第五十七話 舞踏会1
不愉快と落胆を抱えたまま舞踏会の会場に入る。舞踏会の会場は広いホールであり、すでに集まった貴族たちが歓談していた。
「コミューン連合国、ロズリーヌ・ド・コミューン女王陛下。ご臨席されました」
会場の視線が一気にロズリーヌに集中する。ロズリーヌはそれに臆することなく、疲れを一切見せない穏やかな笑顔で応えた。
「ああ、なんと清楚でお美しい」
ロズリーヌの美貌に感嘆の声が耳に届く。どうやらカスタルの貴族たちはロズリーヌに対してかなり好意的らしい。ロズリーヌの連日の苦労は報われているようだ。
ただ清楚と言う言葉には同意できなかった。どちらかと言えば、ロズリーヌは活発とかお転婆だとかそういう言葉が似合う少女である。みんな猫をかぶった女王モードのロズリーヌに騙されている。ロズリーヌの本当の姿を知ったら、ここにいる貴族たちはどう思うのだろう。
会場を一望すれば、カスタルの国王陛下だけではなくヴァイクセル帝国の皇帝であるヴィクトル皇帝陛下がすでに来場している。
「これはロズリーヌ女王陛下。ご機嫌麗しゅう」
見知らぬ品のいい貴族がロズリーヌに話しかけてきた。おそらくカスタルでもかなり身分の高い貴族なのだろう。
「ロズリーヌ様。舞踏会を始める前に一言、来場した貴族たちにお声をかけていただけないでしょうか。ウィルフレッド国王陛下、ヴィクトル皇帝陛下からもそれぞれお言葉を賜る予定なのですが」
「そうですね。わかりました」
ロズリーヌは済まなそうに俺たちに言った。
「ケイオス、マエリス。今日は二人で行動してください」
無言で俺たちは頷いた。やっぱりロズリーヌは忙しそうだ。公の場である以上彼女は女王として行動しなければならない。残念だけどこれが彼女の公務でもある以上こればかりは仕方なかった。
「あっちに御馳走が並んでおるぞ!」
会場の端は料理が並んでいる。ヴイーヴルが喜色をにじませて料理の並ぶテーブルへと急ぐ。彼女に離れないように急いで側に駆け寄ろうとした。
「失礼します。もしやケイオス様ではいらっしゃいませんか」
聞き覚えのない声に呼び止められる。誰かと思い声の主を見るが、気品のある同年代ぐらいの女性でおそらく貴族の令嬢だとは思うが、あいにくと一度も会った覚えのない人だった。しかも彼女一人だけではない。取り巻きなのか、それとも友人なのかはわからないが彼女を中心として若い女性が集まっている。
誰かの取り巻きだとしたらかなり身分の高い女性がいるのかなと思い、カスタルの家臣のことを考えてまた因縁をつけられるのかと内心穏やかではいられなかった。
「その通りですが、何か御用ですか?」
早々に去りたい気分だが、無視していくわけにもいくまい。それに彼女たちはあの貴族たちの表情とはまた違った印象を感じた。例えるなら興味津々と言うような表情。
「まあ、ロズリーヌ女王陛下とご一緒にいらっしゃったから、もしやと思い話しかけてみましたが、やはりケイオス様でいらっしゃったのね!」
「このお方がこの国をお救いくださった英雄様なのですね」
俺がケイオスだとわかるやいなや、周囲を彼女たちに取り囲まれていた。え、え、と事態が把握できないうちに完全に逃げ道を失ってしまう。
「高名なケイオス様と一度お話がしてみたかったのです」
「ささ、こちらでご一緒にお話しいたしませんか?」
なんだろう、この流れクレルモンでも味わったことがあるぞ。ああ、そうだ。有名になってから熱狂的な民衆の群れの中に流されそうになったときだ。
あのときと決定的に違うのは同世代の女性しかいない。あのときは老若男女を問わない人混みの中だったから強引にでも抜け出ようと必死だった。この人たちはそこまで強引に迫ってくることはないが、逃してくれる雰囲気でもない。
それにこっちが強引に抜け出そうとして彼女たちに触ろうものならセクハラじゃないか。なまじ貴族の令嬢たちであるがゆえに、下手をすると外交問題に発展しそうで怖い。
さらに追い打ちをかけるかのように周囲の若い男性からの視線が怖かった。そりゃ若い女性に囲まれている男がいたら妬ましいのはわかる。俺だって逆の立場なら一緒のことをしたかもしれない。
だがどう見ても俺が女性たちを侍らせているのではなく、俺が女性たちに囲まれているのが真相だ。しかしそれは関係ないんだろうな。真実を知ったところで客観的な事実は変わらないというわけか。……理不尽すぎる。
きゃあきゃあと黄色い声を上げながら彼女たちは、俺がどういう人物なのか、どこの出身なのかと素性や今までの活躍について絶え間なく質問を重ねる。そりゃ興味があるのはわかったけど、ここまで聞く必要があるのかな。適当に答えてはいるが、さすがにつらくなってきた。
誰か救いの手を差し伸べてくれないかと視線をさまよわせる。ロズリーヌは貴族たちと話していて手が離せそうにない。ヴイーヴルはすでに料理にしか目が行っていない。お願い、こっちに気づいて!
どうしたものかと悩んでいると、まったく予期しないところから救いの手が差し伸べられた。
「あら、ごめんあそばせ。そこを通してくれるかしら」
俺を囲んでいたグループの外から荒々しくわざとらしい声がした。いぶかし気な表情で俺を囲んでいた女性が視線を向けると、これまた高貴な貴族の令嬢らしきグループが集まっている。
声をかけてきたのはその中の中心にいた少しきつそうな雰囲気をした少女らしい。その少女は俺と同い年というよりは、年下のようでアレクシア様と同い年ぐらいだろうか。だがどこか既視感があった。
集まったグループが通行の邪魔になっているのかなと思ったが、どうにも様子がおかしい。
「あら、申し訳ありません。ヴァイクセル帝国の方々。今すぐこの場を空けますわ」
そう言って、俺を取り囲んでいたグループは俺を引き連れてその場を離れようとした。
「お待ちなさい。私たちもそちらのケイオス様とお話ししたいの」
えっ、この子たちも? え、何、モテ期?
しかしそんな悠長なことを考えていられたのも、その少女が次の言葉を紡ぐまでだった。
「できればケイオス様を置いて、この場を譲ってくださったら嬉しいのだけれど」
――今確実に気温が下がった。それはもう氷点下に。
俺の周りにいた女性たちの笑顔がはがれ、すっと無表情になる。グループ同士の間に火花が散ったように見えた。
「これはこれは。ヴァイクセル帝国の方々は物の道理と言うものがわからないのかしら。私たちが先にケイオス様と楽しくお話ししていたのですよ。まさか後から来て割り込むだなんて、礼儀知らずにもほどがありますわ」
おほほほ、と周囲の女性がせせら笑う。けれども、その少女は一つも動じずに嘲笑で返した。
「いえいえ、私たちは親切心であなた方に忠告して差し上げただけよ。聞けばケイオス様は優れた腕を持つ聡明な魔導師。皇帝陛下ですら一目置くほどのね。そんなケイオス様との会話についていけるだけの知性が必要になるの。カスタルのお嬢様方には会話についていけるだけの知性をお持ちなのかしら。つまり同じ優秀な魔導師である私たちのほうが適任だと言うことよ。お分かり? 崇高な会話についていけず、ケイオス様に呆れられてしまうような余計な恥をかく前に尻尾を巻いて逃げ出してはどうかしら」
少女の言葉が終わると同時に、少女のグループの女性たちがくすくすと笑った。うわあ、火に油を注いでいくスタイルだ、これ。
その言葉は効果てきめんだったようで、俺の周りの女性は秀麗な顔を歪めていく。
「へえ、ヴァイクセルの貴族は面白いことをおっしゃるのね」
「いえいえ、カスタルの貴族ほどではありませんわ」
今や恨めしそうに見ていた若い貴族たちは一人もいない。それどころか別の所に視線を送っていた。
当事者にもかかわらず俺は蚊帳の外だ。しかし逃げられないように取り囲まれている。俺はどうすればいい。
女の戦いが膠着して頭を抱えていると、遠くにアレクシア様の姿が見えた。
見えた瞬間、俺は息が止まった。
アレクシア様だ。間違いなくアレクシア様なんだ。けど違うんだ。清楚な彼女に似合ったドレスであり露出も少ない。それなのにすごく女性らしさが伝わってくる。少女らしさではない。口元が輝いて見える。それで彼女は薄く化粧しているんだと理解した。しかしそういった知識に疎い自分にわかるのはそれぐらいである。たったそれだけでここまで印象が変わるものなのか。
言葉で示すならもしかするとこれが色気と言うものなのだろうか。普段の彼女には似つかわしくない言葉なのに、しっくりときてそれでいて引き込まれる。いつまでも眺めていたい吸い込まれる感覚だった。もしアレクシア様が大人になったとき、これ以上の色気を持ってしまうのだろうか。
「ケイオス様?」
不思議な令嬢たちの声。どうやら白熱していた女の戦いを中断してしまうほど、俺の呆けた顔が気になったらしい。
「いや、アレクシア様」
アレクシア様に見とれていました。という言葉を飲み込んだ。口から出ようとしたところで気恥ずかしくなったからだ。
「アレクシア様ですか? あの子は確か他の貴族と歓談しておりましたわ」
「あの子って、君はアレクシア様と知り合いなのか」
年齢は彼女と同じぐらいだとは思うが、貴族のつながりで知り合ったのだろうか。
「私は由緒正しきヴァイクセル帝国魔法学園の学生であり、アレクシア様とは友達でしたの」
どこか誇らしげに少女は言った。
魔法学園か。そう言えばヴァイクセル帝国の首都であるシュトルブリュッセンには貴族の通う魔法学園があるらしい。
しかし思い返してみればアレクシア様から魔法学園のことなんてほとんど聞いたことがないぞ。
「……アレクシア様ってどんな生徒だったの?」
気になったので少女に問いかける。その少女は喜色を満面に出して自分から語りだした。アレクシア様がこちらに気づきこちらに向かってくる。どうやら少女はアレクシア様の存在に気づいていないようだ。
「それはもう魔法学園始まって以来の天才として学園に在籍する教師や生徒たち全員から一目を置かれていたのですよ。みなアレクシア様を手本としておりましたわ」
アレクシア様の足が止まる。
「ただ彼女は内気なところがありますの。ですから彼女が学園生活を楽しめるように私が彼女を引っ張っていたのですよ」
アレクシア様の顔が引きつっていく。友達が自分のことを話題にしている恥ずかしさという雰囲気ではない。
「……へえ、優しいんだね。君は」
「そんなことはありませんわ。友達として当然のことですもの」
アレクシア様は笑顔だ。だがいつもとは違う。無理矢理形を変えたような固い笑顔なんだ。まるでその笑顔は笑顔じゃなくて、じっとなにかを耐えているようなそういう無理をしている表情。そんな彼女が仮面をつけたまま、悲鳴を上げて必死に助けを求めているように思えた。
その顔を眺めていると胸がきりきりと締め付けられていく。痛くてたまらない。
少女に改めて視線を向ける。たくさんの女性に囲まれて焦っていた上にちゃんと見ていなかったこともあったが冷静に見れば、この少女が着ているドレスは後姿だけど舞踏会の会場の前で会った集団に居た少女と同じだ。声もよく聞けば同じ。周りの取り巻きも何人か同じ面子がいるようである。既視感の正体はこれか。
学園、内気。パズルのような会話の断片からそれに思い至ったとき、かちりとピースがはまった。
ああ、こいつら。アレクシアをいじめていたのか。
誰もアレクシアを、アレクシアの変化に気づいていなかった。この連中は誰一人としてアレクシアを助けようとはしない。
現実にこんなタイミングで助け出すヒーローなんてのはいない。
だがこの世界は違う。例え偽りでも、目指している途中の見習いだとしても、英雄がいるのだから。
だから彼女に救いの手を差し伸べなければならない。
いや、そんな義務感じゃない。もっとシンプルな理由だ。
俺はこんなくそったれな状況からアレクシアを救いたいのだ。
「ケイオス様、よろしければあちらでお話しでもいかがですか」
「……もういい」
「えっ?」
「もうたくさんだ」
はっきりと敵意を込めてにらみつけた。
「……ケ、ケイオス様?」
「本当にアレクシアの友達か?」
「え、ええ。その通り」
「だったらなんでアレクシアがあんな悲しそうな笑顔になる⁉」
戸惑う少女の言葉を遮り、畳みかける。このとき初めて彼女たちはアレクシアの存在に気がついたようだった。
「笑わせてくれる! 学園ではいじめていた上にさっきまでアレクシアの陰口を叩いていた奴らは断じてアレクシアの友達なんかじゃない!」
怒号に彼女たちは黙り込む。
「通してくれ。この場にいるのは不愉快だ」
俺の剣幕に押されたのか、取り巻きにいた女性たちはすんなりと道を開けてくれた。
「せ、先生?」
目を見開いているアレクシアの手を握る。困惑するアレクシアの言葉を受け流しながら、俺はアレクシアの手を引いて彼女とともに会場から離れた。
足早に会場から離れた人気のない場所へと出た。いっそのことこのまま舞踏会には出ないでそのまま部屋に戻ってしまおうか。
「先生、先生! どうしたのですか?」
「どうもこうもないよ」
ぶっきらぼうに返す。あんな不愉快なことを思い出したくはない。
「痛っ」
悲鳴を上げたアレクシア様へと顔を向けると、彼女は腕を押さえていた。どうやら自然と力が入り、腕に込めた力が強すぎたらしい。
俺は足を止め、手を離した。
「ごめん。アレクシア様」
「いえ、私は大丈夫ですから」
乱れてしまった髪を整え、アレクシア様は俺を安心させるよう気丈に振舞い笑った。何をやっているんだ、俺は。
「会場に入る前にあいつらとすれ違っていたんだ。顔は直接見てなかったけど、会話の内容だけ聞こえた。そこでアレクシア様をいじめていたって話を聞かされたからさ。そのくせ友達とか言って、ついかっとなって感情的になってしまった」
頭を下げる。
「頭を上げてください。……少し話をしませんか」
顔を上げると彼女はゆっくりと語りだした。
「ヴァイクセル帝国を建国された初代皇帝とその偉業を支えた貴族たちが魔導師であったことから、ヴァイクセル帝国の貴族はみんな魔導師なんです。私も幼いころから魔導師の勉強ばかりしていました」
アレクシア様の生い立ちの話か。彼女がヴァイクセル帝国の有名な貴族のお嬢様であることぐらいしか俺は知らない。
「でも私はヴァイクセル帝国で教えられている魔法を苦手としていました。覚えていますか? 初めて出会ったときのことを。覚えている魔法は初歩の魔法である『マナボルト』だけ。しかもそんな初歩の魔法ですら大した威力もない出来損ないだったんです。魔法の実力が重視されるヴァイクセルの貴族社会でそれは致命的な欠陥。両親は私のことを見離して存在がないかのように扱っていたのです」
魔法ができないっていう理由だけでアレクシア様の存在を無視するなんて、そんなあっさりと家族の情を捨て去ることができるのか。
俺はただただ困惑していた。俺の両親は例え息子が勉強できなくても叱りはしても見捨てはしないだろう。価値観の異なる現実世界とこの世界を同一視してはいけないのだろうが、アレクシア様の両親の考えが俺には理解できなかった。
いや、この世界でもヴァイクセル帝国の価値観と言うのは珍しいのだろう。ヴァイクセル帝国特有の貴族社会にはびこる歪み。その真っただ中に彼女はいたのだ。
「辛くて苦しくて、それでも諦めきれなくて。だから必死に魔法の勉強に励みました。けれども知識を蓄えることができても実力は変わらず、何の解決にもならなかった。それは私が魔法学園に行っても続きました。勉強には自信がありましたが、実技は相変わらずでしたから。周囲から見下されるのに時間はかかりませんでした」
過去を語るアレクシア様はいつもの明るいアレクシア様とは程遠かった。ひどく儚くて消えてしまいそうな。そんな彼女を見ると胸がとても苦しくなる。
「周囲から見下されているのに友達なんて一人もいません。ましてや友達だなんて大嘘です。あの人は私をいじめていた人なのに、私が聖女と呼ばれるようになったらすぐさま手のひらを返して友達とのたまっているんです。知っていますか、私は『才無し』って呼ばれてさげすまれていたんですよ。あのとき支えてくれたのはイレーヌただ一人。彼女がいなければ私は主として気丈に振舞うこともできず、心が折れていたでしょう」
やはりあの少女はアレクシア様の友達ではなかったか。アレクシア様が助けを求めていたと思えたのも、あの少女がそれだけの仕打ちをしても平然と嘘をつくから傷ついていたのだ。
アレクシア様は孤独だったんだな。イレーヌさんという存在がいたけれど、イレーヌさんは実の両親にすら見捨てられたアレクシア様にとって家族のような存在である。
「そんなときでした。先生と出会ったのは。あのとき『才無し』の自分が、冒険者の魔導師である先生にどれだけの羨望と嫉妬を抱いていたか。そして先生がそんな自分を見て他の人たちと同じように失望して嘲笑するのではないかと不安だったのです」
アレクシア様と初めて会ったときか。あのとき俺は彼女のことを初心者プレイヤーだと思っていた。そして彼女はパラメーターの設定を誤ったから魔法の威力が低く、魔物を倒せなくてゲームを楽しめなかったから暗い表情だと思っていたっけ。
あれはそういう意味だったのか。
「でも、先生は違った。私に新しい道を示してくれた。他の誰もが匙を投げてできなかったことを先生はいともたやすく成し遂げて、私を決して見捨てはしなかった。私がそれでどれだけ救われたか。いくら先生でもそのときの私の気持ちはわからないでしょう」
家族にも見放され『才無し』だと馬鹿にされてきた彼女の気持ちを完全に理解することはできない。でも先ほどまでの物憂げな表情から一変して、明るいいつものアレクシア様の笑顔に戻った。
俺はこの世界のことをずっとゲームだと思い、取り返しのつかないことをいっぱいしてきた。すれ違いからアレクシア様と死闘を演じたこともある。それでもアレクシア様からすれば救われたと思ってくれるのか。
「救ってくれたのは先生であり、支えてくれたのはイレーヌです。それなのに友達だと騙る彼女の気持ちはわかりません。本当はすぐにやめて欲しかった」
「ならどうして否定しなかったんだ?」
「それは……。先生には。先生だけには知られたくなかったからです」
打ち明けたくなさそうに苦しそうにアレクシア様は顔を歪めた。
「私の人生は魔法しかなかったんです。魔法の勉強ばかりで他の何も顧みなかった。イレーヌがいなければこうして着飾ることもできません。流行には疎いですし、同世代の同性と何を話したらいいのか思いつきませんよ。学生時代に友人の一人もいないことも恥ずかしくて穴があったら入りたい気分です。昔ならほとんど気にならなかったのに不思議ですよね」
アレクシア様は自嘲した。
「でもそれは恥ずかしいというだけです。もちろんあまり知られたくはありませんが羞恥で済みました。それよりも友達とのたまう彼女を見て、激しく嫌悪してしまう醜い自分を隠していたかった。『才無し』と私を呼ぶ人たちに対して憎悪の念を抱いていた自分を見せたくなかったんです」
先ほどとは打って変わってアレクシア様の表情から感情が抜け落ちている。
「必死に隠したつもりなのに、先生には分かってしまうんですね。先生が心の底から激昂されて、私をあの場から連れ出してくださったときは嬉しかった」
アレクシア様は腕を組んだ。まるで不安から身を守るような仕草だった。
「けれど、それと同時に怖いんです。先生にこんな醜い私を知られてしまった。先生に私は嫌われてしまうのではないかと」
何を馬鹿なことを、と俺は思った。けれどもアレクシア様の表情を見て彼女が本当にそう思っているのだとはっきり理解した。彼女の表情はとても青ざめていて、いまにも倒れそうなぐらいに華奢な体を支える力さえ失っているようだ。
「それはないよ。俺がアレクシア様を嫌いになることはない」
怖くて震えてしまうほど怯えているアレクシア様。でも俺がそんな彼女を嫌いになれるわけがなかった。
俺はこの世界で英雄と呼ばれている。けれどそれは多くの勘違いが重なった結果によるものが大きい。そして今も誤魔化し続けている。
偽物の英雄でしかない、だからみんなが言う英雄になろうと目指している。
「俺も変わらないよ。俺だって人を憎みもするし、嫌いもする。理不尽な八つ当たりだってするし、アレクシア様に言えない後ろ暗いこともたくさんあるよ。清廉潔白なんて程遠い。……幻滅したかな」
アレクシア様は首を横に振った。ずるい聞き方だと思った。論議のすりかえなのはわかっている。彼女は他人にそれを知られたくなかったのに、他人も同じ感情を持っていると同調させて誤魔化しているようなものだ。
「アレクシア様が俺を嫌いにならないように、俺はアレクシア様のことは嫌わないよ」
アレクシア様は納得しきれていない様子ではあったけれど、それでも少し不安が解消されたようにぎこちない笑顔のままだった。
「あーあ。先生って呼ばれるからには自虐的なことをアレクシア様には知られたくはなかったかな」
苦笑交じりにおどけて肩を落とす。
「私の知らない秘密があるのですね」
「そうだな。いろいろあるよ」
「そう、ですよね」
アレクシア様は思案顔をすると、何か決意のこめた目で俺を射抜いた。
「先生、私の疑問に答えていただけませんか?」
「疑問?」
「どうして先生の瞳の色はヴァイクセルにいたときと変わっているのでしょうか?」
予想外の触れられたくない質問に俺は言葉が詰まった。そんな俺の思いをよそに彼女は矢継ぎ早に質問を浴びせる。
「先生には私が転職する前に転職について教えていただきました。その際、二次職は一度決めると変えられないとおっしゃっていました。でも個人の適性に合わせた二次職へと転職したのに、ヴァイクセルで転職したはずの先生はなぜコミューンで再び転職ができたのですか? そして『サンダーストーム』はどうして使えなくなってしまわれたのですか? 他にもいっぱい聞きたいことはあるんです」
アレクシア様と会ったときはオープンβテストのころである。あのときアバターのデータは初期化され、設定したアバターの瞳の色を間違えていた。そして正式サービスが開始されたときに、再びアバターが初期化されている。正式サービス以降はアバターの色を元に戻したため、アレクシア様と再会したときと今とでは瞳の色が違っていたのだ。
二次職に再び転職できたことも、アレクシア様と会ったときに『サンダーストーム』が使えなかったのも同じ理由である。アバターの初期化によってレベルが1に戻り職業も二次職ではなく一次職へと戻った。そのあとで再び二次職に転職するまでレベルを上げて転職し直しただけだ。そしてアレクシア様に再会したころはまだ二次職に転職できるだけのレベルに達していなかっただけである。
どれもゲームに関わる秘密であり、それを知らないアレクシア様には答えにくい質問だった。今になってそんな疑問をぶつけてきたのも彼女はずっと疑問に思っていたけれど、あえて聞かなかったのかもしれない。
アレクシア様はじっと問い詰めるように俺を凝視している。もう彼女に真相を打ち明けるしかないのだろうか。
答えが出せないまま迷っていると、アレクシア様はふっと表情を緩めた。
「どうやらこの質問は先生を困らせてしまうようですね。すみません。きっと私にも打ち明けられない事情がお有りなのでしょう」
残念そうで寂しそうなアレクシア様の表情を見ていると、申し訳ないという罪悪感が湧き上がってくる。
「でも、いつか。先生の秘密を打ち明けてくださいね。私はもっと知りたいんです、先生のことを」
苦笑交じりにそう言う彼女に俺は返事ができなかった。
何とも言えない空気の中、会場から演奏が聞こえて来た。アレクシア様は俺にすっと手を差し出す。
「せっかくあれだけ練習したのですから、一度も踊らないのはもったいなくありませんか? 戻って一緒に踊りましょう」
アレクシア様の顔と手を交互に見たあと、すっと彼女の手を握った。彼女とのつながりが切れないように。少しだけ力を込めて。




