表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
46/73

第四十六話 会談

 コミューン連合国、首都クレルモン。ヴァイクセル帝国と停戦してまだ日は浅く、クレルモンの城門は壊れたままで復旧の時期すらおぼつかないころ。


 ヴァイクセル帝国の皇帝はアレクシア様からの報告を受けて、すぐさま休戦を申し出た。そしてヴァイクセル帝国はクレルモンから距離を取った場所に陣を敷き、改めて会談を行いたいと言い、ロズリーヌはそれを承諾。クレルモンの王宮にヴァイクセル帝国の皇帝を招くこととなった。


 ヴァイクセル帝国の皇帝を迎えるクレルモンの王宮の部屋にはごく少数の人しかいない。部屋自体も玉座の間に比べればそれほど広くはなかった。あくまで会談は両国の代表に人数を絞っているため、最低限の人しか集まっていない。


 それだけ周囲に明かすことのできない機密性の高い重要な会談なのだろう。いやがうえにも緊張が高まる。ちょっとした身動きすらはばかれてしまい誰一人として物音ひとつ立てない。


 そんな場に俺が参加していいのだろうかという疑問は残るが、ロズリーヌに頼まれては仕方ない。彼女は静かに凛とした表情で、王女様らしく振舞っているので、こちらから話しかけにくい。話しかけることもできずに俺は彼女の傍に突っ立っていた。


「ヴァイクセル帝国皇帝ヴィルヘルム・ヴィクトル・フォン・ヴァイクセル陛下、ご来訪されました!」


 緊張した面持ちでロズリーヌの臣下の一人が告げる。空気が一層引き締まったのを肌に感じた。

 ほんの少し遅れてロズリーヌの臣下に続き入室したのはアッシュブラウンの長い髪の青年。その彼の後ろに数人の偉丈夫とアレクシア様が続いた。


 青年とは一度停戦の時に顔を合わせていた。彼がヴァイクセル帝国の皇帝である。その青年の顔はとても自信や覇気に満ちていて勇ましさを感じさせた。

 改めて見ても一般人とは違うと感じさせる空気をまとっている。彼一人でも周囲の目をひきつけ畏怖させるだけの力がある。あれがカリスマというやつなのだろう。


「よくぞお越しくださいました、ヴィクトル皇帝陛下。心より歓迎いたします」

「歓迎を感謝する。ロズリーヌ王女殿下」


 ロズリーヌは普段の言葉遣いと違って丁寧な口調で皇帝に歓迎の意志を伝える。それに皇帝は表情を崩し返答した。

 だが次の瞬間、皇帝は急に頭を下げた。突飛な行動にロズリーヌの臣下だけではなく、皇帝の臣下にも動揺が走る。


「陛下!」

「すまぬ」


 ロズリーヌの驚愕に、皇帝は謝罪の言葉で返した。


此度(こたび)の戦い。我が国は貴国がすでに吸血鬼に支配されていると考え、貴国に対し多大な被害を与えてしまった。これは私の不明のいたすところだ。改めて謝罪したい」


 心から悔いているのか皇帝の表情は暗く沈んでいる。さっきまであれだけ覇気を帯びていただけに、今の表情との落差は激しい。それだけ深く悔いている彼の心情を周囲に知らしめていた。


 吸血鬼の暗躍や様々な要因があったにせよ、自国の首都まで攻められたのだ。ロズリーヌの臣下もヴァイクセル帝国に対する不満を感じずにはいられないはずだ。張り詰めた空気も他国の重鎮が訪れる緊張だけではなくて、つい先日侵略してきた敵国に対する怒りが原因だったのかもしれない。


 他国の王族や臣下の目の前で謝罪するなど自身の威厳を損なうかもしれないのに、彼はためらう素振りすら見せなかった。尊大そうな外見に対して、この人は意外と思いやりのある人なのかもしれないと好印象を抱いた。


「陛下、頭をお上げください。貴国との先の戦いは悲しい出来事ではありましたが、すべては両国の誤解によって生じたもの。それを引き起こした吸血鬼をとがめるならばともかく貴国だけに背負わせ、とがめるつもりはありません」

「……おお、殿下の深い慈悲に感謝する。この国の復興には我が国も最大限の支援をさせていただきたい」


 両国の――特にコミューンのわだかまりはすぐに解消されるものではないが、この場で改めて両国が和解したと周知されたことは両国の関係改善に向けた好材料となるだろう。

 それが正しいかのようにあれほど突き刺すような緊迫した空気がかなり和らいでいるのを実感した。


「まず支援の一環として、貴国にはびこる吸血鬼打倒に協力したいと考えている。具体的には我が軍の一部を貴国に派遣するつもりだ」

「軍の一部を、ですか」

「うむ。眷属を増やすことができる吸血鬼の問題は貴国だけにあらず周辺国にも影響を及ぼしかねない。吸血鬼は早急に一掃せねばならぬ。これはコミューンだけではなく、ヴァイクセルとも緊密に情報を共有し共同して対処すべき問題だ。そうしなければ、今回のような吸血鬼の暗躍を許しかねない」


 なるほど、と思った。


 吸血鬼は人の血を吸って眷属を増やすことができる。元が人であるため姿形が変わらず人の中に紛れ込むことができるのだ。そのため気づくのが遅れ、コミューンの王宮が占拠されたのである。今回の騒動はコミューンで起きたことだが、これがコミューンだけで終わる保証はない。周辺国にも広く周知しなければならないことだ。

 また吸血鬼が占拠していたクレルモンを奪還した情報をヴァイクセル帝国が知らなかったから今回の戦争にまで発展している。


 ヴァイクセル帝国と情報が共有されていれば再び同じ被害を防げるかもしれない。それにコミューン北西部では吸血鬼と交戦し勝利したヴァイクセル軍が協力してくれるのは心強い。


「お話は分かりました。こちらとしても吸血鬼の根絶に力を注ぎたいのでヴァイクセル帝国の支援を受けられるのは願ってもないこと。ヴァイクセル帝国の支援をお受けします」


 しばし思案したのか一拍置いてロズリーヌが返答する。

 悪い提案のようには思えないし、国民を慈しむ彼女が躊躇(ちゅうちょ)することが不思議に思えた。ああ、そうか。王女ともなると目先の利益だけではなく、他国に借りを作るから政治的な配慮にも気をつかわなくてはならないのか。


「それからコミューン北西部の領土なのだが」


 皇帝が迷った表情で言いよどむ。

 確かコミューンの北西部の領土はヴァイクセル帝国が占領していると聞いた。いくら吸血鬼が一時的に支配していた土地であっても、元はコミューンの領土だ。コミューン政府が健在である今、ヴァイクセル帝国が留まり続けるとコミューン連合国を侵略する意図があるのではないかとコミューン側は考える。


 しかし、ヴァイクセルは命がけで吸血鬼から奪い返した領土である。簡単に明け渡すとも思えなかった。


 領土問題。現実世界でも各国で起きているデリケートな問題であり、解決方法が見つからず難航することも容易に察することができる。

 しかし触れないわけにはいかない。ヴァイクセル帝国の対応次第によっては、せっかく和解しても白紙に戻ることだって十分に考えられるのだ。


「貴国に返還することを考えている。ただ返還する際、我が軍がコミューン北西部から撤兵するには時間を要する。しばらくの猶予(ゆうよ)はいただきたい」


 意外にも皇帝はあっさりと返還すると宣言した。てっきり領土の一部を分割して統治するなど、ヴァイクセル帝国側にとって利益のある交渉をするのではと思ったのだがどうやら違うらしい。

 だとしたらあの皇帝は何を懸念して言いよどんでいたのだろう。


「だがそれを決める前に王女殿下にお聞きしたいことがある。殿下はコミューン北西部の実情をご存知か?」

「実情ですか? それはどういう意味でしょう?」

「吸血鬼によるコミューン北西部の被害について、だ」


 ぴくりとロズリーヌは反応した。


「ロズリーヌ王女殿下に引き合わせたい者がいる。ここへ連れてきても構わないだろうか」


 ロズリーヌは無言で首を縦に振った。彼女の体が不自然なほど固くなっているように見える。

 ほどなく入室してきた人物は中年の男だった。ロズリーヌも見覚えがあったのか目を見開いた。


「お久しぶりでございます、ロズリーヌ王女殿下」

「お前は……マイエヌ公爵に仕えていた」

「覚えておいででしたか。マイエヌ家で長らく執事を務めさせていただいておりました」


 マイエヌ公爵。その名前は俺にも覚えがあった。ヴァイクセル帝国によって討たれたとされる貴族だ。


「公は、マイエヌ公爵はやはり」

「公は吸血鬼の手によって眷属にさせられてしまったのです。そしてヴァイクセル帝国の軍によって討伐されました。でもそれはよかったのかもしれません。それ以上、公が汚名をこうむることはありませんから」


 その従者は苦渋の色を浮かべ、ロズリーヌはわずかに唇をかんだ。


「それだけではありません。マイエヌ家の御一族はすべて眷属にされるか殺されてしまいました。使用人もことごとく吸血鬼によってなぶりものにされ、雑事を負わせるためかはたまた気まぐれかはわかりませんが私一人だけ生かされてしまった。もはや私に仕えるべき家はございません」


 話しながらその時のことを思い出したのか、執事の顔は青白くなっていった。


「そして吸血鬼は民をしいたげました。吸血鬼たちのことを知らぬ民は近隣の貴族やクレルモンへ救いを求めたのです。ですが訴えは退けられ、追い返されたそうです」


 俺はロズリーヌを見た。目を皿のようにして驚く彼女の反応を見れば、彼女はまったく知らなかったのだろう。


「打ちひしがれて戻ったあとに彼らは罰を受けました。そのため民はマイエヌ公爵だけではなく、コミューン政府まで恨みを募らせてしまったのです」

「しかしそれは!」


 たまらずロズリーヌの臣下が口を挟んだ。

 推測ではあるが、おそらく訴えた民を追い返した連中は吸血鬼だったのだろう。だとするとコミューン政府に恨みを向けるのは筋違いだ。


「ええ、存じております。吸血鬼がクレルモンを一時的に支配していて国が機能していなかったことも。ですが、事実を知ったとしても被害を受けた者たちからすれば変わらないのです。感情が許しません。もし政府が吸血鬼たちの動向を見破り、軍を派遣されていれば変わっていたかもしれませんが……」


 それは無理だ。ほんの少し前まで吸血鬼に支配され、クレルモンを奪還に動いていたのだ。

 奪還してすぐにヴァイクセル帝国の侵攻の報を聞いたのである。とてもじゃないがコミューン北西部にロズリーヌが軍を派遣する時間などなかった。


「ヴァイクセル帝国軍が侵攻してきたとき、民は喜びました。彼らにとってヴァイクセル帝国は吸血鬼を打ち払った正義であり、皇帝陛下は解放者なのです。対してコミューン……はばかりながら申し上げると吸血鬼の蹂躙(じゅうりん)を許した無能であり、王家は無能な治世者だとあざけっております」


 一瞬激しい憤りが頭の中で渦を巻いた。

 ロズリーヌが怠慢していて、民を見捨てていたのならば彼らの訴えは理解できた。

 だが彼女は必死だった。吸血鬼から国を取り戻し、立て直すためにクレルモン奪還後も政務に明け暮れていたのだ。それを間近で知っている分、その努力を否定し、彼女を侮辱する言葉はひどく腹立たしい。


 そんな顔に血が上っている俺とは裏腹にロズリーヌは何も言い返さない。治世者としての彼女はただそれを甘んじて受け入れていた。


 辛くても治世者である彼女は目をそらすことは許されない。それが筋違いだとしても、彼女の姿を直接見ていない民からすれば行動で判断するしかない。

 クレルモンに住む民には国を救った王女だとしても、マイエヌ公爵の領地に住む民には自分たちの領地を見捨て救ってくれなかった人物にしか映らなかったのだ。結果的に救えなかったことは事実なのだから。


 それを理解しているからこそ彼女は反論一つしないのだろう。その彼女の心情を無視して、俺が私情をぶつけるわけにはいかなかった。


「民は搾取(さくしゅ)され続けました。私も家族を失っております。だからわかるのです。彼らの怒りが。怒りの矛先になるはずの元凶は死に、だから自然とコミューン政府に対する憎しみへと転嫁していったのでしょう。それほど苛烈で凄惨な出来事だったのです。民は怒りによって冷静ではなく、感情で暴発する恐れがあります。今はヴァイクセル帝国が治めているおかげで治安が維持されていますが、新しい領主様が来られたとしても民は反発して従わないでしょう」


 執事の発言のあと、しばらく沈黙が続いた。

 やりきれない。吸血鬼を倒してもそれで終わりではない。単純には解決しないのだ。その傷跡は被害者の心に刻まれている。


「マイエヌ公爵の領地だけではないのだ。コミューン北西部にある有力貴族が治めていた領地はほぼ似たような状況にある。そのためコミューンに領土を返還した場合、何が起きるかわからないのだ。だからこそ返還したのちどのように統治するのか、殿下のお考えを知りたかった。本来このようなことを尋ねるのは無礼極まりない行為だ。だが、もし吸血鬼討伐中に民が暴動を起こせばかえって大事になる。我が国の兵の命を預かるものとしてその危機を看過できぬのだ。そのため心苦しくはあったが、一度有りのままの事実を殿下にお伝えしたかった」

「いえ、陛下のご配慮がなければ危うく民の感情を理解しないままでいたでしょう。陛下のご慧眼には感服いたします」


 皇帝が言いよどんだ理由も今ならわかる。

 コミューンの統治能力を疑うような発言だ。もし現地人である執事の訴えが事前になければ、ロズリーヌやコミューンに対する侮辱ととらえられかねない。

 ただでさえ国の関係が良好ではないのに火に油を注ぐようなものだ。


 しかし難題だ。そのことが理解できたのかロズリーヌと彼女の臣下は一様にうなった。

 領土が返還され改めてコミューンが統治しようにも問題が発生する。だからと言ってそのままヴァイクセル帝国に領土を預けたままにするわけにもいかない。コミューンへ返還された領土にヴァイクセル軍が駐留する義務はないのだ。


 でもヴァイクセルに領土を明け渡すのも不安が付きまとう。

 アレクシア様が言っていたのだ。昔のヴァイクセル帝国は人同士の戦争によって領土を拡張していたのだと。領土のバランスが崩れ、ヴァイクセルの国力が増せば将来領土をめぐる人間同士の戦争が起きるかもしれない、と。


 もしかすると、皇帝も人間同士の戦争につながる可能性があるから、コミューンに領土を返還して、このような忠告をしているのかもしれない。


 だがそう簡単に結論が出る問題ではない。ロズリーヌは先ほどよりも長考したままであり、ロズリーヌの臣下もうろたえたままだ。具体策は出そうになかった。ヴァイクセルの皇帝を前にして国内の事情を明け透けに相談もしづらいだろう。

 その空気を読み取ったのか、先に皇帝が口を開いた。


「この問題は慎重に対応するべきだと考えている。我が国としても各領地から軍を引き上げる時期は貴国と協調して行わなければならない。また吸血鬼討伐における軍の連携など支援範囲について調整をする協議が必要だ。その際にこの問題についても合わせて協議していきたい」


 ロズリーヌも頭を縦に振った。


「では詳細は後日改めて決めるとしよう」


 皇帝はその場にいたロズリーヌたちを見回したあと、彼の目が留まった。彼の目は完全に俺を捉えている。


「王女殿下、少しこの者と話をしても良いかな?」


 皇帝の言葉にロズリーヌはいぶかしむ表情を見せた。彼女ではなくいきなりお付きのものに声をかけることをあやしく思ったのだろう。


「いや、なに。両国の恩人と顔を合わせたときは停戦中ゆえにゆっくりと話す機会がなかったのでな。改めて場を設けたいが、両国にとって今は大事な時期。落ち着く間もないだろう。それではしばらく会えなくなってしまう。殿下もお忙しいのではないのかな」


 皇帝が苦笑いしながら理由を話した。幾分納得したのかロズリーヌがちらりと俺に視線を向けた後、こくりとうなずく。


「貴公がケイオスだな」

「……はい」


 緊張で激しく脈打つ心臓の鼓動がやけにうるさい。周囲に聞こえてはいやしないか。


「アレクシアから事情は聞いている。貴公が吸血鬼の陰謀を暴いたおかげで、両国の最悪の事態は回避された。礼を言おう」


 いや、それは違うんです。アレクシア様のメイドであるイレーヌさんやハボックたちと話したときにたまたますれ違いに気づいただけなんです。

 だから俺の手柄というよりもイレーヌさんやハボックたちの手柄であり、一人だけ持ち上げられるような存在じゃないです。

 そう告白する前に皇帝は話を続けた。


「ところで貴公はこの国では珍しい黒髪だな。この国の生まれなのか?」

「いえ、違います」

「ではどちらの出身だろうか」


 一瞬心臓が止まった。


 当然ながら俺が異世界人であることを誰も知らない。今まで特に追求されなかったので問題にならなかった。


 しかし、俺が異世界人であることを打ち明けていいものなのだろうか。

 こちらの世界にVRMMORPG(ブイアールエムエムオーアールピージー)があるとは思えないが、遊戯の物語の世界に入り込んでいるようなものだ。いくら魔法が実在するファンタジー世界でも、ここまでファンタジーな実情を周りが受け入れられるだろうか。


 両国の首脳がいるこの場でそんな妄想じみたことを言ったら、ふざけていると思われて心証が悪くなるだろう。そんな人物を会談に呼んだロズリーヌの立場も危うい。さすがに無礼討ちみたいなことになんてならないよな。


「……この大陸にある国の出身ではありません」


 さんざん迷って出した答えは、明確な回答は避けごまかすことだった。この世界の出身ではないのだから、この大陸の出身ではないことは間違いではないはずだ。……詭弁(きべん)なのは重々承知である。ロズリーヌまでだますのは心苦しいが。

 その答えに皇帝の臣下がざわめく。皇帝はあやしく笑った。


「ほう、海外の出身か。私はあまり国外に足を運んだことがない。このクレルモンの街並みですら目新しく映る。それが海を隔てたとなると想像もつかないな」


 反応を見る限り、素性の知れない人間が重要な会談にいること自体有り得ないことなのだろう。だからもっと追及されるのかと思ったが、どうやら皇帝の興味はほかにあったようだ。


「この国には何をしに来たのだ? 異国の客人よ」


 これまた返答に困る質問だ。

 この国に来た目的は特にない。強いて言えばβ(ベータ)テストのときカスタル王国とヴァイクセル帝国を冒険したのでまだ訪れていなかった国に行こうと考えていたのと、コミューン連合国でイベントが行われる告知があったからだ。

 でもそのまま言うわけにもいかない。さっきの反応を見る限りこの場で下手な返答をするのは危険だ。

 だとすると無難な回答をするしかない。


「冒険するために世界を旅しています」


 ゲームの『Another World』は様々なエリアを探索し、珍しいアイテムを取得し、強い敵と戦うなど、世界を駆け巡って冒険することがゲームの醍醐味の一つだと言えた。

 だからある意味この答えは間違っていないと思う。周囲も取り立てておかしく感じていないのか先ほどとは打って変わって反応が薄い。


 だが皇帝は突拍子もないことを言ってのけた。


「そうか。では貴公は冒険者なのだな。殿下、ケイオスは貴国で雇っておられるのか?」

「……いえ、違います」

「ならば我が国に仕えてみる気はないか? ああ、もちろん事態が鎮静化したあとで構わない。ケイオスは有能な魔導師であると聞いている。もし契約期間が過ぎて彼が望むのであれば是非我が国に招聘(しょうへい)したい人材だ。英雄にふさわしい地位を約束しよう」


 話を聞いていたロズリーヌは青ざめ、アレクシア様がどこか嬉しそうな表情を見せた。

 英雄にふさわしい地位ってどんな地位だろう。おそらく相当重要な役職に就けるつもりなのか。

 冗談じゃない。はっきり言って英雄扱いされるだけでも重荷なのに、そんな地位にされたらたまったものではない。胃に穴が開いてしまう。


「その……高く評価していただけるのはありがたいですが、俺――いや私にはそのような地位は身に余ります」


 皇帝の勧誘を断るのは失礼なのかもしれないが、それは譲れなかった。

 もっとも皇帝は断られることを前提にしていたのか、あまり気にしていない様子である。

 ロズリーヌは俺と同じくほっとしている。うん、この選択は間違っていないだろう。反面、アレクシア様は少し複雑そうだ。


「そうか。しかし考えが変わったらいつでも我が国に来てくれ。昨今の魔物の活発な動向はもはや無視できぬものとなっている。有能な魔導師であればいつでも歓迎だ」


 なるほど。多分皇帝なりのリップサービスだったんだ。よかった、断ったことで皇帝の不興を買わなくて。


 本当はこんな問題を避けるためにこの世界に来るべきではないのかもしれないが、戦いで亡くなったロズリーヌの叔父であるラウルさんにロズリーヌのことを頼まれているし、俺自身もこの世界で関わったロズリーヌやアレクシア様たちのことが気になって仕方がない。

 せめてこのコミューン連合国で起きている騒動が鎮静化するまではこの世界に来ようと思っている。


「大恩がある貴公に対して私はそれぐらいでしか報いることが出来ぬのだ」


 皇帝が申し訳なさそうに顔を伏せた。お礼など必要ないのだがそのもったいぶった発言は引っかかりを覚えた。


「貴公のクレルモンでの活躍。その真実の一部は伏せなければならない」

「何故ですか、陛下⁉ 先生の、ケイオス、殿の功績を偽るおつもりですか⁉」


 声の主はロズリーヌではない。ヴァイクセル帝国側にいるアレクシア様の声だった。


「アレクシア、控えよ。いくら聖女と称えられている卿といえどもこの件に関して口をはさむことは許さぬ」


 皇帝がアレクシアを叱責する。彼女は苦しそうにうめいた。


「陛下、理由をお話しください。我が国としてもその発言は無視できません」

「教会だよ、王女殿下」


 教会? 俺がその単語から思いついたのは『Another World』のゲームでも転職で利用されている施設のことだった。しかしそれがどう関わるのだろう?


「ケイオス、貴公は異国の旅人ゆえ知らないかもしれないが、この大陸では世界を創世した五柱のうち三柱の神を信仰している。そして神の教えを守り、教義を民衆に布教して、人々を導く活動をしている組織のことを『正統教会』と呼ぶ。その『正統教会』の俗称が教会なのだ」


 この世界の宗教団体のことか。現実世界にも似たような組織はあるわけだし、施設としての教会もこの世界に存在するから、当然そうした組織があってしかりである。


「また教義の布教や儀礼を司るだけではなく、傷病者の治療といった医療活動も行っている。教会の聖職者の多くは法術師だからな」


 法術師は対象のHP(ヒットポイント)を回復する魔法を使うことができる。

 つまり外傷を治すことができる魔法だ。この世界には即効性のあるポーションといった薬品もあるが、材料を必要とせず休めば回復するマナの消費のみで外傷を治せるから、魔法を利用した医療活動に結び付いたのだろう。


「教会はすべての国で活動している。もっとも教区の関係もあり、国ごとによって独立した組織に近いがな。だが表面上一つの組織であり、教義によって国家間の争いには不干渉を貫いている。しかし教会は争いをすべて禁じているのかといえばそれは違う。むしろ魔物との戦いは積極的に介入してくる。今回のようにな」

「つまり隠蔽(いんぺい)する理由は教会にあると?」


 皇帝は首肯する。


「この戦いの目的は魔物に奪われたコミューンの解放だった。そのため教会も騎士団を参戦させている。だが、真実は違ったというわけだ」


 皇帝の言うように吸血鬼がコミューンを乗っ取っていれば間違いはなかった。


「現実は吸血鬼に騙されて人同士で戦ってしまう結果になった。これでは国家間の争いに関わらない教義に反してしまい、教会の権威を損なうことになる。教会の権威の低下をきっかけにして教会とヴァイクセル帝国、コミューン連合国との関係も険悪なものになってしまうだろう。極論ではあるが教会と国家が対立する可能性もある。今後の吸血鬼対策にも影響が大きい」


 そうか。教会とコミューンやヴァイクセルが対立すれば、教会からの支援が得られなくなる可能性があるのか。もっともそれは本当に極論ではあるが、不和につけこまれる可能性は十分にある。確かに大きな影響があるかもしれない。


「しかし、争ってしまった事実は変えようがありません。隠蔽しようにもクレルモンの民すべてが目撃している以上伏せようがないのではありませんか」


 ロズリーヌが反論した。


「そう、ヴァイクセルとコミューンが交戦した事実を隠蔽することはできない。だからこれについては真実を強調して伝える。あくまで吸血鬼によって両軍が騙された結果なのだと。そうすることで権威の低下を最低限に抑える」


 なるほど。結果としては変わらないが、矛先を吸血鬼に向けることで教会の正当性を維持しようと考えているのか。実際に吸血鬼が人間同士を争わせようと動いていたのは事実であるし、自業自得な面がある。


 あれ? でもそれじゃ真実を隠蔽するのではなく、むしろ真実を公表しているだけじゃないのか?


「そう、これ以上教会の権威を失墜させてしまうことは許されないのだ。実はこの戦いを始める前に、我が国のブランデンブルグに魔物が侵攻してきた。これがこの戦争のきっかけにもなったわけだが。その魔物はコミューン連合国より来た魔物であり、おそらくは吸血鬼の差し金なのであろう。あまりの魔物の数にブランデンブルグは陥落するものだと思われた。それを防ぎ大きく貢献したのが、マリー・アレクシア・フォン・ザヴァリッシュ。殿下もご存じだと思うが我が国の貴族である」


 ブランデンブルグ。あのライノスというサイの魔物が押し寄せてきたときを思い出す。アレクシア様がライノスの突進によって倒れた瞬間を。思い出して顔をしかめた。


「アレクシアはそれ以来ヴァイクセルの聖女と呼ばれている。これは俗称ではない。教会が正式に聖女と認定したのだ。神の恩寵(おんちょう)(たまわ)った少女として」


 プロパガンダか。嫌悪感が否めなかった。それで少女を戦争に巻き込んだのだとしたらあまりにもひどい話だ。


「教会が認定した神の力を賜った聖女が、神の力を持たぬ魔導師に敗北を喫した。そうなってしまえば民衆はどう思う?」


 それは――、ああ、そうか。


「アレクシアは貴公に敗れたと聞いている。これが広まれば、まずアレクシアが本当に聖女であるのかが問われよう。そうなれば認定した教会の権威が失墜してしまう」


 教会はアレクシア様を聖女と認定した。ブランデンブルグの件が広く知られているといっても、聖女であるかどうかの証明は難しいということか。であるならば、聖女が敗れた事実を伏せたほうがいい。


 しかし、どうして教会はアレクシア様のことを無根拠で聖女と認定したのだろう。それに神の力を賜ったってなんだ?


 ……もしかしてあれか?

 脳裏によぎったのは「転職」のことだった。


 『Another World』ではレベルを一定以上あげることで二次職に「転職」できるシステムがある。「転職」は教会の祭壇に特定のアイテムを捧げると光に照らされ神秘的な演出が起きるのだ。


 これをアレクシア様は行っている。そういえばアレクシア様が転職したとき、神官らしき人が驚いていたよな。あれも演出の一つだと思っていたけど、今考えれば本気で驚いていたんだろうな。

 基本的にこの世界では「転職」は有り得ない現象なんだろう。


 しかし、そうだとしたらアレクシア様はどうして「転職」できたんだろう?


 いや、考えるのは後だ。だとすると、アレクシア様が聖女に認定された原因はやっぱり俺かもしれない。アレクシア様は「転職」のことなんて知らなかったし、俺がいなければ「転職」なんて行う必要がなかったからだ。

 今までの行動がこんな形で影響を及ぼしているなんて。


「だから、この件については隠蔽するべきだと考えている」


 重苦しい沈黙が漂う。

 明らかに不満顔なのはアレクシア様だ。さっきの発言から考えても、彼女は真実を歪められることが不服なのだろう。ロズリーヌは思案していてどちらとも取れない。


「私は隠蔽していいと思います」


 俺の発言にみんなの視線が集まった。


「ほう、貴公の考えを聞こうか」

「考えというほどでもありません。ただ今は吸血鬼の脅威が残っているうえ、戦争によって両国の関係も微妙な状況です。その状況で新たな不和の種をまきたくはない。そう考えただけです」


 もっともらしく伝えたが、要は丸く収まればいいと思っているだけだ。

 それに俺の感覚からすればアレクシア様を、年下の少女を相手に勝ったなんて誇れるものではない。むしろ恥ずべきことだ。こんなことを広めたくなんかない。


「ケイオス、本当にそれでいいのですね」


 ロズリーヌが問いかけた。


「はい」

「そうですか。ではこの事実は口外することを禁じます。陛下、それでよろしいですか」

「うむ。殿下と貴公の英断に感謝する。もちろんヴィルヘルム・ヴィクトル・フォン・ヴァイクセルの名において、隠蔽するのはその件のみでありケイオスの名誉を汚すことがないことを約束しよう」


 笑い合う皇帝とロズリーヌ。


「さて両国が急ぎ議論すべきことは概ね終えたと思う。できれば両国の友好のため語り合う時間を取りたいところではあるが、あいにくと本国に残してきた政務もある。申し訳ないが私はこれにて失礼させていただこう」

「陛下、本日は会談にお越しいただきありがとうございました。両国の関係が揺るぎないものとなるよう、協力関係を維持するように取り組んでいきましょう」

「もちろんだ、ロズリーヌ王女殿下。また折を見て会うとしよう」


 そう言って皇帝は踵を返した。どうやら無事に会談は終了したようだ。この場を乗り切り、ようやく重圧から解放されたことで晴れ晴れとした気分だ。

 皇帝を見送ると、アレクシア様と視線が合った。


「アレクシア様……」


 後ろ髪引かれるようにこちらをじっと見つめる彼女の姿に思わず言葉が漏れる。

 アレクシア様の歩みが遅々として進まないことに気がついた皇帝が歩みを止め、振り返ってアレクシア様に視線を投げた。


「アレクシアよ。しばらくクレルモンに残るか?」

「……よろしいのですか⁉」


 弾かれるように皇帝に顔を合わせるアレクシア様。反応がおかしかったのか皇帝は苦笑いを浮かべた。


「今後コミューンとは協力し吸血鬼と戦っていかなれければならない。そのため両国の意志をすり合わせるために密に連絡する使者が必要になる。アレクシア、卿は王女殿下とも顔見知りであり信頼を得ている。見知らぬ新たな使者を立てるよりも支障なく円滑に事が運ぶであろう。少なくとも後任の人事が決まるまでのことだが。いかかだろうか、王女殿下」

「ええ。歓迎します、アレクシア殿」

「では、アレクシアよ。卿を使者に任ずる。クレルモンに駐在し、王女殿下のお言葉を聞き、状況をつぶさに私に報告せよ」

「謹んで拝命します」


 アレクシア様は恭しく頭を下げた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
今までの内心描写があったがために、この話が胡散臭く感じる。嫌悪感丸出しの己の顔がありありと皺を刻んでいる。ストレスが禿げしい。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ