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第五十四話 マウクト再訪

 洞窟の中は(しょく)(だい)の炎の頼りない光で照らされている。通気性が悪いせいかじめじめとしており、空気がひどく淀んでいた。平たく言えば動物の放つ異臭が鼻につく。黒いドレスを着た少女はたまらず顔をしかめた。


 何度もこのような場所に足を運びたくはないが少女はこのまま帰るわけにはいかない。少女は鼻をつまむことを耐えた。


 少女の目の前には、少女の数倍もある大きな巨人がどっかりと胡坐をかいて座っている。単眼の巨人は少女にぎろりと目をやると面白そうに嘲笑(ちょうしょう)した。


「これはこれは。このような場所に珍しい客人だ」


 一触即発というほどではないが客人を歓迎するような雰囲気ではない。少女はそれでも気にしていない様子だった。


「ええ、こんなところになんか来たくはないけどね。でも用事がある以上仕方ないわ」

「それで何しに来た?」


 早々に立ち去れと言わんばかりにぞんざいな言葉を少女に投げる巨人。だが少女は眉一つ動かさなかった。


「すでに知っているんでしょ。カスタル王国、ヴァイクセル帝国、コミューン連合国で起きたことを」

「人間の国か。……お前も含め、ことごとく人間に敗北しているそうじゃないか。しかもお前に至ってはお前の配下のものが二度敗北したと聞いているぞ」


 腕を組んでいた少女は細い腕に爪を立てた。長袖のドレスゆえに布地が歪む。

 圧迫感でその場の空気が押しつぶされそうな濃密な怒気が少女から発せられる。それを心地よさそうに巨人は受けていた。


「私たちの計画を邪魔している相手のことは知っているの?」

「人間の魔導師と聞いている。千の魔物を雷で灰塵(かいじん)にし、巨大なゴーレムですら凍りつかせるという凄腕の魔導師だとな。そいつは本当に人間なのか?」

「さあね、私も疑問に思うけれど、その人間が主と同じ『あの世界』の来訪者であることが原因じゃないかしら」


 単眼の巨人は無言になる。彼らの主と同じ世界の人間。主も圧倒的な力を有しているが『あの世界』の来訪者はすべてこのような実力者ばかりなのであろうか。


「主はそのことを御存じなのか?」

「もちろん強く進言したわ。障害になりそうな相手をつぶしておくべきだと。でも、その上で私たちには何も指示が与えられていないわ」


 巨人はわずかに目を吊り上げた。


「……つまりその人間に手を出さないことが主の御意思ではないか?」

「いえ、それはないわ。おそらく取るに足らない存在とお考えなのではないかしら。主からすればみな等しく塵芥(ちりあくた)のようなものだから。それにあのお方もお忙しいのよ。お手を(わずら)わせるべきではないわ」


 主はやるべきことがあり手が放せない。基本的に人間との戦いは彼女たちに一任している。もっとも少女は完全に納得したわけではないようだ。


「主はそうでも私たちは無視できない。人間の反抗は許容できても、ここまで人間たちに被害が少ないのは予想外だもの。大元の計画さえ狂ってしまう。いい加減目障りなのよ、あの来訪者――ケイオスってやつは」


 カスタル王国、ヴァイクセル帝国、コミューン連合国。彼らが襲撃した所を的確に妨害してくる来訪者。主にとって取るに足らない存在であり無視できるのかもしれないが、魔物たちは違う。エルダートレント、グリフォンとライノス、そして吸血鬼とマウンテンゴーレム。いずれも来訪者と人間たちに討ち取られてしまっている。


「それに暴竜ヴイーヴルがケイオスに力を貸したわ」

「暴竜ヴイーヴルか。そいつは厄介だな。ドラゴンどもも再び人間に味方するか。……ならばエルフやドワーフや獣人たちももしや人間たちに肩入れしているのか?」

「今の所、他のドラゴンが姿を現してはいないようね。種族として人間に協力しているのではなくヴイーヴルの独断でケイオスに協力しているようだわ。昔と違ってエルフやドワーフ、獣人たちは数が少ないそうよ。少数になった種族は人里離れた場所で暮らしているらしいわね。あのことが現代まで伝わっていたら、他種族が人間に力を貸すとは思えないけど、それでもドラゴンが人間に協力する可能性は否定できない。それは脅威よ」

「神話時代の完全な再現とはならないか」


 邪神と他の神々が争った神話の時代と違って、人間は増え、他種族がことごとく減ってしまい細々と暮らしている。人間を中心とした他種族が連合を組まれてしまっては厄介だが、現状それは有り得ない。


 巨人は残念そうな表情を浮かべた。野蛮(やばん)で粗野ではあるが強者と戦いたい願望が強い巨人にとって、敵が弱体化していることはあまり好ましくない。少女も強者は嫌いではないがそれはあくまで敵対していない相手に限る。戦いでは一方的な殺戮(さつりく)を好む少女からすれば、その巨人の嗜好(しこう)はとても共感できない。


「それで、カーミラ。お前は俺に何をさせようとしている。我らとそのケイオスという輩を戦わせようというの

か」

「あいつを力押しで倒すとなると総力戦になるわよ。主の許可を得ていない以上、大っぴらに動くわけにもいかない。それに来るべき人間との決戦ならともかく、現時点ではなるべく戦力の損耗(そんもう)は避けたいわ」


 少女カーミラの目が鈍く光る。


「ケイオスが人間に力を貸していることが問題なの。ヴイーヴルが人間たちに力を貸しているのもあくまでケイオス個人によるもの。ならばケイオスと人間のつながりを断ってしまえば、今後の計画にも支障がなくなるわ」

「つまり奴らを分断してしまおうと言うのか」

「そういうこと。ケイオスに対する信頼を失墜させて孤立させるの。ケイオスのことを信頼できなくなった人間は彼のことをどう思うのかしら。きっとケイオスの力を頼りに出来なくなる。彼を監視下に置くでしょうね。自由に動けなくなるはずよ。今まで散々助けて来たのに手のひら返しよね。そうなったときケイオスは人間のことを信頼することができるのかしら。無心で彼らを助けることができるのか見物だわ」


 カーミラは巨人が姑息な手段に不快さをにじませた反応を見せるかと思ったが案外冷静な反応だと思った。それが顔に出ていたのか、巨人は笑って理由を話す。


「何、回りくどいことはせずに人間の国を攻めればいいだけのことだと俺は思う。不満があるのも当然だろう。しかしお前は気にくわないところもあるが、主に対する忠誠は確かなものだ。主の邪魔をする輩は俺にとっても敵。我らの計画を邪魔し主に関係するのならば無碍(むげ)にはできないな」


 つまるところカーミラの要請に協力する気はないが、あくまで主のためになるから要請に応えたということ。

 もともと協調性のない魔物同士がこうして種族を違えて協力すること自体珍しい。ひとえに彼らにとって絶対的な存在である主の存在が、彼らにわずかばかりの譲歩を引き出したのだ。


「だがケイオスの信頼を失墜させるなど具体的にはどうするのだ?」

「ちゃんと説明していなかったわね、悪かったわ。あんたの配下にいるあいつを人間の国に潜入させたいの」

「……あれをか? お前には眷属がいるから必要ないだろう。そいつらを使ったほうが確実だろうに」

「人間だって馬鹿じゃない。一度使った手は簡単に通じないし学習しているみたいね。あの来訪者の入れ知恵だと思うけど、すでに吸血鬼の正体を見破る対抗策を立てたみたい。城壁のある街の中に侵入するのは難しそうよ。コミューンで増やした眷属の大半は人間にやられてしまったもの。おかげで情報を探るのも一苦労よ」

「ほう、実力だけではなく頭も回るか。そのケイオスという来訪者は」

「ええ、本当に厄介だわ。だからこそ今まで後手に回らざるを得なかったんだけど。でもいくら来訪者であっても人間。むしろ来訪者であるがゆえに致命的な弱点を抱えているわ。そこをつかせてもらう」

「なるほど、戦えないのは少々惜しいがそこまで脅威ならば仕方あるまい」


 要領を得た巨人は凶暴な表情へと変えていく。強者との戦いに気分が高揚しているのだろう。


「だがあの暴竜ヴイーヴルの鼻を掻い潜れるのか? あの暴竜ならば気づくかもしれん。あの魔物ではヴイーヴル相手に歯が立たんぞ」


 ドラゴンの感覚は鋭い。この世界の種族としても最高峰に入る。魔物の臭いを嗅ぎ分け捉えることなど造作もない。

 だがカーミラとてドラゴン相手に無謀にも直接戦えと言うつもりはない。今回に限っては勝算があった。


「大丈夫よ。眷属たちの情報によると今度ヴイーヴルとケイオスは別行動をとるみたいだわ。いくらヴイーヴルが速く飛べると言っても限度があるもの。その間に成功させれば問題はないわ」


 それにあくまで戦闘が目的ではない。ヴイーヴルと離れているときが絶好の機会だ。


「なるほど。ではどこに送ればいい?」


 問いかける巨人にカーミラは不敵な笑みを浮かべて返事をした。


「カスタル王国のマウクトという場所よ」



 ***



 カスタル王国、王都マウクト。


 この王都に来るのは久しぶりだ。クローズドβテストのころに訪れたこともある。もう半年も前か。なんだか遠い昔のように思える。


「ふーん、ここがマウクトか。クレルモンと変わらんもんじゃのう。いや若干こちらのほうがクレルモンに比べると古い建物が多いか」


 馬車の窓から外を覗いて彼女がつぶやいた。


 コミューン連合国はカスタル王国やヴァイクセル帝国の侵略を恐れて、複数の国が連合し一つにまとまった国なのだそうだ。クレルモン自体も建国以降に首都になったのかもしれないから、必然的にカスタル王国の首都よりも歴史のある建物は少ないかもしれない。だが俺にはどちらがより古い建物か判別できなかった。


「あれは何をしているんだろうな」


 城門の外には人々が兵士の前に並んでいる。検問かなにかだろうかと思ったが、兵士はその人たちに何かを鼻先に突き付けられていた。俺が不思議そうにしていると彼女が目を細めてうんざりした口調で答えた。


「おそらく吸血鬼対策じゃの」

「吸血鬼対策?」

「魔物は人間よりも鋭敏な感覚を持っている。視覚、聴覚、そして嗅覚もな。そのため人間では嗅ぎ取れない臭いも魔物ならば嗅ぎ分けることができる。それを利用して旅をする際には魔物の襲撃を受けないようにするために魔物が嫌う臭いを発する草を所持することがあるそうじゃ。そうすることで魔物が近づかぬようにな。兵士の持っているのはその類じゃろう。人間には少し臭う程度で済むが、魔物にはとんでもなく臭い。鼻先にまで近づけられたら顔を歪めてしまうほどにな。それは吸血鬼も同じ。それで人間になりすました吸血鬼を判別しようとしておるのじゃろう」


 俺ならマップ機能を利用して相手が魔物かどうか判別することができるので人間の姿をした吸血鬼も判別できるが、この世界に住む人間はそんな機能は使えない。吸血鬼は最近まで活動していなかったらしく、あまり一般に知られていなかったと聞いていたのに、すでにその対策はされているようだ。


 だがコミューンの被害を考えると、人間の姿と変わらない吸血鬼たちを危険視して対策を立てるのは当然か。


「しかし暇じゃのう。馬車とはこんなに退屈なものなのか? もっと早く飛ばせばいいのに」

「街中だからな。飛ばすわけにもいかないだろ」


 初めのうちは人型になって乗り物に乗るという行為を楽しそうにはしゃいでいたが、馬車の中の狭い空間に閉じ込められてしまうと早い段階で飽きたようだ。


「こんなに時間がかかるなら飛んで行きたかったのう」

「無茶言うなよ。ここは他国なんだし、この間みたいに大騒ぎになっちゃうじゃないか。コミューンは女王であるロズリーヌのような理解ある人間がいたけれど、カスタルにはそんな人間ばかりとは限らないしさ」

「だって、クレルモンに一人だけ残るほうがつまらないんじゃもん」


 ぐずる彼女をなだめる。

 はあ、結構マイペースだよな。ヴイーヴルって。


 ドラゴンであるはずのヴイーヴルが何故俺と一緒に馬車の中に居るのか。そして何故カスタル王国の首都であるマウクトに来ているのか。これはゴーレムを倒してしばらく経ったクレルモンでの出来事を話さなければならない――。




 マウンテンゴーレムを倒した後、本国に帰るオリバーさんと別れ、俺たちはクレルモンへと帰還した。

 ヴイーヴルも俺と一緒でクレルモンに行くことになった。しかし、ドラゴンのヴイーヴルの巨体では王宮に入ることなどできない。だからヴイーヴルは王宮から離れた空港にいる。この世界の空港は飛行機の代わりにドラゴンを利用した交通機関の一つだ。

 クレルモンにある空港の一部を借りて、そこでヴイーヴルは生活していた。


 空港はいつもより兵士が集まっている。猫の子一匹侵入できるような状態ではない。


「来たか」


 俺たちが現場に着くとすでにロズリーヌが到着していた。


「それでヴイーヴルの様子は?」

「見たほうが早い。こっちだ」


 ロズリーヌに引き連れられて、ヴイーヴルがいる場所へと急ぐ。

 ヴイーヴルの姿が視界に入った。傍目からは彼女はただ寝ているようにしか見えない。しかしいつもならば誰かが近づけば起きて話しかけてくる彼女の声は聞こえず、首どころか身動きひとつなく眠ったままだ。


「ヴイーヴル?」


 わずかばかりの期待を込めて話しかけるが返答はない。……考えたくはないがまさか死んでしまったのか?


「ヴイーヴル!」


 今度は強く彼女に呼びかけ、彼女の体に触れてみた。いつもと違い、ひんやりと肌は冷たく温かみを感じない。まるで生気を失っているようだ。そしてやはり反応はなかった。いよいよただ眠っているわけではないと実感させる。


「いったいどうしてこんなことに……」


 昨日まで元気な姿を見せていたヴイーヴル。突然生きているか死んでいるかわからない状態を見せつけられ、何が何だかわからなくなる。

 ロズリーヌは近くにいた兵士を呼びつけて問い質した。


「昨日のヴイーヴル殿の異変に気づいたものはいないか」

「いいえ、昨晩は特に変わった様子はありませんでした。いつもならば早朝には起床されているヴイーヴル様が昼になってもお目覚めにならなかったので、不審に思い調べたところ眠りにつかれたまま身動き一つされなかったのです。ただの睡眠とは違うと判断し報告しました。不審な人物が近づいた形跡もありません」


 空港にいるドラゴンよりも巨大で野生のドラゴンであり、人々から恐れられている。だからそんなドラゴンに接触する人など限られている。その限られた人の中にヴイーヴルを害するような不届きな輩はいない。


「そうだ、ヴイーヴルはマウンテンゴーレムと戦ったとき殴られて何度か吹き飛ばされていた。もしかすると当たり所が悪かったのかもしれない」


 ロズリーヌの顔色が青くなる。


「まずいな。法術師はいるがドラゴンを治療できるのか?」


 ヴイーヴルの容体を見る法術師――回復魔法を使えるヒーラーは難しい顔をしている。

 この世界の医療レベルはどのぐらいなんだろう。魔法がある分、外傷を治す技術は現実世界よりもある意味上回っているかもしれないが、体内の、例えば脳の出血となるとこの世界の技術で治療できるのかわからない。

 ましてや人間ではなくてドラゴンの体だ。獣医でもない医者が動物を診察するようなものであり、あまりにも人体と異なるために勝手が違い過ぎる。手の施しようがあるのだろうか。


「それでどうだ? ヴイーヴル殿の容体は」


 法術師にヴイーヴルの容体を問いかけるロズリーヌ。


「申し訳ありません、陛下。やはりドラゴンの体は人間とは違い、我々ではヴイーヴル様の身に何が起きているのか皆目見当がつきませぬ。ですがヴイーヴル様は生きていらっしゃいます」

「それは真か」

「ええ、微弱ですが心音があります。おそらく深く眠っている状態かと」


 ヴイーヴルは生きている。それを聞いて少し落ち着いたが、楽観するわけにもいかなかった。眠っているだけにしてはいくら騒がしくしても目を覚まさない。


「眠っているだけか……。まさか冬眠とか? 最近寒くなってきたし」


 ヴイーヴルの外見からトカゲを連想して、冬眠のことを思い出した。ドラゴンもそんな性質があるのかとロズリーヌに確認する。


「魔物の中には冬眠するものもいるそうだが、ドラゴンはどうだろう。竜便で利用されているドラゴンは冬眠しないからな。もっともドラゴンの種類によって生態に違いがあるかもしれないから、絶対とは言い切れないが」

「わからないか。でも冬眠するなら、本人が事前に冬眠することを伝えるよな」


 前日にヴイーヴルと会ったときは普段通りだった。もし冬眠するなら一言、俺たちに伝えていてもおかしくない。


「だとすると、ヴイーヴル殿もこのことは予想していなかった?」


 ロズリーヌがそんな物騒なことを言い始めた。


「まさか誰かの手によって無理矢理眠りにつかされたってことか?」

「そこまでは言わない。だが可能性は否定できん」

「そんな……、ヴイーヴルを眠らせて何の意味があるんだ?」


 だいたいヴイーヴルを恐れて近づく人間はいなかったのだ。ヴイーヴルを害するなんてとんでもないことをしでかすとは思えない。


「例えば魔物だ。魔物とヴイーヴルは敵対している。魔物がここで何か企んでいるなら、ヴイーヴルの存在は目障りだ。だから薬か何かで無理矢理眠らせたんじゃないか?」


 ヴイーヴルは邪神がいた時代から魔物と戦っていたみたいだし、魔物に狙われても不思議ではない。特に吸血鬼の残党だったら、ヴイーヴルの存在は厄介だ。ヴイーヴルはハーフエルフやエルフの細かい判別すらできる。吸血鬼が人間にまぎれようとしても、ヴイーヴルなら気がついてしまうかもしれない。


 でも同時にそれは有り得ないとも思った。


「もし魔物が犯人だとすれば、ヴイーヴルのことを眠らせるだけで済ませるか?」


 厄介ならば眠らせるよりも殺してしまったほうが後々のためにも都合がいい。いくらヴイーヴルが強いとしても眠らせることができたのなら寝首をかくことはそう難しいことではないと思う。でもヴイーヴルの肌は傷一つついていなかった。


 それにヴイーヴルの嗅覚(きゅうかく)は鋭い。魔物が容易に近づくことはできないし、ましてや彼女に薬を盛るなど至難の業だ。


 ロズリーヌもそれ以上言葉を続けなかった。もともと確信があったわけではないようだ。


「とにかく原因がわからない以上、空港を封鎖して様子を見るしかないな。ドラゴンに詳しい人物か文献を当たるしかない」

「ドラゴンに詳しい人物か文献か」


 ドラゴンについて詳しいことは知らず、ゲーム知識も役に立たない。この世界の文献はロズリーヌに任せるしかない。ドラゴンに詳しそうな人、知り合いに誰かいるだろうか。


「そうだ、アレクシア様なら何か分かるかも」


 アレクシア様は一度ヴァイクセル帝国に帰還したが、皇帝の命を受けて再びクレルモンに滞在している。


 アレクシア様は博識だ。この世界の話をする際の彼女の知識量には舌を巻く。俺は攻略サイトなどから知り得た知識だが、彼女は独力で勉強している。ならば俺が知らないようなドラゴンの生態についても詳しく知っているかもしれない。


「アレクシア殿か。……ケイオス、アレクシア殿に聞きに行ってはもらえないか?」

「わかった、行ってくる」


 アレクシア様は一度報告のため帰国したあと、再びクレルモンに戻ってきている。アレクシア様の元へ向かう途中、衛兵が慌ただしくかけていく。何かあったんだろうか? ヴイーヴルのせいか?


 兵士たちの行動を疑問に思いながらもアレクシア様の部屋に到着すると、入り口でメイドさんと出会った。


「ケイオス、何か用か?」


 ただのメイドさんかと思ったら、少し物騒なものを持っていた。レイピア。それでそのメイドさんがイレーヌさんだと気づく。


「イレーヌさん、どうしてそんな恰好を」

「もともと私はアレクシア様の身の回りのお世話をさせていただくことが本業だ。むしろこちらの服でいることのほうが多いんだぞ。今回のクレルモンの滞在は長期になる。だから帰国した際に侍女服も持ち込んだんだ」


 イレーヌさんは蹴りとレイピアを使った速い動きで戦う人だ。スカートが長くどう見ても動きにくそうなメイド服でもイレーヌさんは戦えるのかなと馬鹿げたことを考えてしまう。ゲームでも女性専用の防具でメイド服のような衣装もあったからだ。

 変なことを考えていたのがばれてしまったのか、じろりとイレーヌさんににらまれる。


「あくまで護身用だ。いざとなれば使うが、この格好で戦ったらいろいろ見えてしまうではないか。……まさかそれを期待しているのか、変態め」

「ごめんなさい」


 素直に謝る。メイド服の質はよさそうだが、さすがに戦うには不向きだろう。

 イレーヌさんはかすかに笑った。どうやら彼女なりの冗談だったようである。


「それで、そんな馬鹿な話をしにきたわけではあるまい。何があったのだ?」

「アレクシア様に聞きたいことがあるんだけど、アレクシア様は部屋にいるかな?」

「もちろんいらっしゃるぞ。アレクシア様、ケイオスが来ております。いかがいたしますか?」


 イレーヌさんが扉越しにアレクシア様にお伺いを立てる。


「先生が? す、少し待ってください。……ええ、どうぞ」

「アレクシア様、実はヴイーヴルの、ドラゴンのことで聞きたいことがあるんだ」


 少しはにかんだアレクシア様に俺は用件をかいつまんで伝える。一通り用件を聞き終えた後は真剣な顔でアレクシア様は考え込んでいた。


「ヴイーヴル様が眠ったまま目を覚まさないのですか……」

「うん、アレクシア様ならもしかするとドラゴンのことを知っていないかと思って聞きに来たんだけど、何が原因かわかるかい?」

「いえ、残念ですが私にも思い当たりません。少なくともドラゴンがそのように眠り続けることがあるなんて聞いたことがありませんね。伝承にもそのような話はなかったと思います」


 参った。アレクシア様でもわからないのか。


「そもそもヴイーヴル様ほどの上位種のドラゴンが病に倒れるとは聞いたことはありません。不死というわけではありませんが生命力の強靭なドラゴンが、たやすく病にかかるとは考えにくいのです。それでも病にかかったとしたら未知の病かもしれません。ですが未知の病となるとさすがに私では……」

「未知の病か。そうだとしたらお手上げだな。でもドラゴンの生態に関係がないことと病以外の可能性があるとわかっただけでも助かったよ」

「しかし歴史や魔法にお詳しいのに、先生でもわからないことがあるんですね」

「買いかぶりすぎだよ。いっぱいあるぞ。俺の知らないことぐらい」


 俺が知っていることと言っても大半がゲームをやっていれば自然と身につく知識とか、攻略サイトなどの受け売りである。正直誇れるようなことじゃなかった。むしろそうした攻略サイトに頼ることなく多岐(たき)にわたる知識を有しているアレクシア様のほうがよほど博識だと思う。


 当てが外れ、振出しに戻った。さてどうしたものか思い悩んでいると、アレクシア様はイレーヌさんの姿を見て怪訝(けげん)な表情になる。


「それにしてもイレーヌ、どうしてレイピアなどを持ちだしているのです? 侍女の仕事にそれは不必要だと思いますが」

「アレクシア様の護衛のためです。実は王宮内に泥棒が現れたようなのです」

「泥棒? 一大事じゃないか!」


 ヴイーヴルのことでも手一杯なのに、泥棒騒ぎだなんて。さっきの衛兵の慌ただしさはそれが原因か。


「物騒ですね。それで何を盗まれたのです?」


 王宮に忍び込んだんだ。それこそ国宝なんかを盗んだんじゃないだろうか。イレーヌさんは微妙な顔をして答えた。


「それが使用人の作ったスープに手をつけたようでして、犯人を捜しております」


 一瞬静寂が落ちる。わざわざ王宮に忍び込んで盗ったのがスープ? 何かの冗談かと耳を疑ったが、イレーヌさんの反応を見る限り冗談ではなさそうだ。


「……えっと、王宮の財貨を狙ったものではないの?」

「ええ、金品の類には一切手を付けてないようです。けれども不審者がいるのは事実。いずれ金品に手を付けるかもしれません。ですからアレクシア様、部屋を出られるときは必ず私をお傍にお連れください」

「イレーヌさんを襲うなんて自殺行為じゃ」


 単純な身体能力ならイレーヌさんはこの国の誰よりも凄い。本当に姿形を捉えることができないぐらい素早いのだ。イレーヌさんを襲うなんて身の程知らずも極まれり。一度彼女と対峙して戦う羽目になった俺なら絶対にイレーヌさんを襲うなんて無謀なことはしない。


 できるだけ小声で言ったつもりだったが、イレーヌさんにはちゃんと聞こえていたらしく、彼女はすっと目を細める。


「ケイオス、お前はそう思っていたのか」


 アレクシア様に聞こえないように俺を脅した。後で覚えていろよ、と。死刑宣告に背筋がぞくりとする。


「おかしな話ですね。王宮は警備が厳重のはず。わざわざ侵入してスープしか盗まないだなんて」

「市場に忍び込んだほうが容易に盗めると思うのですが。また盗まれたスープもかなりの量にのぼります。単独犯ではないのかもしれませんね」

「かなりの量って、具体的には?」

「大鍋一つ分ぐらいを盗られたようだ」

「……何と言うか食いしん坊な泥棒だな」


 持って逃げるにはかさばるだろうし、食べたにしては量が多い。なるほど、これは単独犯ではないな。


「ケイオスも気をつけろ。未だに目撃されておらず正体がつかめていない。他の物を盗むため王宮の中に潜んでいても不思議ではない。不審者を見かけたらすぐに衛兵を呼べ。なるべく一人では行動するなよ」

「心配してくれてありがとう。気をつけるよ」


 警備が厳重な王宮に忍び込んだ泥棒だ。俺が気づかないうちに不意を打たれるかもしれない。マップを開き、いつ不意打ちされても大丈夫なように対策は立てておこう。


 そのままロズリーヌの下へと帰る。途中とある部屋の前を通りかかる。その部屋の扉は半開きになっていた。マップを見れば中に人が一人いるようだ。

 これでも王宮に長く滞在しているのだ。いくら王宮が広いと言っても、フロアマップなしで王宮の部屋の配置ぐらい把握できる。ここは倉庫だ。きっと使用人が働いているのだろう。


 と思いたかったが、さっきイレーヌさんの話が頭にこびりついている。自然と連想してもおかしくはない。


 音を立てないようゆっくりと扉を開く。倉庫であるため窓が少ないのか中は薄暗く、明るい廊下から入ったので目が慣れない。次第に目が慣れていくと中の人影が浮かび上がってくる。


 中にいた人は倉庫を乱雑にあさっているようだ。まだこちらに気づいていないのかその手を止める気配はない。ゆっくりと背後に忍び寄る。近づくにつれて人影の正体もはっきりとしてきた。


 褐色の肌に黒く長い髪。現実世界の日本では見慣れた髪の色だが、多彩な色の髪の人が多いこの世界で黒髪は珍しい。体格から見て女性のようだが、身長はイレーヌさんよりも高い。俺と同じぐらいだろうか。


 だがこの女性は黒髪よりも際立って身体的な特徴を持っていた。


「角と……尻尾?」


 黒髪にひどく目立つ白い角。そして黒く長い尻尾。白い角は髪飾りだとしても、黒く長い尻尾は単なるアクセサリーとして異様に目立ちすぎた。


 だがこの場に限って驚いて声を漏らしたのは失態だった。


 薄暗い闇で振り返る女性の赤い目が光る。それほど声は大きくはなかったが、こんな近くじゃ相手にも聞こえたか。角や尻尾が本物だとしたら、まさか吸血鬼のような魔物かもしれない。

 悠長に考えているとその女性はこっちに襲い掛かってきた。


 向かってくる女性に杖を向ける。魔法を唱える暇もなく杖を振りかぶろうとしたら、杖を受け止められた。しかし女性であるためかやや非力に感じられる。今までの経験から魔物にしては力が弱すぎるような気がした。


「これ、妾は争おうとしているのではない。杖を収めてくれんか」


 女性は即時停戦を求めて来た。俺は(まゆ)をひそめる。

 襲ってきたのは相手からだし、そもそも相手は泥棒である。大義名分がどちらにあるのかは一目瞭然(いちもくりょうぜん)で少しばかり相手の言い分が自分勝手なように思えた。


「まず杖から手を離してもらおうか。話はそれからだ」


 わずかばかり語気を強めて鋭く言い放つ。


「わかった、わかった。じゃから落ち着け」


 杖から手を離すと女性は両手を挙げた。両手を挙げ無力化されていることを確認して警戒しながらもゆっくりと杖をおろしていく。


「うん、なんじゃ。ケイオスか」


 両手を挙げた女性は俺たちの顔を見るなり素っ頓狂(すっとんきょう)な声を上げた。


 その言葉に俺は内心驚く。気恥ずかしい話だが俺の容姿はクレルモン中に広まっているため、一般市民でも俺の姿を見て名前を知っていてもおかしくはない。


 だがそれにしては妙に親し気のように感じた。だとすると知り合いの誰かということになるのだが、女性の顔を見てもとんと思い出せない。容姿といいこんなにも非常に目立つ女性だから一度会っていれば忘れることはないと思う。


いや、待てよ。


「その声、その言葉づかい。ひょっとして……」


 どこか聞き覚えのある声だった気がする。言葉づかいもどこかで聞いたような……。


「なんじゃ、ケイオス。お主まだ気がつかないのか。察しの悪い奴じゃのう。妾、妾じゃよ」


 声と特徴のある言葉づかい。それに該当するのはたった一匹。


「……お前、ヴイーヴルか⁉」

「そうじゃ。ようやく気づいたか、間抜けじゃのう」


 驚きで言葉も出ない俺にヴイーヴルは朗らかに笑い飛ばすのだった。

 詳しい事情を聞くため、他の人に見つからないように隠れながら、自室にヴイーヴルを連れていく。知り合いをそのまま衛兵に突き出すわけにもいかなかったからだ。


 自室に誰もいないことを確認すると、ようやく人心地ついてヴイーヴルを問い質すことにした。


「本当にヴイーヴルなんだよな?」

「まだ疑うか。とは言え、この姿では疑うのも当然か」


 くるりとその場で一回りするヴイーヴル。そりゃドラゴンから人間に姿形が変わっているのである。声だけでなく特徴がある言葉づかいだからこそ比較的早く気がついたが、言葉づかいが違ったら気がつくのはもっと遅れていただろう。


 薄情な奴じゃのう、とぼやくヴイーヴルの言葉を無視して、話を進める。


「それでどうして人間……いや角や尻尾があるからただの人間じゃないのか? どうして人型になっているんだ? ヴイーヴルが眠ったまま目を覚まさないって騒ぎになっていたんだぞ」

「うむ、まあ順序立てて話そうか」


 ヴイーヴルはどうにも話したくてうずうずしているようだ。


「ちょっと前のことじゃが、この世界の器であるお主の体、確かキャラクターじゃったか。その一部を解析できたんじゃよ」

「キャラクターの解析⁉ そんなことができたのか?」

「キャラクターとは非常に体系立てて構成されているからな。もはや芸術の域じゃよ。そこを一から解析していたから時間がかかったが、こちらの世界の魔法と似た部分も多かった。きちんと体系立てて構成されているがゆえに、一度その構造がわかればかなり解析が進んだぞ。似たようなものなら他にも解析できるかもしれん。もっとも妾にもまだわからないところも多いがな」


 プログラムのソースコードを解析したようなものだろうか。現代のコンピューターで利用されている技術を、中世の技術で解析された上につまびらかにされる。いくら魔法やファンタジー要素があるとしても、そう考えるととんでもなく凄いことだ。それを理解してしまうヴイーヴルの理解力は正直現代人よりも優れているのではないだろうか。


「それでせっかく解析したのだから利用しようと思っての。キャラクターを魔法で再現できないか、とな」

「じゃあ、その体ってキャラクターなのか⁉」

「そうじゃ。その技術を利用してこの姿を創ったのじゃよ。解析できていないところも多く完全再現とはいかなかったから、ドラゴンのときよりも大きく力が制限されているがの。お主の知識で例えればレベル1といったところじゃ。嗅覚なんて特に落ちている。まあ魂の判別は注意していればわかるが、さっきお主に声をかけられなければ気がつかなかったぞ」

「そのキャラクターの種族は人間じゃないよな。獣人、いや竜人ってところか?」

「妾ドラゴンじゃし、矜恃(きょうじ)もあるからの。ドラゴンらしくしてみたのじゃ。ま、獣人は少ないそうじゃし、普通の人間は気づかんじゃろ」


 そんなアバウトでいいのかという疑問はあるが、人間以外の他の種族は魔物を除けばエルフぐらいしか会ったことがない。


「じゃあ、ドラゴンのヴイーヴルが眠っているのはこのキャラクターが原因ってこと?」

「そうじゃの。器である肉体には、魂が存在しない。魂が存在しないのと死んでいるというのは別物じゃ。器と魂は本来一つの線で結ばれておる。これが切れぬ限り死んだ状態にはならない。このキャラクターは魂を本体である器から仮初の器に移し替えているだけじゃ。線は切れておらんから、仮初の器を消せばまた本体の器に戻る。人間は魂を判別する術を持っていないから、本体の器は眠っているように見えるかもしれんな」

「そっか。……俺、話しかけてもヴイーヴルがまったく起きないから、何か未知の病にかかって目を覚まさなくて、これからもずっと目を覚まさないかと思って。すごく心配したんだぞ!」


 ヴイーヴルは目をぱちくりさせる。


「そんなに心配してくれたのか」

「当たり前だろ!」

「即答か! ……お主、愛い奴じゃの。そんなに心配したとはっきり言われると少しばかりこそばゆい」


 ヴイーヴルは恥ずかしがってもじもじと身もだえする。


「それで、キャラクターで人型になれたから王宮内をうろついていたのか」

「そうじゃな。実験がてら人型でしかできないことをいろいろ試しておったのじゃよ。……あと、せっかくじゃからお主を驚かせてやろうと思ってな」

「……せっかくだからって……。もう十分驚いたよ」


 ヴイーヴルがいたずらっぽく笑い、俺は呆れていた。


 そう言えばヴイーヴルと初めて会ったとき、咆哮(ほうこう)威嚇(いかく)して驚かせてきたな。キャラクターを再現させたことを自慢したいというよりは、人を驚かせたり、からかったりするのが性分なんだろう。


「もしかして泥棒騒ぎはヴイーヴルの仕業じゃないだろうな」


 ヴイーヴルは露骨に固まった。そしてゆっくりと視線を横へずらす。その反応だけでもう答えは出たようなものだ。がっちりと腕を捕まえて彼女を逃さないようにする。


「はあ、王宮中がヴイーヴルのせいで大騒ぎになっているんだ。みんなに謝りに行くぞ」

「ええい、わかっておる。放せ、放さぬか!」


 嫌がるヴイーヴルを引きずったまま、俺はロズリーヌの下へと向かった。




「つまりこの女性がヴイーヴル殿なのか?」


 ロズリーヌが疑いの視線を投げた。俺は頷く。姿形がここまで変わってしまったのだから彼女が疑うのもわかる。だが俺が責められるのは筋違いというものだ。


 すでに何度か交流しているからかロズリーヌは女王モードのような慇懃(いんぎん)な態度で取り繕っておらず、俺たちに普段話しかける素のままでヴイーヴルと会話している。ヴイーヴルもそれで気分を害した様子はない。


「さすがにあの巨体が街中を歩くわけにもいかないし不便だったからのう。姿を変えてみたのじゃ」

「ドラゴンは人型に変身できるんですね。知りませんでした」


 その場にいたアレクシア様も興味深げにヴイーヴルの姿を観察していた。


「ヴイーヴル殿、人型に変身することは誰にでも使えるのか?」

「いや、これは妾が最近創り出した秘術よ。真似はできないと思うがな」


 実際はヴイーヴルのように俺のキャラクターを解析できれば不可能ではないそうだ。だから使えるのは現状ヴイーヴルのみらしい。

 でもキャラクターのことを説明するわけにはいかないから、俺のことを気づかって彼女は詳細を語らなかったようだ。


「では魔物が、いや魔物や人が使えるわけではないのだな」

「この秘術は誰にも教えていないから同じ秘術を使えるとは思えぬ。だが魔物の中には似たようなことができるものもいるぞ。たとえば人間の姿に擬態するような魔物じゃな。もっとも単純な擬態、草木と同じ色に変色し姿を見えにくくするといった擬態ならばともかく人間のような複雑かつ高度な擬態となると、魔物にも高度な知性が要求される。対象をしっかりと観察して自分の体を似せなければならないからな。そこまでのものだとごく限られておる」

「うむ、そうか」


 ロズリーヌは難しい顔をする。


「吸血鬼のように人間を眷属(けんぞく)にするだけじゃなく、他にも魔物が人に紛れる手段があるかもしれないとなると対策を講じる必要があるな」


 ぶつぶつと考え込むロズリーヌを前にヴイーヴルはわざとせき込んで彼女の意識を自分に向けさせた。


「話をそらして申し訳ない。しかし、ヴイーヴル殿。いくらあなたでも無断で王宮内に忍び込んではいらぬ混乱を招く。事前に私と相談していただきたい」

「ドラゴンから姿を変えたことで見るものすべてが珍しく思えてのう。いささか浅慮じゃった。本当に申し訳なかった」


 ヴイーヴルは素直に謝る。悪戯好きではあるが他人に迷惑をかけるほどではないようだ。


「そうだ、ケイオス。お前に話しておきたいことがある」

「うん? 話って?」

「実は以前からカスタル王国から魔物に対する同盟を結ばないかと打診されていてな」


 カスタル王国は近年魔物に対抗するためにヴァイクセル帝国やコミューン連合国に対して同盟を結ぼうと話を進めてしていたらしい。だがその打診をしたとき、コミューン連合国はすでに吸血鬼が国の上層部を乗っ取っており同盟は結ばれることはなかった。


 どうやらその話が水面下で進んでいたようである。


「それで同盟を締結する運びになったのだが、マウクトで同盟の調印式を執り行うことになった。私もカスタル王国のマウクトまで足を運ぶ予定だ。吸血鬼のこともあってなるべくこの地から離れたくはないのだが、『転移魔法』を使える使者をよこしてくれるらしい。どうやらヴァイクセル帝国のヴィクトル陛下もマウクトへ来訪する予定だそうだ。三国の首脳がマウクトに集まる。これは歴史上初めてのことだ」

「へえ」

「お前わかっていないだろ、事の重大さが」


 漠然とすごいことなんだなとか同盟することで魔物の被害が少なくなるなと思う程度で済ませる俺にあきれ顔でロズリーヌは歴史上これがどのぐらい大事なのか説明した。


 カスタル王国とヴァイクセル帝国は直接戦争したことはないが、昔から潜在的な敵国として対立していたそうだ。大国である二国はコミューン連合国の土地を狙っていた過去があるらしく、近年はそれが沈静化したもののそのような背景があるので三国が同盟を結んだことがなかった。だから今回も本当に三国による同盟が成立するのかという不安があったらしい。


 しかし吸血鬼の一件で三国が協力して戦った経緯もある。その影響からか、三国の同盟の締結に向けて水面下で話し合いが行われていた。


 そして同盟締結の調印式や祝宴を発起したカスタル王国で行うことになった。これにはコミューン連合国の女王であるロズリーヌやヴァイクセル帝国の皇帝も同席することになっている。各国の主要な貴族やその関係者たちも集まっているそうだ。同盟が本当であることを世界に喧伝するために。


 それだけ各国の要人たちはこの同盟を重要視している。歴史上初めての三国同盟を結び人々が結束する。少なくとも魔物の脅威が取り除かれない限りその同盟は存続するはずなのだ。情勢が不安定なコミューンにとっても魔物の脅威が各国で起きており不安が残る以上、何としても調印式を無事に済ませなければならないのだという。


「それで調印式を行うわけだが、以前カスタル王国の騎士団長からケイオスに国王陛下と謁見してほしいという話があっただろう。それを調印式に合わせて謁見してほしいという旨を伝えられたのだ」


 そう言えば英雄勲章を授かったときにカスタル王国の騎士団長であるラファエルさんがそんなことを言っていたっけ。ロズリーヌの困った表情を見る限り、断れなかったようだ。カスタル王国には吸血鬼の件でも援軍を送ってもらった恩がある。彼女も強くは出られなかったのだろう。


 でも考えようによっては悪くはないかもしれない。マウクトに単身で呼ばれるよりも、ロズリーヌとともに行動していたほうが下手に厄介事に首を突っ込まずにいられるのではないのだろうか。


「わかった、一緒に行くよ」

「そうか」


 ロズリーヌはほっとした表情を見せる。だが、そんな中難題を吹っ掛けてくる奴がいた。


「お主らマウクトとやらに行くのか? 妾も同行してよいか?」


 ロズリーヌは眉をひそめた。


「ヴイーヴル殿。さすがにそれは容認できない。仮にも貴女はケイオスと盟約を結んだ誇り高いドラゴンであるとしても、やはりマウクトへ行かれるとなるといらぬ騒動を引き起こそう。できれば調印式の間はこのクレルモンに留まっていていただきたいのだが」


 ヴイーヴルがクレルモンに飛来したときですら大騒ぎになり、ロズリーヌにこっぴどく叱られた。それを考えると他国の首都にドラゴンが飛来するとなると阿鼻叫喚の渦となるのは間違いなしである。


「ドラゴンの体がダメならば、この体でならどうじゃ?」

「その姿のままこの地を離れても大丈夫なのか?」

「大丈夫じゃぞ。基本的にこの姿を解除すれば元の体に簡単に戻れる。この体は解除した場所に再度出すことも可能じゃぞ」


 ロズリーヌもさすがにドラゴンの姿ならともかくこの姿であれば反論しにくい。必死になって考えているのかロズリーヌは押し黙ったままだ。


「何、人間同士の決め事には興味はない。調印式ではおとなしくしておるよ。単に人間の国に興味があるだけじゃ。ここだけではなく他の国も見てみたいんじゃよ」


 この辺りはヴイーヴルの本心なのかもしれない。人と過ごすのは久しぶりなせいか人との対話に飢えているような面もあった。


 それにどうも野生のドラゴンというのはこの世界でものすごく畏れられている存在らしい。そのせいかヴイーヴルに近づく人は少ない。せいぜい世話を命じられたものたちのみだ。だからもしこのままヴイーヴルをカスタル王国へ連れて行かなければ、俺たちが戻るまで彼女と積極的に話そうとする相手はいなくなってしまう。

 彼女はその辺りも嫌がって同行したいのかもしれない。


「わかった。カスタル王国には打診してみよう。ただ先方に断られた場合、残念ながら諦めていただきたい」

「うむ、すまぬな」


 そしてカスタル王国側に問い合わせたところ、ヴイーヴルの同行が認められた。ただしいらぬ混乱を招かぬように正体を隠したまま行動することが条件だったが。

 ついこの間吸血鬼が人になりかわる事件があったぐらいだ。ドラゴンとはいえ人間以外が人型に姿を変えてしまうことが周囲に伝わることでいらぬ刺激を与えぬよう配慮してほしいようだ。




 そういうわけでこのマウクトまでヴイーヴルたちと一緒に来訪したわけである。


「もうちょっと待ってくれよ。ほら、あそこのお城までだからさ」


 ヴイーヴルは少しだけ機嫌を直して頷いた。


「ところで、偽名は決まったのか? 身分を偽る以上、別の名前にしておかないと」

「そうじゃな。マエリスにしようかの。元の名前と似ていたら周りに気づかれるかもしれないからの」


 豪勢な馬車と護衛と一緒に通って非常に目立つから民衆たちの視線が集中している。もっともクレルモンのような熱狂的な感じではなく、どちらかと言えばどこかの貴人が来ている物珍しさと言ったほうが的確だろうか。


 ようやくお城に着く。こう開放的な気分になってぐっと背伸びしたくなるが、周りに兵士がいて、すぐそんな気分は引っ込んだ。俺たちの馬車が着く前にロズリーヌを乗せた馬車はすでに到着していた。


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