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第四十三話 魔導師と聖女は杖を交え1

 王宮内のとある一室でロズリーヌは戦況を見守っていた。城門の突破をはじめ次々と劣勢に追い込まれているクレルモンはもはや風前の灯。この王宮ももう安全とは呼べなくなっている。


「姫殿下、もはやここが陥落するのも時間の問題でございます。姫殿下だけでも落ち延びてくだされ。姫殿下に何かあれば死んだシャルテル公爵に申し訳が立ちません」

「もう遅い。街の中に侵入されてしまった以上、逃げ道などない。たとえ転移魔法で逃げたとしてもそう遠からず捕まるだろうな」


 戦装束をまとったロズリーヌの言葉に、彼女の臣下は涙する。コミューンが自分の代で終わるのだと思うと悔しくてたまらなかった。


「お前たちは剣を捨てて投降しろ。私が捕まれば、この戦いは終わる。お前たちまで傷つく必要はない」

「申し訳ありませんが、その命には従えません。奴らは我らを吸血鬼と偽り侵略してきたのです。人間である我らの存在は都合悪い。我々を亡きものにし真実をうやむやにしてしまうでしょう。それに我らの主は姫殿下ただお一人。卑劣なヴァイクセル帝国に下げる頭など持ち合わせておりません。最後までお供させていただきたい」

「……まったく。私は命令を聞かない臣下に嘆けばいいのか、最後まで忠義を尽くす臣下に喜べばいいのかわからないな。だが、悪くない」


 苦笑するロズリーヌ。彼女の臣下は笑いあった。


 部屋の扉が開かれる。笑い声は止み、伝令の兵かと思い一同の視線が入口に集中した。白いローブを着た少女が扉を開け、一同を見回していた。


「何故このようなところに少女が……いや、まさか貴様はマリー・アレクシア・フォン・ザヴァリッシュか!?」

「ええ、その通りです」


 敵の指揮官自ら堂々と敵の本陣に訪れるとは思わなかった。ロズリーヌたちは意表を突かれたが、アレクシアが敵の指揮官だとわかると色めき立つ。


「王宮内には兵が各所を守っていたはずだ。まさかすべて倒したというのか」

「時間はかかりましたが、しばらくの間寝ていてもらいました」


 少女の言葉は真実だとロズリーヌたちは確信した。敵をもっとも近づけてはいけない要人の側に容易く接近を許しているのにもかかわらず、今なお兵が集まる気配がない。もし兵が無事ならば、騒ぎが起きたこの場にすぐさま駆けつけるはずであるし、そもそも敵の接近をだまって見逃すはずがなかった。

 指揮官でありながら単身で敵の本陣に乗り込む胆力、そしてその無謀を実現できるだけの力量は幼い少女の姿からは予想できない。外見にだまされてはいけないぐらいの実力者であることをロズリーヌたちは胸に刻んだ。


「ロズリーヌ様には指一本触れさせるわけにはいかん! あの少女を倒すのだ!」


 相手は単身で本陣まで来ることができるほどの実力者である。ロズリーヌの臣下たちにはアレクシアに対する侮りは無い。

 アレクシアは軽く嘆息する。ロズリーヌの臣下たちには彼女が自分たちを侮っているのだと捉えた。

 怒気を露わにして騎士たちが躍り出る。アレクシアは素早く詠唱した。


「『ウィンド・ウォール』」


 突風が吹き荒れ騎士たちを吹き飛ばす。重い鎧を着こんだ騎士ですら突風によって身体を浮かせ、壁に叩きつけられる。飛ばされた騎士たちは激痛でのたうち回るか、気絶してしまい再び立ち上がることができない。

 ただ一回の魔法。それだけで屈強な騎士を倒してしまう高位の魔導師。


(あいつの知り合いだから凄く強い魔導師かもしれないと思ったが、とんでもないな)


 ロズリーヌは冷や汗をかいた。

 さも当然のように振る舞うアレクシアには余裕が見られる。数を集めたとしても彼女一人に敵うかどうかというほどの圧倒的な強さだとは思わなかった。自分の知る魔導師の中で強者に位置するケイオスよりもずっと強いのではないかと思うぐらいである。

 もしかするとケイオスが恐れたのは、知り合いの彼女と戦うのを恐れたのではなくて、彼女の強さに恐れおののいたのではないかとロズリーヌは思い直しそうになった。


「抵抗は無意味です。あまり手を煩わせないでください」


 上位者からの強制的な命令に兵たちは硬直した。無表情の彼女は特別すごんだわけでもない。だが先程の光景が、目に見えない圧力が彼らの士気をくじく。


「申し訳ありませんが、この国の王はどちらにいらっしゃるのでしょうか? 探しているのですがどこにもいらっしゃらないようでした。まさかすでに逃亡されたのですか?」

「王は吸血鬼の手によってお亡くなりになった。この国の君主は私、ロズリーヌ・ド・コミューンである」

「……なるほど、そういうことですか」


 ロズリーヌの言葉にアレクシアはしばし逡巡したあと、一人納得した様子を見せた。


「ロズリーヌ様、無礼を承知でお願いいたします。降伏してください。そして私と共に皇帝陛下の御前までご同行願えませんか」

「貴様、ロズリーヌ様に虜囚の辱めを受けよと申すのか!?」

「ええ、この戦いを終わらせるにはロズリーヌ様の協力が必要です。御身の無事は私の名に賭けて約束いたしましょう」

「ええい、話にならん。卑劣なヴァイクセルの手先である貴様の言葉など信じられるわけなかろう!」


 ロズリーヌの臣下のうちの血気盛んな一人がいきり立つ。


「では時間を浪費し、いたずらに兵たちの命を損耗せよとおっしゃるのですか? あなたたちも状況を理解できているはずです。もはやこの街にいるコミューンの兵士たちの抵抗も弱まっています。時期にヴァイクセル帝国の兵が押し寄せてくるでしょう。これ以上の犠牲に意味はありません。そうなる前にこの戦いを終結させるべきです」


 事実を突き付けられ、臣下たちが怯む。アレクシアの理屈は正しい。しかし感情としては納得できないものがあった。

 実力のある魔導師とはいえ、一人の少女に歯に衣を着せぬ正論を説かれ、追い詰められてコミューンの歴史が閉じようとしている。感情が高ぶっており、プライドの高い彼らの中に反発心が湧き上がった。

 そして合理的に物事を考える今のアレクシアにそんな人の心の機微を理解することができない。


「うるさい! 我らはロズリーヌ様を最後までお守りし、貴様らに一矢報いるまで! そのような言葉に惑わされぬわ!」

「よせ! お前たち!」

「愚かな……それが人の上に立つもののすることですか」


 主のロズリーヌの制止を振り切り、感情をむき出しにしてアレクシアに襲い掛かる臣下たち。表情が変わらないアレクシアは彼らの行いを軽蔑しているのか言葉に棘がある。


「ではこちらも力づくでいきます」


 杖を構え直したアレクシアは次々と襲い掛かる臣下を倒していく。アレクシアに対抗できるほどの戦力はこの場にいない。

 ロズリーヌは何度も臣下を止めたのだが、彼らはロズリーヌの言葉に耳を貸さずに最後の一兵まで戦い続けた。それでも誰一人としてアレクシアをまともに傷つける出来たものはいなかった。

 すべての臣下が横たわり、アレクシアを遮るものはいなくなる。アレクシアは一歩一歩ロズリーヌの下へと近づく。止めることのできなかったロズリーヌは涙を流して膝をついた。


「ロズリーヌ様、降伏を。これ以上の犠牲を増やすおつもりですか」


 杖を突き付けて有無を言わさぬ恫喝。ロズリーヌはただアレクシアの言葉に従うほかなかった。



 ***


「ロズリーヌとアレクシア様を探そう。早くしないと間に合わなくなる」

「ケイオス、ロズリーヌってここのお姫様のことよね。どうしてヴァイクセル帝国の貴族には様付で、コミューンの君主は呼び捨てなのかしら。普通逆じゃないの」

「お姫様を助けたって話は聞いたことはあるっすけど、本人からお姫様と親しいことを聞くと、どんな事情があったのか興味あるっすね」

「こら、お前たち。急いでいるんだ。そういう話は後にしろよ」


 コーネリアとリーアムが騒ぎ出すが、ハボックが呆れ混じりにたしなめる。


「人が集まっているのはあっちのほうだな、あっちにロズリーヌがいるかもしれない」

「よくわかるな。こっからじゃ何もわからないと思うんだが」

「それはマップ」

「マップ?」


 しまった。ハボックたちがこちらの世界の住人ならばゲームシステムであるマップを表示できるはずがない。現にマップという言葉を聞いても、理解するどころか疑問を浮かべている。まさかマップで調べているというわけにもいかない。取り繕ってごまかす。


「……気配を感じるんだ」

「でもアレクシアと呼ばれた少女は確かあちらに行きましたよ」

「何?」


 エミリアが指をさした方向はロズリーヌがいると思われる場所とは別の場所をさしている。

 そうだ、こっちの世界の人はマップなんて見えるわけがないのだからそもそもロズリーヌがいる場所なんてわかりっこない。つまり必ずしもロズリーヌのいる場所にアレクシア様がいるとは限らないのだ。

 逆に言えばアレクシア様がロズリーヌを探し出すまでに時間がかかっているはずである。イレーヌさんと戦っていてだいぶ時間が経過しているが、まだアレクシア様はロズリーヌを探している最中かもしれない。


「人が多いからと言って、そこにお姫様がいるとは限らないっすよね。城内にも敵が侵入しているんすから、安全な場所に避難していてもおかしくないっすよ」


 リーアムの指摘に俺は思わずうなった。

 確かに俺が根拠にしているのはその場所に人が多いから、多くの護衛がついている要人、ロズリーヌがいるのだと言う推測でしかない。この城には抜け道もあるし、『ワープ・ポータル』という魔法だってあるのだ。避難なんていくらでも手段がある。


「お姫様の居場所はさすがにわからねえようだな。仕方ない。城の中は広いから手分けして探すぞ。ケイオスはその人の多いってところへ向かってくれ。現状じゃ一番お姫様がいる可能性が高い。俺達が行くよりもつながりのあるお前が出向いたほうが警戒されないだろう。事情を話しても俺たちじゃ信じてもらえないからな」

「でも、アレクシア様だって同じじゃないか。下手すると戦いになるかもしれないんだぞ」

「もちろん戦わないようにするさ。お前の名前を出せばこっちの話を聞いてくれるかもしれないしな。心配すんな、ちったあ俺たちのことを信頼しろよ」


 不安をかき消すように豪快に笑うハボック。合理的に考えれば二人の居場所が確定していない以上、みんなに探してもらうしか手がない。


「わかった、みんな頼んだ!」


 ハボックたちと別れて、ロズリーヌを探しに走る。ロズリーヌがいそうな部屋の道中で倒れている兵士を見かけた。

 アレクシア様の仕業に違いない。アレクシア様が向かった先とこの通路は途中でつながっていたのか。じゃあ、もうロズリーヌを見つけているかもしれない。急がないと!


 近付くにつれて激しい音が増していく。遅かった、もう戦っているんだ!

 部屋の前に着くころには音はすっかり止んでいた。


「アレクシア! ロズリーヌ!」


 目に映った光景に俺は息を飲んだ。一人の少女の周りに多くの人が倒れている。その光景があの夢を想起させた。


 でもロズリーヌは生きている。首を振ってあの夢のことを振り払い、俺は彼女に駆け寄った。

 まだ、変えられるはずだ。


 ***


「アレクシア! ロズリーヌ!」


 アレクシアははっとして振り返った。彼女が絶対に忘れることのない人。もう二度と会えないと思っていた想い人が自分の目の前にいる。

 アレクシアは敵国の姫君のことやここが戦場であることも忘れて、杖をおろした。眼を開いたままケイオスからずっと目を離せない。


「先……生……?」


 ケイオスが手の届く距離までアレクシアに迫る。話したいことはたくさんあるのに一言ものどから出ない。何を話すのがいいのか、何を話してくるのかいくつもの言葉が頭の中で浮かんでは消えていく。

 結局、どうしていいかわからなかったアレクシアは思わず手を伸ばした。


「あ……」


 アレクシアの伸ばした手は空を切る。ケイオスは一言も無く、アレクシアを無視してロズリーヌの下へと行った。

 手を引き呆然としたままアレクシアはケイオスを目で追う。


「どうして……」


 ロズリーヌは信じられないものを見るように驚愕を露わにした。逃げ出したはずの少年がこの場にいる。


「無事か?」


 ケイオスはロズリーヌに手を差し伸べる。ロズリーヌは無意識で手を取った。ぐいっと引き上げられて本人の顔が至近でまじまじと見るとやはり本人だと実感する。

 ロズリーヌには理解できなかった。あれだけ動揺していた少年が再びこの場所に戻ってくるなど有り得ないと思い込んでいたからだ。

 ケイオスはあれだけ動揺していたのに今はいつもの調子のようにロズリーヌには見えた。


「どうして戻ってきた!? ここは戦場なんだ! ここに戻ってきたらお前も巻き込まれてしまう。お前の知り合いとも戦うことになるかもしれないんだぞ! どうして戦場にのこのこ戻ってきたんだ!?」


 ロズリーヌは突き放すように言った。目の前にいる相手はケイオスの知り合いであり、彼が彼女相手に戦えるとはとても思えない。なら彼を何としてもこの場から遠ざけたかった。


「本当は怖いし、今でも逃げ出したいぐらいだ」

「だったら!」

「でも放っておけなかったんだ。何もしないで後悔したくなかったんだ」

「……馬鹿だろ、お前。本当に馬鹿だ」


 ロズリーヌの瞳から涙がこぼれる。ケイオスは恥ずかしそうに頬をかいた。


 一方、アレクシアはその光景を寂しそうにずっと眺めていた。


(先生はそういう人でしたね)


 彼女の師は他人に手を差し伸べることのできる人物だ。どういった経緯でこの場にいるのかはアレクシアには想像できなかったが、ロズリーヌと知り合いになり彼女の危機を知ってこの場に駆けつけたのだろうと推察した。

 懐かしさが込み上げてくる。でもアレクシアの心の中にあるのはそれだけではない。


(どうして私はあの場にいないのだろう)


 どうして想い人の傍にいるのが自分ではなく、ロズリーヌなのか。

 疎外感、孤独感、虚無感、羨望、そして嫉妬。

 どれだけケイオスのことを思い焦がれていたとしても、どれだけケイオスとの距離が近くても、決して自分の手に届かないのだと否応なしに理解させられてしまう。そのことがアレクシアの心を濁らせ、むしばんでいく。


 ケイオスはアレクシアに視線を向けた。アレクシアもじっとケイオスを見つめる。

 たった一ヶ月ほどしか会っていないのだから当然だがケイオスの姿にあまり変化はない。

 くせっ気のある黒髪。無愛想な顔。一般的な男性よりも華奢な身体。何もかもが以前と同じだ。


 それなのに、アレクシアには何故か彼に違和感を覚えていた。


「アレクシア様、久しぶりだね」

「お久しぶりです。先生」

「こんな形で再会するとは思わなかったな」

「……そうですね。私もこのような形で再会したくはありませんでした」


 ロズリーヌは二人の会話から、ようやく二人の関係が師弟であることを知った。

 ケイオスの若さで弟子に取るなど、そうあるものではない。だからこそ二人の関係に思い至らなかったのだ。ロズリーヌはそこまで魔導師の事情に詳しいわけではないので、単純に自身の教育係が年かさの人物であったことを照らし合わせてそう考えたのだが、実情も同じである。


 それも含めて師弟と信じられない理由には二人の実力差も含まれていた。確かにケイオスも魔導師としての実力は高い。しかし、アレクシアほどかと言われると戦いには素人のロズリーヌですらはっきり否定できるぐらいだ。それぐらい隔絶した差が存在する。

 弟子が師よりも成長して実力をつけることは多々ある。だがこれほどの差となると類を見ないほどだろう。


「アレクシア様、この戦いの裏には吸血鬼が関わっている。だから戦いをやめて欲しいんだ」

「先生、その前に教えてください」


 ケイオスの言葉を遮り、アレクシアはケイオスに問いかける。


「あの杖はお持ちではないのでしょうか。以前私とパーティーを組んでいた時に使われていたドラゴンソウルがはめ込まれた杖です」

「杖は……」


 ロズリーヌは怪訝な顔をした。ケイオスが明らかに言いよどんだからだ。杖の所在ぐらいで言いよどむことなど、普通に考えればありはしない。

 ドラゴンソウルは有名な代物だ。そんな宝玉がはめ込まれた杖など一度見ればすぐにわかる。しかしロズリーヌにはケイオスがその杖を手にしていた覚えがなかった。

 武器はそれほど頻繁に変えるものではないが消耗品だ。ドラゴンソウルほどの宝玉をはめた貴重な杖でも消耗する。新品に買い換えることなどよくある話である。

 しかし杖を買い換えたのならばなおのこと、ロズリーヌはケイオスが杖の所在について言いよどむ理由を思い付かなかった。


「なくした」


 ケイオスは一言、アレクシアに返す。


 アレクシアの表情は真剣そのもので彼女にはかなり思い入れの深いものなのだと第三者のロズリーヌですら察することができた。もしかすると彼女からの贈り物なのかもしれないとロズリーヌは考えた。貴族であるアレクシアであれば平民であるケイオスに買い与えたのではないかと考えたのである。

 だが、それほど思い入れのあるものを失うなどあり得るものだろうか。


 アレクシアは複雑な気持ちだった。自分とおそろいで作った杖が既に存在しないことに心を痛めた。「なくした」ということから、あまりケイオスがその杖に対する思い入れは無かったのかと思うと切なく感じた。


 ただ、彼女の思考はケイオスが杖を消耗して買い替えている可能性を否定できなかった。ケイオスと共にパーティーを組んでいた間に彼が何度も杖を買い換えていることはアレクシアも知っている。


 しかし、返ってきた言葉が「なくした」である。「買い換えた」わけでも「捨てた」わけでもなく「なくした」という言葉にアレクシアは引っかかりを覚えた。


 冒険者として活動しているケイオスが自分の武器である杖を紛失するなどあるはずがない。特に彼はどこに隠し持っているのかアレクシアにはわからなかったが、杖を常に携帯していたことを覚えている。自らの意志で手放さないかぎり、杖を紛失するなど想像がつかない。


 そして何よりアレクシアがケイオスに対して一番違和感を覚えていることを口にした。


「……では、その目の色はどうして両方とも黒色なのでしょうか。先生の瞳は黒と青だったはずです」


 双黒の瞳。それがケイオスに対する違和感の正体だった。

 アレクシアが恋焦がれる相手の姿を見間違えることはない。彼女が師と共に過ごしていた時期は、彼の目は黒と青のオッドアイだった。


 だが目の前にいるケイオスの瞳は双黒。瞳が青から黒に変わるなど有り得ないのだ。


「それは……」


 ケイオスは再び言いよどみ、黙する。何か言葉を選んでいるかのような長考。

 そのたった一瞬の間がアレクシアの疑念を確信へと至らせた。


「あなたは先生ではないのですね」

「アレクシア様? それはいったいどういう意味だ?」

「あなたは人間ですか、と聞いているのです」

「……人間ではない? どうしてそんな話になる?」

「では何故瞳の色が違うのですか!?」


 ケイオスが必死に弁解するが、何故瞳の色が変わっているのか理由を明らかにしない。敵であるロズリーヌでさえ、ケイオスの狼狽ぶりを不審に思ったほどだ。アレクシアには彼がうまい言い訳が思い付かないようにしか思えなかった。


 この地は吸血鬼が存在する。吸血鬼は人を眷属にすることができるとアレクシアは書物の中で知った。

 人が吸血鬼になると身体に特徴が出る。たとえば牙である。口を大きく開かなければ早々気付く特徴ではないが、眷属になると人の身体には何かしらその兆候が表れるのだ。

 事実、クレルモンにたどり着くまでにそうした眷属には何体も遭遇している。


 もしそれが他の魔物の眷属でもそうだとしたら。たとえば眷属にされるとその人間の瞳の色を変えてしまうのならば。



 ――目の前にいる師に似た何かは、魔物であるということではないだろうか。



 暗躍しているのは吸血鬼だけと考えていたが、ブランデンブルグを襲ったのはグリフォンと未知の魔物だった。その他の魔物が加担している可能性を否定できない。


 ケイオスは強い。しかし姦計をめぐらす吸血鬼たちのような魔物が相手だとすれば、単純な強さだけでは太刀打ちできないこともある。彼の人の好さを利用し、罠にはめられることだって可能だ。


 もしこの身体が本物の師のものであり、何かの魔物の眷属となっていたら、もはや人間に戻す術はない。


 アレクシアから一切の表情が消えた。

 疎外感、孤独感、虚無感、羨望、そして嫉妬などアレクシアの心をむしばんでいたすべての負の感情が消える。

 負の感情だけではない。ケイオスへの想いもすべて吹き飛んだ。


「黙りなさい」

「アレクシア様?」

「黙りなさいと言っています」


 顔を伏せたアレクシアは年下の少女がする声とは思えないほど低い怨嗟のこもった声で一喝する。ケイオスもアレクシア様の変貌ぶりに思わず彼女の名前を呼ぶが、顔を上げた彼女を見てぎょっとした。


 アレクシアは泣いていた。ただ泣いているわけではない。目には激しい憎悪の炎が宿っている。その目はケイオスを貫かんばかりに睨んでいた。


「許さない」


 ぽっかりと穴が空いたアレクシアの心の中を占めたのは、悲しみ、怒り、憎悪。

 許せなかった。自分の師の姿をした魔物の存在を。彼女にとってそれは許されざる大罪だった。


 アレクシアは杖を向ける。敬愛した師の姿をする敵に。


「あなただけは絶対に許さない! 私のすべてを持って倒します!」


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