第四十話 コミューン解放戦
クレルモンでは緊急の会議が開かれた。議題はもちろん侵攻してきたヴァイクセル帝国軍についてである。
「ヴァイクセル帝国の目的はあくまで吸血鬼の殲滅。それに相違ないな?」
「左様です。ヴァイクセル帝国は侵略が目的ではなく、コミューンを魔物から解放することが目的の戦争と民に喧伝しております」
「それで民は無事なのか?」
「帝国軍が保護しているようです。また帝国軍はなおもクレルモンに向かい破竹の勢いで侵攻中。近日中にはクレルモンに迫りましょう」
報告を一通り聞いたロズリーヌは民にまで被害が及んでいないことを知ると、とりあえず胸を撫で下ろした。
いくら吸血鬼が領土を侵しているとはいえ、コミューン連合国に何の音沙汰もなく国境を越えてきたヴァイクセル帝国にロズリーヌは憤りを覚えた。
しかしこれは一概にヴァイクセルの行為を責めるものではない。ロズリーヌがクレルモンを離れている間、いや吸血鬼たちがいた間に何かしらヴァイクセルとのいざこざがあったかもしれないのだ。その結果、今回の侵攻につながっているのだとしたら業腹ではあるが一方的に責めるのは筋違いだ。
もともとクレルモンに吸血鬼が忍び込んだ経緯は北部の貴族たちの中に紛れ込んだのが原因である。領地からクレルモンに来るまでに紛れ込んだ可能性も考えていたが、最初から領地に吸血鬼が巣食っていたとしても不自然ではない。
北部だけの問題ではない。他の地域にも吸血鬼が潜んでいる可能性がある。いずれはコミューン全土の貴族を調べ上げなければならない。
というのも首謀者と思われる吸血鬼の少女が見つからなかったからだ。吸血鬼の危険性から捕虜にすることもできず、結局ラウルが懸念していた吸血鬼の陰謀が未だつかめぬままである。
それはさておき、差し迫った問題はヴァイクセル帝国軍だ。
「姫殿下、いかがなされますか。ヴァイクセルと交戦となると精強な我が軍としてもただでは済みますまい」
「徹底抗戦するとしても野戦では兵力不足。籠城するにしてもクレルモンに籠城するだけの兵糧はありませぬ。配給で兵糧のほとんどを消費しておりましたゆえ。それに北西部がヴァイクセルに制圧され、北東部とも連絡のつかぬ今、援軍も期待できますまい」
「カスタル王国に救援を求めるとしても時間がかかるでしょうな。少なくともヴァイクセルがクレルモンに着くまでには間に合わないでしょう」
軍部としては何としてもヴァイクセルとの交戦を避けたい、その意思がありありと発言に表れていた。今の軍では不安が残ることぐらいロズリーヌも理解している。
精強な軍と取り繕っているが実態はぎりぎり軍の体裁を為しているが正しい。軍の上層部が軒並み吸血鬼に取って代わられたために軍を指揮する指揮官が不足している。生き残った指揮官でどうにか帳尻を合わせているだけに過ぎなかった。中には既に軍から退いた老将まで呼び戻したのだからどれほど軍が人材不足であるかはわかるだろう。
ヴァイクセルとは交戦回避が望ましい。軍はもとよりこれ以上クレルモンを戦火に巻き込めば、復興にも差しさわりが出る。かの国が魔物からの解放という目的で侵攻してきたと言うのならばまだ交渉の余地があるはずだ。
「まずはヴァイクセルの軍に停戦の使者を出す。吸血鬼に未だ支配されていると思われて、私たちにまで刃を向けられてしまってはたまらない。我らコミューンが健在であることを知らしめるのだ」
コミューン全土が吸血鬼に支配されているわけではない。少なくともクレルモンとシャラントは人類の勢力圏だ。コミューンの立場を明確にし、吸血鬼とは対立しているのだとヴァイクセルに知らせ、停戦を申し込む必要がある。
ヴァイクセルに借りを作ってしまうが、協力を取り付けられればこの国に巣食う吸血鬼の問題解決に大きく進展することができる。
それにより吸血鬼からこの国を真の意味で取り戻すことができるのだ。
(あいつも戦争なんて望んでいないからな)
マリー・アレクシア・フォン・ザヴァリッシュ。その名が出た時、ケイオスは激しく動揺していた。彼女がケイオスの知り合いであることは明白である。ヴァイクセルでも音に聞こえた名門の伯爵家とケイオスにどんなつながりがあるのかは想像がつかなかったが、かなり親しかったのだろうとロズリーヌは察した。
その相手に刃を向けることなど彼にはできない。だからこそ彼は逃げ出したのだ。ヴァイクセルの報告があったあの日、転移魔法で逃げ出したケイオスはあれ以来姿を見せていない。彼は二度とこの地には戻ってこないだろうとロズリーヌは予感していた。
伯父を失い、気を許せる相手がいなくなったのは寂しかったが、それでも彼がいないほうがいいかもしれないとロズリーヌは思った。ヴァイクセルとの折衝が必ずしもうまくいくとは限らない。折衝が失敗した場合、ロズリーヌは戦わなければならない。たとえそれがケイオスの知り合いがいたとしても、だ。
そうなれば板挟みになるのはケイオスである。この地にいれば戦争に巻き込まれてしまう。繊細なケイオスが耐えられるとは到底思えない。
(存分に礼を言えなかったのは心残りだけど、お前は私を助けてくれた。それだけで十分なんだ。だからもう戻ってくるなよ。お前は縛られる必要なんてないんだ)
ロズリーヌの命に異論をはさむ者はいなかった。方針が決まれば行動は早い。彼女の臣下が動き出す。
争いを再びこの地にもたらさぬために。
「ほう、卿がコミューン連合国の使者か」
「陛下に拝謁させていただき恐悦至極にございます」
「して何用かな? コミューンが我が国に対してした仕打ちを知らないとは言わせん。ましてやここは吸血鬼の住む土地。使者殿も吸血鬼ではあるまいな」
「仔細についてはこの書簡をご覧ください。我が主より預かってまいりましたコミューンの親書でございます」
ヴァイクセル帝国軍の天幕の一つ。恭しく頭を下げた使者が書簡を差し出す。従者が書簡を受け取ってヴィクトルに手渡した。ヴィクトルは書簡を開いて目を落とす。
書簡のすべてに目を通したにしては早く、ヴィクトルは使者に目をやった。
「使者殿に問いたい。そなたはこの親書の内容に目を通したのかな?」
「目は通しておりませぬが、内容は把握しております」
「ほう、内容を知っておるか」
ヴィクトルは一息入れると、目を細めた。
「では、これは我がヴァイクセルへの正式な宣戦布告と取ってよろしいか」
書面にしたためられているのはヴァイクセル帝国の侵略行為をとがめるものであった。そして早急に侵略した領地から撤兵し、コミューンに明け渡すように書かれている。それは他国の君主に対する親書と言うよりも自身の臣下に対する命令のような礼を欠いた文面であった。
「いえ、この地は我らコミューン連合国の領土。それを侵害し無法を働いたのはそちらではありませんか。我らが要求するのは帝国軍の即時撤退及びマイエヌ公爵領を含むそちらが侵略してきた領土の明け渡し。それまではこちらは一切手を出さないことをお約束します。帝国軍を無傷で故郷にお返ししようと申し上げておるのです。非道なそちらの行為を水に流して差し上げようとしている我が主の慈悲を無になさいますな」
見下して笑う使者。その姿にその場にいたヴァイクセルの兵たちから殺意が向けられる。たかが他国の使者が自国の皇帝を軽く見ているのだ。他国の使者であり皇帝の面前だから抑えているが、切りかかっていてもおかしくなかった。
「そうか。慈悲か。我がヴァイクセルの将兵がそちらの将兵に劣るとでも?」
「ええ、その通りです。たかが人の兵ごときに我が兵が負けるはずもありませぬ」
「人ごときとな」
「劣等種たる人ごときが優良種たる吸血鬼にかなうとでも?」
その言葉を聞き、兵士たちがヴィクトルを庇うように前に出た。
「ようやく本性を現したか。しかし今まで我らが進軍した領地にもその優良種たる吸血鬼はいたぞ。劣等種たる人ごときに領地を奪われたがな。使者殿、教えてはくれまいか。優良種が劣等種に劣るなどありえるのか?」
使者に対して小馬鹿にしたように笑うヴィクトル。明らかに先程のやり取りを意識した意趣返し。ほんの少し眉をひそめた使者の顔に兵たちの溜飲が下がる。
「この国は我ら吸血鬼のもの。人は我々の糧であり家畜なのです。どちらの立場が強いかは明白でありましょう。早々に立ち去るがよろしいかと」
「これは異なことを。この地は人がはるか昔より統治していた場所。卿ら吸血鬼の土地ではあるまい。いや、この大陸に吸血鬼の土地など一つもありはしない。すべて我ら人類の土地である」
「どうやらどれだけ論議を重ねようとも平行線のようですな」
「当たり前だ。人と魔物の争いは神話より続いてきたもの。人と魔物が相容れることなどあるまい」
「なるほど。金言逐一もっともでございますな」
互いに笑いあう両者の姿に兵たちは息を飲んだ。
「では、この場は引かせてもらいます。陛下。戦場でお会いしましょう」
「あれだけの暴言を吐いて、ここから逃げられると思っているのか」
「そちらも吸血鬼の身体能力を侮ってくださいますな」
そう言うや否や使者は全力で跳躍しようとした。だが横合いから殴りつけられ倒された。倒れた使者は殴った相手の姿を確認した。兵たちから飛び出し使者を殴りつけたのは若い女騎士。まさか自分の身体能力と同等以上の人間がいるなど理解できず使者は目を見開いた。
「人間を舐めるなよ、吸血鬼」
歯を食いしばりヴィクトルを見据える使者。
「思い上がるな! 人間め!」
鋭い爪を立てヴィクトルに襲い掛かる。だが兵たちが壁となっていて彼にその爪が届くことはない。結果兵たちが向けた剣が使者の身体を貫く。そのまま使者は事切れた。
「申し訳ありません。さすがにこの状況では生かして捕えることはできませんでした」
「構わん。使者と言っても所詮は魔物。生かす必要などない」
ヴィクトルは兵たちを見回して大声で叫ぶ。
「だが、これで確信した。この地は吸血鬼によってすべて支配されていることを。何が優良種か! 人を糧とし見下す傲慢な魔物に我ら人類の土地を明け渡してはならないのだ。勇敢なる我が兵たちよ! クレルモンを我らの手で解放しようぞ!」
ヴィクトルの鼓舞に将兵たちが高揚する。熱狂する将兵たちの中で冷やかに視線を送る者がいた。
「陛下」
熱狂する兵をよそに、一人天幕を去るヴィクトルをアレクシアが呼び止める。
「どうした、アレクシアよ」
「あの親書は本物なのでしょうか」
ヴィクトルは感嘆の表情を見せた。
「親書自体は本物だろうな。コミューンの王の署名が正式に入っている。ほら、このようにな」
ヴィクトルから手渡された親書に目を通すが、アレクシアが一見する限り不自然な点は見受けられなかった。
「差し出がましいことを申しました。お許しください、陛下」
「よい。むしろ卿のような冷静に思考できる者が必要なのだ。不自然に思ったのであろう? あの使者が」
「……はい。このような親書を送ったところで意味はありません。陛下がおっしゃられたように人と魔物は相容れぬもの。魔物が使者自体送ることが信じられないですが、使者を送ったとしてもこのような結果になることなど目に見えております。ここまで攻められているのに自分に都合のいい要求ばかりで譲歩すら見受けられません。ならば吸血鬼は交渉を成立させる気が最初からなかったのではないでしょうか。徒労に終わるだけの使者に意味はありません。あるとすれば別の意図があるのかと思いました」
「そう、だからこそ不自然。むしろ我らの怒りをあおり、侵攻を催促しているかのようだ。さすがに吸血鬼の意図まではつかめぬが、おそらく策があるのだろうな」
クレルモンの状況はつかめていない。間諜の類が軒並み帰ってこないのだ。吸血鬼がどのような策を施していたとしてもヴィクトルの想像の範疇でしか考えることはできない。
「しかし、よいのだ。策があればそれすらも打ち破るだけのことよ。クレルモンには吸血鬼がいて、我らはそれを討ちこの地を平定するだけだ」
「……はい、陛下」
(そう、我らはこの地を手に入れるだけだ。たとえその相手が吸血鬼であろうとも、人であろうともな)
ヴァイクセル帝国がクレルモンに迫りつつある中、クレルモンの空気も次第に重くなっていた。兵士から発するピリピリとした緊張感が民にも伝わったのだろう。
ロズリーヌは口を固く結んでいた。臣下たちの顔色も悪い。
「ヴァイクセル帝国からの返答はまだか?」
「直接の返答はありませぬ。何度か急使を送ってはいますが、いずれも戻ってきておりません。ただヴァイクセル帝国の兵らしき一団が城門前に最初に送った使者の首を投げ捨て逃走しております。それがヴァイクセル帝国の返答であると愚考します。もはやヴァイクセル帝国との対話は不可能でしょう」
「そうか」
ロズリーヌの問いに一人の臣下が答えた。ロズリーヌは再び表情を固くして口を結ぶ。
極力戦争を避けたい気持ちは変わらない。しかし、相手との交渉の場すら持てない以上、コミューンの取れる選択肢は限られている。
降伏か、それとも徹底抗戦か。
いずれにしてもコミューン連合国は大きな選択を迫られていた。
「ヴァイクセル帝国は最初から我が国を侵略することしか考えていなかったのではないか。だからこそ無断で我が国に足を踏み入れ、こうして停戦を求める使者すらも殺す非道。そして何より侵攻の速さ。あまりにも相手に都合の良いときに攻めてきておる。おそらくは以前より密かに侵攻の計画をしており、大義名分など我が国を攻める口実なのだろう。これでは仮にクレルモンがヴァイクセル帝国の手に落ちてしまったら、我が国の民はどうなるというのだ」
情報が限られているコミューンから見れば、ヴァイクセル帝国の侵攻の速さは異常に尽きる。一月足らずで北東を制圧し、コミューン連合国の中心であるクレルモンにまで侵攻するなど有り得ない早さなのだ。
ヴァイクセル帝国は大義名分によって吸血鬼から民衆を守るため民衆の保護も行っているのである。当然街を守るためにその地を守る兵も置かねばならないし、一時的にヴァイクセル帝国が統治しなければならない。
ヴァイクセル帝国が吸血鬼の存在に気付き、侵攻を始めたとしたらあまりに用意周到すぎる。それほど侵攻が容易くできたというのならば、いくら吸血鬼による混乱が影響しているのかもしれないとしても、コミューン連合国はとっくの昔に他国に侵略されていただろう。
また吸血鬼を倒し、クレルモンを取り返した直後にこの騒動だ。まだ軍は立ち直れていないときにクレルモンに侵攻するなどあまりにもタイミングが良すぎる。
入念にコミューンで情報収集しており、この機に乗じてコミューン連合国を侵略しようと考えているのではないか。すべての責任を吸血鬼に負わせ真実を闇に葬ろうとしている。それがコミューン上層部の出した結論だった。
それならば、停戦の使者を受け入れないのも説明がつく。
もっともヴァイクセル帝国がここまで容易く侵攻できたのは、アレクシアやイレーヌといった常識外の存在、ヴィクトルの手腕によって滞りなく兵の手配や補給が行われているからである。
だが、それを知る術はコミューンにはない。吸血鬼による混乱が無ければ事前に知ることもできただろう。しかし人手不足の影響は諜報の面にも現れていたのだ。
そのため未知の魔法を使い戦争で名を上げた魔導師や騎士がいたとしても常識で測れる活躍しか思い浮かばないし、今まで凡庸に振る舞っていたヴィクトルが辣腕を振るうなど想定できず、経験や常識によるフィルターを通して考えれば真実が迷彩で隠れ、どうしても帝国の行動が異常に見えてしまう。
むしろヴァイクセル帝国と吸血鬼が手を組み、コミューン連合国を陥れる壮大なマッチポンプと言われた方がまだコミューンの上層部に受け入れられるぐらいだ。(もちろん、人間に肩入れしないであろう吸血鬼と手を組むなど考えられない話ではあるが)
だからこそコミューンの上層部はこう考える。もしヴァイクセル帝国がコミューン連合国を手中に収めた場合、どのような影響があるだろうか。百年単位で戦争が起きていないとしても、侵略されてしまった国や民に明るい未来がないことなど容易く想像できてしまう。
それは国を守る立場の人間として許容できないことだ。
「もはや徹底抗戦しかありませぬ」
「抵抗するとしてもせめてロズリーヌ様だけでもシャラントへ逃し、ここは雌伏の時を待つべきではないのか」
「それは無理だ。ヴァイクセル帝国の侵攻が速すぎる。これではシャラントへ無事に避難なされたとしてもわずかな時間稼ぎにしかならぬ。宛ても無しに逃げ延びてどうするというのだ」
ロズリーヌも一人だけ逃げ延びるつもりはない。吸血鬼のときならばシャルテル公爵の助力を得てクレルモンを解放する目的があったからこそ断腸の思いでクレルモンを離れたのだ。今回はそれがない。唯一援軍を出す可能性のあるカスタル王国は東にあって、現在東部の状況は不明だ。
だからこそ、確実に安全だと思われるシャラントが逃亡先の候補に挙がったのであり、カスタル王国も必ずしもコミューン連合国を助けてくれるとは限らない。用意周到に攻めてきたヴァイクセル帝国との間に密約を交わしている可能性だってある。
なによりも王亡き今、戦わずに王女が逃げては民が完全に国を見離す。そうなってしまってはこの難局を乗り切ることができたとしても国家の運営に差し障りが出る。
ロズリーヌは目を閉じた。
そして目を開くと決断を下す。
「クレルモンに迫るヴァイクセルと一戦交える」
ロズリーヌとしてはできれば戦争は避けたいが相手が停戦に応じない以上、コミューン連合国も黙って領土を奪われるわけにはいかない。
国民が王や軍を認めている理由の一つは、国が国民の安全を保障してくれるからだ。それを覆してしまえば、王や軍の存在意義が失われてしまう。
つい先日までクレルモンをどうやって奪還するのか考えていたのに、今度は他国からの侵略をどうやって防ぐのか考えている。そのことに気付いたロズリーヌは吸血鬼と同じ立場に立たされたことに気付いて、内心自嘲した。
負けるかもしれない。ロズリーヌの頭に否定的なものがよぎる。ヴァイクセル帝国は進撃の手を緩めず、クレルモンへと向かってきている。ヴァイクセル帝国にクレルモンを制圧する自信があるのは明らかだ。そのヴァイクセル相手に勝つことは今のコミューンの兵では困難である。
ならば防衛しかない。クレルモンを堅守し、ヴァイクセル帝国に厭戦の雰囲気を蔓延させれば講和に持ち込むことができるかもしれない。
できなければ、コミューン連合国はヴァイクセル帝国によって滅ぼされてしまうだろう。
決して表には出さない。民を守るために命を懸けるものたちに、負けるかもしれないと弱音を吐く王などいない。それでは吸血鬼から自分を守るために散り、国を守るために命をかけたものたちに申し訳が立たない。
そして臣下に命じるのだ。自身を押し殺し、国を、民を守るために命を捧げよと。
「クレルモンか。久しいな」
「陛下は以前クレルモンにいらっしゃったことがおありですか」
「あるぞ、一度だけ。父上がご健勝であられた幼いころにな。クレルモンは遥か遠い地だと感じてはいたが存外近いものだったのだな」
クレルモンを前にしてヴィクトルは感慨にふけっていた。
クレルモンの城門は閉じられており、城壁には兵士がつめている。明らかに戦闘を意識しているのが見て取れた。大軍に迫られてもなおクレルモンは沈黙したままだ。降伏などせず徹底抗戦する構えだろう。
ヴィクトルは笑みを浮かべる。合理性で考えれば降伏が望ましいが、ここで降伏などされたら興ざめだ。やはりコミューン連合国に終止符を打つとなると打ち倒してこそ価値がある。
「どうかされたのですか」
「いや、気にするな」
アレクシアの問いにヴィクトルは自分が笑っていることに気付き、顔を引き締めた。
ずらりと並ぶ兵は頼もしく、ヴィクトルの号令を今か今かと待ちわびており、興奮で熱気を帯びている。
その誰もが自分たちの行動に迷いなど無いのだろう。吸血鬼から民衆を解放するという大義を信じ、これから行うことを正義の行いだと信じて。
「我が勇敢なる兵たちよ! 見よ、あれこそがクレルモンだ! そして吸血鬼どもが今なお民を虐げ支配する街である。心ある卿らに問う! 卿らはこの吸血鬼の蛮行を見過ごすことができるか!」
「否! 否! 否!」
「続けて問おう! 蛮行を見過ごさぬという卿らは何を行う!」
「正義を!」
「吸血鬼に鉄槌を!」
「魔物から解放を!」
「民に救いを!」
多くのものから声が上がる。兵士の言葉を集約すれば、吸血鬼を打ち払い、民を救うということ。
「そうか、さすがは我が国の精鋭。卿らの願い、私は確かに耳にした。ならば、卿らの欲する命を授けよう」
大軍が一気に静まり返る。
「皇帝ヴィルヘルム・ヴィクトル・フォン・ヴァイクセルが命じる! 駆逐せよ! この地より吸血鬼をすべて駆逐し、同朋であるクレルモンの民を救うのだ!」
ヴィクトルが命令を発したと同時に、兵たちが剣や杖を掲げ雄叫びを上げる。
こうして、コミューン解放戦は幕を開けた。
ヴァイクセル帝国の兵が挙げた雄叫びが、クレルモンの城壁に詰めた兵士たちの耳に届く。相手のあまりの士気の高さに身震いする兵士もいた。同時にそれが戦いの合図であることを知る。
大軍がクレルモンをめがけて殺到する。しかしクレルモンは堀で囲われており、城壁は簡単に落ちない。
城壁を突破するのであれば、魔法を使う魔導師か攻城兵器を用いるのが一般的である。しかし、城壁を壊せる魔導師となるとかなり熟練の魔導師が多数必要となる。ヴァイクセル帝国ではそのような魔導師は貴族であることが多い。
そのためヴァイクセル帝国では魔導師の運用の仕方が他国と異なる。危険な最前列に高貴な身分の貴族を配置するわけにはいかず、一般の兵士でも運用できる攻城塔、破城槌、トレビュシェットのような攻城兵器を用いるのだ。
しかし、ヴァイクセル帝国の軍勢の中に攻城兵器を持っている部隊は少数だ。しかもやや後方に配置されている。まるで攻城兵器に頼るつもりがないように見える。城壁から眺めていた兵士はそれを不思議に思った。
兵士を先行させたとしても城門が閉じられている以上、壁に阻まれ侵攻などできない。城壁の上から魔法、バリスタや弓など遠距離から一方的に攻撃されるのが関の山だ。
ヴァイクセル帝国は魔法の先進国家であることから、前回クレルモン奪還戦で使われた転移魔法による突入に備えポータル周辺にも兵が配置されている。仮にポータルに転移してきても対策は十分にとられている。
奇妙に思った兵士はずっと注意して眺めていると、ヴァイクセル帝国の軍より先行して城壁に近付く集団を見つけた。杖を持っているあたり全員が魔導師。貴族の集団が、詠唱で無防備になるため兵の守りが必要な魔導師がどうして大軍より先に城壁に近付くのか理解はできない。それに魔法で壊すにしてもクレルモンの城壁を破るには十分な数には思えなかった。
ともあれ彼らは魔法で城壁を壊す気なのだろう。兵士は弓で狙いをつける。その集団の中には白いローブを着た少女がいた。実の娘より少し年上の少女を見て、兵士は弦にかけた手を思わず緩ませる。
しかしこれは戦いなのだ。たとえ子供でもこの場に出てきた以上、命が奪われても文句は言えない。
そう言い聞かせ、兵士は弓を引き絞り、矢を放った。
矢はその少女の額に飛ぶ。だが次の瞬間兵士は驚愕した。何故なら少女の近くまで勢いよく飛んでいった矢が急に速度を減退させて、少女の額にまるで小石が当たったかのようにこつんと当たるだけで終わったからだ。
よく目を凝らすと、少女、いや集団の周囲は白い障壁で覆われている。あれが矢の勢いを殺したのだと兵士は感じた。
少女は額を軽く撫でた後、魔法を唱える。障壁の色が変わった。あの少女が障壁の魔法を維持しているようだ。
少女が杖を掲げると、周囲にいた魔導師は全員詠唱を開始する。射程は城壁を捉えていた。
兵士たちも必死で攻撃するが、障壁に阻まれ十分な効果を得られない。唯一効果があるのは魔法だけ。しかし集団を止めるには数が足りなかった。
詠唱が終わり、各々の杖から発したいくつもの光弾が城壁にぶつかって爆発する。その衝撃は一般的な爆発魔法のそれではない。あまりの衝撃に城壁に上っていた兵士たちが倒れるほどだった。
煙が晴れると城壁には穴がぽっかりと空いている。魔導師の集団が穴をあけたあと後続の兵が堀を埋めていく。
コミューンの兵士は城壁から矢を射て後続の兵を止めようとするが、数が多く先程の魔導師集団が兵を守っている。あっさりと城壁を攻略され、城壁で敵を食い止めるはずだった防衛側の予定が狂った。
城壁の穴の前にコミューンの兵が集まる。城壁の穴から侵入するヴァイクセル帝国兵を水際で食い止めるために。
堀が完全に埋まり、ヴァイクセル帝国兵が我先にと歩を進める。コミューンの兵士も必死に応戦した。ここを突破されてしまえば、街の中での戦いになる。戦地が広がり収拾がつかなくなり、何より街に被害を出さないようにするには何としてもここで食い止めるしかないのだ。だからこそ彼らは奮戦する。追い詰められている兵の勢いはじりじりと勇猛果敢なヴァイクセルの兵でさえ押し返していった。
だが、瞬間前線にいたコミューンの兵士が一斉に倒れた。直後遅れて血しぶきが上がる。幽鬼のようにゆらりと姿を現した女騎士。敵兵が倒され、ヴァイクセルの兵士の戦意が高まる。それと同時にコミューンの兵士は死の恐怖に見舞われる。
「化け物だ……」
攻撃を免れたコミューンの兵士が呟いた。吸血鬼など比ではない。吸血鬼も素早い動きをしていたが、この女騎士のほうが化け物に違いない。吸血鬼よりも速く、姿を捉えることができない敵などいったいどうやって倒せというのだ。
一歩、また一歩と近づく女騎士を前にコミューンの兵士は逃げ出したかった。だが背後を見せたところで容赦のない一撃が兵士を貫く。
その光景を前にしても無表情のまま近付き死を告げる赤髪の美女。
ああ、これが「赤の死神」なのだ、と気付いたとき、兵士の意識は絶たれた。
「ああもう、なんで攻めてくるんっすかね」
「仕方ねえだろ。ヴァイクセルが攻めてくるとか予想なんてできねえよ」
ぼやくリーアムをハボックがたしなめる。
ヴァイクセル帝国とコミューン連合国が戦争になるなど、一般市民からすれば青天の霹靂だった。
数日前から街全体に不穏な気配があったのは彼らも感じていたが、まさかここまでの事態だとは思っていなかった。
冒険者ギルドは有事の際に国に協力することは義務付けられているが、それはあくまで魔物との戦いに関してであって、国同士の戦争ではその義務は発生しない。しかし冒険者が自己責任において戦争に参加することは可能だ。それは暗黙の了解となっている。
内部的には各国に拠点を構え、もはや別組織と言ってもいいほど独立している冒険者ギルドだが、特定の国に肩入れすれば他の国での冒険者ギルドの活動が制限されるなど存続が危うくなる。必然的に中立の立場を取らざるを得ないのだ。だから冒険者個人の責任と詭弁を弄しているのである。
「ごめんね、みんな。付き合わせてしまって。逃げてくれてもよかったのに」
コーネリアがしおらしく謝罪した。それを見てリーアムがばつの悪い顔をし、ハボックがほらみろと言わんばかりの顔をする。
コーネリアからすればコミューン連合国は故郷だ。たとえ今までカスタル王国で生活していたとしてもそれは変わらない。故郷の村まで戦火が広がることなど許せるはずもない。ヴァイクセル帝国が侵略するのなら、彼女が戦争に志願するのは当然の結果である。
しかしそれはコーネリア自身の問題であり、カスタル王国出身である仲間たちは関係ない。コーネリアは仲間を巻き込むわけにはいかず、彼女はパーティーから脱退することを仲間たちに告げた。だが彼らはそれに反対し、その上彼らはコーネリアと一緒に戦争に参加したのである。彼女は当然反対したのだが、結局仲間たちに押し切られてしまった。
「気にしないでいいのよ、ネル。リーアムはああ言っているけど、別にあなたを責めているわけじゃないわ」
「そうだぜ、別に俺たちはお前のためだけに戦っているわけじゃねえ。この戦いでがっぽり稼いでやるから心配するなっての。まあどうせ稼ぐなら仲間のために戦うってのも悪くねえじゃねえか。そんなに気になるんだったらこの戦いが終わったら酒でもおごってくれや」
「悪かったっす。ちょっと気が立ってたっすよ」
仲間たちの言葉にコーネリアは力なく笑い返した。
彼らは数十名の兵士と共にポータルの前でヴァイクセル帝国の強襲に備えていた。既に戦いが始まっていて、叫び声や金属音などが入り混じった戦い特有の騒音がポータルのある場所まで届いている。
一度大きな轟音が聞こえたときはこの場にいたものたちもさすがにうろたえたが、自分たちの与えられた役割に徹し、持ち場を離れずにいた。
「やっぱり近付いてきているっすよね、これ」
リーアムが言うように音は徐々に近づいている。おそらくヴァイクセル帝国は城壁を突破し、市街戦に移っているのだろう。
「だとすると、王宮がやばいな。連中、手柄を立てたいだろうからあそこへ向かうだろう」
王宮には王女がいて、必然的に兵も集まっている。手柄を狙うのであれば、王宮を狙うのが一番だ。一方ポータルは街の中心から離れた場所にある。ここに足を運ぶ兵士は少ないだろうとハボックは見積もった。
「すでにヴァイクセル帝国は市街に侵入している! ここを放棄して王宮へと移動するぞ! ロズリーヌ様をお守りするのだ!」
混乱した状況で遅れたがようやく伝令が届き、命令がいきわたる。ハボックたちも命令に従い移動を始めた。
王宮はすでに敵味方入り乱れ激しい戦闘を行っている。ハボックたちはヴァイクセル帝国の兵の中を突貫して、王宮の中へと入った。
負傷兵が王宮の内部に運ばれている。負傷兵の数が多すぎて法術師も手一杯のようだ。
「こちらの負傷者は私が治療します!」
エミリアが負傷兵の治療を買って出る。残されたハボックたちは負傷兵のところまで敵が来ないように周囲を守る。
「まだ敵が王宮に侵入していないようっすけど、時間の問題っすね」
コミューン側が劣勢であり、時間が経てば経つほど負傷兵が増えていく。兵士を王宮に集めたことでぎりぎり王宮への侵入を持ちこたえているだけに過ぎない。何かきっかけがあれば一気に王宮は陥落してもおかしくない状態だった。
突如、光の柱が立ち上がった。光の柱が放つ強い光でハボックたちの目がくらむ。
「うおっ、なんだ!?」
光の柱の余波なのか吹き荒れる風の中、ハボックは失われていく光の先に目をやる。
多くの兵士が倒れている中に一人、少女が立っていた。周囲には傷ついた兵士がいるというのに怯える気配もない少女。幼子のような少女こそが光の柱を引き起こした魔導師なのだと悟る。
「ヴァイクセルの魔導師!? ならばこれで!」
直感的に少女の危険性を感じ取ったコーネリアは躊躇いなしに矢を放つ。少女の手前で赤白い障壁が矢を阻み速度を落とさせる。少女は事もなげに勢いを失った矢をつかんで捨てた。
「ははっ、最近の若い魔導師は化け物じみた天才ばかりなのか」
「あいつといい、まったく嫌になっちゃうわ」
軽口を叩きあうハボックとコーネリアだが、笑みを浮かべるはずの顔は引きつっている。
コーネリアの弓の腕前は冒険者の新人としてはかなりの腕前だ。その彼女の矢ですら貫くことのできない障壁を打ち破るのは容易くない。
少女は眼前にいる敵兵には目もくれず、後ろを振り返った。
「イレーヌ。ここは任せます」
「……はっ」
少女は少し離れた位置に立っていた赤髪の女騎士に向かって告げる。
「俺たちを無視するんじゃねえっすよ!」
リーアムが少女に飛びかかって剣を振り下ろす。剣先が障壁に触れる前に、リーアムの腹部に衝撃が走った。
「かはっ!」
「リーアム! てめえ!」
壁まで吹き飛ばされるリーアム。いつの間にか距離を詰めていたイレーヌと呼ばれた女騎士がリーアムを蹴り飛ばしたのだ。直撃を受けたリーアムは腹部を押さえ口の端から涎を垂らして苦しそうにしているが、再起不能に陥るほどではなかった。
「アレクシア様の邪魔はさせない」
イレーヌは冷たい視線でリーアムたちを射抜く。
「へっ、その見下した感じ……あんたのこと……嫌いになりそうっすよ」
「リーアム、無理しちゃ駄目よ。あの女もかなり強いわ」
「一人では勝てません。ここはみんなで力を合わせないと」
涎を拭いよろよろと自力で立ち上がるリーアムに駆け寄るコーネリア。エミリアも仲間の危機とあって、負傷兵よりもこちらを優先して駆けつけた。
アレクシアと呼ばれた少女はそのやりとりすら一切無視して先を急ぐ。ハボックたちは彼女を止めたいのだが、イレーヌに威圧され迂闊に手を出すことができない。
「仕方ねえ。まずはこの別嬪さんから倒して、あのお嬢ちゃんを止めるぞ」
ハボックの合図に、リーアムたちが二手に動く。左右からハボックとリーアムが同時にイレーヌに襲い掛かった。
ハボックとリーアムの動きの違いからイレーヌは判断し、もっとも危険だと思ったハボックを狙う。フルプレートの隙間を縫うように突き刺すレイピア。
「かかったな!」
「させません! 『メンタル・バリア』」
にやりと笑うハボックと詠唱を完了させたエミリア。薄い盾がハボックの前に現れレイピアの突きを止める。
『メンタル・バリア』は法術師が覚える魔法の一種であり、完全に衝撃を遮断する盾を作る魔法である。もっとも盾は小さく一人ぐらいしか守れない上、一定以上の衝撃を受ければ消滅するものだ。
エミリアはハボック、あるいはリーアムのどちらかが攻撃された瞬間にその魔法を発動させイレーヌの攻撃の手を止めるのが目的だった。
初めてイレーヌの顔に驚愕が浮かぶ。
「もらった!」
反対側から攻めてきたリーアムが叫ぶ。イレーヌの頭上にはリーアムの剣。避けようがない絶妙なタイミング。
しかし、相手がイレーヌでなければの話だ。イレーヌは構いもせずレイピアに力を込めた。『メンタル・バリア』の盾にひびが入る。
「まさか冗談だろ!」
一定以上の衝撃で壊れるとはいえ、法術師の力量によってその上限が変わる『メンタル・バリア』はそうそう一度の攻撃で壊れるものではない。
だがイレーヌの一撃は『メンタル・バリア』の許容範囲を軽く超えていた。盾が割れると同時に勢いよくレイピアの切っ先がハボックの腕に突き刺さる。
ハボックが異変に気付き身体をずらさなければ、急所に当たっていたかもしれない。
そしてイレーヌはハボックを追撃せずに、すぐさま意識を切り替えて迎撃に移る。
リーアムの動きに合わせ一歩身体をずらして空振りさせた後、そのままリーアムの背中を押して地面に叩きつけた。
「くそっ、痛え! ぐっ!」
倒れたリーアムの頭部を踏みつけるイレーヌ。
「少し驚いたぞ。なかなかいい連携だった」
「なら褒美代わりにこの足どけてもらえないっすかね。この手の趣味は持ち合わせていないんすよ」
称賛するイレーヌにリーアムは軽口で返す。イレーヌは足に力を込めた。
「悪いな。負けるわけにはいかないのでな」
「ぐああああっ!」
リーアムの絶叫と比例してイレーヌの足に力が増していく。
その瞬間だった。一条の矢が放たれたのは。
アレクシアと違い、イレーヌには障壁がない。ならば矢が届くはずだ。つまり彼らの本命はコーネリアの矢であり、一連の連携はまだ終わっていなかったのである。
決して彼らはイレーヌを侮っていたわけでは無い。むしろ警戒していたからこそ奥の手を隠していた。
本来はリーアムとハボックでイレーヌの動きを止めたあと、その隙にコーネリアが仕留めるはずだった。
しかしリーアムが捕えられてしまった。それでもコーネリアは動かずに時を待った。極限まで自分の気配を断ち、想定を崩された動揺と絶叫を上げる仲間を助けに行きたい衝動を押し殺して放ったコーネリアの、仲間たちが作り上げた渾身の一撃。
そう、彼らは侮ってなどいなかった。最後の一手までは。
イレーヌはリーアムから足を離して姿が見えなくなるほど素早い動きで矢をかわした。つまりイレーヌは飛んできた矢に気付き、それよりも早く反応してみせたのである。その反応は人の限界を越えている。
「なるほど。連携はそこの男で終わりじゃない。エルフも織り込み済みか」
コーネリアは舌打ちした。強い。付け入る隙がない。魔物のような身体能力と鍛錬で培った技量。それが高い次元で融合している。
「お前たち兵士じゃないな。小集団の連携に慣れすぎている。冒険者か」
「ええ、そうよ」
「私の知る冒険者は一人しかいないが、みなこのように強かなのか?」
「さあ、どうかしら。少なくとも私が知る冒険者ならごく少数ね。私もある冒険者から学んだの。実力差なんて関係ない。やり方次第で十分戦えるってことをね。……今じゃあいつとの実力は離されてしまったけど、でもいつかあいつぐらいに強くなって見せるわ」
それはコーネリアの内に秘めた本心だった。コーネリアとケイオスが出会ったころ、二人の間に実力の差はほとんどなかった。二人の間にあるのは戦い方の意識や創意工夫といったものが差として現れたとコーネリアは思っていたのである。だからこそ悔しいと感じていたし、工夫次第でより自分は強くなるのだと意気込んでいたのだ。
それが短期間でケイオスは邪神の僕を倒してしまう快挙を成し遂げてしまう。それを聞いた当時は真相こそつかめなかったが、納得すると同時に自分と彼との差が一足飛びで突き放されてしまったことに嫉妬めいたものが芽生えていた。
これが他者の活躍であるならば受け入れていただろう。だが、同じ冒険者の新人として、もともと実力に差が無かったことをなまじ知っていたために取り残された気分を味わっていたのだ。
それはコーネリアだけではなくリーアムもそうだった。だからこそ少しでもその穴を埋めようと彼らはあがき、このクレルモンに来る間、必死に己の腕を磨いてきたのである。
「そうか」
イレーヌの顔がほんの少し苦々しくそれでいて感慨深い表情に移ろう。
「私にもやらなければならないことがある。ここで引き下がるわけにはいかない。抵抗は無駄だ」
イレーヌの表情が引き締まる。
「無駄でもないっすよ。おかげで見えたこともあるっす」
首を抑えてリーアムがにやりと笑う。
「ほう? それはなんだ?」
「最初、俺を蹴り飛ばしたときと矢をかわしたときに出したあの速さ。明らかに異常だったっす。でもおかしいんすよ。なんで常時その速さを出さないんすか? あの速さなら俺たちはすぐにやられていたっすよ」
ぴくりとイレーヌが反応する。
「あの速さはマナを使った技っすね。しかも連続して使える技じゃない。再度使うのに時間がかかる技と見たっす。それさえ注意すれば矢をかわすことはできない。まだこっちにもチャンスがあるっすよ!」
「リーアム。仕送りする金の計算を間違えてひもじい思いをしたお前がそんなに頭を使うなんて、俺ちょっと感動したぞ。あとこっちの作戦ばらすなよ」
「成長したんですね……! あともうちょっと駆け引きを学べば完璧です」
「これもう退化じゃないの。戦犯ものだわ」
「ちょっ、それは仲間内の秘密っすよ! ってうわ、しまった!」
「お前たち、本当は冒険者じゃなくて道化じゃないか?」
きりっと決めたつもりのリーアムは仲間から総スカンを食い、落ち込んでしまう。それを見たイレーヌが呆れ返った。少しだけ毒気を抜かれたのであろう。
そんな中、ハボックがイレーヌに仕掛ける。気が抜けていてもイレーヌは咄嗟に斧の一撃をかわした。
「会話中に攻撃とは少しやり方が汚くないか?」
「はっ、ベテラン冒険者が狡猾で何が悪い! そっちも技を使う時間を稼いでいたんだろうが! お互い様じゃねえか!」
会話中にきっちりとエミリアから治療を受けていたらしい。腕を刺された影響はほぼなく斧を振り回す。
重量のある斧を細いレイピアで受けるわけにはいかず、イレーヌは回避に徹する。ハボックも鈍重な斧を素早く振り回すがイレーヌのほうが何倍も速い。
「お前たちは勘違いをしているから訂正しておく」
「やめろ!」
しかし戦闘中のイレーヌがその一言で止まるはずがない。
斧の動きを見極めたイレーヌはレイピアの柄頭で斧頭を叩きうまく反らす。
「技を使わなければ勝てると思っているようだが、それは間違いだ」
ハボックと入れ替わるはずだったリーアムが、隙を作ろうと機会をうかがっていたコーネリアの矢が、魔法の盾を生み出すエミリアの詠唱が間に合わない。
レイピアの鋭利な切っ先はハボックの身体に吸い込まれていった。




