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第三十八話 そして反転する世界

 ロズリーヌがバルコニーから戻ってきた。ほんの数分足らずの間だけ一人きりになった彼女は何を思ったのだろう。目が赤い彼女にかける言葉が思い浮かばなかった。

 城の内部の制圧はこうして留まっている間にも進んでおり、数で優勢な味方にも被害が出ているようだが、もう俺たちが介入する必要もない。


「姫殿下!」


 怒りを含んだ大声にロズリーヌだけでなく、俺までびくっと反応してしまう。おそるおそる視線をさまよわせるとそこには明らかに怒っているラウルさんがいた。

 ああ、うん。これはだめかもしれんね。ロズリーヌもびくびくして顔を青ざめさせている。


 取り巻きを伴いながら急ぎ足でこちらに来るラウルさん。あまりの怒気に周囲が飛び退くように道を開けるのだから、第三者で見れば面白いのかもしれないが、当事者である俺たちにしてみれば罰を前にして絶望したいたずらっ子のような気分だ。


「なぜ前線に赴いたのです。クレルモンは危険ですからあれほど勝手な行動は慎むようにと申し上げたはずですぞ」

「申し訳ありません、伯父上。ですが最後に一度だけ顔を合わせたかったのです。こうでもしないかぎり話す機会などなかったでしょう」

「王にお会いしたい気持ちは十分承知の上ですが、御身をないがしろになさいますな。姫殿下の身に万一のことがあれば、この国は誰が治めるというのです。このクレルモンを立て直すには姫殿下のお力が必要なのですぞ。姫殿下がいらっしゃらないとわかったときは、儂はもう肝を冷やしましたぞ」


 ラウルさんが正論を述べ、なおかつ本気で心配しているのが見て取れるのでロズリーヌもそれ以上の反論ができずばつの悪い顔をした。まあ彼女のキャラ設定なら一国の代表が前線に赴くなんて無謀すぎる。


 あれ? クレルモンを立て直すってどういうことだ? ロズリーヌがこのクレルモンを領土にしたのか? でもイベント的には一番活躍した人が解放した街を領地として得られるはずだ。ロズリーヌは残念ながら一度も戦ってはいない。参加したプレイヤーの中では一番貢献度が低い部類に入るだろう。クレルモンは彼女の領土にはならない。それとも手に入れた領土は他人に譲渡できるのか?


「ケイオスもケイオスじゃぞ。側にいたのなら姫殿下をおいさめし、止めねばならん。お主の情が厚いのはわかっておるが、この場は安全ではないのじゃ。情に流されてしまっては取り返しのつかないことになることもあるのじゃ。よく考えて行動せねばならぬ」

「私がケイオスに頼み込んだからです。ですから伯父上、あまりケイオスを責めないであげてください。吸血鬼と化した父上を倒したのはケイオスなのですから」


 矛先がこちらを向いた。逐一もっともである。けれど、ロズリーヌがフォローしてくれたおかげで大事には至らなかった。


「そうなのですか、ケイオスが。それで王は、王妃は」

「吸血鬼に捕われ、吸血鬼にされてしまい肉体を奪われてしまったようです。父上と母上は自分の意志で魔物に加担していたわけじゃない。それが確かだとわかっただけでも私はこの場に来たかいがありました」


 どこか晴れやかな表情を浮かべるロズリーヌ。ラウルさんもどこか嬉しそうで悲しそうなどちらともとれる表情を見せる。

 モンスターはNPCなのにな。彼女たちの中では壮大なストーリーが展開している。


「それで、街の状況はどうなのでしょうか。伯父上」

「まだ制圧中ですが、兵士の中にはまだ吸血鬼では無い兵士もおり、そうしたものには武器を捨てさせ降伏するように勧めております。おそらく二時間もあれば事態は沈静化するかと」

「民に被害が及ばなければよいのですが」


 二時間か。どうしよう。このままこの場で待機するのかな? それならさっき聞きかけたことを聞いてみようかな。





 それは何の予兆も無く起きた。


 てかてかと光る赤。

 ラウルさんの身体から急に生えた手。

 何が起きたのか全く理解できなかった。


 ロズリーヌが遅れて絶叫する。

 ラウルさんの身体を貫いた手がゆっくりと引き抜かれる。

 ラウルさんがそのまま前のめりに倒れると背後に兵士の姿が見えた。正気を失ったような表情で血まみれの手をなめている。

 取り巻きの兵士が動きその人を剣で切り倒す。たったそれだけでその人は動かなくなった。

 周囲から怒号が響くが、内容は俺の耳に入らなかった。

 うつろになったラウルさんをロズリーヌが抱き起こす。彼女が着ているフルプレートの鎧にべっとりとラウルさんの血がついた。


「伯父上! しっかりしてください!」


 泣き叫びラウルさんの名を呼び続けるロズリーヌ。


「誰でもいい! 法術師を! 伯父上に手当てを! 早く!」


 血を押さえようと必死にロズリーヌが患部に手を当てるが、勢いよくあふれでる血は止まらない。

 でもいくらヒーラーを呼んでも意味はないだろう。だってラウルさんは。

 ラウルさんは弱弱しい動きで手を動かしロズリーヌの手に添えた。


「もう、よい。もうよい、のじゃ」

「意識が! まだです! まだ間に合います! すぐに助けが来ますから、そんな弱気なことをおっしゃらないでください!」


 口からも血を吐くラウルさんの声は小さい。ロズリーヌがラウルさんをしかりつける。いつもとは逆の立場だ。


「ロズ……リーヌ。立派な、女王になって……、先王に負け、ぬぐらい……」

「なります! なりますから、だから!」


 ラウルさんは笑みを浮かべた。ロズリーヌの必死な姿とは正反対の穏やかな表情だった。

 そしてラウルさんの目が俺に向いた。ラウルさんはわずかに口を動かす。もう言葉も出ないのだろう。声には出なかった。

 だけど、俺にはわかった。ラウルさんの言いたかった言葉が。


「頼む」


 ただ一言だった。


 そしてラウルさんは一切の反応を示さなくなった。


「伯父上? 伯父上えええええ!」


 ロズリーヌは信じられない顔をして泣き叫ぶ。周囲からも嗚咽が聞こえた。


 ラウルさんは死んだ。

 HPが0になった。


 だから復活できる。

 ラウルさんはプレイヤーだ。

 死後はポータルに転送されて復活するんだ。


 だって、これはゲームだろう?


 そんなに悲しむ必要はないじゃないか。

 みんなして大げさすぎるよ。

 ほら、顔を上げようよ。

 ラウルさんのことだから、穏やかな笑顔を浮かべてひょっこり戻ってくるよ。


 ――だけどいつまでたっても死体は消えない。

 『Another World』のゲームの仕様ではプレイヤーが死亡した場合、ポータルに転送されてプレイヤーの死体は消えるはずなのに。


 俺はとあるアイテムを取り出した。


「ケイオス、それは……?」

「蘇生する」


 無言でラウルさんの側に近寄る。

「身代わりの人形」。唯一の蘇生アイテム。これを壊すことで対象は蘇生する。

 これなら確実にラウルさんを蘇生できる。


 人形を壊そうと力を入れる。

 だけど、壊れない。おかしい。バグかな。


 目の前にメッセージウィンドウが表示される。


「死亡状態の対象が存在しません。対象が存在しない場合、効果は発動しません」


 やっぱりおかしい。目の前に対象がいるじゃないか。

 あはは、運営なにやっているんだろう。課金アイテムだぞ。こんな不具合のあるアイテムなんか販売しちゃだめじゃないか。


 ……壊れろ、壊れろよ、壊れてくれよ!

 いくらいじっても壊れない人形を地面にたたきつける。だけど、それでも人形は壊れなかった。


「やめろ! ケイオス! もういい! 落ち着いてくれ!」


 止めるなよ、ロズリーヌ。ただ蘇生させるだけだ。何のことはない。ゲームではよくある話じゃないか。

 死亡したプレイヤーを蘇生させるなんて日常茶飯事に起きていることだ。


 ぱんと乾いた音がした。

 ロズリーヌが俺をぶった。

 ひどいな、ロズリーヌ。俺はただラウルさんを蘇生させようとしているだけなんだ。

 俺は落ち着いている。君の攻撃で俺のHPが減っているのも確認できるぐらいに。


「伯父上は、……もう亡くなられたんだ。お願いだ。もう静かにしてやってくれ」


 俺は無言で人形を回収する。拾い上げ、再び蘇生させようとしたところで腕をつかまれた。


「ケイオス、よく聞け」


 いやだ、何も言わないでほしい。


 ……本当はブランデンブルグのときに気付きかけていたんだ。

 このゲームは何かおかしいって。

 ただのゲームじゃないってことに気付きかけていたんだ。

 でもそれを認めてしまったら、もう今までの価値観が、常識がすべて塗り替えられてしまう。


 今はダメだ。今はダメなんだよ。

 今それを認めてしまっては、認めたらそれじゃラウルさんが――。


「死んだ人間は蘇生できない」


 違う! プレイヤーなら蘇生できる!

 常識じゃないか! この『Another World』の仕様では、仮想世界のゲームの世界ならプレイヤーが操作するキャラクターは蘇生できるんだ!


 ラウルさんをもし蘇生できないのなら、彼はNPCだったんだ。この蘇生アイテムはNPCに対しては効果がない。あくまでプレイヤーの蘇生だ。


 ……わかっている。それがごまかしに過ぎないことぐらい。

 ラウルさんとロズリーヌが再会したあの思いは確かなものだった。作り物や演技なんかじゃないことぐらい、いくら俺でもわかる。


 プレイヤーであるロズリーヌが、NPCを伯父に持つはずがない。


 ゲームの仮想世界の常識、ルールが崩れてしまったら、それは――。


「生きているものはこの現実からは逃れられないんだ」



 もう、遊戯ゲームじゃない。



 ――現実リアルだ。



 ***


 コミューン連合国の北西部の平野部に複数の天幕が密集して張られている。その天幕の周辺を兵士たちがせわしなく走り回っていた。


 天幕の中でもひときわ大きい天幕に物憂げな表情をした男が一人でチェスに興じている。外の状況とは違い、この天幕の中は静寂に包まれていた。


 突如天幕が切り裂かれる。チェスを楽しんでいた男は目を細めて天幕の外を見た。

 そこには、黒づくめの格好をした五人の男たちの姿があった。男は幾分気分を害したかのように五人に問いかける。


「無粋だな。静寂を妨げる卿らは何者であるか」

「何者でもよかろう。ヴィルヘルム・ヴィクトル・フォン・ヴァイクセル陛下とお見受けするが相違ないか」

「いかにも。私がヴィクトルである。なるほど、私に差し向けられた暗殺者か」


 男は剣を向けられているのに余裕の表情で、むしろ五人の兵士に対して笑いかけている。癇に障ったのか暗殺者の顔に苛立ちの色が浮かぶ。


「貴様! この状況がわかっていないのか!?」

「ふむ。卿らは吸血鬼であろう? 魔物に囲まれているだけに過ぎない。だがそれがどうしたというのだ?」


 暗殺者の殺気を涼しげに受け流すヴィクトル。今もなおチェスの駒をいじる彼の姿に暗殺者の苛立ちが頂点に達した。


「愚か者め! ならばこのまま死ぬがいい!」


 飛びかかる四人の暗殺者。ヴィクトルはそれに動じるどころか、チェスの駒である自軍の騎士ナイトを動かし、敵軍の兵士ポーンを四つ倒した。


 その瞬間空中に銀色のきらめきが現れ、そのきらめきが描く軌道は飛びかかった四人の暗殺者に向かう。それと交差した暗殺者の身体から血しぶきが上がった。四人の顔はヴィクトルに切りかかったときの憤怒の表情のままだ。何かに貫かれ血が噴き出ているにもかかわらず、自分の身に何が起きたのかわからぬまま絶命したのである。残る一人も何が起きたのかさえ理解できなかった。


 だが四人が倒された後、彼の背後に一人の美しい女騎士が突如として姿を現したことで彼はその女騎士によって倒されたのだと理解する。その赤髪の女騎士に心当たりがあった。


 先日コミューン連合国の他の領地で行われたヴァイクセル帝国との戦いにおいて、めざましい活躍をして名を上げた女騎士。ひとたび姿を現せば周囲にいた兵士が血まみれになって地に伏すことから、コミューンの兵士たちから恐れられその女騎士の赤髪と返り血より名付けられた二つ名。


「赤の死神……!」

「ふむ、お前たちにはそのような二つ名で通っているのか。同じ人物をさしているのにそこまで意味が違うとは面白い」


 暗殺者の言葉にわずかに眉をひそませる女騎士だが、決して警戒は緩めていない。その鋭い殺気は常に生き残っている暗殺者に向けられていた。進むことも逃げることもできない。もはや暗殺者は蛇に睨まれた蛙だった。


「卿に紹介しよう。彼女はイレーヌ。その早業は剣の軌道しか目にとらえることができないことから『銀閃のイレーヌ』と呼ばれる帝国最速の騎士よ」


 銀閃。確かに目に焼き付いたあの光景は美しさもあった。だが暗殺者にしてみれば美しさよりも四人の命を奪った凄惨な光景の印象が強く、死神にしか見えない。


「残念ながら彼女は私の直属の騎士ではないがな。今からでも遅くない。イレーヌよ。私に仕えないか?」

「私のような者に過分なるお言葉をいただきありがとうございます。ですが申し訳ありません、陛下。私の剣はあのお方に捧げているのです」

「ふむ、忠義の厚い騎士よ。卿のような騎士がいることはヴァイクセルの無二の宝となろう」


 イレーヌに断られたというのにヴィクトルは機嫌を損ねる表情を見せない。むしろその回答に本心から満足している様子だった。


「卿も鼻が高かろう。なあ、『ヴァイクセルの聖女』」


 暗殺者がヴィクトルの視線をたどるとそこには白いローブを着た少女がいた。年端のいかない少女がこの場にいることに暗殺者は驚いた。

 少女は感情を露わにせず、完全な無表情である。暗殺者に一切興味を示していないのか、まるで人形のように変わらぬ表情の少女の異様さにのまれ、暗殺者はごくりと喉を鳴らした。


「イレーヌは未熟な私によく仕えてくれております」


 淡々と答える少女。表情と同じく自分の従者がほめられているというのに、喜怒哀楽が欠落した平坦な声だった。


 そう言えば、暗殺者ははたと思い出す。先の戦いの「赤の死神」の鮮烈な活躍の陰で名を上げた人物の名を。

 その人物が指揮する部隊はヴァイクセル帝国でも精鋭中の精鋭で固められており、的確に味方を支え、破竹の勢いでコミューンの兵士を殲滅していったと聞く。

 個人の強さでは「赤の死神」が知られているが、総合的な強さではその人物こそがヴァイクセル帝国の侵攻の中心なのだ。

 苛烈な戦場においても冷静さを失わない常勝の部隊。それを率いる冷酷な指揮官。その指揮官をコミューンの兵はこう呼んでいる。


「魔女アレクシア!」

「敵から見れば聖女も魔女へと変わってしまうか。どう思う、アレクシアよ」

「別に何も。もうどのような言葉をかけられようとも私には一切興味ありませんから」


 自分に対する風聞など心底どうでもよいのだろう。アレクシアの顔はぴくりとも動かない。


「陛下、ご無事でしたか!」

「遅いぞ、曲者は聖女と銀閃によって倒されたわ」


 ようやく天幕の異変に気付いた兵士が天幕に駆け込んでくる。暗殺者に気付いた兵士たちは状況を理解するとすぐに暗殺者の前に立ちはだかる。


「陛下。この者はいかがいたしましょう?」

「先の戦いでとらえた捕虜から情報は引き出してはいるが、何か知っているかもしれん。まあ末端が知る情報などたかが知れているがな。取り押さえ適当に情報を引き出せ」

「では、そのように」


 アレクシアが杖を振ると、暗殺者の身体は縄で縛られたように動かなくなる。自害しようとしていた彼の手から剣が落ちた。

 兵士は暗殺者を引きずるように連れて天幕から去った。


「暗殺者をやすやすと皇帝の前に通すなど、陣の防衛体制を見直さねばならぬな」

「申し訳ありません。陛下」

「なに、卿を責めているのではない。むしろ卿のおかげで助かった。それにその見識によってこの地が吸血鬼どもに支配されているとわかったのだ。それだけでも卿の功績は大きいと言えよう」

「いえ、吸血鬼が実在するなど私もにわかには信じられませんでした。過去の文献に記載されているので吸血鬼の存在は存じておりましたが、以降歴史上で現れることがなく、とうの昔に絶滅したとばかり思っておりました」


 つい先日行われたばかりの戦いで、倒した指揮官が吸血鬼ばかりであることに気が付いたのがアレクシアだった。それによりコミューン連合国が吸血鬼によって支配されていたことに気付いたのである。


「吸血鬼の国か。魔物が治めるこの地を人間の手によって取り戻す必要がある。ただでさえ人が平穏に暮らしてゆける土地は限られているのだ。コミューンの地を一つでも奴らの手に渡してなるものか」


 この地を治める領主や貴族、そして兵士。それが吸血鬼と化している。

 その事実を民草は知らなかった。知らず圧政に苦しんでいる。中には吸血鬼によって滅ぼされた街もあった。

 この異常事態は一地方だけではない。今までヴァイクセル帝国が進軍してきた領地すべてに吸血鬼が絡んでいた。

 ヴァイクセル帝国のブランデンブルグを襲った魔物たちもまたその吸血鬼たちの仕業によるものであろう。

 コミューン連合国は吸血鬼によって支配されている。それは首都であるクレルモン、ひいてはコミューンの王家も同じかもしれないのだ。


「目指すはクレルモン。我が国に害をなした吸血鬼どもをことごとく滅ぼすのだ」


 手始めにマイエヌ公爵が治める領地。アレクシアとイレーヌの力があれば、被害少なく制圧できる。この力さえあればコミューン全土を制圧するのも夢ではない。

 ヴィクトルはうっすらと笑みを浮かべる。この好機に聖女という望外の戦力が手に入ったことを。そして己の野心が満たせることを。


「では、陛下。そろそろ私たちは失礼します」

「ああ、ご苦労だった。今後も卿らの働きに期待しておるぞ」


 一礼して天幕から退出するアレクシアとイレーヌ。

 天幕に戻る途中、イレーヌがアレクシアに話しかける。


「アレクシア様。本当に今のままでよろしいのですか?」

「どういう意味です」

「いくらアレクシア様がお強かろうと、このような戦地に足を運び、自らを危険に晒すなど……!」

「これは貴族の義務です。魔物を打ち払い、民草が安穏として平和に暮らせるようにしなければなりません」

「そうかもしれませんが、アレクシア様はまだ学生ではありませんか。成人もなされていないのに戦争に関わるのは早過ぎるのではありませんか」


 本来であれば年端もいかぬ少女のアレクシアが戦場に赴くなどありえないことだ。しかしそれはアレクシアがただの貴族の子女であればの話だが。


「陛下直々の勅命での招集です。私が行かないわけにはまいりません」


 ブランデンブルグの危機を救った聖女への参戦要請。最高権力者である皇帝からの勅命である以上、名門貴族であるザヴァリッシュ家は無下にはできない。

 むしろこれを奇貨にして皇帝とのつながりを強めようと躍起になっている節さえあった。


「ですが、これではあまりにも!」

「もういいの! もういいのです。イレーヌ」


 アレクシアはなおも食い下がるイレーヌを一喝する。


「吸血鬼はこの地に禍をもたらす諸悪の根源。それをすべて倒せば平和になるでしょう。この地に住む人々も。――そして、この地を訪れる者も」


 イレーヌにはわかる。本当はアレクシアが何を望んでいるのかを。

 この戦いに臨んだのも、コミューンに訪れたのもすべてはたった一人のため。ただ一人を守りたいがため、彼女はここまで来たのだ。


「私はそれ以上何も望まない。それ以上望んでも叶わないと私は知ってしまったから。だから、もういいの」


 明確な拒絶の言葉を告げて、アレクシアはイレーヌから離れる。残されたイレーヌの瞳から涙がこぼれた。


 今のアレクシアは見るに堪えない。もう何も希望を持てず、ただ与えられた役割をこなすだけの存在になってしまった。

 これではただの操り人形だ。もし吸血鬼をすべて倒しコミューンに平和を取り戻せば、彼女はもう二度と自分の望みを言わなくなってしまうのではないだろうか。


「それのどこにあなたの幸せがあるというのですか……」



 一人になったアレクシアは夜空を見上げつぶやく。


「吸血鬼が住まう危険なこの地にあなたはいらっしゃるのですか、先生」





 この時期のコミューン連合国で行われたとある戦いのことを、後世ではコミューン解放戦と呼称されている。


 コミューン解放戦。


 それは吸血鬼によって領地を蹂躙されたコミューン連合国と、吸血鬼によって支配されているコミューン連合国を解放する大義を掲げ、コミューン連合国へ進軍したヴァイクセル帝国とのすれ違いによって起きた戦いのことである。




 数奇な運命により、魔導師と聖女は杖を交える。


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