第十五話 魔導師立つ2
霊薬を飲み治療しつつ危機から逃れたラファエルは自身の危機から助けてくれた少年を見つめた。
黒髪黒目で十代後半ぐらいの少年の身なりは王国軍で支給されている鎧とは異なり、冒険者の初心者が着るような軽装だった。
彼の顔に見覚えは無かった。
ラファエルは三千もいる兵全ての顔を覚えているわけではない。
しかし長年騎士として国に仕え騎士団長という立場上、王国軍の兵であれば多少なりとも記憶に残っていてもおかしくないのだが彼の顔を見ても全く見覚えの無かった。
(募集した冒険者の一人か。しかも状況から考えても魔導師か)
他の部隊の現状を把握していないが、分断されている為はぐれた兵や冒険者が一人二人いてもおかしくはない。
特に即席で集めた冒険者では軍の行動に慣れておらず、こうした非常事態に陥ればはぐれても不思議は無い。
(……だがそれにしては妙だな)
ラファエルは少年を見て違和感を感じていた。
(マントが綺麗すぎる。いやそれもあるが不自然なほど疲労していない)
ラファエルを含めたこの場の兵達は連戦に次ぐ連戦の為に返り血や出血で鎧が赤く染まり、トレントを燃やした為に黒く煤けていたりした。
表情も激戦によって疲労の色を濃く映していた。
しかし少年はマントに汚れはあるが、満身創痍の彼等に比べれば綺麗といって差し支えない上に、呼吸は乱れておらずまるで疲労を感じていないように見えた。
ここに来るまでに一度もオークやトレントと出会わずにきたのだろうか。
だがエルダートレントの眷属はそこらかしこにいて、ここに来るまでにも何度もオークに遭遇したのだから彼だけを見逃すとは考えにくい。
だとすると逃げ出した事になるのだが、逃げたにしては呼吸が整い過ぎている。
そもそも敵の配置もわからずこちらの居場所は知られている不利な状況で敵の防衛線をくぐり抜けてくる事ができるだろうか。
気になる事はあるが、危機から救ったのは事実であり無傷の魔導師が一人戦力に加わるのは僥倖である。
外法を用いてオークを操るエルダートレントを倒せば、オーク達は動かぬ人形と化す。
この戦いに勝つには是が非でもエルダートレントは倒さなくてはならないのだ。
「助かった、礼を言う!来て早々済まないが力を貸してほしい。周りのトレントを倒してくれ」
少年は了承したと頷いた。
ラファエルはエルダートレントを見る。
ラファエルを掴んでいたエルダートレントの腕は辛うじて折れていないものの、深くえぐられていてほんの少しでも衝撃を与えればぽきりと折れそうな状態だった。
「おのれ、我の邪魔をし傷付けた愚かな人間め!お前は絶対に赦さぬ!」
エルダートレントは激しい敵意を少年に向けていた。
だが少年はどこ吹く風とばかりに全く怯む事は無い。
その飄々とした彼の姿がエルダートレントの怒りを更に煽ってしまった。
「我が眷属よ!あの愚かな人間を生かして帰すな!」
三体のトレントが少年に向かう。
「いかん、彼の援護を!」
ラファエルが慌てて命令するが、兵と魔物、少年の位置関係は兵を囲むように魔物が展開しているために、魔物のほうが少年に近い場所にいた。
そのため兵の援護は間に合うはずもない。
少年は咄嗟に「ファイア・アロー」を放ち牽制する。
一体は炎に巻き込まれ、その背後にいたもう一体のトレントが怯む。
だが最後の一体はそれに巻き込まれずに腕で少年を薙ぎ払った。
兵や騎士と比べ少年の華奢な身体が大地に転がる。
三転してようやく止まるが少年はピクリとも動かない。
命の恩人を死なせてしまったのか――。
ラファエルは自身の不甲斐なさに拳を握りしめた。
自分の力が足りないばかりに若い命を摘んでしまった。
ラファエルは後悔と怒りがうねりとなり抑えきれず飲み込まれそうになる。
だがしかし。
ムクリと少年は何事も無かったかのように立ち上がる。
どうやら無事だったようだ。
彼の表情を見ると痛みすら感じていないようだった。
その様子を見てラファエルは安堵した。
(明らかに無事では済まないように見えたが、当たり所がよかったのか?)
幸運にも少年は何とも無かったようで起き上がり様、トレントに反撃している。
その間にやや手薄になった敵の包囲を破り十数人の兵達が少年を護るように囲みを作った。
そして法術師が彼に魔法の効果を向上させる支援魔法をかける。
少年の魔法の威力はその見た目の若さにしてはなかなかに強い。
だから支援魔法の補助があれば――。
先程炎に包まれたトレント達に加え、新たに追加されたトレントの群れが少年と兵達を襲う。
兵が上手く身を呈してトレントの魔の手を防ぎ、少年は余裕を持って魔法を使いトレントを焼き払っていく。
危なげ無く淡々と作業をこなしているかのようなその姿はまるで熟練した魔導師の姿を彷彿させた。
「くっ人間ごときに圧されているだと。ええい我が眷属よ。憎きあの人間を攻め立てよ!」
苛立ちまみれの声を上げるエルダートレント。
完全に今のトレントの目には彼しか映っていない。
根による攻撃も加え少年とその周囲の攻防の苛烈さが増す。
逆にいえば少年達に攻撃の手を集中させすぎた為、他の兵への攻撃の手が緩む。
「今だ!トレントどもに攻撃を集中させろ!」
トレントの包囲網が弱まり一気にラファエル達が押し返す。
今までは敵に囲まれて圧されていた状態だっが、少年達の集団ができた事で一部の戦線が挟撃の形になる。
いくら人より強いとは言え双方向からの攻撃には為す術もなくトレントは次々と駆逐されていった。
「マナ・エクスプロージョン」
少年が起こす爆発が多くのトレントを倒した事で拮抗していた天秤が大きく傾く。
少年が現れてから戦況はいつの間にか逆転していた。
「よし、増援が来る前にエルダートレントを叩く。半数は残りのトレントを抑えよ!残りの者は私と共にエルダートレントを倒すのだ!」
ラファエルの号令に兵達は従い、エルダートレント討伐する組とトレントを相手取る組に分かれ行動する。
人を操る術を持つエルダートレントには魔法と弓によるアウトレンジからの攻撃や一撃離脱のヒットアンドアウェイを徹底して繰り返していく。
エルダートレントの顔にはもはや余裕は一切無く焦りの色に染まっていた。
「何故だ!何故人間ごときにここまでやられるのだ!」
焦りが言葉に出てしまう程エルダートレントは追い込まれていた。
本来であれば包囲されていた王国軍が敗れていただろう。だが少年の登場によって冷静さを欠いたエルダートレントの采配が勝敗を分けた。
確かに少年は脅威ではあったが包囲を手薄にしてまで行動すべきでは無かった。
包囲が崩れ兵を少年の所まで通してしまった事、それにより挟撃され数で劣るトレントが次々とやられて大幅に戦力を喪失してしまった事に繋がり今の状況に陥ったのだから。
あの場でオークを呼び戻せば少年共々王国軍は巻き返す事など出来なかっただろう。
ラファエルは剣でエルダートレントの腕を両断し、幹を切り付ける。
離脱しながら振り返るとトレントを打ち破り、少年が再度エルダートレントに杖を向けていた。
そして青い爆炎がエルダートレントを包み込んだ。
度重なる攻撃によって幹が削れメキメキと音を立て始める。
自重を支えきれずに倒れていくエルダートレント。
「があああっ!!モ、モウスデウス様あああ!!」
自身の主に助けを求めるエルダートレントの断末魔が一帯にこだました。
古木の最後の叫びに周囲の喧騒が一瞬止まる。
うおおおおおーーっ――次の瞬間溢れんばかりの勝鬨の声があがった。
残ったトレントは主がやられてしまった事に気付き、戸惑い敗走し始めている。
「トレントを逃すな!全て叩き潰せ!」
ラファエルの声に追撃戦が始まる。
もはやあれ程劣勢に陥っていたこの戦いは勝ち戦となっていた。
操り主が倒されてしまった今オーク達は動かぬ人形と化してしまっただろう。
味方への被害も抑えられたはずだ。
完全に魔物にしてやられたこの討伐戦は奇跡の大逆転劇へと変貌していたのだ。
ラファエルがふと気が付くと一部の植物が枯れ始めているのを見た。
「これは一体……」
「エルダートレントが倒された為に自生できない眷属は枯れたんだ」
声の主は件の少年である。
「お前は……」
どうしてそんな事を知っているんだ――そう聞き返す前に少年が遮った。
「俺はケイオス。そろそろ行かなければならない。済まないな」
少年は役目を終えたかのようにそっと姿を消したのだった。
クローズドβテスト最終日前日。最終日は月曜の午前中で終了のため、学校がある俺にとっては今日がクローズドβテストがプレイできる最終日となる。
最後の記念にとカスタル王国北部にいるボス、エルダートレントを倒そうと意気込んでトレントの森まで足を運んだんだけど、これが想像以上に厄介だった。
前日の土曜日の夜にようやくトレントの森にたどり着き何とかボスの所まで行こうとしたのだが、如何せん敵が多くなかなか奥に進めなかったのである。
それで日曜日に再度挑戦する予定だったんだけど、この所ゲームばかりやっていた俺は母にやり過ぎだと怒られてしまった。
母は普段こうした事では怒らないが父と喧嘩した時なんかは温厚な母でもたまに八つ当たりをする。
今回も大方父となにかあったんだろう。
家族のヒエラルキーの最頂点に立つ母の機嫌を損ねるのは食事的な意味で死活問題に関わるので逆らうのは危険だった。
仕方なく日曜の午前中は家事を手伝い母のご機嫌を取り、午後から二時間ほど制限時間付きで許可をもらいようやくプレイにこぎつけたのだった。
ログインすると前日逃げ惑った森の中から再開した。
何やら森の中が騒々しい。
マップウインドウを開きつつボスの元へと向かう。
前日は確かこの先にオークの群れがいて進めなかったんだが、迂回するべきか?
と考えながらマップを見るとどうも様子がおかしかった。
よく見るとオークの群れがいない。
どうしてだろうと首を傾げたがどうやら前日とオークの配置が変わっているようだった。
これ幸いとばかりにボスの元へと向かう。
マップを見ながら移動しているとどうやら俺以外のプレイヤーがこの森にいてオーク達は迎撃しているようだった。
そのおかげでこちらに襲い掛かるオークが少なく、十分に俺一人でも対処できたため前日とは打って変わってサクサクと奥に進む事ができる。
木々を見るとまだ枯れているものが見当たらない事からボスはまだ生存しているようだった。
ボスの場所に近付くと多数のプレイヤーがボスと既に交戦中だった。
やはり皆考える事は同じなのだろうか。
それでも百人近いプレイヤーが殺到してるなんて想像もしていなかったけど。
流石に出る幕は無いかと諦めかけたその時、プレイヤーの集団の一人が声を上げたのだ。
「団長を御救いしろ!」
よく見ると一人がボスに捕まっていて今にも握り潰されそうに見えた。
団長というからパーティーのリーダーみたいな人なのかもしれない。
どうしよう、俺が手を出してもいいんだろうか。
迷ったが救援して欲しいという言葉があった以上、手を出してもいいよなと思い、「マナ・エクスプロージョン」を唱える。
詠唱時間が厳しいけどボス相手に通常の火力じゃ足りないだろう。
爆発がボスのエルダートレントの腕に当たり人質は解放された。
本当はボスの身体爆発させるつもりだったけど、やはり人質がいると狙いが難しくなる。
まとめて薙ぎ払ってプレイヤーを攻撃しかねいからなあ。
効果範囲の広い魔法についてはそうした問題が起きやすく、問題視されていたっけ。
運営側も対応することを確約してたから、オープンβテストには修正されるかもしれないけど。
「助かった、礼を言う!来て早々済まないが力を貸してほしい。周りのトレントを倒してくれ」
人質となっていたウォーリア風の男が声をかけてくれた。
よかった、助けて正解だったらしい。
確かに彼の言う通りトレントがプレイヤー集団を囲っていてボスに近付くのも困難そうだ。
協力したほうがいいだろう。
こちらが頷くとエルダートレントが怒りこちらにトレントを仕掛けてきた。
NPCの高度なAIに驚かされてきたけどモンスターであるボスも怒るなんてまた異様に人間くさい。
よくできてるよな。このゲーム。
トレントには「ファイア・アロー」で応戦する。
トレントは炎属性が弱点であり炎属性のスキルで攻撃するとダメージが1.5倍に上昇するからだ。
けれど一体だけ攻撃が間に合わず、俺は殴られ吹き飛ばされてしまう。
攻撃を受けた脇腹がバイブレーションを受け痛いというよりむしろくすぐったかったが、それ以上に吹き飛ばされた事で目を回してしまった。
慌ててステータスを確認するとHPは既に三割にまで減少している。
一撃で七割ダメージとかどんだけひ弱なんだろう。
中級ポーションを緊急使用しすぐさま回復した。
トレントに反撃し返すと俺の回りにプレイヤーが来てトレントから攻撃を防いでくれる。
うっ……なんていい人達なんだ。
俺がひ弱な事を察してすぐに護ってくれるなんて。
更にはバフ(MMORPGの用語で一定時間能力を上げるスキルの事)をかけてくれた。
「インテリジェンス・ブースト」
その名の通りステータスの知能を数十%向上させる魔法スキルだ。
スキルレベルによって倍加するのでレベル1では10%、レベル5では50%上昇させる。効果時間は一時間。
かけてもらったのはレベル3。つまり30%の上昇となる。
ここまでされては俺も頑張るしかない。
片っ端から敵を屠っていく。
魔法の威力が上がりトレント相手にも十分ダメージを与えていた。
気がつけば戦闘はこちらが押している。
流れるように動く他のプレイヤー、特に人質だった団長さんの動きを見ていて思った。
洗練された一撃離脱はよっぽど練習したんだろう。
見事なまでに相手の攻撃をかわしボスにダメージを与える様は到底自分ではできなさそうな技量だと感じた。
それに比べたら俺はどうだろう。
オープンβでは他職をやってみようかと考えていたけれど、あそこまでマジシャンという職を極めただろうか。
できればあれぐらい極めてみたい――やっぱりオープンβでもマジシャンを育てよう。
そう考えていたのである。
団長さんはエルダートレントの腕を切り落としていた。
もう回りのトレントもいない。
俺もボス攻撃に参加しよう。
自分の最高威力の魔法スキルを詠唱する。
「マナ・エクスプロージョン」によってエルダートレントはどうと倒れた。
……あ、とどめを刺しちゃったか。
ま、まあ一番ダメージを与えていたのは一番攻撃していた団長さんだろうし、このボス戦のMVPは彼だろう。
それにしても百人近いプレイヤーに指示を出していたから、ギルドでボスを倒すイベントでもやってたのかな。
他のプレイヤーは喜びに溢れ、残ったトレントを退治している。
ボスも倒した事だし、もう手伝いは必要ないだろう。
「これは一体……」
団長さんが疑問の声を上げている。
一部の木々が急速に枯れているのが気になったようだ。
どうやらwikiは見ていないらしい。
「エルダートレントが倒された為に自生できない眷属は枯れたんだ」
そういう設定らしく、ここのボスはわざわざ奥にいるか確認する必要が無いらしい。
入るのも困難だったから親切設計だよね。これ。
「お前は……」
いい人そうだし、是非とも友達になりたいが長く話している時間がなかった。
そろそろ制限時間がやばい。
この後母に夕食の買い物を頼まれていたし、急いでログアウトしないと。
「俺はケイオス。そろそろ(買い物に)行かなければならない。(わざわざ声をかけてくれたのに)済まないな」
一言謝りログアウトする。
ログアウトし時間を確認する。やはり制限時間ギリギリだった。
さて母の機嫌が悪くならないようにお使いにいってくるとするか。