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第四十一話 だから彼は立ち上がる

 レイピアの切っ先がハボックの身体を貫かんと迫る。


 だが切っ先がハボックの身体を貫く瞬間、レイピアはぴたりと動きを止めた。不自然な停止だが、レイピアはそれ以上先に進まない。

 イレーヌと貫かれそうになったハボックですら目を見開いている。リーアムたちも何が起きたのか理解できずに呆然と眺めていた。


 リーアムたちが行ったことではないことを表情で読んだイレーヌは視線を周囲に向けた。


「ケイオス! ……お前か!」


 イレーヌの視線の先には黒髪の少年が佇んでいた。


 ***


 人型のモンスター、ゴブリンの群れに囲まれていた。多勢に無勢だ。

 いつものように魔法でゴブリンを倒す。それでも倒す数より襲い掛かるゴブリンの数が多い。

 数的不利にある中でも俺に焦りはなかった。


「『チェイン・バインド』」

「あとは任せろ!」


 アレクシア様が魔法の鎖でゴブリンの動きを縛る。このスキルは鎖で縛っているように見えるが、システム上では相手を「麻痺」させて身動き一つとれなくする魔法だ。イレーヌさんがそれを見て、鎖で動きを封じられたゴブリンにとどめを刺す。


 頼もしい仲間がいるんだ。決して負けるはずがない。

 あれだけいたゴブリンも二人の活躍によってすべて倒される。


「先生! 見ていてくださいましたか! 先生が教えてくださった魔法のおかげで倒せました!」


 アレクシア様は嬉しそうに言った。大げさだな。確かに彼女にはいろいろ教えたけど、大半は攻略サイトなどの受け売りばかりだし、そんなに敬われるほどのことをした覚えはない。

 それでも否定せずに嬉しいと感じてしまうのは、彼女の役に立っていると実感してしまうからだ。


「先生、このあとお時間はありますか? 今日は賢者が使える魔法について教えていただきたいのです」


 アレクシア様は楽しそうだ。スキルの話とか『アナザーワールド』の設定の話で盛り上がる。心底このゲームが好きなんだな。でもイレーヌさんはあまりこうした話は興味がないのか反応しないので、たまには別の話でもしようかな。


 そんな気分でいると急に辺りが真っ暗になる。不安になって辺りを見回した。

 倒れているゴブリンの死体はいつの間にか何かへと変貌している。

 人。人の死体。おびただしいほどの人の死体へと変わっている。その中にはロズリーヌの姿もあった。


「ロズリーヌ!?」


 血まみれのロズリーヌが俺に助けを求めて手を伸ばす。イレーヌさんがロズリーヌに近付く。無表情のまま近付く彼女を見て、不穏な予感がした。


「やめてくれ! イレーヌさん! やめろ!」


 止まらない。細いレイピアの切っ先がロズリーヌの背中を刺し貫く。ロズリーヌの上体が大きく跳ねると、伸ばしていた手はぱたりと地に落ちた。


「ロズリーヌ! しっかりしろ!」


 慌ててロズリーヌを抱き上げるが何の反応もない。すでにこと切れている。


「先生」


 アレクシア様が俺を呼ぶ。目の前で殺人が起きたのに、無邪気な笑顔の彼女に怖気が走る。


「先生は褒めてはくださらないのですか。先生が殺し方を教えてくださったからこうしてたくさん人を殺せたのですよ」

「違う。そんなことを俺は教えていない。そんなことをするために俺は教えていない!」

「敵との効率的な戦い方を教えたのはあなたではありませんか。私はそれを実践しただけに過ぎません。先生が殺し方を教えてくださったから私は戦場にいるんです。すべてはあなたのせいではありませんか」

「私やアレクシア様が手を汚すようになったのも、そこの女が倒れているのもつきつめればお前が原因だろう」

「異世界だなんて知らなかった。ゲームだって思っていたんだ。だからこんなことになるなんて思ってもいなかったんだ」

「知らなければ何をしてもいいのですか。何の罪もないと言い切れるのですか」


 返す言葉が無い。知らなかったは理由にならない。ましてや気付きかけていたのに気付かないようにしていたのだ。もっと早く気付いていれば、彼女たちが手を汚すことを避けられたのではないだろうか。


「あなたのせいです、先生」

「その報いを受けろ」


 イレーヌさんのレイピアが俺を貫いた。痛覚がないはずなのに、胸に激痛が走る。HPがみるみる削られていき、ゼロを示した。レイピアが引き抜かれるとローブがじんわりと赤く染まっていく。


 死にたくない。必死にインベントリを探った。ポーションを取り出して使うが効果がない。もうシステム的には死亡しているんだ。回復なんてできるわけがなかった。

 インベントリから取り出した身代わりの人形を壊そうと人形をねじるがびくともしない。その代わりにメッセージウィンドウが表示された。


「死亡状態の対象が存在しません。対象が存在しない場合、効果は発動しません」


 馬鹿な。死亡状態の俺がいるじゃないか。対象が存在しないはずがないだろ。これじゃあの時と同じじゃないか。だとすると本当に俺は死ぬのか。


 ……助けてくれ。俺は死にたくない!

 非情にもアレクシア様とイレーヌさんは俺が苦しむ姿を見ているだけだ。鼓動が緩慢になり感覚が鈍くなる。次第に意識が遠のいていく。


 ああもう、これは助からないのだと諦観した。





 ――瞬間、目が覚めた。


 目尻から涙がこぼれている。汗が酷い。Tシャツにべっとりと汗がひっついていて気持ち悪かった。体中の水分を汗で流してしまったかのように、のどもからからだ。汗を拭いながらぼんやりとした意識で周囲を確認し、自分の部屋にいることを確認するとまだ生きていることを実感しまた涙がこぼれた。

 落ち着きを取り戻すと、何より自分が生きていることを優先して考えていたことに嫌悪した。


 ログアウトしてからずっと、ベッドの上で布団にくるまって部屋に引きこもっている。一度も姿を見せなかったので母親が心配して何度か様子を見に来てくれたようだが、とても答える気力は無かった。

 カーテンを閉じて照明をつけていない部屋の中はやや薄暗いが、それでも昼なので部屋の中のものを視認するには十分に明るい。

 薄暗い部屋の中で鈍く光るヴァルギア。すべての元凶の装置から目を外すことができない。

 あれからヴァルギアには触れていない。あれに触れただけでも再びあの世界に連れていかれるような気がしたからだ。もちろんそんなはずあるわけがない。だが、ゲームの世界から異世界に飛ばされている時点で常識なんて当てにならないのかもしれないが。

 電源が入っていない今、この装置が動作することはない。この装置を使ってゲームをしなければあの世界と関わることはないのだ。


 こうしているとあの世界が、あの世界で過ごした日々が夢か幻のように思える。


 あの世界はこれからどうなるんだろう。

 ヴァイクセル帝国の侵攻。吸血鬼からコミューン連合国の土地を取り返すために侵攻してきたらしい。すでにクレルモンにいた吸血鬼は追い払っている。だからヴァイクセル帝国がクレルモンを攻める理由はない。話し合いで解決できるはずだ。

 しかし吸血鬼を倒しに来ただけというのなら、クレルモンに一報もなく攻め込むものなのだろうか。もしかすると、ヴァイクセル帝国はコミューン連合国と対話する気がないのかもしれない。もうすでに吸血鬼がコミューン連合国全土を支配しているのだと考えているのではないだろうか。


 もし両国の戦争が続いてしまったらどうなる。

 コミューンの首都であるクレルモンへ侵攻を進めているとなると、おそらくコミューンが劣勢だろう。ただでさえ、つい先日までクレルモンは吸血鬼によって支配されていた場所なのだ。先の戦いで疲弊している上に戦争の準備も十分にはできていない。

 転職しているアレクシア様たちが加わればコミューンに勝機は無い。戦えばコミューンは負ける。他国に侵略された国がどのような末路を迎えるかは、平和を謳歌している日本に住む俺には到底わからない。現実世界の歴史にも侵略された国は数多くある。けれど、歴史の教科書でみればほんの数行、あるいは記述すらない些末なことだろう。

 しかし今、ネットを介した異世界でそれが起きるかもしれないのだ。


 ロズリーヌは王女だ。彼女の立場では他国との戦争から退くわけにはいかない。頼りにしていたラウルさんがいない今、国土を守るために彼女が中心となって戦わざるを得ないのだ。

 そうなるとロズリーヌの末路は――。


 いや、もしかしたらコミューンが奇跡的に撃退するかもしれない。だけどそうなればアレクシア様とイレーヌさんの身に危険が及ぶ。彼女たちは前線で戦っているのだ。コミューンが撃退するということは彼女たちを撃退することに等しい。


 ……不毛だ。やめよう。もう二度とあちらの世界へ行くつもりはない。もしかすると死ぬかもしれない世界へ行くなんて馬鹿げている。

 目を閉じ、耳を塞いでいれば無関係でいられるんだ。余計なことを考えずに忘れてしまえば、もう平穏な日常を享受できるんだ。





 ――でも。それでも。このくすぶる思いはなんだ。それは間違っていると訴え続ける胸のわだかまりはなんなのだ。


 忘れることなんてできるもんか。あの世界で過ごした日々を。半年にも満たないたった数ヶ月のことだけど、俺は鮮明に覚えている。

 真実を知らなかったのは事実だ。だけどみんなと一緒に過ごしたのは楽しかったんだ。それは夢でも幻でもない。確かに俺が経験した出来事だったんだ。


 だからあの世界を、あの世界で関わった人たちのことを見なかったことにして見捨てることなんてできない。

 けれど俺に何ができるのだろう。もし戦争が起きていたとしたら一人で止めるつもりか。思い上がりも甚だしい。映画や物語の中の英雄のような活躍を見せる主人公なら可能だ。だが俺の実像は全く違う張りぼての英雄に過ぎないのに。


 それも異世界で起きていることだ。現実世界の住人である俺には関係のないことなのかもしれない。関わること自体許されないことなのかもしれない。

 恐怖もある。あの夢のように、ラウルさんのように殺されるかもしれないし、殺してしまうかもしれない。そう考えると尻込みしてしまう気持ちはある。


 それでもロズリーヌの力になりたいし、アレクシア様とイレーヌさんを止めたいんだ。

 青臭い正義感か、それとも英雄願望があるのかはわからない。だがその思いをねじ曲げたくはなかった。

 もしかするとラウルさんの言葉に縛られているだけなのかもしれない。異世界での自分が引き起こした行動の余波に対する自責の念がそうさせるのかもしれない。

 それでも自分の意志であの世界が、俺の仲間がどうなってしまうのかを知りたいのだ。そしてもし悪い方向につながるのだとしたら、それを回避したい。


 もし戦争が起きたとしたら、下手をすると俺も戦わなくてはならないだろう。ゲームのスキルがそのまま使用できる今、戦う力はあるはずだ。だが俺がためらいもなくその力を振るえるだろうか。

 それは無理だ。俺の使うスキルじゃ相手を攻撃すると傷つけ死に至らしめる可能性がある。殺される可能性がある以上手加減など考えている余裕などないだろう。

 誰かを助けたいだけなのに誰かを傷つけなくちゃならないのか。なんで攻撃系のスキルばかり取ったんだろう。アレクシア様のような状態異常系魔法ならば眠らせたり、麻痺させたり傷つけなくて済むのに。

 ……アレクシア様のように……? 方法はある! そうか、あれなら!


 思いつく限りの準備は済ませた。今なら引き返せる。意志と相反した警告が頭によぎる。その警告だけで少しためらいを見せるほど俺には確固たる覚悟はない。

 映画や物語の中の主人公なら揺るぎない信念を持って行動していた。俺じゃ残念ながらそんな信念は持ち合わせていない。異世界に行くのは怖いし、死ぬのはもっといやだ。そんな恐れを振り払えずにいる。

 だが目を閉じ、耳を塞ぎ、今までの日々をなかったことにしてしまったら、きっと俺は後悔して逃げ続けるだけだ。一生あの夢のような呪縛から解き放たれないかもしれない。


 怯える心を押さえ、震える手でヴァルギアを手に取る。



 行こう。もう一度、あの世界へ!




 前回ログアウトした場所は無人だった。外から金属のようなものを打ち合う音が聞こえてくる。以前クレルモンを攻めたときに聞いた音に似ている。

 これは戦闘の音じゃないか。まさか本当にコミューンとヴァイクセルは戦争になったのか。

 だとするとロズリーヌが危ない。彼女は無事だろうか。


 マップを見ても緑のマーカーだらけでロズリーヌたちの居場所など判別できるはずもない。特定の誰かを探し出すような便利な機能ではないのだ。人が集中している場所は王宮のエントランスホール付近ともう一か所ある。

 重要人物であるロズリーヌには多くの護衛がついているはずだ。敵が侵入するエントランスホールに王女がいることは考えにくい。消去法でいけばそこにロズリーヌがいる可能性が高い。

 なるべく緑のマーカーと遭遇しないように移動しよう。敵味方もわからないのがつらい。遭遇したら即戦闘なんてことも有り得る。でもロズリーヌのいそうな部屋には人が密集しているエントランスホール付近を避けては通れない。

 くじけそうになる気持ちにとらわれないように、勢いよく駆け出した。


 幸い誰とも遭遇しなかった。曲がり角でマップに表示されていないのに本当は誰か潜んでいないかとこそこそ移動している様はさぞ間抜けに見えただろう。

 もうじきエントランスホールに出る。明らかに戦っている音が俺の耳にも届いている。緊張で喉を鳴らす。よし、行こう。


 意気込んでエントランスホールに出ると、見覚えのある集団が戦っていた。

 ハボックたちだ。戦っている相手は……イレーヌさん!?

 複数相手に対等に戦っている。この場合は、転職した高レベルのイレーヌさん相手によく持ちこたえていると褒めるべきかもしれない。


 ハボックたちのレベルは記憶している限りでは一番高いエミリアが13ぐらいだった。すべての人を調べたわけではないが、コミューンで一緒に組んだことのある騎士も10~20前後ぐらいだ。そう考えると、エミリアたちは騎士たちと同等ぐらいの強さを持ち合わせていることになる。

 彼らのパーティーの中で一番年上だと思われるハボックのレベルはわからないが、エミリアたちと大差はないだろう。だがそうなると、不思議に思った。


 ハボックぐらいの年齢が三十、四十ぐらいの冒険者ならば、俺よりもっとモンスターと戦い、倒しているはずだ。もちろんハボックが冒険者になったのがごく最近の可能性があるのかもしれないが、それにしては使い古した装備や雰囲気が手慣れたベテランのようにしか見えない。

 それなのに俺が数日そこらでレベル上げすれば追い抜けるほどのレベルしかないのは不自然だ。


 つまりこの世界だとレベルは上がりにくいのではないだろうか。

 確かにモンスターを倒したら倒しただけ、強くなるとか現実的にはあり得ない。そもそも強さにレベルという明確な区切りがあるわけでは無いのだ。

 しかしそうなると説明がつかないこともある。イレーヌさんとアレクシア様は俺と同じペースでレベルが上がっていたことだ。それにレベルを上げれば上げるほど彼女たちは強くなったのだから、レベルによる強さの差は現実でも影響することはわかっている。


 気にはなるが考察はあとだ。何とか持ちこたえているようだが、おそらくレベルが上がりにくいとしたら、ハボックたちがレベルを上げていたとしてもレベル20には満たないはずだ。

 対してイレーヌさんのレベルは50以上。はっきり言って勝負にならない。今持ちこたえているのは奇跡と言っていい。


「やめろ!」


 声を張り上げた。それでも彼女に届かない。戦闘は止まらない。

 でもここで諦めたら、何のためにここまで来たのかわからない。

 止めなくちゃ! イレーヌさんとの距離を詰める。今こそあれを使うべきだ。


 インベントリから課金アイテム『スキル還元の証』を取り出し、それを破り捨てる。


「スキルリセット!」


 攻撃に特化して構築したスキルがすべて使用不可能になり、スキルポイントに還元される。スキルポイントはスキルを割り振るためのポイント。これでスキルを好きなように再構築できる!

 相手を傷つけるんじゃない。相手を傷つけずに無力化するためのスキル構成。アレクシア様のスキル構成から毒などのDoTダメージを与えるスキルをできる限り取得せずに、麻痺などの動きを封じるスキルをスキルレベル5まで割り振った構成。今まで培ってきた知識を総動員して状態異常に特化した最適のスキルを割り振る。


 イレーヌさんの攻撃が届く前に……できた!


「『チェイン・バインド』!」


 割り振り終えた瞬間に詠唱し、魔法の鎖がイレーヌさんを縛る。イレーヌさんの動きが完全に停止した。

あと一歩動いていればハボックはレイピアに貫かれていただろう。


「ケイオス! ……お前か!」

「ケイオスだって!?」


 ハボックたちが驚いて俺に視線を送る中、イレーヌさんの瞳が俺を射抜く。


「久しぶり、イレーヌさん」

「どうしてこんな場所に……お前が」

「話すと長くなるから、簡潔に言うと知り合いを助けに来た」

「助けに来ただと。馬鹿な、お前は何を言っている。何故コミューンに助力するのだ」


 イレーヌさんは敵愾心を隠そうとはしない。知り合いに敵愾心を向けられ悲しくはなったが、手を出さなければ止められなかったのだ。仕方ないことだと割り切った。

 彼女は抵抗しない。対象を一定時間行動不能にする麻痺状態では動くだけ無駄なのを彼女は知っているからだ。アレクシア様が何度か使っていた魔法だから彼女がこの魔法の効果を知っていて当然である。


「イレーヌさん、もうこんなことは止めよう」

「こんなこと、だと?」


 イレーヌさんの顔の険しさが増す。


「ふざけるな! お前が、お前がそんなことを言うのか。お前にそんなことを言える資格などあるか!」


 イレーヌさんが一喝する。


「私がどんな思いで、アレクシア様がどんな覚悟をしてこの場にいるのか、お前はそれをわかっていない!」

「アレクシア様もいるのか?」


 俺を責めるイレーヌさんの言葉を遮って、辺りを見回すがハボックたち以外にアレクシア様の姿はない。彼女は別の場所にいるようだ。あとで探しに行かなくては。


「お前のせいだ」


 ざくりと胸に突き刺さる。一瞬夢の中の光景が思い起こされた。


「お前さえいなければ、アレクシア様はああも御変わりになられることは無かった!」


 どう変わってしまったのだろう。イレーヌさんのように俺を責めるのだろうか。それを聞くのが怖い。


「去れ、これ以上邪魔されるわけにはいかない。お前をアレクシア様に会わせるわけにはいかない」


 きっぱりと拒絶する言葉。尻込みしそうになる。

 でも、すごすごとこのまま引き下がってしまっては何のためにここに来たんだ。



「引き下がるわけにはいかない」


 アレクシア様たちを止めて、ロズリーヌたちを助ける。どれだけ認められなくても、どれだけ拒絶されようと自分のエゴを押し通すためにこの場に踏みとどまる。

 イレーヌさんはうつむいたまま、返答しない。何を考えているのか俺には理解できなかった。


 魔法の鎖が消える。「麻痺」の効果は永続ではない。話している間に効果時間が切れたのだ。

 それと同時にイレーヌさんは動き出した。いつも以上に厳しい、そして冷酷な顔をして。


 右頬を殴られる。余程力を込めたのだろう。大理石のような床を転がり、床の冷たさを味わった。


 痛みがないから気絶はしないが、痛みがなくてもHPが尽きれば死ぬかもしれない。慌ててHPを早急に確認する。大丈夫だ、攻撃の派手さの割には思いのほか減っていない。

 紙防御であるはずのマジシャンでレベル差があるにもかかわらずこんなにダメージを受けていないのは、バーサーカーであるイレーヌさんが武器を持たずに素手で殴ったからダメージがそれほど通らなかったのだろうか。


「立て。お前がその程度でやられるわけがないことぐらい知っている。共に戦った仲だからな」


 威圧で身がすくむ。いつもはモンスターに向けられるそれが容赦なく俺に向けられているのだ。対峙して初めて思った。この人を敵に回したくないと。知り合いとしてじゃない、純粋な恐れから。


 ゲーム感覚でモンスターを倒してきた人間と、命のやり取りをずっと行ってきた人間とではここまで差があるのか。


 冗談じゃない。正式サービスからリセットされている以上、俺のレベルはイレーヌさんよりはるかに劣る。当時のイメージのまま戦われたら殺されてしまう。

 殺されるかもしれない。それが現実味を帯びたとき、俺は恐慌をきたして、思考が埋め尽くされる。ログアウトしてすぐにでも逃げたくなるぐらいに。


「ちょっと待つっすよ!」


 そんな時に割り込んだ声。リーアムだ。じろりとイレーヌさんの視線も動く。


「知り合いのようだったから口を挟まなかったっすけど、加勢するっすよ!」

「なんだか事情が分からねえが、この別嬪さんを止めるのか」

「化け物女相手を殺さずに戦うとか自信ないんだけど! ちょっとぐらい傷つけちゃうけど、それは我慢してよね!」

「傷ならあとで治しますから」

「どうして……」


 恐慌状態に陥った俺が絞り出せた声はそれだけだった。


 わからなかった。レベルの低さは彼らも俺と変わらない。それでも彼らは戦おうとしている。鋭い眼光に怯えることなく、圧倒的な強さを持つ相手に抗おうとしている。

 しかも俺の意をくんで相手を殺さないようにしてくれようとしている。


 どうしてだ? 彼らは怖くないのか。死ぬかもしれないんだぞ。

 聞きたかった。どうしてそんなに平然としていられるのかって。


「さっきハボックを助けてくれたお礼っすよ。ってかっこつけられたらいいんすけどね」


 目をぱちくりさせたリーアムがおどけて答えた。


「正直びびりまくりっすよ。逃げれるものなら逃げ出したいくらいにね。何せパーティー組んでいる四人相手に圧倒する強さの相手なんすから。けど、俺たちにも引けない理由があるっす。仲間の故郷を守りたいっすから。だから簡単に引き下がれないっすよ。ここはひとつ久しぶりに一緒に戦うっす、ケイオス」


 リーアムが恐怖しているようには見えなかった。それでも彼が言っていることが嘘のようにも感じられなかった。みんな自分の引けない一線を守るために戦おうとしている。恐怖の中、自分を奮い立たせて戦っているんだ。


 それは俺も同じだった。この世界に戻ってきたのは自分にも看過できない一線があったからだ。

 それなのに這いつくばったまま、俺は何もしなくていいのか。


 両手に力を込めて立ち上がる。俺だけじゃないんだと恐怖にとらわれた心を奮い立たせて。


 確かにこの世界にプレイヤーは俺一人かもしれない。

 ――だけど、俺は一人じゃない。


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