第十八話 魔導師と侍従と才無し少女1
ヴァイクセル帝国のとある建物の一室には初夏の暑さとは無縁かのように一定の温度が保たれ、書棚には数多くの書が収められ古書独特の臭いが立ち込めていた。
そんな一室で声が響いている。
「邪神……神……人々……」
声の先には分厚い本を食い入るように読み耽る12~3歳ぐらいの少女がいた。
身なりは整っており、どこかの貴族の令嬢のように見える。
本の内容は現在では使われていない文字で書かれており、少女の知識を総動員しても僅かな単語しか読み解く事ができない。
「器……魂……邪神……封印……神……ダメですね。これ以上は読めません」
ふうと嘆息し紫のお下げをかきあげ少女は本を閉じ、書架に戻した。
「……そろそろ時間ですか」
これからの事を考えて先程よりも深く溜息を吐き、一瞬憂鬱そうな表情を浮かべる。
だがその思考を打ち切り彼女は部屋を後にした。
「アレクシア様、こちらにいらっしゃったのですか」
部屋を出ると短く切り揃えた赤毛の若い侍従服を着た女性が声をかけた。
引き締まった体と凜とした出で立ちは本来であれば見るものをその女性の美しさと凛々しさ強く印象付ける。
だが今の彼女の顔色は冴えない。
「ごめんなさいイレーヌ。本を読むのに少し夢中になっていました。そろそろ始業時間なので、今から向かうつもりですが何かありましたか?」
アレクシアと呼ばれた少女は赤毛の女性、イレーヌに尋ねる。
「……それが……アレクシア様は勉学が優秀であらせられる為、他の生徒の授業内容がアレクシア様に追い付くまで自習をなさるようにと言付かっております」
怖ず怖ずとイレーヌが答えた。
アレクシアは間を置き、そうですかと言った。
その言葉がその通りの意味ではない事を両者とも知っている為言葉もない。
アレクシアは幾分か落胆した表情を見せたが、このような形で自習に変わった事は何も今回に限った事では無かった。
「あらアレクシア様、どうかなさいましたか」
クスクスと笑いながら声をかけたのはアレクシアと同い年ぐらいの貴族子女達だった。
「いえ、何でもありません」
表情を無にしながら淡々と答えるアレクシア。
その反応が少し気に入らなかったのか一瞬笑い声が途絶えるが、すぐにまた笑顔に戻る。
「アレクシア様、これから授業の筈ですが今からどちらへ行かれるのですか」
(知っているくせに何を白々しい事を……!)
傍に控えたイレーヌは表情には出さないが内心では彼女達を憎々しげに思っていた。
「先生から自習を命じられましたのでこれから部屋に戻って勉強する予定です」
「まあ!流石我が校でも座学が一番の成績で有らせられるアレクシア様ですわ!学校の授業など必要ありませんのね!」
「本当に凄いですわ!我が校の誇りですわね!」
大袈裟な手振りを見せる一人の貴族子女を皮切りに次々と世辞を述べる。
「いえ、私など浅学非才の身。まだまだです」
「また御謙遜を。奥床しさも大事ですが、余り度が過ぎると皮肉になりますわよ」
「ああ、アレクシア様が羨ましいですわ。私達のような非才な者達では授業を受けねばなかなか身につく事が出来ませんから」
それはただの不勉強なだけでは無いか――とイレーヌは内心つっこんだ。
「あら、そろそろ教室へ行きませんと遅刻してしまいますわ」
「本当ですわ、ではアレクシア様。失礼致します」
優雅に一礼して彼女達はツカツカと教室へと向かう。
徐々にアレクシア達から離れていくが、彼女達の笑い声と会話は未だアレクシア達の耳に届いている。
「それにしても由緒正しいこのヴァイクセル帝国魔法学園に未だロクに魔法を使えない生徒がいらっしゃっるようですわね」
「まあなんと嘆かわしい事でしょう!世界最古の伝統を誇る我が校によもやそのような生徒がいるなど信じられませんわ」
「その方はどうして魔法学園などに来られたのかしら。家の恥を晒すなど恥ずかしくは無いのかしら」
「私達のような生徒には『才無し』の生徒の考えなどわかりませんわ。尤も理解したくもありませんし、例え頭が良くなろうとも魔法がロクに使えないならなりたくもありませんわ」
一際大きな笑い声が辺りに響く。
イレーヌは唇から血が出るほどぐっと噛み締めて耐えていた。
侍従に過ぎない彼女が貴族子女達を糾弾すれば主人に迷惑がかかる。
ただ彼女達の後ろ姿を睨みつける事しかできなかった。
一方アレクシアはそれを無視して部屋へと歩みを進める。
気付いたイレーヌは慌てて後に追従した。
「……やはり私には魔法の才能が無いのでしょうか」
歩きながらぽつりとアレクシアが呟く。
誰に言ったわけでも無く無意識のうちに口にしたのだろう。
イレーヌは何も言葉にすることが出来なかった。
イレーヌは魔法の事に関しては門外漢である。
だがアレクシアが如何に努力してきたか幼少の頃より誰よりも傍で見てきた彼女が一番よく知っていた。
今ではそらんじる事が出来る位何度も何度も魔導書を読み返している姿を見た。
血豆ができる程杖を振るい、喉を枯らす程魔法を唱えた姿を見た。
ようやく初歩の魔法が成功し、涙を流しながら両親に報告していた姿を見た。
けれど、その両親の顔にはありありと落胆の色が現れていた。
そして失意のまま部屋に篭り悲痛な声を上げているのをイレーヌは傍で聞いているしか出来なかった――。
その日からアレクシアが泣いた事は無い。
ヴァイクセル帝国魔法学園に入学し、精力的に勉学に励み魔法の専門家である教師達に見てもらうも明確なアドバイスなど得られなかった。
逆に魔法の才能がなく、教師以上に魔法の知識を身につけた彼女の存在は、教師にとっても生徒にとっても厄介者にしか見えず、何かに理由をつけて彼女を敬遠し始めた。
それでもアレクシアは諦めずに図書館に篭って古文書を漁り魔法がより上手く使えるようにならないか調べ上げた。
どんな逆境に陥っても常に彼女は努力し続けてきたのだ。
そんな彼女の姿を見てきたからこそ、下手に慰めた所で主人の心を決して癒す事はできないと理解していた。
ヴァイクセル帝国の貴族社会は魔法偏重主義といった考えが蔓延している。
これはヴァイクセル初代皇帝が偉大な魔導師であり、それに連なる貴族の過半が魔導師である事から優秀な魔導師であれば優秀な血統を持つという認識となりその風潮が広がっていったのだ。
魔導師の才能は血によって受け継がれる。
優秀な魔導師は親もまた優秀であり、子もまた優秀になる事が多い。
その為に他国よりも貴族の血筋や魔導師としての才能を重視した。
そうした風潮のある貴族社会において、魔導師の家系にもし魔導師としての才能を持たない子が生まれたとしたらどうなるのか。
ある者は魔法の才が無い事を理由に廃嫡され、平民に身を窶した。
またある者は生涯幽閉された。
近年では起きていないが毒殺し病死扱いにしたケースも存在する。
それ程までに魔法が使えないという事は貴族社会において致命的な欠陥として扱われるのだ。
アレクシア、本名マリー・アレクシア・フォン・ザヴァリッシュの実家であるザヴァリッシュ伯爵家も当然魔法偏重の思考を抱いていた。
辛うじてアレクシアが魔法を扱える為にこうして魔法学園に通う事が出来ているが、もし使えなければ前述したような悲劇が行われていただろう。
ただ彼女の両親は彼女の魔法の才能を延ばす為に魔法学園に入学させた訳では無い。
既に彼女に魔法の才能が無いと見切りをつけ、他の貴族へ嫁入りさせるために魔法学園の卒業生としての実績作りが目的であった。
伯爵家であれば多少家格を落とせば嫁ぎ先はある。将来有望そうな下級貴族との誼みを結ぶ為にも名門であるヴァイクセル帝国魔法学園の卒業生という肩書きが欲しかったのである。
あわよくば魔法学園に通う上級貴族子弟に見初められればと思う下心が無かったわけでもなかった。
実際利発なアレクシアは見た目は悪くなく年相応に見える愛らしさを感じる美少女であったので、子弟には密かに思いを寄せるものも少なくは無い。
それが返って他の女生徒の反感を買い、今のように陰口を叩かれる一因になっているのだが、色恋に疎い主従はそれには未だ気付いてはいなかった。
「そうだ、イレーヌ」
不意に歩みを止め、アレクシアは自らの従者に声をかける。
「明日の課外実習はどうなっているのかしら」
ヴァイクセル帝国魔法学園では机上の勉学のみを至上とせず、学外に出て魔物を狩るという課外実習を受けなくてはならない。
もちろん貴族子弟を事故や事件に巻き込ませるわけにはいかないので、討伐するのは低級の弱い魔物であるし冒険者をパーティーに加える事が義務付けられており、事前に護衛を雇い入れるのも認められている。
「予定変更は伺っておりません。僭越でながら事前に冒険者に依頼しておきました。私もお供させて頂きます」
イレーヌはアレクシアの侍従として護衛の為に剣を嗜んでおり、新米騎士程度であればあしらえる程の腕前を持っている。
尤も侍従としての役目を優先していた為に魔物との戦いは未経験だった。
その為に熟練の冒険者を雇い入れていたのである。
「いえ構いません。頼りにしていますよ、イレーヌ」
そう言ってアレクシアは微笑んだ。
翌朝、課外実習に参加する生徒達は教室に集められ課外実習の詳細や注意事項について教師が説明を行っていく。
課外実習は冒険者ギルドと連携しており、以降の課外実習は直接冒険者ギルドを介して行われ、学生は冒険者ギルドからクエストを受けそれを達成する事が実習内容である。
その達成したクエストの達成率や難易度で成績が変動するシステムになっている。
冒険者は生徒一人につき最大五名まで雇う事ができ最低一人でも雇わなければ実習は許可されない。
また事前の準備もまた授業の一環であり、学生が個々に準備を行わなくてはならない。
一時間ほどで説明が終わり、各自解散となってようやく課外実習が始まった。
アレクシアとイレーヌは早速冒険者を雇う為に冒険者ギルドに向かう。
事前に雇い入れた冒険者達とはそこの受付で合流する手筈になっていた。
「一体どういう事だ!話が違うではないか!」
イレーヌの怒号が響く。
普段の着慣れた侍従服ではなく、皮鎧で身を固めた彼女は女剣士にしか見えない。
本人の彫刻のように整えられた美貌が、怒りによって歪められ鬼気迫る表情に変わり果てており、相対するギルド職員もたじろいでいた。
アレクシアも普段見ぬ彼女の反応に不安の色が隠せない。
「申し訳ありません。イレーヌ様が事前に雇われた冒険者達から連絡がありまして急に外せない用事が出来たらしく違約金を支払ってキャンセルしたのであります」
「それにしても依頼した三人が偶然同時に依頼を断るなんてありえるか!」
イレーヌが冒険者ギルドを通じて依頼した冒険者達は全て直前になり仕事を放棄した。
しかも同時に、だ。
本来こうした直前の依頼の放棄など冒険者としての評価を下げるだけなので滅多な事では起きない。
それが複数となると誰かに介入された可能性が高い。
(くそっ、また学園関係者の嫌がらせか。いつまでアレクシア様の御心を傷付ければ気が済むのだ……!)
怒りで腹腸が煮え繰り返る思いではあったが、今は課外実習を無事に終わらせなければならない。
冒険者がパーティーにいなければ課外実習は許可されないのだ。
まだ魔物と戦っていないイレーヌのみでは多少不安が残るが自身を冒険者として登録してしまう事も視野に入れつつ最善策を考える。
「……他に誰かいないのか?」
なるべく冷静に問い質すイレーヌではあったが言葉の節々が怒りで震えていた。
「ご存知だとは思いますが何分他の学生の方々が御依頼されている分が多いですからねえ」
「誰でもいい。パーティーを組める者はいないのか!」
「誰でもいいのか?」
彼女の叫びに答えたのはギルド職員の声では無かった。
その声の主は黒髪の黒と青の目を持ち、みすぼらしいシャツとズボンを着た彼女の欲する熟練の冒険者像とは掛け離れたひ弱そうな少年だった。
ログインしてゲームの世界に入った先は石柱に囲まれた場所――ストーンヘンジをよりしっかりとした小規模な遺跡風の場所と言えばわかるだろうか。
どうやら転送スキル「ワープ・ポータル」の転移先や死亡時の復帰地点となる「ポータル」らしい。ここは「非戦闘地域」に指定されている為、魔物は近寄れない場所である。
「ワープ・ポータル」による転移はともかく死亡はしたくない。
経験値やらお金やらアイテムロストなどのデスペナルティの危険がある。
死んだ場合次のレベルに上がる必要経験値の5%を喪失し、お金は所持金の数%をランダムで喪失し、アイテムは装備品を除くアイテムインベントリからランダムで一つその場に落とす。経験値は必ず喪失するがお金とアイテムは落とさない場合もある。
序盤はともかく高価なアイテムを所有し、他のMMORPGみたいに一時間狩りをして次のレベルに上がるのに必要な経験値の1%しか得られないような高レベルの時には特に忌避したい事だ。
尤もそこまで到達した猛者はまだ誰もいないし、このゲームは結構簡単にレベルが上がっているほうなのでもしかすると比較的楽なペナルティなのかもしれないけど。
それはさておき、やはりデータはリセットされたようでレベルは1に戻り、アイテムも「祝福の書」以外は初期装備に戻っている。
自分のなかでも印象に強く残っているあのイベントで手に入れた杖が無くなったのは少し残念だが、あの杖自体はそこまで珍しいわけではないし、例えアイテムが無くなってもイベントを忘れるわけでもないしな。
早速マップを見てシュトルブリュッセンへと移動する。
幸いポータルは郊外にありすぐに辿り着く事ができた。
それにしてもオープンβなのにテスターは思ったより少ないのか?モニュメント周辺には予想より人が少なかったが。
冒険者ギルドで手続きを済ませ、早速クエストをこなしていく。
クローズドβでの経験と攻略wikiにまとめられた狩場情報のおかげでサクサクすすむ。相変わらず移動は大変だけど初日でレベル5まで進めた。
むふふ、これは二次職になるのが早いかもしれない。
そして今日も元気に狩りをしに行く前に冒険者ギルドでクエストを受けに行く。
必要なアイテムは沢山あるからな。
少しでも稼がないと。
冒険者ギルドの受付前では誰かが怒鳴っているようだった。
厄介事に関わりたくないかのように周りは距離を取っている。
何を言っているのかは聞き取れないけれど、一体なんだろう。まあいいか。
ここは受付が一つではないし、空いている受付でクエストを受けよう。
「誰でもいい。パーティーを組める者はいないのか!」
怒鳴っていた女性がそんな事を宣った。
え、なにコレ。ドッキリ?
こんな御都合主義な展開あっていいの?
どうやら女性の二人組のようで怒鳴った女性の側には少女もいる。
普通なら他のパーティーに誘われやすそうなんだけど、あの雰囲気のせいで誰も誘わないのかな。
うーん、ちょっとおっかなそうだし気持ちはわからなくない。
どうするべきか。
いや待て、何を迷っている。俺はぼっちプレイヤーだ。ぼっちプレイヤーとソロプレイヤーは別物だと俺は認識している。
パーティーに入らないのがソロプレイヤーなら、パーティーに誘われないのがぼっちプレイヤーだ。
孤高にプレイするのがソロプレイヤーなら、孤独にプレイするのがぼっちプレイヤーだ。
そんな一人ぼっちのプレイは嫌だなと思ったばかりでパーティーに入るつもりなのにえり好み?何の冗談だ!
これは天啓……!チャンスは逃してはいけない!
短い間にこれだけの事を考えつつ意を決し声をかけた。
「誰でもいいのか?」
女性が俺に気付き視線が向けられた。
凄い綺麗な人が物凄い剣幕をしているので幾分鼻白むが、はっきり言うんだ!
「俺をパーティーに入れてくれないか」