第十四話 魔導師立つ
一体どれだけの時間が経過したのか――ラファエルは汗を拭いながら思った。
巨木の魔物が王国軍の隊列に強襲し、それを楔に隊列を分断した策は物の見事に嵌まり、王国軍は混乱の渦に巻き込まれた。
それにより分断させられた王国軍は散り散りになり、中隊小隊の規模に別れ最早統率された軍の動きではできない状態になった。
そこへ今まで伏せていたオークが集中して襲い掛かってくるのだから堪らない。
部隊の尽くが劣勢に陥り敗走を重ねていた。
そんな劣勢の中、善戦している部隊の一つがラファエルが率いる部隊である。
王国でも最高峰の実力を誇る彼等は幾度にも渡るオークの襲撃にも耐え、敵を退けた。
しかし連戦に次ぐ連戦によって一人また一人と倒れ、彼が率いる集団も最早百人を割っている。
その誰もがオークや自身の血に染まり、疲労を色濃く残していた。
ポーションや法術師の回復魔法によって、怪我は治す事ができる。
だがポーションや回復魔法には増血の効果は無く、度重なる出血によって引き起こされる貧血を防げず、蓄積された疲労も十全に回復する事はできなかった。
このままでは全滅してしまうのも時間の問題である。
他の隊と合流しこの危機から脱するより手が無い。
無いのだが――。
(どうしてこちらの動きを読むようにオークに先回りされる!)
他の部隊と合流する為に、道無き道を進むもののオーク達が幾重にも防衛線を敷き、苛烈なまでに攻め立ててくる。
まるでこちらの行動が全て読まれているかのような相手の動きに翻弄され味方との合流を果たせずにいた。
(そういえばオークに襲われた村の生き残りも同じように待ち伏せされたと言っていたな)
今になってラファエルはその事を思い出し、歯噛みした。
木の魔物にまだ監視されているのか、また情報をどうやってオークに伝えているのかはわからないがこちらの行動は筒抜けになっているようだ。
現状は全て相手側に有利な状況だ。
だがここで諦める訳にはいかない。
自分はこの敗退の責任を取り、騎士団長の座から下りるだろう。
だが今はまだ自分が騎士団長である。
二千二百もの命を預かった軍の長だ。
味方の犠牲を少なくし次の戦いに向けて少しでも情報を持ち帰らなければならない。
森の中で爆発音がこだまする。
味方の魔導師が戦っているのだろう。
味方もまだ諦めてはいない。
ラファエルは再度味方との合流と脱出を試みるのだった。
陽光がまばゆく差し込んでいる場所が見えた。
森の外に出られたのかと思いその場所へ向かうが違ったらしい。
森の中の少し拓けた場所に出てしまったようだった。
森を脱出するどころか逆に奥深くまで迷い込んだようである。
拓けた場の中央には先程遭遇した木の魔物より一回り以上大きな古木が屹立していた。
こいつも魔物だろうかとラファエル達は疑心暗鬼になりながらも怖ず怖ずと近付く。
「よく来たな、強き人間よ」
低い老人のような声が響いた。
ラファエルは目を剥いた。
よく見れば幹には大きな窪みがあり、目と口の形どっている。人面樹のようだ。
知性の高い魔物は会話する事ができる。
その事は別段不思議では無いが先程の木の魔物の事もあり警戒心が強まる。
「貴様は何者だ!」
ラファエルは剣を向け問い質す。
他の兵も古木を取り囲みいつでも戦えるように構えた。
「モウスデウス様の配下の一人。エルダートレントだ」
モウスデウス――ラファエルはその名に聞き覚えがあった。
「貴様!邪神の配下か!」
「邪神などではない。モウスデウス様は我々魔物の神であらせられる尊いお方なのだ」
ラファエルの発言が気に入らなかったのかエルダートレントの威圧が増す。
「まあいい。強き人間よ。己が強さを誇るがよい。我が配下を幾度も退けた武をモウスデウス様に捧げるのだ」
「我が剣は王国に捧げたもの。邪神に捧げるものなど何も無い!民を害し、王国を脅かす貴様らをただ切り裂くのみ!」
「くくっ、できるものならば試してみるがいい」
「ほざけ!魔導師、弓兵は奴に火を放て!」
ラファエルの号令に魔導師と弓兵が動き出す。
しかし攻撃に移る前に地面が揺れる。
急な地震で体勢を崩す兵達。
大地が隆起し、エルダートレントの根が兵達を容赦無く襲った。
「フハハハ、不様だな。我が一度根を揺らすだけで倒れるとは存外人間とは脆いものだな」
エルダートレントは嘲笑した。
「いい事を教えてやろう。この根はただ大地を揺るがすだけのものでは無い。根と繋がった植物は我の支配下に置かれ眷属となる。尤もトレントのように魔物と化すには人という養分が必要だがな。やがてこの根はこの国全土に広がり眷属を増やしていくであろう」
「……この間村を襲ったのもそれが目的か!」
「そうだ。我が封印されている間にこの地に住み着いた無能なオークどもだけでは戦力が足りぬからな」
こいつは危険だ――ラファエルは想像以上の話を聞かされ戦慄する。
今までの話をまとめれば邪神モウスデウスの配下であるエルダートレントは王国への侵攻を狙っている。
眷属であれば遠くに離れていても視界を共有し会話する事もできると聞いた事がある。
尤もこれはお伽話の吸血鬼の話で眉唾ものの話ではあったが、仮にこれが正しいのだとしたら今までの不可思議な状況に説明がつく。
眷属である植物を通じてこちらの情報が筒抜けになっていたのだ。
もし王国周辺の植物が眷属になりあの木の魔物――トレントが群れを為せば王国は確実に崩壊するであろう。
騎士として命を懸けてもこれを阻止しなければならない。
エルダートレントの話が正しければまだ根は王国全域まで広がってはいないはずだ。
まずエルダートレントを始末し被害を最小限に抑えなければ。
「兵達よ、あの魔物を生かしておいては危険だ!相手は根を張っている。他の木の魔物のように動く恐れは無い!止まった的と思い攻撃を開始せよ!」
再び攻撃体勢に入る兵達。
「確かに我は動く事はできない。しかし」
周囲の木々が動き出す。
「我が眷属を呼び出す事ぐらいできる」
30体もの敵がラファエル達を囲む。
「雑魚に構うな。何としてもあの魔物を倒せ!」
「団長、雑魚はこちらで引き受けます。ですからあの魔物を!」
副官の言葉に自身も再度マナを使い筋力を上げる。
軍は敗走し邪神の手が伸びている。
未曾有の王国の危機に例え相手と差し違えても倒す覚悟でラファエルはエルダートレントに立ち向かった。
その進路を塞ぐかのように数体のトレント達が立ちはだかる。
ある敵は一閃し、或いは兵が先んじて抑え、ラファエルの進路を切り開く。
側面や背後から襲い掛かるトレントも兵達がよく防いでいた。
声を張り上げ立ち向かう兵達を見てラファエルは自然と力が漲ってくるのを感じた。
皆ここまでくるのに満身創痍の姿をしていた。
その上でまだ王国の為と血路を開く様は良い部下に恵まれた事に心の中で感謝する。
だがそれに浸る訳にはいかない。彼等が命を曝して作った時間だ。一秒も無駄にはできない。
なんとしてもエルダートレントを討ち果たさなければ、兵に顔向けなどできない。
疲れているはずの足は未だ衰えずに力強く大地を蹴る。
エルダートレントとの間合いを一気に詰めていく。
エルダートレントがそれを妨害せんと新たに根を起こし、ラファエルを打ち付けようと鞭のようにしならせる。
ラファエルは根の猛攻をステップでかわしつつ距離を縮めていった。
間合いに入った。
そう直感したラファエルはマナを剣に纏わせ、前足を踏ん張り腰を回転させその遠心力の全てを剣に込める。
今自分が放てる極限の一撃を放った。
高速の一撃は激しい風切音を響かせ、エルダートレントの幹にぶつけられる。
剣が直撃した途端、余り衝撃に大地が土煙を上げるほど重い一撃だった。
手応えはあった。手も衝撃でやや痺れている。
だが、これは――。
「なかなかの一撃だったぞ。強き人間よ。だがそれだけでは我は倒せん」
エルダートレントの幹には深々と剣が刺さっていて、幹の両断するどころか半分に達する程傷つけてはいない。
ラファエルは舌打ちし幹を蹴って剣を抜いて距離を取る。
想定外にエルダートレントの身体は硬いようだった。一撃で無理ならば何度も剣を振るうまで――そう考えたラファエルは再度間合いを詰める。
兵が討ち漏らしたトレントの枝の一撃を真っ向から受けず剣の腹で受け軌道を逸らし切り落とす。
その隙をついてエルダートレントの根はラファエルの肩を捉えた。
肩当てに当たり衝撃に思わず顔をしかめるが、すんでの所で身を反らして最低限に威力を留める。
その上で腕を捕らえようとした根を斬った。
エルダートレントに攻撃を加えるのはラファエルだけでは無い。
後衛の弓兵が火矢を、魔導師が「ファイア・アロー」を放ちエルダートレントを焦がすが、エルダートレントは器用に根を使い土を被せ火を消していく。
火に弱いのは眷属のトレントと同じらしく火を嫌うようだった。
忌ま忌ましく感じたのか口を歪めるエルダートレント。
根を後衛の兵に向けようと意識を逸らした。
その隙をラファエルは見逃さなかった。
根をかい潜り、一気に間合いに入る。
速度を重視した連撃を食らわせた。
エルダートレントの身体を文字通り削り取り、木屑が宙を舞う。
一撃一撃は先の渾身の一撃に比べ軽いが、先程切り付けた箇所を狙い何度も切り裂きその傷を広げていく。
根の動きに注意しつつ味方の援護を受け着実にエルダートレントにダメージを重ねていった。
味方の事もあり早々に決着をつけたいラファエルだったが逸る気持ちを抑え淡々と削り取る作業を続ける。
事態は長期戦に持ち込まれる――誰もがそう予測した。
「団長、離れて下さい!」
距離のあり全体像が見えていた兵の一人がいち早く異変に気付き叫ぶ。
だが相手が巨体過ぎる上に接近しすぎた事で極端に視野が狭くなり、視界外のエルダートレントの動きが読めず、彼の反応は遅れてしまった。
エルダートレントの豪腕がラファエルを掴んだのである。
予測だにしなかった方向から一撃を食らいラファエルは血を吐いた。
「ようやく捕まえたぞ。強き人間よ」
エルダートレントはしたり顔で笑う。
「お前は眷属より強いから殺すには惜しい。オークどものように取り込んでやる。我に従い、モウスデウス様に御仕えするのだ」
その言葉に合わせてもぞもぞとエルダートレントの腕を這う緑色の虫がラファエルにゆっくりと向かってくる。
この虫の事は知っていた。
過去に捕らえた外法を操る錬金術師が使っていたものだ。
この虫は対象者の耳に入り込み、脳に寄生し術者の意のままに対象者を操る外法中の外法の一つだ。
ようやく彼は理解した。
何故知性の低いオークがエルダートレントに統率されていたのかを。
エルダートレントに操られ行動していたに過ぎなかったのだ。
眷属によって集められた情報を元にオーク達はエルダートレントに操られ人形のように動く。
このままでは自分もまたその一人になってしまう。
ぞくりと恐怖を覚え何とか逃れようともがくが、ラファエルを掴んだ手はびくともしない。
「団長を御救いしろ!」
副官が必死の形相で声を出すが、さらにこの場に駆け付けたトレントがそれを阻んだ。
何もできない――。
無力感が漂う。
ラファエルは悔しさで唇を強く噛んだ。
ここで終わるのか――。
この外道に冒され王国に剣を向けてしまうのか。
妻と生まれたばかりの子供が脳裏を過ぎる。
誰か……誰でもいい。
……この危機を救って……くれ……。
爆発音が響く。
この世の物とは思えない程の絶叫が辺りをこだました。
不意に拘束が緩まり重力に従ってラファエルは落ちていく。
受け身を取れなかったラファエルは地面に叩きつけられ咳込んだ。
その際に耳に入りかけていた虫が落ち彼の身体に潰された。
一体何が起きた――?
ラファエルは苦しみながらも視線をさ迷わせ状況を把握しようとする。
エルダートレントは苦悶の表情を浮かべてある方向を睨んでいた。
その先には若い黒髪黒目の少年が杖を構えた姿があった。