクシア様と会う直前だぞ。アレクシア様もびっくりしているだろうな。俺の声がしたのに扉を開けたら誰もいないんだから。
サーバーにログインできないので今日はもうお終いだ。素直にゲームの復旧を待つしかない。アレクシア様に謝るのは明日にしよう。
それにしても不便だ。運営上必要なこととは思うけれど、運営の都合でプレイヤーの都合とは関係なくゲームができなくなってしまう。サーバーにつながらない限りあちらの世界に行くことができないなんて。
プレイヤーの都合とは関係なくゲームができなくなってしまう?
『Another World』からログインすることで俺は向こうの世界に行くことができる。つまり『Another World』がなければ、俺は向こうの世界に転移することはできない。こんなちょっとしたメンテナンスで『Another World』が一時的に利用できなくなっても、向こうの世界に転移できなくなってしまうほど向こうの世界と現実世界とのつながりは脆弱なのだ。
だからもし俺が昔やっていたゲームのように『Another World』が急に終了してしまったら、俺はあの世界に一生転移することはできない。
『Another World』は開始して約一年しか経っていない。そしてVRMMORPGの先駆けとなるゲームだ。プレイヤーも多く人気がある。すぐにゲームが終わるとは思えないし、他のゲームよりも寿命が長いだろう。
だがいつか終わりが来る。それが明日なのかそれとも十、二十年なのかはわからない。運が良ければ俺が生きている間はずっと続くかもしれない。それでも俺が以前やっていたゲームのようにゲームの終焉は必ず訪れる。プレイヤーはゲームが終了する直前の数か月前、最悪の場合だとゲームが終了した直後に知ることになるのだ。そしてプレイヤーはそれを受け入れることしかできない。
残された時間が限られているというのならば、ずっと向こうの世界にいたい。けれどもそれも叶わぬ夢だ。向こうの世界の転移に『Another World』が切り離せないように、俺も現実世界とのつながりを切り離せないからだ。
もし今の生活を続けるとしたら俺はずっと向こうの世界と現実世界を転移し続ける二重生活を送ることになる。今は学生であり未成年だから、ゲームをプレイする時間は十分にある。が、俺が社会人になって働くようになれば、向こうの世界に転移する時間も思うように取れなくなるだろう。
働かずに『Another World』をやり続ける? そんなの無理だ。ゲームを続けるにはお金がかかる。『Another World』はアイテム課金制で課金アイテムを購入しなければ無料でプレイできる。だが『Another World』をプレイするにはパソコンやインターネットが必要だ。パソコンの電気代やネット代はかかるし、生活費だって稼がなきゃならない。いつまでも親に頼り続けるわけにはいかないのだから。
向こうの世界なら魔物を狩ればお金を稼ぐことはできるけど、現実世界では働かなければ稼ぐことなんて不可能だ。両立できればいいけれどそんな簡単なものではないし、宝くじが当たって一生働かなくてもいいなんて幸運は降ってこない。
いくら向こうの世界にいたいと願ったところで俺の生活の基盤は現実世界だ。向こうの世界の住人ではない。この現実世界の住人だ。
もし仮に現実世界を捨てることができたとしても、それは現実世界の家族を捨てることになってしまう。自分の意志でアレクシア様と家族を天秤にかけることなんてできない。どちらも俺にとって大事なものだ。
初恋でこんなことを考える俺はきっと重たい人間なのだろう。恋愛に理想を押し付け、夢を見過ぎているのかもしれない。もっと気楽に付き合えば、それはきっと楽しいことなのだろう。そもそも恋人との別れなんていくらでもある。破局したり死別だったりいろいろだ。そんな別れの可能性を上げればきりがない。
それでも俺はアレクシア様と一緒に過ごしたい。できればずっと。だって俺にとっては初めての恋なんだから。将来も一緒にいたいと考えているし、終わりなんて考えたくはなかった。
けれど最悪な未来が頭を過る。アレクシア様との恋が実って、アレクシア様とずっと二人で過ごすことができたとしよう。だが唐突に『Another World』が終了し、彼女と突然別れる羽目になったら、俺は現実世界に引き戻され、アレクシア様を失ったまま残りの時間を過ごしていかなければならない。別れも言葉も告げられずに。
そんなの耐えられない。
じゃあすべてをアレクシア様に打ち明けて、限られた時間すべてを使ってアレクシア様を幸せにする? そんな風に達観して俺はアレクシア様と限られた時間を幸せに過ごせるだろうか。
そしていつ向こうの世界から消え去るかわからない自分のためにアレクシア様を振り回し、巻き込んでしまうだけではないだろうか。
この状況でアレクシア様に告白して自分の想いを伝える?
――そんなの、無理だ。
アレクシア様に好きだと告白したい気持ちはある。それでも決定的な別れがあるとわかっているのに告白なんてできない。
どうして俺は現実世界の人間なんだろう。彼女はどうして現実世界の人間じゃないんだろう。
もし俺が現実世界の人間ではなかったらゲームの力は使えない。おそらく魔物に怯える一般市民として生きていたことだろう。魔法が苦手だったアレクシア様と知り合う機会なんてなかったはずだ。いくつもの奇跡が重なったからこそ、アレクシア様と知り合うことができた。それは何より幸運だったんだ。
でもその幸運もここまでだ。俺がアレクシア様と付き合うことはできない。
だから、俺はアレクシア様に告白しない。




