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第四十七話 茶会

 兵を率い自陣への帰路に着くヴィクトルに彼の側近が声をかけた。


「ひどいものでしたな」

「ああ、ここまで手ぬるいと正直拍子抜けするな」


 会談は相手が主導権を握るどころかほとんど発言すらなく、穏便に事が運びすぎて顔には出さなかったもののヴィクトル自身がそのあっけなさに驚愕したぐらいだった。


「取り巻きの顔ぶれを見たか。若い家臣ばかりだ。おそらく老練な家臣は吸血鬼にやられたのであろうよ」

「若い王女に若い家臣。陛下の相手を務めるにはいささか力量不足でしたか」

「仕方あるまい。事前に得ていた情報から王女の人となりはやや感情よりであることは調べがついていたし、家臣は会談どころか普段は書類仕事ぐらいしか経験のない奴らばかりだったのだろう。外国での交渉は才能も必要だが何より経験こそが必要。いきなり大役を任されたところですぐに役には立たぬよ。もしかすると吸血鬼による一番の被害はそうした人材の喪失かもしれんな」


 ヴィクトルもクレルモンの情報は会談を始める前までに集めさせたが、情報以上に深刻な問題であると受け止めた。


「先王や音に聞こえたシャルテル公爵ならば話は違ったかもしれませんが」

「惜しい人物を亡くしたな。是非相対したかったものだが。しかし、こちらとしては都合がよい」


 コミューンの上層部が亡き今、コミューンの政治の中核を担うのは経験の浅い若手しかいない。外交や内政面で先達がいないまま手探りで進むしかない。地図のない迷路を進むようなものだ。

 短期的な問題の対処に追われ、長期的な視野に立てず近視眼的に陥りやすい。さらに急激な組織内の体制の変化は混乱を招く。その混乱は多方面に波及していき、長期化するのが予想される。


 つまりは今のコミューンは何か問題が発生した場合、後手に回る可能性が高い。逆に言えばコミューンの行動が読みやすくなる。ヴァイクセル帝国はその動向を予想して、動けばよいのだ。


 ヴィクトルの個人的な欲望ではシャルテル公爵のような人物と競い合いたかったのだが、ヴァイクセル帝国の国益を考えれば、今の状態が望ましかった。


「しかし領土の返還は行うのですか?」

「行うさ。だが予想通り長引きそうだ。状況によっては立ち消えになるかもしれん」


 ヴィクトルはほくそ笑んだ。


「王女殿下は選択を誤った。領土の返還は最優先で行うべきだったのだ。たとえ民が暴発するとしても情報を得ているなら対応策も取れるであろう。もっともコミューンにその手が打てればの話だが」


 執事の話は事実である。だからこそコミューンの列席者の心を打ったのだろう。慎重に対処せざるを得ないと考えることは間違いとは言えない。


 しかし今回に限っては悪手だ。感情的になっている民が政府から見捨てられたと感じているのだから、下手に距離を取り続けるとそれが正しいことを証明しているようなものである。


 もちろんコミューンがその点を見過ごしていたとヴィクトルは思っていない。ただ選択できなかっただけだ。


 ヴァイクセルが占領している領土はコミューンの領土の約三分の一に当たるほど広大な領土である。その全域に渡って吸血鬼や戦争による被害があり、領主や兵といった人材や物資を喪失しているのだ。

 当然コミューンが再度その領土を統治する場合、直ちに行わなければならないのはその領土の復興支援だ。喪失した人材を新たに派遣し、支援物資を輸送しなければならない。


 だが吸血鬼の被害はコミューン北西部だけではない。コミューン全域で大小様々であるが被害があり、人材や物資の余剰はない。つまりコミューン北西部に人材や支援物資を融通できるほどコミューンに余裕がないのだ。


 対して大国であるヴァイクセルはブランデンブルグに魔物の侵攻があっても、被害は国土の全体から比べればほぼ軽微。他国に人材を派遣し、支援物資を輸送しても十分な国力を擁している。


 そうした内情もあり、吸血鬼の事案が鎮静化したとしてもコミューンはヴァイクセルに頼らざるを得ないのだ。


「今回の出兵に伴い所領を望む貴族もいると思いますが、そちらの不満はいかがいたしますか」

「確かに占領した領土から所領を得られない不満は出るかもしれないが、十分な恩賞を与えればよかろう。なんなら直轄地の一部を与えてもいい。今回はあくまで侵略ではなく、コミューンの解放を目的とした出兵だ。いくらそれが名目でしかないとわかっている貴族でも声高に不満を漏らす馬鹿はおらんよ。それに占領地の被害は予想以上に深刻だ。そんな土地を欲しがる物好きもいないだろう」


 貴族たちも馬鹿ではない。今回の戦いが正義のための戦いではないことぐらい気づいているものもいる。それでも沈黙していたのは国益や自身の利益のために口をつぐんでいただけに過ぎない。


 その結果は彼らの望みを十分に達したかとは言えない。だが、利に聡い貴族ならばいくら交易の要所であり将来的に見れば収益が見込める土地だとしても、復興にかかる費用や時間を考えれば手を出すはずがない。ましてやコミューンに返還するとヴィクトルが宣言した以上、手の出しようがなかった。


「占領地の支援を限りなく優先させろ。それに吸血鬼が襲ってくる可能性がある。それを踏まえた補給部隊の編成を行え」

「かなり大規模な部隊が必要になりますな」

「構わん。吸血鬼によって国家間の貿易が壊滅している。街道の安全を保障しなければ商人たちの足が遠のく。それでは長期的に見て我が国の経済にも影響が出よう。対外的に見ても大規模な支援を送ることで、我が国への好意的な感情を持つものも増える。特に占領しているコミューンの民にはな。彼らにとって我々は正義なのだよ」


 支援を行えば行うほど占領地にいる民はヴァイクセルに信頼を寄せ、コミューンへと恨みを募らせる。例えこのまま領土が返還されたとしても、いつ反乱が起きてもおかしくない。それがヴァイクセルの陰謀によって扇動されたものであったとしても、だ。


 ヴィクトルは若い皇帝である。彼の在位期間は数十年と長期に及ぶはずだ。今コミューンが奪えなくとも十年後、二十年後にコミューンと戦争したとき、今の占領地の民は諸手を挙げてヴァイクセル軍を歓迎するだろう。


 そのために少しずつ毒を浸透させていく。いつかこの毒がコミューン全土を覆い尽くすために。


「手をこまねいているだけでは何も手に入れることはできない。その過ちは高くつくぞ、ロズリーヌ王女殿下」

「それにしても意外でしたな。アレクシア嬢は」


 側近の言葉にややヴィクトルの顔はうんざりとした表情に変わる。


「もう少し理知的だと思っていたが、聖女といえども小娘というべきか」


 会談でヴィクトルの予想を裏切ったのはアレクシアの行動だった。皇帝の言葉に口を挟み、一人の男に固執し、感情を露わにした彼女の姿はヴィクトルの知る彼女と別人かと思うぐらい異質な行動だった。


「あからさまなあの反応。冷徹だと思っていたのは、あの男がいなかったからかもしれないな」


 以前のアレクシアであれば、感情というものが存在せず皇帝の命に従い淡々と行動するような少女だった。しかし、クレルモンで戦って以来その少女に感情が芽生えたように見えた。


(まさか、恋が芽生え感情を得たということか? ……有り得ん)


 あまりにも馬鹿馬鹿しい想像を振り払うため、ヴィクトルは頭を振った。

 アレクシアがあの男と知り合いというのは初耳だった。彼を先生と呼んだことからも親しい仲であることは明白であり、以前から思いを寄せていたと考えるのが妥当だ。つまり感情が芽生えたのではなく、取り戻したと考えるべきである。思えばクレルモンでのアレクシアの独断による命令違反も、あの男がクレルモンにいたことを知っていたからかもしれない。


「使者として残してきてよかったのでしょうか」

「というより、現状でアレクシアを使うのは不安だ。今のアレクシアは命令に背く可能性もあるし、コミューン寄り、いやあの男のために動く。むしろコミューンのために使ったほうが役に立つだろう」


 なまじ聖女として求心力のある彼女を手放すことも難しい。ならば彼女を反発させるよりはうまく利用するように誘導するしかない。


「ああ、聖女を妃にとしつこく言ってきているザヴァリッシュの当主にはそれとなく断りを入れてくれ。いかに政略結婚の相手であるとしても他の男に恋い焦がれ身勝手に動く女など必要ない」


 才女で美しく聖女としての求心力のあるアレクシアを政略結婚の候補の一人としてヴィクトルは考えてはいた。しかしヴィクトルも政略結婚の相手に相思相愛を求める気はないが、他の男に入れ込みうかつな行動をする女を妻に迎える気はない。

 しつこく取り入ろうとするザヴァリッシュの当主もいい加減目障りだった。遠ざけるにはちょうどいい理由になる。


「例のケイオスという魔導師ですか。凡庸にしか見えませんな」

「俺もだ。会談でも王女から信頼されているようだが、それだけだ。魔法の才はあっても、政治の才はないのか。しかし」


 他国との会談に異国人であるケイオスを参加させるなど通常では有り得ない。ロズリーヌから強い信用を得ていると考えるべきだ。

 だが会談では取り立てて彼は自主的に行動することはなかった。所詮は一般人であり政治に疎いだけなのかもしれない。いくら魔法に精通していたとしてもそれが政治に精通しているとは限らないからだ。もっとも彼が異国人としての立場をわきまえて行動していることも考えられる。


 そして容姿が一致していることからもカスタル王国で消息を探しているケイオスと同一人物であることに間違いはなさそうだ。


(なぜコミューンの王女に取り入った?)


 王家に近づき権力者に取り入るといったわかりやすい野心があるのならばわかる。

 けれど野心があるのであればカスタル王国に取り入るほうが得策だ。彼はすでにカスタルで恩を売っているのだから望めばそれなりの待遇が得られる。ましてやカスタルはコミューンに比べると国力が上だ。取り入るなら将来的な面で考えてもカスタルのほうがいい。大国ゆえにさして重要な立場に就けないと考えたのだろうか。


 ケイオスはあまり名誉といったことに関心がなさそうだ。街一つを救い、吸血鬼との戦いで活躍したアレクシアを倒したという名声をあっさりと隠蔽することに賛同するぐらいに。おそらくそれを名誉とも考えていないのだろう。アレクシアが知り合いだったことが関係しているのかもしれないが。


 ヴィクトルが地位を与えると揺さぶりをかけても軽く受け流されたこともそれを示している。


 そうなると王女に取り入ったのは偶然とでもいうべきなのか。しかし、偶然ならばなぜコミューンに留まり続けているのか。あまりにも欲がなく行動が利他的すぎる。

 ケイオスに対する情報があまりにも少なすぎて、ヴィクトルは彼の行動目的が理解できなかった。


 ヴィクトルがつかんだ情報ではたった三、四か月ほど前にカスタルのとある村に現れたぐらいしかつかめていない。カスタル王国はずっとケイオスの消息について調査しているにも関わらず、彼がこの大陸にいつ訪れたのかもあやふやだ。黒髪の少年などこの大陸では珍しいのに、その村へどうやって訪れたのかわからず、それ以前の目撃証言は伝わっていない。


 しかし今回の会談で彼と会話し、新たな情報が手に入った。


(アレクシアはケイオスのことを先生と呼んだ。それはケイオスと面識があったということ。しかも師弟関係ほどの深い絆となると一朝一夕のつながりではない。つまりケイオスはヴァイクセルにも長期間滞在していたと考えるのが筋だ)


 アレクシアの失言をヴィクトルは聞き逃さなかった。

 今までヴィクトルはケイオスがカスタルからコミューンまで陸路を使い、旅してきたのだと考えていた。彼が竜便を使い移動したなら空港を調べれば足跡はすぐに調べられる。ケイオスを捜索していたカスタルが真っ先に空港を調べないはずがない。


 ならばケイオスは馬車か徒歩で旅をしていることになる。移動距離や日数から考えてもカスタルからコミューンへ馬車で移動したと考えるのが自然だった。

 そして目撃証言の時系列から見てケイオスの存在が初めて確認された場所はカスタルの一地方である。だからケイオスはこの大陸に初めて来訪した国はカスタルであり、ケイオスはまだヴァイクセルに足を運んだことがないとヴィクトルは錯覚していた。


 だが、もし前提条件が違っていたとしたら。例えばケイオスはもっとずっと前にこの大陸に訪れていて、初めて来訪した国がヴァイクセルであり、カスタル、そしてコミューンへ順に足を運んでいたのだとしたら。


「アレクシアが聖女になる前の行動を探れ。アレクシアとケイオスは顔見知りだ。ならば接点があるはず。おそらく魔法学園入りしたあとだな」


 名門貴族の令嬢とただの冒険者が接触できる機会などそうあるものではない。


 アレクシアと同等の魔導師ならば、もしかするとザヴァリッシュの当主が教師役として招いた可能性もあるがその可能性は低いとヴィクトルは考えた。そんな人物がまず無名でいるはずがない。それにいくらザヴァリッシュの当主の権力欲が強いとしても、今まで名門貴族として生き抜いた人物であり才覚も十分にある。そんな人物がケイオスの存在を知って自分の傘下に取り込まずにいるはずもなかった。


 ならばアレクシアが魔法学園に在籍していた時期が一番ケイオスと接触しやすい期間だろう。アレクシアが聖女と呼ばれる前の魔法学園で落ちこぼれと呼ばれていた時期に重なる。


 野心のないケイオスがどうしてコミューンの王家に取り入ったのかヴィクトルには理解できなかった。

 ロズリーヌはもちろんのこと、今は亡きシャルテル公爵も吸血鬼の討伐にケイオスを重用したと聞く。それはアレクシアと同等以上の実力を持つ魔導師だからと考えていた。


 もし公爵もケイオスの特異性に気づいていたのだとしたら。もしかするとケイオスがコミューンの王家に取り入ろうとしたのではなく、公爵がケイオスを逃さぬようコミューンに取り込もうとしていたのではないか。


(だとすると公爵もかなりえげつないことをする)


 何らかの弱みにつけこんでケイオスをコミューンに引き留めているのではないか。それがヴィクトルの下した判断だった。


(アレクシアが未知の魔法を覚えたのもひとえにそのケイオスによるものだとしたら――、はっ、何が神の力か)


 心の中で教会に対してヴィクトルは悪態をついた。

 アレクシアはヴァイクセルの魔法学園では落ちこぼれと呼ばれた魔導師である。ヴィクトルの想像通り、その少女を聖女と呼ばれるほどの実力のある魔導師に育てたのがケイオスならば。


 神のようなあいまいなものから特定の誰かに授けた恩寵や加護ではなく、その魔導の英知は他者に授けることができるということ。

 しかも、アレクシアが魔法学園に在籍していた期間は短い。おそらく冒険者と接触できた期間も一年に満たないだろう。


 ――すなわちケイオスが指導することで、アレクシアに匹敵する実力を持つ魔導師を短期間で量産できる――。


「はははっ」


 ヴィクトルの口から笑い声が自然と出た。アレクシアたった一人でも今回の戦争を優位に進めることができたのに、それが複数。


 もしケイオスがアレクシアに施した指導を広め、強力な魔導師を量産できるならば魔導師を多く抱えるヴァイクセル帝国は他国に比べ軍事的に優位に立てる。もはやコミューンだけでなくカスタルですら相手にならない無敵の魔導師軍団が出来上がる。


 ケイオスからどのような指導を受けたのかその内容はアレクシアに直接問い質せばいい。だがそれ以上にケイオスの価値が他国に知られるのはまずい。ケイオスの存在を秘匿するのは無理だとしても、アレクシアとケイオスの関係は他国に伝わらないようしなければならなかった。ケイオスの身柄を何としても確保しなければ。


 そうなると現在ケイオスと関係が深いコミューンが有利である。もしケイオスがヴィクトルの想像通りの存在ならばケイオスがコミューンに帰属すると、ヴィクトルの野望に陰りが出る。


 ロズリーヌはケイオスが国の軍事のバランスを崩壊させるほどの存在だと気づいていて傍に置いているのだろうか。いや、その可能性は低いとヴィクトルは考えた。気がついていればヴィクトルの勧誘やケイオスの返答を即座に妨害したはずだ。おそらく、アレクシアと同等の実力者ぐらいにしかとらえていない。


 ならば十分に付け込むことができる。ケイオスはまだコミューンに帰属していないことを明らかにした。それをロズリーヌも否定していない。ならば十分ヴァイクセルに彼を招聘することも可能だろう。


 ケイオスさえ手に入れれば彼に心酔するアレクシアも御せる。そして、この大陸で覇を唱えることさえ可能かもしれない。


 本気で勧誘をすればよかったとヴィクトルは後悔した。

 しかし、野心のない男をどうやって籠絡するか。ケイオスは若い男だ。情欲で釣ることは可能だろうか。アレクシアを使うか? しかし現時点ではアレクシアはともかくケイオスのアレクシアに対する感情は読めなかった。


 ヴィクトルはそこまで考えて、ふと自身を顧みるとおかしくてたまらなくなった。


 コミューンを相手にした会談はほとんど労せず終わらせた自分が、まさかただ一人の男の存在に悩まされる羽目になり、それを楽しいと感じてしまっていたからである。


 ***


 こぽこぽとカップに紅茶が注がれる。


 ただそれだけなのに。なんだろう、この緊張感は。ひどく張り詰めた空気が漂っていた。瞬きすることすら許されない。そんな緊張感である。


 紅茶を注いでくれているアレクシア様のたどたどしくも真剣な面持ち。イレーヌさんが手伝おうか手伝うまいかとそわそわしている。

 ロズリーヌも微動だにしない。この空気にあてられているのだろう。


「どうぞ、先生」


 全身全霊を込めて一仕事を終えたぐらいに憔悴しきっているアレクシア様がカップを差し出す。

 ありがとうと言って受け取って飲もうとするが、アレクシア様の視線が気になって仕方ない。

 彼女の視線はカップに固定されている。俺の傍らで立ったまま、祈るような仕草でカップを見守り続けるアレクシア様に気圧されて飲むに飲めない。

 アレクシア様、紅茶の淹れ方とか慣れてないのかな。貴族のお嬢様だし、身の回りの世話はイレーヌさんにやってもらっているのかもしれない。

 そんな彼女の入魂の一杯である紅茶を一口飲む。


「どうですか?」


 間髪入れずにアレクシア様が俺に尋ねた。紅茶の良し悪しがわかるわけではないが、おいしいと思う。


「おいしいよ。ありがとう、アレクシア様」


 望んだ回答を得られたからかアレクシア様はにっこりとほほ笑んだ。


「イレーヌさんも飲んだらどうだ?」

「いや、遠慮しておく。……しばらく紅茶は飲みたくない」


 イレーヌさんにとって主にお茶を入れさせるなど恐れ多いのかもしれない。

 その程度でアレクシア様が気分を害するとは思わないし、どこか疲れているようだからそんなに遠慮しなくてもいいのにな。

 まあ、場所が場所だけにアレクシア様の従者として自重しているのだろうか。


「俺、貴族のお嬢様にお茶を入れてもらっているっすよ……。あの、上流階級の茶会っていうのはこんなに緊迫するもんなんすか? もしそうなら俺平民でよかったっす」

「今回ぐらいなものだ。というかわかりやすすぎるぞ……」


 リーアムがハボックたちにささやくと耳聡く聞きつけたロズリーヌは深くため息をついた。


「本当に同一人物なのかしら。初めて会ったときの印象とまるっきり違うじゃない。とても聖女様とは思えないんだけれど」

「いえ、ケイオスさんと再会したときからあんな感じでしたよ」

「ああ、あの痴話(ちわ)喧嘩(げんか)のときね。確かにそうだったかも」


 アレクシア様との戦いのあと彼女を抱きしめていたときに、コーネリアたちは合流したからなあ。彼らから見れば痴話喧嘩に見えていたのか。


「痴話喧嘩なんかじゃありません! ち、ち、痴話喧嘩とかそんな恋人同士がやるようなこと……」

「アレクシア様、そんな顔で反論されても説得力がありませんよ!」


 尻すぼみになりながら、頬を両手で押さえ恥ずかしがるアレクシア様に、イレーヌさんが忠告する。


「うわ、この子わかりやすすぎる。あざといのにかわいいわ。狙っているわけじゃなさそうなのに天然ね。なんだかあの子を思い出すわ」

「うわ、うちのパーティーのいじられ役が誰かをいじっているだなんて。正直驚きものっすね」

「明日は(ひょう)でも振るんじゃねえか」

「うっさいわね、あんたたち! あとでぶっ飛ばすから覚悟しておきなさいよ!」


 パーティーメンバーのいつもの会話にいつものノリで答えていたハボックたち。しかし、はっとして慌てた様子になった。どうやら王女が同席していたことをすっかり忘れていたらしい。


「それにしても、俺たち、いや私たちもこの場に呼ばれてもよろしかったのでしょうか」

「気にするな。今回の騒動ではお前たちにも世話になった。私が直接礼を言いたかったのだ。一国の姫としてだけではなく個人として気兼ねなくな。お前たちだけしかいないのだからそこまでしゃちほこばらなくていい」


 居心地の悪そうなハボックに対して、ロズリーヌは謝意を示した。その気持ちは伝わっているが、さすがに一般人がこの国の最高権力者から直接礼を言われたら、どう対応していいかわからず戸惑うだけだ。


 いくら私的の場でありリラックスしろと言われても、無茶振りもいいところである。むしろかえって意識してしまいリラックスなんてできないだろう。


 俺の場合は外に出て民衆に囲まれるぐらいなら、ロズリーヌとしゃべるほうが気楽だと開き直っているだけだ。本物のお姫様であるのだから、本当はこうして接することは間違っている。

 しかし私的な場所では以前と変わらずに接しろとロズリーヌ本人が公言している以上、こうして開き直るしか他になかった。


 今、王宮の一室でロズリーヌから茶会に招かれている。ごく私的なものであり、招かれたのは俺を含めてアレクシア様とイレーヌ、ハボックたちしかいない。

 そしていざ茶会が始まるとアレクシア様が紅茶を振舞いたいと申し出があり、今に至るわけである。

 こうしてみんなと一緒に紅茶を飲んでいるとあまりにも平穏すぎて、つい最近まで吸血鬼に占領され支配されていた上に戦争が起きたところだとは感じさせない。

 でもそれらは実際に起きて、被害は少なからずあったのだ。それによってこの世界がただのゲームではないと認識できたのだから。


「ケイオス、お前のおかげで救われた兵や民がたくさんいる。だからお前が悩む必要はない」


 はたしてそうだろうか。俺はこの世界に再び戻って戦争を止めようとしたが、結局は空回りだった気がする。

 もちろんこの世界に戻ってきたことに後悔はない。戦争が終わったこともよかったことだと言い切れる。

 だが俺がこの世界に舞い戻ったのは、ただロズリーヌやアレクシア様の助けになりたい、二人を戦わせたくない、そんな感情だけの行動である。戦争は止めたかったが戦争終結の解決策なんてものは存在しなかった。

 だから戦争が終結したのもアレクシア様のおかげなので、それが俺のおかげだと言われても正直ぴんとこないのだ。


「北部の情報もようやく伝わってきて吸血鬼たちの被害も終息へと向かっている」

「北部? 北東部の状況もわかったのか?」


 クレルモンを奪還するころから、北部との連絡が取れなかったそうだ。北西部は西に位置する強国ヴァイクセル帝国が攻めてきたことが理由だが、北東部は原因が不明だったのだ。おそらくは吸血鬼が情報を封鎖しているのではないかと予想されていたのだが。


「ああ、ようやくな。やはり吸血鬼たちが関わっていたらしい。こちらの動向などどうやって知り得たのかは不明だが、クレルモンの危機が去ってから封鎖は解いたようだ。おそらくこれ以上は意味がないと判断したのだろう。すんなりと連絡が取れるようになった。まだ黒幕と思しき少女が捕まっていない以上、次に何をたくらんでいるのかはわからないのですべてが解決したわけじゃないけどな」


 それは朗報だ。逃げた吸血鬼の行動が不安だが、各地と連絡が取れるのは大きい。


「ヌムル公爵の使者の報告によると、北東部も吸血鬼たちに襲われていたらしい。ヌムル公爵も抗戦したもののかなわず一度領地から脱出したそうだ。そしてクレルモンへ連絡を取ろうとしたのだが取れぬまま、一旦国外へ逃れたらしい」

「国外? コミューンの北東に近い国といったらカスタル王国?」


 コミューン連合国の東にある国家といえばカスタル王国である。


「そうだ。中央との連絡が取れないヌムル公爵はカスタル王国に救援を要請して、軍を派遣してくれたそうだ。今は吸血鬼の残党の殲滅に力を注いでいる。民への被害も少ないらしい。どうやら北西部に比べて吸血鬼の数が少ないらしく、戦況はこちらが優勢のようだ。カスタル王国にも大きな借りができた」


 そう言ってロズリーヌは顔をほころばせた。

 急を要することだとはいえ、王女の許しを得ずに一貴族が勝手に他国の協力を得たことは問題になりそうな気がする。だがそれ以上に国民を思う気持ちが強いロズリーヌにとって何よりも国民が救われたことが喜ばしいのだろう。


 それだけに、先日のことはひどくつらい思い出になっているはずだ。


 吸血鬼によって国民に被害が及ぶだけではなく、彼女の両親をはじめ叔父であるラウル・ド・シャルテル公爵、城の家臣の多くを失った。さらに一部の自国民からも非難を受けている。

 それでもロズリーヌは以前と変わらないように振舞っていた。空元気なのかもしれないが、俺には彼女の表情からその差を読み取ることはできなかった。


「じゃあ、援軍を送るのか」

「ああ、クレルモンを防衛する戦力が乏しくなるが出さないわけにはいかない。アレクシア殿、ヴァイクセル帝国にも協力を願いたい。皇帝陛下にお伝え願えないだろうか」

「承りました、王女殿下」

「ロズリーヌも行くのか? ヌムル公爵のところへ」

「その予定だ」


 ロズリーヌが戦地に赴く。マイエヌ公爵の件で思うところがあったのかもしれない。ならば俺も一緒に行こう。

 でも吸血鬼相手に戦うことができるだろうか。人の姿をした吸血鬼を。

 この世界が異世界であることを認識してから、俺はまだ一度も魔物と戦っていない。そのことが少し気がかりだ。


「ケイオス、頼みがある」


 ロズリーヌが神妙な顔つきで話す。やっぱり同行してくれって話なのだろうか。


「しばらくの間、クレルモンから離れてくれないか?」

「それは一緒に来てくれってこと?」

「いや、そうじゃない。しばらくの間、コミューンから離れたほうがいいということだ」

「俺がいないほうがいいのか?」

「殿下、それは先生の存在が邪魔だとおっしゃりたいのですか?」

「ケイオスもアレクシア殿も勘違いしないでくれ。私個人はケイオスにいてほしい。けれど、今ケイオスがクレルモンにいると問題があるんだ」


 ロズリーヌは悩ましげにため息をついた。


「ケイオス、コミューンの貴族になる気はあるか?」


 ロズリーヌは脈絡もなくいきなりそんなことを言った。ぽかんとして彼女の言ったことを反芻する。

 貴族になる? 冗談だろう?

 俺は首を振って否定する。


「だろうな。貴族に向いているようには思えないし」


 貴族の向き不向きなどわからないし、貴族になるとどういった義務や権利が発生するのかはわからないが、一番間近で見ていた貴族のロズリーヌが普段行っている政務が貴族としての務めならばとても俺に勤まりそうもない。


「もしかすると、先生を貴族にというお話があるのですか?」

「ああ、その通りだ。ケイオスを貴族に叙する話が出ている。しかも爵位持ちの貴族に叙爵するつもりだ」

「爵位⁉ それって領地持ちになるってことか⁉」

「いきなり領地持ちって有り得ないっすよ!」


 黙って聞いていたハボックとリーアムが口を挟んだ。よほど衝撃的なことだったのだろうか。

 何に驚いているのか理解できていない俺に、エミリアが補足してくれた。


「異国人のケイオスさんや国との関わりが薄かったネルはこの国の政体を詳しく知らないのかもしれないけれど、わかりやすく言うとこの国の貴族は爵位を持つ貴族と持たない貴族に分かれるの。本来であれば貴族になったあと、さらに功績を積んで爵位を得るのが普通で、よほどの功績がないといきなり爵位なんて得られないのよ」


 現代人の感覚からすれば平社員から一気に社長になるようなものだろうか。それは確かに異常だ。


「あっ、よほどの功績という点ならケイオスは当てはまるっすね」

「まあ、先生。おめでとうございます」


 驚いていたリーアムが冷静になって納得し、アレクシア様は喜色満面に祝ってくれた。


「よほどの功績ってそんな大げさな」

「大げさだと思っているのはお前だけだ。一国の姫を救い、吸血鬼の退治に協力して、ヴァイクセル帝国との和解に尽力したじゃないか。これを功績と呼ばずに何と呼ぶ? おそらくこの一連の騒動でのケイオスの功績は他に並ぶものがいないぞ」


 あきれた表情でロズリーヌは反論する。


「ただそれが問題になっているのだ。クレルモン奪還や防衛には多くの貴族が協力してくれた。異国人のケイオスが一番の功績であり、ケイオスに何も褒美が与えられないとなるとどうなる? 他の連中が褒美を受けてしまったら、周囲から非難されてしまい遠慮して褒美を受け取ることができなくなるだろう。信賞必罰はきちんととらねばなるまい」

「その褒美として先生に爵位を授けるということですね」

「そういうことだ。だが、ケイオス本人が望んでいない褒美を与えてもな。それにいきなり領地持ちになったとしても、領主も領民も互いに不幸になるのが目に見えている」

「それは先生に領地を治めるだけの器量がないと」


 アレクシア様の声音に険が混じる。


「そうだ。ケイオスに授ける予定の領地は復興が優先されるからな」

「もしかして吸血鬼に襲われた場所なのですか」


 ロズリーヌはこくりとうなずいた。


「候補の中にはコミューンの北西部の一地域もあったんだ。その地の民はコミューン政府に対して深い恨みを抱いている。だから異国人であるケイオスならば民の悪感情も多少は軽減されるのではないかとな」


 吐き捨てるように苦々しい表情をしたままロズリーヌが言った。あまり気乗りしない表情から見ても、この案は彼女の案ではないのだろう。けれど俺に直接貴族になりたいかどうか聞いたということは、彼女はその案に反発しているが、一考の価値はあると判断しているのかもしれない。


「ケイオスに領地を治めるだけの経験が足りない」

「ならば内政を取り仕切る者をつければよろしいのではありませんか」

「もっともだな。しかしたとえケイオスに領地を治めるだけの手腕があったとしても、領地を治めるにはもっと人手が必要だ。一人二人とはいかない。現地で雇うこともできるが荒らされた領地だから期待はできないはずだ。けれど、ケイオスは異国人だろう? 他の貴族のように家臣なんているはずもないし、後見人の貴族もいない。ケイオスにそんな伝手はあるか?」


 現実でもぼっちなのに、こっちの世界での知り合いなんて今この場に集まっているぐらいしかいない。そんな伝手なんてあるわけがなかった。


「恥ずかしい話だが私も適任を紹介するだけの余裕もない」


 この城で手の空いている人なんていないだろうし、ロズリーヌから新興貴族の下に行けと言われたら左遷も同然だ。


「だからケイオスを貴族にする気はないんだ。代わりに勲章を渡す形になると思う。けれど今これ以上功績を重ねたら周りを抑えられなくなってしまう。だからしばらくクレルモンから、私の傍から離れていてほしい」


 彼女の言う通りなら、俺も貴族にはなりたくないし、ほとぼりが冷めるまで離れていたほうがよさそうだ。

 いやそもそも吸血鬼自体も落ち着いたんだ。この世界から離れるべきなのかもしれない。


「ただ、これは私の都合だ。お前がこの国を離れるのなら私は止められない。お前は私の家臣ではないのだから」


 ロズリーヌの瞳は揺れている。その姿を見て俺はあのときのことを思い出した。どこか悲痛でどこか寂しげなあのときの彼女の後姿を。

 俺もいつまでもロズリーヌの傍にいることはできない。だけど。


「わかった、しばらくクレルモンから離れるよ」


 彼女の言う通り一時的に身を隠そう。今はまだ彼女には支えが必要だと思ったから。


「そうか……ありがとう」


 ロズリーヌは微笑んだ。


「むう」


 うなり声が響く。声の主はアレクシア様だ。頬を膨らませて、すこし眉間にしわを寄せている。少し子供っぽい。


「どうしたの、アレクシア様」

「何でもありません!」


 アレクシア様はぷいっとそっぽを向いた。機嫌を損ねてしまったらしい。

 クレルモンから離れなきゃいけないなら、しばらくログインを控えるか。


「えっと、殿下。差し出がましいようですがよろしいですか」


 ハボックが口を出した。


「ああ、構わない。どうしたのだ?」

「ケイオスはしばらくクレルモンから離れるというお話ですが、あくまで一時的なものなら遠方は控えたほうがよいのですな」

「根回しして調整する間だけ離れていてもらえればいい。ケイオスは転移魔法が使えるから、国内であればすぐさま帰還できるはずだ」

「なら当てがあります。なあ、ネル。ケイオスを俺たちの旅に同行させたらどうだろうか」

「私の故郷の集落に滞在させるのね。クレルモンから距離はあるけど、人との交流の少ないエルフの集落だから身を隠すにはうってつけかもしれないわ。私は構わないわよ。ケイオスなら歓迎するわ」


 そう言えば、以前コーネリアの故郷がコミューンだって聞いたな。


「どうだ、ケイオス。一緒に行かないか?」

「そうっすね、どうせならみんなと一緒にいたほうがいいんじゃないっすか」


 ……それは悪くないかもしれない。魔物と戦うのは怖いが、この世界のことを詳しく知りたいという気持ちもある。


「なら、決まりだな。じゃあしばらくの間、よろしく頼むぜ」


 そう言って、ハボックはにっこりと笑った。


 ***


 茶会も終わり、旅支度を整えるためケイオスたちが去ったあと、その場に残ったのはロズリーヌとアレクシア、そしてイレーヌだった。

 ロズリーヌを呼び止めたのはアレクシアである。先ほどとは異なり、和やかな雰囲気は一切ない。


「殿下、質問してもよろしいですか」


 問いかけるアレクシアの表情は真剣であり許しを得ようとしている言葉の割には有無を言わさずに答えさせようという言外の圧力をロズリーヌは肌で感じ取った。


「……何かな、アレクシア殿?」

「先生を殿下から遠ざける理由についてはわかりました。先生が叙爵することで起こる不利益も。ですが先生をクレルモンから遠ざける理由にはなりません。功績を立てないようにするのならば先生が戦場に赴かずじっと待機していればいいだけのこと。それなのに先生をクレルモンから遠ざける理由はいったいなんなのですか?」


 アレクシアにはロズリーヌが茶会で打ち明けた話がどこか説明が足りないように聞こえた。もしかすると彼女の師は気づいていてあえて放置したのかもしれないが、アレクシアにはそれが見過ごせなかった。


 今のケイオスの立場は不安定だ。コミューン連合国ではロズリーヌに次ぐほどの知名度と名声を持ちながらも、異国人であり平民に過ぎない。


 だからそれを利用する人間が現れるかもしれない。自分自身の父親が優秀な魔導師であるケイオスを派閥に取り込もうとしたときのように。

 功績を立て貴族になるのは喜ばしいことでも、そのように悪意を持ってケイオスに近づくような輩をアレクシアは看過できなかった。


「気づかれたか。あの場で伏せていたことは確かにある。もっともどちらかと言えば、ケイオスに対してではなくアレクシア殿を気づかってのことだったのだが」

「それは他国の貴族に打ち明けられないということですか」

「いや、あくまでアレクシア殿個人のことだ」


 ロズリーヌの言葉にアレクシアの頭に疑問符が浮かぶ。


「ケイオスの立場が不安定なのは、アレクシア殿もわかっていよう。だから当然貴族たちも自身の派閥に入れようと行動している。問題はこの派閥に入れる手段だ」


 やはりそうした動きがあるのか、とアレクシアは思った。しかし、それでも自分に打ち明けられない理由には思えない。やはり彼女の疑問は晴れぬままだった。


「派閥に入れると言っても手段はいくつかある。その中でよく使われる手段は何だと思う?」


 アレクシアはすぐに正答を導き出せない。そんな彼女に助け舟を出したのは彼女の従者であるイレーヌだった。


「もしや婚姻ですか?」

「なっ⁉」


 自分の従者の予想外の答えにアレクシアは意表を突かれた。しかし、よく考えれば貴族が深い関係を築くために互いの身内を婚約させたり政略結婚させたりすることは常識である。ましてや若く独身のケイオスにその手を使わない理由はない。

 ロズリーヌもそれが正答であるとうなずいた。


「で、でも。先生は平民ですよ。いくらなんでも身分の差があります」

「だからケイオスを叙爵するという話になったんだ。新興貴族と言っても爵位を持っているのならば、そこそこの格の家でも嫁ぐことができる。それに格の高い家だとしても何も自分の一族の者との婚姻を結ばなくてもいいんだ。同じ派閥に属する近しい格の家の者と婚姻させて(よしみ)を結べばいい」


 アレクシアは反論できず答えに(きゅう)する。貴族のつながりは広い。条件に合う妙齢の女性などすぐに見つかるだろう。


「先生は、先生は……そうです! 結婚しても普段が不愛想ですから、きっと婚約者に愛想をつかされてしまいます! 結婚なんてできません!」

「あくまで政略結婚だからな。互いの相性は二の次だ。それに案外相性のいい女性が見つかるかもしれないぞ。しかし、不愛想だから愛想をつかされるなんてひどいな。いくらなんでも本人がそれを聞いたら傷つくぞ」

「……はい」


 苦笑してたしなめるロズリーヌの言葉に、自分でも言葉が見つからず支離滅裂なことを言っているとわかっていたアレクシアはしょぼんとして落ち込んだ。


「そういうわけで私がクレルモンから離れている間に、先走った貴族がいつケイオスに接触するかもしれない。婚姻に王家が口を挟むとなると厄介だ。そうなったら話がややこしくなるからケイオスと貴族の接触は避けようと考えたわけだ」


 吸血鬼の事件以来、ロズリーヌがケイオスを傍に置き続けたことで彼女が彼を重用していると貴族たちの目に映ったのが仇になっていたのだ。

 そんな彼がもし貴族になれば、将来国の中核を担う重要な存在になることは間違いない。貴族にならなくとも、次期女王の信頼が厚い人物との友好を結ぶのは決して悪いことではなかった。


 それでも貴族がケイオスとの交流に及び腰だったのは、単純にそれに割く時間がなかったこと、ケイオスの情報が少なく本人を見極めていたことと、他の派閥がどう動くか動向を探っていたこと、ロズリーヌの恩人であり王女の客人であること、そして何よりロズリーヌが傍にいたからだ。

 情勢も落ち着きロズリーヌが目を離したら、すぐさま貴族たちが接触してくるのは容易に予想できる。


「ケイオスは不愛想だし不器用なところもある。そう言った手練手管を使う貴族たちの誘いを断れるとは思えないからな。流されていつの間にか口説き落されているなんてことになるかもしれん」


 それはアレクシアにも思い当たる節があった。


「ああ見えてあいつは結構抜けているからな。連中と会話することで厄介な言質を取られたらたまったものじゃない。なんていうかあいつは相手の心を理解できてないのか、たまにやきもきさせられることとかなかったか?」

「そうですね、確かにありました!」


 さっきもそうだ。ケイオスはロズリーヌといい雰囲気になっていた。アレクシアにはそれがすごく不満であり、自分勝手であることは自覚しているが自分の気持ちに気づいてほしかった。


「でも、欠点ばかりじゃないんだ。どう見ても厄介事でしかない私を見捨てずに助けるぐらいどうしょうもなく優しい奴なんだよ」

「そう、そうなんです!」


 この人はケイオスを理解している、とアレクシアは思った。こうやってケイオスのことを語る人は初めてだった。だから彼女は話にのめりこんでいく。端的に言えばアレクシアは浮かれていた。


 だからこそ――。


「そんなところに惹かれたんだろう?」

「はい! ……はっ⁉」


 自分が勢いに任せ何を言ったのかアレクシアが理解したときにはもう遅かった。従者のイレーヌは深いため息をつく。


 アレクシアは口をぱくぱくとさせてロズリーヌを見るが、彼女はしてやったりと笑みを浮かべるだけだった。頭の中は真っ白になっていくのに、アレクシアの顔は真っ赤になっていく。


「図星か。……うん? まさか私が気づいていないと思っていたのか」


 王女としてははしたない顔で笑うロズリーヌ。アレクシアは首を縦に振った。


「……はい、そう思っていました。もしかしてイレーヌも気づいていたの⁉」

「もうずっと前から気づいております。と言いますか、ケイオスが茶会に参加すると知るや否やちゃんとした紅茶を振舞いたいと昨日半日もかけて練習されていましたよね。何とも思わない相手にそこまで努力することなんて有り得ませんよ」


 練習相手として半日紅茶を飲まされ続け、もはや紅茶を見ると吐き気がするぐらいまで追い込まれた従者はここぞとばかりに主に恨み言を告げた。アレクシアの絶望の色が濃くなる。従者は容赦なく新たな絶望を主に突きつけた。


「ついでに言えばこの場にいたハボックたちも気づいていましたよ」

「そりゃみんなの前でケイオスに対する行動を見せつければ、よほどの鈍感じゃなきゃ気がつくだろうな」

「やだ、もう」


 恥ずかしさのあまり顔を伏せて涙目になって消え入りそうな声でうめくアレクシア。


「安心しろ。ケイオスは間違いなく鈍感だ」

「……それはそれで複雑ですね」


 アレクシアはわずかに顔を上げて答えた。

 自分の胸の内を他人に悟られるのは恥ずかしく、それが相手に気づかれていないのは嬉しい。それでも周囲が気づくぐらいわかりやすい行動をしても相手が気づいていないのは素直に喜べない。まるで自分に関心がないのかと疑いたくなる。


「わかっていると思うが、その想いの先にあるものは茨の道だぞ」


 異国人であり、平民であるケイオスと名門貴族のアレクシアでは釣り合わない。あのときとは違い、少女は聖女と呼ばれ、少年は英雄と呼ばれるようになった今でもその関係はさほど変わらない。


 ケイオスがコミューンで貴族になったとしても、聖女であるアレクシアをヴァイクセル帝国が手放すとは思えない。仮にケイオスがヴァイクセルで貴族になったとしても、新興貴族相手と名門貴族の子女では家格が合わない。


 そもそも本人が貴族になりたくないと主張している以上、両者が結ばれることは夢物語にすぎないのだ。


「一度は身分の差で諦めようとしました」


 父親に自分が自由に恋愛のできる立場ではないという事実を突きつけられたときは絶望した。もう二度と自分の師に会えないのだと涙した。

 彼の傍にいることができないのなら、せめて彼が旅立った国を平和にしようと今回の戦いに参加した。


 そして、再び出会ってしまった。

 そうして彼女は思い知らされた。いや、思い出したというのが正しい。


「でもやっぱり、私は先生が好きなんです」


 アレクシアは困った表情で微笑んだ。

 もう二度と誰かを好きにならないぐらいに心を閉ざしていたのに、抱きしめられた瞬間、あふれ出る想いを止められなかった。


 そう簡単に自分の想いを割り切れるのなら、自分でも抑えきれずどうしようもできないこの想いに悩み振り回されることなんてない。ロズリーヌの言う通り彼を思い続けることは茨の道で、報われる可能性だって低い。


 けれど、それでも。


 絶望していたころよりずっと辛くはない。むしろ多幸感さえある。


「だから諦めることはできません」


 たとえあの人との距離が遠くとも、どんなに遅くても一歩一歩踏みしめていつかそこにたどり着こう。何もかも諦めて閉ざされていたあのときよりもずっと希望に満ちている。そう思うだけで、アレクシアは幸せだった。


「そうか、そのなんだ。余計なお世話だったな」


 アレクシアから伝わるケイオスへの想いにあてられたロズリーヌは少し顔を赤くした。


「いえ、自分でも不器用だなって思いますから」


 二人は苦笑した。


「前途多難ですよね。肝心の先生の気持ちもわかりませんから。先生は私のことを何とも思っていらっしゃらないのでしょうか」


 アレクシアは恋する乙女にありがちな悩みを口にした。


「それはないと断言できるぞ」


 ロズリーヌは即座に否定する。


「ヴァイクセルが侵攻してきたときの報にはアレクシア殿の名もあった。そのとき、ケイオスは激しく取り乱して、しばらく姿を見せなかったからな。立ち直るのに時間がかかったのだろう」

「そんな、先生が」

「ケイオスにそれだけ大切に思われているということだ。よかったな」


 アレクシアは頬を赤く染めた。


「だが、逆に言えばそれだけあいつの心は折れやすく、繊細だ」


 ケイオスは絶対に非情にはなり切れない。それがロズリーヌとアレクシアを見捨てることができず他国の戦争に介入することにつながってしまった。


 彼がこの調子ですべてを抱え込んでいたら、いつか彼の身を滅ぼすきっかけにつながるのではないかとロズリーヌは心配していた。


「あいつは、周りが言うような勇敢な英雄じゃない。完璧な英雄なんかじゃないんだ」


 功績が目立ちすぎた今、一人歩きするケイオスの英雄像は本当の彼の姿を覆い隠してしまい、それに振り回されてしまうだろう。しかしそれをなかったことにすることはもはや不可能だ。


「あいつのことが好きで並んで歩きたいというのなら、どうかあいつを支えてやってほしい」


 ロズリーヌも恩人であるケイオスを助けていきたいが、それにも限界があるし立場もある。だから一人でも多く、ケイオスの理解者が必要だった。

 ケイオスのことをよく知り、彼を慕うアレクシアなら他国の貴族とはいえ、彼の支えになってくれるのではないかとロズリーヌは期待していた。


「殿下、ご安心ください。私はずっと先生の味方ですから」

「なら安心だ」


 嘘偽りのないアレクシアの回答にロズリーヌは安堵の息を漏らす。


「随分と先生のことを案じていらっしゃるのですね、殿下は」

「クレルモンを離れて以来、あいつにはずっと助けてもらったからな。もしあいつがいなければ、私はこの場にいなかったかもしれない。だからできる限りのことはしてやりたいんだ」

「実は私は不安に思っていたのです。殿下と先生はその、かなり親しくされていましたから。不敬ながら嫉妬してしまうぐらいに。殿下のことをうらやましいと感じていました」


 ロズリーヌはアレクシアの言葉に一瞬呆けて、そして吹き出した。


「そうか、アレクシア殿はそう思っていたのか! 私が親しくしている同年代の男性だとあいつぐらいなものだからな。アレクシア殿が不安になるのも当然か」


 そして、ロズリーヌは何かを思いついたのか意地悪な微笑みを浮かべた。


「不安になることはないぞ。私がケイオスとそんな仲になることはないさ。アレクシア殿よりも条件が厳しいのだからな。でもどちらかと言えば、コーネリアやエミリアのほうが危ないんじゃないか。二人を見る限り恋愛感情らしきものはなくて仲間のようだが、のんびりしていると間違いが起きるかもしれないぞ」


 そう言ってロズリーヌはアレクシアをからかう。あたふたとするアレクシアを楽しそうに眺めるロズリーヌの姿は恋話に興じる少女たちそのものだった。





「うらやましい……か。でも、私は――」


 アレクシアが懸念したように、コミューンでのケイオスの立場は不安定だ。ロズリーヌが打ち明けた内容は一部に過ぎない。


 ケイオスの叙爵。これは貴族たちが自分の派閥に取り込むことで派閥を強化しようとしているだけではなかった。

 コミューン連合国はヴァイクセル帝国と友好的な関係とは言いがたい。いくら吸血鬼殲滅に協力を申し出ているとしても、一度刃を向けられた相手に対して完全に警戒を解けるはずもなかった。


 もし再び両国が戦争することになれば、アレクシアの存在が大きな脅威になる。単独で王女ロズリーヌの居場所まで突入し、護衛の命を奪わずに倒すほどの実力を持つ彼女の姿は王宮を守っていた兵たちに鮮烈な印象を植え付けた。

 いくら聖女と呼ばれていてもヴァイクセル帝国の貴族。いつまた敵対するかわからない。


 ロズリーヌは彼女と実際に話したことで敵対しないと確信しているが、それはアレクシアと直接話したロズリーヌだからこそ言えるであり、あくまで個人としての話だ。


 敵対した場合、コミューンはアレクシアに対抗できる戦力を持ち合わせていない。だが唯一アレクシアを退けた存在がこのコミューンにいる。それは異国人であるケイオスだ。彼の存在はヴァイクセル帝国に対抗するための切り札になる。


 そんな折にヴィクトルがケイオスを勧誘したことで事情が急変する。彼がコミューンに滞在していることは一時的なものであり、いつでもコミューンから離れてもおかしくはない状況であることが周囲に知られてしまった。


 だからこそ一部の貴族たちはケイオスを何としてもコミューンに引き留め、彼の帰属を明確にしたいと画策しているのだ。まるで猛獣を首輪でつなぎとめるように。


 ロズリーヌは腹立たしく思えたが、彼らの行動は国益で見れば間違いではない。それに一部分だけ自分も彼らの意見に同意できる点がある。


 ロズリーヌはヴァイクセル帝国のことを、いや皇帝であるヴィクトルを信頼していなかった。これは明確な根拠があるわけではなくあくまで彼女の勘に基づくものだ。


 最初の謝罪や領土の返還など両国との関係を改善とする姿勢は、ヴィクトルがコミューンに対して誠実に対応しているように見えるだろう。

 だが、どうしても彼女は彼が裏で何か企んでいる考えをぬぐいきれなかったのである。


 警戒を緩めるわけにはいかない。そのためケイオスを手放すわけにもいかなかった。少なくともヴァイクセル帝国が何を考えているのかはっきりするまでは。


 この状況は是正していかなければならないとロズリーヌは感じていた。


 自国民ではない一個人に頼り切っている状況は望ましくない。

 彼を英雄視するものが多いから目立ってはいないが、彼のことを疎んじて危険視するものも出てくるはずだ。彼がコミューンでの影響力を増すごとに彼を危険視する勢力も増えていく。


 そうなったときに穏当に解決できればよいが、万が一危険視する勢力の強硬派がケイオスを蔑ろにして害するようなことでも起きてしまったら、目も当てられなくなる。

 それこそ本当にアレクシアを敵に回すことになりかねない。


 アレクシアの影響力は想像以上に大きい。下手をすれば後ろについているヴァイクセル帝国との全面戦争になる。そうなればあの悲劇が再び繰り返される。


 ロズリーヌにとって望ましいことは徐々にケイオスの依存から脱却し、国を立ち直らせ最終的にはこの国から解放させることだ。


 こんなことを彼らに打ち明けるわけにはいかない。

 国と友情に板挟みになって友人を利用している自分がひどく淀んでいるように思えた。

 そんな自分と比較してもアレクシアは純粋だった。自分はあれほど真っ直ぐに誰かを思うことができるのだろうか。純粋なアレクシアがロズリーヌにはひどくまぶしく見えた。


「私はお前がうらやましいよ、アレクシア」


 冷めた紅茶を飲み、ロズリーヌはひとりごちた。


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