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第二十一話 侍従の憂鬱

まだ日が昇り始めた薄暗い夜明け頃、イレーヌは起床し、身支度を整える。

侍従服とは違い、動きやすいシャツにショートパンツとラフな出で立ちに着替えた。

日課の剣術の鍛練をする為である。

短く切り揃えた赤髪と人形のように精巧で鋭い印象を受ける顔立ちも相まって、端麗な男性騎士を彷彿とさせるが、いささか膨らんだ胸部と均衡の取れた肢体、そして同性ですら見るものを魅了するほど脚線美が色気を醸し出していた。

剣術をしている時はいつもこの格好で気にも留めていなかった――気にする暇が無かった――が、以前貴族子弟にこの姿を見られ舐め回す視線を浴びた時は流石に生理的嫌悪を感じ、以降なるべく目立たない時間に鍛練を行っている。

幸い早朝だと貴族はまだ眠りについているため、朝の準備に忙しなく動く侍女達や夜勤明けの衛兵がいる程度で余り見られる事はない。


初夏とは言え、早朝はまだ涼しくひんやりと肌寒さすら感じる。

いつもの広場に出ると軽く走り込んだり準備運動を済ませると訓練用の刺突剣を持ち構えた。

初めは空中にある線をなぞるかのようにゆっくりと払い、突き、斬り付け、戻し、構えるといった一連の動作を繰り返す。

次第にまるで踊るかのようにリズムに乗り初めその速度を増していく。

素人では既に見切れないほどの速さの中で彼女は思考する。

やはり頗る調子がいい――。

最近今までの自分では考えられない程、実力を上げているような気がする。

魔物と戦った事で一皮剥けたのだろうか。

この学園に来てから誰とも手合わせをしていない為、自分がどこまで強くなったかわからないがそれでも剣閃の鋭さは増しているのでは無いかと考える。

誰か適当な相手でもいればと考えに耽っていると、剣にぶれが生じた。


一度動きを止め、剣を握り直して一からやり直そうとするが、ふと思い付いた事を試したくなり木の下まで移動してその木を蹴飛ばす。

大きく揺れ数枚の木の葉が舞い落ち彼女の周りに降り注ぐ。

そのうちの一枚に狙いを定め三度突きを放つ。

落ちた葉を拾い上げてみると本来三つあるはずの葉に開いた穴は全て繋がり一つの大きな穴をかたどっていた。


「……ハッ」


一度見たきりの曲芸みたいな技だが、どうやらいつの間にかできるようになっていたらしい。

自分でも信じられない程の上達した腕前に思わず引き攣った笑いが零れた。




鍛練を終え、身を清めて侍従服に身を通すとアレクシアを起こす為に彼女の部屋に訪れる。

以前であればアレクシアは大抵夜遅くまで書を読み耽る為に朝は弱く起こすのに手がかかっていたのだが――。


ノックをし、一声かけ入室する。


「アレクシア様、失礼致します」


「イレーヌ」


主は既に起床しており、ネグリジェ姿で鏡台の前に座り不安そうな視線をイレーヌに投げかける。

寝起きで髪も乱れ、慌ただしく動いたのかネグリジェも着崩れていた。

ここ最近ではよく見られる光景である。


「その、髪が纏まらないのです。ああどうしてかしら」


「アレクシア様、落ち着いて下さい。髪ならば私が梳きますから」


そんなに慌てていては纏まるものも纏まらないだろうと、アレクシアの手からブラシを取り上げ、主の髪に通す。

起きるのは苦手だった主が自ら起きるようになって起床にかける手間が減ったものの、実際には朝の支度はより手のかかる状況に陥っている。


元々身嗜みに気を遣う事は無かったアレクシアは最低限の身嗜みを整える程度でしか無く、いつもイレーヌに身を委ねるのみだった。

口を酸っぱくして化粧や身嗜みに気を遣うよう苦言を呈していたので、ようやく気を遣うようになったのは喜ぶべきことではある。

だが経緯を考えると心中複雑だった。

髪を編み、学生服に召し替えると消え入りそうな声でアレクシアがイレーヌに尋ねる。


「イレーヌ、どこもおかしくありませんか?」


鏡越しで縋るようにイレーヌを見上げるアレクシアの瞳は不安で揺れている。


「何度目の質問ですか。大丈夫です。身嗜みを整えさえすればアレクシア様はお綺麗ですから」


「本当?」


振り返る主の顔は年相応の少女の表情にしか見えない。

いつもならば滅多に表情を表に出さなかった主だったが、このような表情もできるのかと発見の日々である。


「ええ本当ですとも。それともこのイレーヌの言葉が信じられませんか」


「い、いえ、そういうつもりではないのですが」


「あまりお気になさるのでしたらご自身で身嗜みくらい整えて下さいまし」


「もう、今日のイレーヌは意地悪です」


イレーヌの呆れ声にアレクシアは羞恥で顔を赤く染め上げ、頬を膨らます。

拗ねる主にイレーヌは微笑みで返すのだった。




アレクシアが朝食を取りに食堂に行くと、いつもアレクシアの陰口を叩く貴族の子女達と入口付近でばったりと会い、恐らく厭味の一つでも言うつもりで声をかけてくる。


「あらアレクシア様、お久しぶりですわ。最近お見かけしませんから心配しておりましたのよ」


嫌らしい笑みを浮かべる少女にイレーヌは辟易するがアレクシアは笑顔で返す。


「ええ課外実習を続けておりますので、中々講義には出られませんでした」


「まあ、そうでしたの」


「お可哀相ですわ。でもアレクシア様の実力でしたら、必ずすぐに課外実習を終えられますわ」


彼女達はまだアレクシアが課外実習の課題を完了しておらず手こずっているものだと思っているらしい。

残念ながら彼女達の想像以上にアレクシアは既に実習の課題は完了しており、むしろほぼ毎日積極的にクエストを受け続けているくらいだ。

成績で言えば現在のアレクシアとただ課題をクリアしただけの彼女達では比較にならないであろう。

実力もまた然りだ。

教師も扱いに苦慮していたアレクシアが課外実習に精力的であるために半ば黙認しているのが実情である。


彼女達はアレクシアを一段下に見た皮肉が篭った物言いなのだがアレクシアは気にも留める事も無く、ありがとうございますと一礼しその場を離れた。

彼女達の発言を意に介さない程に彼女の機嫌が良かったからである。

その際に見せた裏など一欠けらも無い彼女の笑みに、貴族の子女達は毒気を抜かれただ茫然と見送る他なかった。




アレクシアが朝食を済ませると、アレクシアは自習の為に学園の図書室に行く。

この間アレクシアの邪魔にならぬようにイレーヌは別行動を取る。

遅めの朝食を済ませ、アレクシアの部屋の清掃や洗濯などの仕事を行うのだ。

学園が雇う侍女がいるので大抵貴族付きの侍従は彼女達に任せるのだが仕事量が少なく真面目な彼女はいつも一人でこなしている。

それを終えると課外実習の時間が近いので、図書室へアレクシアを呼びに向かう。

図書室では普段集中して書を読んでいるアレクシアだが、ここ最近はその時間が近付くと落ち着き無くそわそわとしていた。

苦笑しながら主に話し掛ける。


「アレクシア様、お忙しい所申し訳ありません。そろそろ課外実習のお時間です」


「わかりました、すぐに行きます」


イレーヌの言葉にやや被せ気味にアレクシアは返事をすると、早足で自室に戻ろうとする。

余りの行動の早さに思わずイレーヌは吹き出すのだった。




待ち合わせ場所である冒険者ギルドに訪れるとアレクシアは頻りにキョロキョロと視線をさ迷わせた。

そして彼を見つけ満面の笑みを浮かべるアレクシア。

それを見て花開くような笑顔とはこの事かと感じてしまうイレーヌ。

そして、彼女達に気付き軽く手を挙げるケイオス。

結局彼女達とケイオスとの関係は課外実習の課題を終えても今なお続いている。


「先生、お待たせしました」


「すまない遅くなった」


「いや、今来たところだ」


アレクシアはあれ以来ケイオスを先生と呼ぶようになった。

ケイオスが恥ずかしがり辞めるように言ったのだが(その慌てぶりはイレーヌが笑いを堪えるほどであったが)アレクシアは頑なに断り続けた為にその呼び方が続いている。

主の師ということでイレーヌもケイオスには敬意を払うようになったが、ケイオスが嫌がってアレクシアにかけあい、元に戻したのだ。

事情の知らないものが見れば従者が主の師に無礼な口をきいているので不思議な人間関係に見えるだろう。


彼女達は早速クエストへと出掛ける。

道中はアレクシアがケイオスと仲睦まじく話している事が多い。

何も知らない者がこの光景を見れば、甘酸っぱい一時を過ごしていると考えるだろうが、現在は少々異なっていた。


「邪神封印の時は人と神々が力を合わせ封印を行ったようだ。封印する際の戦いは苛烈でその場にいた人や神々ごと封印せざるを得なかったらしい。邪神は器である肉体と魂に分けられて封じられたそうだ」


「なるほど、肉体と魂に分けられたのですね。どこに封印されたのでしょうか」


「肉体はこの大地の北にある神殿に、魂は異界に封じられたとか」


イレーヌでは聞いたことも無い話をするケイオスに好奇心をそそられ目を爛々と輝かせ質問したり話を促したりするアレクシア。

今日は邪神の伝承について盛り上がっていた。

若い男女がする話としてはなんとも色気の無い会話が繰り広げられている。

貴族の侍従としての立場上そうした関係は好ましくないとは考えつつも、いくら恋愛に疎いイレーヌでさえ、朝のアレクシアの事を思えばこれは無いんじゃないかと呆れた。

だがよく考えてみればアレクシアの半生は勉学に明け暮れる毎日を過ごしていたのである。

他の子女みたいにお洒落や遊びに興じる事は無く、話題といえば魔法関係や歴史などの書物で得た堅苦しい話ぐらいしかできない。

イレーヌでは話を聞くことはできても理解する事ができない話も多く、そういった意味ではアレクシアにとってケイオスは話が通じる貴重な存在だった。




魔物の討伐クエストは、ようやく互いの力量に差がなくなってきてイレーヌも参加し始めてから苛烈な物に変わった。

ケイオスと行う魔物討伐は異常の一言に尽きる。

クエストで必要最低限に魔物を狩るのでは無く、一対一で戦えば負ける事はない程度の敵をとにかくたくさん倒す事を目的としているようだった。

その為、お互いがパーティーとしての役割をしっかり果たさなければ三人しかいないパーティーだと他者に大きく負担がかかる。

彼女の役割はスピードを活かして敵の注意を引き付け、隙をつくる事だ。

アレクシアは敵を捌く為に眠らせたり麻痺させることで、襲い掛かる敵の数を制限し、ケイオスがまとめて殲滅するのが基本となっている。

アレクシアの魔法は今やパーティーが戦う上でかかせないものであり、自身もそれがわかっているのかとても充実した表情を見せる。

つい先日まで『才無し』と馬鹿にされていたのが嘘のようだ。

それを三、四時間行い冒険者ギルドでケイオスと別れるのがお決まりの日課になりつつある。


改めて考えればアレクシアにとってケイオスの存在はとても大きい。

彼女は今まで翼の無い飛べない鳥でしかなかった。

その彼女の翼となったのは紛れも無くケイオスだ。

だからこそ自分を救ってくれたケイオスの存在が彼女の心を大きく占めるのは、さしておかしなことではない。

羽ばたき始めた鳥が何処まで飛んでいくのか従者としてそれを見守っていきたいのも事実だ。

だが、ケイオスの存在が彼女にとっての比翼の鳥だとしたら――。


「アレクシア様、アレクシア様にとってケイオスとはどのような存在なのですか?」


学園のアレクシアの部屋に戻ると、イレーヌはアレクシアに尋ねた。


「先生は、そうですね。信頼できる師であり、頼りになる――お兄様のような存在でしょうか」


家族の情愛を失った幼い彼女だからそれが恋愛なのかどうかは自覚できていないのだろうか。

イレーヌからすれば恐らくそれは……。


伯爵家の娘である以上、平民に過ぎないケイオスとでは結ばれる事はない。

もし彼女がその淡い想いに気が付けば、必ずいつかその事に気付き悲しみに暮れるだろう。

本来彼女はそれを阻止する為にアレクシアにケイオスに近付かぬよう進言すべき立場だ。


だがそれは今大空を羽ばたき始めた鳥の翼をもぐような行為。

ケイオスを失えば、アレクシアがその歩みを止めてしまうだろう。

長年辛い境遇にいたアレクシアを思えば、イレーヌは決断できずにいた。

できればこの優しい時間が一時でも長く続いて欲しいとさえ思っている。

主が辛い時期に手を貸さなかった有象無象の貴族子弟に取られる位ならばまだケイオスのほうが人となりを知る分ましだとも考えている。

未だ燻る彼に対する嫉妬はなかなか消すことはできないが。


(一体どうすればいいと言うのだ……)


赤髪の侍従の憂いは未だ晴れない。

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