表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
31/73

第三十一話 聖女という檻

 カーミラは水晶でブランデンブルグ襲撃の一部始終を見ていた。初めのうちはまた同じ光景かと気怠そうに覗いていたが、中盤になると呆けてグリフォンが劣勢に陥ったのを見て腹を抱えて笑い始めた。


 「なぁに、あれ! 体を張ったジョーク? 脳筋グリフォンちゃんの考える事、カーミラちゃんわかんない! 何が自分達に任せろよ、下等な人間を殲滅する とかなんとか言っちゃって、逆に殲滅されてちゃお笑い草じゃない! まああんな獣臭いのがどうなろうと知ったこっちゃないけど」


 カーミラは涙が出るほどひとしきり笑い、漸く収まったところで真顔に戻る。水晶に映る少女の奮闘がグリフォンやライノスたちの猛攻を阻んでいる。ブランデンブルグの陥落自体は成功するかもしれないが、既に全体の作戦としては予定外と言っていいほどの被害をこうむっていた。


 「これじゃ作戦は失敗のようね。それにしても微妙に使えないなー、もう。有象無象の戦力を集めるのには便利なんだけどね。でも質のほうがちょっと酷いや。材料にも限りはあるからなあー。こいつらは死んでも使えないし」


 カーミラは腕を組みながら、うんうん唸り考えこんだ。


 「ううん、まあ仕方ないよね。この国の掌握は順調だし、失敗した時の作戦に移るか」


 そんな時だった。水晶に映る凄まじい量の落雷で部屋が光に包まれたのは。


 「うわっ、眩し! もう視聴者の事考えてよねー! まあ向こうには聴こえないんだけども。うわー凄いね、これ」


 流石に落雷後の光景を見てカーミラは息を飲んだ。多くのグリフォンやライノスが落雷に巻き込まれ死に絶えている。これでは作戦どころかブランデンブルグの陥落すらできそうにない。しかもそれを行ったのはたった一人の人間。まさか人間にそんな事が引き起こせるなど予想して無かった。


 「うーん、この黒髪少年容姿はあれだけど力は凄いね。眷属に欲しいかも。うん? 黒髪? ……まさかね」


 一瞬鋭い目付きになるとカーミラは直ぐさま瞳を閉じた。


 「主、主、至急報告したき儀があります」


 少女姿にあった普段の言動とは異なり急激に大人びた口調に変わるカーミラ。


 「グリフォンのヴァイクセルの侵攻には失敗しました。その際、気になる事が。人間の黒髪の少年が人にあるまじき強さを見せたのです。もしや、『あちらの世界』の人間なのでは?」


 しばしの沈黙。その間に二度目の落雷が放たれる。ゆっくりとカーミラが目を開けて水晶を覗き込むと映し出されていた黒髪の少年はふっと姿を消した。

 カーミラはにやりと笑った。もし今の彼女の表情を見れば、あまりに冷酷な笑みに心が凍りついていたであろう。


 「やっぱり。……見ぃ付けた」


 ※※※


 ブランデンブルグに魔物の軍勢が襲撃して六日経った。この間はヴァイクセル帝国史上最も国内を激震させた六日間だと言える。早竜はやたつの大型魔物の軍勢によるアイゼンシュタット城塞の陥落の報は、宮廷を激震させた。


 皇帝ヴィルヘルム三世――ヴィルヘルム・ヴィクトル・フォン・ヴァイクセルは報を受けすぐさま諸侯に呼びかけ討伐軍を編成。絶望的な戦力差からブランデンブルグが放棄される事を予測し、より南方の街を拠点として防衛線を構築する予定で物資と兵を送る所だった。だがその準備が行われていた時再び早竜の報が届き、今度は別の意味で驚愕させられたために宮廷が静まり返った。


 「ブランデンブルグを襲撃した魔物の軍勢は全て撃退す」


 この続報が届けられた際、ヴィクトルは思わず報告をもたらした騎士に対して直答を許し聞き返したほどだった。先遣隊を派遣し被害こそ大きなもののそれが全て事実だと確認され、再び宮廷は驚愕の渦に包まれた。


 「魔物の組織的行動も驚くべきだが、グリフォンを加えた空襲か。よくこれで千五百も生き残ったものだ。奇跡としかいいようが無い」


 辛うじて生き残った生存者の報告をまとめた戦闘詳報を読みながらヴィクトルは感嘆の声を上げた。大型の魔物の軍勢二千に対してブランデンブルグに残留した兵と冒険者、義勇兵を合わせた計二千五百名のうち、僅か犠牲者千名。正規兵が半分も満たない寄せ集めの軍勢が全滅しか有り得ない戦況で千五百名も生き残ったという。正に奇跡と言わざるを得ない。


 「全くですな。しかし『ブランデンブルグの奇跡』ですか」


 「敵前逃亡した貴族が話題逸らしに必死だからな。まあ誰も撃退するなど予想などできなかったのだ。責めるのが酷だろうさ。それに民草が好みそうな話であろうよ。それだけの事をしてのけたものがいるのだからな」


 「ザヴァリッシュ家の御令嬢ですな」


 老いた従者のオットーが眩しい物を見るかのように目を細めながら答えた。


 マリー・アレクシア・フォン・ザヴァリッシュ――ブランデンブルグに居合わせた名門ザヴァリッシュ伯爵家の次女。

 僅か十三の少女が民を見捨てずに義憤によって立ち上がり、あの凄惨な戦場にて従者と共に果敢に敵を討ち倒す姿はまさに戦女神と呼ぶに相応しい光景だったという。魔法先進国であるはずの帝国ですら知り得ていない未知の支援魔法や攻撃魔法を駆使し、兵を鼓舞して気絶する最後まで戦い抜いたという少女。その鮮烈で可憐な姿は正しく民を導き守るという貴族の理想的な姿であり、木石でなければ感動に震える事を抑えられないだろう。事実そんな光景を想像するだけで、杖を置き宮廷に入って久しいオットーですら血潮が疼いていたくらいだ。


 「『ヴァイクセルの聖女』――神の加護を受けし聖女か。坊主どもが持て囃していたぞ。ブランデンブルグの神殿で光の啓示を受けている姿を見た、とな」


 「目撃者も多いようですな。神の加護を得ているとは。いやはや神々の力とは実に恐ろしい」


 「神の雷か。正直、こうも都合よく雷が落ちたりするなど信じられぬがな。確か聖女は未知の魔法を使ったのであろう? よもやその聖女が使ったということはあるまいな?」


 「それはありますまい。あれほどの威力を持つ魔法を戦いが始まった時に使っておれば戦いを有利に進められたでしょう。少なくとも聖女が使えるとは思えませぬ」


 「まあ、真実は神のみぞ知るといったところか。それはそうと、ザヴァリッシュの娘は落ちこぼれと聞いていたのだが、違ったか? その神の加護とやらによって変わったのか」


 「調べてみますと座学に関しては成績優秀だったようですが、実技に関しては落ちこぼれだったようです。ですが貴族子弟や教師から疎まれていたためにまともに授業すら受けていなかったとか。しかし、ここ最近課外授業に出るようになってからその才能を開花させたそうです。いやはや名門魔法学園でありながら全く嘆かわしい事ですな」

 その言葉を聞きヴィクトルは目を大きく見開いた。


 「糞貴族どもめ! 無能なら無能なりに足を引っ張らず引っ込んでおればいいのだ! 全く頭の痛い事ばかりだ。ブランデンブルグやアイゼンシュタットの復興も考えねばならぬのに」


 アイゼンシュタットはもはや城塞として機能しておらず防衛の為に再建する必要があり、ブランデンブルグも大型魔物の侵入を許した為に家屋の倒壊が激しい。復興するにはどちらも時間と金がかかる。特にコミューンから魔物が進軍した事もあり早急な対処が必要だった。


 「失礼致します! 陛下! 一大事です!」


 一人の文官が足早に執務室へと駆け込んで来る。


 「どうした? また魔物にでも動きがあったか?」


 「いえ、コミューンに送った使節団の事です!」


 今回大きな被害を出した要因の一つは道が整ったコミューン側から魔物が進軍してきた事だ。二千の魔物の群れがコミューンからきたのだから、コミューン自 体がそれを見逃すはずはない。ならば何故コミューンが魔物の進軍を許したのか、また何故未だ帝国に連絡一つ寄越さないのかが問題になり、問責の使節団をコミューン連合国・首都クレルモンへ送ったのである。コミューン連合国の対応次第ではカスタル王国を含めた同盟の締結などできない。早急な回答を得る必要があった。


 「まだクレルモンに到着してはいないであろう?」


 「使節団はコミューン兵の襲撃に遭い、生き延びた数名を除き全滅!」


 「なんだと!?」


 「そんな、まさかコミューンが!?」


 近年は友好的な関係を続けていたコミューンがいきなり問答無用で攻撃を仕掛けて来るなど埒外の事だった。そもそもコミューン連合国は軍事面では帝国にやや劣る為、その関係を崩すのは大国二国に挟まれたコミューンにとって不利益しかもたらさない。


 「またコミューン兵は魔物を使い、追撃を行っていたようです!」


 「馬鹿な! 魔物を操るだと!? ……まさか、先の魔物の軍勢もコミューンに計られていたというのか!?」


 何故魔物を使役できたのかはわからない。だが、先のブランデンブルグの一件で不可解であったコミューンが魔物を見逃したのか説明がつく。あれは魔物を見逃したのでは無い。コミューンがヴァイクセルに仕掛けた攻撃なのだ。


 ぎらりとヴィクトルの瞳に光が宿る。それはコミューンに出し抜かれたという屈辱に対する怒りと同時にもう一つ別の思いが芽生えたからだ。

 ヴィクトルは無能な皇帝では無い。歴代皇帝でも比較的優秀な部類に入る人物だが、その優秀さが発揮される事は無かった。それは帝国が強国であるからだ。

 近年魔物の増加に頭を悩ませる事はあれど、元々豊かな国力があり周辺国との友好関係が続いている以上、現状を維持したまま次代の皇帝に引き継げばいい。その程度ならば凡庸な皇帝でも十二分に勤められるものであり、必要以上に能力を発揮する場が無かったのである。だから彼からしてみれば何処か物足りず退屈で無気力な日々を過ごし、恐らく生涯彼はこんな日常を繰り返すのだと今まではそう思っていた。


 しかし、しかしである。もしその平穏が破られたら。連合国の行為は明らかに帝国に対する宣戦布告の無い奇襲だ。各国から批難される程の大義名分もない侵略行為だ。


 つまり大義名分は全て帝国側にある。


 「オットー、至急各国に檄文を出せ」


 「檄文には何と」


 「コミューン連合国は魔物に与し、我が国の国土を侵した。最早人類の敵である」


 かつてヴァイクセル帝国の皇帝はコミューン連合国を侵略する事は出来なかった。それはカスタル王国という大国の存在があったからだ。もし連合国を攻めて、ほぼ同等の軍事力を持つ王国が連合国と組まれたら、いかに帝国と言えど敗走すら有り得る。


 しかし、今ならば魔物から解放するという大義名分を持って連合国を手に入れる事が出来る。しかも王国が帝国に手を出せない形で! 歴代皇帝が手にしたことの無い栄光を他の誰でもないこのヴィルヘルム三世が手にすることができるのだ!


 「魔物に人類が切り開いた土地を明け渡してなるものか! よって我が国は立ち上がる! これは決して下劣な侵略行為ではない!」


 聖女という規格外の戦力もある。勝算が十分あるのだ。

 何と言う僥倖だ、とヴィクトルはほくそ笑んだ。


 「これは聖戦である」


 ヴィクトルの瞳には鋭く光る野心の光が宿っていた。


 ※※※


 ブランデンブルグの倒壊を免れた家屋の一室のベッドでアレクシアは療養していた。 あの激戦のあと、彼女は疲労や怪我で三日間意識を失うほど重傷の身であったが、優先的に法術師や薬品を回してもらい、すっかり傷も癒えていた。あと数日もすれば学園に戻るのも支障がないほどまで回復していたのである。


 「アレクシア様、お水をお持ちしました」


 水差しに水を汲んできたイレーヌが入室する。普段の侍従服は持ち合わせていなかった為、鎧を外してラフな恰好をしていた。


 「ありがとう、イレーヌ。ちょうど喉が渇いていたの。でも大丈夫? 貴女だってあの戦いにいたのだから」


 「ご心配なく、私は大した怪我もしませんでしたから。それよりご自身のお体を御自愛下さいまし」


 イレーヌはそう言ってにっこりと微笑みながらコップに水を注ぐ。

 アレクシアを見失った後ライノスの群れに巻き込まれた彼女は何とかアレクシアに合流しようと必死に奮戦した。けれどもたった一人では限界があったのだ。尽きぬ魔物にイレーヌの体力が底を尽きそうになっていた。

 その流れを断ち切ったのがあの二度の落雷である。市壁外の魔物を全て倒し、生き残ったのは街に侵入した魔物のみになり、市壁で戦っていた兵達も降りてきた事によって一気に形勢が逆転し勝利を収める事ができた。


 そしてあの戦いの後、流石に彼女も一日静養したものの翌日からはアレクシアの介護や復興の手伝いを精力的にこなしている。あの戦いで無傷のものは少なく、魔物によって荒らされた家屋や夥しい数の人や魔物の死骸を放置する訳にもいかなかったからだ。先遣隊が到着し負傷者が復帰してから、彼女はアレクシアの介護に専念しなければならなくなったが。


 「ねえ、イレーヌ」


 喉を潤し人心地ついたアレクシアがイレーヌに尋ねる。


 「その……先生は見付かった?」


 「残念ながら。しかし、あの落雷を操る者などケイオスを置いて他にありませんから、あの戦いに参加していたのは確かかと」


 アレクシアの問い掛けにイレーヌは首を横に振った。目に見えてアレクシアは落胆する。 あの戦いでイレーヌはケイオスの姿を見かける事は無く、意識を取り戻したアレクシアからケイオスに助けられたのだと告げたのだ。イレーヌはそれが真実であると確信している。元より主を疑うつもりはないが、それ以上に彼がいた痕跡が真実だと告げていたのだ。


 市壁の外にいた魔物を全て討ち払った雷。とても人間業とは思えない光景を彼女は以前目にしている。あれが偶然に起こったなどありえないとイレーヌは確信していた。となると人為的に引き起こされたものだ。あのような理不尽な力を振るうことができる人間など一人しかいない。もっとも以前見たそれはあそこまで広範囲に及ばなかったのを考慮すると、あの時は本人なりに自重していたのだろう。


 彼女は主からその事を聞くと主の世話に従事しながらそれとなくケイオスの事を探った。けれど確かな情報も得られず、彼自身も見付からなかったのである。そしてその調査は日を追う度に難航を極めた。


 ブランデンブルグ防衛の最大の功労者――それが彼女の主、アレクシアの周囲の評価だ。 あの戦いに参加した全ての者がアレクシアをまるで神のように崇める。それは従者たるイレーヌですら同様であり、姿を晒せば民に囲まれ身動きすら取れなくなる程であった。まだ人手が必要な時期に、彼女がアレクシアの介護に専念しているのもそうした背景があったからだ。


 「そう……イレーヌ、ごめんなさい。一人にしてくれる?」


 「わかりました。では、しばらくお休みくださいませ」


 イレーヌが退出した。アレクシアはふうとため息をつく。早くケイオスに会いたいとアレクシアはその胸を焦がしていた。


 彼女たちはまだ知らない。噂は収拾がつかない程に肥大化し、自分達が祭り上げられている事に。


 「アレクシア、入るぞ!」


 イレーヌが退室して暫くすると勢いよく扉が開かれ、紫髪のカイゼル髭を生やした四十前の壮年の男が従者を複数引き連れて入室する。


 「お父様!」


 その男はアレクシアの父親であるザヴァリッシュ伯その人である。想像だにしなかった突然の訪問者にアレクシアは驚愕の声を上げた。


 「おお、アレクシア、久しいな! 学園にいるものとばかりと思っていたが、まさかブランデンブルグにいるとは思わなかったぞ!」


 「ええ、『ワープ・ポータル』――転移魔法でこちらまで来ておりましたから」


 「なんと! 魔法が苦手だったお前が転移魔法ほどの高度な魔法を使えるようになったというのか! なるほど。それならば納得できる。此度の活躍耳にしたぞ! よくやったな!」


 ぎゅっと抱きしめる父親の温もりはいつ以来だろうか、とアレクシアは心の中で思い返した。少なくとも彼女の記憶では初めて杖を持った頃まで遡るかもしれない。唐突な事でアレクシアは実感が沸かず、喜びよりも困惑の気持ちが心を占めていた。


 「まさかここまで魔法の腕を上げ、街を脅かした魔物を退治してみせるとは! 父として誇らしく思うぞ」


 「……ありがとうごさいます」


 そこで漸く彼女は自分が褒められている事を実感し始めていた。元々家族に認めてもらう為に必死に魔法の訓練をしていたのだ。ただ家族に褒められたい――幼い頃の願いが今果たされたのだと思うと嬉しさの余り目頭が熱くなるのを覚えた。それもこれも全て師のお陰だ。師に会って御礼を言わなければならない。そして自分の想いを伝えるのだ。もうコミューンに行かれたのかもしれない、どうやって探し出そうか――アレクシアは父の話を聞きながら、そんな絵空事を思い描いていたのである。


 「この功績で我がサヴァリッシュ家の陞爵しょうしゃくも有り得るな。いやはや実にめでたい」


 「おめでとうございます、お父様」


 「ああ、それも全てお前のお陰だぞ、アレクシア。これでお前の嫁ぎ先もより取り見取りだぞ」


 ――え? アレクシアの思考が凍り付く。


 「公爵家、いやもしかすると陛下の正妃とていけるかもしれん。ますますサヴァリッシュ家の威光が増すばかりよ!」


 「あ、あのお父様、私は……」


 自分には心に決めた好きな人がいる。ただその言葉だけなのに。アレクシアはそれを口にすることができなかった。


 「うむ、済まぬ済まぬ。さすがに話が唐突過ぎたな。しかし近い内にも婚姻の申込は殺到するだろう。『ヴァイクセルの聖女』とまで讃えられたお前ならば各国からも来るかもしれぬ。慎重に選ばねばな」


 「……『ヴァイクセルの聖女』?」


 「なんだ、知らぬのか? 神の加護を得て魔物を討ち払いブランデンブルグを護った聖女としてお前は呼ばれているのだぞ」


 あの戦いは自分だけの力で勝利を得たのではない。イレーヌや共に戦った兵たち、そして師であるケイオスがいたからこそ得た勝利なのだとアレクシアは本心から思っていた。彼女は自分が何を行ったのかを正しく理解していなかったのである。


 「お父様、それは違います。この戦いで参加した全ての兵がいてこそこの戦いは勝利できたのです」


 「ははは、アレクシアは謙虚だな。しかし過ぎた謙遜は美徳ではない。お前は栄えあるザヴァリッシュ家の娘なのだ。お前の栄光は我が伯爵家の栄光でもある。胸を張って良いのだぞ」


 アレクシアの胸の中にあった暖かさが急速に冷えていく。何かが違う。幼い頃から思い描いていた理想と突き付けられた現実との違和感。魔法が劣り冷遇されていた彼女は、両親に褒められ認められる為に今まで努力をし続けてきた。それは両親から家族として扱って欲しいという思いが根幹である。


 けれど今の彼女の父親から伝わって来るのは望んでいたそれではない。彼女の事を認めているのは確かだろう。しかし根幹は全く異なるものだ。彼女に価値が出来、伯爵家の権威を増す事ばかりに目を向けていて、アレクシアを通してザヴァリッシュ家の――自分の利益を得る事しか考えていない。

 事実、彼は一度もアレクシアの身を案じる発言をしていない。実の娘が死地に赴いたのだ。普通の親ならば一度くらい叱るなり心配するなりアレクシアの身を案じるべきではないか。父親との距離が近付く所か遠のいていくのをアレクシアは感じていた。


 「しかし、まさか雷が都合よく落ちるとは。正に奇跡よ」


 「いえ、お父様。あれは偶然などではありません」


 「偶然ではない? 一体どういうことだ?」


 驚愕で目を見開くザヴァリッシュ伯。


 「あれは私が師事している先生が使われた魔法です」


 アレクシアの言葉に一瞬ザヴァリッシュ伯はきょとんとするが、すぐに大笑いし始めた。


 「ははは、冗談が過ぎるぞ。あれほど広範囲に落雷を起こすなど人の身で行うことはできぬ。私とて魔導師。その程度の事は知っておる」


 現在知られている魔法に落雷の魔法など無い。いや落雷に限らずいかなる魔法でもあれだけの数の魔物を討滅できる魔法など存在しないのだ。彼の知る常識で測れば、落雷は神が落としたものと言われた方がまだ説得力があった。


 「確かに空想のように思われるかもしれません。ですが、あれは魔法です」


 「ふむ。アレクシアは使えぬのか」


 「ええ。あれは先生しか使えませんから」


 「ううむ。魔導師にも得手不得手があるため使える魔法は限られてしまうが……。やはり信じられぬな。この目で見ることができぬ限り」


 自分がケイオスと同じ魔法を使えれば、すぐさま証明して見せるのに。アレクシアが使うセージの魔法とケイオスが使うウィザードが使う魔法は根本的に覚えられる魔法が異なる。似た魔法も中にはあるが、少なくとも『サンダーストーム』はセージのアレクシアでは覚えることができない。何故自分がケイオスと同じ才能が無かったのか。自身の才能の無さにアレクシアは悔しさで唇を噛んだ。


 「しかし、魔法学園の教師にそのようなものがいるのか? アレクシアも不思議な魔法を使ったというし……」


 ザヴァリッシュ伯は今までアレクシアに関心を持っていなかったのでアレクシアの学園での生活や事情も全く知らない。もし少しでも知っていたならば、アレクシアが魔法学園の教師に師事しているなどと思い至らないであろう。そしてアレクシアも自分の尊敬する人物があの魔法学園の教師たちと同列に語られるのは不快だった。


 「いえ、先生は魔法学園の教師ではありません。冒険者です」


 「冒険者!? 何故そのようなものにアレクシアが師事しておるのだ。一体魔法学園の教師は何をやっておる」


 怒りを露にするザヴァリッシュ伯。ザヴァリッシュ伯爵家の家格を考えれば、彼にとって自分の娘が平民である冒険者に教えを乞うなど我慢がならなかった。そんな父親の姿を見てアレクシアは冷ややかな視線を送る。


 「ふむ。しかし、もしアレクシアの言うことが正しければそれだけ実力がある魔導師であるということ。それならばその冒険者を当家に召し抱えてしまえばよい……か。出生こそ卑しくとも実力のある魔導師。それだけでも価値があろう」


 魔導師の実力は血縁によって大きく影響する。実力ある魔導師の近親者ならば、相応の力を持った魔導師が生まれることが一般的な認識であった。いけない――アレクシアは焦燥感を覚えた。このままでは師でさえ父親の権力への執着に巻き込まれかねない。


 「お止め下さい、お父様! 先生は他国出身の魔導師です。他国に所属する魔導師をみだりに抱えることはよろしくないのでは」


 「むう、しかしだな。アレクシア。そやつは平民なのであろう? それならば、当家で栄達を図った方がよかろう。貴族に取り立てられるやもしれんのだぞ」


 「ですが……!」


 アレクシアは二の句が継げなかった。動揺から思考がまとまらない。彼女の父が発した言葉が彼女の頭に引っかかった。もし、ケイオスが貴族ならば――。


 「何をそこまで必死に……まさか、お前。平民に慕情を抱いたとでもいうのか!?」


 アレクシアの白い肌がすっと朱に染まる。それだけで答えは明白であった。


 「ならんぞ! お前はザヴァリッシュ家の娘なのだ。どこの馬の骨とも分からぬ男にやれるわけが無かろう!」


 その一言にアレクシアは冷や水をかけられたように愕然とした。ケイオスを異性として意識していること知って彼女の心は冷静さを欠き、多少浮ついていたのだ。だからこそ、防衛線の前にはごく当たり前のように認識していたはずの自身とケイオスの間にある身分の違いによる壁から彼女は無意識に目を背けていたのである。


 貴族である彼女と異国の平民の少年との恋は実らない。


 本心に気付いたとて状況は何も変わっていないのだ。いやむしろ悪化している。彼女は今聖女と呼ばれるほどの重要な立場になってしまった。そんな彼女を彼女の父が――いやこの国がそれを許すはずが無いのだ。彼女の望みを叶えるために必死に学んだ魔法が、ケイオスとの日々が彼女と少年の距離をより広げていたのはなんという皮肉なのか。


 アレクシアはまるで生気が抜けきったかのように目の前が真っ暗になるのを感じた。心の支えであったはずのケイオスの存在が遠い。


 「先生……」


 彼女は無意識のうちにベッドの側にあった杖に手を伸ばした。ケイオスと同じ杖。彼女が持つ思い出の品。支えを失ったが故に少しでも彼の存在を近くに感じたかったから。


 だが、アレクシア以外の人間から見ればその行動が違って見える。

 魔導師が杖を持つということはすなわち――魔法を使うという事。


 「何を考えている、アレクシア!」


 アレクシアの手が届く前に、彼女の父親の手が杖を奪い取った。アレクシアの視線は杖にくぎ付けのままだ。


 「転移魔法で逃げようなどはさせんぞ! ええい、このようなもの! こうしてやる!」


 「お父様! やめて!」


 彼女の父親が何をするのか察したアレクシアは懸命に手を伸ばすがもう遅い。木の乾いた音が響く。へし折られた杖の残骸はゆっくりと床に落ちていった。


 「もうお前はこの国にとって要となる存在なのだ! 少し頭を冷やせ! アレクシアよ!」


 サヴァリッシュ伯は憤慨しながら部屋から退出する。残されたのはただ少女一人だけ。


 「あ、ああああ……」


 少女は一人慟哭する。


 比翼の鳥はつがいを失い、檻の中に閉じ込められた――。


 ※※※


 やはり昨日の一件が気になって頭から離れない。いやむしろ時間を置いたからこそ、より長考する時間が増えてしまったからか。アレクシア様が倒れた時のことがやけに血なまぐさすぎて鮮明で。自分の体感で得た主観でしかないが、ただのゲームと呼ぶにはあまりにも生々しすぎる。


 そんな心の底で湧き上がる疑惑を推論してみると、少し荒唐無稽な結論が導き出された。もしかしたら、これはゲームじゃないんじゃないかって。つまり今までプレイしていたと思っていた『Another World』はゲームでは無くて、『Another World』に非常に似通った世界に行っていただけなんかじゃないのかと。なんかアニメやゲームの設定であるような話だけど、一日悶々と考えたら一番それがしっくりくるのだ。


 もしそうだとするならば他のプレイヤーはどうしているんだろう? ヴァルギアも高価なものだがオープンβテストでかなりの人数がログインしているはずである。もし彼らがこのゲームをしているのだとしたら、少数なり気付いていてもおかしくはないはずだ。しかしネットで検索してもそれらしい話は見えてこない。(ネットワークのトラブルは直っているようだ)確かに初のVRMMORPGということでリアルだなんだと騒ぐ人は沢山いるが、これが現実だと宣伝以外で騒いでいる話はない。あったとしてもどちらかといえばオカルトだのネタだのと信憑性の低いものばかりだ。


 となると他のプレイヤーはゲームの世界で遊んでいて自分一人が異世界に行っているということになる。何も異世界に行くことまでぼっちプレイヤーである必要はないのだが。しかし、特に理由も無いのにどうして自分一人が異世界に行けるのだろう。俺は特別な存在といえるほど特殊な技能を有しているわけでもなく、転生したり異世界の誰かに呼ばれたりとか異世界につながる穴に吸い込まれたりなんて不可思議体験をしたことも無い。そうなると思い当たる切っ掛けが全くないのだ。それにゲームのキャラクターの能力がそのまま使えるというのも引っかかる。


 取りあえず異世界に行ける原因についての考察は保留しよう。それに本当に異世界に行っているのか、未だ不確かである。しかし何を根拠に異世界に行ったと証明できるんだ。今はオープンβテストも終了してログインすることができない以上、ゲームの中で調べることができない。調べられることも限られてくる。


 そうだ、昨日のネットワークトラブルはどうだろう。MMORPGはサーバーにアクセスしてゲームがプレイできる形態だ。仮に俺だけがヴァルギアを介して異世界に行っているのだとしたら、他のプレイヤーと同じサーバーにはアクセスしていないことになる。他のプレイヤーには支障なくゲームのプレイができているはずだ。もちろん自宅のネットワーク回線の通信状況が不調だっただけの可能性もあるが、少なくとも一つの判断材料になるだろう。


 早速俺は『Another World』の公式ページにアクセスしてみる。公式ページのトップページは『Another World』に関するお知らせやイベント情報が掲載されている。もし『Another World』の運営側のネットワークトラブルならば必ず公式で報告がなされているはずだ。そして、お知らせ欄に昨日の深夜に追加された『トラブル:サーバーの障害の報告』という項目があった。クリックして詳細を見る。


 『トラブル:サーバーの障害の報告


  日頃より『Another World』をご愛顧いただきありがとうございます。

  20XX年7月1X日 22:00頃より以下の障害が発生しました。


  【障害の内容】

  20XX年7月1X日 22:00頃 下記の障害が発生しました。


  ・Another Worldにログインできない。

  ・Another Worldプレイ中に回線が切断され、ゲームが終了する。


  【障害の原因】

  サーバーの一時機能不全。


  【障害の対策】

  緊急メンテナンスによるサーバーの点検。


  ご利用のお客様にはご迷惑をおかけしたことを深くお詫びします。

  正式サービスではこのようなことが起きないよう、より一層のサービスの向上に努めてまいります。


  『Another World』運営チーム』


 ……なんだ、ネットワークトラブルはサーバー側の不調だったのか。サーバー側に不調なせいでアクセスする先につながらなかったのだろう。 『Another World』の話題で持ちきりの掲示板でもオープンβテスト終了間際のサーバートラブルに対して、正式サービス大丈夫なのかと不安の声が上がっていた。


 つまりサーバーの不調によってネットワークトラブルに陥ったということは、他のプレイヤーと同様に俺も同じサーバーにつながっていたことになる。となると異世界だと思ったのは間違いだったか。……だよな。いくらなんでも荒唐無稽すぎるよな。ああっ、なんか変な勘違いしていて恥ずかしい! でもおかげで胸のつかえは取れた!


 ……だけど目の前で仲間がやられる恐ろしさは本物だ。正式サービス開始の時もデータは消えてしまうけれど、今後はあんなことが起きないように強くならなくちゃ。




 Character Data Delete......finished.


 The open beta test phase end.



 ※※※


 ヴァイクセル帝国に一人の信心深く心優しい少女・アレクシアがおりました。いつものようにアレクシアは教会で祈りをささげていました。すると天より声が聞こえてきたのです。アレクシアはその声が神のものであると気付きます。


 「聞け。アレクシアよ。これより数日後、この地にかつてないほどの大勢の魔物が攻め寄せて災いをもたらすであろう」


 アレクシアは恐れおののきました。


 「恐れるな、アレクシアよ。決して屈してはならぬ。そなたに力を与えよう」


 神がそうおっしゃられるとアレクシアは光に包まれ、神の力を授かりました。


 「よいか、アレクシア。これは神が人に与えた試練である。皆と力を合わせこの試練を乗り越えよ。ゆめゆめ忘れるな」


 ある日、予言通りブランデンブルグに大勢の魔物が攻め寄せました。人々が絶望に暮れる中、アレクシアが立ち上がります。


 「愛する民たちよ。魔物があなたたちの大切なものを傷付けるというのであれば、私がそれを防ぎましょう。ですが、私一人では力が及びません。どうか私に皆の力を貸してください」


 人々はアレクシアの言葉に感動し、膝をつきます。そして民が一丸となって魔物に立ち向かうのでした。


 戦いは苛烈を極めました。アレクシアは神の力を行使して奮戦しますが、多勢に無勢でした。一人一人と民が倒れていきます。アレクシアは心を痛め、天に祈りました。


 「神よ。なぜこのような試練をお与えになるのでしょう。これ以上民が傷つくことが必要なのでしょうか。私が傷つくことは構いません。ですがどうか民をこれ以上傷つけないでくださいませ」


 すると天からつんざかんばかりの稲妻が辺りに降り注ぎました。辺り一帯に降り注いだ稲妻は魔物たちすべてを討ち払います。神がアレクシアの願いを聞き届けたのです。


 そうしてブランデンブルグに平和が訪れました。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
うおおおおおお!!アレクシア様!!きゃーーーーーーー!!!!
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ