第三十三話 追手
2014/05/18 叔父→伯父に修正
は、吐きそう……。視界がぐるんぐるんと揺れる中、なんとか俺は馬車から降りることができた。あまりの気持ち悪さにこうべを垂れひざまずく。城壁を出た直後はまだよかった。馬車にサスペンションでもあるのか振動が抑えられていて、移動中にほとんど振動はなかったのだから。
問題は城門を抜けた後である。暴走する馬車の進路をどうやっても変えることができず、進路上にあった森の中へと進む。森の中は獣道になっていて、整備された道路などなく、仮にあったとしても進路を変えられない。当然進路上に木々が生えているという問題が発生するわけだ。
それをどうしていたかというと、至極単純である。全ての木々をなぎ倒しながらひた走った。どれだけパワーがあるんだ、この馬車は。
壊れはしないものの、この馬車でもさすがに木々をなぎ倒した際に発生した衝撃を抑えることはできない。馬車の中はミキサーの中にいるような状態で、もはやなすがまま身を委ねるしかなかったのだ。
森も深く進んだところでようやく手綱を思い切り引いて、なんとか馬車が止まり今に至る。
本当にひどい目に合った。胃の中のものが外へと大挙を押して出てきそうだ。
というか、この世界で吐くことができるのだろうか。さすがにそこまではできないと思うんだけど、なまじ飲食できるし、リアルさを追求したこのゲームならありえそうで困る。
だが気持ち悪いのはあくまで本体側の感覚であって、現実世界に影響するんじゃないだろうか。となると現実世界の俺の身体はどうなっているんだ? もしかして気分が悪くて寝ゲロしてたりして……。起きたらゲロまみれでしたとか勘弁してほしい。
「おい、しっかりしろ! 大丈夫か?」
若い女の声だ。どうやら近くに人がいたらしい。顔を上げるのも億劫だったのでそのまま答える。
「大丈夫だ、ただ気分が悪いだけだから」
「気分が悪いだけ? ならよかった」
見上げるとそこには長い褐色の髪の美人がいた。年齢は俺と同年代ぐらいのようだ。イレーヌさんも美人ではあったが、凛としたかっこよさや厳しく真面目そうな雰囲気もあった。だがこの人は明るくてはつらつとした雰囲気が当てはまる別ベクトルの美人だろう。服は地味だが、体のサイズにあっていないのかぴちぴちだ。主に胸部が。……装備の見直しが必要じゃないかな。
「で、お前はいったい誰だよ? どうしてこんなところに?」
「俺の名はケイオス。クレルモンに着いたら、街の様子がおかしくて仕方なく隣町に行くつもりだったんだ。そしたら馬車が暴走して、気付いたら森の中だ」
「そういうことか。今クレルモンは厳戒態勢が敷かれている。住民は外に出ることを禁じられているんだ」
なるほど、人がいなかったのはそういう理由だったのか。これはやっぱり何かのイベントが起きているのだろう。はた迷惑だがそういう理由なら仕方ない。彼女もクレルモンにいては埒があかないと思って移動したのだろう。
「じゃあ、そっちも隣町に行く予定だったのか?」
「……あ、ああ。まあな。ひとまず南のトレーヴに向かうつもりだぜ」
「もしかして歩いてか?」
「途中で馬でも買う予定だけど……、トレーヴまでは、な」
南か。マップで見る限り、トレーヴまではちょっと離れている。クローズドβテストの時のメールディアまでの移動を思い出していた。一週間ログインするたびに寂しく一人で走ったっけ。事情を知らない人が見たら何かの罰ゲームだよな、あれ。今回はあれほどの距離はないとはいえ、歩くには結構時間がかかる。課金アイテムでもなければ、乗り物なんて普通最初から所持しているものではない。不運にもクレルモンが変なイベントが起きているせいで、それがちょっと不憫に思えた。
あ、そうだ。彼女を馬車に誘ってみるか。お節介かもしれないけど、袖すりあうも他生の縁だ。あわよくば、ぼっちプレイヤーに再び返り咲いた俺のフレンドになってくるかもしれないし。
「もしよかったら、この馬車に乗るか? トレーヴは歩くには少し辛い距離だろう」
「……それにか?」
どうにも胡散臭いものを見るかのように彼女は馬車を見た。それもそうだよな。暴走しているのを目撃している以上、不安になるのも当然である。言ってみて俺も不安になってきたし。
そんな主人の気持ちを知らずに二頭の馬はどこかやり遂げたような表情(あくまで主観だが)を見せ、俺を見ている。それは褒められているのを待つ忠犬を連想させる姿だ。とりあえず一撫でしておいた。
「落ち着いたのか。その馬は意外とおとなしいんだな」
彼女はそういうけれど、さっきもそんな感じで暴走しちゃったからな。しかし、そんな簡単に暴走しちゃうと乗り物として使えないわけだし、操縦方法が何かいけなかったのかもしれない。でもゲームなんだし、操縦が難しいものじゃないと思うんだけどな。乗っていればわかるんだろうか。それとも一度操縦方法を調べにログアウトすべきか。
「トレーヴまで(無事に)行けるか?」
そんなことを思わず呟いてしまう。すると二頭の馬はこくんと頷いた。……もしかして行き先を言えば連れてってくれるってこと? 答えは返さずにじっと俺を見つめ返す馬たち。……し、信じるからな!
「ケイオス、厚意に甘えて乗せてもらってもいいか。なるべく早くトレーヴまで着きたいんだ」
「わかった。道中よろしくな。ええと、名前は」
「ああ、私はロ……」
「ロ?」
「ロ……ーザ。ローザだ!」
耳がキンキンするほど大声で叫ぶローザさん。そんなに叫ばなくても聞こえているのに。
それさておき、外を移動するとなるとモンスターと遭遇する危険もある。幾ら乗り物に乗ったとはいえ、モンスターから攻撃を受けないとは限らない。つまり戦闘が行われることもあるのだ。彼女をパーティーに誘っておいて、少しでも危険を減らすべきだろう。
「よろしくな、ローザさん。馬車で移動するが、道中は戦うことになるかもしれない。パーティーを組んで、一緒に戦ってくれるか」
「ああ、私は乗せてもらう身だ。それは構わない。それと敬称はいらないぜ。あまり敬意を払われるのは好きじゃないからな」
彼女は一も二もなく承知した。早速彼女にパーティーの要請を行う。
『ロズリーヌ・ド・コミューンさんがパーティーに加わりました』
ひゃっほう! パーティーメンバーゲットしたぜ!
でも彼女が名乗った名前と実際のキャラクター名とは違うな。
――ロズリーヌ・ド・コミューン。
普通ならロズリーヌのはずだけど。ローザは海外でよくある愛称みたいなものかな?
でもファミリーネームがコミューンって、狙ってつけたのか。まるでこの国の王族みたい。実はこの国のお姫様だったりして。なんてね。
***
情けなく頼りない異国の少年。それがコミューン連合国王女、ロズリーヌ・ド・コミューンの抱いたケイオスの第一印象だ。
その印象を抱くのも無理はない。馬車を暴走させたあげく、乗り物酔いをしただらしない彼の姿を見てしまったのだから当然の結果である。追手にしては間抜けすぎるその様は、彼女の警戒心を緩めるのに大きく役立った。
しかし、ケイオスに対してロズリーヌは完全に警戒心を解いてはいない。追手でないにしても何者かわからないのだ。そのため身分を正直に明かすつもりはさらさらない。
今のロズリーヌのいでたちは王宮から出奔する際周囲をあざむくため、平民の姿に偽装している。彼女は必然的に平民を演じなければならなかった。もっとも幼い頃からお転婆で知られ王女らしくないと周りから揶揄される彼女にしてみれば、気取らずに済む平民の演技は気楽ではあったが。
そんな彼女の思いとは裏腹に、ケイオスは彼女の胸をじろじろと見ているのだから呆れもした。そんな男を警戒していたのがバカバカしくなるほどに。警戒心がさらに薄まると同時に、その代償として彼女の彼への評価はとてつもなく低いものへと落されてしまったが。
しかし、こうして異性から胸元を見られるのも一度や二度のことではない。社交界で異性の前に出る際にもそうした視線を感じることはたびたびだ。おかげでロズリーヌの着るドレスはいつも胸元を隠し、窮屈な思いを強いられている。そのせいか、その手の視線にはひどく敏感になってしまっていた。
ただそれらの不敬な視線に比べれば、ケイオスのそれはいやらしい感じは薄かったのであえて話はしなかったが、もし彼がいやらしさを前面に出していれば、即座にケイオスはひっぱたかれたであろう。
追手ではないとはいえ、不審者である彼はいったい何者なのかロズリーヌは聞いてみた。
彼はクレルモンに来た旅人だそうだ。城壁外から街の様子がおかしいと感じた彼は隣町へ行く途中だったらしい。確かに今クレルモンは住民の外出が許されていないために城壁外からでも街中が静かすぎるし、城門にバリケードがあるのだから、外にいても何か異変が起きていることに気付くだろう。厄介ごとに巻き込まれたくない者であれば引き返すのは当然の選択である。
次にケイオスがクレルモンに来た目的を聞こうかとロズリーヌが思考を割いていると、逆にケイオスがロズリーヌに隣町に行く道中なのかと問いかけてきた。一方的に質問して不審に思われるのもまずい。そう判断したロズリーヌではあったが、まだ完全に信用できない男相手に目的地であるシャルテル公爵がいるシャラントを目指すと正直に答えるのははばかれる。
とはいえ、全く嘘をつく必要もないだろうと思い、彼女は最寄りのトレーヴに向かうことだけを答えることにした。それを聞いて、ケイオスは馬車に乗らないかと彼女を誘う。
追手がくるかもしれない一刻を争うこの状況で、馬車に乗れるのは幸運である。
しかし、問題はケイオスを危険に巻き込む可能性があることだ。何も知らないものを危険に晒すことは本来なら彼女の良心の呵責に耐えられない。だが火急を要する今に限り、彼女はその良心を抑え込んだ。彼女が王女である以上、非道と罵られようと今はやるべきことがある。
もう一つの問題は彼が乗るあの馬車――より正確に言うならそれを引く馬だ。八足の大型の馬もどき。暴走していたのもあるが、得体の知れぬ魔物の馬車に乗車することはいくら気の強いロズリーヌでもためらわれる。
そんなロズリーヌの気持ちを察したのか、ケイオスは二頭の馬もどきを優しくなで、怯える必要はないと身を持って示したのだ。馬もどきも従順で魔物のような気性の激しさは微塵も無い。
しかもケイオスが馬もどきに行き先を伝えると、馬もどきはそれを理解し頷いている。人語を理解する程度の知性もあるということを証明して見せたのだろう。
あくまで善意で誘ってくれたケイオスにそこまでされては、ロズリーヌも首を縦に振るしかなかった。
「それにしても早いな、この馬車!」
ロズリーヌは手綱を引き、はしゃぎながらケイオスに言った。ケイオスは何も言わないが、気分は良くなっているのか顔色が和らいでいる。
追手に追いつかれる不安もあったが、これならば道中無事にトレーヴに辿り着くかもしれないと、彼女は胸を撫で下ろした。
身分を明かそうか迷ったが、厄介ごとを感じてクレルモンから引き返してきた用心深いケイオスのことだ。おそらく反故にしてそのまま逃げるかもしれない。罪悪感はあったが、今はこの国の危機だ。身分を明かさず、ローザと偽名で接することにした。だから、ケイオスは未だにロズリーヌがこの国の王女であることに気付いていないだろう。
もし彼がこの国の王女に御者をさせていると知ったら、彼はどんな顔をするのか。先程の青い顔色を浮かべたケイオスを思い出して、ロズリーヌは意地の悪い笑みを浮かべた。
ちなみになぜ彼女が御者をしているのかというと、馬車に乗ったまではよかったが、ケイオスはこれまで一度も馬車を扱った経験が無いと告白したからだ。暴走の原因も慣れない彼が原因ではないかという彼の姿を見て、ロズリーヌは自分の判断が誤りかもしれないと少し後悔した。
ならばとロズリーヌが御者を買ってでる。王宮で着飾っているよりも、身体を動かすことの方が得意な彼女は乗馬の経験もあり、素人のケイオスに任せるよりはマシだろうと結論付けたからである。
そしてそれは正解だった。今のところ二頭の馬は彼女の意思を汲むように、森の中を疾走している。乗馬は下手に落馬してしまうと落命することもあるので、王宮では思うように乗れたためしがない。馬車でもここまで思う存分に動かせるのは、彼女にとって初めての経験だった。
この馬もどきも王宮で騎士が乗るどの軍馬よりも速く、疲れを微塵にも見せないほど強靭だ。それに馬車自体の乗り心地もいい。乗って間もないが魔物である忌避感も無くなり、この馬車をロズリーヌはとても気に入っていた。
「こんないい馬車どうやって手に入れたんだ?」
「ガチャでたまたま手に入れたんだ」
「ガチャ? そういう所があるのか」
こくりとケイオスは頷く。ガチャはどうやら地名らしい。王宮住まいのため寡聞にして覚えのない地名だがこれほどの良馬と馬車を作れる地であれば、是非とも王宮に取り寄せたいなと彼女は思った。
でも王宮はもう――。ロズリーヌの胸に影を落とす。父母ももはや奴らの手に堕ちている。すれ違いざまに見た実の娘に向ける目とはかけ離れた冷たい視線。以来、彼女は父母を家族とは思えなくなっていた。もうすでに大半が得体の知れぬ集団の手によって別人が成り代わっている王宮。このままではロズリーヌもまた彼らの手に堕ちてしまう可能性がある。
それを危惧し、まだわずかに残っていた正気を保つものたちは正統を継ぐ彼女だけはなんとしても生かさねばならないと、彼らの尽力で彼女は王宮から脱し、シャラントに向かうことができた。
シャルテル公爵。彼は彼女の伯父にあたる人物で、彼女自身も何度か会ったこともあり、信が置ける人物である。彼女の前ではひょうきんで好々爺な面をよく見せていたが、尊敬していた父親は誠実であるが老獪な人物だと評していた。
何者かもわからぬ集団相手にシャルテル公の存在は心強く思える。なんとしても彼に王宮の変事を知らせ、公爵軍を動かし、王宮を脅かす集団を排除しなければならない。
――たとえそれが、実の父母である王や王妃を討つことになろうとも――。
静かに座っていたケイオスがふと馬車の後方を振り向いた。思考に埋没していたロズリーヌを現実に引き戻す。いつの間にか森を抜け、もうすぐ渓谷が見えてくる場所まで移動していた。渓谷に掛かる橋を渡りきればトレーヴに着く。
徒歩であれば一日でここまで辿り着くことはなかっただろう。この馬車の異常なまでの速度が如実にあらわされていた。
「どうかしたのか? ケイオス?」
ケイオスの視線は後方に固定されたままだ。箱馬車は後方にもガラスで覆われた窓があり、十分に後方の視界を確保できる。つられてロズリーヌも後方を振り向いた。
しかしおかしな点はない。爆走する馬車が起こす土煙があがっているのが見えるぐらいだ。ケイオスが何に注視しているのかロズリーヌには理解できなかった。
「ローザ、馬車をもっと急がせてくれ」
これだけ速いのにまだ急がせるのか、と疑問に思ったロズリーヌではあったが、真剣な様子のケイオスに彼女は何も言わず手綱を引いて馬を走らせる。あれだけ情けない男がこんな表情も見せるのかと内心驚愕していた。
馬車を急がせてもケイオスの表情は厳しいままで、依然後方を見つめたままだ。再びロズリーヌは後方に視線を向けた。今度は異変がはっきりと認識できた。
この馬車が巻き起こす土煙以外にも後ろから土煙が迫ってきていることに。
「バカな! この馬車に追いつくなんて!」
ロズリーヌは吐き捨てるように叫んだ。
追手が来る可能性はあった。しかし、王宮の軍馬でもここまで速い馬などいないのに、それを上回る速度でこちらにむかってくるものがいるなんて予想がつかなかったからである。
彼女の予想はある意味間違っている。仮にこれが追手だとしよう。馬車は確かに一般のそれと比べても早いが、元々舗装されている道路と違い、視界の悪い森の中を突っ切ってきたのだ。彼女が馬車に乗ってから障害物はなるべく避けつつ移動している。ならばクレルモンから追跡されたとしても、十分に先回りされる可能性はあった。
そしてなにより状況によっては、馬車の速度が絶対的な優位性を保つとは限らないのだ。
土煙を上げて馬車に向かってくるものの姿が露になる。それは馬ではなかった。トカゲのような爬虫類を彷彿とさせる緑色の体躯をし、馬ほどの大きさをした二足歩行の魔物だった。
ただ魔物だけではない。その魔物には鐙が取り付けられていて、魔物に騎乗する男の姿もあった。男に見覚えはなかったが、その着ている鎧にロズリーヌは見覚えがあった。
(間違いない! うちの兵士の鎧だ!)
明らかにロズリーヌを狙った追手である。追手が差し向けられるなら兵士が送られてくることは予想できていたが、よもや魔物に騎乗してくるとはロズリーヌも予想だにしなかった。
二足歩行の魔物は直線の速さこそ馬車に劣るものの、俊敏で小回りがきき馬車との距離を最短距離で詰めてくる。
対して道が岩などの障害物もあって曲がりくねっていることもあって、馬車の最高速を十全に活かせる場ではない。馬車の頑丈さで道を突っ切ってしまうこともできるだろうが、いずれにせよ軽やかに進む二足歩行の魔物と、障害物で速度を落としかねない馬車では結果は火を見るより明らかであろう。
自らの厄介ごとに巻き込んでしまったケイオスを見る。ケイオスは馬車の側面から身を乗り出すと、どこからか取り出した杖を構えた。
ケイオスは魔導師だったのか――と彼女が知ると同時に、ケイオスの持つ杖の先から追手に向けて紫電がほとばしる。だが二足歩行の魔物に乗る兵士は動じることなく、前傾姿勢を保つと素早く道の横にそれて回避した。
これでは追いつかれてしまう。内心の焦りがにじみ出たのかロズリーヌの顔に汗が噴き出る。逆に喉は干上がるような感覚を味わっていた。
ケイオスを巻き込んでしまった――、一度は良心を押し込んで下した決断だとしてもいざその時になると、押し込んでいたはずの罪悪感がひしひしと彼女の胸を締め付ける。今ケイオスに視線を向けることがとてつもなく恐ろしい。
だが無関係の彼を巻き込んだのは自分であり、彼を死に追いやるかもしれない責任は自分が背負わねばならない罪だ。ロズリーヌは意を決してケイオスを見た。
ケイオスは身を乗り出したまま、後方と前方をしきりに何度も目視していた。前方には石橋がある。ロズリーヌにはそれが何かのタイミングを計っているのだと考えた。
だが次の瞬間、ロズリーヌは凍りついた。ケイオスは何を思ったのか前方に向けて魔法を放ったのである。
気でも触れたかとロズリーヌは怒号をあげようとしたが、ケイオスが機先を制した。
「ローザ、そのまま駆け抜けろ!」
あの頼りなかっただけの男が懸命に指示を飛ばした。おそらく何か策があるのだ。それを受けたロズリーヌは懸命に馬を走らせる。
ケイオスが攻撃している橋は、二頭引きの馬車では僅かな余裕を残し通り抜けられるほどの幅しかない。つまり二足歩行の魔物は馬車を追い抜くことはできない。橋の敷石は魔法でひびが入っている。
「今だ! 踏み抜け!」
ひびの入った敷石を馬が通過する瞬間にケイオスが叫ぶ。八足の馬はその脚を持って、敷石を砕いた。異音が響き、ぐらぐらと揺れ始める。ようやくロズリーヌも事情を呑み込めた。
(ケイオスは橋を壊そうとしているのか!)
馬車はそのまま通過し、ケイオスはダメ押しとばかりに崩れ始めた橋へ再度魔法を放ち、完全に破壊した。至近まで迫っていた二足歩行の魔物たちはこれを回避する術はない。崩落に巻き込まれ、谷底へと落ちていく。
もう彼女たちを追いかけることのできるものは皆無であった。
魔物に騎乗した自分の追手だとはいえ、自国の兵士が命を落とす様を見るのは忍びなく、ロズリーヌは思わず目を逸らした。そんなロズリーヌにケイオスは声をかける。
「大丈夫、あれは吸血鬼。ヴァンパイアだ。人じゃない」
「吸血、鬼だって……」
自国の兵士が魔物? もし、ケイオスの言ったことが本当だとしたらこの国は――。最悪の予感がロズリーヌの胸を過ぎった。
***
マップを見ながら周囲を警戒していたら、トレーヴに向かう途中魔物が襲ってきた。恐竜タイプのディノニクスである。しかも人型のヴァンパイアまで騎乗してくる始末。そんなのありかよ! と盛大につっこみたかった。
大抵のRPGでは街から離れれば離れるほど魔物が強くなる法則がある。『Another World』でもそれは同じだ。
つまり、ディノニクスもヴァンパイアもレベル20以上。ログインしてまだレベル上げを行っていない俺とローザのレベルは共に1。もし奴らと戦闘になれば勝てない。はっきりいって無理ゲーである。
追いかけられている状況はまるで何かのアクション映画のワンシーンを彷彿とさせるが、実際に涎を垂らしながら恐竜が追いかけてくるシーンははっきり言って心臓によろしいものではない。
一人だったらもう醜態をさらしていただろうが、今はローザもいる。彼女もあまり心地のいいものでは無いのだろう。すごく不安そうな顔をしていた。
ここはひとつ頑張らないと! ちょっとくらいかっこつけたいじゃないか、男の子だから。
このままでは追いつかれてゲームオーバーである。攻撃しても避けられてしまうし。マップを見ながらうんうんと頭をひねった結果、ひらめいた。
よし、前方の橋を壊して奴らを落とそう。
……いや、しかし。他のプレイヤーもプレイしているはずだから、橋を落とすと迷惑だろうな。でも他に方法は思いつかない。
ちらりとローザを見る。彼女は俯き、震えていた。……相当怖いのか。
よし、やるぞ。橋との距離を見計らう。威力の低い『マナ・ボルト』だけでは厳しい。だが木々をなぎ倒すほどのうちの馬の脚力なら破壊できるはずだ。
橋の底がアーチ状になっている橋のもっとも薄い部分を『マナ・ボルト』で傷付け目印を作り、そこを通る瞬間、馬に命令した。俺の意を汲んで、馬が橋を蹴りぬくことで橋は音を立てて崩れ始める。ええい、これも持ってけ! とばかりに『マナ・ボルト』で橋を破壊した。
突如崩れた橋とともに落ちていくモンスターたち。谷底に吸い込まれた数秒後、レベルアップした。……あれ、これ倒したことになるの? いいのか、これは……。そういえばアーチャーの二次職にトラップを使うスキルがあったっけ。あれと同じ扱いなのか……。ま、まあレベルが上がるならよしとしよう。
どうだとばかりに、ローザを見た。一連の行動にドン引きしたのか彼女は目を逸らす。まあ見た目人型のヴァンパイアが谷底に落ちたのを目撃したら、トラウマになるわな。
えっと、あれモンスターだからね。ほんとのほんとだよ。




